高梨利洋
日本の野球選手
高梨 利洋(たかなし としひろ、1974年1月9日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手(内野手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道白老郡白老町 |
生年月日 | 1974年1月9日(50歳) |
身長 体重 |
183 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト5位 |
初出場 | 1995年10月3日 |
最終出場 | 1999年5月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
編集小学2年の時に野球を始め、中学時代は2年連続で北海道大会を優勝した[1]。
札幌第一高時代、3年次の夏には4番・エースとして南北海道大会で準優勝[2]。
1991年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから5位指名を受け入団[1]。
長く二軍生活が続いたが、プロ4年目の1995年に一軍初出場を果たし初安打を本塁打で記録する。1996年は一軍選手に故障が相次いだこともあり39試合に出場し、わずか1試合ではあるが4番も任された。
1999年オフに戦力外通告を受け退団し、地元である札幌市に本拠地を置く社会人野球のサンワード貿易に入団[1]。社会人野球を経ずにプロ野球に入団した選手が、プロ退団後に社会人野球に入団するのは当時初めてのケースであった。
サンワード貿易では主に4番から6番を打ち、一塁手として活躍。特に2002年の第73回都市対抗野球大会1回戦では、優勝候補の一角だった日産自動車戦で2-2の9回に決勝本塁打を放つ勝負強さを見せた。2004年からはコーチ兼任となりチームに貢献してきたが、2005年限りで廃部となり退団。
2006年からは、恩師の野村克也が監督に就任した東北楽天ゴールデンイーグルスの北海道地区担当スカウトに転身した。担当した選手は寺田龍平、武藤好貴など。
人物
編集実父は大昭和製紙北海道の選手・監督や札幌第一高等学校野球部監督を務めた高梨英夫。実兄は元プロ野球選手の高梨芳昌[1]。
2010年に日本ハムの杉谷拳士に塗り替えられるまで、イースタン・リーグでのシーズン最多安打記録(125本)を保持していた。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1995 | ヤクルト | 3 | 6 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .167 | .167 | .667 | .833 |
1996 | 39 | 70 | 62 | 5 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | 1 | 2 | 10 | 4 | .194 | .275 | .210 | .485 | |
1999 | 7 | 4 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:3年 | 49 | 80 | 72 | 7 | 13 | 1 | 0 | 1 | 17 | 6 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | 1 | 2 | 11 | 4 | .181 | .253 | .236 | .489 |
記録
編集- 初出場:1995年10月3日、対横浜ベイスターズ25回戦(横浜スタジアム)、4回裏にトーマス・オマリーに代わり一塁手として出場
- 初先発出場:1995年10月8日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤ球場)、8番・一塁手として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:同上、2回表に野口茂樹から先制3ラン
背番号
編集- 50 (1992年 - 1999年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 高梨利洋 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)