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'''エディ・ジョブソン'''('''Edwin (Eddie) Jobson'''、[[1955年]][[4月28日]]- )は[[イギリス]]出身の[[キーボード (楽器)|キーボード]]・[[ヴァイオリン]]奏者。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
=== バンド活動期 ===
[[1972年]]末、[[カーヴド・エア]]に[[ダリル・ウェイ]]の後任として加入し、プロ・ミュージシャンとしてのキャリアを開始する。[[1973年]]には[[ロキシー・ミュージック]]に[[ブライアン・イーノ]]の後任として加入。その後[[フランク・ザッパ]]・アンド・マザーズを経て[[UK (バンド)|U.K.]]を結成。U.K.解散後は、[[ジェスロ・タル]]での客演を経て、[[1983年]]にソロ・アルバム「ZINC(グリーン・アルバム)」、[[1985年]]に「THEME OF SECRETS」を発表する。Private Music レーベルよりリリースされたPian OneにEddieが10代のときに作曲した3曲、Dark Room,Ballooning Over Texas、Disturbance In Viennaが収録されている。発表は前後するものの、Diaturbance In ViennaはもちろんTheme Of SecretsのMemories Of Viennaの原曲である。
[[1972年]]、[[カーヴド・エア]]に[[ダリル・ウェイ]]の後任として加入し<ref>{{Cite web |url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/12/AR2009081201594.html |title=Live! |publisher =washingtonpost.com |accessdate =2019-02-25}}</ref>、プロ・ミュージシャンとしてのキャリアを開始する。
 1992年、Korgのシンセサイザーを使ったミュージシャンのコンピレーションアルバムにおいてSketcth For Orchestra#4を発表した。


[[1973年]]、[[ロキシー・ミュージック]]に[[ブライアン・イーノ]]の後任として加入し{{Sfb|Buckley|2004|pp=138-140}}、1976年6月に解散が発表される{{Sfb|Buckley|2004|p=201}}まで在籍した。
その後はテレビ番組やCMの音楽制作を生業としていたが、1995年ごろ、U.K.再始動を計画する。しかし多忙な本業を抱えながらの制作は難航し、やがて再びジョン・ウェットンと仲違いをして計画は頓挫してしまう。このマテリアルは元々アルバムでフィーチャーされる予定だったブルガリアン・コーラスを前面に押し出した形でソロプロジェクトに活かされた。2007年末、ジョブソンは[[トレイ・ガン]](元[[キング・クリムゾン]])等と共にUKZを結成し、久々にバンドとしての活動を開始。[[2009年]]1月24日には、[[ニューヨーク]]で[[UKZ]]としての初のライヴを行った。同年6月には、ジョブソンにとって30年ぶりとなる来日公演が、東京、名古屋、大阪の三都市で行われた。2010年6月15,16,17日、大阪、東京でU-Z Projectを率いて再来日、公演。
 


[[1976年]]10月から1977年3月まで[[フランク・ザッパ]]のコンサート・ツアーに参加<ref group="注釈">ジョブソンは、ロキシー・ミュージックが1975年11月のアメリカ・ツアーでザッパ率いる[[マザーズ・オブ・インヴェンション|ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション]](MOI)と一緒になった時にザッパと出会った。そしてザッパの音楽への興味を示したところ、セッションに招待され、さらにMOIの12月7日のオンタリオ州ハミルトン公演と8日のモントリオール公演に招かれて客演した。1976年10月にザッパは、自分が率いるバンドの名前をMOIからザッパに変えて、ジョブソンを正式メンバーに迎えて次のツアーを開始した。</ref>{{Sfb|Miles|2004|pp=255-256}}{{Sfb|Ulrich|2018|pp=696-697}}。
== 概要 ==
人間的にも創作者としても我の強いタイプと言われており、U.K.や、リハーサルのみ参加した[[イエス (バンド)|イエス]]などでも、音楽性その他を巡って他のメンバーと対立したと伝えられている。


[[1977年]]、[[スーパーグループ]]・[[UK (バンド)|U.K.]]を結成。[[1979年]]の日本公演で初来日。
1984年、再結成してアルバム「[[ロンリー・ハート]] (90125)」の録音がほぼ完了していたイエスから[[トニー・ケイ]]が解雇されている。プロデューサーの[[トレヴァー・ホーン]]から嫌われていたとの噂があるが詳細は不明である。この時、[[リック・ウェイクマン]]、[[パトリック・モラーツ]]の往年のイエスのキーボード奏者に匹敵するスーパー・キーボード・プレイヤーとしてエディ・ジョブソンがイエスに招集されている。エディ・ジョブソンはレコーディングには参加しなかったが、大ヒットした「[[ロンリー・ハート]]」のビデオ・クリップの撮影には参加し、そのビデオ・クリップの中で彼の雄姿を見ることができる。ところが、イエスのマネージメント側が「これはあのイエスの再結成なのだ」というイメージで売る方針でトニー・ケイを呼び戻すことになり、エディ・ジョブソンは「イエスにキーボード・プレイヤーは2人いらない」と言ってイエスを脱退した。


1980年、U.K.解散後、[[ジェスロ・タル]]で客演。
== ディスコグラフィー ==

=== ソロ活動期 ===
[[1983年]]にエディ・ジョブソン&ズィンク名義のソロ・アルバム『[[ザ・グリーン・アルバム (エディ・ジョブソン&ズィンクのアルバム)|ザ・グリーン・アルバム]]』、[[1985年]]に『[[テーマ・オブ・シークレッツ]]』を発表する。同年、Private Music レーベルよりリリースされたコンピレーション・アルバム『ピアノ・ワン(Piano One)』<ref>{{Cite web |url=https://www.discogs.com/master/96854-Various-Piano-One |title=Discogs |access-date=2024年2月10日}}</ref>には、彼が10代のときに作曲した「Dark Room」「Ballooning Over Texas」「Disturbance In Vienna」<ref group="注釈">発表は前後するが、『テーマ・オブ・シークレッツ』に収録された「Memories Of Vienna」の原曲である。</ref>の計3曲が収録された。

[[1992年]]、[[コルグ|KORG]]のシンセサイザーを使ったミュージシャンのコンピレーション・アルバムで「Sketcth For Orchestra#4」を発表した。

=== U.K.の再始動 ===
その後はテレビ番組やCMの音楽制作を生業としていたが、[[1995年]]ごろU.K.の再始動を計画する。しかし多忙な本業を抱えながらの制作は難航し、やがて再び[[ジョン・ウェットン]]と仲違いをして計画は頓挫してしまう。このマテリアルは後にジョブソンのソロ・プロジェクトに活かされて、元々アルバムでフィーチャーされる予定だった[[ブルガリアン・ヴォイス アンジェリーテ]]を前面に押し出した形で取り上げられた。

[[2007年]]末、元[[キング・クリムゾン]]の[[トレイ・ガン]]らと[[UKZ]]を結成し、久々にバンドでの活動を開始。[[2009年]]1月24日には、[[ニューヨーク]]でUKZとしての初のライブを行った。同年6月には、彼にとって30年ぶりとなる日本公演が、東京、名古屋、大阪で行われた。

[[2010年]]6月、[[U-Zプロジェクト]](U-Z Project)を率いて再来日。15、16、17日に、大阪、東京で公演。

[[2013年]]11月に日本で行われたデビュー40周年記念公演では、初日の8日にウェットンをゲストに迎えてU.K.のアルバム2作を完全再現。9日と10日の公演では、彼のキャリアを俯瞰した選曲で、ウェットンに加えてカーヴド・エアの[[ソーニャ・クリスティーナ]]も客演した<ref>{{Cite web |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000098031 |title=エディ・ジョブソン、40周年記念公演とUK完全再現公演が映像化|publisher=Japan Music Network |work=[[BARKS]] |date=2013-12-27 |accessdate=2021-02-12}}</ref>。9日の公演の模様は、後にライブ・アルバムおよび映像作品『デビュー40周年記念特別公演 フォー・ディケイズ』としてリリースされている。

=== ライブ活動引退 ===
[[2017年]]、ライブ活動からの引退を表明。交通事故の怪我や、家族・友人・同僚を相次いで亡くし意欲が低下。ビジネス的な要因もあって決定を下したと語っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://amass.jp/95691/ |title=エディ・ジョブソン ライヴ・コンサート・ツアーからの引退を発表 |publisher=amass |date=2017-10-11 |accessdate=2023-11-20 }}</ref>。

[[2019年]]、ロキシー・ミュージックが[[ロックの殿堂]]入りを果たした。ジョブソンは8人の受賞者<ref group="注釈">ジョブソンの他、[[ブライアン・フェリー]]、ブライアン・イーノ、[[フィル・マンザネラ]]、[[:en:John_Gustafson_(musician)|ジョン・ガスタフソン]]、[[アンディ・マッケイ]]、[[グラハム・シンプソン]]、[[ポール・トンプソン (ミュージシャン)|ポール・トンプソン]]。</ref>の一人に選ばれ、授賞式に出席した。ヴァイオリニストの受賞者は、彼が最初である。

== 備考・補足 ==
人間的にも創作者としても我の強いタイプと言われており、U.K.やリハーサルのみ参加した[[イエス (バンド)|イエス]]でも、音楽性などを巡って他のメンバーと対立したと伝えられている。

1984年、再結成してアルバム『[[ロンリー・ハート]]』の録音をほぼ完了していたイエスから、キーボーディストの[[トニー・ケイ]]がプロデューサーの[[トレヴァー・ホーン]]との関係がうまくいっていなかったことを理由に脱退した。イエスは当時ジョブソンを初めとして様々なキーボーディストを試しており、彼は大ヒットした「[[ロンリー・ハート]]」のビデオ・クリップの撮影に参加した。ところがマネージメントが「これはあのイエスの再結成なのだ」というイメージで売る方針を貫いてケイを呼び戻すことに決めた。そこで彼は「イエスにキーボーディストは2人いらない」と言って離脱した<ref>{{Cite web|title=Trevor Rabin - Capturing adrenaline|url=https://www.innerviews.org/inner/rabin.html|website=Innerviews: Music Without Borders|accessdate=2019-05-19|language=en|last=Innerviews}}</ref><ref group="注釈">彼が参加したビデオ・クリップは、そのまま発表された。</ref>。

== ディスコグラフィ ==
=== ソロ ===
=== ソロ ===
*1976 ''Yesterday Boulevard b/w On a Still Night'' (SINGLE)
* ''Yesterday Boulevard b/w On a Still Night'' (1976年) ※シングル
*『[[ザ・グリーン・アルバム (エディ・ジョブソン&ズィンクのアルバム)|ザ・グリーン・アルバム]]』 - ''The Green Album'' (1983年) ※エディ・ジョブソン&ズィンク名義
*1983 ''ZINC/The Green Album''
*『[[テーマ・オブ・シークレッツ]]』 - ''Theme of Secrets'' (1985年)
*1985 ''THEME OF SECRETS''
* ''Voices Of Life'' (2000年) ※[[ブルガリアン・ヴォイス アンジェリーテ|The Bulgarian Women's Choir Angelite]]名義
*2000 ''Voices Of Life''
:UK再始動プロジェクトでの"Legacy"アルバム用の素材を使用。
:U.K.再始動プロジェクトで頓挫した『Legacyアルバム用の素材を使用。
*『アルティメット・ゼロ・ツアー-ライヴ』 - ''Ultimate Zero Tour - Live'' (2010年)
*『デビュー40周年記念特別公演 フォー・ディケイズ』 - ''Four Decades'' (2015年)
* ''1971-1979 The Band Years'' (2018年) ※コンピレーション


=== バンド ===
=== バンド ===
==== カーヴド・エア ====
*1973 ''AIR CUT'' - Curved Air
*『エア・カット』 - ''Air Cut'' (1973年)
:プロ活動の最初のアルバム。2004年に初CD化されている。
:プロ活動の最初のアルバム。2004年に初CD化されている。
*『ラヴ・チャイルド』 - ''Lovechild''(1990年)
*1973 [[ストランデッド|''STRANDED'']] - Roxy Music
==== ロキシー・ミュージック ====
*1974 ''[[カントリー・ライフ|COUNTRY LIFE]]'' - Roxy Music
*『[[ストランデッド]]』 - ''Stranded'' (1973年)
*1975 [[サイレン (ロキシー・ミュージックのアルバム)|''SIREN'']] - Roxy Music
*『[[カントリー・ライフ]]』 - ''Country Life'' (1974年)
*1976 ''Viva!'' - Roxy Music
*1978 ''[[ザッパ・イン・ューヨーク|ZAPPA IN NEW YORK]]'' -Frank Zappa
*[[ (ロキシーュージッのアルバム)|サイレン]]』 - ''Siren'' (1975年)
*『[[VIVA!ロキシー・ミュージック]]』 - ''Viva!'' (1976年)
:フランク・ザッパ・バンド時代の2枚組ライヴ盤。[[テリー・ボジオ]]や[[ブレッカー・ブラザーズ]]等と共演。
==== フランク・ザッパ ====
*1978 ''STUDIO TAN'' -Frank Zappa
*『[[ズート・アリュアーズ]]』 - ''Zoot Allures'' (1976年)
:‘Lemme Take You To The Beach’にてKeyboards&Yodeling
:ジャケット写真の撮影に参加した。バンドに加入したばかりのジョブソンとパトリック・オハーンはレコーディングには参加していない。
*1978 ''U.K.(邦題は「憂国の四士」)'' -U.K.
*『[[ザッパ・イン・ニューヨーク]]』 - ''Zappa in New York'' (1978年)
:エディ・ジョブソンがクローズ・アップされた最初の作品とされている。
:2枚組ライブ盤。[[テリー・ボジオ]]や[[ブレッカー・ブラザーズ]]らと共演。
*1979 ''Danger Money'' - U.K.
*『スタジオ・タン』 - ''Studio Tan'' (1978年)
:トリオ編成になり、リズムセクションとボーカル以外は全てエディ・ジョブソンが演奏を担当している。
:'Lemme Take You To The Beach'でキーボードとヨーデリングを担当。
*1979 ''Night After Night'' -U.K.
*''[[:en:Beat_the_Boots!_II|Conceptual Continuity]]'' (1992年)<ref group="注釈">[[:en:Beat_the_Boots!_II|''Beat the Boots! II'']]に含まれて発表された。</ref>
*1980 ''A'' - JETHRO TULL
*''[[:en:Philly_'76|Philly '76]]'' (2009年)
:元々は[[イアン・アンダーソン]]のソロとして制作が開始されたアルバム。その為、従来のジェスロ・タルとは一線を画した内容と評されている。
==== U.K. ====
*『憂国の四士』 - ''U.K.'' (1978年)
:ジョブソンがクローズ・アップされた最初の作品とされる。
*『デンジャー・マネー』 - ''Danger Money'' (1979年)
:トリオになり、リズムセクションとボーカル以外の演奏は全てジョブソンが担当した。
*『ナイト・アフター・ナイト』 - ''Night After Night'' (1979年)
*『リユニオン - ライヴ・イン・トーキョー』 - ''Reunion – Live in Tokyo'' (2013年) ※CD&DVD
*『エディ・ジョブソン - U.K.特別公演『憂国の四士』『デンジャー・マネー』完全再現ライヴ カーテン・コール』 - ''Curtain Call'' (2015年)
==== ジェスロ・タル ====
*『[[A (ジェスロ・タルのアルバム)|A]]』 - ''A'' (1980年)
:[[イアン・アンダーソン]]のソロとして制作が開始された為、ジェスロ・タルの従来の作品とは一線を画したアルバムと評される。
==== UKZ ====
*''Radiation'' (2009年)


===TV・映画===
===TV・映画===
*[[ハイテク武装車バイパー]](アメリカ・[[1994]]〜[[1999]])
*[[ハイテク武装車バイパー]](アメリカ・1994年 - 1999)
*[[刑事ナッシュ・ブリッジス]](アメリカ・[[1996]]〜[[2001]])
*[[刑事ナッシュ・ブリッジス]](アメリカ・1996年 - 2001)


=== その他 ===
=== その他 ===
*1975 ''[[USA (アルバム)|USA]]'' - [[キング・クリムゾン|King Crimson]]
*[[キング・クリムゾン]] [[USA (アルバム)|USA]] - ''USA'' (1975年)
:ライだが、ジョブソンがスタジオでオーヴァーダビングしたヴァイオリンとエレクトリック・ピアノの演奏を一部楽曲で使用<ref>[http://allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=10:axfuxqq5ldje allmusic(((USA>Overview)))]</ref>。
:ライ。収録曲の一部のヴァイオリンとエレクトリック・ピアノの演奏に、ジョブソンがスタジオでオーヴァーダビングした<ref>[http://www.allmusic.com/album/usa-mw0000224374 USA - King Crimson : AllMusic]</ref>。


== 関連項目 ==
== 日本公演 ==
*[[1979年]] U.K.
* [[ヤマハ・CS-80]]
*[[2009年]] UKZ
*[[2010年]] U-Z PROJECT
*[[2011年]] U.K.
*[[2012年]] U.K.
*[[2013年]] 40th ANNIVERSARY
*[[2015年]] U.K.


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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=== 引用文献 ===
* {{cite book|last=Buckley|first=David|year=2004|title=The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music|location=London|publisher=Andre Deutsch|id=ISBN 0-233-05113-9|ref=harv}}
* {{cite book|last=Miles|first=Barry|year=2004|title=Zappa|location=New York|publisher=Grove Press|isbn=0-8021-4215-X|ref=harv}}
* {{cite book|last=Ulrich|first=Charles|year=2018|title=The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa|location=Vancouver|publisher=New Star|isbn=978-1-55420-146-4|ref=harv}}

== 関連項目 ==
* [[ヤマハ・CS-80]]


== 外部リンク ==
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2024年5月1日 (水) 09:10時点における最新版

エディ・ジョブソン
UKZ - ニューヨーク公演(2009年)
基本情報
出生名 Edwin Jobson
生誕 (1955-04-28) 1955年4月28日(69歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ストックトン=オン=ティーズ ビリンガム
ジャンル プログレッシブ・ロック
職業 キーボーディストヴァイオリニスト作曲家
担当楽器 キーボードヴァイオリン
活動期間 1972年 -
共同作業者 カーヴド・エア
ロキシー・ミュージック
フランク・ザッパ
UK
ジェスロ・タル
UKZ
公式サイト www.eddiejobson.com

エディ・ジョブソンEdwin "Eddie" Jobson1955年4月28日 - )は、イングランド出身のキーボード奏者、ヴァイオリン奏者。

略歴

[編集]

バンド活動期

[編集]

1972年カーヴド・エアダリル・ウェイの後任として加入し[1]、プロ・ミュージシャンとしてのキャリアを開始する。

1973年ロキシー・ミュージックブライアン・イーノの後任として加入し[2]、1976年6月に解散が発表される[3]まで在籍した。

1976年10月から1977年3月までフランク・ザッパのコンサート・ツアーに参加[注釈 1][4][5]

1977年スーパーグループU.K.を結成。1979年の日本公演で初来日。

1980年、U.K.解散後、ジェスロ・タルで客演。

ソロ活動期

[編集]

1983年にエディ・ジョブソン&ズィンク名義のソロ・アルバム『ザ・グリーン・アルバム』、1985年に『テーマ・オブ・シークレッツ』を発表する。同年、Private Music レーベルよりリリースされたコンピレーション・アルバム『ピアノ・ワン(Piano One)』[6]には、彼が10代のときに作曲した「Dark Room」「Ballooning Over Texas」「Disturbance In Vienna」[注釈 2]の計3曲が収録された。

1992年KORGのシンセサイザーを使ったミュージシャンのコンピレーション・アルバムで「Sketcth For Orchestra#4」を発表した。

U.K.の再始動

[編集]

その後はテレビ番組やCMの音楽制作を生業としていたが、1995年ごろU.K.の再始動を計画する。しかし多忙な本業を抱えながらの制作は難航し、やがて再びジョン・ウェットンと仲違いをして計画は頓挫してしまう。このマテリアルは後にジョブソンのソロ・プロジェクトに活かされて、元々アルバムでフィーチャーされる予定だったブルガリアン・ヴォイス アンジェリーテを前面に押し出した形で取り上げられた。

2007年末、元キング・クリムゾントレイ・ガンらとUKZを結成し、久々にバンドでの活動を開始。2009年1月24日には、ニューヨークでUKZとしての初のライブを行った。同年6月には、彼にとって30年ぶりとなる日本公演が、東京、名古屋、大阪で行われた。

2010年6月、U-Zプロジェクト(U-Z Project)を率いて再来日。15、16、17日に、大阪、東京で公演。

2013年11月に日本で行われたデビュー40周年記念公演では、初日の8日にウェットンをゲストに迎えてU.K.のアルバム2作を完全再現。9日と10日の公演では、彼のキャリアを俯瞰した選曲で、ウェットンに加えてカーヴド・エアのソーニャ・クリスティーナも客演した[7]。9日の公演の模様は、後にライブ・アルバムおよび映像作品『デビュー40周年記念特別公演 フォー・ディケイズ』としてリリースされている。

ライブ活動引退

[編集]

2017年、ライブ活動からの引退を表明。交通事故の怪我や、家族・友人・同僚を相次いで亡くし意欲が低下。ビジネス的な要因もあって決定を下したと語っている[8]

2019年、ロキシー・ミュージックがロックの殿堂入りを果たした。ジョブソンは8人の受賞者[注釈 3]の一人に選ばれ、授賞式に出席した。ヴァイオリニストの受賞者は、彼が最初である。

備考・補足

[編集]

人間的にも創作者としても我の強いタイプと言われており、U.K.やリハーサルのみ参加したイエスでも、音楽性などを巡って他のメンバーと対立したと伝えられている。

1984年、再結成してアルバム『ロンリー・ハート』の録音をほぼ完了していたイエスから、キーボーディストのトニー・ケイがプロデューサーのトレヴァー・ホーンとの関係がうまくいっていなかったことを理由に脱退した。イエスは当時ジョブソンを初めとして様々なキーボーディストを試しており、彼は大ヒットした「ロンリー・ハート」のビデオ・クリップの撮影に参加した。ところがマネージメントが「これはあのイエスの再結成なのだ」というイメージで売る方針を貫いてケイを呼び戻すことに決めた。そこで彼は「イエスにキーボーディストは2人いらない」と言って離脱した[9][注釈 4]

ディスコグラフィ

[編集]

ソロ

[編集]
U.K.再始動プロジェクトで頓挫した『Legacy』アルバム用の素材を使用。
  • 『アルティメット・ゼロ・ツアー-ライヴ』 - Ultimate Zero Tour - Live (2010年)
  • 『デビュー40周年記念特別公演 フォー・ディケイズ』 - Four Decades (2015年)
  • 1971-1979 The Band Years (2018年) ※コンピレーション

バンド

[編集]

カーヴド・エア

[編集]
  • 『エア・カット』 - Air Cut (1973年)
プロ活動の最初のアルバム。2004年に初CD化されている。
  • 『ラヴ・チャイルド』 - Lovechild(1990年)

ロキシー・ミュージック

[編集]

フランク・ザッパ

[編集]
ジャケット写真の撮影に参加した。バンドに加入したばかりのジョブソンとパトリック・オハーンはレコーディングには参加していない。
2枚組ライブ盤。テリー・ボジオブレッカー・ブラザーズらと共演。
  • 『スタジオ・タン』 - Studio Tan (1978年)
'Lemme Take You To The Beach'でキーボードとヨーデリングを担当。

U.K.

[編集]
  • 『憂国の四士』 - U.K. (1978年)
ジョブソンがクローズ・アップされた最初の作品とされる。
  • 『デンジャー・マネー』 - Danger Money (1979年)
トリオになり、リズムセクションとボーカル以外の演奏は全てジョブソンが担当した。
  • 『ナイト・アフター・ナイト』 - Night After Night (1979年)
  • 『リユニオン - ライヴ・イン・トーキョー』 - Reunion – Live in Tokyo (2013年) ※CD&DVD
  • 『エディ・ジョブソン - U.K.特別公演『憂国の四士』『デンジャー・マネー』完全再現ライヴ カーテン・コール』 - Curtain Call (2015年)

ジェスロ・タル

[編集]
  • A』 - A (1980年)
イアン・アンダーソンのソロとして制作が開始された為、ジェスロ・タルの従来の作品とは一線を画したアルバムと評される。

UKZ

[編集]
  • Radiation (2009年)

TV・映画

[編集]

その他

[編集]
ライブ盤。収録曲の一部のヴァイオリンとエレクトリック・ピアノの演奏に、ジョブソンがスタジオでオーヴァーダビングした[10]

日本公演

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ジョブソンは、ロキシー・ミュージックが1975年11月のアメリカ・ツアーでザッパ率いるザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(MOI)と一緒になった時にザッパと出会った。そしてザッパの音楽への興味を示したところ、セッションに招待され、さらにMOIの12月7日のオンタリオ州ハミルトン公演と8日のモントリオール公演に招かれて客演した。1976年10月にザッパは、自分が率いるバンドの名前をMOIからザッパに変えて、ジョブソンを正式メンバーに迎えて次のツアーを開始した。
  2. ^ 発表は前後するが、『テーマ・オブ・シークレッツ』に収録された「Memories Of Vienna」の原曲である。
  3. ^ ジョブソンの他、ブライアン・フェリー、ブライアン・イーノ、フィル・マンザネラジョン・ガスタフソンアンディ・マッケイグラハム・シンプソンポール・トンプソン
  4. ^ 彼が参加したビデオ・クリップは、そのまま発表された。
  5. ^ Beat the Boots! IIに含まれて発表された。

出典

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  1. ^ Live!”. washingtonpost.com. 2019年2月25日閲覧。
  2. ^ Buckley (2004), pp. 138–140.
  3. ^ Buckley (2004), p. 201.
  4. ^ Miles (2004), pp. 255–256.
  5. ^ Ulrich (2018), pp. 696–697.
  6. ^ Discogs”. 2024年2月10日閲覧。
  7. ^ エディ・ジョブソン、40周年記念公演とUK完全再現公演が映像化”. BARKS. Japan Music Network (2013年12月27日). 2021年2月12日閲覧。
  8. ^ エディ・ジョブソン ライヴ・コンサート・ツアーからの引退を発表”. amass (2017年10月11日). 2023年11月20日閲覧。
  9. ^ Innerviews. “Trevor Rabin - Capturing adrenaline” (英語). Innerviews: Music Without Borders. 2019年5月19日閲覧。
  10. ^ USA - King Crimson : AllMusic

引用文献

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  • Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9 
  • Miles, Barry (2004). Zappa. New York: Grove Press. ISBN 0-8021-4215-X 
  • Ulrich, Charles (2018). The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa. Vancouver: New Star. ISBN 978-1-55420-146-4 

関連項目

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外部リンク

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