「地方病 (日本住血吸虫症)」の版間の差分

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=== 土地利用の転換と生活環境の激変 ===
[[File:Kofu Basin Peach blossom and the Minami Alps.JPG|thumb|230px|2011年4月の甲府盆地。市街地や住宅地、そしてモモとブドウに代表される果樹園は増えた。その一方で水田は減った。]]
保卵者数は猛威を振るっていた最盛期の[[1944年]](昭和19年)の6,590人をピークに減少に転じ、[[1960年代]]から[[1970年代|70年代]]初頭にかけ急激に減少した。これにはコンクリート化と新薬による殺貝だけでなく、いくつかの複合的な要因が考えられている<ref name="fukugo">小林照幸 『死の貝』 文藝春秋、pp.204-208 ISBN 4-16-354220-5</ref>。
*第一の要因として、戦後の甲府盆地における産業転換に伴う'''土地利用の変化'''が挙げられる。古くから[[稲作]]が中心であった甲府盆地中西部の農業形態は、[[モモ]]や[[サクランボ]]や[[ブドウ]]などの[[果樹]]栽培へ転換され、長期間にわたって水を張った状態を必要とする[[水田]]が激減し、ミヤイリガイの生息地を結果的に狭め追いやった。これは有病地の特に[[釜無川]]右岸地域一帯で顕著であった。甲府盆地中央部においても[[高度成長期]]に伴う[[宅地開発]]([[甲府リバーサイドタウン]]等)や、大規模な[[工業団地]]([[国母工業団地]]、[[釜無工業団地]]等)の造成により次々に水田は姿を消していった<ref>中村磐男、大江敏江 「河川環境の復元と感染症:ツツガムシ病や住血吸虫症は再燃(再流行)するか」 『聖学院大学論叢,23(1)』 2010年 p.116</ref>。
*第二の要因としては、少なくなった水田においても'''農耕の機械化'''が進んだことにより農作業用の家畜がほとんど消え、ウシなどの感染家畜の糞便による虫卵が激減したことが挙げられる<ref name="fukugo"/>。
*第三の要因として、家庭で使用されていた'''[[合成洗剤]]の排水'''によるセルカリアへの殺傷効果が挙げられる。昭和40年代は合成洗剤の規制や制限が行政から指導されておらず、また[[下水道]]の普及も遅れていた甲府盆地では合成洗剤を含んだ排水は、いわば垂れ流し状態であった。本来であれば非難される垂れ流しも、殊、日本住血吸虫に対しては怪我の功名とも言え<ref name="fukugo"/>、事実、[[久留米大学]]教授の塘普(つつみひろし)が[[1982年]](昭和57年)に行った実験で、一般家庭で使われる濃度0.14-0.25パーセントの合成洗剤溶液にセルカリアを投じると5分以内に全て死滅し、さらに溶液を100倍に薄め同様に試しても、セルカリアは24時間以内に全て死滅することが実証された<ref>小林照幸 『死の貝』 文藝春秋、p.208 ISBN 4-16-354220-5</ref>。
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かくして古くから謎に包まれていた地方病(日本住血吸虫症)は、世代を超えて多くの人々の努力により病原の解明、感染メカニズムの解明が行われ、日本国内では病気の撲滅が成し遂げられた。しかしその一方で、なぜミヤイリガイが甲府盆地をはじめとする限られた地域にのみ生息していたのかという疑問は解明されておらず、[[生物学]]、[[遺伝学]]、[[地質学]]、[[気象学]]、[[地理学]]など、あらゆる観点からの研究が現在も行われているが、依然として大きな謎のままである<ref>小林照幸 『死の貝』 文藝春秋、pp.225-226 ISBN 4-16-354220-5</ref>。
 
== 地方病対策とホタルの負の側面 ==
ミヤイリガイ駆除で使われた殺貝剤や<ref>[http://www.biodic.go.jp/reports/2-3/a284.html 第2回自然環境保全基礎調査 2-7 動物分布調査(昆虫類)2.指標昆虫類種類別解説 10)ゲンジボタル Luciola cruciata] 2011年7月30日閲覧</ref>、鎌田川流域など河川のコンクリート化により<ref>{{PDFlink|[http://www.mimura.city-chuo.ed.jp/mati/watasitati.pdf わたしたちのまち たまほ]}} pp.103 2011年7月30日閲覧</ref>。山梨県の[[ゲンジボタル]]は個体数が減り、生息地も減少した。特に鎌田川の支流である常永川は、昭和51年までは国指定[[天然記念物]]の<ref>[http://www.oshi-es.showacho.ed.jp/hotarutosyouwa.html 押原小とホタルの歴史~なぜホタルの校章なの?~] 2011年7月30日閲覧</ref>、[[1983年]](昭和58年)までは天然記念物指定地の
<ref>[http://www.yamanashi-kankou.jp/nature/summer.html 富士の国やまなし観光ネット 夏のほたる] 2011年7月30日閲覧</ref>指定を受けていたが、個体数の減少により解除された。これはゲンジボタルの幼虫の餌となる貝、カワニナがミヤイリガイとよく似た形態・生態であったことも関係している<ref>[http://www.oshi-es.showacho.ed.jp/hotarutosyouwa.html 押原小とホタルの歴史~なぜホタルの校章なの?~] 2011年7月30日閲覧</ref>。このことを踏まえて杉浦醫院にある池にはホタルが生息できるようにしている<ref>[http://sugiura-iinkai.blogspot.com/ 昭和町風土伝承館杉浦醫院整備保存活用検討委員会からのお知らせ 2010年11月8日月曜日 山梨県昭和町が杉浦父子の医院を保存] 2011年7月30日閲覧</ref>。また2011年現在、笛吹川流域ではホタルの勉強会や幼虫放流会も行われている
<ref>[http://www.fuefuki-syunkan.net/2011/hotaruginga.html ふえふき旬感ネット ホタル舞い飛ぶ里を目指して!] 2011年7月30日閲覧</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/kikaku/005/440.htm [[YOMIURI ONLINE]] 今夏も元気に舞ってね ホタルの幼虫放流式] 2011年7月30日閲覧</ref>。
 
他にも旧[[田富町]](現[[中央市]])にあった臼井沼は、野鳥の生息地として山梨県民に知られていた<ref>[http://www.city.kofu.yamanashi.jp/gikai/gijiroku/1984/8412_t/841224.htm 昭和59年12月甲府市議会定例会議事日程(5)]2011年7月31日閲覧</ref>が、現在は埋め立てられている。これは田富町の住民は総決起大会を開き、地方病撲滅のためには沼を埋め立てるしかないと決議したためである。野鳥保護団体は「渡り鳥の中継地として貴重」と反論したが、結局は県議会も埋め立てることを決定した。最終的に臼井沼は[[富士観光開発]]が開発し、現在の甲府リバーサイドタウンができた。<ref>[http://www.ypec.ed.jp/webkyou/tiikitanbo/sizen/miyairi.htm 地域探訪 地方病とミヤイリ貝]2011年7月31日閲覧</ref>
<ref>[http://www.yy-net.org/blog/02029/blog/archive/2010/05/242056205932.html 山梨観光わいわいねっと 日本住血吸虫症(地方病)流行終焉の地]2011年7月31日閲覧</ref>。
 
== 脚注 ==