無彊
無彊(むきょう)は、中国の戦国時代の越の君主。この君主の後、越は滅んだ。
無彊 | |
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越 | |
王(周制における爵位は子) | |
王朝 | 越 |
在位期間 | 前354年 - 前306年? |
都城 | 呉 |
生年 | 不詳 |
没年 | 不詳 |
略歴
編集越王無顓の弟とされる[1]。無顓8年(紀元前354年)、無顓が死去すると、無彊は越王として即位した[2]。北方の斉や西方の楚と争い、楚軍の侵攻を招いた。無彊21年(紀元前333年)[3]、楚の威王が大軍を動員して越を攻撃し、無彊は敗北し逃亡した。無彊の逃亡後の越では、江南の海浜で諸族の子らが争って立ち、ある者は王となり、ある者は君となり、楚に服属した[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 『史記』越王句践世家