片野 十郎(かたの じゅうろう、天保6年(1835年) - 明治6年(1873年11月14日)は、幕末長州藩士、奇兵隊参謀。明治以降は陸軍大佐となり、交野 瑜(かたの さとる)を称した。号は御狩、変名に山本保助。

人物

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軍学に長じ、奇兵隊の軍監になった。四境戦争の際に活躍、慶応3年(1867年参謀として京都に入り、西郷隆盛山田顕義らと討幕を画策した。

戊辰戦争では東北に出兵し、功を挙げる。東京府少参事を4年間務めた後、明治6年(1873年三好重臣福原実らと正六位陸軍大佐に任じられるが、11月14日に病のため東京で死去した。

愛宕青松寺に葬られたが、関東大震災多磨霊園に改葬された。2022年に墓じまいとなり、小平霊園の合葬施設に移された[1]

脚注

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参考文献

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  • 『国民過去帳 明治之巻』大植四郎編 尚古房、1935年
  • 『勤王諸士遺墨帖人名略伝 東宮殿下行啓記念』中原邦平、1910年