「河合優子 (ピアニスト)」の版間の差分

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何が楽しくて過去の公演データを書くんだろう。
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[[愛知県]][[名古屋市]]に生まれ、岡崎市で育つ。[[岡崎市立三島小学校]]、[[岡崎市立竜海中学校]]、[[名古屋市立菊里高等学校]]音楽科を経て[[愛知県立芸術大学]]音楽学部卒業<ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/gs6XG|title = C.BECHSTEINピアノコンサ-トシリ-ズ|website = www.artspace-horie.com|publisher = www.artspace-horie.com|date = |accessdate = 2022-05-03}}</ref>、同大大学院音楽研究科修了。大学院在学中の[[1990年]]に来日したポーランドのピアニスト、[[ヤン・エキエル]]に演奏を認められ、翌1991年春に[[ショパン音楽アカデミー|ポーランド国立ワルシャワ・ショパンアカデミー]]に留学、1994年研究科修了。
 
[[ヤン・エキエル]]は1990年に5度目で最後の来日。全国各地で公開講座とレッスンをおこない、60人以上の若い優れた[[日本]][[ピアニスト]]を聴いた<ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/RBtXL|title = 「月刊ショパン」オフィシャルブログ|website = molested19.rssing.com|publisher = molested19.rssing.com|date = |accessdate = 2022-05-03}}</ref>。この時[[名古屋]]で出会ったのが河合で、彼女の弾くショパンのソナタ ロ短調 作品58を聴き、エキエルはレッスン後ただちにワルシャワ留学を勧め、推薦状を書くことを約束した。「大きな可能性があると思う」「彼女はとてもいい手をしている」とこの時通訳に伝えている<ref>Klaviatur</ref><ref>NHKテレビ テキスト</ref><ref>月刊ショパン</ref>。河合は[[ヤン・エキエル]]の最晩年の弟子<ref>{{Cite web |url = https://togetter.com/li/1906137|title = エキエル先生と蜂蜜|website = togetter.com|publisher = togetter.com|date = |accessdate = 2022-06-28}}</ref>として薫陶を受けた。
 
[[1995年]][[7月]]第1回[[マリアーンスケー・ラーズニェ]]・フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール<ref>{{Cite web |url = https://chopin.nifc.pl/pl/chopin/osoba/7653_kawai_yuko|title = Yuko Kawai|website = chopin.nifc.pl|publisher = chopin.nifc.pl|date = |accessdate = 2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/CSP7D|title = 13TH INTERNATIONAL FRYDERYK CHOPIN PIANO COMPETITION IN MARIÁNSKÉ LÁZNĚ|website = am.katowice.pl|publisher = am.katowice.pl|date = |accessdate = 2022-05-03}}</ref>第3位入賞。同1995年10月、第13回[[ショパン国際ピアノコンクール]]では入賞を逃したにもかかわらず、聴衆やメディアの反応は大きく、著名な批評家ヤヌシュ・エキエルト<ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/2hicR|title = Yuko Kawai|website = www.bearton.pl|publisher = www.bearton.pl|date = |accessdate = 2022-05-03}}</ref>の発表した評論「スターは消えてゆく」「戦闘後の風景」、およびポーランド国営ラジオ第一放送がコンクール直後に放送した彼女に関する特別ルポルタージュ番組が大きな反響を呼び、翌1996年2月、3月の14回にわたるポーランド全国リサイタルツアーをきっかけに演奏活動に入る<ref>「ショパン」2005年9月号(No.260) p.106-p.107 「ショパンコンクールをめぐる人たち⑨」</ref>。
 
1999年ポーランド永住権取得。2001年からは世界で初めて、ナショナル・エディション<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20210415093803/https://www.japantimes.co.jp/culture/2009/01/09/music/pianist-kawai-seeks-out-the-real-chopin/|title = Pianist Kawai seeks out the real Chopin|website = www.japantimes.co.jp|publisher = www.japantimes.co.jp|date = |accessdate = 2022-05-03}}</ref>に基づく世界初のショパン全曲演奏会・全曲録音・国内マスタークラスの大プロジェクト「'''河合優子Chopinissimoシリーズ'''」を愛知県で開始<ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/9cbSh|title = コンサートスクウェア(クラシック音楽情報)|website = www.concertsquare.jp|publisher = www.concertsquare.jp|date = |accessdate = 2022-05-03}}</ref>。[[浜離宮朝日ホール]]での第一回リサイタル<ref>{{Cite web |url = https://tower.jp/item/2126285/Chopinissimo-I|title = 2005年7月22日浜離宮朝日ホール,東京 (ライヴ)|website = tower.jp|publisher = tower.jp|date = |accessdate = 2022-06-28}}</ref>は「音楽の友」誌で評論家岡本稔氏後により「コンサートベストテン2005Chopinissimo I」のひとつに選ばれ、後に「Chopinissimo I」としてCD化された。
 
「[[レコード芸術]]」では「[[能]]に通じる品格のある静けさや簡素な美しさと、スラヴ的なダイナミズムとリリシズムの融合」「透徹したリリシズムは[[ディヌ・リパッティ|リパッティ]]に匹敵<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20210607075121/https://www.ojihall.jp/concert/lineup/2010/20100707.html|title = 銀座ぶらっとコンサート #42|website = www.ojihall.jp|publisher = www.ojihall.jp|date = |accessdate = 2021-04-25}}</ref>」などの評を得る。ナショナル・エディションによるショパンの2曲のピアノ協奏曲・(ショパン自身による)1台ピアノヴァージョン<ref group="注釈">ただし、この1台版はあくまで作品の普及のためにオーギュスト・フランショームによって作られたものであり、公開演奏を前提としたものではないことに注意するべきである。</ref>世界初演者であり、公式録音も残された<ref>{{Cite web |url = https://www.bearton.pl/en/chopin-piano-concertos-single-piano-version/|title = ショパン ピアノ協奏曲集 1台ピアノヴァージョン|website = www.bearton.pl|publisher = www.bearton.pl|date = |accessdate = 2021-12-04}}</ref>。
 
== ポーランド留学 ==
河合は[[ヤン・エキエル]] (1913-2014) の最晩年の弟子として薫陶を受けた。エキエルの推薦・招待により河合がワルシャワ・ショパンアカデミー(現ショパン音楽大学)に留学した時、エキエルは77歳で現役のプロフェッサー。弟子は常に1人か2人で、高齢とは思えない情熱とエネルギーで徹底して生徒のレッスンにすべてを注いでいた。河合は留学中、月曜日の15時から2時間のレッスンであったが、レッスン時間はしばしば延長され、レッスン後はエキエル教授とともにアカデミーから新世界通りのバス停まで歩き、バスに乗り込む教授を見送るのが常であった。レッスンの緊張から開放され、音楽院からバス停まで毎週の「散歩」でショパンや音楽について忌憚なく話すことのできた経験は、レッスンとは別に途方もなく貴重であったと河合は述べている<ref>Klaviatur</ref><ref>NHKテレビ テキスト</ref><ref>月刊ショパン</ref>。
== 初演データ他 ==
*2002年6月17日、ナショナル・エディションによるショパン:ピアノ協奏曲 ホ短調 作品11・ショパン自身による1台ピアノヴァージョンを世界初演(知立リリオ・コンサートホール)
*2004年5月30日、ナショナル・エディションによるショパン:コントルダンス 変ト長調 WN29Bを世界初演(岡崎市シビックセンター コンサートホール コロネット)
*2004年8月11日、ナショナル・エディションによるショパン:ピアノ協奏曲 へ短調 作品21・ショパン自身による1台ピアノヴァージョンを世界初演(知立リリオ・コンサートホール)
*[[2005年]]3月、ワルシャワ国立フィルハーモニーホールでおこなわれたナショナル・エディション特別記念コンサートに出演(名誉後援:[[レフ・カチンスキ]])
*[[2008年]]1月、名古屋と[[安城市|安城]]で[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]のピアノソナタ全曲演奏会を完結させる。
*[[2009年]]2月、[[フリードリヒ・カルクブレンナー|カルクブレンナー]]のピアノ協奏曲第4番を日本初演(齊藤一郎指揮 セントラル愛知交響楽団。於:しらかわホール)。
*[[2010年]]6月、ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団と日本ツアー(大阪、岡崎、名古屋、浜松、東京)。ショパンの[[ピアノ協奏曲第1番 (ショパン)|ピアノ協奏曲第1番]]および[[ピアノ協奏曲第2番 (ショパン)|第2番]]を室内楽版で協演。
*2010年9月、ローマでナショナル・エディションによるショパン:ピアノ協奏曲第1番・1台ピアノヴァージョンをイタリア初演。
*2010年7月-10月、[[クラシカ・ジャパン]]のテレビ番組『河合優子が語るショパン・ナショナル・エディション』(全13回)に出演。この一連の番組は翌2011年の第1回[[衛星放送協会オリジナル番組アワード]]「オリジナル編成企画部門」最優秀賞 を受賞した。
*[[2011年]]4月、ワルシャワ国立フィルハーモニーホールでリサイタル(協演:ワルシャワ・フィルハーモニー弦楽四重奏団)。
*2011年5月、ウィーンでナショナル・エディションによるショパン:ピアノ協奏曲第1番・1台ピアノヴァージョンをオーストリア初演。
*[[2012年]]3月、ワルシャワで東日本大震災一周年追悼チャリティー・リサイタル(名誉後援:[[アンジェイ・ワイダ]]、クリスティーナ・ワイダ、在ポーランド日本大使館) <ref>{{Cite web |url = https://www.youtube.com/watch?v=00yDD4VqwiE&t=12s|title = TVP2 ‘Panorama’News - 11.03.2012|website = www.youtube.com|publisher = www.youtube.com|date = |accessdate = 2022-06-18}}</ref>。
*[[2013年]]3月、ワルシャワ、ショパン博物館コンサートホールで東日本大震災二周年追悼チャリティー・リサイタル(NIFC所蔵 1855年製[[エラール]]使用)。
*2013年8月、恩師ヤン・エキエル教授の100歳記念バースデー・コンサート(第9回ショパンと彼のヨーロッパ国際音楽祭。ワルシャワ)で、ショパンのピアノ協奏曲第1番および第2番を 1台ピアノヴァージョン で演奏。その日の [[ポーランド・テレビ|TVP1]]のニュースで放映された<ref>{{Cite web |url = https://www.youtube.com/watch?v=XsbuqC-pi3g|title = TVP1 ‘Teleexpress’ - prof.Jan Ekier 100th Birthday Concert|website = www.youtube.com|publisher = www.youtube.com|date = |accessdate = 2022-06-18}}</ref>。
*事故後、2014-2015の約2年間まったく歩行困難となり、ワルシャワ・フィルとの協演をはじめすべての演奏会をキャンセル。リハビリを続け、2016年に再び歩行を始める。2016年10月17日、在ポーランド日本大使館でのショパンの命日記念コンサートで3年ぶりに演奏会に復帰。
*2016年11月、ポーランドラジオ第一放送から招かれ、急遽シュピルマン・ホールでの"Chopin na żywo" に出演。夜23時からショパンのピアノ協奏曲 ホ短調 作品11・1台ピアノヴァージョンを演奏し、生中継。大きな話題となる<ref>{{Cite web |url = https://jedynka.polskieradio.pl/artykul/1697553|title = Koncert Yuko Kawai z cyklu "Chopin na żywo" (Koncert chopinowski/Jedynka) |website = jedynka.polskieradio.pl|publisher = jedynka.polskieradio.pl|date = |accessdate = 2022-06-18}}</ref>。
*2017年2月ピアセチュノ文化センター、4月ピオトロヴィツェ・ニスキエ宮殿、5月ピアセチュノ聖アンナ教会、6月ルブリン城と、演奏会はことごとく各地でスタンディングオベイションを巻き起こす。
*2017年4月、ポーランド国立ニサ音楽学校から招かれ、集中マスタークラスをおこなう。
*2017年8月、ピアニストのための夏季国際マスタークラスをおこなう(ピアセチュノ文化センター主催)。
*2017年9月、ポーランド、[[ブィドゴシュチュ|ビドゴシチ]]近郊にあるオストロメツコでおこなわれた第1回全ポーランド楽器カンファレンスに招かれ、1842年[[プレイエル]]でショパンのピアノ協奏曲 へ短調 作品21 を演奏。
*2017年10月、元厚相ヴォイチェフ・マクシモヴィチ教授の招きにより、オルシティン・フィルハーモニーホールでピオトル・スウコフスキ指揮、オルシティン・フィルとショパンのピアノ協奏曲 へ短調 作品21および[[アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ|アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22]]を演奏。会場総立ちとなる。
*2017年10月より、ポーランド国立ショパン音楽大学(ワルシャワ音楽院/[[ショパン音楽アカデミー]])第V課で教鞭を執る。
*2017年11月、ムルテンでナショナル・エディションによるショパン:ピアノ協奏曲 へ短調 作品21、1台ピアノヴァージョンをスイス初演。
*2017年12月、ポーランド国立グダンスク音楽院から招かれ、マスタークラス及びリサイタルをおこなう。
*2018年2月、ポーランド、ピアセチュノ文化センターの主催により、ナショナル・エディションに基づくショパン全曲演奏会シリーズをピアセチュノでスタート。
*2018年4月、シュターツカペレ・ドレスデンのアシスタント第1コンサートマスター、ティボー・ギエンゲとのデュオでポーランド南部ツアー。
 
[[2017年]][[9月]]以降、[[ポーランド]]のショパン音楽大学/ワルシャワ音楽院で教鞭をとっていたが<ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/jNdtw|title = Yuko Kawai|website = filifionka.chopin.edu.pl|publisher = filifionka.chopin.edu.pl|date = |accessdate = 2022-06-28}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://archive.ph/jNdtw|title = Yuko Kawai|website = mobile.twitter.com|publisher = mobile.twitter.com|date = |accessdate = 2022-06-28}}</ref>、リハビリのために休職している。