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「井上栄一 (実業家)」の版間の差分

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'''井上 栄一'''(いのうえ えいいち、[[1913年]] - [[1992年]])は、日本の[[実業家]]。[[赤城乳業]]の設立者。
'''井上 栄一'''(いのうえ えいいち、[[1913年]] - [[1992年]]{{R|深谷市}})は、日本の[[実業家]]。[[赤城乳業]]の設立者。


「味覚の天才」といわれていた{{R|寺田2}}。
==人物==
[[1913年]]に生まれる。[[1930年]]、[[埼玉県立熊谷高等学校|旧制熊谷中学校]]卒業。[[1938年]]、父である徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。広瀬屋商店は[[天然氷]]を商いとしていたが[[1949年]]に[[冷菓]]製造に乗りだし、[[1960年]]には合資会社赤城乳業と社名を変更。[[1961年]]には、組織変更を行い、[[赤城乳業|株式会社赤城乳業]]を設立した<ref>{{Cite web|和書|website=[[現代ビジネス]]|url=https://gendai.media/articles/-/73487?page=2|title=「ガリガリ君」4億本も売り上げたモンスターアイスの誕生秘話|author=寺田薫|date=2020-07-03|accessdate=2024-04-12}}</ref>。[[1964年]]、『赤城しぐれ』を開発した<ref>{{Cite web|和書|website=MAG2NEWS|url=https://www.mag2.com/p/news/235748/2|title=倒産寸前の会社を救った「ガリガリ君」生みの親が明かす誕生秘話|date=2017-01-25|accessdate=2024-04-12}}</ref>。[[1961年]]から[[1987年]]まで社長を務めた。その他にも深谷市議会議員となり[[1963年]]から[[1964年]]の間、深谷市議会議長を務めた<ref>{{Cite web|和書|url=https://keibatsugaku.com/inoue230811/|website=閨閥学|title=井上家(赤城乳業社長・井上創太・井上秀樹の家系図)|accessdate=2024-04-12}}{{信頼性要検証|date=2024-04}}</ref>。「味覚の天才」といわれていた。


==脚注==
== 略歴 ==
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{{先代次代|赤城乳業社長|1961年-1987年|-|井上秀樹}}
[[1938年]]、父である井上徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。

広瀬屋商店は[[天然氷]]を商いとしており、特に夏場の氷の需要が多かった{{R|寺田2}}。栄一は、天然氷の商いにとどまらず、[[1949年]]には[[冷菓]]製造に乗り出し、[[1960年]]には合資会社赤城乳業と社名を変更した。[[1961年]]には組織変更して[[赤城乳業|株式会社赤城乳業]]を設立した{{R|寺田2}}。

[[1964年]]、『赤城しぐれ』を開発した<ref name="mag2">{{Cite web|和書|website=MAG2NEWS|url=https://www.mag2.com/p/news/235748/2|page=2|title=倒産寸前の会社を救った「ガリガリ君」生みの親が明かす誕生秘話|date=2017-01-25|accessdate=2024-04-12}}</ref>。

[[1961年]]から[[1987年]]まで社長を務めた。その他にも深谷市議会議員を務め、[[1963年]]から[[1964年]]の間は議長を務めた{{R|深谷市}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://keibatsugaku.com/inoue230811/|website=閨閥学|title=井上家(赤城乳業社長・井上創太・井上秀樹の家系図)|accessdate=2024-04-12}}{{信頼性要検証|date=2024-04}}</ref>。

== 人物 ==
* 商品開発部が試作したアイスがあまりにもおいしくなかったため、窓の外に投げ捨ててしまったことがある{{R|mag2}}、

== 出典 ==
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2024年4月17日 (水) 02:24時点における最新版

井上 栄一(いのうえ えいいち、1913年 - 1992年[1])は、日本の実業家赤城乳業の設立者。

「味覚の天才」といわれていた[2]

略歴

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埼玉県大里郡深谷町(現在の深谷市)に生まれる[1]1930年旧制熊谷中学校を卒業した。

1938年、父である井上徳四郎が始めた合資会社広瀬屋商店を継承する。

広瀬屋商店は天然氷を商いとしており、特に夏場の氷の需要が多かった[2]。栄一は、天然氷の商いにとどまらず、1949年には冷菓製造に乗り出し、1960年には合資会社赤城乳業と社名を変更した。1961年には組織変更して株式会社赤城乳業を設立した[2]

1964年、『赤城しぐれ』を開発した[3]

1961年から1987年まで社長を務めた。その他にも深谷市議会議員を務め、1963年から1964年の間は議長を務めた[1][4]

人物

[編集]
  • 商品開発部が試作したアイスがあまりにもおいしくなかったため、窓の外に投げ捨ててしまったことがある[3]

出典

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  1. ^ a b c 井上栄一(いのうええいいち)”. 深谷市 (2023年3月27日). 2024年4月14日閲覧。
  2. ^ a b c 寺田薫 (2020年7月3日). “「ガリガリ君」4億本も売り上げたモンスターアイスの誕生秘話”. 現代ビジネス. p. 2. 2024年4月12日閲覧。
  3. ^ a b 倒産寸前の会社を救った「ガリガリ君」生みの親が明かす誕生秘話”. MAG2NEWS. p. 2 (2017年1月25日). 2024年4月12日閲覧。
  4. ^ 井上家(赤城乳業社長・井上創太・井上秀樹の家系図)”. 閨閥学. 2024年4月12日閲覧。[信頼性要検証]
先代
-
赤城乳業社長
1961年-1987年
次代
井上秀樹