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|選手名 = デイビー・ロープス |
|選手名 = デイビー・ロープス |
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|英語表記 = Davey Lopes |
|英語表記 = Davey Lopes |
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|写真のコメント = |
|写真のコメント = ドジャースでのコーチ時代(2013年) |
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|利き腕 = 右 |
|利き腕 = 右 |
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|打席 = 右 |
|打席 = 右 |
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|守備位置 = |
|守備位置 = [[二塁手]] |
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|プロ入り年度 = |
|プロ入り年度 = 1968年 |
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|ドラフト順位 = |
|ドラフト順位 = MLBドラフト2巡目(全体26位)で[[ロサンゼルス・ドジャース]]から指名 |
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|初出場 = |
|初出場 = 1972年9月22日 |
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|最終出場 = |
|最終出場 = 1987年10月4日 |
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|年俸 = |
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|経歴 = |
|経歴 = |
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; 選手歴 |
; 選手歴 |
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* {{仮リンク|ラサール・アカデミー (ロードアイランド州プロビデンス)|en|La Salle Academy, Providence|label=ラサール・アカデミー}} |
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* {{仮リンク|ウォッシュバーン大学|en|Washburn University}} |
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*[[ロサンゼルス・ドジャース]] |
* [[ロサンゼルス・ドジャース]] (1972 - 1981) |
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*[[オークランド・アスレチックス]] |
* [[オークランド・アスレチックス]] (1982 - 1984) |
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*[[シカゴ・カブス]] |
* [[シカゴ・カブス]] (1984 - 1986) |
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*[[ヒューストン・アストロズ]] |
* [[ヒューストン・アストロズ]] (1986 - 1987) |
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; 監督・コーチ歴 |
; 監督・コーチ歴 |
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*[[テキサス・レンジャーズ]] |
* [[テキサス・レンジャーズ]] (1988 - 1991) |
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*[[ボルチモア・オリオールズ]] |
* [[ボルチモア・オリオールズ]] (1992 - 1994) |
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*[[サンディエゴ・パドレス]] |
* [[サンディエゴ・パドレス]] (1995 - 1999) |
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*[[ミルウォーキー・ブルワーズ]] |
* [[ミルウォーキー・ブルワーズ]] (2000 - 2002) |
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*サンディエゴ・パドレス |
* サンディエゴ・パドレス (2003 - 2005) |
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*[[ワシントン・ナショナルズ]] |
* [[ワシントン・ナショナルズ]] (2006) |
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*[[フィラデルフィア・フィリーズ]] |
* [[フィラデルフィア・フィリーズ]] (2007 - 2010) |
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*ロサンゼルス・ドジャース |
* ロサンゼルス・ドジャース (2011 - 2015) |
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* ワシントン・ナショナルズ (2016 - 2017) |
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|選出国 = |
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|代表チーム = |
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|選出年 = |
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'''デイビー・アール・ロープス'''('''David Earl Lopes''', [[1945年]][[5月3日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[ロードアイランド州]][[プロビデンス郡 (ロードアイランド州)|プロビデンス郡]][[イーストプロビデンス (ロードアイランド州)|イーストプロビデンス]]出身の元[[プロ野球選手]]([[二塁手]])、野球指導者。右投右打。 |
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==経歴== |
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'''デイビー・ロープス'''('''David Earl Lopes ,''' [[1945年]][[5月3日]] - )は、[[メジャーリーグベースボール|MLB]][[ロサンゼルス・ドジャース]]等に所属していた[[内野手]]([[二塁手]])。右投右打。[[アメリカ合衆国]][[ロードアイランド州]][[:en:East Providence, Rhode Island|イースト・プロビデンス]]出身。スピードとパワーを兼備する多面的攻撃型プレーヤーであり、主に[[打順#一・二番打者|一番打者]]として活躍した<ref>{{Cite web |
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{{by|1967年}}の[[1967年のMLBドラフト|MLBドラフト]]8巡目(全体157位)で[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]から指名を受けるもこれを拒否、契約には至らず。翌{{by|1968年}}の[[1968年のMLBドラフト|MLBドラフト]]2巡目(全体26位)で[[ロサンゼルス・ドジャース]]から指名を受け、プロ入り。 |
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|author= Nashville G-man |
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|url=http://hubpages.com/hub/MLB-Stolen-Base-Leaders-By-Year1970s |
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|title=MLB Stolen Base Leaders By Year—1970s |
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|work=hubpages.com |
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|language=英語 |
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|accessdate=2009年7月15日 |
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}}</ref><ref name="The Baseball Page.com">{{Cite web |
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|url=http://www.thebaseballpage.com/players/lopesda01.php |
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|title=Davey Lopes |
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|work=The Baseball Page.com |
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|language=英語 |
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|accessdate=2009年7月13日 |
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}}</ref>。そして、16[[シーズン]]に及ぶ現役生活において通算557[[盗塁]]、成功率83パーセントの数字を刻み、「MLB史上有数のベスト・ベース・スティーラー」と評される<ref name="The Baseball Page.com"/>。なお、ロープスは[[バッティング]]・[[グローブ]]をほとんど着用せず、もっぱら[[出塁]]した時に限り[[手袋]]をはめていた<ref name="The Baseball Page.com"/>。 |
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ロープスは比較的遅咲きの選手で<ref name="The Baseball Page.com"/>、メジャーデビューを果たしたのは5年目の{{by|1972年}}、27歳の時であった。[[マイナーリーグ]]AAA級で104[[試合]]に出場の上、.317の高[[打率]]を残すとメジャーに昇格。9月22日の対ジャイアンツ戦において「1番・二塁手」で先発起用され、5[[打数]]無[[安打]]の結果でデビュー戦を終えた。しかし、翌23日は3個の[[四球]]を選び、キャリア初[[盗塁]]を決めている。更に、24日には{{仮リンク|ジム・バー|en|Jim Barr}}[[投手]]から初安打となる右前安打を放ち、初[[得点]]も記録している<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?n1=lopesda01&t=b&year=1972 |title=Davey Lopes 1972 Batting Gamelogs|work=Baseball-Reference.com|publisher=Sports Reference LLC.|language=英語|accessdate=2009-07-14}}</ref>。ルーキー・イヤーは出場11試合、打率.214、4盗塁の成績でシーズンを終えた。 |
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{{by|2012年}}現在は[[ロサンゼルス・ドジャース]]の一塁コーチ。 |
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==経歴== |
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{{by|1967年}}に[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]から8巡目(157位)で[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]指名を受けるもこれを拒否、契約には至らず。翌{{by|1968年}}にドジャースから2巡目(26位)で指名を受け、プロ入り。 |
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翌{{by|1973年}}は開幕戦からベンチ入りし、当初は[[代打]]・[[代走]]・[[守備固め]]等の途中出場が主な使われ方であったが、4月22日に「8番・二塁手」で先発出場すると、5月2日からは1番に抜擢<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?n1=lopesda01&t=b&year=1973 |title=Davey Lopes 1973 Batting Gamelogs|work=Baseball-Reference.com|publisher=Sports Reference LLC.|language=英語|accessdate=2009年7月14日}}</ref>。以後「1番・二塁手」の座を堅守、142試合に出場して147安打を放ち、36個の盗塁を決めるなど、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]投票の6位にランクイン。レギュラー2年目の{{by|1974年}}には、8月20日の[[シカゴ・カブス]]戦で球団レコードの15[[塁打]]を記録し(内訳は3[[本塁打]]、1[[二塁打]]、1[[単打]]、チーム全体の48塁打も球団レコード)<ref name="Davey Lopes from the Chronology">{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Davey_Lopes_1946&page=chronology |title=Davey Lopes from the Chronology|work=BaseballLibrary.com|language=英語|accessdate=2009年7月14日}}</ref>、24日の[[セントルイス・カージナルス]]戦では5盗塁を決めるなど([[ナショナルリーグ]]・タイ記録<ref name="historyforsale.com">{{Cite web|url=https://www.historyforsale.com/html/prodetails.asp?bw=1&documentid=164516 |title="Davey Lopes Autograph|work=historyforsale.com|language=英語 |accessdate=2009年7月16日}}</ref>)、多面的な攻撃能力を実証している<ref name="The Baseball Page.com"/>。 |
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ロープスは比較的遅咲きの選手で<ref name="The Baseball Page.com"/>、メジャー・[[デビュー]]を果たしたのは5年目の{{by|1972年}}、27歳の時であった。[[マイナーリーグ]]AAA級で104[[試合]]に出場の上、.317の高[[打率]]を残すとメジャーに昇格。9月22日の対ジャイアンツ戦において「一番・二塁」で先発起用され、5[[打数]]無[[安打]]の結果でデュー戦を終えた。しかし、翌23日は3個の[[四球]]を選び、キャリア初[[盗塁]]を決めている。更に、24日には[[:en:Jim Barr|ジム・バー]][[投手]]から初安打となるライト前ヒットを放ち、初[[得点]]も挙げている<ref>{{Cite web |
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|url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?n1=lopesda01&t=b&year=1972 |
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|title=Davey Lopes 1972 Batting Gamelogs |
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|work=Baseball-Reference.com |
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|language=英語 |
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|accessdate=2009年7月14日 |
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}}</ref>。ルーキー・イヤーは出場11試合、打率.214、4盗塁の成績でシーズンを終えた。 |
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メジャー4年目の{{by|1975年}}、30歳を迎えたロープスは自己最多の155試合に出場の上、キャリアハイの77盗塁を決めて[[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]に輝いた。更に、8月9日には32個目の連続盗塁を成功させ、[[マックス・キャリー]]が{{by|1922年}}に打ち立てたMLB記録を53年ぶりに塗り替えた<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>。その後、24日に[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]の[[捕手]]・[[ゲイリー・カーター]]に刺されて記録は途絶えたものの、ロープスは38回まで数字を伸ばした<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>。加えて108得点(リーグ3位)、91四球(同5位)、255出塁(同7位)を記録するなど、走塁能力と出塁能力両面において才気を煥発した。更に、翌{{by|1976年}}も63盗塁で2年連続盗塁王に輝いている。 |
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翌{{by|1973年}}は開幕戦からベンチ入りし、当初は[[代打]]・[[代走]]・[[守備固め]]等の途中出場が主な使われ方であったが、4月22日に「八番・二塁」で先発出場すると、5月2日からは一番に抜擢<ref>{{Cite web |
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}}</ref>。以後「一番・二塁」の座を堅守、142試合に出場して147安打を放ち、36個の盗塁を決めるなど、[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]投票の6位にランクイン。レギュラー2年目の{{by|1974年}}には、8月20日の[[シカゴ・カブス]]戦で球団レコードの15[[塁打]]を放ち(内訳は3[[本塁打]]・1[[二塁打]]・1[[単打]]、チーム全体の48塁打も球団レコード)<ref name="Davey Lopes from the Chronology">{{Cite web |
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{{by|1978年}}は出場151試合、打率.278、17本塁打、58打点、[[出塁率]].355、45盗塁(3位)、93得点(6位)の好成績を記録し、[[最優秀選手 (野球)|MVP]]投票の16位にランクされた他、[[ゴールドグラブ賞]]を受賞し、[[MLBオールスターゲーム]]に初選出された。なお、ロープスはこの年から{{by|1981年}}まで4年連続でオールスター出場を果たしている。[[ニューヨーク・ヤンキース]]との[[ワールドシリーズ]]では、6試合に出場して3本塁打、7打点を叩き出したがチームは敗退。34歳になる翌{{by|1979年}}も153試合に出場して打率.265、28本塁打(8位)、73[[打点]]、[[出塁率]].372、[[OPS (野球)|OPS]].836、44盗塁(3位)、97四球(3位)、255出塁(7位)、109得点(3位)、[[RC (野球)|RC]]113(8位)の好成績を収めた。ナ・リーグの二塁手で28本塁打を放ったのはロープスと[[ロジャース・ホーンスビー]]、[[デーブ・ジョンソン]]、[[ジェフ・ケント]]、[[ライン・サンドバーグ]]、[[フアン・サミュエル]]、[[チェイス・アトリー]]、[[ダン・アグラ]]のみであり<ref name="padres.com">{{Cite web|url=http://sandiego.padres.mlb.com/team/coach_staff_bio.jsp?c_id=sd&coachorstaffid=62410453354 |title=Manager and Coaches|work=padres.com|language=英語 |accessdate=2009年7月14日}}</ref>、この1979年がロープスのキャリア・イヤー、ベスト・シーズンと考えられている<ref name="The Baseball Page.com"/><ref name="geocities.com">{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20040401065137/http://www.geocities.com/brewer09/coaches/daveylopes.html |title=Davey Lopes|work=geocities.com|language=英語 |accessdate=2009年7月15日}}</ref>。更に、野球ライター兼野球史研究家・野球統計学専門家である[[:en:Bill James|ビル・ジェームズ]]によれば、ゴールドグラブ賞受賞は前年ではなく本年の方がより相応しい、と述べている<ref name="geocities.com"/>。 |
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メジャー4年目の{{by|1975年}}、30歳を迎えたロープスは自己最多の155試合に出場の上、キャリアハイの77盗塁を決めて[[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]に輝いた。更に、8月9日には32個目の連続盗塁を成功させ、[[マックス・キャリー]]が{{by|1922年}}に打ち立てたメジャー・レコードを53年ぶりに塗り替えた<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>。その後、24日に[[モントリオール・エクスポズ]]の[[ゲーリー・カーター]][[捕手]]に刺されて記録は途絶えたものの、ロープスは38回まで数字を伸ばした<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>。加えて108得点(リーグ3位)、91四球(同5位)、255出塁(同7位)をマークするなど、走塁能力と出塁能力両面において才気を煥発した。更に、翌{{by|1976年}}も63盗塁で2年連続盗塁王に輝いている。 |
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プロ14年目、メジャー10年目の{{by|1981年}}は58試合の出場に留まり、[[打撃 (野球)|バッティング]]に関しても.206の低打率に終わった。[[ポストシーズン]]では10盗塁を記録するも、当時21歳の新鋭[[スティーブ・サックス]]が順調に成長を続けていたことから、既に36歳になっていたロープスは[[オークランド・アスレチックス]]へと放出されることになった<ref name="The Baseball Page.com"/>。なお、ロープスの後継者<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>に指名されたサックスは、翌{{by|1982年}}に「1番・二塁手」のレギュラーに収まり、150試合に出場の上、打率.282、49盗塁の数字を残し、オールスター選出とルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞を遂げている。 |
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{{by|1978年}}は出場151試合、打率.278、17本塁打、58打点、[[出塁率]].355、45盗塁(3位)、93得点(6位)の好成績を挙げ、[[最優秀選手 (野球)|MVP]]投票の16位にランクされた他、[[ゴールドグラブ賞]]を受賞し、[[MLBオールスターゲーム|MLBオールスターゲーム]]に初選出された。なお、ロープスはこの年から{{by|1981年}}まで4年連続でオールスター出場を果たしている。[[ニューヨーク・ヤンキース]]との[[ワールドシリーズ]]では、6試合に出場して3本塁打・7打点を叩き出したがチームは敗退。34歳になる翌{{by|1979年}}も153試合に出場して打率.265、28本塁打(8位)、73[[打点]]、[[出塁率]].372、[[OPS (野球)|OPS]].836、44盗塁(3位)、97四球(3位)、255出塁(7位)、109得点(3位)、[[RC (野球)|RC]]113(8位)の好成績を収めた。ナ・リーグの二塁手で28本塁打を放ったのはロープスと[[ロジャース・ホーンスビー]]、[[デーブ・ジョンソン]]、[[ジェフ・ケント]]、[[ライン・サンドバーグ]]、[[ホワン・サミュエル]]、[[チェイス・アトリー]]、[[ダン・アグラ]]のみであり<ref name="padres.com">{{Cite web |
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|title=Manager and Coaches |
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}}</ref>、この79年がロープスのキャリア・イヤー、ベスト・シーズンと考えられている<ref name="The Baseball Page.com"/><ref name="geocities.com">{{Cite web |
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|title=Davey Lopes |
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}}</ref>。更に、野球ライター兼野球史研究家・野球統計学専門家である[[:en:Bill James|ビル・ジェームズ]]によれば、ゴールドグラブ賞受賞は前年ではなく本年の方がより相応しい、と述べている<ref name="geocities.com"/>。 |
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ドジャース時代のロープスは[[打順#各打順の役割|1番打者]]であったが、アスレチックス移籍1年目の82年は、主に6・7番の下位打線を務めることが多くなった<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/teams/OAK/1982-batting-orders.shtml |title=1982 Oakland Athletics Batting Orders|work=Baseball-Reference.com|publisher=Sports Reference LLC.|language=英語|accessdate=2009年7月15日}}</ref>。この年、メジャー4年目で当時23歳の[[リッキー・ヘンダーソン]]がシーズン130盗塁のMLB記録を樹立、ロープスも28盗塁を記録して、二人だけで158個の塁を盗んだ<ref name="The Baseball Page.com"/>。ヘンダーソンは以後も盗塁数を積み上げ、通算1406盗塁の金字塔を打ち建てたが、「[[バッテリー]]の配球と[[球種 (野球)|球種]]を先読みして走るスキルはデービーに習ったんだ」と後に回顧している<ref>{{Cite journal|和書|author=モーリー・ウィルス、吉藤宗弘翻訳|title=Steal This Base - 歴代盗塁王が語る盗塁の極意|journal=月刊スラッガー No.42 , 2001年10月号|publisher=日本スポーツ企画出版社|pages=6-15頁}}</ref>。以後、ロープスは[[シカゴ・カブス]]、[[ヒューストン・アストロズ]]を渡り歩き、{{by|1987年}}オフに[[戦力外通告]]を受け[[引退]]。なお、40歳になる{{by|1985年}}は47盗塁、翌{{by|1986年}}には25盗塁と、晩年まで出群のスピードとクイックネスを維持していた<ref>{{Cite web|author=Sandy Keenan |
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プロ14年目、メジャー10年目の{{by|1981年}}は58試合の出場に留まり、[[バッティング]]に関しても.206の低打率に終わった。[[ポストシーズン]]では10盗塁をマークするも、当時21歳の新鋭[[スティーブ・サックス]]が順調に成長を続けていたことから、既に36歳になっていたロープスは[[オークランド・アスレチックス]]へと放出されることになった<ref name="The Baseball Page.com"/>。なお、ロープスの後継者<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>に指名されたサックスは、翌{{by|1982年}}に「一番・二塁」のレギュラーに収まり、150試合に出場の上、打率.282、49盗塁の数字を残し、オールスター選出とルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞を遂げている。 |
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|date=1985-09-09|url=http://vault.sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1119874/index.htm |title=The Ballad Of Davey Rocket|work=SI Vault|language=英語|accessdate=2009年7月15日}}</ref>。 |
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{{by|1988年}}以降は[[テキサス・レンジャーズ]]、[[ボルチモア・オリオールズ]]、[[サンディエゴ・パドレス]]の一塁コーチ、ベンチコーチを歴任。{{by|1999年}}11月4日に[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]の[[監督]]に就任、翌{{by|2000年}}から{{by|2002年}}までの成績は144勝195敗(勝率.425)。同年4月18日、15ゲームを消化した時点で解雇され、[[ジェリー・ロイスター]]・コーチが監督代行になった<ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>。{{by|2003年}}から{{by|2005年}}まではパドレス、{{by|2006年}}は[[ワシントン・ナショナルズ]]の一塁コーチを勤め上げ、同年10月16日に[[フィラデルフィア・フィリーズ]]の一塁コーチ兼外野守備/走塁インストラクターに着任し、{{by|2010年}}まで在籍。{{by|2011年}}より5年間ドジャースの一塁コーチを務め、{{by|2016年}}より2年間ナショナルズの一塁コーチを務めた。 |
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ドジャース時代のロープスは[[打順#一・二番打者|一番打者]]であったが、アスレチックス移籍1年目の82年は、主に六・七番の下位打線を務めることが多くなった<ref>{{Cite web |
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|url=http://www.baseball-reference.com/teams/OAK/1982-batting-orders.shtml |
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|title=1982 Oakland Athletics Batting Orders |
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|work=Baseball-Reference.com |
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|language=英語 |
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|accessdate=2009年7月15日 |
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}}</ref>。この年、メジャー4年目で当時23歳の[[リッキー・ヘンダーソン]]がシーズン130盗塁のメジャー・レコードを樹立、ロープスも28盗塁をマークして、二人だけで158個の塁を盗んだ<ref name="The Baseball Page.com"/>。ヘンダーソンは以後も盗塁数を積み上げ、通算1406盗塁の金字塔を打ち建てたが、「[[バッテリー]]の配球と[[球種 (野球)|球種]]を先読みして走るスキルはデービーに習ったんだ」と後に回顧している<ref>{{Cite journal|和書 |
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|author=モーリー・ウィルス、吉藤宗弘翻訳 |
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|title=Steal This Base - 歴代盗塁王が語る盗塁の極意 |
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|journal=月刊スラッガー No.42 , 2001年10月号 |
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|publisher=日本スポーツ企画出版社 |
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|pages=6-15頁 |
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}}</ref>。以後、ロープスは[[シカゴ・カブス]]、[[ヒューストン・アストロズ]]を渡り歩き、{{by|1987年}}オフに[[戦力外通告]]を受け[[引退]]。なお、40歳になる{{by|1985年}}は47盗塁、翌{{by|1986年}}には25盗塁と、晩年まで出群のスピードとクイックネスを維持していた<ref>{{Cite web |
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|author=Sandy Keenan |
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|date=September 09, 1985 |
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|url=http://vault.sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1119874/index.htm |
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|title=The Ballad Of Davey Rocket |
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|work=SI Vault |
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|language=英語 |
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|accessdate=2009年7月15日 |
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}}</ref>。 |
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== 選手としての特徴 == |
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{{by|1988年}}以降は[[テキサス・レンジャーズ]]、[[ボルチモア・オリオールズ]]、[[サンディエゴ・パドレス]]の一塁コーチ、ダグアウト・コーチを歴任<ref name="phillies.com"/>。{{by|1999年}}11月4日に[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]の[[監督]]に就任、翌{{by|2000年}}から{{by|2002年}}までの成績は144勝195敗(勝率.425)。同年4月18日、15ゲームを消化した時点で解雇され、[[ジェリー・ロイスター]]・コーチが監督代行になった<ref name="phillies.com"/><ref name="Davey Lopes from the Chronology"/>。{{by|2003年}}から{{by|2005年}}まではパドレスの、{{by|2006年}}は[[ワシントン・ナショナルズ]]の一塁コーチを勤め上げ、同年10月16日に[[フィラデルフィア・フィリーズ]]の一塁コーチ兼外野守備/走塁インストラクターに着任。{{by|2012年}}現在はドジャースに所属している。 |
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スピードとパワーを兼備する多面的攻撃型プレーヤーであり、主に[[打順#各打順の役割|一番打者]]として活躍した<ref>{{Cite web |
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|author= Nashville G-man|url=http://hubpages.com/hub/MLB-Stolen-Base-Leaders-By-Year1970s |title=MLB Stolen Base Leaders By Year—1970s|work=hubpages.com|language=英語|accessdate=2009-07-15}}</ref><ref name="The Baseball Page.com">{{Cite web|url=http://www.thebaseballpage.com/players/lopesda01.php |title=Davey Lopes|work=The Baseball Page.com|language=英語|accessdate=2009-07-13}}</ref>。そして、16[[シーズン (スポーツ)|シーズン]]に及ぶ現役生活において通算557[[盗塁]]、成功率83%の数字を刻み、「MLB史上有数のベスト・ベース・スティーラー」と評される<ref name="The Baseball Page.com"/>。なお、ロープスは[[打撃 (野球)|バッティング]]・[[グローブ]]をほとんど着用せず、もっぱら[[出塁]]した時に限り[[手袋]]をはめていた<ref name="The Baseball Page.com"/>。 |
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== 詳細情報 == |
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==年度別打撃成績== |
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=== 年度別打撃成績 === |
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{| {{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}} |
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||47||56||43||4||10||2||0||1||15||6||2||1||0||0||13||2||0||8||0||.233||.411||.349||.760 |
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!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:16年 |
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||1812||7340||6354||1023||1671||232||50||155||2468||614||557||114||74||48||833||38||31||852||126||.263||.349||.388||.737 |
||1812||7340||6354||1023||1671||232||50||155||2468||614||557||114||74||48||833||38||31||852||126||.263||.349||.388||.737 |
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*各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
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=== 年度別守備成績 === |
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==獲得タイトル・表彰・記録== |
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; 内野守備 |
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*シーズン盗塁数10傑入り:9回(1973-1979,1982,1985) |
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{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small; border-collapse:collapse; padding: 1px;" |
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*[[ナショナルリーグ]][[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]:2回(1975 - 1976) |
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!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[二塁手|二塁(2B)]]!!colspan="6"|[[三塁手|三塁(3B)]]!!colspan="6"|[[遊撃手|遊撃(SS)]] |
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*ナショナルリーグ・[[ゴールドグラブ賞]](1978) |
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|-style="line-height:1.25em; text-align:center;" |
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*[[MLBオールスターゲーム]]選出:4回(1978 - 1981) |
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!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率 |
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*通算557盗塁(2008年終了時点でMLB歴代25位<ref name="phillies.com"/>)、成功率83.0パーセント(同10位<ref name="phillies.com"/>) |
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*38連続盗塁成功 - 1975年当時のメジャー・レコード。{{by|1989年}}に[[ビンス・コールマン]]が50まで数字を伸ばし、塗り替えた<ref>{{Cite web |
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|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Vince_Coleman_1960 |
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|title=The Ballplayers - Vince Coleman |
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|work=BaseballLibrary.com |
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|language=英語 |
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|accessdate=2009年7月14日 |
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}}</ref>。 |
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*ドジャース在籍時の413盗塁は、[[モーリー・ウィルス]]の490個に次いで球団歴代2位<ref name="phillies.com"/><ref name="padres.com"/>。 |
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==参考資料== |
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; 外野守備 |
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==外部リンク== |
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{{MLBstats |mlb= |espn= |br=l/lopesda01 |fangraphs=1007750&position=2B |cube=L/Dave-Lopes}} |
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!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[左翼手|左翼(LF)]]!!colspan="6"|[[中堅手|中堅(CF)]]!!colspan="6"|[[右翼手|右翼(RF)]] |
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!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率 |
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{{ロサンゼルス・ドジャース}} |
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
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{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録 |
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* 各年度の'''太字年'''は[[ゴールドグラブ賞]]受賞 |
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=== タイトル === |
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* [[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]:2回(1975年、1976年) |
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=== 表彰 === |
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* [[ゴールドグラブ賞]]([[ゴールドグラブ賞受賞者一覧 (二塁手)|二塁手部門]]):1回(1978年) |
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=== 記録 === |
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* [[MLBオールスターゲーム]]選出:4回([[1978年のMLBオールスターゲーム|1978年]] - [[1981年のMLBオールスターゲーム|1981年]]) |
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* 通算557盗塁(2020年終了時点でMLB歴代26位)、成功率83.0% |
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* 38連続盗塁成功 - 1975年当時のMLB記録。{{by|1989年}}に[[ビンス・コールマン]]が50まで数字を伸ばし、塗り替えた<ref>{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Vince_Coleman_1960|title=The Ballplayers - Vince Coleman|work=BaseballLibrary.com|language=英語 |accessdate=2009年7月14日 }}</ref>。 |
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*ドジャース在籍時の413盗塁は、[[モーリー・ウィルス]]の490個に次いで球団歴代2位<ref name="padres.com"/>。 |
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=== 背番号 === |
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* '''15'''(1972年 - 1984年途中、1985年 - 1986年途中、1986年途中 - 1987年、1989年 - 1994年、2007年 - 2010年、2011年途中 - 2017年) |
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* '''12'''(1984年途中 - 同年終了、2011年 - 同年途中) |
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* '''11'''(1986年途中 - 同年終了) |
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* '''14'''(1988年、1995年) |
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* '''42'''(1996年 - 1997年) |
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* '''24'''(1998年、2003年 - 同年途中) |
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* '''30'''(1999年 - 2002年) |
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* '''27'''(2003年途中 - 2004年途中) |
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* '''25'''(2004年途中 - 2005年) |
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* '''5'''(2006年) |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 関連項目 == |
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* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 L]] |
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* [[メジャーリーグベースボールの監督一覧]] |
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* [[ミルウォーキー・ブルワーズの歴代監督一覧]] |
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== 外部リンク == |
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{{MLBstats|mlb=117912|espn=188|br=l/lopesda01|fangraphs=1007750|cube=Dave-Lopes|brm=lopes-001dav}} |
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{{Baseball-reference manager|id=lopesda01}} |
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{{ミルウォーキー・ブルワーズ歴代監督}} |
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{{Navboxes|title=業績 |
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|list1= |
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{{ナショナルリーグ盗塁王}} |
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{{ナショナルリーグ ゴールドグラブ賞 (二塁手)}} |
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{{1981 ロサンゼルス・ドジャース}} |
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{{2008 フィラデルフィア・フィリーズ}} |
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{{DEFAULTSORT:ろふす ていひ}} |
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{{DEFAULTSORT:ろおふす ていひい}} |
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[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
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[[Category:アフリカ系アメリカ人の野球選手]] |
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[[Category:ロサンゼルス |
[[Category:ロサンゼルス・ドジャースの選手]] |
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[[Category:オークランド・アスレチックスの選手]] |
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[[Category:ヒューストン・アストロズの選手]] |
[[Category:ヒューストン・アストロズの選手]] |
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[[Category:テキサス・レンジャーズ関連人物]] |
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[[Category:ボルチモア・オリオールズ]] |
[[Category:ボルチモア・オリオールズ関連人物]] |
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[[Category:サンディエゴ・パドレス]] |
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[[Category:ミルウォーキー・ブルワーズ]] |
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[[en:Davey Lopes]] |
2024年4月14日 (日) 22:25時点における最新版
ドジャースでのコーチ時代(2013年) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ロードアイランド州プロビデンス郡イーストプロビデンス |
生年月日 | 1945年5月3日(79歳) |
身長 体重 |
5' 9" =約175.3 cm 170 lb =約77.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手 |
プロ入り | 1968年 MLBドラフト2巡目(全体26位)でロサンゼルス・ドジャースから指名 |
初出場 | 1972年9月22日 |
最終出場 | 1987年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
デイビー・アール・ロープス(David Earl Lopes, 1945年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンス郡イーストプロビデンス出身の元プロ野球選手(二塁手)、野球指導者。右投右打。
経歴[編集]
1967年のMLBドラフト8巡目(全体157位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名を受けるもこれを拒否、契約には至らず。翌1968年のMLBドラフト2巡目(全体26位)でロサンゼルス・ドジャースから指名を受け、プロ入り。
ロープスは比較的遅咲きの選手で[1]、メジャーデビューを果たしたのは5年目の1972年、27歳の時であった。マイナーリーグAAA級で104試合に出場の上、.317の高打率を残すとメジャーに昇格。9月22日の対ジャイアンツ戦において「1番・二塁手」で先発起用され、5打数無安打の結果でデビュー戦を終えた。しかし、翌23日は3個の四球を選び、キャリア初盗塁を決めている。更に、24日にはジム・バー投手から初安打となる右前安打を放ち、初得点も記録している[2]。ルーキー・イヤーは出場11試合、打率.214、4盗塁の成績でシーズンを終えた。
翌1973年は開幕戦からベンチ入りし、当初は代打・代走・守備固め等の途中出場が主な使われ方であったが、4月22日に「8番・二塁手」で先発出場すると、5月2日からは1番に抜擢[3]。以後「1番・二塁手」の座を堅守、142試合に出場して147安打を放ち、36個の盗塁を決めるなど、ルーキー・オブ・ザ・イヤー投票の6位にランクイン。レギュラー2年目の1974年には、8月20日のシカゴ・カブス戦で球団レコードの15塁打を記録し(内訳は3本塁打、1二塁打、1単打、チーム全体の48塁打も球団レコード)[4]、24日のセントルイス・カージナルス戦では5盗塁を決めるなど(ナショナルリーグ・タイ記録[5])、多面的な攻撃能力を実証している[1]。
メジャー4年目の1975年、30歳を迎えたロープスは自己最多の155試合に出場の上、キャリアハイの77盗塁を決めて盗塁王に輝いた。更に、8月9日には32個目の連続盗塁を成功させ、マックス・キャリーが1922年に打ち立てたMLB記録を53年ぶりに塗り替えた[4]。その後、24日にモントリオール・エクスポズの捕手・ゲイリー・カーターに刺されて記録は途絶えたものの、ロープスは38回まで数字を伸ばした[4]。加えて108得点(リーグ3位)、91四球(同5位)、255出塁(同7位)を記録するなど、走塁能力と出塁能力両面において才気を煥発した。更に、翌1976年も63盗塁で2年連続盗塁王に輝いている。
1978年は出場151試合、打率.278、17本塁打、58打点、出塁率.355、45盗塁(3位)、93得点(6位)の好成績を記録し、MVP投票の16位にランクされた他、ゴールドグラブ賞を受賞し、MLBオールスターゲームに初選出された。なお、ロープスはこの年から1981年まで4年連続でオールスター出場を果たしている。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは、6試合に出場して3本塁打、7打点を叩き出したがチームは敗退。34歳になる翌1979年も153試合に出場して打率.265、28本塁打(8位)、73打点、出塁率.372、OPS.836、44盗塁(3位)、97四球(3位)、255出塁(7位)、109得点(3位)、RC113(8位)の好成績を収めた。ナ・リーグの二塁手で28本塁打を放ったのはロープスとロジャース・ホーンスビー、デーブ・ジョンソン、ジェフ・ケント、ライン・サンドバーグ、フアン・サミュエル、チェイス・アトリー、ダン・アグラのみであり[6]、この1979年がロープスのキャリア・イヤー、ベスト・シーズンと考えられている[1][7]。更に、野球ライター兼野球史研究家・野球統計学専門家であるビル・ジェームズによれば、ゴールドグラブ賞受賞は前年ではなく本年の方がより相応しい、と述べている[7]。
プロ14年目、メジャー10年目の1981年は58試合の出場に留まり、バッティングに関しても.206の低打率に終わった。ポストシーズンでは10盗塁を記録するも、当時21歳の新鋭スティーブ・サックスが順調に成長を続けていたことから、既に36歳になっていたロープスはオークランド・アスレチックスへと放出されることになった[1]。なお、ロープスの後継者[4]に指名されたサックスは、翌1982年に「1番・二塁手」のレギュラーに収まり、150試合に出場の上、打率.282、49盗塁の数字を残し、オールスター選出とルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞を遂げている。
ドジャース時代のロープスは1番打者であったが、アスレチックス移籍1年目の82年は、主に6・7番の下位打線を務めることが多くなった[8]。この年、メジャー4年目で当時23歳のリッキー・ヘンダーソンがシーズン130盗塁のMLB記録を樹立、ロープスも28盗塁を記録して、二人だけで158個の塁を盗んだ[1]。ヘンダーソンは以後も盗塁数を積み上げ、通算1406盗塁の金字塔を打ち建てたが、「バッテリーの配球と球種を先読みして走るスキルはデービーに習ったんだ」と後に回顧している[9]。以後、ロープスはシカゴ・カブス、ヒューストン・アストロズを渡り歩き、1987年オフに戦力外通告を受け引退。なお、40歳になる1985年は47盗塁、翌1986年には25盗塁と、晩年まで出群のスピードとクイックネスを維持していた[10]。
1988年以降はテキサス・レンジャーズ、ボルチモア・オリオールズ、サンディエゴ・パドレスの一塁コーチ、ベンチコーチを歴任。1999年11月4日にミルウォーキー・ブルワーズの監督に就任、翌2000年から2002年までの成績は144勝195敗(勝率.425)。同年4月18日、15ゲームを消化した時点で解雇され、ジェリー・ロイスター・コーチが監督代行になった[4]。2003年から2005年まではパドレス、2006年はワシントン・ナショナルズの一塁コーチを勤め上げ、同年10月16日にフィラデルフィア・フィリーズの一塁コーチ兼外野守備/走塁インストラクターに着任し、2010年まで在籍。2011年より5年間ドジャースの一塁コーチを務め、2016年より2年間ナショナルズの一塁コーチを務めた。
選手としての特徴[編集]
スピードとパワーを兼備する多面的攻撃型プレーヤーであり、主に一番打者として活躍した[11][1]。そして、16シーズンに及ぶ現役生活において通算557盗塁、成功率83%の数字を刻み、「MLB史上有数のベスト・ベース・スティーラー」と評される[1]。なお、ロープスはバッティング・グローブをほとんど着用せず、もっぱら出塁した時に限り手袋をはめていた[1]。
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972 | LAD | 11 | 49 | 42 | 6 | 9 | 4 | 0 | 0 | 13 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 6 | 1 | .214 | .327 | .310 | .636 |
1973 | 142 | 615 | 535 | 77 | 147 | 13 | 5 | 6 | 188 | 37 | 36 | 16 | 7 | 6 | 62 | 6 | 5 | 77 | 14 | .275 | .352 | .351 | .703 | |
1974 | 145 | 613 | 530 | 95 | 141 | 26 | 3 | 10 | 203 | 35 | 59 | 18 | 10 | 3 | 66 | 3 | 4 | 71 | 10 | .266 | .350 | .383 | .733 | |
1975 | 155 | 726 | 618 | 108 | 162 | 24 | 6 | 8 | 222 | 41 | 77 | 12 | 13 | 2 | 91 | 3 | 2 | 93 | 4 | .262 | .358 | .359 | .717 | |
1976 | 117 | 491 | 427 | 72 | 103 | 17 | 7 | 4 | 146 | 20 | 63 | 10 | 2 | 2 | 56 | 1 | 4 | 49 | 8 | .241 | .333 | .342 | .675 | |
1977 | 134 | 589 | 502 | 85 | 142 | 19 | 5 | 11 | 204 | 53 | 47 | 12 | 6 | 6 | 73 | 3 | 2 | 69 | 3 | .283 | .372 | .406 | .779 | |
1978 | 151 | 665 | 587 | 93 | 163 | 25 | 4 | 17 | 247 | 58 | 45 | 4 | 6 | 1 | 71 | 3 | 0 | 70 | 9 | .278 | .355 | .421 | .776 | |
1979 | 153 | 692 | 582 | 109 | 154 | 20 | 6 | 28 | 270 | 73 | 44 | 4 | 6 | 3 | 97 | 4 | 4 | 88 | 8 | .265 | .372 | .464 | .836 | |
1980 | 141 | 625 | 553 | 79 | 139 | 15 | 3 | 10 | 190 | 49 | 23 | 7 | 9 | 4 | 58 | 2 | 1 | 71 | 8 | .251 | .321 | .344 | .665 | |
1981 | 58 | 243 | 214 | 35 | 44 | 2 | 0 | 5 | 61 | 17 | 20 | 2 | 4 | 0 | 22 | 1 | 3 | 35 | 7 | .206 | .289 | .285 | .574 | |
1982 | OAK | 128 | 496 | 450 | 58 | 109 | 19 | 3 | 11 | 167 | 42 | 28 | 12 | 2 | 3 | 40 | 1 | 1 | 51 | 14 | .242 | .304 | .371 | .675 |
1983 | 147 | 561 | 494 | 64 | 137 | 13 | 4 | 17 | 209 | 67 | 22 | 4 | 4 | 10 | 51 | 7 | 2 | 61 | 9 | .277 | .341 | .423 | .764 | |
1984 | 72 | 267 | 230 | 32 | 59 | 11 | 1 | 9 | 99 | 36 | 12 | 0 | 2 | 3 | 31 | 1 | 1 | 36 | 8 | .257 | .343 | .430 | .774 | |
CHC | 16 | 23 | 17 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | .235 | .435 | .294 | .729 | |
'84計 | 88 | 290 | 247 | 37 | 63 | 12 | 1 | 9 | 104 | 36 | 15 | 0 | 2 | 3 | 37 | 1 | 1 | 41 | 8 | .255 | .351 | .421 | .772 | |
1985 | 99 | 325 | 275 | 52 | 78 | 11 | 0 | 11 | 122 | 44 | 47 | 4 | 1 | 3 | 46 | 1 | 0 | 37 | 14 | .284 | .383 | .444 | .826 | |
1986 | 59 | 191 | 157 | 38 | 47 | 8 | 2 | 6 | 77 | 22 | 17 | 6 | 0 | 1 | 31 | 0 | 2 | 16 | 6 | .299 | .419 | .490 | .909 | |
HOU | 37 | 113 | 98 | 11 | 23 | 2 | 1 | 1 | 30 | 13 | 8 | 2 | 2 | 1 | 12 | 0 | 0 | 9 | 3 | .235 | .315 | .306 | .621 | |
'86計 | 96 | 304 | 255 | 49 | 70 | 10 | 3 | 7 | 107 | 35 | 25 | 8 | 2 | 2 | 43 | 0 | 2 | 25 | 9 | .275 | .381 | .420 | .800 | |
1987 | 47 | 56 | 43 | 4 | 10 | 2 | 0 | 1 | 15 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 0 | 8 | 0 | .233 | .411 | .349 | .760 | |
MLB:16年 | 1812 | 7340 | 6354 | 1023 | 1671 | 232 | 50 | 155 | 2468 | 614 | 557 | 114 | 74 | 48 | 833 | 38 | 31 | 852 | 126 | .263 | .349 | .388 | .737 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績[編集]
- 内野守備
年 度 |
球 団 |
二塁(2B) | 三塁(3B) | 遊撃(SS) | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
- 外野守備
年 度 |
球 団 |
左翼(LF) | 中堅(CF) | 右翼(RF) | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
タイトル[編集]
- 盗塁王:2回(1975年、1976年)
表彰[編集]
記録[編集]
- MLBオールスターゲーム選出:4回(1978年 - 1981年)
- 通算557盗塁(2020年終了時点でMLB歴代26位)、成功率83.0%
- 38連続盗塁成功 - 1975年当時のMLB記録。1989年にビンス・コールマンが50まで数字を伸ばし、塗り替えた[12]。
- ドジャース在籍時の413盗塁は、モーリー・ウィルスの490個に次いで球団歴代2位[6]。
背番号[編集]
- 15(1972年 - 1984年途中、1985年 - 1986年途中、1986年途中 - 1987年、1989年 - 1994年、2007年 - 2010年、2011年途中 - 2017年)
- 12(1984年途中 - 同年終了、2011年 - 同年途中)
- 11(1986年途中 - 同年終了)
- 14(1988年、1995年)
- 42(1996年 - 1997年)
- 24(1998年、2003年 - 同年途中)
- 30(1999年 - 2002年)
- 27(2003年途中 - 2004年途中)
- 25(2004年途中 - 2005年)
- 5(2006年)
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h “Davey Lopes” (英語). The Baseball Page.com. 2009年7月13日閲覧。
- ^ “Davey Lopes 1972 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. Sports Reference LLC.. 2009年7月14日閲覧。
- ^ “Davey Lopes 1973 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. Sports Reference LLC.. 2009年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e “Davey Lopes from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年7月14日閲覧。
- ^ “"Davey Lopes Autograph” (英語). historyforsale.com. 2009年7月16日閲覧。
- ^ a b “Manager and Coaches” (英語). padres.com. 2009年7月14日閲覧。
- ^ a b “Davey Lopes” (英語). geocities.com. 2009年7月15日閲覧。
- ^ “1982 Oakland Athletics Batting Orders” (英語). Baseball-Reference.com. Sports Reference LLC.. 2009年7月15日閲覧。
- ^ モーリー・ウィルス、吉藤宗弘翻訳「Steal This Base - 歴代盗塁王が語る盗塁の極意」『月刊スラッガー No.42 , 2001年10月号』、日本スポーツ企画出版社、6-15頁。
- ^ Sandy Keenan (1985年9月9日). “The Ballad Of Davey Rocket” (英語). SI Vault. 2009年7月15日閲覧。
- ^ Nashville G-man. “MLB Stolen Base Leaders By Year—1970s” (英語). hubpages.com. 2009年7月15日閲覧。
- ^ “The Ballplayers - Vince Coleman” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年7月14日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com