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{{Otheruseslist|茶を出し休息場所を提供する店 |
{{Otheruseslist|茶を出し休息場所を提供するかつて日本に存在した店|花街で芸妓を呼んで客に飲食をさせる店|お茶屋|イギリスで紅茶を出す店|ティールーム|コーヒーや紅茶などを出す日本の店|喫茶店|さまざまな文化圏の茶を売る店一般|ティーハウス|その他の用法|茶屋 (曖昧さ回避)}} |
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[[ファイル:Chaya (teahouse) in Nara Park.jpg| |
[[ファイル:Chaya (teahouse) in Nara Park.jpg|サムネイル|{{読み仮名|鄙|ひな}}びた雰囲気を醸し出す、[[茅葺|茅葺き]]の茶屋<br>([[春日大社]]本殿西、[[奈良公園]]の「水谷茶屋」)]] |
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[[ファイル:Jubei-chaya 重兵衛茶屋 DSCF2648.JPG|サムネイル|[[重兵衛茶屋]]跡([[兵庫県]][[丹波篠山市]])]] |
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[[ファイル:Kanō Osanobu 71 utaiawase.jpg|サムネイル|[[東京国立博物館]]本『[[七十一番職人歌合]]』二十四番。右、僧形の「一服一銭」が[[抹茶]](粉茶)を勧めている。左は「煎じ物売」。[[狩野養信]]・[[狩野雅信|雅信]]父子による[[模写]](養信歿年にあたる[[弘化]]3年([[1846年]])の作)。]] |
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[[現代 (時代区分)|現代]]の日本社会において茶屋は[[ノスタルジア|ノスタルジー]]の対象であり、日本国外にあっては日本情緒の象徴の一つである。そのため、[[観光]]を主とした演出上の目的から、これを再現した店舗および観光施設は数多く存在する。 |
[[現代 (時代区分)|現代]]の日本社会において茶屋は[[ノスタルジア|ノスタルジー]]の対象であり、日本国外にあっては日本情緒の象徴の一つである。そのため、[[観光]]を主とした演出上の目的から、これを再現した店舗および観光施設は数多く存在する。 |
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== 概説 == |
== 概説 == |
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[[近松門左衛門]]の心中物『[[心中重井筒]]』などに出てくるような[[性風俗]]を売り物にする店は、当時「'''[[色茶屋]]''' |
[[近松門左衛門]]の心中物『[[心中重井筒]]』などに出てくるような[[性風俗]]を売り物にする店は、当時「{{読み仮名|'''[[岡場所|色茶屋]]'''|いろぢゃや}}」と呼ばれており、その頃は単に「茶屋」と言う場合にはこの色茶屋を指していた{{要出典|date=2011年3月|title=断定的すぎる。その頃の明確な基準と、指していたと断定できる資料を求める}}。この他にも、「{{読み仮名|'''引手茶屋'''|ひきてぢゃや}}」(遊客を女郎屋に案内する茶屋<ref>{{kotobank|引手茶屋}}</ref>)「{{読み仮名|'''[[待合|待合茶屋]]'''|まちあいぢゃや}}」「{{読み仮名|'''出会茶屋'''|であいぢゃや}}」「{{読み仮名|'''[[相撲茶屋]]'''|すもうぢゃや}}」「{{読み仮名|'''料理茶屋'''|りょうりぢゃや}}」など、様々な名称の様々な営業形態の茶屋があった。料理茶屋の中には、[[江戸時代]]に創業して現在も[[料亭]]として営業している店もある。 |
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現代の日本では、主に[[観光地]]や[[名勝|景勝地]]で営業しており、[[土産|土産物]]屋を兼業している場合も多い。 |
現代の日本では、主に[[観光地]]や[[名勝|景勝地]]で営業しており、[[土産|土産物]]屋を兼業している場合も多い。 |
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その他、「茶屋」という言葉が現代日本人に与える郷愁のイメージを[[屋号]]に採り入れ、「'''○○茶屋'''(○○ちゃや、○○ぢゃや)」とする飲食店も目立つ。 |
その他、「茶屋」という言葉が現代日本人に与える郷愁のイメージを[[屋号]]に採り入れ、「'''○○茶屋'''(○○ちゃや、○○ぢゃや)」とする飲食店も目立つ。 |
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== 歴史 == |
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[[僧|仏法僧]]が中国から[[チャ]]の苗木を持ち帰って日本で喫茶の習慣が広まり、まず寺社や貴族、武士など支配階級で茶が飲まれた。[[室町時代]]の1400年頃になると、[[東寺]]の門前などで参拝客に茶湯一杯を安価で供する「一服一銭」などが生まれ、これらを通して一般人にも喫茶が広まっていった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/resources/kaisetu20.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160406183252/http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/resources/kaisetu20.pdf |format=[[Portable Document Format|PDF]] |title=京都歴史こぼれ話-京都新聞連載コラム『雑学京都史』より- 特別展展示資料 解説集 |accessdate=2016-3-27 |archivedate=2016-4-6 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/various/japan1/index.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160211093102/https://www.jti.co.jp/tobacco-world/journal/various/japan1/index.html |title=日本の話 江戸時代編 第33話 嗜好品文化の普及過程で世に登場した「一服一銭」 |accessdate=2016-3-27 |archivedate=2016-2-11 }}</ref>。この「一服一銭」が茶屋の原型となるが、当初は[[縁日]]などに茶道具を持ち込んでの立売が基本で店舗を持たないものであった。[[1403年]](応永10年)の『東寺百合文書』には「南大門前一服一銭請文」があり、門前への出店には制限があった。また、東寺の「弘法さん」は一服一銭が店を開いたことが市の始まりであるといわれている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toji.or.jp/mieiku.shtml |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090619224934/http://www.toji.or.jp/mieiku.shtml |title=御影供と弘法市 |publisher=[[東寺]] |accessdate=2011-9-7 |archivedate=2009-6-19 }}</ref><ref>[http://www.kyotocitylib.jp/reference/lobunkakaitou.html 「質問10 弘法さんや天神さんなど,京の市について知りたい。」], [[京都市図書館]]レファレンス.</ref>。室町時代中期、[[1500年]](明応9年)頃の『[[七十一番職人歌合]]』では僧形の者が座ったままで[[抹茶]]を供しているが、[[安土桃山時代]]の『[[洛中洛外図]]』などでは立売の姿が描かれている<ref name="kokushi">[[永島福太郎]] 「一服一銭」 in 国史大辞典編集委員会 編 『[[国史大辞典 (昭和時代)]]』第一巻, [[吉川弘文館]], 1979年3月, p. 688. ISBN 978-4-642-00501-2</ref>。また、[[16世紀]]の『[[富士見図屏風]]』と『[[釈迦堂春景図屏風]]』では、小腹を満たすための串刺しの焙り[[餅]]のようなものを商っている様子も描かれている<ref>[[源城政好]] [http://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/haifu/yomimono_data/0039.html 「特別展覧会『日本人と茶 -その歴史・その美意識ー』雑感」], [[京都国立博物館]]よみもの No. 39. (京都国立博物館特別展「日本人と茶-その歴史・その美意識」 2002年9月7日 - 10月14日)</ref>。後には社寺の門前に小屋がけをするようになり、このような掛茶屋は「一銭茶屋」と称されるようになった<ref name=kokushi/>。社会が落ち着いた江戸時代には宿場町を中心に各地に水茶屋などとして広まり、また女性店員が給仕するようになっていった。 |
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== 茶屋を浮世絵に見る == |
== 茶屋を浮世絵に見る == |
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[[名所絵]]([[浮世絵]]による[[風景画]])の中には茶屋を描いたものがいくつか見える。最低限の物しか置いていない簡素な出茶屋もあれば、いかにも繁盛している様子の大きな茶屋もある。 |
[[名所絵]]([[浮世絵]]による[[風景画]])の中には茶屋を描いたものがいくつか見える。最低限の物しか置いていない簡素な出茶屋もあれば、いかにも繁盛している様子の大きな茶屋もある。 |
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|[[ファイル:Tokaido27 Fukuroi.jpg|thumb|left|220px|1. 『東海道五[[wikt:ja:拾|拾]]三次之内 袋井』]] |
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|[[ファイル:Kisokaido01 Itabashi.jpg|thumb|left|220px|3. 『木[[wikt:ja:曾|曾]]街道 板橋之[[wikt:ja:驛|驛]]』]] |
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|[[ファイル:Kisokaido13 Takasaki.jpg|thumb|left|220px|5. 『木曽海道六拾九次之内 高[[wikt:ja:﨑|﨑]]』]] |
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|[[ファイル:Kisokaido34 Narai.jpg|thumb|left|220px|6. 『岐阻街道 奈良井宿 名産店之[[wikt:ja:圖|圖]]』]] |
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* [[歌川広重]] 『[[東海道五十三次]]』 |
* [[歌川広重]] 『[[東海道五十三次]]』 |
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: 1. 「袋井」(通称「袋井 出茶屋」) :「[[袋井宿]]」。出茶屋が描かれている。 |
*: 1. 「袋井」(通称「袋井 出茶屋」) :「[[袋井宿]]」。出茶屋が描かれている。 |
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: 2. 「大津」(通称「大津 走井茶屋」) :「[[大津宿]]」。名物「走井餅 |
*: 2. 「大津」(通称「大津 走井茶屋」) :「[[大津宿]]」。名物「{{読み仮名|走井餅|はしりいもち}}」を売る茶屋が描かれている。 |
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* [[渓斎英泉]]および[[歌川広重]] 『[[木曽街道六十九次]]』(実質、[[中山道六十九次]]) |
* [[渓斎英泉]]および[[歌川広重]] 『[[木曽街道六十九次]]』(実質、[[中山道六十九次]]) |
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: 3. 「木曽街道 板橋之駅」 : 「[[板橋宿]]」。渓斎英泉 画。出茶屋を描く。 |
*: 3. 「木曽街道 板橋之駅」 : 「[[板橋宿]]」。渓斎英泉 画。出茶屋を描く。 |
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: 4. 「木曽街道 上尾宿 加茂之社」 :「[[上尾宿]]」。渓斎英泉 画。神社近くの立場茶屋。 |
*: 4. 「木曽街道 上尾宿 加茂之社」 :「[[上尾宿]]」。渓斎英泉 画。神社近くの立場茶屋。 |
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: 5. 「木曽海道 高崎」 :「[[高崎宿]]」。歌川広重 画。<!--これ、茶屋以外の何かだったりしますか? --> |
*: 5. 「木曽海道 高崎」 :「[[高崎宿]]」。歌川広重 画。<!--これ、茶屋以外の何かだったりしますか? --> |
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: 6. 「岐阻街道 奈良井宿 名産店之図」 :「[[奈良井宿]]」。渓斎英泉 画。初めは峠道の険しさから切実に求められた立場茶屋であったろうものが、店としてずいぶん賑わって見える。 |
*: 6. 「岐阻街道 奈良井宿 名産店之図」 :「[[奈良井宿]]」。渓斎英泉 画。初めは峠道の険しさから切実に求められた立場茶屋であったろうものが、店としてずいぶん賑わって見える。 |
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== 茶屋の名を留める地名 == |
== 茶屋の名を留める地名 == |
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* [[東山ひがし|ひがし茶屋街]] |
* {{読み仮名|[[東山ひがし|ひがし茶屋街]]|ひがしちゃやがい}}、{{読み仮名|主計町茶屋街|かずえまちちゃやがい}}、{{読み仮名|にし茶屋街|にしちゃやがい}} |
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*:- [[石川県]][[金沢市]]。総じて「金沢三茶屋街」「金沢茶屋街」と呼ばれる(かつての[[花街]])<ref>{{Cite web|和書 |
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|url=http://www.awacho.co.jp/main/tour/0656map.htm |
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|title=ひがし茶屋街の観光地図 |
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|title=主計町茶屋街 |
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== 脚注 == |
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2024年5月16日 (木) 00:54時点における版
茶屋(ちゃや)は、日本において中世から近代にかけて一般的であった、休憩所の一形態。休憩場所を提供するとともに、注文に応じて茶や和菓子を提供する飲食店、甘味処としても発達した。
現代の日本社会において茶屋はノスタルジーの対象であり、日本国外にあっては日本情緒の象徴の一つである。そのため、観光を主とした演出上の目的から、これを再現した店舗および観光施設は数多く存在する。
概説
交通手段が徒歩に限られていた時代には、宿場および峠やその前後で見られ、これらを「
近松門左衛門の心中物『心中重井筒』などに出てくるような性風俗を売り物にする店は、当時「
現代の日本では、主に観光地や景勝地で営業しており、土産物屋を兼業している場合も多い。
その他、「茶屋」という言葉が現代日本人に与える郷愁のイメージを屋号に採り入れ、「○○茶屋(○○ちゃや、○○ぢゃや)」とする飲食店も目立つ。
歴史
仏法僧が中国からチャの苗木を持ち帰って日本で喫茶の習慣が広まり、まず寺社や貴族、武士など支配階級で茶が飲まれた。室町時代の1400年頃になると、東寺の門前などで参拝客に茶湯一杯を安価で供する「一服一銭」などが生まれ、これらを通して一般人にも喫茶が広まっていった[2][3]。この「一服一銭」が茶屋の原型となるが、当初は縁日などに茶道具を持ち込んでの立売が基本で店舗を持たないものであった。1403年(応永10年)の『東寺百合文書』には「南大門前一服一銭請文」があり、門前への出店には制限があった。また、東寺の「弘法さん」は一服一銭が店を開いたことが市の始まりであるといわれている[4][5]。室町時代中期、1500年(明応9年)頃の『七十一番職人歌合』では僧形の者が座ったままで抹茶を供しているが、安土桃山時代の『洛中洛外図』などでは立売の姿が描かれている[6]。また、16世紀の『富士見図屏風』と『釈迦堂春景図屏風』では、小腹を満たすための串刺しの焙り餅のようなものを商っている様子も描かれている[7]。後には社寺の門前に小屋がけをするようになり、このような掛茶屋は「一銭茶屋」と称されるようになった[6]。社会が落ち着いた江戸時代には宿場町を中心に各地に水茶屋などとして広まり、また女性店員が給仕するようになっていった。
茶屋を浮世絵に見る
名所絵(浮世絵による風景画)の中には茶屋を描いたものがいくつか見える。最低限の物しか置いていない簡素な出茶屋もあれば、いかにも繁盛している様子の大きな茶屋もある。
茶屋の名を留める地名
- 茶屋町 - 青森県青森市。
- お花茶屋 - 東京都葛飾区。
- 茶屋坂 - 東京都目黒区。
- 三軒茶屋 - 東京都世田谷区。
ひがし茶屋街 ()、主計町茶屋街 ()、にし茶屋街 ()- 茶屋が坂 - 愛知県名古屋市千種区。
- 茶屋町 - 大阪府大阪市北区茶屋町、岡山県倉敷市茶屋町、ほか。
- 萩之茶屋 - 大阪市西成区。
- 天下茶屋 - 大阪市西成区。他に、景観を「天下一」などと謳われる名所にて営まれる茶屋に付けられることの多い呼称(俗称、ときに地名、もしくは屋号)。例を挙げれば、太宰治の小説『富嶽百景』にも登場する、御坂峠の「天下茶屋」(cf. 逆さ富士#脚注)。
- 蛍茶屋 - 長崎県長崎市。江戸時代長崎街道の始点と日見宿との間にあった茶店が蛍の名所にあったことから、その店が蛍茶屋と呼ばれ地名として残ったもの。
木場茶屋町 () - 鹿児島県薩摩川内市。
脚注
- ^ 『引手茶屋』 - コトバンク
- ^ “京都歴史こぼれ話-京都新聞連載コラム『雑学京都史』より- 特別展展示資料 解説集” (PDF). 2016年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
- ^ “日本の話 江戸時代編 第33話 嗜好品文化の普及過程で世に登場した「一服一銭」”. 2016年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
- ^ “御影供と弘法市”. 東寺. 2009年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月7日閲覧。
- ^ 「質問10 弘法さんや天神さんなど,京の市について知りたい。」, 京都市図書館レファレンス.
- ^ a b 永島福太郎 「一服一銭」 in 国史大辞典編集委員会 編 『国史大辞典 (昭和時代)』第一巻, 吉川弘文館, 1979年3月, p. 688. ISBN 978-4-642-00501-2
- ^ 源城政好 「特別展覧会『日本人と茶 -その歴史・その美意識ー』雑感」, 京都国立博物館よみもの No. 39. (京都国立博物館特別展「日本人と茶-その歴史・その美意識」 2002年9月7日 - 10月14日)
- ^ “ひがし茶屋街の観光地図”. 金沢観光情報(ウェブサイト). 粟長醤油株式会社. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “ひがし茶屋街”. きまっし金沢. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “主計町茶屋街”. きまっし金沢. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “にし茶屋街”. 写真紀行・旅おりおり. 2010年4月11日閲覧。