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EmreKl (会話 | 投稿記録)
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日本時間6月5日午前1時30分、南雲機動部隊から[[ミッドウェー島]]への第一次攻撃隊が発進する。この時の出撃陣容は各空母共に[[零式艦上戦闘機|零戦]]は稼働半数の9機、攻撃機は第一航空戦隊は[[九九式艦上爆撃機|九九艦爆]]の稼働全18機、第二航空戦隊は逆に[[九七式艦上攻撃機|九七艦攻]]の稼働全18機を出撃させている<ref>[[#戦史叢書 ミッドウェー海戦]] P295~297</ref>。九七艦攻は魚雷ではなく、800kg陸用爆弾を搭載しての出撃である。アメリカ軍基地から発進した[[F4F (航空機)|F4Fワイルドキャット戦闘機]]6機、[[F2A (航空機)|F2Aバッファロー戦闘機]]19機の迎撃と対空砲火により、蒼龍攻撃隊は全機が被弾して艦攻3機を喪失(不時着2含む)<ref name="日誌詳報弐59">[[#MI海戦日誌(2)]]p.59</ref>、零戦搭乗員1名が重傷を負った。残る艦攻も1機が飛龍に着艦、即時使用可能艦攻は10機であった<ref name="日誌詳報弐59"/>。
 
ミッドウェー島攻撃隊からの「第二次攻撃の必要性あり」の連絡を受け、午前4時15分、南雲司令部はアメリカ軍機動部隊出現に備えて対艦攻撃用の装備で待機させていた攻撃隊に対し、陸上攻撃用爆弾への換装を命じた<ref>[[#澤地記録]]243頁、[[#1航艦戦闘詳報(1)]] p.33-p.33、[[#1航艦戦闘詳報(2)]] p.9</ref>。これを受けて、飛龍艦上で蒼龍、飛龍の二航戦を指揮していた山口少将は「本朝来種々の敵機来襲にかんがみ、敵機動部隊出撃の算あり。考慮せられたし」と進言し、アメリカ軍機動部隊の出現を予告した<ref>[[#提督山口]]190頁</ref>。
飛龍艦上で蒼龍、飛龍の二航戦を指揮していた山口少将は「本朝来種々の敵機来襲にかんがみ、敵機動部隊出撃の算あり。考慮せられたし」と進言し、アメリカ軍機動部隊の出現を予告したが、南雲司令部はこの進言を却下した<ref>[[#ミッドウェー森]]89-91頁</ref>。しかし午前5時20分、重巡利根から発進した[[零式水上偵察機]]がアメリカ軍機動部隊の発見を報告する<ref>[[#天空からの拳]]247頁、[[#1航艦戦闘詳報(2)]]p.14</ref>。この時、蒼龍は[[彗星 (航空機)|十三試艦上爆撃機]]の試作機を改造した[[彗星 (航空機)#試作機による審査と実戦投入|試作偵察機]]を搭載しており、[[南雲忠一]]中将はこの十三試艦爆の投入を命じた<ref>[[#橋本信号員]]131頁、[[#天空からの拳]]248頁</ref>。操縦は飯田正忠(飛曹)、偵察は近藤勇(飛曹長)であった<ref name="調書参54">[[#蒼龍飛行機隊調書(3)]]p.54</ref>。午前5時30分に発進した十三試艦爆は午前8時30分ごろアメリカ軍機動部隊を発見し、蒼龍の被弾後は午前10時30分に空母飛龍に着艦して貴重な情報をもたらしている<ref>[[#蒼龍飛行機隊調書(3)]]p.54、[[#MI海戦日誌(2)]]pp.66-67</ref>。なお十三試艦爆はアメリカ軍機動部隊発見を南雲機動部隊に向けて発信し、戦闘詳報にも記録が残っているが<ref name="日誌詳報弐66">[[#MI海戦日誌(2)]]pp.66-67</ref>、無線機故障により艦隊側では受信していないとされる<ref>[[#天空からの拳]]249頁</ref>。十三試艦爆の活躍に対し、戦闘詳報は『敵機動部隊情況不明なりし際、極めて適切に捜索触接に任じ、その後の攻撃(飛龍の反撃)を容易にならしめたり。功績抜群なり』と高く評価した<ref>[[#MI海戦日誌(2)]]p.69</ref>。一方で、艦爆や艦攻搭乗員達は「索敵で日が暮れる」と艦隊司令部への不満を抱いていたという<ref>[[#奇蹟の雷撃隊]]246頁</ref>。
 
その後、蒼龍はアメリカ軍ミッドウェー基地航空隊の波状攻撃を受け、回避行動と直衛戦闘機の発進に専念する<ref>[[#証言]]141-142頁、[[#天空からの拳]]250頁、[[#1航艦戦闘詳報(4)]]p.14</ref>。またミッドウェー基地攻撃に出撃した艦攻隊の収容も行ったため、アメリカ艦隊に向けた攻撃隊の発進準備は遅々として進まなかった<ref>[[#予科練一代]]217-218頁</ref>。艦攻の収容に至っては、午前6時50分までかかっている<ref>[[#MI海戦日誌(2)]]p.57</ref>。午前7時以降、南雲機動部隊は米空母ホーネットやヨークタウンから発進した[[TBD (航空機)|TBDデバステーター雷撃機]]の攻撃を受け、蒼龍も魚雷を回避する<ref name="艦隊詳報四14">[[#1航艦戦闘詳報(4)]]p.14</ref>。この状況下、零戦隊も各艦の注意も低空のアメリカ軍機に向けられた。蒼龍[[戦闘詳報]]では、直衛零戦の行動や連絡方法について『戦闘機使用電波を制空用・上空直衛用の2種類に分くるる不必要なるのみならず、今回の如き電波転換の暇なき場合、直衛指揮に支障をきたすことあり』『敵雷撃機に味方戦闘機集中の傾向大なり』と問題点を指摘している<ref>[[#MI海戦日誌(2)]]p.47</ref>。
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* {{Cite book|和書|author=井上理二|authorlink=井上理二|date=1999|title=駆逐艦磯風と三人の特年兵|publisher=光人社|isbn=4-7698-0935-2C0095|ref=井上 磯風}}
* {{Cite book|和書|author=生出寿|authorlink=|year=1989|month=8|title=烈将 山口多聞|publisher=徳間書店|isbn=4-19-598853-5|ref=烈将山口多聞}}
* {{Cite book|和書|ref=提督山口|author=生出寿|title=勇断提督・山口多聞|year=1985|month=7|publisher=徳間書店|isbn=4-19-223118-2}}
*{{Cite book|和書|author=[[大多和達也]]|coauthors=|date=1996|title=予科練一代 {{small|ある艦攻パイロットの悪戦苦闘記}}|publisher=光人社NF文庫|isbn=4-7698-2109-3|ref=予科練一代}} - 大多和は蒼龍の艦攻操縦員。真珠湾攻撃から沈没まで乗艦していた。ミッドウェー基地攻撃隊第2中隊第1小隊2番機。
* <!--カイ-->{{Cite book|和書|volume=明治百年史叢書 第180巻|title=海軍制度沿革 巻八|editor=海軍省/編|publisher=原書房|date=1971-10|origyear=1941|ref=海軍制度沿革巻八}}
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** {{small|当時赤城飛行長・元海軍大佐}}増田正吾、{{small|当時加賀飛行長・元海軍大佐}}天谷孝久、{{small|当時飛龍飛行長・元海軍大佐}}川口益、{{small|当時蒼龍雷撃隊・元海軍少尉}}森拾三『空母飛行長かく戦えり {{small|座談会/ミッドウェー大海戦の顛末}}』
* {{Cite book|和書|author=[[森拾三]]|coauthors=|date=2004|title=奇蹟の雷撃隊 {{small|ある雷撃機操縦員の生還}}|publisher=光人社NF文庫|isbn=4-7698-2064-x|ref=奇蹟の雷撃隊}} - 森は蒼龍の艦攻操縦員。真珠湾攻撃から沈没まで乗艦し、蒼龍沈没後は飛鷹に所属。
* {{Cite book|和書|ref=ミッドウェー森|author=森史朗|title=ミッドウェー海戦 第二部 運命の日|year=2012|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-603707-8|authorlink=森史朗}}
* {{Cite book|和書|author=ウォルター・ロード|coauthors=[[実松譲]]訳|year=1969|month=7|title=逆転 {{small|信じられぬ勝利}}|publisher=フジ出版社|isbn=|ref=ロード、逆転}}