「大江光」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Zazanasawa (会話 | 投稿記録) →脚注: +{{Normdaten}} |
編集の要約なし |
||
(15人の利用者による、間の24版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{ |
{{other people|作曲家|スノーボードハーフパイプ選手|大江光 (スノーボーダー)}} |
||
{{Portal クラシック音楽}} |
{{Portal クラシック音楽}} |
||
{{Infobox Musician |
|||
⚫ | |||
|名前 = 大江 光 |
|||
|画像 = |
|||
|画像説明 = |
|||
|画像サイズ = |
|||
|画像補正 = |
|||
|背景色 |
|||
|出生名 = 大江 光 |
|||
|別名 = |
|||
|出生 = {{生年月日と年齢|1963|06|13}} |
|||
|出身地 = {{JPN}}・[[東京都]] |
|||
|死没 =<!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} --> |
|||
|学歴 = |
|||
|ジャンル = クラシック音楽 |
|||
|職業 = 作曲家 |
|||
|担当楽器 = |
|||
|活動期間 = [[1973年]] - |
|||
|レーベル = |
|||
|事務所 = |
|||
|共同作業者 = |
|||
|公式サイト = |
|||
|メンバー = |
|||
|旧メンバー = |
|||
|著名使用楽器 = |
|||
}} |
|||
⚫ | |||
==人物== |
==人物== |
||
[[東京都]]出身<ref name="yomiuri">『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.501 |
[[東京都]]出身<ref name="yomiuri">『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.501</ref>。幼少時から野外の鳥の声を正確に聞き分けて鳥の名前を当てたり<ref>大江の『[[静かな生活]] 』に父親の講演として出てくる話である。鳥の声を録音したNHKのレコードをテープにとって繰り返し聞かせていたが、鳥の鳴き声と共に、鳥の声を紹介するアナウンサーの声が入っていた。避暑で訪れた軽井沢の杜の中を、息子の光を肩車して散策している時に、鳥にの鳴き声が聞こえて、その後に、頭の上から「クイナ、です。」と、アナウンサー口調の声が聞こえたという。一瞬何が起こったのか…わからなかったが、生まれて初めて聞いた息子の「声」だったが、幻聴かもしれないと思い、もう一度クイナが鳴かないかな、と祈った。</ref>、クラシック音楽に極めて強い関心を示したりしたこと<ref>絶対音感があった。</ref>から、11歳のとき[[ピアノ]]の教師、田村久美子からピアノレッスンを受け始める。13歳で[[作曲]]を始める。作曲理論を[[加羽沢美濃]]に師事。 [[1992年]]10月に発表した最初のCD「大江光の音楽」、[[1994年]]9月にリリースした第2集「大江光ふたたび」が[[日本ゴールドディスク大賞]]を受賞した。[[1996年]]には伯父の伊丹十三監督の「[[静かな生活]]」で、[[日本アカデミー賞]]優秀音楽賞を受賞した。[[1998年]]に第3集のCD「新しい大江光」を、そして7年の時を経て[[2005年]]に第4集のCD「もう一度 大江光」をリリースした。父の講演に同行し、登壇する機会も多い。 |
||
==父の著作との関係== |
==父の著作との関係== |
||
大江健三郎は、光が[[知的障害者]]で生まれた時の苦悩を『[[個人的な体験]]』として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳 |
大江健三郎は、光が[[知的障害者]]で生まれた時の苦悩を『[[個人的な体験]]』として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳、『[[万延元年のフットボール]]』などと共にノーベル賞受賞の道筋をつけた。健三郎はその後も、『[[新しい人よ眼ざめよ]]』のように自分と光をモチーフにした作品をいくつも執筆、「イーヨー」や「アカリ」といった様々な名を与えられ、大半の作品にキーパーソンとして登場する、大江健三郎の文学にとって重要な存在である。 |
||
==作風== |
==作風== |
||
18行目: | 43行目: | ||
<references/> |
<references/> |
||
{{大江健三郎}} |
|||
{{Normdaten}} |
{{Normdaten}} |
||
{{Music-bio-stub}} |
{{Music-bio-stub}} |
||
23行目: | 49行目: | ||
{{DEFAULTSORT:おおえ ひかり}} |
{{DEFAULTSORT:おおえ ひかり}} |
||
[[Category:大江 |
[[Category:大江健三郎]] |
||
[[Category:大江健三郎|*ひかり]] |
|||
[[Category:障害を持つ人物]] |
[[Category:障害を持つ人物]] |
||
[[Category:日本の作曲家]] |
[[Category:日本の男性作曲家]] |
||
[[Category:東京都出身の人物]] |
[[Category:東京都出身の人物]] |
||
[[Category:1963年生]] |
[[Category:1963年生]] |
2024年5月4日 (土) 04:13時点における最新版
大江 光 | |
---|---|
出生名 | 大江 光 |
生誕 | 1963年6月13日(61歳) |
出身地 |
![]() |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1973年 - |
大江 光(おおえ ひかり、1963年(昭和38年)6月13日 - )は、日本の作曲家。父は作家の大江健三郎、伯父は映画監督の伊丹十三、従弟は俳優の池内万作、祖父は映画監督の伊丹万作。
人物
[編集]東京都出身[1]。幼少時から野外の鳥の声を正確に聞き分けて鳥の名前を当てたり[2]、クラシック音楽に極めて強い関心を示したりしたこと[3]から、11歳のときピアノの教師、田村久美子からピアノレッスンを受け始める。13歳で作曲を始める。作曲理論を加羽沢美濃に師事。 1992年10月に発表した最初のCD「大江光の音楽」、1994年9月にリリースした第2集「大江光ふたたび」が日本ゴールドディスク大賞を受賞した。1996年には伯父の伊丹十三監督の「静かな生活」で、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。1998年に第3集のCD「新しい大江光」を、そして7年の時を経て2005年に第4集のCD「もう一度 大江光」をリリースした。父の講演に同行し、登壇する機会も多い。
父の著作との関係
[編集]大江健三郎は、光が知的障害者で生まれた時の苦悩を『個人的な体験』として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳、『万延元年のフットボール』などと共にノーベル賞受賞の道筋をつけた。健三郎はその後も、『新しい人よ眼ざめよ』のように自分と光をモチーフにした作品をいくつも執筆、「イーヨー」や「アカリ」といった様々な名を与えられ、大半の作品にキーパーソンとして登場する、大江健三郎の文学にとって重要な存在である。
作風
[編集]主として調性によるメロディーと伴奏による作品が多い。“ノーベル賞作家の息子が作曲した”という話題性から、父親の文学との関連で取り上げられることが多く、ドイツのSWRなどのFM放送でも取り上げられている。
大江光(をモデルとした人物)を演じた俳優
[編集]脚注
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.501
- ^ 大江の『静かな生活 』に父親の講演として出てくる話である。鳥の声を録音したNHKのレコードをテープにとって繰り返し聞かせていたが、鳥の鳴き声と共に、鳥の声を紹介するアナウンサーの声が入っていた。避暑で訪れた軽井沢の杜の中を、息子の光を肩車して散策している時に、鳥にの鳴き声が聞こえて、その後に、頭の上から「クイナ、です。」と、アナウンサー口調の声が聞こえたという。一瞬何が起こったのか…わからなかったが、生まれて初めて聞いた息子の「声」だったが、幻聴かもしれないと思い、もう一度クイナが鳴かないかな、と祈った。
- ^ 絶対音感があった。