橋口 伝蔵(はしぐち でんぞう)は、幕末薩摩藩士。同藩士・橋口与三次の次男[1]兼備[1]

 
橋口 伝蔵
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保2年(1831年
死没 文久2年4月23日1862年5月21日[1]
別名 :兼備
墓所

京都市伏見区大黒寺 鹿児島市南林寺由緒墓地

[1]
官位従四位[1]
幕府 江戸幕府
薩摩藩
父母 父:橋口与三次
兄弟 橋口兼三伝蔵樺山資紀
勇馬(陸軍少将)[2]
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経歴

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天保2年(1831年)鹿児島城下で誕生。江戸安井息軒に学び、後に江戸藩邸の記録所書記となった[1]

文久2年(1862年)橋口壮介らと江戸を脱して[1]上洛し、有馬新七らと佐幕派の九条尚忠酒井忠義襲撃を画策する。しかし京都寺田屋で集合中に島津久光に派遣された鎮撫使側の奈良原繁らによって斬殺された[1]寺田屋騒動)。

明治24年(1891年)、従四位を追贈された[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『明治維新人名辞典』775頁。
  2. ^ 浜島速夫『三代軍人列伝 - 薩摩の武人たち』南日本新聞社、1975年、153頁。
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.6

参考文献

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  • 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。