西日本スポーツ

西日本新聞社が発行するスポーツ新聞
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西日本スポーツ(にしにっぽんスポーツ)は、西日本新聞社から発行されていたスポーツ新聞。略称は西スポ。2023年3月31日付で休刊し、インターネットサイト上のデジタル版『西スポWEB OTTO!(オット!)』へ移行した[2]

西日本スポーツ
The Nishinippon Sports
西スポWEB OTTO!
Nishispo WEB OTTO!
西日本スポーツ発行元の西日本新聞社の本社
福岡市中央区天神
種類 日刊紙
サイズ ブランケット判

事業者 株式会社西日本新聞社
本社 福岡県福岡市中央区天神1-4-1
代表者 柴田建哉(代表取締役社長)
創刊 1955年(昭和30年)2月21日
廃刊 2023年令和5年)3月31日
(以後は電子媒体へ移行)
言語 日本語
価格 1部 150円
月極 3,250円
発行数 8万5215部(2020年4月時点)[1]
ウェブサイト https://www.nishinippon.co.jp/nsp/
株式会社西日本新聞社
本社所在地 日本の旗 日本
〒810-8721
福岡県福岡市中央区天神1-4-1
業種 情報・通信業
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概要

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創刊

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1955年(昭和30年)2月21日、九州で初のスポーツ新聞[注 1]として創刊。九州各県(主に北部九州地方)のスポーツ(主に福岡ソフトバンクホークスアビスパ福岡大分トリニータサガン鳥栖ロアッソ熊本ギラヴァンツ北九州V・ファーレン長崎)の情報に力を入れている。フクニチ新聞が発行していたフクニチスポーツが廃刊されるまでは、福岡県内で西スポ・フクスポで熾烈な読者獲得争いが繰り広げた。

紙面

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福岡ソフトバンクホークスは、他に大きな出来事があっても1面に掲載するほどに傾注し、2006年から「1面から3面まで…まるごとホークス!!」として、従来よりもさらにホークス情報に力を注いでいる。過去にキャッチフレーズとして「野球はホークス、新聞は西日本!」があった。2023年3月の紙版休刊までは一面の「西日本スポーツ」題字の発行所住所の下に「ホークス情報満載!」と表記されていた。

創刊当時はおもに、福岡を本拠地とした西鉄ライオンズを記事にしていた名残から、後継球団の埼玉西武ライオンズも力を入れており、同社ホームページにはホークスと並んでライオンズに関するコーナーも設ける[3]。1949年に西日本新聞社が設立した西日本パイレーツは、1950年に地元大手私鉄西日本鉄道が創設した西鉄クリッパースと合併して消滅し、ライオンズが誕生した。

中央競馬面は中日スポーツからの記事・予想提供で編集。ホークス以外のプロ野球面、北部九州地区以外の一般スポーツ面は西日本新聞社と同じブロック紙3社連合に加盟する中日新聞社が発行する東京中日スポーツから記事・紙面を提供されている。2015年6月までは芸能社会面も同様であったが、7月から神戸新聞社が発行するデイリースポーツからの記事・紙面へと変更された。中央競馬面は2013年4月1日付まではサンケイスポーツ(大阪本社版)が製作していた(それぞれの記事の字体がサンスポやトーチュウと同じであるところから判断できる[注 2])。

松本零士の漫画『新竹取物語 1000年女王』を産経新聞と同時連載していた。連載当時、産経新聞が九州地区では発行されていなかった[注 3]。松本は福岡県出身である。

創刊当初は在京のスポーツ紙のようにアダルト面もあったが、後に廃止されている。

西スポは中日スポーツ、東京中日スポーツ、デイリースポーツの3紙との共同連載企画や、4紙共同の読者プレゼント企画「アタック4」を実施するなど、ブロック紙・地方紙系スポーツ紙との連携を強めていた。

発刊の経緯と功績

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プロ野球西日本パイレーツの経営問題で、読売新聞社(現:読売新聞グループ本社読売新聞東京本社)社主正力松太郎讀賣巨人軍首脳に煮え湯を呑まされた西日本新聞社は、当時神戸新聞社と提携してデイリースポーツを売っていたが、他のスポーツ新聞を売るくらいなら、ライオンズを中心に据えた新聞を作って売ればいいんじゃないか、という考えから、試合の主催及び広告、宣伝面でライオンズを支えるため、新しいスポーツ新聞の発行を計画した。当時はテレビも普及していない時代であり、球場で野球を観戦するとも限らなかった。多くの人にとってライオンズの情報は新聞や民放ラジオなど限られた情報手段に頼っていたことから、西日本スポーツの発行で九州全域にファンを増やし、同時に読者を獲得していきたい狙いがあった。

野球ファンが多い広島四国名古屋などに比して、九州は野球に対して冷めた土地柄であった。春夏の甲子園大会に象徴される戦前の中等学校野球大会、戦後の選抜夏選手権で全国制覇を狙える強いチームが少なく、野球ファンの熱気がそのままプロ野球人気にならなかった。西日本スポーツは、ライオンズファンを獲得することで九州へプロ野球人気をもたらした[4]。折から西鉄ライオンズは絶対的エースピッチャー稲尾和久と主砲中西太らを擁して本紙創刊前年にパ・リーグ初優勝、翌年からは宿敵巨人を相手に日本シリーズ3連覇を達成。「野武士軍団」「流線型打線ブームは最高潮に達し、西スポの販売部数も飛躍的に伸びた。

黒い霧事件の影響で西日本鉄道がライオンズの経営から撤退、後継企業福岡野球太平洋クラブクラウンライターライオンズ)も国土計画(現:西武ホールディングス西武リアルティソリューションズ西武グループ)に買収され福岡県は地元のプロ野球チームを失う。ライオンズの埼玉移転の際には、「一日も早い地元球団復活」「他球団の福岡誘致」を求める市民運動が沸き起こり、西スポはその模様を克明に報じた。

電子媒体化へ

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2022年令和4年)夏、西日本新聞社社長柴田建哉ブロック紙3社連合を構成する北海道新聞社が『道新スポーツ』の紙版発行を取りやめる方針を固めたことを察知した。

西日本新聞社では、既に一般紙の西日本新聞において、『統合編集』の名の下に紙版と電子媒体の編集を一体化していた。そこで、紙版の発行部数が減少していた西スポについては2023年3月31日付限りで紙版の発行を取りやめ、電子媒体に完全移行させることを決定。2022年9月6日付本紙および西日本新聞朝刊掲載の社告にて発表した[1]

その後、北海道新聞社も道新スポーツの紙版発行を本紙よりも早い2022年11月30日付で取りやめ、電子媒体『DOSHIN SPORTS』に移行すると発表した。

コラム「斜光線」

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かつて1面に三行風刺コラム「斜光線」があって人気を博していたが、球団や選手を中傷することもたびたびあり、読者から抗議の電話が寄せられることも少なくなかった。2001年4月25日付けのコラムで阪神タイガース野村克也監督と日本ハムファイターズ大島康徳監督を中傷する記事を掲載して、両球団から抗議があり、2001年4月29日限りで打ち切りになった。

投書コーナー「FAXプラザ」

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1990年頃にスポーツ新聞では初となる投書欄「FAXプラザ」が設けられた。投稿者のほとんどは、ラジオ番組のハガキ職人で構成されていた。現在ではエフエム滋賀エフエム石川放送作家として活躍している投稿者もいた。画期的なコーナーだったが、憂さ晴らしで投書する読者が少なくなかったことと、投稿者の住所を詳しく載せていた(例えば「福岡県」や「別府市」などの表記でなく、「滋賀県大津市西ノ庄」と地名まで掲載されていた)ことで、投稿者の家に不幸の手紙が舞い込んでいたこと、デスクが投書欄の縮小を図ったことに加え、1998年に発覚した福岡ダイエーホークスのスパイ行為で、正常な状態を維持することができなくなり、自然消滅した。

レース欄について

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物議となった報道

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2023年10月17日、西日本スポーツは前日(同月16日)に行われたパシフィック・リーグクライマックスシリーズファーストステージ第3戦(千葉ロッテマリーンズ対福岡ソフトバンクホークス戦)において、福岡ソフトバンクの投手で9回表を無失点に抑えたロベルト・オスナが同球団から要請されていた回跨ぎでの続投を拒否したと報じた[5]。同試合を巡って、福岡ソフトバンクは延長10回表にて3点を勝ち越したが、その裏で起用されたオスナとは別のリリーフ投手が打たれて逆転サヨナラ負けを喫すこととなり、同球団はクライマックスシリーズ敗退となった[5][6]。このため、福岡ソフトバンクの采配について、識者や野球ファンの間で議論を呼んでいた[7][8][9]。しかし、オスナはX(旧・Twitter)での投稿やFull-Countによる独占インタビューにおいて、この報道について否定したほか、投手コーチも務めている斉藤和巳も「投手の交代はベンチの判断によるもの」とのコメントを述べる事態になった[10][11][12]

野球評論家

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沿革

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  • 1955年2月21日 創刊。
  • 1989年4月1日 紙面を九州のスポーツ紙では初めてカラー化。
  • 2009年3月31日 西日本新聞と共に山口県(一部除く)に於いての販売を終了。
  • 2013年4月1日 中央競馬面が、これまでのサンケイスポーツ(大阪本社版)の制作記事から中日スポーツの制作記事に切り替わる。
  • 2015年7月1日 芸能・社会面が、これまでの東京中日スポーツの制作記事からデイリースポーツの制作記事に切り替わる。
  • 2018年3月31日 西日本新聞と共に宮崎県鹿児島県に於いての販売を終了[13]
  • 2022年9月6日 西日本スポーツは翌年(2023年)3月31日をもって紙面発行を休止し、Webサイトを主体とする報道媒体に移行することを発表[1][14]
  • 2023年3月31日 休刊

番組表

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地上波

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ハーフサイズ
1/4サイズ

衛星放送

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1/4サイズ

関係紙

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発売地域

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  • 福岡県佐賀県熊本県大分県の各全域
  • 長崎県の各一部(離島・県境地域の一部を除く)
    • 過去には山口県でもJRの駅を中心に各地で販売されていたが、2009年3月31日付をもって西日本新聞と共に山口県内においての販売を終了した。
    • また、宮崎県・鹿児島県でもJRの駅を中心に各地で販売されていたが、2018年3月31日付をもって西日本新聞と共に両県での販売を終了した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 同じ時期に、スポーツニッポン毎日新聞系)が西部本社版を創刊したが、九州に本社を置く地方新聞社では初めて。ブロック紙及び地方紙系の新聞社が発行するスポーツ新聞としてはデイリースポーツ神戸新聞社)、中日スポーツ中日新聞社)に次いで3番目に創刊した。
  2. ^ 同じことは道新スポーツ北海道新聞社)でも言える。北海道の地場記事以外のサンスポ提供記事の字体がサンスポ本体と同じであるため。
  3. ^ 西日本新聞エリアセンターへ委託して、大阪本社発行で夕方18時(午後6時)締め切りの早版(6版)を販売したが、西スポと産経の締め切りが深夜に近い地域から比べて1日遅く掲載されていた。2009年10月1日付から九州・山口特別版を創刊さし、従来通り西日本新聞エリアセンター(北九州市やその他の九州・山口地区は、毎日新聞販売店)からの配達が行われる。競馬面で提携していたサンスポの九州・山口版の発行は2023年現在まで行われておらず、今後も予定はない。

出典

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  1. ^ a b c スポーツ紙「西日本スポーツ」が来年3月31日で休止…ウェブ主体の報道に移行”. 読売新聞 (2022年9月6日). 2022年9月6日閲覧。
  2. ^ 「涙が出るごた…」『西スポ』最後の紙面 3月31日で新聞休刊 “68年間ありがとう” デジタル版へ”. FNNプライムオンライン (2023年3月31日). 2023年4月1日閲覧。
  3. ^ Lions otto!”. 西日本スポーツ. 2023年3月29日閲覧。
  4. ^ 立石泰則『魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ』文藝春秋、1999年、159-163、196、197頁
  5. ^ a b 西日本スポーツ (2023年10月17日). “ソフトバンクCS逆転サヨナラ敗退の舞台裏、守護神オスナの「NO,thank you」 首脳陣は延長の回またぎ要請したが…”. Yahoo!ニュース. 2023年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月17日閲覧。
  6. ^ 平田瑛美 (2023年10月17日). “ロッテ延長十回の逆転劇 代打から築いた好機で藤岡の起死回生3ラン”. 朝日新聞. 2023年10月17日閲覧。
  7. ^ 「なぜ?」「オスナの回跨ぎは?」ロッテに衝撃3点差逆転サヨナラを許したソフトバンク藤本監督の延長10回の継投策は間違っていたのか…今季限り退任発表”. RONSPO (2023年10月17日). 2023年10月18日閲覧。
  8. ^ ソフトバンクまさかの大逆転負けで終戦…笘篠賢治氏「オスナはもう1イニング行くと思って見ていました」と継投に疑問視”. BASEBALL KING (2023年10月17日). 2023年10月18日閲覧。
  9. ^ 中町顕吾 (2023年10月17日). “ソフトバンク「悪夢の逆転負け」は采配ミスか 延長継投めぐる「3つの疑問」”. J-CASTニュース. 2023年10月18日閲覧。
  10. ^ ロベルト・オスナ、回跨ぎ拒否報道に反論!?のコメント「????Excuse me?」投手起用めぐりSNS混迷【ソフトバンク】”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2023年10月17日). 2023年10月17日閲覧。
  11. ^ 鷹オスナ、“回跨ぎ拒否”報道を完全否定 独占激白…首脳陣からの打診は「なかった」”. Full-Count(フルカウント) (2023年10月17日). 2023年10月17日閲覧。
  12. ^ ソフトB・斉藤和巳投手コーチ SNSで謝罪「投手陣には本当に申し訳ない気持ち」オスナの一件も釈明”. スポーツニッポン (2023年10月17日). 2023年10月17日閲覧。
  13. ^ “西日本新聞、宮崎と鹿児島で発行休止…部数減少”. 読売新聞. (2017年10月13日). https://web.archive.org/web/20171013081400/http://www.yomiuri.co.jp/economy/20171013-OYT1T50061.html 2017年10月13日閲覧。 
  14. ^ 【お知らせ】西スポは来春にデジタルへ完全移行します”. 西日本スポーツ (2022年9月6日). 2022年9月6日閲覧。

外部リンク

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