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エレクトリック[[フレットレスベース]]および[[アコースティックベース]]を演奏する日本人[[ベース奏者]]。また、彼の生み出す楽曲は非常に個性的であり、[[作曲家]]としての評価も高い。さらに[[プロデューサー]]としても多くのアルバムを世に送り出している。大阪市都島区出身。
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'''水野 正敏'''(みずの まさとし、[[1954年]]〈[[昭和]]29年〉[[5月7日]] - )は、[[日本]]の[[ベーシスト]]。エレクトリック[[フレットレスベース]]および[[アコースティックベース]]([[ウッドベース]])を演奏。[[音楽]][[プロデューサー]]としても多くの[[アルバム]]を世に送り出している。


== 略歴 ==
演奏家としての根幹にはジャズが強く感じられるが、ジャンルを超えた演奏活動を展開している。また、水野独自の作曲法 MIZUNO METHODにより作曲された楽曲は非常にユニークなためジャンル分けすることが難しく、水野ミュージックとも呼ばれる。
[[大阪市]]生まれ。[[大阪市立都島小学校]]、[[大阪市立都島中学校]]<ref name="vme">{{Cite web|和書|url=https://vme.co.jp/?p=327|title=水野正敏 VEGA Music Entertainment|publisher=VEGA Music Entertainment|language=日本語|accessdate=2020-11-05}}</ref>。[[大阪府立泉尾高等学校]]卒業、[[大阪デザイナー専門学校]]卒業<ref name="facebook">{{Cite web|和書|url=https://ja-jp.facebook.com/mizunomethod|title=水野 正敏 | Facebook|publisher=水野正敏([[Facebook]])|language=日本語|accessdate=2020-11-05}}</ref>。


== 人物 ==
高校時代はラグビー部に所属。デザイン専門学校生時代にエレクトリックベースと出会う。ベースの第一印象は「ギターの2弦が無いなんて・・・そんな簡単な楽器があったんか!?」だったとのこと。その後、[[上山崎初美]]氏にアコースティックベースを師事。人生最初の仕事は上山崎氏のトラ。
[[1970年]]([[昭和]]45年)から[[1972年]]まで、立体美術家集団「The PLAY」<ref>池水慶一を中心に[[1967年]]([[昭和]]42年)より[[関西]]を拠点に活動する美術家集団。メンバーは流動的で[[2016年]]([[平成]]28年)現在、池水のほか小林愼一、鈴木芳伸、二井清治、三喜徹雄[https://www.nmao.go.jp/exhibition/2016/play.html | 展覧会 | NMAO:国立国際美術館]。</ref>にて活動、「京都ビエンナーレ展」等に参加した<ref name="book">[[「BOOK」データベース]]著者紹介情報</ref>。


[[1974年]]19歳の時に[[ベース (弦楽器)|ベース]]を手にして翌[[1975年]]20歳で[[プロフェッショナル|プロ]]・ベーシストとして[[デビュー]]。大阪にてJazzLive House「loft 6」「Duke」「Royal Horse」のレギュラー・ベースとして活動。[[1984年]]に上京、[[1987年]]親善大使としてアフリカ・ツアーにも参加した<ref name="book" />。
関西圏の[[キャバレー]]での箱バンからプロとしてのキャリアをスタートする。プロフィールにも記載されているが、実際にベースを手にしてから、プロになるまでの期間はおよそ一年間だったという。この一年間という期間に対して懐疑的な声もある。ただし、水野本人も言っているが「上手い下手」と「プロとアマ」はイコールではないし、キャバレーが多数あり演奏の仕事、つまりプロとして演奏するという機会が現在よりも遥かに多かったという時代背景も考慮してみれば、あながち現実味の無い話でも無い。


[[村上秀一]]、[[佐山雅弘]]と[[村上秀一#PONTA_BOX と 3 VIEWS|PONTA_BOX]]を結成しメジャーデビュー<ref name="book" />。[[1994年]]([[平成]]6年)にアルバム[[PONTA BOX]]を発表した。
大阪時代はアコースティックベースの名手として名を馳せていた。敬愛する先人は[[スコット・ラファロ]]、[[ニールス・ペデルセン]]、[[レイ・ブラウン]]など。大阪時代を知る人間にとっては「[[ウッドベース]]の水野」という印象が強いという。


[[1995年]][[モントルー・ジャズ・フェスティバル]]に出演<ref name="book" />。ライヴ・アット・モントルー・ジャズを発表後にPONTA BOXを脱退したが、[[2014年]]の[[モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン・イン・かわさき]]に、Original Ponta Boxとして出演した。
また、当時エレクトリックベースでの[[スラッピング]]にも果敢に取り組んでいた。しかし、[[清水興]]氏と己を比較し「完全に勝つためにはスラッピングの練習を一日中せなならん。それに人生を費やすのは嫌だ」と判断、エレクトリックフレットレスベースで自己のスタイルを磨き上げる道を選択する。


現在までにFragileほか60超のユニットを結成。MIZUNO METHOD、A.P.J.、GG、≒3X3、Preface、Waftなどで活動しており、[[2019年]]([[令和]]元年)ミュージシャン30名による2枚組MIZUNO METHODも発表した<ref name="book" />。
大阪時代に数々のミューシャンと共演。また多くのバンドを結成し、それら殆どを解散させる。


=== プロデューサー、講師 ===
上京後はスタジオワーク、制作などの仕事をこなす。当時ドラマの音楽制作なども手がけている。
実践と理論を兼ね備えた数少ないプロデューサー・ベーシストとして「常に新しい試みに挑戦する」姿勢で作曲やプロデュースをしている<ref name="book" />。


スタジオワークや制作だけでなく、[[1988年]]([[昭和]]63年)から[[テレビドラマ]]や[[映画]]の音楽監督も務めており、[[TBSテレビ|TBS]]『[[別れぬ理由]]』や[[テレビ東京]]『[[水曜ミステリー9|水曜サスペンス劇場]]』、[[NNN|日本テレビ系列局]]『ウェークアップ』(現『[[ウェークアップ!ぷらす]]』のテーマ曲なども担当した<ref name="vme" />。
1994年にアルバム[[PONTA BOX]]を発表、好セールスを記録しメジャーシーンへ登場。この年初登場した[[ベースマガジン]]のインタビューで水野は、自分のベースを所有しておら弟子のベースを借用し[[レコーディング]]望んだと語っている。また同時にモニターしてくれるメーカーを募集していると語り、その直後に[[ESP]]とモニター契約を結んでいる。


[[1987年]]まで甲陽音楽学院、[[キャットミュージックカレッジ専門学校]](CAT)、アン・コンテンポラリーミュージックなどで講師を担当。[[2004年]]([[平成]]16年)水野式ベース道場を開講し、後進の育成に努めている<ref name="book" />。
ライヴ・アット・モントルー・ジャズ を発表後にPONTA BOXを脱退。脱退の理由については公にされていない。


[[1994年]]([[平成]]6)に初登場したベースマガジンの[[インタビュー]]で水野は、自分のベースを所有ず弟子のベースを借てレコーディングに臨み、モニターしてくれるメーカーを募集していると語り、その直後に[[イーエスピー|ESP]]とモニター契約を結んでいる。
脱退後、多くのバンド、ユニットを結成し、年に6枚のペースでアルバムを発表、また雑誌への寄稿、教則本、教則ビデオも数多い。ライブで見せる気の抜けたような緩い[[MC]]からは想像できない、その強烈な実行力、実現力はミュージシャン界で肩を並べるものはいない。その実態が見えにくいキャラクターから「[[妖怪]]」と呼ばれている。なお水野を支持するファンは水野マニア、略して水マニと呼ばれている。


== 主な著作 ==
一時「エレキベースで4ビートを弾く事を唯一許された男」といったコピーを使用し物議をかもし出した。現在その類のコピーは使用していない。
オリジナル曲は200曲超、発表CD・DVDは70枚。教則本17冊、教則DVD5枚も出している<ref name="book" />。
=== 主な著書 ===
* 『ロックベーシストのためのジャズ講座』([[リットーミュージック]]、[[1998年]])
* 『水野正敏が斬る!ベース理論クリニック』([[シンコーミュージック]]、[[2003年]])
* 『水野正敏が斬る!ベース実践理論クリニック』(シンコーミュージック、[[2005年]])

* 『カタチで覚えるベース・ソロ シールに沿ってひたすら弾くだけ!』(リットーミュージック、[[2007年]])
* 『水野式 作曲メソッド解体新書』(シンコーミュージック、2007年)
* 『ベースライン超入門塾 読み方、弾き方、作り方』(シンコーミュージック、[[2008年]])
* 『見て・盗る! ベース・クリニック』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2008年)
* 『水野式 ベーシストのためのスラスラ譜読み塾』(シンコーミュージック、[[2009年]])
* 『水野式 ベーシストのための指板図理論講座』(シンコーミュージック、[[2010年]])
* 『水野式 ベース・ライン入門講座』(シンコーミュージック・エンタテイメント、[[2011年]])
* 『水野式 ベーシスト演奏向上解体新書』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2011年)
* 『水野式 ウォーキング・ベース・ライン辞典 』(シンコーミュージック、[[2013年]])
* 『水野式 ジャズ・セッションのルールブック』(シンコーミュージック、[[2015年]])
* 『水野式 アドリブに役立つ曲のコード・スケール・アナライズ』(シンコーミュージック、[[2016年]])
* 『水野式 ウォーキング・ラインのルールブック』(シンコーミュージック、[[2017年]])
* 『解いて学ぶ! 水野式コード理論ドリル』(シンコーミュージック、[[2018年]])
* 『水野式 ベースの新指板図理論塾』(シンコーミュージック、[[2019年]])
* 『水野式 音楽現場で困らないベース理論実践ガイド』(シンコーミュージック、[[2020年]])
* 『水野式 音楽理論のトリック』(シンコーミュージック・エンタテイメント、[[2021年]])
=== 教則DVD ===
* 『ウォーキング・ベースの常套句』(教則DVD、リットーミュージック、2005年)
=== 監修 ===
* 『解いて学ぶ! マリ Style リズム・ドリル』([[桝谷マリ]]著、シンコーミュージック、2018年)

== 脚注 ==
{{reflist}}

== 関連項目 ==
* [[大阪府立泉尾高等学校]]
* [[大阪デザイナー専門学校]]
* [[村上秀一]]、[[佐山雅弘]] - [[村上秀一#PONTA_BOX と 3 VIEWS|PONTA_BOX]]

== 外部リンク ==
* [https://www.mizunomethod.com/ MIZUNO・METHOD][https://web.archive.org/web/20000925193548/http://home.interlink.or.jp/~mizuno/]
* [http://www.uprize.jp/fragile/ FRAGILE official web site]
* [https://mizuno-dojyo.blogspot.com/ 水野式 ベース道場]
* [https://mizuno-netatubo.blogspot.com/ 水野正敏のネタの壺]

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2024年4月29日 (月) 19:37時点における最新版

水野 正敏(みずの まさとし、1954年昭和29年〉5月7日 - )は、日本ベーシスト。エレクトリックフレットレスベースおよびアコースティックベースウッドベース)を演奏。音楽プロデューサーとしても多くのアルバムを世に送り出している。

略歴

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大阪市生まれ。大阪市立都島小学校大阪市立都島中学校[1]大阪府立泉尾高等学校卒業、大阪デザイナー専門学校卒業[2]

人物

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1970年昭和45年)から1972年まで、立体美術家集団「The PLAY」[3]にて活動、「京都ビエンナーレ展」等に参加した[4]

1974年19歳の時にベースを手にして翌1975年20歳でプロ・ベーシストとしてデビュー。大阪にてJazzLive House「loft 6」「Duke」「Royal Horse」のレギュラー・ベースとして活動。1984年に上京、1987年親善大使としてアフリカ・ツアーにも参加した[4]

村上秀一佐山雅弘PONTA_BOXを結成しメジャーデビュー[4]1994年平成6年)にアルバムPONTA BOXを発表した。

1995年モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演[4]。ライヴ・アット・モントルー・ジャズを発表後にPONTA BOXを脱退したが、2014年モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン・イン・かわさきに、Original Ponta Boxとして出演した。

現在までにFragileほか60超のユニットを結成。MIZUNO METHOD、A.P.J.、GG、≒3X3、Preface、Waftなどで活動しており、2019年令和元年)ミュージシャン30名による2枚組MIZUNO METHODも発表した[4]

プロデューサー、講師

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実践と理論を兼ね備えた数少ないプロデューサー・ベーシストとして「常に新しい試みに挑戦する」姿勢で作曲やプロデュースをしている[4]

スタジオワークや制作だけでなく、1988年昭和63年)からテレビドラマ映画の音楽監督も務めており、TBS別れぬ理由』やテレビ東京水曜サスペンス劇場』、日本テレビ系列局『ウェークアップ』(現『ウェークアップ!ぷらす』のテーマ曲なども担当した[1]

1987年まで甲陽音楽学院、キャットミュージックカレッジ専門学校(CAT)、アン・コンテンポラリーミュージックなどで講師を担当。2004年平成16年)水野式ベース道場を開講し、後進の育成に努めている[4]

1994年平成6年)に初登場したベースマガジンのインタビューで水野は、自分のベースを所有せず弟子のベースを借りてレコーディングに臨み、モニターしてくれるメーカーを募集していると語り、その直後にESPとモニター契約を結んでいる。

主な著作

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オリジナル曲は200曲超、発表CD・DVDは70枚。教則本17冊、教則DVD5枚も出している[4]

主な著書

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  • 『カタチで覚えるベース・ソロ シールに沿ってひたすら弾くだけ!』(リットーミュージック、2007年
  • 『水野式 作曲メソッド解体新書』(シンコーミュージック、2007年)
  • 『ベースライン超入門塾 読み方、弾き方、作り方』(シンコーミュージック、2008年
  • 『見て・盗る! ベース・クリニック』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2008年)
  • 『水野式 ベーシストのためのスラスラ譜読み塾』(シンコーミュージック、2009年
  • 『水野式 ベーシストのための指板図理論講座』(シンコーミュージック、2010年
  • 『水野式 ベース・ライン入門講座』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2011年
  • 『水野式 ベーシスト演奏向上解体新書』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2011年)
  • 『水野式 ウォーキング・ベース・ライン辞典 』(シンコーミュージック、2013年
  • 『水野式 ジャズ・セッションのルールブック』(シンコーミュージック、2015年
  • 『水野式 アドリブに役立つ曲のコード・スケール・アナライズ』(シンコーミュージック、2016年
  • 『水野式 ウォーキング・ラインのルールブック』(シンコーミュージック、2017年
  • 『解いて学ぶ! 水野式コード理論ドリル』(シンコーミュージック、2018年
  • 『水野式 ベースの新指板図理論塾』(シンコーミュージック、2019年
  • 『水野式 音楽現場で困らないベース理論実践ガイド』(シンコーミュージック、2020年
  • 『水野式 音楽理論のトリック』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2021年

教則DVD

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  • 『ウォーキング・ベースの常套句』(教則DVD、リットーミュージック、2005年)

監修

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  • 『解いて学ぶ! マリ Style リズム・ドリル』(桝谷マリ著、シンコーミュージック、2018年)

脚注

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  1. ^ a b 水野正敏 VEGA Music Entertainment”. VEGA Music Entertainment. 2020年11月5日閲覧。
  2. ^ 水野 正敏”. 水野正敏(Facebook). 2020年11月5日閲覧。
  3. ^ 池水慶一を中心に1967年昭和42年)より関西を拠点に活動する美術家集団。メンバーは流動的で2016年平成28年)現在、池水のほか小林愼一、鈴木芳伸、二井清治、三喜徹雄| 展覧会 | NMAO:国立国際美術館
  4. ^ a b c d e f g h 「BOOK」データベース著者紹介情報

関連項目

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外部リンク

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