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{{存命人物の出典明記|date=2011年6月5日 (日) 11:51 (UTC)}}
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{{Otheruses|野球選手|バレーボール選手|平田亮介}}
{{別人|平田亮介}}
{{Infobox baseball player
{{Infobox baseball player
| 選手名 = 平田 良介
| 選手名 = 平田 良介
| 所属球団 =
| 所属球団 = エースファクトリーベースボールクラブ
| 背番号 =
| 背番号 = 5
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| 画像 = CD-Ryosuke-Hirata-2.jpg
| 画像説明 = 現役時代<br/>(2009年3月31日、[[ナゴヤ球場]]にて)
| 画像説明 = 中日ドラゴンズ時代<br/>(2009年3月31日、[[ナゴヤ球場]]にて)
| 国籍 = {{JPN}}
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| 出身地 = [[大阪府]][[大阪市]][[城東区]]
| 出身地 = [[大阪府]][[大阪市]][[城東区]]
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1988|3|23}}
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| 没年月日 =
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| 身長 = 177<ref name="prof">{{Cite web |date=2022-02-26 |url=https://npb.jp/bis/players/61265112.html |title=平田 良介(中日ドラゴンズ) |website=NPB.jp 日本野球機構 |accessdate=2022-02-27}}</ref>
| 身長 = 177<ref name="prof">{{Cite web|和書|date=2022-02-26 |url=https://npb.jp/bis/players/61265112.html |title=平田 良介(中日ドラゴンズ) |website=NPB.jp 日本野球機構 |accessdate=2022-02-27}}</ref>
| 体重 = 92{{R|prof}}
| 体重 = 92{{R|prof}}
| 利き腕 = 右
| 利き腕 = 右
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| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2005}}
| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2005}}
| ドラフト順位 = 高校生ドラフト1巡目
| ドラフト順位 = 高校生ドラフト1巡目
| 初出場 = 2006年8月26日
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| 経歴 =
* [[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高等学校]]
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* [[中日ドラゴンズ]] (2006 - 2022)
* [[中日ドラゴンズ]] (2006 - 2022)
* エースファクトリーベースボールクラブ(軟式)
| 代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本代表]]
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'''平田 良介'''(ひらた りょうすけ、[[1988年]][[3月23日]] - )は、[[大阪府]][[大阪市]][[城東区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。右投右打。[[ワンエイトプロモーション]]所属

'''平田 良介'''(ひらた りょうすけ、[[1988年]][[3月23日]] - )は、[[大阪府]][[大阪市]][[城東区]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])。右投右打。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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小学1年から「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代は[[ボーイズリーグ]]の「大阪北」および「大阪都島」に所属。[[萬谷康平]]とは家が道を挟んで2軒隣という幼なじみであり、小学1年から中学1年まで同じ少年野球チームに所属していた<ref>{{Cite news |title=育成出身2人目!万谷「魂を込めた」新人年プロ初勝利 |publisher=スポーツニッポン |date=2014-06-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/23/kiji/K20140623008420180.html |accessdate=2021-08-15}}</ref>。
小学1年から「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代は[[ボーイズリーグ]]の「大阪北」および「大阪都島」に所属。[[萬谷康平]]とは家が道を挟んで2軒隣という幼なじみであり、小学1年から中学1年まで同じ少年野球チームに所属していた<ref>{{Cite news |title=育成出身2人目!万谷「魂を込めた」新人年プロ初勝利 |publisher=スポーツニッポン |date=2014-06-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/23/kiji/K20140623008420180.html |accessdate=2021-08-15}}</ref>。


[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任された。高校時代は[[辻内崇伸]]と同期で、辻内の話では、平田の名前はすでに大阪一円で知れ渡っており肉体的にも入学時で完成していたため1年生で唯一入学直後から上級生に交じっての練習参加を許されたという<ref>{{Cite web |url=https://www.baseballchannel.jp/npb/24095/ |title=辻内崇伸、ドラフト1位の肖像「大阪桐蔭に入学した時、僕は平民以下の存在だった」 |publisher=ベースボールチャンネル |date=2020-04-06 |accessdate=2021-08-15}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.hb-nippon.com/interview/58-hb-nippon-intvw2009/900-intvw2009-32-date20090701no32 |title=読売ジャイアンツ 辻内 崇伸選手 | 2009年インタビュー |publisher=高校野球ドットコム |date=2009-07-01 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。なお、平田3年時の1年生に[[中田翔]]と[[岡田雅利]]がいた。高校通算70[[本塁打]]を記録。
[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任された。高校時代は[[辻内崇伸]]と同期で、辻内の話では、平田の名前はすでに大阪一円で知れ渡っており肉体的にも入学時で完成していたため1年生で唯一入学直後から上級生に交じっての練習参加を許されたという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.baseballchannel.jp/npb/24095/ |title=辻内崇伸、ドラフト1位の肖像「大阪桐蔭に入学した時、僕は平民以下の存在だった」 |publisher=ベースボールチャンネル |date=2020-04-06 |accessdate=2021-08-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hb-nippon.com/2009/06/28/intvw2009-32-date20090701no32/ |title=読売ジャイアンツ 辻内 崇伸選手 | 2009年インタビュー |publisher=高校野球ドットコム |date=2009-06-28 |accessdate=2023-09-10}}</ref>。なお、平田3年時の1年生に[[中田翔]]と[[岡田雅利]]がいた。高校通算70[[本塁打]]を記録。


2年時には[[第76回選抜高等学校野球大会]]に出場。1回戦の[[二松学舎大学付属高等学校|二松学舎大付]]戦で本塁打を打ち、また3年時に出場した[[第87回全国高等学校野球選手権大会]]の準々決勝・[[東北高等学校|東北]]戦では、[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]・[[清原和博]]以来の1試合3本塁打を記録した。その後、準決勝で[[田中将大]](当時2年生)擁する[[駒澤大学附属苫小牧高等学校|駒大苫小牧]]と対戦。しかし先発の田中に4打数無安打に封じ込められ、チームも延長戦の末敗退した。甲子園通算5本塁打は史上4位{{要出典|date=2020-05}}。
2年時には[[第76回選抜高等学校野球大会]]に出場。1回戦の[[二松学舎大学付属高等学校|二松学舎大付]]戦で本塁打を打ち、また3年時に出場した[[第87回全国高等学校野球選手権大会]]の準々決勝・[[東北高等学校|東北]]戦では、[[PL学園中学校・高等学校|PL学園]]・[[清原和博]]以来の1試合3本塁打を記録した。その後、準決勝で[[田中将大]](当時2年生)擁する[[駒澤大学附属苫小牧高等学校|駒大苫小牧]]と対戦。しかし先発の田中に4打数無安打に封じ込められ、チームも延長戦の末敗退した。甲子園通算5本塁打は史上4位{{要出典|date=2020-05}}。


9月に[[AAA世界野球選手権大会#AAAアジア野球選手権大会|アジアAAA選手権]]における韓国戦で右肩を[[脱臼|亜脱臼]]したため手術する予定だったが、予想以上に右肩の状態が良化し、手術は受けなかった。
9月に[[AAA世界野球選手権大会#AAAアジア野球選手権大会|アジアAAA選手権]]における韓国戦で右肩を[[脱臼|亜脱臼]]したため手術する予定だった<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1210-1.htm |title=竜の高校生ドラフト1巡目・平田 右肩手術 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2005-12-10 |website=中日スポーツ |archive-date=2006-08-31 |archive-url=https://web.archive.org/web/20060831065032fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1210-1.htm}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1221-2.htm |title=平田・大阪桐蔭高、名古屋で“特別授業” 故障・右肩の強化法学ぶ |access-date=2022-12-29 |date=2005-12-21 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20070204021002fw_/https://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1221-2.htm |archive-date=2007-02-04}}</ref>が、予想以上に右肩の状態が良化し、手術は受けなかった。


[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年高校生ドラフト]]で[[中日ドラゴンズ]]に1巡目指名された<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1004-1.htm |title=竜、1巡目に大阪桐蔭・平田 単独指名で交渉権 |access-date=2022-12-28 |date=2005-10-04 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20051220000453fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1004-1.htm |archive-date=2005-12-20}}</ref>。11月12日に契約金1億円、年俸840万円で仮契約を結んだ<ref name="chuspo20051113">{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1113-1.htm |title=平田、落合監督超え宣言 背番号「8」 |access-date=2022-12-29 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |date=2005-11-13 |archive-url=https://web.archive.org/web/20061209201238fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1113-1.htm |archive-date=2006-12-10}}</ref>。[[野球の背番号|背番号]]は自身の希望で<ref name="chuspo20051113" />'''8'''に決まった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.dragons.jp/teamdata/draft/2005/ |title=新人選手入団発表 2005年 |access-date=2022-12-29 |publisher=中日ドラゴンズ |website=中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト (dragons.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229094658/https://www.dragons.jp/teamdata/draft/2005/ |archive-date=2022-12-29}}</ref>。
[[2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2005年高校生ドラフト]]で[[中日ドラゴンズ]]に1巡目指名された<ref>[https://web.archive.org/web/20051013062708/http://chuspo.chunichi.co.jp:80/dragons/ 竜、1巡目に大阪桐蔭・平田 単独指名で交渉権]</ref>。[[野球の背番号|背番号]]は'''8'''。


=== 中日時代 ===
=== 中日時代 ===
{{by|2006年}}1月9日に[[ナゴヤ球場|中日ドラゴンズ選手寮]]に入所<ref>[https://web.archive.org/web/20060215070319/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0110-2.htm 平田、漫画「ドカベン」と入寮 漫画200冊持参] 中日スポーツ 2006年1月10日</ref>。8月26日に初の一軍昇格を果たすと、同日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦([[ナゴヤドーム]])の9回裏に[[英智]]の代打として、プロ初出場を果たした。結果は三塁ゴロだった(投手:[[木塚敦志]])。
{{by|2006年}}1月9日に[[ナゴヤ球場|中日ドラゴンズ選手寮]]に入所<ref>{{Cite web|和書|url=https://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0110-2.htm |title=平田、漫画「ドカベン」と入寮 漫画200冊持参 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2006年1月10日 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20060813023114fw_/https://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0110-2.htm |archive-date=2006-08-13}}</ref>。8月26日に初の一軍昇格を果たすと、同日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦([[ナゴヤドーム]])の9回裏に[[英智]]の代打として、プロ初出場を果たした<ref name="chuspo20060827">{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102612.html |title=平田、“三ゴロ”デビュー 果敢!初球打ち |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2006年8月27日 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20080302142648/https://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102612.html |archive-date=2008-03-02}}</ref>。結果は初球を打ち三塁ゴロだった(投手:[[木塚敦志]])<ref name="chuspo20060827" />。8月29日の[[阪神タイガース]]戦([[阪神甲子園球場]])でも5回表に[[中田賢一]]の代打として出場したが、空振り三振に倒れた(投手:[[井川慶]])<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102657.html |title=平田、悔しいねえ三振 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2006年8月30日 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20080302095812/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102657.html |archive-date=2008-03-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2006/games/s2006082901390.html |title=2006年8月29日 【公式戦】 試合結果 (阪神vs中日) |access-date=2022-12-28 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228103249/https://npb.jp/bis/2006/games/s2006082901390.html |archive-date=2022-12-28}}</ref>


{{by|2007年}}は、10月4日に「7番・センター」としてプロ初の[[スターティングメンバー|スタメン]]出場、延長11回裏の満塁の場面で死球を受けたことでプロ初打点を挙げる<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2007/cl2007100402.html |title=中日 対 広島【延長12回】 中日15勝9敗0分け |publisher=日刊スポーツ |date=2017-10-04 |accessdate=2021-08-15}}</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20071013143216/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071005-265662.html 平田がプロ初スタメン初打点] 日刊スポーツ 200710月5日</ref>。10月6日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で、プロ初安打を打つ<ref>[https://web.archive.org/web/20071011021632/https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200710/bt2007100708.html 中日・中村紀、代打20号満塁弾!第1S突破へ復活のろし ]</ref>。翌7日の対横浜戦では3安打を打ち、初の猛打賞を記録<ref>[https://web.archive.org/web/20071029045004/https://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200710/08/ser3211127.html 中日・平田プロ初の猛打賞 CSへ強烈アピール ]</ref>。終盤の活躍と堅実な守備が買われ、その年にセンターでスタメン出場することが多かった英智の故障もあり[[2007年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]においては全試合スタメンで起用される。[[2007年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では安打を打ち、第5戦においては[[北海道日本ハムファイターズ]]の先発投手の[[ダルビッシュ有]]から[[犠飛]]を打ち、この試合唯一の打点を挙げた。なおこの試合に1-0で勝ち、この打点は日本一を決める決勝点となり、球団として前回1954年の日本一の際の[[井上登 (野球)|井上登]]と同じく、高卒2年目の野手が日本一を決める決勝点を挙げたことになった。この犠飛はストレートを打ったのだが「スライダーを投げられていたら打てなかった」と後に語っている。日本シリーズでの活躍が認められて12月の球団主催による[[ハワイ]]への優勝旅行にも参加する予定だったが出発前日の練習中に足を[[捻挫]]し、急遽参加を取りやめた。
{{by|2007年}}は、10月4日の[[広島東洋カープ]]戦(ナゴヤドーム)に「7番・[[中堅手]]」と<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/professional/score/2007/cl2007100402.html |title=中日 対 広島【延長12回】 中日15勝9敗0分け |publisher=日刊スポーツ |date=2017-10-04 |accessdate=2021-08-15}}</ref><ref name="npb試合結果20071004">{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2007/games/s2007100401640.html |title=2007年10月4日 【公式戦】 試合結果 (中日vs広島東洋) |access-date=2022-12-29 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229100559/https://npb.jp/bis/2007/games/s2007100401640.html |archive-date=2022-12-29}}</ref>プロ初の[[スターティングメンバー|スタメン]]出場し、延長11回裏一死満塁の場面で死球を受けたことでプロ初打点を挙げる<ref name="nagoyanikkan200710050957">{{Cite web|和書|url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071005-265662.html |title=平田がプロ初スタメン初打点 |access-date=2022-12-28 |date=2007年10月5日 |website=日刊スポーツ名古屋版 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20071013143216/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071005-265662.html |archive-date=2007-10-13}}</ref>。10月6日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で、プロ初安打を打つ<ref>[https://web.archive.org/web/20071011021632/https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200710/bt2007100708.html 中日・中村紀、代打20号満塁弾!第1S突破へ復活のろし ]</ref>。翌7日の対横浜戦では3安打を打ち、初の猛打賞を記録<ref>[https://web.archive.org/web/20071029045004/https://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200710/08/ser3211127.html 中日・平田プロ初の猛打賞 CSへ強烈アピール ]</ref>。終盤の活躍と堅実な守備が買われ、その年にセンターでスタメン出場することが多かった英智の故障もあり[[2007年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]においては全試合スタメンで起用される。[[2007年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では安打を打ち<ref name="nagoyanikkan200711020956">{{Cite web|和書|url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071102-277825.html |title=2年目平田、V決める千金犠飛 |access-date=2022-12-29 |date=2007-11-02 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ名古屋版 |archive-url=https://web.archive.org/web/20071104094307/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071102-277825.html |archive-date=2007-11-04}}</ref>、第5戦においては[[北海道日本ハムファイターズ]]の先発投手の[[ダルビッシュ有]]から[[犠飛]]を打ち<ref name="nikkan200711011935">{{Cite web|和書|url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/f-nd-tp0-20071101-277703.html |title=2年目平田が先制犠飛/速報 |access-date=2022-12-29 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ名古屋版 |date=2007-11-01 |archive-date=2007-11-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20071103065559/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/f-nd-tp0-20071101-277703.html}}</ref>、この試合唯一の打点を挙げた<ref name="nagoyanikkan200711020956" />。なおこの試合に1-0で勝ち<ref>{{Cite web|和書|url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/f-nd-tp0-20071101-277744.html |title=オレ竜完全リレーで53年ぶり日本一 |access-date=2022-12-29 |date=2007-11-01 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ名古屋版 |archive-url=https://web.archive.org/web/20071103043806/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/f-nd-tp0-20071101-277744.html |archive-date=2007-11-03}}</ref>、この打点は日本一を決める決勝点となり、球団として前回1954年の日本一の際の[[井上登 (野球)|井上登]]と同じく、高卒2年目の野手が日本一を決める決勝点を挙げたことになった。この犠飛はストレートを打った<ref name="nikkan200711011935" />のだが「スライダーを投げられていたら打てなかった」と後に語っている。日本シリーズでの活躍が認められて12月の球団主催による[[ハワイ]]への優勝旅行にも参加する予定だったが出発前日の練習中に足を[[捻挫]]し、急遽参加を取りやめた<ref>{{Cite web|和書|url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071213-294814.html |title=平田無念…左足首痛めV旅行辞退 |access-date=2022-12-29 |date=2007-12-13 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ名古屋版 |archive-date=2007-12-16 |archive-url=https://web.archive.org/web/20071215191716/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071213-294814.html}}</ref>


{{by|2008年}}の春季キャンプは前述の足の捻挫もあって二軍スタートだったものの、第4クールで一軍に合流。[[森野将彦]]が故障で離脱したこともあり、ほとんどのオープン戦にセンターでスタメン出場。森野の代わりとして開幕スタメン入りも確実視されたが、森野が開幕までに回復し、またオープン戦での成績も相まって、開幕一軍入りとはならなかった。5月16日には森野の怪我による離脱で、二軍で83打数15安打、打率.181、2本塁打と、調子が上がらない中、このシーズン初の一軍昇格、その日の対横浜戦で即スタメン起用された。しかし目立った活躍は見られず5月26日に二軍に降格した。6月11日に再昇格。9月7日、対横浜戦の9回裏一死の場面に代打で登場し、[[横山道哉]]から一軍でのプロ初本塁打を打つ。これが同時に[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]の殊勲打となった<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/09/08/kiji/K20080908Z00002070.html |title=平田劇弾!プロ1号が代打サヨナラ本塁打 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2008-09-08 |accessdate=2013-04-16}}</ref>。その後もシーズン終了まで一軍に定着。主に代打で起用された。シーズン終了後の秋季キャンプでは故障離脱してしまい、春季キャンプの二軍スタートが決まる。
{{by|2008年}}の春季キャンプは前述の足の捻挫もあって二軍スタートだったものの、第4クールで一軍に合流。[[森野将彦]]が故障で離脱したこともあり、ほとんどのオープン戦にセンターでスタメン出場。森野の代わりとして開幕スタメン入りも確実視されたが、森野が開幕までに回復し、またオープン戦での成績も相まって、開幕一軍入りとはならなかった。5月16日には森野の怪我による離脱で、二軍で83打数15安打、打率.181、2本塁打と、調子が上がらない中、このシーズン初の一軍昇格、その日の対横浜戦で即スタメン起用された。しかし目立った活躍は見られず5月26日に二軍に降格した。6月11日に再昇格。9月7日横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏一死の場面に代打で登場し、[[横山道哉]]から一軍でのプロ初本塁打を打つ<ref name="chuspo20080908">{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200809/CK2008090802000085.html |title=平田が代打サヨナラ弾 狙って打った!プロ1号 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2008年9月8日 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20081013031801/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200809/CK2008090802000085.html |archive-date=2008-10-13}}</ref>。これが同時に[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]の殊勲打となった<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/09/08/kiji/K20080908Z00002070.html |title=平田劇弾!プロ1号が代打サヨナラ本塁打 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2008-09-08 |accessdate=2013-04-16}}</ref>。その後もシーズン終了まで一軍に定着。主に代打で起用された。シーズン終了後の秋季キャンプでは故障離脱してしまい、春季キャンプの二軍スタートが決まる。


{{by|2009年}}は、前述の通り春季キャンプは二軍スタートとなった。一軍に合流することなくキャンプは終了し教育リーグに向かうことになったが、3月17日の[[阪神タイガース]]との練習試合で一軍に合流。プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たす。[[藤井淳志]]、[[小池正晃]]、新人の[[野本圭]]と外野のポジションを争うことになると思われたが、シーズンが始まると代打でも結果が残せず、4月15日に二軍に降格した。その後8月に一度登録されるが、勝負所での併殺打や三振を繰り返し、9月に再び抹消された。最終的には前年の59試合出場を下回る42試合に留まるが、打率.271・2本塁打・9打点を記録した。
{{by|2009年}}は、前述の通り春季キャンプは二軍スタートとなった。一軍に合流することなくキャンプは終了し教育リーグに向かうことになったが、3月17日の阪神との練習試合で一軍に合流。プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たす。[[藤井淳志]]、[[小池正晃]]、新人の[[野本圭]]と外野のポジションを争うことになると思われたが、シーズンが始まると代打でも結果が残せず、4月15日に二軍に降格した。その後8月に一度登録されるが、勝負所での併殺打や三振を繰り返し、9月に再び抹消された。最終的には前年の59試合出場を下回る42試合に留まるが、打率.271・2本塁打・9打点を記録した。


{{by|2010年}}は、新人の[[大島洋平]]や2年目の野本などとの競争に勝てず大半を二軍で過ごし、[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも活躍できずに終わった。オフに背番号'''8'''を大島が付けることになったため、[[西川明 (野球)|西川明]]の退団で空き番号になっていた'''40'''に変更。
{{by|2010年}}は、新人の[[大島洋平]]や2年目の野本などとの競争に勝てず大半を二軍で過ごし、[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも活躍できずに終わった。オフに背番号'''8'''を大島が付けることになったため、[[西川明 (野球)|西川明]]の退団で空き番号になっていた'''40'''に変更。


{{by|2011年}}は開幕こそ二軍も5月5日に一軍昇格。5月18日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦では同点本塁打、5月22日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦では自身初の4安打を記録。6月4日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦では9回裏の同点打に加え、延長11回裏に[[野上亮磨]]から2008年以来、自身2本目となるサヨナラ本塁打を打った。さらに、その翌6月5日の対ロッテ戦では、9回裏に[[薮田安彦]]から2日連続のサヨナラ本塁打を打った。個人の2試合連続サヨナラ本塁打は2002年[[松井稼頭央]](西武)以来8人目。セ・リーグでは1988年の[[ダグ・デシンセイ]](ヤクルト)以来23年ぶり。中日では初の出来事である<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/06/kiji/K20110606000966030.html |title=平田2戦連続サヨナラ弾「違う歓声を感じた」 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2011-06-06 |accessdate=2013-04-14}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110605-786191.html |title=【中日】平田2戦連続サヨナラ弾 |publisher=日刊スポーツ |date=2011-06-05 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。また前述の活躍もあり6月の[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]を初受賞。チームの野手としても2009年6月の[[和田一浩]]以来2年ぶりの受賞となった。リーグ優勝が決定した翌日に行われた10月19日の対ヤクルト戦ではプロ入り後初めて4番打者を務めた。中盤以降は調子を落とし1か月以上本塁打が出ない時期などありスタメンを外れる試合も増えたが、最終的には113試合に出場し、打率.255、11本塁打、38打点の成績を残す。守備でもリーグ3位の8[[補殺]]を記録するなど、チームのリーグ連覇に貢献した。
{{by|2011年}}は開幕こそ二軍も5月5日に一軍昇格。5月18日の[[千葉ロッテマリーンズ]]戦では同点本塁打、5月22日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦では自身初の4安打を記録。6月4日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦では9回裏の同点打に加え、延長11回裏に[[野上亮磨]]から2008年以来、自身2本目となるサヨナラ本塁打を打った。さらに、その翌6月5日の対ロッテ戦では、9回裏に[[薮田安彦]]から2日連続のサヨナラ本塁打を打った。個人の2試合連続サヨナラ本塁打は2002年[[松井稼頭央]](西武)以来8人目。セ・リーグでは1988年の[[ダグ・デシンセイ]](ヤクルト)以来23年ぶり。中日では初の出来事である<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/06/kiji/K20110606000966030.html |title=平田2戦連続サヨナラ弾「違う歓声を感じた」 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2011-06-06 |accessdate=2013-04-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110605-786191.html |title=【中日】平田2戦連続サヨナラ弾 |publisher=日刊スポーツ |date=2011-06-05 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。また前述の活躍もあり6月の[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]を初受賞。チームの野手としても2009年6月の[[和田一浩]]以来2年ぶりの受賞となった。リーグ優勝が決定した翌日に行われた10月19日の対ヤクルト戦ではプロ入り後初めて4番打者を務めた。中盤以降は調子を落とし1か月以上本塁打が出ない時期などありスタメンを外れる試合も増えたが、最終的には113試合に出場し、打率.255、11本塁打、38打点の成績を残す。守備でもリーグ3位の8[[補殺]]を記録するなど、チームのリーグ連覇に貢献した。


{{by|2012年}}は初の開幕スタメンに名を連ね3月30日の開幕戦ではチーム第1号の本塁打を記録<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/03/30/kiji/K20120330002943680.html |title=平田 7回に特大弾!幸先良いスタート |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2012-03-30 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。主に7番を打っていたがその後、[[森野将彦]]の故障により3番を打つこともあった。しかし5月にぎっくり腰を患い二軍落ちを経験した。最終的には本塁打は前年と同じく11本だったが、安定感を欠き打率.216と低迷し、出場試合数も前年より減った。
{{by|2012年}}は初の開幕スタメンに名を連ね3月30日の開幕戦ではチーム第1号の本塁打を記録<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/03/30/kiji/K20120330002943680.html |title=平田 7回に特大弾!幸先良いスタート |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン |date=2012-03-30 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。主に7番を打っていたがその後、[[森野将彦]]の故障により3番を打つこともあった。しかし5月にぎっくり腰を患い二軍落ちを経験した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/20/kiji/K20120520003292080.html |title=中日の平田が登録外れる 試合前練習でぎっくり腰 |access-date=2022-12-29 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2012年5月20日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229084139/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/05/20/kiji/K20120520003292080.html |archive-date=2022-12-29}}</ref>。最終的には本塁打は前年と同じく11本だったが、安定感を欠き打率.216と低迷し、出場試合数も前年より減った。オフに年俸2900万円(100万円減)で翌年の契約を結んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/12/06/kiji/K20121206004712130.html |title=中日・平田 来季目標は「お立ち台で爆笑を取る」 |access-date=2022-12-29 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2012年12月6日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229083737/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/12/06/kiji/K20121206004712130.html |archive-date=2022-12-29}}</ref>


{{by|2013年}}は開幕一軍を勝ち取ったものの[[松井佑介]]にスタメンを奪われると、33打席で1本もヒットを打てずに登録抹消された。5月10日に昇格を果たしても暫くは結果が出ていなかったが、6月23日の対[[読売ジャイアンツ]]戦では2回に先制のソロ本塁打、7回にはダメ押しとなる3点本塁打を打ち、チーム3年ぶりとなる1試合4本塁打のうちの2本を打って勝利に貢献した。その後は右翼レギュラーに定着し最終的に[[規定打席]]には及ばなかったがこれまででいずれも自己最高の打率.289、15本塁打、55打点を記録した。オフの11月には[[台湾]]で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2013/baseballchallenge/20131028.html |title=2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date= |accessdate=2015-03-30}}</ref>。また背番号の変更が発表され、[[井端弘和]]の退団により空き番となった'''6'''を付けることになった。
{{by|2013年}}は開幕一軍を勝ち取ったものの[[松井佑介]]にスタメンを奪われると、33打席で1本もヒットを打てずに登録抹消された。5月10日に昇格を果たしても暫くは結果が出ていなかったが、6月23日の対[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])では2回に先制のソロ本塁打(シーズン初本塁打)、7回にはダメ押しとなる3点本塁打を打ち、チーム3年ぶりとなる1試合4本塁打のうちの2本を打って勝利に貢献した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/23/kiji/K20130623006073350.html |title=高木監督、2発平田を絶賛 山本昌には苦言「速球投手と勘違い」 |access-date=2022-12-29 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2013年6月23日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229085356/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/23/kiji/K20130623006073350.html |archive-date=2022-12-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/24/kiji/K20130624006073990.html |title=高木監督 3年ぶり1試合4発に「珍しいね」 |access-date=2022-12-29 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2013年6月24日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229085820/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/24/kiji/K20130624006073990.html |archive-date=2022-12-29}}</ref>。その後は右翼レギュラーに定着し最終的に[[規定打席]]には及ばなかったがこれまででいずれも自己最高の打率.289、15本塁打、55打点を記録した。オフの11月には[[台湾]]で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2013/baseballchallenge/20131028.html |title=2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ トップチーム |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date= |accessdate=2015-03-30}}</ref>。また背番号の変更が発表され、[[井端弘和]]の退団により空き番となった'''6'''を付けることになった。


{{by|2014年}}には[[オープン戦]]から4番・右翼手で固定されてシーズンを迎える。序盤は好調を維持していたものの長くは続かず、交流戦から6番に下がる。6月27日の対阪神戦で邪飛を追った際に足首を捻挫し、約1か月間戦列を離れたものの、プロ9年目にして初めて規定打席に到達した。
{{by|2014年}}には[[オープン戦]]から4番・右翼手で固定されてシーズンを迎える。序盤は好調を維持していたものの長くは続かず、交流戦から6番に下がる。6月27日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で邪飛を追った際に足首を捻挫<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/27/kiji/K20140627008456880.html |title=平田負傷、自力で歩けず…森ヘッド「抹消するしかない」 |access-date=2022-12-28 |date=2014年6月27日 |website=スポニチ Sponichi Annex 野球 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228104508/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/27/kiji/K20140627008456880.html |archive-date=2022-12-28}}</ref>し、約1か月間戦列を離れたものの、プロ9年目にして初めて規定打席に到達した。


{{by|2015年}}7月16日に、[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150716_1.html |title=トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-07-16 |accessdate=2015-08-04}}</ref>。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html |title=「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-09-10 |accessdate=2015-09-20}}</ref>。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された<ref name="選手発表">{{Cite web |url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20151009_1.html |title=「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-10-09 |accessdate=2015-10-09}}</ref>。11月26日、球団納会で[[谷繁元信]]監督より翌年の主将に任命された<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1571725.html |title=中日平田が来季主将「谷繁監督を胴上げする」 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-11-26 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。中日ドラゴンズでは1994年の[[仁村徹]]以来のキャプテン就任となる。この年、自身初のベストナインに選ばれた。
{{by|2015年}}7月16日に、[[2015 WBSCプレミア12|第1回WBSCプレミア12]]の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150716_1.html |title=トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-07-16 |accessdate=2015-08-04}}</ref>。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20150910_1.html |title=「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-09-10 |accessdate=2015-09-20}}</ref>。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された<ref name="選手発表">{{Cite web|和書|url=https://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20151009_1.html |title=「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! |publisher=野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト |date=2015-10-09 |accessdate=2015-10-09}}</ref>。11月26日、球団納会で[[谷繁元信]]監督より翌年の主将に任命された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1571725.html |title=中日平田が来季主将「谷繁監督を胴上げする」 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-11-26 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。中日ドラゴンズでは1994年の[[仁村徹]]以来のキャプテン就任となる。この年、自身初のベストナインに選ばれた。


{{by|2016年}}開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。6月18日の北海道日本ハムファイターズ戦で10号本塁打を打ち、6年連続2桁本塁打を記録。9月14日に右肩痛で一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/15/kiji/K20160915013359920.html |title=中日・平田 右肩痛で抹消「出られる状態になれば出たい」 |publisher=スポニチアネックス |date=2016-09-15 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。シーズン途中にFA権を取得したが、11月5日にFA権を行使せず残留を表明した<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/06/kiji/K20161106013671360.html |title=平田残留表明 7000万円から大幅アップで複数年か |publisher=スポニチアネックス |date=2016-11-06 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。
{{by|2016年}}開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。6月18日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)で10号本塁打を打ち、6年連続2桁本塁打を記録<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1665208.html |title=中日平田先制10号「思い切り振って」6年連続2桁 |access-date=2022-12-29 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2016年6月18日 |website=日刊スポーツ (nikkansports.com) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221229091040/https://www.nikkansports.com/baseball/news/1665208.html |archive-date=2022-12-29}}</ref>。9月14日に右肩痛で一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/15/kiji/K20160915013359920.html |title=中日・平田 右肩痛で抹消「出られる状態になれば出たい」 |publisher=スポニチアネックス |date=2016-09-15 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。シーズン途中にFA権を取得したが、11月5日にFA権を行使せず残留を表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/11/06/kiji/K20161106013671360.html |title=平田残留表明 7000万円から大幅アップで複数年か |publisher=スポニチアネックス |date=2016-11-06 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。


{{by|2017年}}、1月24日に[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック]]の日本代表に招集されたことが発表され、大会では2試合に出場した。レギュラーシーズンでは右膝の故障に悩み、66試合の出場に留まった。
{{by|2017年}}、1月24日に[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック]]の日本代表に招集されたことが発表され、大会では2試合に出場した。レギュラーシーズンでは右膝の故障に悩み、66試合の出場に留まった。


{{by|2018年}}は序盤こそ不調だったものの5月に月間打率.431を記録すると、その後も一時は打率トップに立つなど安定して好調を維持<ref>{{Cite web |url=https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201808270002-spnavi?p=1 |page=1 |title=中日・平田良介、三十路の華麗なる変身 長所と引き換えに優先した大切なモノ |publisher=スポーツナビ |date=2018-08-27 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。同僚の[[ダヤン・ビシエド]]らと首位打者争いを演じた<ref name="hiratashuidasha">{{Cite web |url=https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201808270002-spnavi?p=2 |page=2 |title=中日・平田良介、三十路の華麗なる変身 長所と引き換えに優先した大切なモノ |publisher=スポーツナビ |date=2018-08-27 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。その打率の高さを買われて1番で出場することも多く{{R|hiratashuidasha}}、1番右翼として出場した8月16日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦では第1打席に先頭打者本塁打を放つと、その後の打席でも二塁打2本、三塁打、単打を記録し、史上68人目の[[サイクル安打]]を達成した<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/16/kiji/20180816s00001173293000c.html |title=中日・平田がサイクル安打達成!シーズン4人目は史上3度目 |publisher=スポニチ |date=2018-08-16 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。最終的には自己最高の打率.329を記録し、また自身初の[[ゴールデングラブ賞]]を受賞した<ref>{{Cite web |url=https://npb.jp/award/2018/glove.html |title=2018年度 三井ゴールデン・グラブ賞 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-08-15}}</ref>。
{{by|2018年}}は序盤こそ不調だったものの5月に月間打率.431を記録すると、その後も一時は打率トップに立つなど安定して好調を維持<ref>{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201808270002-spnavi|page=1 |title=中日・平田良介、三十路の華麗なる変身 長所と引き換えに優先した大切なモノ |publisher=スポーツナビ |date=2018-08-27 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。同僚の[[ダヤン・ビシエド]]らと首位打者争いを演じた<ref name="hiratashuidasha">{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201808270002-spnavi|page=2 |title=中日・平田良介、三十路の華麗なる変身 長所と引き換えに優先した大切なモノ |publisher=スポーツナビ |date=2018-08-27 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。その打率の高さを買われて1番で出場することも多く{{R|hiratashuidasha}}、1番右翼として出場した8月16日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦では第1打席に先頭打者本塁打を放つと、その後の打席でも二塁打2本、三塁打、単打を記録し、史上68人目の[[サイクル安打]]を達成した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/16/kiji/20180816s00001173293000c.html |title=中日・平田がサイクル安打達成!シーズン4人目は史上3度目 |publisher=スポニチ |date=2018-08-16 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。最終的には自己最高の打率.329を記録し、また自身初の[[ゴールデングラブ賞]]を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/award/2018/glove.html |title=2018年度 三井ゴールデン・グラブ賞 |publisher=日本野球機構 |date= |accessdate=2021-08-15}}</ref>。

{{by|2019年}}も序盤からほぼ1番で起用された。しかし5月17日に左足の違和感で途中交代し、その後、検査で左下腿の肉離れと診断された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201905170001246.html |title=途中交代の中日平田が抹消へ、左ふくらはぎ肉離れ |publisher=日刊スポーツ |date=2019-05-17 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。7月20日対DeNA戦([[横浜スタジアム]])の4回表に[[石田健大]]から本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を記録した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20190720-XPNDB3767VOM7IJ2RMXIIL2YLE/ |title=中日・平田がプロ通算100号本塁打 |publisher=サンスポ |date=2019-07-20 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。しかし8月14日の対阪神戦で右手首に死球を受け途中交代した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/14/kiji/20190814s00001173318000c.html |title=死球交代の中日・平田、右手首は骨に異常なし 病院直行し検査 |publisher=スポニチ |date=2019-08-14 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。その後も一軍に帯同したが、治療に専念するために8月21日に一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201908/CK2019082002100079.html |title=平田出場選手登録抹消へ 右手首の治療に専念 |publisher=東京中日スポーツ ドラニュース |date=2019-08-20 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。9月10日に一軍復帰し、残りのシーズンを一軍で過ごしたが、最終的には95試合の出場に終わった。


{{by|2020年}}は開幕一軍スタートとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/74912 |title=中日2位・橋本侑樹と4位・郡司裕也の新人2人が開幕1軍メンバー入り 出場選手登録名簿が公示 |publisher=東京中日スポーツ |date=2020-06-18 |accessdate=2021-08-15}}</ref>が、6月24日に18打数1安打と不振でスタメンを外れた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/77797 |title=不振の中日・平田がスタメン落ち “代役”は遠藤『3番・左翼』にアルモンテ…先発は山本、DeNAは井納 |publisher=東京中日スポーツ |date=2020-06-24 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。その後も打率.164と不振が続いた<ref name="chunichi202007201330">{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/91745 |title=極度の打撃不振 中日・平田を登録抹消へ…打率.164、2軍で再調整 最近2試合は出番なし |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2020-07-30 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228085449/https://www.chunichi.co.jp/article/91745 |archive-date=2022-12-28}}</ref>ほか、右肘痛を発症した<ref name="sanspo202007201556">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20200720-OIQVGYPNWBPHTEAPIOXJS5B73Y/ |title=中日・平田、右肘痛で登録外れる 病院で検査受ける予定 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-07-20 |accessdate=2020-12-23}}</ref>こともあり7月20日に一軍登録を抹消された<ref name="chunichi202007201330" /><ref name="sanspo202007201556" />。その後8月23日に再び一軍登録されると、同日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で追加点となる2点適時二塁打を打った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/109082 |title=平田が“駆けつけ”代打適時二塁打「感極まりました」大声援に感謝!プレーボールの90分前に球場到着 |access-date=2022-12-28 |date=2020年8月24日 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228090401/https://www.chunichi.co.jp/article/109082 |archive-date=2022-12-28}}</ref>。9月9日の巨人戦(ナゴヤドーム)で通算1000安打を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20200909-EQGHBCASSFOGPPDN6G3PSNW6RU/ |title=通算1000安打達成の中日・平田「改めて感謝したい」 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-09-09 |accessdate=2020-12-23}}</ref>。9月21日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では1年ぶりとなる1試合4安打を記録した<ref>{{Cite web|和書|title=【中日】平田良介が1年ぶり4安打 「球の見方を思い出した。ボールは真っすぐ来ないということを思い出した」と覚醒 |url=https://hochi.news/articles/20200921-OHT1T50234.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2020-09-21 |accessdate=2022-03-27 |language=ja}}</ref>が、9月26日、下肢のコンディション不良で一軍登録を抹消<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20200926-WUCCGP24OVKKRERZ4BOVD5R5DE/ |title=中日・平田が下肢のコンディショニング不良で登録抹消 渡辺が昇格 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-09-26 |accessdate=2020-12-23}}</ref>。10月29日に再び一軍登録された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/146036 |title=1カ月ぶり1軍復帰の中日・平田 7回守備から途中出場「1勝でも多くチームに貢献したいです」 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2020年10月30日 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228090726/https://www.chunichi.co.jp/article/146036 |archive-date=2022-12-28}}</ref>が、この年は2度の登録抹消もあり、55試合出場でシーズンを終えた。
{{by|2019年}}も序盤からほぼ1番で起用された。しかし5月17日に左足の違和感で途中交代し、その後、検査で左下腿の肉離れと診断された<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201905170001246.html |title=途中交代の中日平田が抹消へ、左ふくらはぎ肉離れ |publisher=日刊スポーツ |date=2019-05-17 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。7月20日対DeNA戦回表に[[石田健大]]から本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を記録した<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20190720-XPNDB3767VOM7IJ2RMXIIL2YLE/ |title=中日・平田がプロ通算100号本塁打 |publisher=サンスポ |date=2019-07-20 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。しかし8月14日の対阪神戦で右手首に死球を受け途中交代した<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/14/kiji/20190814s00001173318000c.html |title=死球交代の中日・平田、右手首は骨に異常なし 病院直行し検査 |publisher=スポニチ |date=2019-08-14 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。その後も一軍に帯同したが、治療に専念するために8月21日に一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201908/CK2019082002100079.html |title=平田出場選手登録抹消へ 右手首の治療に専念 |publisher=東京中日スポーツ ドラニュース |date=2019-08-20 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。9月10日に一軍復帰し、残りのシーズンを一軍で過ごしたが、最終的には95試合の出場に終わった。


{{by|2020年}}は開幕一軍スタートとなっ<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/74912 |title=中日2位・橋侑樹4位・郡司裕也の新人2人が開幕1軍メンバー入 出場選手登録名簿が公示 |publisher=東京中日スポーツ |date=2020-06-18 |accessdate=2021-08-15}}</ref>が624日に18打数1安打と不振でスタメンを外れた<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/77797 |title=不振の中日・平田がスタメン落ち “代役”は遠藤『3番左翼』にアルモンテ…先発は山本、DeNAは井納 |publisher=東京中日スポーツ |date=2020-06-24 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。その後も不振続き7月20日、右肘痛の発表があり一軍登録を抹消された<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20200720-OIQVGYPNWBPHTEAPIOXJS5B73Y/ |title=中日平田、右肘痛で登録外れる 院で検査受ける予定 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-07-20 |accessdate=2020-12-23}}</ref>。その後8月23日に再び一軍登録され9月9日、通算1000安打を達成<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20200909-EQGHBCASSFOGPPDN6G3PSNW6RU/ |title=通算1000安打達成の中日・平田「改めて感謝したい」 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-09-09 |accessdate=2020-12-23}}</ref>。9月24日に1年ぶりとなる1試合4安打を記録したが<ref>{{Cite web |title=【中日】平田良介が1年ぶり4安打 球の方を思い出した。ボールは真すぐ来ないということを思い出したと覚醒 |url=https://hochi.news/articles/20200921-OHT1T50234.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2020-09-21 |accessdate=2022-03-27 |language=ja}}</ref>、9月26日、下肢コンディション不良で一軍登録抹消<ref>{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20200926-WUCCGP24OVKKRERZ4BOVD5R5DE/ |title=中日平田が下肢のコンディショニング不良で登録抹消 渡辺が昇格 |publisher=サンケイスポーツ |date=2020-09-26 |accessdate=2020-12-23}}</ref>。10月29日に再び一軍登録されたが、この年は2度の登録抹消もあり、55試合出場でシーズンを終えた
{{by|2021年}}は開幕一軍入りしが、21試合で打率.155、0塁打、4打点打撃不振により、428日に登録抹消された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/41773 |title=打撃不振の中日・平田が二軍降格 新外国人ガーバーと入れ替えへ |publisher=東京スポーツ |date=2021-04-28 |accessdate=2021-12-12}}</ref>。以降は二軍で調整していた7月4に体調を崩し[[気管支喘息|喘息]]「異型狭心症」診断された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110050000658.html |title=中日平田良介が「異型狭心症」発作を引き起こす心臓の一種 |publisher=日刊スポーツ |date=2021-10-05 |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref name="nikkansports20220220">{{Cite web|和書|title=1日限定昇格の中日平田良介、激走生還で定位置奪取アピール必死さ立浪監督も称賛 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202202200001468.html |website=日刊スポーツ |date=2022-02-20 |accessdate=2022-03-27 |language=ja}}</ref>。そため一軍定着後最少の21試合出場に留まった{{R|nikkansports20220220}}。5年契約の5年目が終了し、1億5000万円減となる推定年俸3000万円で契約更改した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202111230000762.html |title=中日平田良介1億5000万大減俸3000万円更改 7月に異型狭心症 |publisher=日刊スポーツ |date=2021-11-23 |accessdate=2021-12-12}}</ref>。


{{by|2022年}}も開幕一軍を迎え、代打や代走での起用が続くが、5月10日に[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウィルス]]の陽性判定を受け登録抹消となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20220510-OHT1T51091.html?page=1 |title=【中日】平田良介が新型コロナ感染 木下拓哉、石川昂弥に続き離脱…鵜飼も再検査でベンチ外へ |publisher=中日スポーツ |date=2022-05-10 |accessdate=2022-07-08}}</ref>。7月12日に一軍に復帰<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/506407 |title=【中日】平田、石垣、土田の野手3人が1軍合流 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2022年7月12日 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228092115/https://www.chunichi.co.jp/article/506407 |archive-date=2022-12-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/announcement/roster/roster_0712.html |title=2022年7月12日の出場選手登録、登録抹消 |access-date=2022-12-28 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228092434/https://npb.jp/announcement/roster/roster_0712.html |archive-date=2022-12-28}}</ref>すると、7月16日の阪神戦(阪神甲子園球場)で2年ぶりに本塁打を打った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/509672 |title=【中日】平田が2年ぶりとなるダメ押し1号「ホームランを狙って打ちにいきました」17年目34歳が最高の再スタート |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2022年7月17日 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp)}}</ref>。その後9月19日に再び登録抹消された<ref name="chunichi202212281200">{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/609009 |title=平田良介が現役引退を決断 中日戦力外…NPB球団からのオファー届かず プロ生活17年でピリオド |access-date=2022年12月28日 |date=2022年12月28日 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228101907/https://www.chunichi.co.jp/article/609009 |archive-date=2022年12月28日}}</ref>が、シーズン終盤には翌年の戦力構想外となっていることが明らかになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/555221 |title=中日一筋17年、平田良介が退団へ、現役続行へ他球団移籍を模索 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2022年10月1日 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228101552/https://www.chunichi.co.jp/article/555221 |archive-date=2022-12-28}}</ref>。10月4日に[[戦力外通告]]を受け、NPBでの現役続行を希望し<ref>{{Cite web|和書|title=【中日】平田良介に戦力外通告、NPBでの現役続行希望「大きな声援は一生忘れない」涙で会見 - プロ野球 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202210040000271.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-10-04 |language=ja}}</ref>、[[独立リーグ]]や[[社会人野球]]からのオファーはあったものの<ref>{{Cite news|title=中日退団の平田、独立Lや社会人からの複数オファー断っていた あらためて「NPBのみ」現役続行熱望|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/12/21/kiji/20221221s00001173068000c.html|publisher=スポニチアネックス |accessdate=2022-12-28|date=2022-12-21}}</ref>、NPB球団からオファーはなく、12月28日に現役引退を発表した<ref name="chunichi202212281200" /><ref>{{Cite web|和書|title=元中日平田良介、引退を発表 NPBでの現役続行模索も決断「たくさんの葛藤がありました」 - プロ野球 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202212280000283.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-12-28 |date=2022年12月28日}}</ref>。
{{by|2021年}}は開幕一軍入りしたが、21試合で打率.155、0本塁打、4打点と打撃不振により、4月28日に登録抹消された<ref>{{Cite web |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/41773 |title=打撃不振の中日・平田が二軍降格 新外国人・ガーバーと入れ替えへ |publisher=東京スポーツ |date=2021-04-28 |accessdate=2021-12-12}}</ref>。以降は二軍で調整していたが、7月4日に体調を崩し[[気管支喘息|喘息]]、「異型狭心症」と診断された<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202110050000658.html |title=中日平田良介が「異型狭心症」発作を引き起こす心臓病の一種 |publisher=日刊スポーツ |date=2021-10-05 |accessdate=2021-12-12}}</ref><ref name="nikkansports20220220">{{Cite web |title=1日限定昇格の中日平田良介、激走生還で定位置奪取アピール「必死さ見習って」立浪監督も称賛 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202202200001468.html |website=日刊スポーツ |date=2022-02-20 |accessdate=2022-03-27 |language=ja}}</ref>。そのため一軍定着後最少の21試合出場に留まった{{R|nikkansports20220220}}。5年契約の5年目が終了し、1億5000万円減となる推定年俸3000万円で契約を更改した<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202111230000762.html |title=中日平田良介1億5000万大減俸で3000万円更改 7月に異型狭心症 |publisher=日刊スポーツ |date=2021-11-23 |accessdate=2021-12-12}}</ref>。


=== 中日退団後 ===
{{by|2022年}}も開幕一軍を迎え、代打や代走での起用が続くが、5月10日に[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウィルス]]の陽性判定を受け登録抹消となった<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220510-OHT1T51091.html?page=1 |title=【中日】平田良介が新型コロナ感染 木下拓哉、石川昂弥に続き離脱…鵜飼も再検査でベンチ外へ |publisher=中日スポーツ |date=2022-05-10 |accessdate=2022-07-08}}</ref>。10月4日に戦力外通告を受け、現役続行を希望し、自由契約となった<ref>{{Cite web |title=【中日】平田良介に戦力外通告、NPBでの現役続行希望「大きな声援は一生忘れない」涙で会見 - プロ野球 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202210040000271.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-10-04 |language=ja}}</ref>が、12月28日に現役引退を発表した<ref>{{Cite web |title=元中日平田良介、引退を発表 NPBでの現役続行模索も決断「たくさんの葛藤がありました」 - プロ野球 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202212280000283.html |website=nikkansports.com |access-date=2022-12-28}}</ref>。
中日退団後の翌{{by|2023年}}[[1月29日]]にYouTubeチャンネル「エースファクトリーエンタメチャンネル」に出演し、複数の独立リーグ球団や社会人野球からオファーがあったが、大阪を拠点に活動するエースファクトリーベースボールクラブに入団し、軟式野球に転向することを表明<ref name="a">{{Cite news|title=元中日・平田良介が軟式野球転向を表明「全国優勝していきます」|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/01/29/kiji/20230129s00001173500000c.html|newspaper=スポニチアネックス|date=2023-01-29|accessdate=2024-1-4}}</ref>。なお、同チームの入団に当たっては平田の幼馴染の萬谷からの誘いによるものであることが明かされ、共にプレーを続ける<ref name="a"/>。同年[[2月3日]]に学生野球資格を回復した事が公表された<ref>{{Cite news|title=【一覧】能見篤史氏、佐藤和弘氏、宮台康平氏、岩瀬仁紀氏ら101人/学生野球資格回復|url=https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/202302040000043.html|newspaper=日刊スポーツ|date=2023-02-04|accessdate=2024-1-4}}</ref>。その傍ら[[TBSチャンネル]]の野球解説者としても並行して活動する。


== 選手としての特徴 ==
== 選手としての特徴 ==
高校通算70本塁打<ref>{{Cite web |url=https://baseballking.jp/ns/7728 |title=夏V大阪桐蔭OBに目立つ、長距離打者としての飛躍 |publisher=BASEBALL KING |date=2014-08-26 |accessdate=2015-02-06}}</ref>。勝負強さを感じる打撃でレギュラーを掴めたといわれる実力者<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/10/30/0015765518.shtml|title=中日戦力外の平田良介、「重要なお知らせ」動画に賛否 引退心配のファン困惑「そういうとこやぞ平田」|publisher=デイリースポーツ online|date=2022-10-30|accessdate=2022-10-30}}</ref>。[[50メートル競走|50メートル]]5秒7の俊足と遠投110メートルの強肩を併せ持つ<ref>{{Cite web |url=https://vk.sportsbull.jp/koshien/news/TKY200510020070.html |title=強打・強肩・俊足の平田 高校生ドラフト・野手 |publisher=asahi.com |date=2005-10-02 |accessdate=2015-02-06}}</ref>。2011年の春季キャンプには当時監督の[[落合博満]]と打撃コーチの[[石嶺和彦]]の指導により打法を改造している{{R|tochu110614}}。目深にヘルメットを被るのもトレードマークである。2011年以降はオレンジ色のバットを使用している。
高校通算70本塁打<ref>{{Cite web|和書|url=https://baseballking.jp/ns/7728 |title=夏V大阪桐蔭OBに目立つ、長距離打者としての飛躍 |publisher=BASEBALL KING |date=2014-08-26 |accessdate=2015-02-06}}</ref>。勝負強さを感じる打撃でレギュラーを掴めたといわれる実力者<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/baseball/2022/10/30/0015765518.shtml|title=中日戦力外の平田良介、「重要なお知らせ」動画に賛否 引退心配のファン困惑「そういうとこやぞ平田」|publisher=デイリースポーツ online|date=2022-10-30|accessdate=2022-10-30}}</ref>。[[50メートル競走|50メートル]]5秒7の俊足と遠投110メートルの強肩を併せ持つ<ref>{{Cite web|和書|url=https://vk.sportsbull.jp/koshien/news/TKY200510020070.html |title=強打・強肩・俊足の平田 高校生ドラフト・野手 |publisher=asahi.com |date=2005-10-02 |accessdate=2015-02-06}}</ref>。2011年の春季キャンプには当時監督の[[落合博満]]と打撃コーチの[[石嶺和彦]]の指導により打法を改造している{{R|tochu110614}}。目深にヘルメットを被るのもトレードマークである。2011年以降はオレンジ色のバットを使用している。


落合からはドラフト時に「この年のドラフトで俺が認めたのは平田だけ。そういう選手がいない年だってある。あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と高く評価され<ref>{{Cite web |url=https://bunshun.jp/articles/-/3918 |title=【中日】平田良介の長い夏休みは宿題がいっぱい! |publisher=文春オンライン |date=2017-08-29 |accessdate=2021-08-15}}</ref>、守備についても「ドラゴンズの外野守備でいちばんうまい」と賛辞を送られている<ref>{{Cite web |url=https://www.asagei.com/3607 |title=落合「中日のタブー暴露」講演会を実況中継(2)「選手の性格で指導を変えた」 |language=日本語| |work=アサ芸+ |date=2012-02-01 |accessdate=2012-02-02}}</ref>。
落合からはドラフト時に「この年のドラフトで俺が認めたのは平田だけ。そういう選手がいない年だってある。あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と高く評価され<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/3918 |title=【中日】平田良介の長い夏休みは宿題がいっぱい! |publisher=文春オンライン |date=2017-08-29 |accessdate=2021-08-15}}</ref>、守備についても「ドラゴンズの外野守備でいちばんうまい」と賛辞を送られている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asagei.com/3607 |title=落合「中日のタブー暴露」講演会を実況中継(2)「選手の性格で指導を変えた」 |language=日本語| |work=アサ芸+ |date=2012-02-01 |accessdate=2012-02-02}}</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==
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ヒーローインタビューで度々名言を残している。2011年の2戦連続サヨナラ本塁打の時には、6月4日は「明日はデーゲームですので、お酒は控えるようにして下さい」と、5日は「明日はナイターです。お酒をたんまり飲める、時間があります。しっかり飲んで、明日の6時プレイボールまでにお酒を抜いて応援して下さい」と、2日連続で「酒ネタ」を披露した。この「酒ネタ」は、その後のヒーローインタビューで、中日の他の選手([[佐伯貴弘]]、[[小田幸平]]、[[小池正晃]])にも使われた。
ヒーローインタビューで度々名言を残している。2011年の2戦連続サヨナラ本塁打の時には、6月4日は「明日はデーゲームですので、お酒は控えるようにして下さい」と、5日は「明日はナイターです。お酒をたんまり飲める、時間があります。しっかり飲んで、明日の6時プレイボールまでにお酒を抜いて応援して下さい」と、2日連続で「酒ネタ」を披露した。この「酒ネタ」は、その後のヒーローインタビューで、中日の他の選手([[佐伯貴弘]]、[[小田幸平]]、[[小池正晃]])にも使われた。


2014年からは上述の通り、落合が現役時代に付けていた背番号'''6'''を付けることになったが、会見ではそのことに触れられると「知らなかった」と発言。その上で「好きな番号だったので選んだ。自分なりの6番にしたい」と抱負を語った<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131123-1221896.html |title=日刊スポーツ |language=日本語| |work=日刊スポーツ |date=2013-12-13 |accessdate=2013-12-13}}</ref>。また[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]のスポーツ番組出演時には当時GMの落合とのやり取りについても明かし、当初は背番号9を提示されるも前年まで同じ外野手の[[野本圭]]が背負っていたことを理由に固辞したと語った。次いで希望の番号を問われて6と答え、落合から「誰が着けてたか知ってるか?」と質問されたと語っている{{R|tr-cs}}。
2014年からは上述の通り、落合が現役時代に付けていた背番号'''6'''を付けることになったが、会見ではそのことに触れられると「知らなかった」と発言。その上で「好きな番号だったので選んだ。自分なりの6番にしたい」と抱負を語った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131123-1221896.html |title=日刊スポーツ |language=日本語| |work=日刊スポーツ |date=2013-12-13 |accessdate=2013-12-13}}</ref>。また[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]のスポーツ番組出演時には当時GMの落合とのやり取りについても明かし、当初は背番号9を提示されるも前年まで同じ外野手の[[野本圭]]が背負っていたことを理由に固辞したと語った。次いで希望の番号を問われて6と答え、落合から「誰が着けてたか知ってるか?」と質問されたと語っている{{R|tr-cs}}。


2015年からは、この年に加入した[[亀澤恭平]]や[[遠藤一星]]とともに、ムードメーカーとしてチームを盛り上げている。元々は平田が「ファンの方に喜んでもらえるように」と亀澤に呼びかけ、得点が入った際に中継カメラに向かってパフォーマンスを披露するようになり<ref>{{Cite web |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/119130 |title=中日のパフォーマンスコンビ"活動休止状態"の理由 |publisher=東スポWeb |date=2015-06-27 |accessdate=2021-08-15}}</ref>、後に遠藤も加わるようになった。
2015年からは、この年に加入した[[亀澤恭平]]や[[遠藤一星]]とともに、ムードメーカーとしてチームを盛り上げている。元々は平田が「ファンの方に喜んでもらえるように」と亀澤に呼びかけ、得点が入った際に中継カメラに向かってパフォーマンスを披露するようになり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/119130 |title=中日のパフォーマンスコンビ"活動休止状態"の理由 |publisher=東スポWeb |date=2015-06-27 |accessdate=2021-08-15}}</ref>、後に遠藤も加わるようになった。


2015年8月1日の[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦にて、[[東京ドーム]]左翼席上にある[[キリンビール]]「[[一番搾り]]」看板に直撃する特大本塁打を打ち<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1516427.html |title=中日平田、看板直撃150メートル弾「一番飛んだ」 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-08-01 |accessdate=2021-08-15}}</ref>、[[キリンビールマーケティング]]株式会社より賞金100万円と「キリン一番搾り」1年分を贈呈された<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1525828.html |title=中日平田が看板直撃弾で100万&ビール1年分獲得 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-08-20 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。
2015年8月1日の[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦にて、[[東京ドーム]]左翼席上にある[[キリンビール]]「[[一番搾り]]」看板に直撃する特大本塁打を打ち<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1516427.html |title=中日平田、看板直撃150メートル弾「一番飛んだ」 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-08-01 |accessdate=2021-08-15}}</ref>、[[キリンビールマーケティング]]株式会社より賞金100万円と「キリン一番搾り」1年分を贈呈された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1525828.html |title=中日平田が看板直撃弾で100万&ビール1年分獲得 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-08-20 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。


2018年オフ、新車では車両価格だけで3970万円すると言われる「[[ロールスロイス]]・[[ロールス・ロイス・ゴースト|ゴースト]]・ブラックバッジ」を新古で購入<ref>{{Cite web |title=平田、ロールスロイス買っちゃいました 一軒家→高級外車→次はタイトル |url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201811/CK2018112902000113.html |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2018-11-29 |accessdate=2019-04-20 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181129011347/https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201811/CK2018112902000113.html |archivedate=2018-11-29}}</ref>。本人によると、子供の頃に[[新庄剛志]]のフェラーリを見たことがきっかけで「プロ野球選手になったら絶対高級車に乗ったると思ったんです」とのこと。テレビ番組では5000万円とも報道され、大きな話題となった<ref>{{Cite web |title=中日・平田、自慢の愛車は5000万円!新庄選手のフェラーリに夢抱く |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2019/01/12/0011974822.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2019-01-12 |accessdate=2019-04-20 |language=ja}}</ref>。
2018年オフ、新車では車両価格だけで3970万円すると言われる「[[ロールスロイス]]・[[ロールス・ロイス・ゴースト|ゴースト]]・ブラックバッジ」を新古で購入<ref>{{Cite web|和書|title=平田、ロールスロイス買っちゃいました 一軒家→高級外車→次はタイトル |url=https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201811/CK2018112902000113.html |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |date=2018-11-29 |accessdate=2019-04-20 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181129011347/https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201811/CK2018112902000113.html |archivedate=2018-11-29}}</ref>。本人によると、子供の頃に[[新庄剛志]]のフェラーリを見たことがきっかけで「プロ野球選手になったら絶対高級車に乗ったると思ったんです」とのこと。テレビ番組では5000万円とも報道され、大きな話題となった<ref>{{Cite web|和書|title=中日・平田、自慢の愛車は5000万円!新庄選手のフェラーリに夢抱く |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2019/01/12/0011974822.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2019-01-12 |accessdate=2019-04-20 |language=ja}}</ref>。プロ野球選手を引退後、2023年5月28日に[[TBSテレビ|TBS]]で放送された『THEプラチナリスト~スターが生まれた伝説の名簿~』で「見栄を張る必要がない」という理由でロールスロイスを売却したことを公表している<ref>{{Cite web|和書|title=5000万ロールス・ロイス売却 戦力外の元中日選手、引退後の現実にネット衝撃「悲しすぎるだろ」 |url=https://www.j-cast.com/2023/05/29462309.html?p=all |website=J-CASTニュース |date=2023-05-29 |accessdate=2023-05-29 |language=ja}}</ref>。


2020年12月20日に[[ニコニコ生放送]]で放送された企画「プロ野球×将棋特番」に出演。プロ野球界の将棋好き4選手([[丸佳浩]]・[[安田尚憲]]・[[齋藤友貴哉]])で争ったプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し、「球王」の称号を与えられた<ref>{{Cite web |title=プロ野球×将棋特番【出演:丸佳浩、平田良介、渡辺明名人ほか】 |url=https://live.nicovideo.jp/watch/lv329216367 |website=ニコニコ生放送 |date= |accessdate=2020-12-20}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/20/kiji/20201220s000413F2381000c.html |website=スポーツニッポン |date=2020-12-20 |accessdate=2020-12-21 |title=後半はドリームチームが渡辺王将と対戦、久保九段「代打、オレ」あるか? プロ野球最強将棋王決定戦 |publisher=}}</ref>。
2020年12月20日に[[ニコニコ生放送]]で放送された企画「プロ野球×将棋特番」に出演。プロ野球界の将棋好き4選手([[丸佳浩]]・[[安田尚憲]]・[[齋藤友貴哉]])で争ったプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し、「球王」の称号を与えられた<ref>{{Cite web|和書|title=プロ野球×将棋特番【出演:丸佳浩、平田良介、渡辺明名人ほか】 |url=https://live.nicovideo.jp/watch/lv329216367 |website=ニコニコ生放送 |date= |accessdate=2020-12-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/20/kiji/20201220s000413F2381000c.html |website=スポーツニッポン |date=2020-12-20 |accessdate=2020-12-21 |title=後半はドリームチームが渡辺王将と対戦、久保九段「代打、オレ」あるか? プロ野球最強将棋王決定戦 |publisher=}}</ref>。


2021年12月12日にニコニコ生放送で放送された「プロ野球×将棋特番2021」に出演。前回大会の実績と将棋文化普及の功績により[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]名人から[[日本将棋連盟]]の初段免状が授与された<ref>{{Cite web |title=中日・平田にサプライズ「嬉しすぎて心臓飛び出そう」第2回球王戦で渡辺王将から初段免状贈呈 - スポニチ Sponichi Annex 社会 |url=https://www.sponichi.co.jp/society/news/2021/12/12/kiji/20211212b00042000005000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-12-12 |accessdate=2021-12-12 |language=ja}}</ref>。前年より参加人数の増えた「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」でも決勝まで勝ち進み、[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]・[[西口直人]]との対局を勝利して連覇を達成。「球王」の称号を防衛した<ref>{{Cite web |title=初代「球王」の中日・平田が連覇を達成!決勝で楽天・西口に勝利 第2回プロ野球最強将棋王決定戦 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/12/12/kiji/20211212s000413F2453000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-12-12 |accessdate=2021-12-12 |language=ja}}</ref>。
2021年12月12日にニコニコ生放送で放送された「プロ野球×将棋特番2021」に出演。前回大会の実績と将棋文化普及の功績により[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]名人から[[日本将棋連盟]]の初段免状が授与された<ref>{{Cite web|和書|title=中日・平田にサプライズ「嬉しすぎて心臓飛び出そう」第2回球王戦で渡辺王将から初段免状贈呈 - スポニチ Sponichi Annex 社会 |url=https://www.sponichi.co.jp/society/news/2021/12/12/kiji/20211212b00042000005000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-12-12 |accessdate=2021-12-12 |language=ja}}</ref>。前年より参加人数の増えた「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」でも決勝まで勝ち進み、[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]・[[西口直人]]との対局を勝利して連覇を達成。「球王」の称号を防衛した<ref>{{Cite web|和書|title=初代「球王」の中日・平田が連覇を達成!決勝で楽天・西口に勝利 第2回プロ野球最強将棋王決定戦 - スポニチ Sponichi Annex 芸能 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/12/12/kiji/20211212s000413F2453000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-12-12 |accessdate=2021-12-12 |language=ja}}</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
174行目: 178行目:
|1227||4448||3900||534||1046||192||31||105||1615||484||41||31||18||24||479||12||27||726||87||.268||.350||.414||.764
|1227||4448||3900||534||1046||192||31||105||1615||484||41||31||18||24||479||12||27||726||87||.268||.350||.414||.764
|}
|}
* 2022年度シーズン終了時


=== WBSCプレミア12での打撃成績 ===
=== WBSCプレミア12での打撃成績 ===
254行目: 257行目:
|1125||1963||58||10||11||.995
|1125||1963||58||10||11||.995
|}
|}
* 2022年度シーズン終了時
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* '''太字年'''は[[ゴールデングラブ賞]]受賞
* '''太字年'''は[[ゴールデングラブ賞]]受賞


=== 表彰 ===
=== 表彰 ===
;NPB
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回(外野手部門:2015年)
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回(外野手部門:2015年)
* [[ゴールデングラブ賞]]:1回(外野手部門:2018年)
* [[ゴールデングラブ賞]]:1回(外野手部門:2018年)
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:1回(野手部門:2011年6月)
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:1回(野手部門:2011年6月)
* 月間[[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞|サヨナラ賞]]:1回(2015年3・4月)
* 月間[[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞|サヨナラ賞]]:1回(2015年3・4月)

; NPB以外
* [[ドラゴンズクラウン賞]]:優秀選手賞2回(2015年<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201509/CK2015091702000118.html |title=大野、クラウン賞 初受賞に「感謝」 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2015年9月17日 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20151023021150/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201509/CK2015091702000118.html |archive-date=2015-10-23}}</ref>、2018年<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/58879 |title=ビシエドがクラウン賞 残り9戦 CSに導く! |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2018-09-19 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228103938/https://www.chunichi.co.jp/article/58879 |archive-date=2022-12-28}}</ref>)、特別賞1回(2011年<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201110/CK2011101802000008.html |title=浅尾、クラウン賞 |access-date=2022-12-28 |publisher=中日新聞社 |date=2011-10-18 |website=中日スポーツ |archive-date=2011-10-22 |archive-url=https://web.archive.org/web/20111021173324/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201110/CK2011101802000008.html}}</ref>)


=== 記録 ===
=== 記録 ===
; 初記録
; 初記録
* 初出場:2006年8月26日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]12回戦([[ナゴヤドーム]])、9回裏に[[英智]]の代打で出場
* 初出場:2006年8月26日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]12回戦([[ナゴヤドーム]])、9回裏に[[英智]]の代打で出場<ref name="chuspo20060827" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2006/games/s2006082601367.html |title=2006年8月26日 【公式戦】 試合結果 (中日vs横浜) |access-date=2022-12-28 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228083646/https://npb.jp/bis/2006/games/s2006082601367.html |archive-date=2022-12-28}}</ref>
* 初打席:同上、9回裏に[[木塚敦志]]から三ゴロ
* 初打席:同上、9回裏に[[木塚敦志]]から三ゴロ<ref name="chuspo20060827" />
* 初先発出場:2007年10月4日、対[[広島東洋カープ]]24回戦(ナゴヤドーム)、7番・[[中堅手]]で先発出場
* 初先発出場:2007年10月4日、対[[広島東洋カープ]]24回戦(ナゴヤドーム)、7番・[[中堅手]]で先発出場<ref name="npb試合結果20071004" /><ref name="nagoyanikkan200710050957" />
* 初打点:同上、11回裏に[[林昌樹]]から押し出し死球
* 初打点:同上、11回裏に[[林昌樹]]から押し出し死球<ref name="npb試合結果20071004" /><ref name="nagoyanikkan200710050957" />
* 初安打:2007年10月6日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]24回戦([[明治神宮野球場]])、1回表に[[松井光介]]から右前2点適時打
* 初安打:2007年10月6日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]24回戦([[明治神宮野球場]])、1回表に[[松井光介]]から右前2点適時打
* 初本塁打:2008年9月7日、対横浜ベイスターズ17回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に[[浅尾拓也]]の代打で出場、[[横山道哉]]から右越サヨナラソロ ※プロ初本塁打が代打サヨナラは史上7人目
* 初本塁打:2008年9月7日、対横浜ベイスターズ17回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に[[浅尾拓也]]の代打で出場、[[横山道哉]]から右中間越サヨナラソロ<ref name="chuspo20080908" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2008/games/s2008090701444.html |title=2008年9月7日 【公式戦】 試合結果 (中日vs横浜) |access-date=2022-12-28 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221228082702/https://npb.jp/bis/2008/games/s2008090701444.html |archive-date=2022-12-28}}</ref> {{要出典|date=2022年12月|範囲=※プロ初本塁打が代打サヨナラは史上7人目}}
* 初盗塁:2011年8月18日、対[[読売ジャイアンツ]]12回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に二盗(投手:[[ジョナサン・アルバラデホ]]、捕手:[[阿部慎之助]])
* 初盗塁:2011年8月18日、対[[読売ジャイアンツ]]12回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に二盗(投手:[[ジョナサン・アルバラデホ]]、捕手:[[阿部慎之助]])
; 節目の記録
; 節目の記録
298行目: 304行目:
* 「[[君さえいれば (DEENの曲)|君さえいれば]]」[[DEEN]](2015年)
* 「[[君さえいれば (DEENの曲)|君さえいれば]]」[[DEEN]](2015年)
* 「Fight against yourself」[[ROOKiEZ is PUNK'D]](2016年‐2017年、2022年途中 - )
* 「Fight against yourself」[[ROOKiEZ is PUNK'D]](2016年‐2017年、2022年途中 - )
** 同バンドのボーカル&ギターであり中日ファンであるSHiNNOSUKEが、平田のために書き下ろした曲<ref>{{Cite web |url=https://gekirock.com/news/2016/03/rookiez-is-punkd_fight-against-yourself.php |title=ROOKiEZ is PUNK'D、新曲「Fight against yourself」が中日ドラゴンズ 平田良介選手の入場テーマに決定! |publisher=激ロック‐ラウドロック・ポータル |date=2016-03-24 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。
** 同バンドのボーカル&ギターであり中日ファンであるSHiNNOSUKEが、平田のために書き下ろした曲<ref>{{Cite web|和書|url=https://gekirock.com/news/2016/03/rookiez-is-punkd_fight-against-yourself.php |title=ROOKiEZ is PUNK'D、新曲「Fight against yourself」が中日ドラゴンズ 平田良介選手の入場テーマに決定! |publisher=激ロック‐ラウドロック・ポータル |date=2016-03-24 |accessdate=2021-08-15}}</ref>。
* 「[[ディス・イズ・ミー (キアラ・セトルの曲)|This is Me]](映画『[[グレイテスト・ショーマン]]』より)」[[キアラ・セトル]]&ザ・グレイテスト・ショーマン・アンサンブル(2018年)
* 「[[ディス・イズ・ミー (キアラ・セトルの曲)|This is Me]](映画『[[グレイテスト・ショーマン]]』より)」[[キアラ・セトル]]&ザ・グレイテスト・ショーマン・アンサンブル(2018年)
* 「[[ウィ・ウィル・ロック・ユー|WE WILL ROCK YOU]]」[[クイーン (バンド)|QUEEN]](2019年 - 2020年)
* 「[[ウィ・ウィル・ロック・ユー|WE WILL ROCK YOU]]」[[クイーン (バンド)|QUEEN]](2019年 - 2020年)
* 「[[お願いマッスル]]」[[ファイルーズあい]]・[[石川界人]](2021年 - )<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/223290 |title=33歳になった平田“復活ボディー”で広島・大瀬良打ち!登場曲『お願いマッスル』で筋肉フル稼働だ【中日】 |publisher=中日スポーツ |date=2021-03-24 |accessdate=2021-08-15}}</ref>
* 「[[お願いマッスル]]」[[ファイルーズあい]]・[[石川界人]](2021年 - )<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/223290 |title=33歳になった平田“復活ボディー”で広島・大瀬良打ち!登場曲『お願いマッスル』で筋肉フル稼働だ【中日】 |publisher=中日スポーツ |date=2021-03-24 |accessdate=2021-08-15}}</ref>


=== 代表歴 ===
=== 代表歴 ===
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=== 出演 ===
=== 出演 ===
* プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信<ref>{{Cite web |title=中日・平田、球界の将棋王初代“球王”に就位!巨人・丸との決勝戦棋譜公開 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/23/kiji/20201223s000413F2259000c.html |website=スポニチアネックス |accessdate=2021-03-15 |date=2020-12-23}}</ref>
* プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信<ref>{{Cite web|和書|title=中日・平田、球界の将棋王初代“球王”に就位!巨人・丸との決勝戦棋譜公開 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/23/kiji/20201223s000413F2259000c.html |website=スポニチアネックス |accessdate=2021-03-15 |date=2020-12-23}}</ref>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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}}
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{{中日ドラゴンズ2005年ドラフト指名選手}}
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2024年4月29日 (月) 06:38時点における版

平田 良介
エースファクトリーベースボールクラブ #5
中日ドラゴンズ時代
(2009年3月31日、ナゴヤ球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市城東区
生年月日 (1988-03-23) 1988年3月23日(36歳)
身長
体重
177[1] cm
92[1] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2006年8月26日[2]
最終出場 2022年9月17日[3]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本代表
WBC 2017年
プレミア12 2015年
獲得メダル
男子 野球
日本の旗 日本
WBSCプレミア12
2015

平田 良介(ひらた りょうすけ、1988年3月23日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。ワンエイトプロモーション所属。

経歴

プロ入り前

小学1年から「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代はボーイズリーグの「大阪北」および「大阪都島」に所属。萬谷康平とは家が道を挟んで2軒隣という幼なじみであり、小学1年から中学1年まで同じ少年野球チームに所属していた[4]

大阪桐蔭高校では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任された。高校時代は辻内崇伸と同期で、辻内の話では、平田の名前はすでに大阪一円で知れ渡っており肉体的にも入学時で完成していたため1年生で唯一入学直後から上級生に交じっての練習参加を許されたという[5][6]。なお、平田3年時の1年生に中田翔岡田雅利がいた。高校通算70本塁打を記録。

2年時には第76回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦の二松学舎大付戦で本塁打を打ち、また3年時に出場した第87回全国高等学校野球選手権大会の準々決勝・東北戦では、PL学園清原和博以来の1試合3本塁打を記録した。その後、準決勝で田中将大(当時2年生)擁する駒大苫小牧と対戦。しかし先発の田中に4打数無安打に封じ込められ、チームも延長戦の末敗退した。甲子園通算5本塁打は史上4位[要出典]

9月にアジアAAA選手権における韓国戦で右肩を亜脱臼したため手術する予定だった[7][8]が、予想以上に右肩の状態が良化し、手術は受けなかった。

2005年高校生ドラフト中日ドラゴンズに1巡目指名された[9]。11月12日に契約金1億円、年俸840万円で仮契約を結んだ[10]背番号は自身の希望で[10]8に決まった[11]

中日時代

2006年1月9日に中日ドラゴンズ選手寮に入所[12]。8月26日に初の一軍昇格を果たすと、同日の横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)の9回裏に英智の代打として、プロ初出場を果たした[2]。結果は初球を打ち三塁ゴロだった(投手:木塚敦志[2]。8月29日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でも5回表に中田賢一の代打として出場したが、空振り三振に倒れた(投手:井川慶[13][14]

2007年は、10月4日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)に「7番・中堅手」として[15][16]プロ初のスタメン出場し、延長11回裏一死満塁の場面で死球を受けたことでプロ初打点を挙げる[17]。10月6日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、プロ初安打を打つ[18]。翌7日の対横浜戦では3安打を打ち、初の猛打賞を記録[19]。終盤の活躍と堅実な守備が買われ、その年にセンターでスタメン出場することが多かった英智の故障もありクライマックスシリーズにおいては全試合スタメンで起用される。日本シリーズでもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では安打を打ち[20]、第5戦においては北海道日本ハムファイターズの先発投手のダルビッシュ有から犠飛を打ち[21]、この試合唯一の打点を挙げた[20]。なおこの試合に1-0で勝ち[22]、この打点は日本一を決める決勝点となり、球団として前回1954年の日本一の際の井上登と同じく、高卒2年目の野手が日本一を決める決勝点を挙げたことになった。この犠飛はストレートを打った[21]のだが「スライダーを投げられていたら打てなかった」と後に語っている。日本シリーズでの活躍が認められて12月の球団主催によるハワイへの優勝旅行にも参加する予定だったが出発前日の練習中に足を捻挫し、急遽参加を取りやめた[23]

2008年の春季キャンプは前述の足の捻挫もあって二軍スタートだったものの、第4クールで一軍に合流。森野将彦が故障で離脱したこともあり、ほとんどのオープン戦にセンターでスタメン出場。森野の代わりとして開幕スタメン入りも確実視されたが、森野が開幕までに回復し、またオープン戦での成績も相まって、開幕一軍入りとはならなかった。5月16日には森野の怪我による離脱で、二軍で83打数15安打、打率.181、2本塁打と、調子が上がらない中、このシーズン初の一軍昇格、その日の対横浜戦で即スタメン起用された。しかし目立った活躍は見られず5月26日に二軍に降格した。6月11日に再昇格。9月7日の横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏一死の場面に代打で登場し、横山道哉から一軍でのプロ初本塁打を打つ[24]。これが同時にサヨナラの殊勲打となった[25]。その後もシーズン終了まで一軍に定着。主に代打で起用された。シーズン終了後の秋季キャンプでは故障離脱してしまい、春季キャンプの二軍スタートが決まる。

2009年は、前述の通り春季キャンプは二軍スタートとなった。一軍に合流することなくキャンプは終了し教育リーグに向かうことになったが、3月17日の阪神との練習試合で一軍に合流。プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たす。藤井淳志小池正晃、新人の野本圭と外野のポジションを争うことになると思われたが、シーズンが始まると代打でも結果が残せず、4月15日に二軍に降格した。その後8月に一度登録されるが、勝負所での併殺打や三振を繰り返し、9月に再び抹消された。最終的には前年の59試合出場を下回る42試合に留まるが、打率.271・2本塁打・9打点を記録した。

2010年は、新人の大島洋平や2年目の野本などとの競争に勝てず大半を二軍で過ごし、日本シリーズでも活躍できずに終わった。オフに背番号8を大島が付けることになったため、西川明の退団で空き番号になっていた40に変更。

2011年は開幕こそ二軍も5月5日に一軍昇格。5月18日の千葉ロッテマリーンズ戦では同点本塁打、5月22日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では自身初の4安打を記録。6月4日の対埼玉西武ライオンズ戦では9回裏の同点打に加え、延長11回裏に野上亮磨から2008年以来、自身2本目となるサヨナラ本塁打を打った。さらに、その翌6月5日の対ロッテ戦では、9回裏に薮田安彦から2日連続のサヨナラ本塁打を打った。個人の2試合連続サヨナラ本塁打は2002年松井稼頭央(西武)以来8人目。セ・リーグでは1988年のダグ・デシンセイ(ヤクルト)以来23年ぶり。中日では初の出来事である[26][27]。また前述の活躍もあり6月の月間MVPを初受賞。チームの野手としても2009年6月の和田一浩以来2年ぶりの受賞となった。リーグ優勝が決定した翌日に行われた10月19日の対ヤクルト戦ではプロ入り後初めて4番打者を務めた。中盤以降は調子を落とし1か月以上本塁打が出ない時期などありスタメンを外れる試合も増えたが、最終的には113試合に出場し、打率.255、11本塁打、38打点の成績を残す。守備でもリーグ3位の8補殺を記録するなど、チームのリーグ連覇に貢献した。

2012年は初の開幕スタメンに名を連ね3月30日の開幕戦ではチーム第1号の本塁打を記録[28]。主に7番を打っていたがその後、森野将彦の故障により3番を打つこともあった。しかし5月にぎっくり腰を患い二軍落ちを経験した[29]。最終的には本塁打は前年と同じく11本だったが、安定感を欠き打率.216と低迷し、出場試合数も前年より減った。オフに年俸2900万円(100万円減)で翌年の契約を結んだ[30]

2013年は開幕一軍を勝ち取ったものの松井佑介にスタメンを奪われると、33打席で1本もヒットを打てずに登録抹消された。5月10日に昇格を果たしても暫くは結果が出ていなかったが、6月23日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では2回に先制のソロ本塁打(シーズン初本塁打)、7回にはダメ押しとなる3点本塁打を打ち、チーム3年ぶりとなる1試合4本塁打のうちの2本を打って勝利に貢献した[31][32]。その後は右翼レギュラーに定着し最終的に規定打席には及ばなかったがこれまででいずれも自己最高の打率.289、15本塁打、55打点を記録した。オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[33]。また背番号の変更が発表され、井端弘和の退団により空き番となった6を付けることになった。

2014年にはオープン戦から4番・右翼手で固定されてシーズンを迎える。序盤は好調を維持していたものの長くは続かず、交流戦から6番に下がる。6月27日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で邪飛を追った際に左足首を捻挫[34]し、約1か月間戦列を離れたものの、プロ9年目にして初めて規定打席に到達した。

2015年7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出されたことが発表された[35]。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたことが発表された[36]。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたことが発表された[37]。11月26日、球団納会で谷繁元信監督より翌年の主将に任命された[38]。中日ドラゴンズでは1994年の仁村徹以来のキャプテン就任となる。この年、自身初のベストナインに選ばれた。

2016年開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。6月18日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)で10号本塁打を打ち、6年連続2桁本塁打を記録[39]。9月14日に右肩痛で一軍登録を抹消された[40]。シーズン途中にFA権を取得したが、11月5日にFA権を行使せず残留を表明した[41]

2017年、1月24日に2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に招集されたことが発表され、大会では2試合に出場した。レギュラーシーズンでは右膝の故障に悩み、66試合の出場に留まった。

2018年は序盤こそ不調だったものの5月に月間打率.431を記録すると、その後も一時は打率トップに立つなど安定して好調を維持[42]。同僚のダヤン・ビシエドらと首位打者争いを演じた[43]。その打率の高さを買われて1番で出場することも多く[43]、1番右翼として出場した8月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦では第1打席に先頭打者本塁打を放つと、その後の打席でも二塁打2本、三塁打、単打を記録し、史上68人目のサイクル安打を達成した[44]。最終的には自己最高の打率.329を記録し、また自身初のゴールデングラブ賞を受賞した[45]

2019年も序盤からほぼ1番で起用された。しかし5月17日に左足の違和感で途中交代し、その後、検査で左下腿の肉離れと診断された[46]。7月20日対DeNA戦(横浜スタジアム)の4回表に石田健大から本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を記録した[47]。しかし8月14日の対阪神戦で右手首に死球を受け途中交代した[48]。その後も一軍に帯同したが、治療に専念するために8月21日に一軍登録を抹消された[49]。9月10日に一軍復帰し、残りのシーズンを一軍で過ごしたが、最終的には95試合の出場に終わった。

2020年は開幕一軍スタートとなった[50]が、6月24日に18打数1安打と不振でスタメンを外れた[51]。その後も打率.164と不振が続いた[52]ほか、右肘痛を発症した[53]こともあり7月20日に一軍登録を抹消された[52][53]。その後8月23日に再び一軍登録されると、同日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で追加点となる2点適時二塁打を打った[54]。9月9日の巨人戦(ナゴヤドーム)で通算1000安打を達成[55]。9月21日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では1年ぶりとなる1試合4安打を記録した[56]が、9月26日、下肢のコンディション不良で一軍登録を抹消[57]。10月29日に再び一軍登録された[58]が、この年は2度の登録抹消もあり、55試合出場でシーズンを終えた。

2021年は開幕一軍入りしたが、21試合で打率.155、0本塁打、4打点と打撃不振により、4月28日に登録抹消された[59]。以降は二軍で調整していたが、7月4日に体調を崩し喘息、「異型狭心症」と診断された[60][61]。そのため一軍定着後最少の21試合出場に留まった[61]。5年契約の5年目が終了し、1億5000万円減となる推定年俸3000万円で契約を更改した[62]

2022年も開幕一軍を迎え、代打や代走での起用が続くが、5月10日に新型コロナウィルスの陽性判定を受け登録抹消となった[63]。7月12日に一軍に復帰[64][65]すると、7月16日の阪神戦(阪神甲子園球場)で2年ぶりに本塁打を打った[66]。その後9月19日に再び登録抹消された[3]が、シーズン終盤には翌年の戦力構想外となっていることが明らかになった[67]。10月4日に戦力外通告を受け、NPBでの現役続行を希望し[68]独立リーグ社会人野球からのオファーはあったものの[69]、NPB球団からオファーはなく、12月28日に現役引退を発表した[3][70]

中日退団後

中日退団後の翌2023年1月29日にYouTubeチャンネル「エースファクトリーエンタメチャンネル」に出演し、複数の独立リーグ球団や社会人野球からオファーがあったが、大阪を拠点に活動するエースファクトリーベースボールクラブに入団し、軟式野球に転向することを表明[71]。なお、同チームの入団に当たっては平田の幼馴染の萬谷からの誘いによるものであることが明かされ、共にプレーを続ける[71]。同年2月3日に学生野球資格を回復した事が公表された[72]。その傍らTBSチャンネルの野球解説者としても並行して活動する。

選手としての特徴

高校通算70本塁打[73]。勝負強さを感じる打撃でレギュラーを掴めたといわれる実力者[74]50メートル5秒7の俊足と遠投110メートルの強肩を併せ持つ[75]。2011年の春季キャンプには当時監督の落合博満と打撃コーチの石嶺和彦の指導により打法を改造している[76]。目深にヘルメットを被るのもトレードマークである。2011年以降はオレンジ色のバットを使用している。

落合からはドラフト時に「この年のドラフトで俺が認めたのは平田だけ。そういう選手がいない年だってある。あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と高く評価され[77]、守備についても「ドラゴンズの外野守備でいちばんうまい」と賛辞を送られている[78]

人物

大の漫画好きで、少年漫画だけでなく少女漫画も読む。大阪市の実家には約900冊のコレクションがあるほど。その中から『ドカベン』『涼風』をはじめ、手放せない愛読書を約200冊厳選して寮に持参した。

またかなりのゲーマーでもあり、特に『みんなのGOLF』『ウイニングイレブン』『実況パワフルプロ野球』シリーズはかなりやりこんでいる。『ウイニングイレブン』ではネット対戦で全国151位、『実況パワフルプロ野球』では同じく30位台まで上昇したことがあるという(いずれも本人の自己申告による)。『ウイニングイレブン』では「弱いチームで勝つ方がポイントがたまりやすい」という理由から主にFCコペンハーゲンでプレイしており、フォーメーションは守備重視の「6-3-1」をよく使う[76]

1歳年上の夫人がいる。経緯は2007年秋ごろから接する機会があり、そこから3年間の交際を経て2010年5月に婚姻届を提出した。同年12月には長男が誕生している。2013年には長女が誕生した。その夫人の影響でももいろクローバーZのファンになり、2013年からは打席時の登場曲に使用している。

大阪ドームが自宅から近かったこともあり、子どもの頃は近鉄バファローズのファンであった。当時好きだった選手として中村紀洋の名前を挙げており、中村の中日在籍時には、ファン目線で「ノリ」と呼びそうになったと語っている[79]

2009年の自主トレで、同じ大阪桐蔭高校出身の千葉ロッテマリーンズ(当時)の西岡剛北海道日本ハムファイターズ中田翔とトリオ「好奇心」結成。自主トレの数日前に西岡がクイズ!ヘキサゴンIIで「おバカキャラ」と位置づけされたのを踏まえて、「西岡さんはおバカキャラというか天然なんで…。羞恥心じゃなく好奇心でいきますよ」ここから好奇心が結成した(ちなみに3人の共通点はいずれも高校時代4番を担い、高卒でプロに入り、さらにドラフト1位指名で入団している)。

ヒーローインタビューで度々名言を残している。2011年の2戦連続サヨナラ本塁打の時には、6月4日は「明日はデーゲームですので、お酒は控えるようにして下さい」と、5日は「明日はナイターです。お酒をたんまり飲める、時間があります。しっかり飲んで、明日の6時プレイボールまでにお酒を抜いて応援して下さい」と、2日連続で「酒ネタ」を披露した。この「酒ネタ」は、その後のヒーローインタビューで、中日の他の選手(佐伯貴弘小田幸平小池正晃)にも使われた。

2014年からは上述の通り、落合が現役時代に付けていた背番号6を付けることになったが、会見ではそのことに触れられると「知らなかった」と発言。その上で「好きな番号だったので選んだ。自分なりの6番にしたい」と抱負を語った[80]。また東海ラジオのスポーツ番組出演時には当時GMの落合とのやり取りについても明かし、当初は背番号9を提示されるも前年まで同じ外野手の野本圭が背負っていたことを理由に固辞したと語った。次いで希望の番号を問われて6と答え、落合から「誰が着けてたか知ってるか?」と質問されたと語っている[79]

2015年からは、この年に加入した亀澤恭平遠藤一星とともに、ムードメーカーとしてチームを盛り上げている。元々は平田が「ファンの方に喜んでもらえるように」と亀澤に呼びかけ、得点が入った際に中継カメラに向かってパフォーマンスを披露するようになり[81]、後に遠藤も加わるようになった。

2015年8月1日の巨人戦にて、東京ドーム左翼席上にあるキリンビール一番搾り」看板に直撃する特大本塁打を打ち[82]キリンビールマーケティング株式会社より賞金100万円と「キリン一番搾り」1年分を贈呈された[83]

2018年オフ、新車では車両価格だけで3970万円すると言われる「ロールスロイスゴースト・ブラックバッジ」を新古で購入[84]。本人によると、子供の頃に新庄剛志のフェラーリを見たことがきっかけで「プロ野球選手になったら絶対高級車に乗ったると思ったんです」とのこと。テレビ番組では5000万円とも報道され、大きな話題となった[85]。プロ野球選手を引退後、2023年5月28日にTBSで放送された『THEプラチナリスト~スターが生まれた伝説の名簿~』で「見栄を張る必要がない」という理由でロールスロイスを売却したことを公表している[86]

2020年12月20日にニコニコ生放送で放送された企画「プロ野球×将棋特番」に出演。プロ野球界の将棋好き4選手(丸佳浩安田尚憲齋藤友貴哉)で争ったプロ野球最強将棋王決定戦で優勝し、「球王」の称号を与えられた[87][88]

2021年12月12日にニコニコ生放送で放送された「プロ野球×将棋特番2021」に出演。前回大会の実績と将棋文化普及の功績により渡辺明名人から日本将棋連盟の初段免状が授与された[89]。前年より参加人数の増えた「第2回プロ野球最強将棋王決定戦」でも決勝まで勝ち進み、楽天西口直人との対局を勝利して連覇を達成。「球王」の称号を防衛した[90]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 中日 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2007 3 13 12 1 4 0 0 0 4 3 0 1 0 0 0 0 1 4 0 .333 .385 .333 .718
2008 59 111 97 9 26 3 0 1 32 9 0 1 5 2 6 0 1 25 4 .268 .311 .330 .641
2009 42 95 85 13 23 7 3 2 42 9 0 0 0 1 8 0 1 19 2 .271 .337 .494 .831
2010 6 12 12 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .083 .083 .083 .167
2011 113 376 330 39 84 15 6 11 144 38 1 2 7 0 38 0 1 72 10 .255 .333 .436 .769
2012 91 301 269 28 58 4 1 11 97 32 1 0 1 2 28 1 1 59 9 .216 .290 .361 .651
2013 118 414 367 54 106 22 3 15 179 55 1 2 1 1 41 1 4 54 13 .289 .366 .488 .853
2014 119 488 429 55 119 17 1 11 171 65 7 2 0 4 54 0 1 65 13 .277 .357 .399 .755
2015 130 559 491 76 139 27 3 13 211 53 11 7 1 0 64 1 3 86 5 .283 .369 .430 .799
2016 118 494 416 61 103 24 1 14 171 73 4 2 0 4 72 1 2 89 5 .248 .358 .411 .769
2017 66 270 238 26 58 14 2 6 94 29 4 0 0 2 29 0 1 60 4 .244 .326 .395 .721
2018 138 568 493 83 162 26 5 9 225 55 8 7 2 3 67 4 3 69 7 .329 .410 .456 .866
2019 95 407 360 52 100 21 4 8 153 32 3 6 1 4 38 2 4 53 8 .278 .350 .425 .775
2020 55 193 166 26 39 7 0 3 55 17 0 1 0 1 24 2 2 33 4 .235 .337 .331 .668
2021 21 62 58 3 9 2 2 0 15 4 1 0 0 0 3 0 1 13 1 .155 .210 .259 .468
2022 51 83 75 8 15 3 0 1 21 10 0 0 0 0 7 0 1 20 2 .200 .277 .280 .557
NPB:17年 1227 4448 3900 534 1046 192 31 105 1615 484 41 31 18 24 479 12 27 726 87 .268 .350 .414 .764

WBSCプレミア12での打撃成績

















































2015 日本 8 30 26 4 11 3 1 0 16 6 1 1 0 0 4 0 0 2 0 .423 .500 .615

WBCでの打撃成績

















































O
P
S
2017 日本 2 2 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .000 .250 .000 0.250

年度別守備成績



外野












2007 中日 3 3 0 0 0 1.000
2008 35 39 1 1 0 .976
2009 28 41 0 0 0 1.000
2010 3 3 0 0 0 1.000
2011 109 181 8 0 1 1.000
2012 87 175 4 0 0 .982
2013 108 209 5 2 1 .991
2014 115 268 9 1 1 .996
2015 128 234 6 1 1 .996
2016 115 195 6 2 1 .990
2017 66 120 3 0 1 1.000
2018 134 217 9 1 3 .996
2019 94 147 5 2 2 .987
2020 51 74 2 0 0 1.000
2021 20 31 0 0 0 1.000
2022 29 26 0 0 0 1.000
通算 1125 1963 58 10 11 .995

表彰

NPB
NPB以外

記録

初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:2018年9月24日、対東京ヤクルトスワローズ24回戦(ナゴヤドーム)、1番・右翼手で先発出場 ※史上495人目
  • 100本塁打:2019年7月20日、対横浜DeNAベイスターズ12回戦(横浜スタジアム)、4回表に石田健大から左越ソロ ※史上294人目
  • 1000本安打:2020年9月9日、対読売ジャイアンツ17回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に田口麗斗から左中間越二塁打 ※史上307人目
その他の記録

背番号

  • 8(2006年 - 2010年、2017 WBC
  • 40(2011年 - 2013年)
  • 6(2014年 - 2022年)

登場曲

代表歴

関連情報

著書

出演

  • プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送)※YouTubeでは2021年2月に2回に分けて配信[100]

脚注

  1. ^ a b 平田 良介(中日ドラゴンズ)”. NPB.jp 日本野球機構 (2022年2月26日). 2022年2月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e 平田、“三ゴロ”デビュー 果敢!初球打ち”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2006年8月27日). 2008年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
  3. ^ a b c 平田良介が現役引退を決断 中日戦力外…NPB球団からのオファー届かず プロ生活17年でピリオド”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp). 中日新聞社 (2022年12月28日). 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
  4. ^ “育成出身2人目!万谷「魂を込めた」新人年プロ初勝利”. スポーツニッポン. (2014年6月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/06/23/kiji/K20140623008420180.html 2021年8月15日閲覧。 
  5. ^ 辻内崇伸、ドラフト1位の肖像「大阪桐蔭に入学した時、僕は平民以下の存在だった」”. ベースボールチャンネル (2020年4月6日). 2021年8月15日閲覧。
  6. ^ 読売ジャイアンツ 辻内 崇伸選手”. 高校野球ドットコム (2009年6月28日). 2023年9月10日閲覧。
  7. ^ 竜の高校生ドラフト1巡目・平田 右肩手術”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年12月10日). 2006年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
  8. ^ 平田・大阪桐蔭高、名古屋で“特別授業” 故障・右肩の強化法学ぶ”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年12月21日). 2007年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月29日閲覧。
  9. ^ 竜、1巡目に大阪桐蔭・平田 単独指名で交渉権”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年10月4日). 2005年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月28日閲覧。
  10. ^ a b 平田、落合監督超え宣言 背番号「8」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2005年11月13日). 2006年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月29日閲覧。
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関連項目

外部リンク