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{{導入部が短い|date=2013年5月27日 (月) 11:46 (UTC)}}
『'''青春の門'''』(せいしゅんのもん)は、[[五木寛之]]が[[1969年6]]([[昭和]]44年)6月から『[[週刊現代]]』に断続的に[[連載]]している大河[[小説]]。[[1994年]]([[平成]]6年)4月の第8部(1994年4月)まで断続的に連載され、[[2017年]](平成29年)より23年ぶりに連載を再開した<ref name="mainichi-1">{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20161002/k00/00m/040/051000c|title=「青春の門」2323年ぶり再開へ 週刊現代に|publisher=毎日新聞|date=2016-10-02|accessdate=2021-08-19}}</ref>。
 
==概要 小説 ==
{{出典の明記|date=2019年3月|section=1}}
[[福岡県]][[筑豊]]に生まれた伊吹信介を主人公とする群像小説で、シリーズ累計で2200万部に迫る大ベストセラーとなり、1976年に[[吉川英治文学賞]]を受賞。[[テレビドラマ]]化や[[映画]]化、[[漫画]]化もされた<ref name="mainichi-1"/>。{{要出典範囲|[[早稲田大学]]の先輩である[[尾崎士郎]]の『[[人生劇場]]』に倣ったものである|date=2019年3月|}}。
{{Portal 文学}}
=== 概要 ===
[[福岡県]][[筑豊]]に生まれた伊吹信介を主人公とする群像小説で、シリーズ累計で2,200万部に迫る大[[ベストセラー]]となり、[[1976年]](昭和51年)に[[吉川英治文学賞]]を受賞。[[テレビドラマ]]化や[[映画]]化、[[漫画]]化もされた<ref name="mainichi-1"/>。
 
{{要出典範囲|[[早稲田大学]]の先輩である[[尾崎士郎]]の『[[人生劇場]]』に倣ったものである|date=2019年3月}}。
筑豊篇、自立篇、放浪篇、堕落篇、望郷篇、再起篇、挑戦篇、風雲篇(前半)と書き継がれ<ref name="sankei-1">{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20161024-KNCULT5WKVOWLPW4Z6GJBZTUA4/2/|title=五木寛之さん、遠望する「青春の門」 完結へ84歳の挑戦|publisher=産経新聞|date=2016-10-24|accessdate=2021-08-19}}</ref>、2017年より新章となる「新 青春の門」の連載を同誌でスタートした<ref name="nishinippon-1">{{Cite web|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/303727/|title=語る・新 青春の門 五木寛之さん<1>連載再開に当たり 読者、書き手、媒体が交錯|publisher=西日本新聞|date=2017-01-25|accessdate=202-08-19}}</ref>。
 
筑豊篇、自立篇、放浪篇、堕落篇、望郷篇、再起篇、挑戦篇、風雲篇(前半)と書き継がれ<ref name="sankei-1">{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20161024-KNCULT5WKVOWLPW4Z6GJBZTUA4/2/|title=五木寛之さん、遠望する「青春の門」 完結へ84歳の挑戦|publisher=産経新聞|date=2016-10-24|accessdate=2021-08-19}}</ref>、2017年より新章となる「新 青春の門」の連載を同誌でスタートした<ref name="nishinippon-1">{{Cite web|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/303727/|title=語る・新 青春の門 五木寛之さん<1>連載再開に当たり 読者、書き手、媒体が交錯|publisher=西日本新聞|date=2017-01-25|accessdate=202-08-19}}</ref>。
==登場人物==
 
=== あらすじ ===
{{不十分なあらすじ|date=2013年5月27日 (月) 11:46 (UTC)}}
[[太平洋戦争]]真っただ中の[[昭和]]時代。[[九州]]・[[筑豊]]に、一人の少年が生を受けた。彼の名は伊吹信介。父親はかつて働いていた[[筑豊炭田|炭鉱]]で「'''のぼり蜘蛛'''」と称されたが、炭鉱内の事故で早逝。義母・タエに育てられている。やがて終戦を迎え、タエは病で倒れた。彼らを取り巻く人々とのふれあいや様々な出来事を経て、信介は波乱に満ちた人生を歩み始める。
 
=== 作品の舞台 ===
*[[筑豊炭田]]
**[[福岡県]][[田川市]] - 伊吹信介の生まれ育った町
***[[香春岳]] - 田川市にある山
**福岡県[[飯塚市]] - 当時大都会だった[[筑豊]]最大の都市
*[[早稲田大学]] - 伊吹信介が[[上京]]し進学する大学
など
 
=== 登場人物 ===
* 伊吹 信介(いぶき しんすけ) - 主人公。
* 伊吹 タエ(いぶき たえ) - 信介の義理の母親。
* 伊吹 重蔵(いぶき じゅうぞう) - 信介の父親。炭鉱での事故により、他界逝去
* 牧 織江(まき おりえ) - 信介の幼馴染。
* 塙 竜五郎(はなわ りゅうごろう) - ヤクザ「塙組」の親分。
* 金 朱烈(きん しゅれつ) - 朝鮮人。信介から「兄ちゃん」と呼ばれている。
* 金 九南(きん きゅうなん) - 朱烈の弟。信介の友達。
* 留二(とめじ) - 信介の幼馴染。「でく」と呼ばれている。
* 早竹先生塙 竜五郎(はやたけせんせいなわ りゅうごろう) - 野球部[[ヤクザ]]「塙組」顧問親分
* 梓旗江先生(あずさはたえせんせい) - 音楽の教師。
* 長太(ちょうた) - 塙組の一人。竜五郎からの信頼が厚い。
* 矢部 虎次(やべ とらじ) - ケンカ師。筑後の虎として恐れられていた。
* エリカ - 長太が惚れている美しい女性。
* 金 朱烈(きん しゅれつ) - [[在日朝鮮人]]。信介から「兄ちゃん」と呼ばれている。
* 金 九南(きん きゅうなん) - 朱烈の弟。信介の友達。
* 矢部 虎次(やべ とらじ) - ケンカ師。「[[筑後地方|筑後]]の虎」として恐れられていた。
* 早竹 先生(はやたけ せんせい) - 野球部の顧問。
* 梓旗江 先生(あずさはたえ せんせい) - 音楽の教師。
 
==あらすじ= 構成 ===
#「第1部 筑豊篇」
[[第二次世界大戦|太平洋戦争]]真っ只中の昭和時代。[[九州]]・[[筑豊]]に、一人の少年が生を受けた。彼の名は、「伊吹信介」。父親はかつて働いていた[[炭鉱]]で、「'''のぼり蜘蛛'''」と称されたが炭鉱内の事故で早逝。義母・タエに育てられている。やがて終戦を迎え、タエは病で倒れた。自分達を取り巻く人々とのふれあいや様々な出来事を経て、信介は波乱に満ちた人生を歩み始める。
#「第2部 自立篇」
 
#:「第2部 自立篇」は雑誌掲載時には「立志編」とされていた。
==作品の舞台==
#「第3部 放浪篇」
*[[福岡県]][[田川市]](伊吹信介の生まれ育った町)
#「第4部 堕落篇」
*福岡県[[飯塚市]](当時、大都会だった[[筑豊]]最大の都市)
#「第5部 望郷篇」
*[[香春岳]]
#「第6部 再起篇」
*[[早稲田大学]]
#:「第6部 再起篇」までについては、1989年(平成元年)から1990年(平成2年)にかけて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」が出版され、それ以後は通常はこの「改訂新版」が流通している。
など
#「第7部 挑戦篇」
#「第8部 風雲篇」
#:「第8部 風雲篇」については、1993年(平成5年)7月から1994年(平成6年)4月にかけて雑誌『週刊現代』に掲載された。加筆修正の上、2016年(平成28年)12月に刊行された。
#: 2004年に講談社文庫から刊行された「新装決定版」は、文字を大きくし[[装丁]]を改めたもので、本文は「改訂新版」と同じである。
#「新・青春の門 第9部 漂流篇」
 
==小説= 年譜 ===
*1969年(昭和44年)- 雑誌『週刊現代』で掲載開始。
===構成===
*1970年(昭和45年)- 「第1部 筑豊篇」講談社から単行本で刊行開始。
*1971年(昭和46年)- 「第2部 自立篇単行本刊行。
*1972年(昭和47年)- 「第2部 自立篇 下」単行本刊行、講談社文庫から文庫版刊行開始。
*「第3部 放浪篇」
*1973年(昭和48年)- 「第43堕落放浪単行本刊行。
*1974年(昭和49年)- 「第53望郷放浪単行本刊行。
*1976年(昭和51年)- 「第64再起堕落単行本刊行。
*1977年(昭和52年)- 「第74挑戦堕落単行本刊行。
*1979年(昭和54年)- 「第85風雲望郷 上・下単行本刊行。
*1980年(昭和55年)- 「第6部 再起篇 上・下」単行本刊行。
*:「第2部 自立篇」は雑誌掲載時には「立志編」とされていた。
*1980年から1981年(昭和56年)- 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までを『五木寛之小説全集』第17巻から第22巻に収録。
*:「第6部 再起篇」までについては1989年(平成元年)から1990年(平成2年)にかけて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」が出版され、それ以後は通常はこの「改訂新版」が流通している。
*1989年(平成元年)から1990年(平成2年)- 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までについて、著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」を単行本及び[[講談社文庫]]で刊行。
*:「第8部 風雲篇」については1993年(平成5年)7月から1994年(平成6年)4月にかけて雑誌『週刊現代』に掲載された。加筆修正にて、2016年(平成28年)12月刊行された。
*1993年(平成5年)- 「第7部 挑戦篇 上・下」単行本刊行。
*:2004年に講談社文庫から刊行された「新装決定版」は文字を大きくし、装丁を改めたもので、本文は改訂新版と同じである。
*2004年(平成16年)- 講談社文庫から「新装決定版」刊行開始。
*「新・青春の門 第9部 漂流篇」
*2016年(平成28年)- 「第8部 風雲篇」単行本、講談社文庫と[[電子書籍]]を同時刊行。
*2017年(平成29年)2月 - 第9部に相当する「新・青春の門」を連載開始(2018年7月まで)。
*2019年(令和元年)- 講談社から「新青春の門 第9部 漂流篇」単行本刊行。
 
===年譜= 映画 ==
*1969年(昭和44年) 雑誌『週刊現代』で掲載開始
*1970年(昭和45年) 「第1部 筑豊篇」講談社から単行本で刊行開始
*1971年(昭和46年) 「第2部 自立篇 上」単行本刊行
*1972年(昭和47年) 「第2部 自立篇 下」単行本刊行、講談社文庫から文庫版刊行開始
*1973年(昭和48年) 「第3部 放浪篇 上」単行本刊行
*1974年(昭和49年) 「第3部 放浪篇 下」単行本刊行
*1976年(昭和51年) 「第4部 堕落篇 上」単行本刊行
*1977年(昭和52年) 「第4部 堕落篇 下」単行本刊行
*1979年(昭和54年) 「第5部 望郷篇 上・下」単行本刊行
*1980年(昭和55年) 「第6部 再起篇 上・下」単行本刊行
*1980年から1981年(昭和56年) 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までを『五木寛之小説全集』第17巻から第22巻に収録
*1989年(平成元年)から1990年(平成2年) 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までについて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」を単行本及び講談社文庫で刊行
*1993年(平成5年) 「第7部 挑戦篇 上・下」単行本刊行
*2004年(平成16年) 講談社文庫から「新装決定版」刊行開始
*2016年(平成28年) 「第8部 風雲篇」単行本、講談社文庫と電子書籍同時刊行
*2017年(平成29年)2月より第9部に相当する「新・青春の門」を連載開始 (~2018年7月)
*2019年 (令和元年) 「新青春の門 第9部 漂流篇」講談社から単行本刊行。
==映画==
{{Portal 映画}}
===1975年・1977年版===
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*産婦人科医 - [[小松方正]]
*照葉のママ - [[初井言榮]]
 
{{-}}
 
329 ⟶ 335行目:
監督には野上が『必殺シリーズ』でコンビを組んでいた[[蔵原惟繕]]を推薦し<ref name="あかんやつら" /><ref name="無頼派6">[[東京スポーツ]]連載「東映伝説のプロデューサー日下部五朗の『無頼派活動屋人生』」(6) 2010年4月14日</ref>、蔵原は脚本にも参加した<ref name="あかんやつら" />。蔵原は本作前の『[[象物語]]』製作中に東映=[[テレビ東京|東京12チャンネル]]合作による製作費10億円の[[パニック映画|パニック超大作]]『東京超大地震』<ref group="注">[[早坂暁]]のオリジナル脚本を予定していた。</ref>の監督オファーを受けていたが、同作は製作中止になっていた<ref>{{cite journal | 和書 |author = | journal = [[ロードショー (雑誌)|ロードショー]] | volume = 1979年10月号| title = 邦画マンスリー | publisher = [[集英社]] | page = 149 }}{{cite journal | 和書 |author = | journal = ロードショー | volume = 1979年11月号| title = 邦画マンスリー | publisher = 集英社 | page = 237 }}</ref>。[[ロケハン]]ではチーフ助監督の[[土橋亨]]が撮影に重要な[[ボタ山]]を北九州中探しまわった<ref name="あかんやつら" />。しかしふさわしい景色がなくボタ山無しでの撮影を考えたが、一般人から聞いた情報により、[[出光興産|出光石油]]の[[出光興産#製油所・工場|山口精製所]]に元[[大日本帝国海軍|海軍]]の炭鉱があると聞いた<ref name="あかんやつら" />。現地に訪れると最盛期の炭鉱そのままといえるような光景があったという。脚本その他も遅れ、撮影は1ヵ月という状況になったため<ref name="無頼派6" />、蔵原一人では間に合わない、二班体制で撮影した方がいいと蔵原が『海燕ジョーの奇跡』の分解で体が空いた[[深作欣二]]にやってもらえないかと提案し、日下部が深作に助っ人を頼んだ<ref name="深作" /><ref name="データ・バンク">{{Cite book | 和書 | title = データ・バンク にっぽん人 日下部五朗 | author = 佐藤正弥 | publisher = 現代書林 | year = 1982 | id = ISBN 978-4905924463 | page = 93 }}</ref>。深作は快く引き受け、蔵原とシーンの分担が行われ、深作はアクション主体の演出を担当した<ref name="深作" /><ref name="深作欣二の軌跡">{{Cite journal | 和書 | title = 深作欣二の軌跡 |journal = キネマ旬報臨時増刊2003年5月12日号 |volume = |issue = 1380 |pages = 181-182 |publisher = [[キネマ旬報社]] }}</ref>。深作は蔵原の[[日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科|日芸]]の二年後輩で親しく問題はなかった<ref name="深作" />。
 
映画化決定の話が伝わると織江役とタエ役を「やらせてしい」と多くの女優から売り込みが殺到したが<ref name="データ・バンク" />、タエ役には[[五木寛之]]が[[松坂慶子]]をリクエスト<ref name="日下部" /><ref name="映画情報8302">{{Cite journal|和書|author=[[加東康一]]|date=1983年2月号|title=加東康一のうわさの向こう側 神話崩壊で火山活動開始の松坂慶子|journal=映画情報|publisher=[[国際情報社]]|pages=75}}</ref>。しかし松坂は当時一番脂ののっている女優で<ref name="データ・バンク" />、[[倍賞千恵子]]と共に[[松竹]]と専属契約を結ぶ同社の至宝<ref name="データ・バンク" /><ref name="週刊映画19801122">{{Cite news |author= |title = 製作発表2 |date = 1980年11月22日 |newspaper = 週刊映画ニュース |publisher = 全国映画館新聞社 |page = 1 }}</ref>。日下部が三顧の礼を尽くして何度も松竹にお願いに上がり[[土下座]]までして<ref name="日下部" />、最終的に岡田東映社長が松竹に乗り込み<ref name="映画情報8302" /><ref name="週刊現代810115">{{Cite journal|和書|author=|date=1981年1月15日号|title=[[江國滋]]の『一芸』対談 ゲスト・松坂慶子 『浮気してみたい相手? でも、したら苦労しますよって答えてます』|journal=[[週刊現代]]|publisher=[[講談社]]|pages=60~64}}</ref>、[[大谷隆三]]松竹社長に啖呵を切り<ref name="映画情報8302" />、松坂の東映貸し出しが決まった<ref name="日下部" /><ref name="データ・バンク" /><ref name="週刊現代810115" />。当時松竹は『敵中横断三百里』という戦争映画を企画していて、この主演に東映専属の[[千葉真一]]を貸してくれと申し入れていて、貸す貸さないで揉めていた<ref>{{cite journal | 和書 |author = | journal = ロードショー | volume = 1981年2月号| title = 邦画マンスリー トピックス | publisher = 集英社 | page = 237 }}</ref>。松坂の本作出演は1980年11月17日、[[丸の内TOEI|東映本社]]で岡田社長から発表があった<ref name="週刊映画19801122"/>。岡田は1980年12月15日に銀座東友クラブであった業界記者団との懇談会で「いまや映画の[[価値観]]が変わった。映画が[[芸術]]とか[[娯楽]]とかというテーマは、ある一部の[[映画評論家|評論家]]に通用するだけで、一般大衆に映画が大ヒットするか否かは、作品がいいとかどうとかではなく、[[イベント]]になり得る要素があるかないかだ。最初から仕組んだもの、イベントにならないものは大ヒットしない。[[角川春樹]]氏は[[映画プロデューサー|プロデューサー]]でなく[[イベンター|イベント屋]]だ。[[橋本忍]]氏も[[西崎義展]]氏も[[山田洋次]]氏もイベント屋の才能を持っている。ウチが正月第一弾に『[[サイボーグ009 (アニメ)#劇場版(第3作)|サイボーグ009 超銀河伝説]]』を組んだのもイベント的発想によるものだ。第二弾『青春の門』で松坂慶子を松竹から借りたのは、それをイベントにするためだ。『青春の門』は[[講談社]]と提携して宣伝費2億円を投入する。81年の一年間のラインアップはもう大体固めた。春と夏は恒例の[[東映まんがまつり|まんがまつり]]、6月は角川の『[[魔界転生#映画|魔界転生]]』、お盆は秘中の秘([[松田聖子]]主演『[[野菊の墓 (映画)|野菊の墓]]』)、秋に『[[大日本帝国 (映画)|大日本帝国]]』を準備している(一(1年延ばし)。とにかく81年は私はプロデューサーではなく、イベント屋に徹するつもりだ。[[東映東京撮影所|東]][[東映京都撮影所|西]]両撮影所とも、イベントにならないものは一切やらないのが基本的な考え方だ。『[[二百三高地]]』はイベントに仕組んで成功したものだが、社内でもイケると理解した者と出来なかった者がいた。駄目だと思った者は価値観が変わっていることに気付かなくてはならない」などと述べた<ref>{{Cite journal|和書 |author = |title = イベントやに徹して難局に対処する岡田茂東映社長、81年の方針を語る|journal = 映画時報 |issue = 1981年1月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 19 }}</ref><ref name="映画時報198102">{{Cite journal|和書 |author = |title = 東映30周年記念特集 ―'81年に邁進する経営の全貌150億の悲願成るか |journal = 映画時報 |issue = 1981年2月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 8 }}</ref>。
 
映画の[[撮影#動画撮影について|クランクイン]]は1980年11月20日<ref name="週刊映画19801122"/>。松坂のクランクインは1980年11月25日で<ref name="活動屋人生148" />、深作のクランクインも同じ日だった<ref name="データ・バンク" />。日下部は松坂を口説くため2ヵ月以上通ったと話しているため<ref name="無頼派6" />、キャスティングは早めに進められていたのかも知れない。松坂慶子は「東映さんのほうからまずお話があって、松竹の本部長から『こういう話が来ている。撮影日数もきびしいし、大変だと思うけど、どうする』といわれたんです。東宝で[[吉永小百合]]さんがおやりになったのを拝見して、とてもすてきな役だと思ったし、それを私がやらせていただけるんならすごい光栄だし、女優であれば誰でもやりたいと考えてる役。映画化が実現するんなら、ぜひ出させてほしい。ほかの女優さんなんかがやったら、あたし、いやですッ」と強く訴えた<ref name="週刊現代810115" />。「決まるまでずいぶん時間がかかり、一月以上、ハラハラしながら、ただ、ひたすら待っていました。『[[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]]』([[TBS]]7時間ドラマ)の撮影で、[[本栖湖]]ロケに行ったんですけど、[[ラジオマイク|ワイヤレスのマイク]]つけたままお手洗いに入ってしまい、出たらみんな(音を)聞いていたってことがありまして、それもこれも『青春の門』が決まるかどうかで気がソワソワして、なんかうわの空で」などと話している<ref name="週刊現代810115" />。
337 ⟶ 343行目:
製作も短期決戦、宣伝も短期決戦で、[[クランクアップ]]は1980年の12月末<ref name="活動屋人生148" /><ref name="sankei160810">{{Cite news|url= https://www.sankei.com/article/20160810-DYCR4CWIIRM2NPKSNKBRILM3BU/5/ |title= 【話の肖像画プレミアム】俳優・佐藤浩市(55) 父・三国連太郎と「確執があった」と世間は言うけど… |newspaper= 産経ニュース |publisher= 産経デジタル |date= 2016-08-10 |accessdate= 2021-08-19 }}</ref>。撮影期間は1ヶ月と大作にしては異例のスピードであった<ref name="活動屋人生148" />。[[東映京都撮影所|京都撮影所]]は持てる力を出し切った。岡田は「[[高岩淡]]所長が体を本当に張ったのは『青春の門』が初めてじゃないかな」と評した<ref name="活動屋人生148" />。
 
映画の完成も封切1週間前の1981年1月6日<ref name="映画時報198102"/>。地方キャンペーンに駆け回ったのは映画の封切り後で<ref name="活動屋人生148" />、原作の知名度は高いものの、文芸大作はじっくり売り込む姿勢が勝ちのパターンというのが過去の例でもあり、本作は宣伝期間も少なく興行は不安視された<ref name="キネ旬811_2" /><ref name="映画時報198102"/>。しかし原作出版の[[講談社]]も映画を盛んに[[PR]]し<ref name="活動屋人生148" /><ref name="映画時報198102"/>、高額とされる[[朝日新聞]]に一面広告を打った他<ref name="映画時報198102"/>、多くの[[地方紙]]にも広告を打った<ref name="映画時報198102"/>。また五木寛之も「こんなに目茶苦茶に振り回されたのは初めて」と話すほど、精力的に雑誌インタビューやラジオの取材に応じた<ref name="映画時報198102"/>。主演の松坂も松竹の専属女優ながら協力的で、3週間の全国キャンペーンにほぼ帯同し東映を喜ばせた<ref name="映画時報198102"/>。1980年の年内は松坂のヌード写真はマスコミに絶対に出さないでくれと押さえて、年明けから松坂のショッキングな写真を一斉に大公開し、テレビの[[スポットCM|スポット広告]]や新聞広告との硬軟組み合わせで一気に話題作りを持って行った<ref name="映画時報198102"/>。
 
==== 作品の評価 ====
; 興行成績
: 松坂が初めて本格的なラブシーンを演じたこともあって大きな話題になり<ref name="日下部" /><ref name="高岩">{{Cite book | 和書 | title = 銀幕おもいで話 | author = [[高岩淡]] | publisher = [[双葉社]] | year = 2013 |id = ISBN 4-5757-14-01-1 | pages = 138 -143 }}</ref><ref>{{Cite news|url= https://www.asagei.com/excerpt/56382 |title= 名作妖艶シネマ「このセリフが悩ましかった!」(4)「女優を知り尽くした三者」座談会-その1- |newspaper= アサ芸プラス |publisher= 徳間書店 |date= 2016-04-19 |accessdate= 2021-08-19 }}</ref>、公開173館、36日間で<ref name="年鑑1982">{{cite journal | 和書 |author = | title = 製作配給界(邦画) 記録編 | journal = 映画年鑑 1982年版([[映画産業団体連合会]]協賛) | issue = 1981年12月1日発行 | publisher = 時事映画通信社 | pages = 106 }}</ref>、[[興行収入#配給収入|配収]]8億2千万円<ref>{{Cite book | 和書 | title = 映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 | author = | publisher = [[新文化通信社|文化通信社]] | year = 2012 | id = ISBN 978-4-636-88519-4 | page = 172 }}</ref><ref name="キネ旬812_1">{{Cite journal|和書 |author=|year=1981|title=興行価値 日本映画 8ガケ守れるか『自立編』|journal=[[キネマ旬報]]|issue=[[1982年]]([[昭和]]57年)[[2月]]上旬号|pages=178–179|publisher=[[キネマ旬報社]]}}</ref>、7億4603万7千円の大ヒット<ref name="年鑑1982"/>。製作原価7億5000万円<ref name="映画時報198102"/>。当初は東映が撮ると[[ヤクザ映画]]調になるのではという声もあったが、感動的な青春ドラマに仕上げ、岡田社長は「文芸大作の風格はカッチリ出たのではないか。今後東映カラーといっても原作ものを手がけることで、東映はヤクザ映画というイメージを克服、脱皮してゆくことになる。文芸大作も出来るという目安だけはこの『青春の門』の成功でついたと思う」などと話した<ref name="活動屋人生148" />。映画デビュー作だった[[佐藤浩市]]は、[[丸の内TOEI|丸の内東映]]でスクリーンに映った自分の姿を観て感激し「俳優として生きていこうと決意した」という<ref name="sankei160810" />。
 
; 受賞歴
* [[ブルーリボン賞 (映画) #第21回(1978年度) - 第30回(1987年度)|第24回ブルーリボン賞]]主演女優賞([[松坂慶子]]、『[[男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎]]』とともに)
 
==== エピソード ====
スケジュールは過密で、福岡のロケ先ではメイン監督の蔵原は寝る間もないほどだったが、助っ人の深作はパートが少なく早めに宿に帰って麻雀をうったりしていた<ref name="日下部" /><ref name="無頼派7" />。そこで伊吹タエという母であり、女でありという役どころに悩んでいた松坂慶子は、最初に蔵原監督に相談をしたが<ref name="高岩" />、蔵原から「お前の好きにしたらいい」と一言われた<ref name="高岩" />。松坂は「どうしても納得できない」と高岩に「深作のいる旅館に連れて行ってくれ」と頼んだ<ref name="高岩" />。初対面の松坂に深作は「タエは肉体で哲学を語る女なんだ」などと3~4時間力説<ref name="高岩" />、高岩はその間、車で松坂を待っていたという<ref name="高岩" />。こうした事情で深作と松坂が親しくなった<ref name="あかんやつら" /><ref name="日下部" />。本作の地方キャンペーンで札幌へ行ったときに、夜飲みに出て最後にみんなでラーメンを食べたら、深作の残したラーメンを松坂が啜った<ref name="日下部" />。これを見た日下部が二人の仲に気づき、それを周囲に自慢したら、みんなに「何を今さら言っているんですか」と言われた<ref name="日下部" />。本作を機に松坂は深作の撮る東映作品によく出るようになった<ref name="日下部" /><ref>{{Cite web|url= https://cinema.ne.jp/article/detail/37867 |title= ヒロインから悪女、特撮ものまで演じきる美しき大スター松坂慶子 |website= cinemas PLUS |date= 2016-10-09 |accessdate= 2021-08-19 }}</ref>。
 
音楽監督の[[山崎ハコ]]は、同じ東映の[[1979年]]『[[地獄 (1979年の映画)|地獄]]』の主題歌を担当したことから、スタッフから「ハコさんで」と再び抜擢された<ref name="映画秘宝201011">{{Cite journal|和書|author=|date=2010年11月号|title=孤高のシンガー・ソングライター、登場 山崎ハコの世界|journal=[[映画秘宝]]|publisher=[[洋泉社]]|pages=76–77}}</ref>。『織江の唄』<ref name="sponichi20160724" />はイメージソングで劇中では使われない<ref name="映画秘宝201011" />。映画館でさんの入れ替え時に流したのと、テレビスポットで盛んに使われ、山崎ハコのキャリアで一番のヒット曲になった<ref name="映画秘宝201011" />。この曲の影響で山崎に「暗い」イメージが定着した<ref name="映画秘宝201011" />。
 
第一作のヒットを受け、五木も積極的に年1回のシリーズにしてほしいと要望<ref name="映画情報8202">{{Cite journal|和書|author=|date=1982年2月号|title=雑談えいが情報 あなたならどれを見ますか? 出そろった'82年正月作品|journal=映画情報|publisher=国際情報社|pages=37}}</ref>。しかし第一作公開後、週刊誌のインタビューで伊吹信介役の[[佐藤浩市]]が「五木小説はアマい」などと発言し五木を激怒させたが<ref name="映画情報8202" />、東映は一年に一本のペースでシリーズ化を発表し<ref name="映画情報8202" />、蔵原の単独監督で第二作『自立篇』を製作した。
{{深作欣二}}
 
第一作のヒットを受け、五木も積極的に年一回のシリーズにして欲しいと要望<ref name="映画情報8202">{{Cite journal|和書|author=|date=1982年2月号|title=雑談えいが情報 あなたならどれを見ますか? 出そろった'82年正月作品|journal=映画情報|publisher=国際情報社|pages=37}}</ref>。しかし第一作公開後、週刊誌のインタビューで伊吹信介役の[[佐藤浩市]]が「五木小説はアマい」などと発言し五木を激怒させたが<ref name="映画情報8202" />、東映は一年に一本のペースでシリーズ化を発表し<ref name="映画情報8202" />、蔵原の単独監督で第二作『自立篇』を製作した。
 
第二作『自立篇』は主人公・伊吹信介が筑豊をあとにして上京、早稲田大学に入学してからの物語で舞台は東京。信介役の[[佐藤浩市]]と信介を慕って上京する幼なじみの織江役の[[杉田かおる]]以外はキャストが一新されたが、第一作で朝鮮人炭鉱労働者のボス役だった[[渡瀬恒彦]]が今度は早大教授として出演。この教授のモデルは[[早稲田大学商学部入試問題漏洩事件|早稲田大学商学部不正入試問題]]でやり玉に挙がった人物だった<ref name="映画情報8201">{{Cite journal|和書|author=|date=1982年1月号|title=雑談えいが情報 桃井かおりや話題のカップルが出演する『青春の門・自立篇』|journal=映画情報|publisher=国際情報社|pages=36}}</ref>。東宝版で[[いしだあゆみ]]が好演した"二丁目のローズ"カオル役には<ref name="roadshow8111" /><ref name="roadshow8201">{{cite journal | 和書 |author = | journal =[[ロードショー (雑誌)|ロードショー]]| volume = 1982年1月号| title = 邦画マンスリー 邦画界トピックス | publisher =[[集英社]]| page = 253 }}</ref>、五木の「彼女でなければピッタリこない」という推薦により[[桃井かおり]]が抜擢された<ref name="映画情報8201" /><ref name="roadshow8201" />。前作で死んだ松坂慶子が、親に似てるという設定にするとか、また出させてほしいと頼んだがダメだった<ref name="週刊現代810115" />。監督の[[蔵原惟繕]]は本作撮影後に4年越しの企画『[[南極物語]]』の[[クランクイン]]が正式に決まり、撮影中も『南極物語』の話ばかりしていたといわれる<ref name="映画情報8201" />。
 
当初は『自立篇』を1982年正月映画第一弾として予定していたが<ref name="映画情報8202" />、『[[セーラー服と機関銃 (映画)|セーラー服と機関銃]]』『[[燃える勇者]]』が正月映画第一弾に変更になり、公開時期が検討された<ref name="roadshow8111">{{cite journal | 和書 |author = | journal = ロードショー | volume = 1981年11月号| title = 邦画マンスリー 邦画界トピックス | publisher = 集英社 | pages = 244245 }}</ref>。前記映画に続いて正月映画第二弾の候補だったのは、[[沖田浩之]]主演、[[阿久悠]]原作による『家族の神話』で<ref name="roadshow8201" />、"東映ニューアイドル路線"を敷くという構想もあったが<ref>{{cite journal | 和書 |author = | journal = ロードショー | volume = 1981年9月号| title = 邦画マンスリー トピックス | publisher = 集英社 | pages = 243 }}</ref>、1981年のお盆映画『[[野菊の墓 (映画)|野菊の墓]]』『[[吼えろ鉄拳]]』が、東映が期待したほどのヒットでなかったことから<ref name="roadshow8111" />、アイドルでは客が呼べないと判断され<ref name="roadshow8111" />、『家族の神話』は製作中止となり<ref name="roadshow8111" /><ref name="roadshow8201" />、本作『自立篇』が正月映画第二弾として公開された<ref name="roadshow8111" />。『セーラー服と機関銃』『燃える勇者』の二本立てが東映歴代一位を記録するヒットになるとは誰も予想していなかった<ref>{{cite journal | 和書 |author = 河原一邦| journal = ロードショー | volume = 1982年4月号| title = 日本映画シアター 薬師丸ひろ子に続け! | publisher = 集英社 | pages = 244 }}</ref>。しかし『青春の門・自立篇』は[[興行収入|興行成績]]が振るわず、さらなる続編は作られなかった<ref name="深作" />。シリーズものは内容はともかく観客に与える新鮮味が第一弾と第二弾ではかなり違い<ref name="キネ旬812_1" />、東宝版も第二弾は第一弾の6ガケに留まっていた<ref name="キネ旬812_1" />。当時、噂のカップルだった[[火野正平]]と[[西川峰子]]の濡れ場などもあったが<ref name="roadshow8201" />、第一弾で大きな反響を呼んだ[[松坂慶子]]の濡れ場のようなインパクトはなく、興行は不安視されていた<ref name="キネ旬812_1" />。興行は前作を大きく下回り、第三部『放浪篇』は製作中止になった<ref name="年鑑1983">{{cite journal | 和書 |author = | title = 製作・配給界 邦画製作界 展望 | journal = 映画年鑑 1983年版([[映画産業団体連合会]]協賛) | issue = 1982年12月1日発行 | publisher = 時事映画通信社 | pages = 98-99 }}</ref>。
 
== テレビドラマ ==
===1976年・1977年版===
[[1976年]][[4月7日]]から[[9月29日]]に第一部「筑豊編」が、[[1977年]][[12月7日]]から[[1978年]][[5月31日]]に第二部「自立編」が[[毎日放送]]制作([[TBSテレビ|TBS]]系列)で放映された。
406 ⟶ 410行目:
|2次番組=[[幸福の断章]]
}}
{{TBS水曜10時枠の連続ドラマ}}
 
===1991年版===
425 ⟶ 428行目:
*音楽 - [[菊池俊輔]]
 
=== 2005年版 ===
『青春の門-筑豊篇-』のタイトルで、『TBSテレビ放送50周年スペシャルドラマ』として[[2005年]][[3月21日]]・[[3月22日]]の二夜連続で放映された。視聴率は1日目が16.8%、2日目が13.5%。
 
462 ⟶ 465行目:
}}
 
== 漫画 ==
[[いわしげ孝]]の作画で「筑豊篇」が漫画化され、[[講談社]]『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』に連載された。講談社[[モーニングKC]]より単行本が刊行されている。全7巻。
#1巻 [[2005年]][[3月17日]]発行 ISBN 4063724204
#2巻 2005年3月17日発行 ISBN 4063724212
#3巻 2005年[[6月23日]]発行 ISBN 4063724484
#4巻 2005年[[9月21日]]発行 ISBN 4063724670
#5巻 2005年[[12月22日]]発行 ISBN 4063724840
#6巻 [[2006年]][[3月23日]]発行 ISBN 4063725057
#7巻 2006年[[7月21日]]発行 ISBN 4063725367
 
==舞台 演劇 ==
* [[2008年]]3月、[[東京]][[池袋]]の[[豊島区立舞台芸術交流センター]](あうるすぽっとおいて、『青春の門』の初舞台化として「放浪篇」が舞台化上演された<ref>{{Cite news|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20080129-313671.html |title= 五木寛之氏原作「青春の門」初舞台化 |newspaper= nikkansports.com |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2008-01-29 |accessdate= 2021-08-19 }}</ref>。演出は[[鐘下辰男]]
* [[2013年]]11月、[[桜美林大学]]プルヌスホールにて、[[鐘下辰男]]の演出家と桜美林大学の学生によ「放浪篇」が再演された<ref>[http://www8.obirin.ac.jp/opai/opap_item.php?no=92 【OPAP】桜美林大学パフォーミングアーツプログラム<OPAP>vol.56 『青春の門-放浪篇-』 - Performing Arts Institute]</ref>。
* [[2016年]]には、演出東京・[[新宿]]の[[SPACE 雑遊]]にて、[[千葉哲也]]の演出により[[虚構の劇団]]が[[SPACE 雑遊]]で「放浪編」を再演した<ref>[http://kyokou.thirdstage.com/info/next/2015/11/30-seisyunnomon 虚構の旅団vol.3「青春の門〜放浪篇〜」] - 虚構の劇団</ref><ref>{{cite web|url=http://natalie.mu/stage/news/173762|title=虚構の劇団、五木寛之の小説「青春の門」を舞台化|publisher=ステージナタリー|date=2016-02-02|accessdate=2016-02-02}}</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[五木寛之]]
* [[筑豊]] / [[筑豊炭田]]
* [[週刊現代]]
* [[1975年の映画]]
* [[1977年の映画]]
502 ⟶ 508行目:
* {{Allcinema title|147966|青春の門 自立篇 (1982年)}}
* {{Kinejun title|17145|青春の門 自立篇 (1982年)}}
 
{{Lit-stub}}
{{深作欣二}}
{{TBS水曜10時枠の連続ドラマ}}
 
{{DEFAULTSORT:せいしゆんのもん}}
509 ⟶ 519行目:
[[Category:福岡県を舞台とした小説]]
[[Category:飯塚市]]
[[Category:1975年五木寛之原作の映画作品]]
[[Category:日本の青春映画]]
[[Category:1975年の映画]]
[[Category:1977年の映画]]
[[Category:浦山桐郎の監督映画]]
[[Category:五木寛之原作の映画作品]]
[[Category:1981年の映画]]
[[Category:1982年の映画]]
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[[Category:深作欣二の監督映画]]
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[[Category:日本の小説を原作とするテレビドラマ]]
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[[Category:テレビ東京のテレビドラマ]]
[[Category:漫画作品 せ|いしゆんのもん]]
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[[Category:小説を原作とする漫画作品]]
[[Category:モーニングの漫画作品]]
[[Category:漫画作品 せ|いしゆんのもん]]