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'''吉野鉱山'''(よしのこうざん)とは、かつて[[山形県]][[南陽市]](旧[[東置賜郡]][[吉野村 (山形県)|吉野村]])に存在した[[鉱山]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[江戸時代]]以前からの歴史を誇り、[[金]]、[[銀]]、[[鉛]]、[[亜鉛]]、[[重晶石]]、[[石膏]]などを産出した。戦前は、小規模な鉱区が群棲しており各々操業していた。このうち、'''吉野石膏山(吉野石膏採掘所)'''において、石膏を採掘・精製していた業者が明治年間([[1901年]]ごろ)に後の[[吉野石膏]]を創業。その後[[アメリカ]]で開発された[[石膏ボード]]の生産と普及に努めたことによって全国的に知名度が高まった吉野石膏山のの休廃止時期は不明)。
[[江戸時代]]以前からの歴史を誇り、[[金]]、[[銀]]、[[鉛]]、[[亜鉛]]、[[重晶石]]、[[石膏]]などを産出した。戦前は、小規模な鉱区が群棲しており各々操業していた。このうち、'''吉野石膏山(吉野石膏採掘所)'''において、石膏を採掘・精製していた業者が明治年間([[1901年]]ごろ)に後の[[吉野石膏]]を創業。その後[[アメリカ]]で開発された[[石膏ボード]]の生産と普及に努めたことによって全国的に知名度が高まった吉野石膏山は、石膏供給先である日本タイガーボード製造(吉野石膏前身一つが海外からの輸入石膏及び(化学肥料の副産物である)化学石膏に原料を切り替えたこと、[[1936年]]に同山竪坑において出水事故に見舞われたことなどから、[[1939年]]に閉山している<ref>[https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-03-02-1 吉野石膏の歴史(1)戦前] - 移ろうままに「宮内よもやま歴史絵巻」- 2019年10月17日閲覧。</ref>


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現在は、[[金属鉱業等鉱害対策特別措置法]]に基づいて、指定鉱害防止事業機関<ref>[http://www.cem.or.jp/ 財団法人資源環境センター]</ref>が鉱害防止業務として坑廃水処理場を設置し、流出する酸性水の[[中和 (化学)|中和]]作業を実施している。また、鉱山跡地付近には、同鉱山と関わりの深い吉野石膏による「吉野石膏の森」、(日本鉱業の後身である)[[JX金属]]による「日鉱 里山・龍樹の森」という企業所有の山林が存在する。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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* [[日本の鉱山の一覧]]
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* [[河津鉱山]] - 日本鉱業経営の[[静岡県]][[下田市]]の金鉱山。伊豆地区における日本鉱業所有の複数の鉱山を統括して操業していた。


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2024年4月23日 (火) 04:48時点における最新版

吉野鉱山
所在地
吉野鉱山の位置(山形県内)
吉野鉱山
吉野鉱山
所在地南陽市旗 南陽市
都道府県山形県の旗 山形県
日本の旗 日本
座標北緯38度09分50秒 東経140度10分54秒 / 北緯38.16386148554084度 東経140.1815537463815度 / 38.16386148554084; 140.1815537463815座標: 北緯38度09分50秒 東経140度10分54秒 / 北緯38.16386148554084度 東経140.1815537463815度 / 38.16386148554084; 140.1815537463815
生産
産出物亜鉛重晶石石膏
歴史
開山江戸時代以前
閉山1974年
所有者
企業日本鉱業株式会社
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

吉野鉱山(よしのこうざん)とは、かつて山形県南陽市(旧東置賜郡吉野村)に存在した鉱山

概要

[編集]

江戸時代以前からの歴史を誇り、亜鉛重晶石石膏などを産出した。戦前は、小規模な鉱区が群棲しており各々操業していた。このうち、吉野石膏山(吉野石膏採掘所)において、石膏を採掘・精製していた業者が明治年間(1901年ごろ)に後の吉野石膏を創業。その後アメリカで開発された石膏ボードの生産と普及に努めたことによって全国的に知名度が高まった。吉野石膏山は、石膏の供給先である日本タイガーボード製造(吉野石膏の前身の一つ)が海外からの輸入石膏及び(化学肥料の副産物である)化学石膏に原料を切り替えたこと、1936年に同山竪坑において出水事故に見舞われたことなどから、1939年に閉山している[1]

第二次世界大戦後は、日本鉱業が鉱区を統合し、操業を続けていた。しかし、1970年3月3日には鉱滓処理用の鉄管が凍結で破裂し、カドミウムを含む汚水が地域の水道水源に流入した[2]ほか、河川水の酸性化などの鉱毒問題が発生問題となり、1974年に閉山に追い込まれた。

現在は、金属鉱業等鉱害対策特別措置法に基づいて、指定鉱害防止事業機関[3]が鉱害防止業務として坑廃水処理場を設置し、流出する酸性水の中和作業を実施している。また、鉱山跡地付近には、同鉱山と関わりの深い吉野石膏による「吉野石膏の森」、(日本鉱業の後身である)JX金属による「日鉱 里山・龍樹の森」という企業所有の山林が存在する。

脚注

[編集]
  1. ^ 吉野石膏の歴史(1)戦前 - 移ろうままに「宮内よもやま歴史絵巻」- 2019年10月17日閲覧。
  2. ^ 水源地へカドミウム 鉱業所鉄管破れ流出『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月12日 12版 15面
  3. ^ 財団法人資源環境センター

関連項目

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