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'''ホンダ・145''' ('''HONDA145''') は[[本田技研工業]]が[[1972年]]11月に発表し、[[1975年]]まで生産していた、[[前輪駆動|フロントエンジン・フロントドライブ]](FF)方式を採用した4ドア[[セダン]]および2ドア[[クーペ]]の小型[[乗用車]]で、実質的には[[ホンダ・1300]]の[[モデルチェンジ (自動車)#マイナーモデルチェンジ(マイナーチェンジ)|マイナーチェンジ]]モデルである。
'''ホンダ・145'''(ほんだいちよんご)[[本田技研工業]]が[[1972年]](昭和47年)から[[1974年]](昭和49年)まで生産、販売していた4ドア[[セダン]]および2ドア[[クーペ]]の小型[[乗用車]]である。名称は変更されているが、実質的には[[ホンダ・1300|1300]]の[[モデルチェンジ (自動車)#マイナーモデルチェンジマイナーチェンジ|マイナーチェンジ]]モデルである。


== 概要 ==
== 初代 SD/CD型(1972-1974年==
ボディスタイルは1300の後期型をほぼ踏襲しており、4ドアセダンは77の丸型二灯式ヘッドライトのオーソドックスなフロントグリルを受け継いだ平凡な、当時のホンダ車としては異例なほど地味なスタイルであった。クーペは旧1300「ダイナミックシリーズ」の1960年代[[ポンティアック]]風2分割グリルを受け継ぎ、さらに初期の1300「77セダン」同様の角型ヘッドライトを採用、ややアグレッシブな顔付きとなった。
=== 概要 ===
ボディスタイルは[[ホンダ・1300]]の後期型をほぼ踏襲しており、4ドアセダンは1300「ゴールデンシリーズ」の丸型二灯式ヘッドライトのオーソドックスなフロントグリルを受け継いだ平凡な、当時のホンダ車としては異例なほど地味なスタイルであった。クーペは旧1300「ダイナミックシリーズ」の1960年代[[ポンティアック]]風2分割グリルを受け継ぎ、に初期の1300「77セダン」同様の角型ヘッドライトを採用、ややアグレッシブな顔付きとなった。


外装の変更点はごくわずかなものであったが、メカニズムの変更は多岐に渡っており、水冷化に伴うエンジンルーム内のパネル類の大幅な形状変更、振動低減を狙ったフレームの追加、純正ホイールのオフセット変更、リアサスペンション(クロスビーム)のジオメトリ変更、フロント[[スタビライザー (自動車部品)|スタビライザー]]の装備などが挙げられる。
搭載エンジンは、一足先の1972年7月に登場した[[ホンダ・シビック|シビック]]エンジンをスープアップした[[水冷エンジン|水冷]] [[直列4気筒|直4]] [[SOHC]] 1,433ccで、シングル[[キャブレター]]仕様の最高出力は80PS/5,500rpmであった。2ドアクーペにのみ最上級グレード「FI」(Fuel Injection)が用意され、1960年代の[[フォーミュラ1|F1]]レースの経験から開発された[[燃料噴射装置|機械式燃料噴射装置]]付きエンジンが採用され、最高出力90PS/6,000rpmを発生していた。この新しいエンジンでは[[無鉛ガソリン]]が使用可能となり、水冷化が後の公害対策も視野に入れてのものであったことがえる。


搭載エンジンは、1972年7月に登場した[[ホンダ・シビック|シビック]]エンジンの排気量拡大したEB5型[[水冷エンジン|水冷]][[直列4気筒|直4]][[SOHC]] 1,433cc<ref>ただし、シビックのEB1型がアルミブロックエンジンだったのに対し、EB5は鋳鉄ブロックエンジンであった。</ref>で、シングル[[キャブレター]]仕様の最高出力は80PS/5,500rpmであった。2ドアクーペにのみ最上級グレード「FI」(Fuel Injectionの略)が用意され、1960年代の[[フォーミュラ1|F1]]レースの経験から開発された[[燃料噴射装置|機械式燃料噴射装置]]付きエンジンが採用され、最高出力90PS/6,000rpmを発生していた。この新しいエンジンでは[[無鉛ガソリン]]が使用可能となり、水冷化が後の公害対策も視野に入れてのものであったことがうかがえる。
前身の1300は、特徴であった複雑な構造の[[空冷エンジン]]([[DDAC]])により車全体の量配分を崩しており、しかも余りにピーキー出力特性であったため操縦性もトリッキーであったが、新エンジンを得たことにより前軸重量が軽くなり重量配分が幾分改善され、145の操縦性は安定したものなるとともに、空冷の弱点であったヒーター能力も向上した。また、スタンダードを含む全車種に前輪[[ディスクブレーキ]]を採用していたことは時流に先んじていた。ホイールハブボルトの[[ナット座ピッチ直径|PCD]]は1300同様の120 mm という特殊な規格これは初代[[ホンダ・シビック|シビック]]、初代[[ホンダ・アコード|アコード]]まで継承された。


前身の1300は、特徴であった複雑な構造の[[空冷エンジン]][[ホンダ・1300#DDAC|DDAC]]により前輪荷が大きくなっていたが、新エンジンを得たことにより前軸重量が軽くなり、145の操縦性は軽快なものなるとともに、空冷の弱点であったヒーター能力も向上し、油臭さもなくなった。また、先代の1300と同様にスタンダードを含む全車種に前輪[[ディスクブレーキ]]を採用していたことは時流に先んじていた。ホイールハブボルトの[[ナット座ピッチ直径|P.C.D.]]は1300同様の4穴・120mm という特殊な規格<ref>ちなみに4穴・120mmという特殊なPCDホンダ車以外の国産車では[[日野・コンテッサ]]や初代[[マツダ・ルーチェ]]、[[マツダ・コスモスポーツ]]に採用されていたという先例がある。</ref>で、これは初代シビック、初代[[ホンダ・アコード|アコード]]、TN[[ホンダ・アクティ|アクティ]]/アクティ[[ホンダ・ストリート|ストリート]]まで継承された。
バリエーションはセダンが「スタンダード」(発売当時の東京地区標準現金価格51.1万円)、「デラックス」(59.1万円)、「カスタム」(65.8万円)の3種、クーペが「SL」(62.3万円)、「GT」(67.3万円)、「GL」(71.1万円)、「FI」(81.1万円)の4種で、当初は[[シフトレバーの配置|フロアシフト]]の4速[[マニュアルトランスミッション|MT]]のみの設定であった。月間販売目標は1,000台と控え目に設定されていた。


バリエーションはセダンが「スタンダード」(発売当時の東京地区標準現金価格51.1万円)、「デラックス」(59.1万円)、「カスタム」(65.8万円)の3種、クーペが「SL」(62.3万円)、「GT」(67.3万円)、「GL」(71.1万円)、「FI」(81.1万円)の4種で、当初は[[シフトレバーの配置|フロアシフト]]の4速[[マニュアルトランスミッション|MT]]のみの設定であった。月間販売目標は1,000台と控え目に設定されていた。
1300問題点をほぼ克服して完成度の高い車となった145が、既に発売後3年を経過し不人気車となっていた1300の焼き直版であっために人気は引き立た、ヒット作シビックの影に隠れた存在となり、販売は低調であった。セダンよりはクーペの「GT」や「GL」が売れていたが、「FI」は高価だったこともあり当時から路上ではな存在であった。


前身モデル1300で見られた欠点をほぼ克服して完成度の高い車となった145であったが、エクステリアは1300のそれをそのまま流用したことから人気はず、販売は低調であった。セダンよりはクーペの「GT」や「GL」が売れていたが、「FI」は高価だったこともあり当時から路上ではまれな存在であった。
===歴史===

*[[1972年]][[10月]] 東京モーターショーに参考出品。セダン2台、クーペ2台、それにエンジン単体1基が展示された。
1974年、生産ラインをシビックの増産に充てることから生産終了。総生産台数は9736台。145の発売終了に伴い、ホンダ車のラインナップから[[ノッチバック]]セダンとノッチバッククーペがそれぞれ一旦姿を消している<ref>前者は初代[[ホンダ・アコード|アコードセダン]]、後者は初代[[ホンダ・プレリュード|プレリュード]]が登場するまで約4年間空白となっていた。</ref>。
*1972年[[11月15日]] 発売開始

*[[1973年]]5月 [[ホンダマチック]]<ref>[[Image:Hondamatic AcordCVCC.JPG|150px|thumb|ホンダマチック]]前進2[[セミオートマチックトランスミッション]]。シフトレバーには通常走行用の☆(スター)レンジ(2速固定)とLレンジ(1速固定)が設けられており、[[トルクコンバーター]]の作用により☆レンジで発進から最高速までカバーできるとされ、「無段変速」と宣伝された。しかし実際には☆での発進加速は緩慢で、Lで発進して☆に手動でシフトアップするのが通例であった。シビック・アコードにも広く用いられ、後にはオーバードライブ(3速)の追加など改良もされたが、1980年代前半に自動変速する通常のATに変更されていった。</ref>搭載車追加。
===初代 SD/CD型 (1972年-1974年)===
*1973年11月 保安基準適用のため一部改良。セダンは廃止されクーペのみとなる。
* [[1972年]](昭和47年)
*[[1974年]][[10月]] [[ホンダ・シビック|シビック]]の増産に伴い、生産を終了した。
** 10月 - 東京モーターショーに参考出品された。セダン2台、クーペ2台、それにエンジン単体1基が展示された。
** 11月15日 - 発売開始された。
* [[1973年]](昭和48年)
** 5月 - [[ホンダマチック]]<ref>前進2[[セミオートマチックトランスミッション]]。シフトレバーには通常走行用の☆(スター)レンジ(2速固定)とLレンジ(1速固定)が設けられており、[[トルクコンバーター]]の作用により☆レンジで発進から最高速までカバーできるとされ、「無段変速」と宣伝された。しかし実際には☆での発進加速は緩慢で、Lで発進して☆に手動でシフトアップするのが通例であった。シビック・アコードなどにも広く用いられ、後にはオーバードライブ(3速)の追加など改良もされたが、1980年代前半に自動変速する通常のATに変更されていった。</ref>搭載車追加された
** 11月 - 保安基準適用のため一部改良が行なわれた。セダンは廃止されクーペのみとなる。
* [[1974年]](昭和49年)
** 10月 - 生産終了。同年12月をもって販売終了となった。


==車名の由来==
==車名の由来==
約1,450ccのエンジン排気量から。
約1,450ccのエンジン排気量から。


==逸話==
== 関連項目 ==
* [[ホンダ・1300]] - 先代車種
1300の販売不振にホンダが悩んだ1970年頃にあった有名な出来事は、エンジンの冷却方法について[[本田宗一郎]]と若手技術者達が激しく対立したことであった。「水でエンジンを冷やしても、その水を空気で冷やすのだから、最初から直接 空気でエンジンを冷やしたほうが無駄がない」という本田宗一郎の主張と、「水冷のほうがエンジン温度を制御しやすい」という若手技術者の主張は激しくぶつかり合い、当時技術者だった[[久米是志]](後の3代目社長)が辞表を残して出社拒否をしたほどであった。
* [[ホンダ・アコード]] - 後継車種<ref name="#1"/>

技術者達は、副社長の[[藤沢武夫]]に、あくまで空冷にこだわる宗一郎の説得を依頼、藤沢は電話で宗一郎に「あなたは社長なのか技術者なのか、どちらなんだ?」と問い質し、宗一郎は自分が社長だという事をようやく認識、若手技術者の主張を認める事となり、1971年の初代[[ホンダ・ライフ|ライフ]]を皮切りに、初代シビック、145と水冷エンジン搭載車が次々に陽の目を見ることになったという。

1300の生産中止により、本田宗一郎が執念を燃やした空冷エンジン乗用車はホンダのラインナップから消滅し、本田宗一郎は藤沢武夫と共に、翌1973年に引退することになる。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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<references />
<references />


== 関連項目 ==
== 外部リンク ==
* [http://www.honda.co.jp/news/1972/4721020.html ホンダ・145発売のプレスリリース]
*[[本田技研工業]]
* [http://www.honda.co.jp/pressroom/products/auto/1300/ Honda | 四輪製品アーカイブ「1300 / 145」]
*[[ホンダ・1300]]

==外部リンク==
*[http://www.honda.co.jp/news/1972/4721020.html ホンダ・145発売のプレスリリース]


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2024年4月27日 (土) 06:58時点における最新版

ホンダ・145
SD/CD型
145 クーペ GL
車内
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1972年-1974年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドア セダン
2ドア クーペ
エンジン位置 フロント
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン EB5型:水冷 直4 SOHC 1.4L
最高出力 CARB仕様:80PS/5,500rpm
FI仕様:90PS/6,000rpm
最大トルク CARB仕様:12.0kgf·m/3,500rpm
FI仕様:12.5kgf·m/4,000rpm
変速機 4速MT/ホンダマチック
サスペンション
マクファーソンストラット
クロスビーム
車両寸法
ホイールベース 2,250mm
全長 セダン:3,995-4,020mm
クーペ:4,140mm
全幅 セダン:1,465mm
クーペ:1,495mm
全高 セダン:1,360mm
クーペ:1,330mm
車両重量 セダン:845-880kg
クーペ:850-880kg
最大積載量 不明
その他
生産台数 9736台[1]
系譜
先代 ホンダ・1300
後継 セダン:アコード[2]
クーペ:プレリュード(事実上。4年の空白期間あり)
テンプレートを表示

ホンダ・145(ほんだ・いちよんご)は、本田技研工業が、1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)まで生産、販売していた4ドアセダンおよび2ドアクーペの小型乗用車である。名称は変更されているが、実質的には1300マイナーチェンジモデルである。

概要

[編集]

ボディスタイルは1300の後期型をほぼ踏襲しており、4ドアセダンは77の丸型二灯式ヘッドライトのオーソドックスなフロントグリルを受け継いだ平凡な、当時のホンダ車としては異例なほど地味なスタイルであった。クーペは旧1300「ダイナミックシリーズ」の1960年代ポンティアック風2分割グリルを受け継ぎ、さらに初期の1300「77セダン」同様の角型ヘッドライトを採用し、ややアグレッシブな顔付きとなった。

外装の変更点はごくわずかなものであったが、メカニズムの変更は多岐に渡っており、水冷化に伴うエンジンルーム内のパネル類の大幅な形状変更、振動低減を狙ったフレームの追加、純正ホイールのオフセット変更、リアサスペンション(クロスビーム)のジオメトリ変更、フロントスタビライザーの装備などが挙げられる。

搭載エンジンは、1972年7月に登場したシビック用エンジンの排気量を拡大したEB5型水冷直4SOHC 1,433cc[3]で、シングルキャブレター仕様の最高出力は80PS/5,500rpmであった。2ドアクーペにのみ最上級グレード「FI」(Fuel Injectionの略)が用意され、1960年代のF1レースの経験から開発された機械式燃料噴射装置付きエンジンが採用され、最高出力90PS/6,000rpmを発生していた。この新しいエンジンでは無鉛ガソリンが使用可能となり、水冷化が後の公害対策も視野に入れてのものであったことがうかがえる。

前身の1300は、特徴であった複雑な構造の空冷エンジンDDAC)により前輪荷重が大きくなっていたが、新エンジンを得たことにより前軸重量が軽くなり、145の操縦性は軽快なものになるとともに、空冷の弱点であったヒーター能力も向上し、油臭さもなくなった。また、先代の1300と同様にスタンダードを含む全車種に前輪ディスクブレーキを採用していたことは時流に先んじていた。ホイールハブボルトのP.C.D.は1300同様の4穴・120mm という特殊な規格[4]で、これは初代シビック、初代アコード、TNアクティ/アクティストリートまで継承された。

バリエーションはセダンが「スタンダード」(発売当時の東京地区標準現金価格51.1万円)、「デラックス」(59.1万円)、「カスタム」(65.8万円)の3種、クーペが「SL」(62.3万円)、「GT」(67.3万円)、「GL」(71.1万円)、「FI」(81.1万円)の4種で、当初はフロアシフトの4速MTのみの設定であった。月間販売目標は1,000台と控え目に設定されていた。

前身モデルの1300で見られた欠点をほぼ克服して完成度の高い車となった145であったが、エクステリアは1300のそれをそのまま流用したことから人気は出ず、販売は低調であった。セダンよりはクーペの「GT」や「GL」が売れていたが、「FI」は高価だったこともあり当時から路上ではまれな存在であった。

1974年、生産ラインをシビックの増産に充てることから生産終了。総生産台数は9736台。145の発売終了に伴い、ホンダ車のラインナップからノッチバックセダンとノッチバッククーペがそれぞれ一旦姿を消している[5]

初代 SD/CD型 (1972年-1974年)

[編集]
  • 1972年(昭和47年)
    • 10月 - 東京モーターショーに参考出品された。セダン2台、クーペ2台、それにエンジン単体1基が展示された。
    • 11月15日 - 発売が開始された。
  • 1973年(昭和48年)
    • 5月 - ホンダマチック[6]搭載車が追加された。
    • 11月 - 保安基準適用のため一部改良が行なわれた。セダンは廃止されクーペのみとなる。
  • 1974年(昭和49年)
    • 10月 - 生産終了。同年12月をもって販売終了となった。

車名の由来

[編集]

約1,450ccのエンジン排気量から。

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第42号 13ページより。
  2. ^ a b デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第27号28ページより。
  3. ^ ただし、シビックのEB1型がアルミブロックエンジンだったのに対し、EB5は鋳鉄ブロックエンジンであった。
  4. ^ ちなみに、4穴・120mmという特殊なPCDはホンダ車以外の国産車では日野・コンテッサや初代マツダ・ルーチェマツダ・コスモスポーツに採用されていたという先例がある。
  5. ^ 前者は初代アコードセダン、後者は初代プレリュードが登場するまで約4年間空白となっていた。
  6. ^ 前進2速セミオートマチックトランスミッション。シフトレバーには通常走行用の☆(スター)レンジ(2速固定)とLレンジ(1速固定)が設けられており、トルクコンバーターの作用により☆レンジで発進から最高速までカバーできるとされ、「無段変速」と宣伝された。しかし実際には☆での発進加速は緩慢で、Lで発進して☆に手動でシフトアップするのが通例であった。シビック・アコードなどにも広く用いられ、後にはオーバードライブ(3速)の追加など改良もされたが、1980年代前半に自動変速する通常のATに変更されていった。

外部リンク

[編集]