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'''アブ・サヤフ'''({{Rtl翻字併記|ar|جماعة أبو سياف|Jamāʿat Abū Sayyāf|n|区=、}}、{{lang-tl|Grupong Abu Sayyaf}}、 {{lang-en|Abu Sayyaf Group、 ASG}})とは、[[フィリピン]]の[[イスラ |
'''アブ・サヤフ'''({{Rtl翻字併記|ar|جماعة أبو سياف|Jamāʿat Abū Sayyāf|n|区=、}}、{{lang-tl|Grupong Abu Sayyaf}}、 {{lang-en|Abu Sayyaf Group、 ASG}})とは、[[フィリピン]]の[[イスラム主義]]組織。 |
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⚫ | 単一の組織体ではなく複数の[[セル]]の[[ネットワーク]]{{要曖昧さ回避|date=2023年5月}}であり、フィリピン南部の[[ホロ島]]や[[バシラン島]]などの[[スールー諸島]]及び[[ミンダナオ島]]の[[サンボアンガ半島]]などを拠点とする<ref>[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/post-5005.php 「カナダ人を斬首したアジアの過激派アブサヤフとは」]ニューズウィーク日本版2016年4月27日</ref>。{{仮リンク|フィリピン政府|en|Government of the Philippines}}と[[アメリカ合衆国連邦政府]]によって[[テロリズム|テロ]]組織に指定されている。 |
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== 概要 == |
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==設立== |
==設立== |
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[[1991年]]に[[モロ民族解放戦線]]から分離してアブ・サヤフを設立したのはフィリピン人[[イスラム |
[[1991年]]に[[モロ民族解放戦線]]から分離してアブ・サヤフを設立したのは[[フィリピン人]][[イスラム教|イスラム教徒]]のアブドラガク・ジャンジャラーニ(Abduragak Janjalani)である<ref>[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/post-5005.php カナダ人を斬首したアジアの過激派アブサヤフとは] ニューズウィーク日本版 2016年4月27日</ref>。ジャンジャラーニは[[シリア]]や[[サウジアラビア]]で[[カラーム|イスラム神学]]を学び、その後、[[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻]]に対抗する為[[アフガニスタン|アフガン]]へ渡り、サウジアラビア人やアフガン人の[[ムスリム]]組織「イスラム聖戦士」([[ムジャーヒディーン]])が[[パキスタン]]国境付近に作った7つの武装組織の内、アフガン人の[[アブドゥル・ラスル・サイヤフ]]が指導する組織に参加した。ムジャーヒディーンには世界各国からイスラム教徒が参加し、フィリピン南部からも数多く志願していたが、彼もその一人であった。ジャンジャラーニはそこで[[ウサーマ・ビン・ラーディン]]と会っている。 |
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==活動== |
==活動== |
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ムジャーヒディーンはサウジアラビアの資金で運営され、[[ |
ムジャーヒディーンはサウジアラビアの資金で運営され、[[中央情報局|CIA]]や[[軍統合情報局]](ISI)が訓練を行っていたが、[[1989年]]に[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が全面撤収し、[[冷戦]]が終わると、ムジャヒディーンにはその後続いた[[アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)|内戦]]に参加する者もいたが、ジャンジャラーニは故郷であるフィリピンの[[バシラン州]]へ帰り、[[ミンダナオ島]]周辺のイスラム社会を[[キリスト教徒]]([[カトリック教会|カトリック]])中心のフィリピンから独立させることを目的に武装組織を結成した。[[モロ民族解放戦線]](MNLF)からの過激な分派としてジャンジャラーニにはビン・ラーディンから設立資金が渡された、とされる。「アブ・サヤフ」はかつて共に戦ったアブドゥル・ラスル・サイヤフからとった名である。アブ・サヤフは[[アルカーイダ]]の[[ラムジ・ユセフ]]などから軍事援助を受けた。 |
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アブ・サヤフはミンダナオ島でフィリピン警察や軍相手に[[ゲリラ]]戦を行い、[[マレーシア]]や[[インドネシア]]でも活動を行うようになっていったが、[[1998年]]にジャンジャラーニはフィリピン警察との銃撃戦で殺害される。精神的指導者を失ったアブ・サヤフは二つに分裂し、イスラム社会の独立運動より[[強盗]]や身代金目的の[[誘拐]]を繰り返す犯罪集団となり、絶頂期には4000人いた構成員も[[2000年]]頃には100人以下にまで減った。多くは[[モロ・イスラム解放戦線]](MILF)などに合流したと考えられる。 |
アブ・サヤフはミンダナオ島でフィリピン警察や軍相手に[[ゲリラ]]戦を行い、[[マレーシア]]や[[インドネシア]]でも活動を行うようになっていったが、[[1998年]]にジャンジャラーニはフィリピン警察との銃撃戦で殺害される。精神的指導者を失ったアブ・サヤフは二つに分裂し、イスラム社会の独立運動より[[強盗]]や身代金目的の[[誘拐]]を繰り返す犯罪集団となり、絶頂期には4000人いた構成員も[[2000年]]頃には100人以下にまで減った。多くは[[モロ・イスラム解放戦線]](MILF)などに合流したと考えられる。 |
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[[2014年]]頃からは、[[ISIL]]の影響下に入り始めた。2017年5月にフィリピン軍と交戦状態となりアブ・サヤフ側に多数の死者が出たが、死者の中にマレーシア人、[[インドネシア]]人、[[シンガポール|シンガポール人]]など6人の外国人戦闘員が確認されている<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3129779 フィリピン南部で市街戦のIS系武装勢力に複数の外国人戦闘員] AFP(2017年5月27日)2017年6月2日閲覧</ref>。 |
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==末期== |
==末期== |
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2000年中頃からフィリピンの大都市でテロが頻発するようになり、首都[[マニラ]]でも高架鉄道の車両が爆破された。2000年4月に、[[ボルネオ島]]近くの |
2000年中頃からフィリピンの大都市でテロが頻発するようになり、首都[[マニラ]]でも高架鉄道の車両が爆破された。2000年4月に、[[ボルネオ島]]近くの[[シパダン島]]で、外国人の観光客など20人を拉致する事件を起こした。もともと治安は良くなかったが、さらなる急激な[[治安]]悪化は社会不安を引き起こし、[[フィリピンの大統領|大統領]][[ジョセフ・エストラーダ]]は失脚した。これらのテロは当初、[[共産主義]]勢力が起こしたのではないかと言われたが、[[2001年]]1月に就任した[[グロリア・アロヨ]]は、[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、一連のテロはアブ・サヤフらイスラム系[[過激派]]の仕業として、[[アメリカ軍|米軍]]を巻き込んでミンダナオ島などで掃討作戦を行った。100名以下(50名程とも言われる)までに勢力を落としていたアブ・サヤフは、この作戦でほとんど壊滅したと見られる。 |
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⚫ | [[2007年]]1月、フィリピン国軍は最高指導者である[[カダフィ・ジャンジャラーニ]]が死亡したと発表した。他の幹部も死亡しており、弱体化が予想される。後任の最高指導者には[[司令官]]の投票でシリアやリビアへの留学経験もあるイスラム教学者のヤセル・イガサンが選ばれた<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/CNN200706270035.html 過激派アブ・サヤフの新指導者に「学者」選ぶと、比軍 ] [[CNN]] 20070627</ref><ref>[https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/ASG.html アブ・サヤフ・グループ(ASG)] [[公安調査庁]]</ref>。[[東南アジア]]のテロ組織[[ジェマ・イスラミア]]との強い関連が指摘されている。 |
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⚫ | 2014年9月に、[[連邦政府 (ドイツ)|ドイツ連邦政府]]に対してISILへの[[生来の決意作戦]]への支援中止や[[身代金]]の支払いを要求し、[[ドイツ人]][[人質]]の殺害予告を行ったが、翌10月に人質は解放された。2015年9月には[[サマール島]]の[[リゾート]][[ホテル]]を[[ボート]]で襲撃し4名が[[誘拐]]された。この事件では[[日本人]]女性1名も襲撃を受け拘束されたが脱出した。この他にも、[[マレーシア]][[サバ州]]を含む複数地域で、外国人誘拐事件が多発したことから、[[フィリピン軍]]は軍事作戦を開始。2016年4月に[[バシラン島]]で交戦した際に死亡したアブ・サヤフ戦闘員の中に[[モロッコ]]人が1名含まれていたことが確認された。同月、人質の[[カナダ人]]男性1名がバシラン島で殺害され、[[頭部]]が[[ホロ島]]に投棄された |
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⚫ | <ref>[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/10/isis-1.php フィリピン過激派組織がISISと共闘宣言] ニューズウィーク日本版 2014年10月2日</ref><ref>[https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/ASG.html アブ・サヤフ・グループ(ASG)] 公安調査庁</ref><ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/11457034/ 比イスラム過激派、カナダ人の人質殺害 トルドー首相発表」] AFPBB News2016年4月26日 </ref><ref>[http://www.cnn.co.jp/world/35081777.html フィリピン過激派、人質のカナダ人男性を殺害] CNN 2016.04.26</ref><Ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3083509 比南部で軍とイスラム武装勢力が交戦、兵士18人と戦闘員5人死亡] AFPBB 2016年04月10日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20160427110121/http://www.sankei.com/world/news/160426/wor1604260006-n1.html 比の過激派アブサヤフ、カナダ人人質を殺害 昨年9月、リゾートホテルから4人拉致] 産経ニュース2016.4.26</ref><ref>[http://www.ehime-np.co.jp/newsflash/news20031006843.html 「マレーシアで6人誘拐 アブサヤフの犯行か」] 愛媛新聞200310.html </ref>。 |
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2016年11月、マレーシアサバ州沖を[[ヨット]]で航海中だったドイツ人男性を誘拐し、妻を銃殺。2017年、誘拐したドイツ人男性に対して、身代金3,000万ペソ(約6,700万円)を要求。解放交渉は進まないままに要求期限となりアブ・サヤフはドイツ人を殺害、斬首場面の映像を公開した。ドイツ人男性の遺体は、同年3月3日に[[スールー州]]で発見された<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/35097607.html?tag=top;topStories 過激派が斬首、ドイツ人男性の遺体を発見-フィリピン] CNN(2017年3月6日)2017年3月6日閲覧</ref><ref>[http://www.asahi.com/sp/articles/ASK2W7R9FK2WUHBI034.htm イスラム過激派、拉致したドイツ人を殺害 フィリピン] 朝日新聞デジタル2017年2月27日</ref>。 |
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===マラウィ市内の交戦=== |
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2017年5月23日、フィリピン軍の治安部隊はアブ・サヤフの指導者、イスニロン・ハピロンを拘束するために[[マラウィ (ラナオ・デル・スル州)|マラウィ]]市内の[[アジト]]を急襲したが失敗。アブ・サヤフ側は[[ISIL]]の黒い旗を持って市内を荒らし始め、事実上、交戦状態となった。軍は、上空から[[攻撃ヘリコプター]]による[[ロケット弾]]攻撃を加え、アブ・サヤフ側に大きなダメージを与えている<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3130253 フィリピン軍、南部の市街戦でIS系武装勢力メンバー89人を殺害] AFP(2017年5月31日)2017年6月1日閲覧</ref>。組織が弱体化していたこともあり、早期収拾も想定されていたがアブ・サヤフ側の戦闘員は、周辺諸国の外国人を含め数百人の規模となっており、住民を[[人間の盾]]として利用して抵抗<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3131930 IS系武装勢力が市民を奴隷に、逃げれば射殺 フィリピン] AFP(2017年6月14日)2017年6月16日閲覧</ref>。市街地戦を繰り広げた。 |
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2017年6月9日の戦闘では、双方に多数の死傷者が出た。政府側の発表ではフィリピン軍海兵隊員が13人死亡、40人以上が負傷している。また、同日、在フィリピン・アメリカ大使館は、フィリピン政府の要請により、[[アメリカ合衆国]]の[[特殊部隊]]がフィリピン軍を支援していることを表明している<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3131587 フィリピン南部で市街戦、比海兵隊員13人死亡 米特殊部隊が支援] AFP(2017年6月11日)2017年6月15日閲覧</ref>。 |
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2017年10月16日、[[デルフィン・ロレンザーナ]]国防大臣は[[ミンダナオ島]]にある[[南ラナオ州]][[マラウィ (ラナオ・デル・スル州)|マラウイ]]にて「アブ・サヤフ」のリーダー[[イスニロン・ハピロン]]を「[[マウテ|マウテ・グループ]]」のリーダー[[オマル・マウテとアブドゥラ・マウテ]]と共に殺害したことを明らかにした<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20171016-QCEJGDM3LFPCDAAJAMXTHEZPYQ/|title=ISフィリピン支部のリーダー死亡か 南部ミンダナオ島|work=産経ニュース|newspaper=[[産経新聞]]|date=2017-10-16|accessdate=2017-10-20}}</ref><ref name="IAO">{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3146883|title=比ミンダナオの過激派指導者が死亡、国防相 数日内に戦闘終結宣言も|date=2017-10-16|publisher=AFPBB NEWS|accessdate=2017-10-30}}</ref><ref name="nikkei20171016">{{cite news|title = 比ミンダナオ紛争、過激派リーダー死亡|url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22311280W7A011C1FF2000/|publisher = [[日本経済新聞]]|date = 2017年10月16日 | accessdate = 2017年10月30日}}</ref>。 |
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(''詳細は[[マラウィの戦い]]の項目を参照のこと'') |
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===2020年の投降=== |
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⚫ | [[2007年]]1月、フィリピン国軍は最高指導者である[[カダフィ・ジャンジャラーニ]]が死亡したと発表した。他の幹部も死亡しており、弱体化が予想される。後任の最高指導者には[[司令官]]の投票でシリアやリビアへの留学経験もあるイスラム教学者のヤセル・イガサンが選ばれた<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/CNN200706270035.html |
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2016年に就任した[[ロドリゴ・ドゥテルテ]]大統領は、時に法を無視した手段も講じて国内の非合法組織、犯罪組織の制圧を続けた。[[2020年]]11月から12月にかけてアブ・サヤフの幹部を含むメンバー39人が国軍など治安当局に対して複数の場所で次々と投降した<ref>{{Cite web|和書|date=2020-12-12 |url=https://japan-indepth.jp/?p=55491 |title=比テロ組織幹部大量投降の裏 |publisher=Japan In Depth |accessdate=2021-03-05}}</ref>。 |
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===2021年=== |
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3月下旬 - フィリピンの地域軍司令官コルレート・ビンルアン・ジュニア少将が長年にわたる身代金目的の誘拐で非難されていたアブ・サヤフの司令官アマジャン・サヒドフアンがフィリピン軍海兵隊との銃撃戦で死亡したと発表した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=フィリピン軍が反乱軍司令官を殺害、最後の人質を救出 {{!}} Indo-Pacific Defense Forum |url=https://ipdefenseforum.com/ja/2021/04/%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%aa%e3%83%94%e3%83%b3%e8%bb%8d%e3%81%8c%e5%8f%8d%e4%b9%b1%e8%bb%8d%e5%8f%b8%e4%bb%a4%e5%ae%98%e3%82%92%e6%ae%ba%e5%ae%b3%e3%80%81%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e4%ba%ba%e8%b3%aa/ |date=2021-04-09 |accessdate=2022-01-31 |publisher=AP通信社}}</ref>。ビンルアン少将は、スールー諸島にはまだ約80人のアブ・サヤフの残党が残っていると述べた<ref name=":0" />。 |
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5月18日 - マレーシア警察はボルネオ島でアブ・サヤフのメンバー5人を銃撃戦の末、殺害したと発表した<ref>{{Cite web|和書|title=今や「テロリストのホットスポット」ボルネオ島、各国が厳重警戒 マレーシア警察、アブサヤフのメンバー5人を銃撃戦の末に殺害 {{!}} JBpress (ジェイビープレス) |url=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65359 |accessdate=2022-01-31 |publisher=株式会社 日本ビジネスプレス |date=2021-05-20}}</ref>。 |
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⚫ | 2014年9月に、 |
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⚫ | <ref>[http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/10/isis-1.php |
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==脚注== |
==脚注== |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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*[[米比相互防衛条約]] |
*[[米比相互防衛条約]] |
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*[[サバ州における州外からの襲撃]] - アブ・サヤフによる拉致事件についても記載されている。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ES_E-asia_oce/ASG.html 公安調査庁 - アブ・サヤフ・グループ] |
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* {{Kotobank|アブ・サヤフ・グループ}} |
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2024年5月5日 (日) 06:48時点における最新版
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アブ・サヤフ جماعة أبو سياف | |
---|---|
対テロ戦争に参加 | |
![]() アブ・サヤフが使用していた旗 | |
活動期間 | 1991年 - 現在 |
指導者 |
アブドラガク・ジャンジャラーニ(死亡) カダフィ・ジャンジャラーニ(死亡) ヤセル・イガサン イスニロン・ハピロン (死亡) |
活動地域 | フィリピン |
関連勢力 |
三合会 ISIL |
敵対勢力 |
フィリピン警察 フィリピン国軍 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
アブ・サヤフ(アラビア語: جماعة أبو سياف、Jamāʿat Abū Sayyāf、タガログ語: Grupong Abu Sayyaf、 英語: Abu Sayyaf Group、 ASG)とは、フィリピンのイスラム主義組織。
単一の組織体ではなく複数のセルのネットワーク[要曖昧さ回避]であり、フィリピン南部のホロ島やバシラン島などのスールー諸島及びミンダナオ島のサンボアンガ半島などを拠点とする[1]。フィリピン政府とアメリカ合衆国連邦政府によってテロ組織に指定されている。
設立[編集]
1991年にモロ民族解放戦線から分離してアブ・サヤフを設立したのはフィリピン人イスラム教徒のアブドラガク・ジャンジャラーニ(Abduragak Janjalani)である[2]。ジャンジャラーニはシリアやサウジアラビアでイスラム神学を学び、その後、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に対抗する為アフガンへ渡り、サウジアラビア人やアフガン人のムスリム組織「イスラム聖戦士」(ムジャーヒディーン)がパキスタン国境付近に作った7つの武装組織の内、アフガン人のアブドゥル・ラスル・サイヤフが指導する組織に参加した。ムジャーヒディーンには世界各国からイスラム教徒が参加し、フィリピン南部からも数多く志願していたが、彼もその一人であった。ジャンジャラーニはそこでウサーマ・ビン・ラーディンと会っている。
活動[編集]
ムジャーヒディーンはサウジアラビアの資金で運営され、CIAや軍統合情報局(ISI)が訓練を行っていたが、1989年にソ連軍が全面撤収し、冷戦が終わると、ムジャヒディーンにはその後続いた内戦に参加する者もいたが、ジャンジャラーニは故郷であるフィリピンのバシラン州へ帰り、ミンダナオ島周辺のイスラム社会をキリスト教徒(カトリック)中心のフィリピンから独立させることを目的に武装組織を結成した。モロ民族解放戦線(MNLF)からの過激な分派としてジャンジャラーニにはビン・ラーディンから設立資金が渡された、とされる。「アブ・サヤフ」はかつて共に戦ったアブドゥル・ラスル・サイヤフからとった名である。アブ・サヤフはアルカーイダのラムジ・ユセフなどから軍事援助を受けた。
アブ・サヤフはミンダナオ島でフィリピン警察や軍相手にゲリラ戦を行い、マレーシアやインドネシアでも活動を行うようになっていったが、1998年にジャンジャラーニはフィリピン警察との銃撃戦で殺害される。精神的指導者を失ったアブ・サヤフは二つに分裂し、イスラム社会の独立運動より強盗や身代金目的の誘拐を繰り返す犯罪集団となり、絶頂期には4000人いた構成員も2000年頃には100人以下にまで減った。多くはモロ・イスラム解放戦線(MILF)などに合流したと考えられる。
2014年頃からは、ISILの影響下に入り始めた。2017年5月にフィリピン軍と交戦状態となりアブ・サヤフ側に多数の死者が出たが、死者の中にマレーシア人、インドネシア人、シンガポール人など6人の外国人戦闘員が確認されている[3]。
末期[編集]
2000年中頃からフィリピンの大都市でテロが頻発するようになり、首都マニラでも高架鉄道の車両が爆破された。2000年4月に、ボルネオ島近くのシパダン島で、外国人の観光客など20人を拉致する事件を起こした。もともと治安は良くなかったが、さらなる急激な治安悪化は社会不安を引き起こし、大統領ジョセフ・エストラーダは失脚した。これらのテロは当初、共産主義勢力が起こしたのではないかと言われたが、2001年1月に就任したグロリア・アロヨは、アメリカ同時多発テロ事件以降、一連のテロはアブ・サヤフらイスラム系過激派の仕業として、米軍を巻き込んでミンダナオ島などで掃討作戦を行った。100名以下(50名程とも言われる)までに勢力を落としていたアブ・サヤフは、この作戦でほとんど壊滅したと見られる。
2004年2月27日、マニラ湾コレヒドール島近海で旅客船スーパーフェリー14を爆破し、死者・行方不明者116名というフィリピン史上最悪のテロ事件を引き起こした[4]。
2007年1月、フィリピン国軍は最高指導者であるカダフィ・ジャンジャラーニが死亡したと発表した。他の幹部も死亡しており、弱体化が予想される。後任の最高指導者には司令官の投票でシリアやリビアへの留学経験もあるイスラム教学者のヤセル・イガサンが選ばれた[5][6]。東南アジアのテロ組織ジェマ・イスラミアとの強い関連が指摘されている。
2014年3月、セルの1つであるジュンド・アル・タウヒードがISILに忠誠を誓ったとされる。同年7月、最高幹部のイスニロン・ハピロンが、インターネット上のビデオでISILへの忠誠を表明した[7]。
2014年9月に、ドイツ連邦政府に対してISILへの生来の決意作戦への支援中止や身代金の支払いを要求し、ドイツ人人質の殺害予告を行ったが、翌10月に人質は解放された。2015年9月にはサマール島のリゾートホテルをボートで襲撃し4名が誘拐された。この事件では日本人女性1名も襲撃を受け拘束されたが脱出した。この他にも、マレーシアサバ州を含む複数地域で、外国人誘拐事件が多発したことから、フィリピン軍は軍事作戦を開始。2016年4月にバシラン島で交戦した際に死亡したアブ・サヤフ戦闘員の中にモロッコ人が1名含まれていたことが確認された。同月、人質のカナダ人男性1名がバシラン島で殺害され、頭部がホロ島に投棄された [8][9][10][11][12][13][14]。
2016年11月、マレーシアサバ州沖をヨットで航海中だったドイツ人男性を誘拐し、妻を銃殺。2017年、誘拐したドイツ人男性に対して、身代金3,000万ペソ(約6,700万円)を要求。解放交渉は進まないままに要求期限となりアブ・サヤフはドイツ人を殺害、斬首場面の映像を公開した。ドイツ人男性の遺体は、同年3月3日にスールー州で発見された[15][16]。
マラウィ市内の交戦[編集]
2017年5月23日、フィリピン軍の治安部隊はアブ・サヤフの指導者、イスニロン・ハピロンを拘束するためにマラウィ市内のアジトを急襲したが失敗。アブ・サヤフ側はISILの黒い旗を持って市内を荒らし始め、事実上、交戦状態となった。軍は、上空から攻撃ヘリコプターによるロケット弾攻撃を加え、アブ・サヤフ側に大きなダメージを与えている[17]。組織が弱体化していたこともあり、早期収拾も想定されていたがアブ・サヤフ側の戦闘員は、周辺諸国の外国人を含め数百人の規模となっており、住民を人間の盾として利用して抵抗[18]。市街地戦を繰り広げた。
2017年6月9日の戦闘では、双方に多数の死傷者が出た。政府側の発表ではフィリピン軍海兵隊員が13人死亡、40人以上が負傷している。また、同日、在フィリピン・アメリカ大使館は、フィリピン政府の要請により、アメリカ合衆国の特殊部隊がフィリピン軍を支援していることを表明している[19]。
2017年10月16日、デルフィン・ロレンザーナ国防大臣はミンダナオ島にある南ラナオ州マラウイにて「アブ・サヤフ」のリーダーイスニロン・ハピロンを「マウテ・グループ」のリーダーオマル・マウテとアブドゥラ・マウテと共に殺害したことを明らかにした[20][21][22]。 (詳細はマラウィの戦いの項目を参照のこと)
2020年の投降[編集]
2016年に就任したロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、時に法を無視した手段も講じて国内の非合法組織、犯罪組織の制圧を続けた。2020年11月から12月にかけてアブ・サヤフの幹部を含むメンバー39人が国軍など治安当局に対して複数の場所で次々と投降した[23]。
2021年[編集]
3月下旬 - フィリピンの地域軍司令官コルレート・ビンルアン・ジュニア少将が長年にわたる身代金目的の誘拐で非難されていたアブ・サヤフの司令官アマジャン・サヒドフアンがフィリピン軍海兵隊との銃撃戦で死亡したと発表した[24]。ビンルアン少将は、スールー諸島にはまだ約80人のアブ・サヤフの残党が残っていると述べた[24]。
5月18日 - マレーシア警察はボルネオ島でアブ・サヤフのメンバー5人を銃撃戦の末、殺害したと発表した[25]。
脚注[編集]
- ^ 「カナダ人を斬首したアジアの過激派アブサヤフとは」ニューズウィーク日本版2016年4月27日
- ^ カナダ人を斬首したアジアの過激派アブサヤフとは ニューズウィーク日本版 2016年4月27日
- ^ フィリピン南部で市街戦のIS系武装勢力に複数の外国人戦闘員 AFP(2017年5月27日)2017年6月2日閲覧
- ^ 海上保安協会海上におけるセキュリティ対策の調査研究 日本財団図書館
- ^ 過激派アブ・サヤフの新指導者に「学者」選ぶと、比軍 CNN 20070627
- ^ アブ・サヤフ・グループ(ASG) 公安調査庁
- ^ カナダ人を斬首したアジアの過激派アブサヤフとは ニューズウィーク日本版 2016年4月27日
- ^ フィリピン過激派組織がISISと共闘宣言 ニューズウィーク日本版 2014年10月2日
- ^ アブ・サヤフ・グループ(ASG) 公安調査庁
- ^ 比イスラム過激派、カナダ人の人質殺害 トルドー首相発表」 AFPBB News2016年4月26日
- ^ フィリピン過激派、人質のカナダ人男性を殺害 CNN 2016.04.26
- ^ 比南部で軍とイスラム武装勢力が交戦、兵士18人と戦闘員5人死亡 AFPBB 2016年04月10日
- ^ 比の過激派アブサヤフ、カナダ人人質を殺害 昨年9月、リゾートホテルから4人拉致 産経ニュース2016.4.26
- ^ 「マレーシアで6人誘拐 アブサヤフの犯行か」 愛媛新聞200310.html
- ^ 過激派が斬首、ドイツ人男性の遺体を発見-フィリピン CNN(2017年3月6日)2017年3月6日閲覧
- ^ イスラム過激派、拉致したドイツ人を殺害 フィリピン 朝日新聞デジタル2017年2月27日
- ^ フィリピン軍、南部の市街戦でIS系武装勢力メンバー89人を殺害 AFP(2017年5月31日)2017年6月1日閲覧
- ^ IS系武装勢力が市民を奴隷に、逃げれば射殺 フィリピン AFP(2017年6月14日)2017年6月16日閲覧
- ^ フィリピン南部で市街戦、比海兵隊員13人死亡 米特殊部隊が支援 AFP(2017年6月11日)2017年6月15日閲覧
- ^ “ISフィリピン支部のリーダー死亡か 南部ミンダナオ島”. 産経新聞. (2017年10月16日) 2017年10月20日閲覧。
- ^ “比ミンダナオの過激派指導者が死亡、国防相 数日内に戦闘終結宣言も”. AFPBB NEWS (2017年10月16日). 2017年10月30日閲覧。
- ^ “比ミンダナオ紛争、過激派リーダー死亡”. 日本経済新聞. (2017年10月16日) 2017年10月30日閲覧。
- ^ “比テロ組織幹部大量投降の裏”. Japan In Depth (2020年12月12日). 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b “フィリピン軍が反乱軍司令官を殺害、最後の人質を救出 | Indo-Pacific Defense Forum”. AP通信社 (2021年4月9日). 2022年1月31日閲覧。
- ^ “今や「テロリストのホットスポット」ボルネオ島、各国が厳重警戒 マレーシア警察、アブサヤフのメンバー5人を銃撃戦の末に殺害 | JBpress (ジェイビープレス)”. 株式会社 日本ビジネスプレス (2021年5月20日). 2022年1月31日閲覧。
関連項目[編集]
- 米比相互防衛条約
- サバ州における州外からの襲撃 - アブ・サヤフによる拉致事件についても記載されている。