鍋島 直映(なべしま なおみつ、1872年8月20日明治5年7月17日[1]) - 1943年昭和18年)12月10日[1][2])は、旧佐賀藩鍋島家第12代当主。第11代藩主・直大嫡男正二位勲三等侯爵。夫人は黒田長知の次女・禎子。弟妹に南部信孝鍋島直縄(旧肥前国鹿島藩鍋島直彬養子・子爵)、朗子(前田利嗣継室)、伊都子梨本宮守正王妃)、茂子(九条良政室のちに牧野忠篤継室)、信子松平恆雄正室)、俊子松平胖正室)、尚子(柳沢保承正室)。

鍋島直映
なべしま なおみつ
鍋島直映肖像 高木背水
生年月日 1872年8月20日
没年月日 (1943-12-10) 1943年12月10日(71歳没)
出身校 ケンブリッジ大学卒業
前職 外務省嘱託
称号 正二位勲三等侯爵
配偶者 鍋島禎子(黒田長知の次女)
子女 長男・鍋島直泰
親族 父・鍋島直大(貴族院議員)
叔父・鍋島直虎(貴族院議員)
叔父・鍋島直柔(貴族院議員)
義兄・前田利嗣(貴族院議員)
義兄・黒田長成(貴族院副議長)
義兄・黒田長和(貴族院議員)
弟・鍋島直縄(貴族院議員)
義弟・松平恆雄(参議院議長)
義弟・柳沢保承(貴族院議員)
義弟・黒田長敬(貴族院議員)
甥・鍋島直紹(佐賀県知事)
従弟・堀田正恒(貴族院議員)

選挙区 侯爵議員
在任期間 1921年7月11日 - 1943年12月10日
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生涯

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1891年(明治24年)3月にイギリス留学し、1898年(明治31年)12月にケンブリッジ大学を卒業する。1899年(明治32年)8月に帰国し、同年11月28日に禎子と結婚する。1904年(明治37年)、外務省嘱託となり大韓帝国および満洲に出張する。再び1906年に韓国に渡り、統監府より同地における農業調査を嘱託された。1915年大正4年)、従三位となる。1921年(大正10年)7月11日、先代の直大の死去により家督相続・侯爵を襲爵し[3]貴族院侯爵議員に就任し火曜会に所属した[2][4]震災後は松濤にあった鍋島農場や屋敷地を解放し、被災者や外国人を積極的に入居させ、道会松村介石を呼び神山町に教会を建てさせるなどし、以降この松濤は財界人や政府要人なども移り住んで高級住宅街となった。

1925年(大正14年)に正三位1933年(昭和8年)に従二位となる。1936年(昭和11年)に勲四等瑞宝章を叙勲。1943年(昭和18年)、71歳で没す。家督は嫡男の直泰が継いだ。

人物

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  • 財団法人鍋島報效会(昭和15年8月20日)の創設者として、郷土の佐賀の文化振興や人材育成に力を注いだ。
  • 明治天皇「鍋島は神のような人柄だから」と評するほど信任が厚かった。

栄典

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外国勲章佩用允許

脚注

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  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 下巻』265頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』20頁。
  3. ^ 『官報』第2684号、大正10年7月12日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  5. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  6. ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
  7. ^ 『官報』第1017号「叙任及辞令」1915年12月21日。
  8. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  9. ^ 『官報』第3518号「叙任及辞令」1924年5月17日。
  10. ^ 『官報』第3791号「叙任及辞令」1925年4月15日。
  11. ^ 『官報』第2404号「叙任及辞令」1935年1月10日。

参考文献

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  • 美術人名辞典(思文堂)
  • 徴古館HP
  • 鍋島直映公傳(鍋島報效会)
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
鍋島直大
侯爵
佐賀鍋島家第2代
1921年 - 1943年
次代
鍋島直泰