登久姫
松平信康の長女。小笠原秀政の正室。
登久姫(とくひめ、天正4年(1576年) - 慶長12年10月18日(1607年12月7日))は、松平信康(徳川家康長男)の長女。母は徳姫(織田信長の娘)。信濃松本藩初代藩主・小笠原秀政の正室。名は福姫(ふくひめ)ともいう。法名は峯高院。
とくひめ 登久姫 (福姫) | |
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生誕 |
1576年 岡崎城 |
死没 |
1607年12月7日(31歳) 信濃飯田城 |
生涯
編集天正4年(1576年)3月、岡崎城で生まれた。登久姫が4歳の時に父が切腹し、翌年に母が美濃に帰ったため、登久姫と妹・熊姫は祖父・家康と側室の西郡局に養育された。天正17年(1589年)8月、豊臣秀吉の仲介で小笠原氏当主・小笠原秀政と結婚し、秀政との間に六男二女をもうけた。慶長12年(1607年)10月、 信濃飯田城にて32歳で疱瘡(天然痘)により死去した[1]。
子女
編集墓所
編集登久姫(福姫)の位牌は福岡県京都郡みやこ町の平照山峯高寺にあるが、墓(宝篋印塔)は、長野県飯田市松尾町の峯高寺にある[1]。墓石には徳川家の家紋である三つ葉葵の紋が刻まれている[2]。脇には、「福姫の墓」として飯田観光協会の案内板が建てられている。
小笠原氏は松本城、明石城、小倉城に転封していったが、それぞれの城下町には峯高寺という寺院が建立され、飯田の峯高寺が伝えられていった[3]。
登場作品
編集脚注
編集参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』
- 『徳川諸家系譜 第二』