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「菊栄親睦会」の版間の差分

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'''菊栄親睦会'''(きくえいしんぼくかい)は、[[皇族]]及び[[旧皇族]](旧宮家)による親睦団体である。
'''菊栄親睦会'''(きくえいしんぼくかい)は、[[皇族]]及び[[旧皇族]](旧宮家)による親睦団体である。


==概要==
== 概要 ==
菊栄親睦会は皇室の親族一統による親睦会で、[[皇室]]と最も近い親戚として交流を保ち、皇室を支える役割を担う<ref>{{Citeweb|url=https://www.nihonbunka.or.jp/knowledge/about|title=皇室とは|accessdate=2021年2月7日|website=日本文化興隆財団|publisher=}}</ref>。[[1947年]]([[昭和]]22年)10月に[[昭和天皇]]の弟である[[秩父宮]]・[[高松宮]]・[[三笠宮]]の3直宮家を除く11宮家が[[臣籍降下#昭和22年10月14日の皇籍離脱(旧皇族)|臣籍降下]](いわゆる皇籍離脱)した際、昭和天皇の指示により、戦前の「皇族親睦会」を「菊栄親睦会」と改称して皇族と旧皇族の親睦を図っている
菊栄親睦会は皇室の親族一統による親睦会で、[[皇室]]と最も近い親戚として交流を保ち、皇室を支える役割を担う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nihonbunka.or.jp/knowledge/about|title=皇室とは|accessdate=2021年2月7日|website=日本文化興隆財団|publisher=}}</ref>。


[[1947年]]([[昭和]]22年)10月に[[昭和天皇]]の弟である[[秩父宮]]・[[高松宮]]・[[三笠宮]]の3直宮家を除く11宮家が[[臣籍降下#昭和22年10月14日の皇籍離脱(旧皇族)|臣籍降下]](いわゆる皇籍離脱)した際、昭和天皇の指示により、戦前の「皇族親睦会」を「菊栄親睦会」と改称して皇族と旧皇族の親睦を図っている。
[[明治天皇]]の玄孫に当たる[[竹田恒泰]]によると、旧皇族の始祖である[[伏見宮邦家親王]]から5世代目の旧皇族までは、最年長で[[1922年]]生まれの[[賀陽邦寿]]から最年少で[[1967年]]生まれの東久邇盛彦までの全員が招待され、以降の世代は本家となる長系の長子の家族のみが招待される<ref>{{Cite web|url=https://www.asagei.com/excerpt/18811|title=テリー伊藤対談「竹田恒泰」(2)陛下とお会いする機会は?|author=|authorlink=|date=2013-12-25|accessdate=2021-02-07|website=アサ芸プラス|publisher=徳間書店}}</ref>。


== 結成 ==
2021年(令和3年)2月26日、衆議院予算委員会第一分科会にいて[[池田憲治]]宮内庁長官は、菊栄親睦会について「皇室の方々の私的な御交際」とした上で「皇族方の公私にわたるお世話をしているということから、同会のお手伝いをしている」「こうした御交際について、特段の法的な位置づけがあるものではない」と答弁し<ref name="kokkai-2021-0226">{{cite conference |url =https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120405266X00220210226 |date = 2021-2-26 |title = [[衆議院]]予算委員会第一分科会 |volume = 第2号 |conference = 第204回国会 }}</ref>。
遡ると、戦前に皇族内の親睦会として「皇族親睦会」があり、初回は昭和2年(1927年)5月、[[秩父宮]]邸で開かれた{{Sfn|勝岡|p=76}}。[[第二次世界大戦]]の中断を経て、敗戦後の昭和20年(1945年)9月に茶話会として復活し、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の占領政策についての意見交換などを行う{{Sfn|勝岡|p=76}}。

しかし直後の昭和22年(1947年)10月14日、GHQによる皇室財産の処分及び皇室縮小の方針に抗しかねて、いわゆる[[伏見宮]]系皇族にあたる11宮家51名が[[臣籍降下]]を余儀なくされる。

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[[昭和天皇]]としては今回の臣籍降下は占領政策による不本意なものであり、皇室としては11宮家([[旧皇族]])とは従来と変わらず交流をすることを希望したことから{{Sfn|勝岡|p=80}}、同日付で皇族親睦会にかわる、皇族と旧皇族の合同の新たな親睦会を結成。天皇より「'''菊栄親睦会'''」と命名される。その目的は、「会員の親睦・知識の増進及び人格の修養を図り、必要に応じて相互扶助を行うこと」とされた{{Sfn|勝岡|p=85}}。


== 会員資格 ==
== 会員資格 ==
2019年(令和元年)頃、令和改元に際し、以下の通り改正された<ref>[[#伏見博明 2022|伏見博明 2022]] p.156</ref>
2019年(令和元年)頃、令和改元に際し、以下の通り改正された{{Sfn|伏見|p=156}}
;名誉会員{{efn|下記の他、令和時代における第1皇女である[[愛子内親王|敬宮愛子内親王]]について、会員(2に該当)である伏見博明は、敬宮が名誉会員に「含まれない」ことを認めている{{Sfn|伏見|p=156}}。一方、「含まれる」と報じる例もある<ref>{{Cite journal|author=永井貴子|year=2021|title=どうなる眞子さまと小室さんの「新婚生活」 皇族らが集う「菊栄親睦会」入りで晩餐会出席も?|journal=週刊朝日}}</ref>。}}
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*[[天皇]]、[[皇后]]、[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]、[[上皇后]]
*[[天皇]]、[[皇后]]、[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]、[[上皇后]]
;会員
;会員
#名誉会員以外の皇族
#名誉会員以外の皇族
#1947年 (昭和22年) 10月14日に臣籍降下した[[旧皇族]]とその配偶者、元[[王公族]]とその配偶者(※子孫は、当主(祭祀継承者)とその配偶者に限る)
#1947年 (昭和22年) 10月14日に臣籍降下した[[旧皇族]]とその配偶者、元[[王公族]]とその配偶者(※子孫は、当主(祭祀継承者)とその配偶者に限る)
#上記より後に皇籍を離れた者とその配偶者{{efn|一例として、平成時代における第1皇女だった[[黒田清子]](2005年(平成17年)に降嫁)が該当し、夫の[[黒田慶樹]]とともに会員である{{Sfn|伏見|p=156}}。}}
#上記より後に皇籍を離れた者

== 運営 ==
皇室と旧皇族との交際は、宮中行事への参列や、個々の宮家ごとの拝謁などで度々行われていたが、その他にも、旧皇族との親睦自体を目的とした会合もたびたびおこなわれた。

お、菊栄親睦会およびこれらの活動について宮内庁は、「皇室の方々の私的な御交際」とした上で「皇族方の公私にわたるお世話をしているということから、同会のお手伝いをしている」「こうした御交際について、特段の法的な位置づけがあるものではない」と答弁している<ref name="kokkai-2021-0226">{{cite conference |url =https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120405266X00220210226 |date = 2021-2-26 |title = 衆議院予算委員会第一分科会 |volume = 第2号 |conference = 第204回国会 }} [[池田憲治]]宮内庁次長答弁</ref>。

; 定例の陪食・賜茶の会

概ね年2回~2年に1回の割合で、皇居に旧皇族が召かれて、天皇・皇后との会食を行う{{Sfn|勝岡|pp=108-111}}。また、皇室の慶事(皇族の婚姻等)に合わせて内祝いとして開催されることもある{{Sfn|勝岡|p=111}}。

; 皇族主催の親睦会

昭和50年代ごろから始められた形式で、老齢に達した昭和天皇にかわる形で、天皇・皇后の慶事を、皇太子同妃が主催して祝う形式がとられた・皇居・吹上御苑内の花蔭亭が使用され、皇族・旧皇族に加えて、侍従職等も交じっての余興が多く行われる特色がある{{Sfn|勝岡|pp=111-114}}。


; 菊栄親睦会大会
== 会合 ==
[[元日節会|新年祝賀]]や[[天皇誕生日|天皇誕生日祝賀]]等の公式行事以外に、限られた会員で行われる[[御所]]での夕食会や[[鴨場]]での鴨猟など定期的な集まりがある<ref>{{Cite web|url=https://www.news24.jp/articles/2013/07/13/07232241.html|title=菊栄親睦会の夕食会に皇太子ご夫妻|author=|authorlink=|date=2013-12-25|accessdate=2013-07-13|website=日テレNEWS24|publisher=日本テレビ}}</ref>。皇室内の慶事に際し、「大会」と称する宴が催され、立食形式で和洋の料理、デザート、飲み物などがふるまわれ、[[寿司]]や[[天ぷら]]がその場で提供される<ref>[[#伏見博明 2022|伏見博明 2022]] p.158-160</ref>。大会には正会員だけでなく、その子女・きょうだい等、広く参加している<ref name="fushimi2022-157">[[#伏見博明 2022|伏見博明 2022]] p.157</ref>。


皇室の慶事や重大事があった際に、親睦会の主催で特別に開催される。皇居外で行われるのが通例であり、天皇・皇后が招待される形をとる。皇族・旧皇族から数名が幹事となり、皇族・旧皇族の正会員に加えて、その親族も参列し、総勢100名近くに達することもある{{Sfn|勝岡|p=91}}。立食形式で和洋の料理、デザート、飲み物などがふるまわれ、[[寿司]]や[[天ぷら]]がその場で提供されるという{{Sfn|伏見|pp=158-160}}。
旧皇族の臣籍降下から10年余りが経過した1958年(昭和33年)時点では、[[瓜生順良]]宮内庁次長の国会答弁によると「相当大きな会合としては春とか秋、春秋二回、相当な会合があり、その他にも折に触れてなさっております。」「他の皇族さんは大ていお出になつておりますが、両陛下は特別の場合だけお出になり、一々お出になっておりません」<ref name="kokkai-1958-0408">{{cite conference |url =https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120405266X00220210226 |date = 1958-04-08 |title = [[参議院]]内閣委員会 |volume = 第22号 |conference = 第28回国会 }}</ref>という状況であった。


2年~5年に1回のペースで開かれるが、平成に入ると明仁天皇が公務で多忙であったこともあり、開催頻度は減少した{{Sfn|伏見|p=157}}。直近で開催された大会は、2014年(平成26年)5月18日の「天皇陛下傘寿奉祝菊栄親睦会大会」である<ref name="kokkai-2021-0226"/>。[[令和]]になってからは、令和2年(2020年)6月に予定されていた{{Sfn|伏見|p=157}}、徳仁天皇即位奉祝の大会が[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の感染拡大]]の影響で取り止めとなって、一度も開催されていない。
しかし、[[平成]]以降は、第125代天皇(現:[[明仁|明仁上皇]])が多忙であったこともあり、開催頻度は減少した<ref name="fushimi2022-157"/>。


== 備考 ==
[[伏見博明]]によると、2020年(令和2年)6月に[[徳仁|今上天皇]]の天皇即位を祝って、5年ぶりの大会が開かれるはずだった<ref name="fushimi2022-157"/>{{efn|書籍の刊行は2022年(令和4年)であるが、伏見博明への聞き取りは[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]が日本でも広まる以前の2020年(令和2年)1月及び2月にも行われている。}}。しかし、実際に開催されることはなく、[[池田憲治]]宮内庁次長は2021年(令和3年)2月時点で2014年(平成26年)5月18日の「天皇陛下傘寿奉祝菊栄親睦会大会」が最後の開催と答弁した<ref name="kokkai-2021-0226"/>。
旧皇族の臣籍降下から10年余りが経過した1958年(昭和33年)時点では、瓜生順良宮内庁次長の国会答弁によると「相当大きな会合としては春とか秋、春秋二回、相当な会合があり、その他にも折に触れてなさっております。」「他の皇族さんは大ていお出になつておりますが、両陛下は特別の場合だけお出になり、一々お出になっておりません」<ref name="kokkai-1958-0408">{{cite conference |url =https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120405266X00220210226 |date = 1958-04-08 |title = 参議院内閣委員会 |volume = 第22号 |conference = 第28回国会 }}</ref>という状況であった。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 出典 ===
=== 出典 ===
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==参考文献==
==参考文献==
* {{Cite book|和書|author= 伏見博明|title= 旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて|publisher = [[中央公論新社]] |date=2022-01-26|isbn =978-4120054952|ref=伏見博明 2022}}
* {{Cite book|和書|author = 伏見博明|authorlink = 伏見博明|title= 旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて|publisher = [[中央公論新社]] |date=2022-01-26|isbn =978-4120054952|ref={{SfnRef|伏見}}}}
* {{Cite journal | 和書 | author = 勝岡寛次 | authorlink = 勝岡寛次 | title = 菊栄親睦会の基礎的研究 | journal = 日本国史学 | volume = 17 | issue = | publisher = 日本国史学会 | date = 2021-08-01 | pages = 74-127 | isbn = 978-4-89992-077-9 | ref = {{SfnRef|勝岡}}}}
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* [[谷部金次郎]]『昭和天皇と鰻茶漬 陛下一代の料理番』[[河出書房新社]]、2015年
* [[谷部金次郎]]『昭和天皇と鰻茶漬 陛下一代の料理番』[[河出書房新社]]、2015年
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[旧皇族]]
*[[旧皇族]]
*[[霞会館]]


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2024年5月17日 (金) 09:34時点における最新版

菊栄親睦会(きくえいしんぼくかい)は、皇族及び旧皇族(旧宮家)による親睦団体である。

概要

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菊栄親睦会は皇室の親族一統による親睦会で、皇室と最も近い親戚として交流を保ち、皇室を支える役割を担う[1]

1947年昭和22年)10月に昭和天皇の弟である秩父宮高松宮三笠宮の3直宮家を除く11宮家が臣籍降下(いわゆる皇籍離脱)した際、昭和天皇の指示により、戦前の「皇族親睦会」を「菊栄親睦会」と改称して皇族と旧皇族の親睦を図っている。

結成

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遡ると、戦前に皇族内の親睦会として「皇族親睦会」があり、初回は昭和2年(1927年)5月、秩父宮邸で開かれた[2]第二次世界大戦の中断を経て、敗戦後の昭和20年(1945年)9月に茶話会として復活し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策についての意見交換などを行う[2]

しかし直後の昭和22年(1947年)10月14日、GHQによる皇室財産の処分及び皇室縮小の方針に抗しかねて、いわゆる伏見宮系皇族にあたる11宮家51名が臣籍降下を余儀なくされる。

昭和天皇としては今回の臣籍降下は占領政策による不本意なものであり、皇室としては11宮家(旧皇族)とは従来と変わらず交流をすることを希望したことから[3]、同日付で皇族親睦会にかわる、皇族と旧皇族の合同の新たな親睦会を結成。天皇より「菊栄親睦会」と命名される。その目的は、「会員の親睦・知識の増進及び人格の修養を図り、必要に応じて相互扶助を行うこと」とされた[4]

会員資格

[編集]

2019年(令和元年)頃、令和改元に際し、以下の通り改正された[5]

名誉会員[注釈 1]
会員
  1. 名誉会員以外の皇族
  2. 1947年 (昭和22年) 10月14日に臣籍降下した旧皇族とその配偶者、元王公族とその配偶者(※子孫は、当主(祭祀継承者)とその配偶者に限る)
  3. 上記より後に皇籍を離れた者とその配偶者[注釈 2]

運営

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皇室と旧皇族との交際は、宮中行事への参列や、個々の宮家ごとの拝謁などで度々行われていたが、その他にも、旧皇族との親睦自体を目的とした会合もたびたびおこなわれた。

なお、菊栄親睦会およびこれらの活動について宮内庁は、「皇室の方々の私的な御交際」とした上で「皇族方の公私にわたるお世話をしているということから、同会のお手伝いをしている」「こうした御交際について、特段の法的な位置づけがあるものではない」と答弁している[7]

定例の陪食・賜茶の会

概ね年2回~2年に1回の割合で、皇居に旧皇族が召かれて、天皇・皇后との会食を行う[8]。また、皇室の慶事(皇族の婚姻等)に合わせて内祝いとして開催されることもある[9]

皇族主催の親睦会

昭和50年代ごろから始められた形式で、老齢に達した昭和天皇にかわる形で、天皇・皇后の慶事を、皇太子同妃が主催して祝う形式がとられた・皇居・吹上御苑内の花蔭亭が使用され、皇族・旧皇族に加えて、侍従職等も交じっての余興が多く行われる特色がある[10]

菊栄親睦会大会

皇室の慶事や重大事があった際に、親睦会の主催で特別に開催される。皇居外で行われるのが通例であり、天皇・皇后が招待される形をとる。皇族・旧皇族から数名が幹事となり、皇族・旧皇族の正会員に加えて、その親族も参列し、総勢100名近くに達することもある[11]。立食形式で和洋の料理、デザート、飲み物などがふるまわれ、寿司天ぷらがその場で提供されるという[12]

2年~5年に1回のペースで開かれるが、平成に入ると明仁天皇が公務で多忙であったこともあり、開催頻度は減少した[13]。直近で開催された大会は、2014年(平成26年)5月18日の「天皇陛下傘寿奉祝菊栄親睦会大会」である[7]令和になってからは、令和2年(2020年)6月に予定されていた[13]、徳仁天皇即位奉祝の大会が新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で取り止めとなって、一度も開催されていない。

備考

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旧皇族の臣籍降下から10年余りが経過した1958年(昭和33年)時点では、瓜生順良宮内庁次長の国会答弁によると「相当大きな会合としては春とか秋、春秋二回、相当な会合があり、その他にも折に触れてなさっております。」「他の皇族さんは大ていお出になつておりますが、両陛下は特別の場合だけお出になり、一々お出になっておりません」[14]という状況であった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 下記の他、令和時代における第1皇女である敬宮愛子内親王について、会員(2に該当)である伏見博明は、敬宮が名誉会員に「含まれない」ことを認めている[5]。一方、「含まれる」と報じる例もある[6]
  2. ^ 一例として、平成時代における第1皇女だった黒田清子(2005年(平成17年)に降嫁)が該当し、夫の黒田慶樹とともに会員である[5]

出典

[編集]
  1. ^ 皇室とは”. 日本文化興隆財団. 2021年2月7日閲覧。
  2. ^ a b 勝岡, p. 76.
  3. ^ 勝岡, p. 80.
  4. ^ 勝岡, p. 85.
  5. ^ a b c 伏見, p. 156.
  6. ^ 永井貴子 (2021). “どうなる眞子さまと小室さんの「新婚生活」 皇族らが集う「菊栄親睦会」入りで晩餐会出席も?”. 週刊朝日. 
  7. ^ a b 衆議院予算委員会第一分科会. 第204回国会. Vol. 第2号. 26 February 2021. 池田憲治宮内庁次長答弁
  8. ^ 勝岡, pp. 108–111.
  9. ^ 勝岡, p. 111.
  10. ^ 勝岡, pp. 111–114.
  11. ^ 勝岡, p. 91.
  12. ^ 伏見, pp. 158–160.
  13. ^ a b 伏見, p. 157.
  14. ^ 参議院内閣委員会. 第28回国会. Vol. 第22号. 8 April 1958.

参考文献

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関連項目

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