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「ヒヒイロカネ」の版間の差分

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'''ヒヒイロカネ'''は、[[偽書]]『[[竹内文書]]』に出てくる金属とされるものである{{Sfn|原田|2020|p=212}}。オカルティストが「[[古史古伝]]における太古[[日本]]の[[伝説]]の[[金属]]または[[合金]]」と主張している。[[麻原彰晃]]が[[オウム真理教]]設立前にオカルト雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』で取り上げていた{{Sfn|原田|2020|p=212}}。
'''ヒヒイロカネ'''は、[[古史古伝]]における太古[[日本]]で様々な用途で使われていたとされる、[[伝説]]の[[金属]]または[[合金]]。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。現代の様々な[[フィクション]]に登場する。


緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。様々な[[フィクション]]に登場する。なお実在するベリリウム銅合金が特徴として近い
== 概要 ==
現在知られているどの金属のいずれかなのかどうか、そもそも一体どのような金属だったのかもわかっていない。[[古史古伝]]の一つである『[[竹内文書]]』に記されているが、古史古伝であることから当然のように言うまでもなく、実在以前にヒヒイロカネの伝承自体も疑わしい(いちばん手っ取り早い方法は、茨城県の皇祖皇太神宮に伝わるヒヒイロカネで出来ている[[神宝]]を[[鑑定]]することであるが、今のところそういう動きは出ていない<ref>布施泰和 『「竹内文書」の謎を解く』 [[成甲書房]] 2003年 ISBN 4880861561</ref>)。そのため具体的な概要が分からないという神秘性から[[フィクション]]に好まれ「神秘的な金属」としてさまざまな作品に登場する。


== 竹内文書と酒井勝軍 ==
== 竹内文書』での設定 ==
『竹内文書』によれば、[[神武天皇]]以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の[[鈴]]や[[剣]]、[[装身具]]、[[富山]]の皇祖皇太神宮本殿の屋根<ref>上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。</ref>などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、[[精錬]]技術が失われていったのか、[[雄略天皇]]の時代に日の神十六菊形紋の[[鏡]]を二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。
古文書を模した偽書とみられる『竹内文書』によれば、[[神武天皇]]以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の[[鈴]]や[[剣]]、[[装身具]]、[[富山]]の[[御皇城山 皇祖皇太神宮|皇祖皇太神宮]]本殿の屋根<ref>上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。</ref>などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、[[精錬]]技術が失われていったのか、[[雄略天皇]]の時代に日の神十六菊形紋の[[鏡]]を二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。


[[酒井勝軍]]による調査で、[[天叢雲剣|草薙の剣]]ほかヒヒイロカネ製の装飾品を[[竹内文書#竹内文書について|竹内巨麿]]邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「[[錆|錆びて]]」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に[[写真]]が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる[[日本刀]]の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。

ヒヒイロカネ製の装飾品などの[[神宝]]は、[[1935年]]([[昭和]]10年)[[12月28日]]に、[[秦真次]]により[[東京市]]・[[靖国神社]]の[[遊就館]]松田常太館長に託されていたが、[[竹内文書#天津教弾圧事件|第二次天津教弾圧事件]]により、[[1936年]](昭和11年)4月30日、竹内巨麿による神宝を[[水戸地方裁判所]]に移す旨の受託書により[[押収]]され、その後、[[東京大空襲]]で失われた。

[[古代ギリシア|古代ギリシャ]]に伝わる[[オリハルコン]]とヒヒイロカネは同一の物質であり、ともに「生きた金属=[[オーラ]]を発する」と酒井は述べている。酒井自身が「これこそがヒヒイロカネである」と仲間に語った物質こそ、[[岩手県]]で産出する[[餅鉄]]であるが、これは[[鉄]]の含有率の高い単なる[[磁鉄鉱]]であり、酒井が後に語ったこととして、餅鉄を特殊な技術で純鉄に加工した後、更な加工を施してヒヒイロカネに仕上げるという

== 具体的な伝承 ==
ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=[[ウガヤフキアエズ王朝|ウガヤ王朝]]期)では現在の鉄や[[銅]]と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは[[神具]]の材料として使われたという。[[三種の神器]]もヒヒイロカネで作られているとされる。
ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=[[ウガヤフキアエズ王朝|ウガヤ王朝]]期)では現在の鉄や[[銅]]と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは[[神具]]の材料として使われたという。[[三種の神器]]もヒヒイロカネで作られているとされる。


その[[比重]]は[[金]]よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石([[ダイヤモンド]])よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また[[常温]]での驚異的な[[熱伝導]]性を持ち、ヒヒイロカネで造られた[[茶釜]]で湯を沸かすには、[[葉|木の葉]]数枚の[[燃料]]で十分であったとも伝えられている。なお、[[エネルギー保存の法則]]を考えれば[[熱伝導率]]では説明できないが、「熱量増幅特性」などとして説明されていることもあるようである。そうすると逆に、たとえば鎧などの防具などに使用した場合、夏場には使用者を蒸し殺し、また敵が火炎を武器として使用した場合にも困るはずであるが、どう説明されるのかは不明である。
その[[比重]]は[[金]]よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石([[ダイヤモンド]])よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また[[常温]]での驚異的な[[熱伝導]]性を持ち、ヒヒイロカネで造られた[[茶釜]]で湯を沸かすには、[[葉|木の葉]]数枚の[[燃料]]で十分であったとも伝えられている。

* [[太陽]]のように赤い金属とも、輝く金属とも言われる。
* [[太陽]]のように赤い金属とも、輝く金属とも言われる。
* 触ると冷たい。
* 触ると冷たい。
* 表面が揺らめいて見える。
* 表面が揺らめいて見える。
* [[磁気]]を拒絶する。
* [[磁気]]を拒絶する。

== 酒井勝軍とヒヒイロカネ ==
[[酒井勝軍]]による調査で、[[天叢雲剣|草薙の剣]]ほかヒヒイロカネ製の装飾品を[[竹内文書#天津教をめぐる事件|竹内巨麿]]邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「[[錆|錆びて]]」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に[[写真]]が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる[[日本刀]]の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。

<!-- 要出典 ヒヒイロカネ製の装飾品などの[[神宝]]は、[[1935年]]([[昭和]]10年)[[12月28日]]に、[[秦真次]]により[[東京市]]・[[靖国神社]]の[[遊就館]]松田常太館長に託されていたが、[[竹内文書#天津教をめぐる事件|第二次天津教弾圧事件]]により、[[1936年]](昭和11年)4月30日、竹内巨麿による神宝を[[水戸地方裁判所]]に移す旨の受託書により[[押収]]され、その後、[[東京大空襲]]で失われた。-->
[[古代ギリシア|古代ギリシャ]]に伝わる[[オリハルコン]]とヒヒイロカネは同一の物質であり、ともに「生きた金属=[[オーラ]]を発する」と酒井は述べている。酒井自身が「これこそがヒヒイロカネである」と仲間に語った物質[[岩手県]]で産出する[[餅鉄]]であるが、これは[[鉄]]の含有率の高い単なる[[磁鉄鉱]]である。

== オウム真理教とヒヒイロカネ ==
[[オウム真理教]]の[[麻原彰晃]]は、<!--オウム真理教を設立する2年前の-->雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』1985年11月号(第60号)に、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」という記事を投稿した{{Sfn|原田|2020|pp=211-212}}。その中で、酒井勝軍の足跡を辿り、岩手県釜石市でヒヒイロカネを発見したと称した{{Sfn|原田|2020|p=213}}。さらに、そこで酒井の隠された予言を知ったとした{{Sfn|原田|2020|p=213}}。{{See Also|酒井勝軍#酒井勝軍に影響を受けた人達}}

オウム真理教では、酒井がヒヒイロカネであるとした餅鉄を大量に用意しており、これを邪気を吸収するエネルギーを持つ霊石「ヒヒイロカネ」と称して<ref>東京キララ社編集部 『オウム真理教大辞典』 [[三一書房]] 2003年11月 ISBN 978-4380032097 P.113</ref>[[オウム真理教の修行|イニシエーション]]に用いていた<ref>[http://aumnuminous.blog.fc2.com/blog-entry-12.html?sp 13.ヒヒイロカネとプルシャ|オウムとクンダリニー]</ref>。


== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Citation|和書|date=2020-03-25|title=偽書が揺るがせた日本史|author=[[原田実 (作家)|原田実]]|publisher=[[山川出版社]]|isbn=978-4-634-15163-5|ref={{SfnRef|原田|2020}}}}([[電子書籍|電子版]]あり)


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[オリハルコン]]
* [[オリハルコン]]
* [[古史古伝]]
* [[古史古伝]]
* [[新実智光]]
* [[楢崎皐月#概要]]<font size="-1">「1944年、満州、吉林で盧有三(90歳位)老子教老師と会い、古伝(日本の超古代文明:八鏡の文字を持ったアシア族)について聞かされた。その時、老師に伝わっている鉄器の熱伝導のよさに驚いた('''木の葉で湯が沸いた''')。」という記述がある。</font>


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2024年5月19日 (日) 13:22時点における最新版

ヒヒイロカネは、偽書竹内文書』に出てくる金属とされるものである[1]。オカルティストが「古史古伝における太古日本伝説金属または合金」と主張している。麻原彰晃オウム真理教設立前にオカルト雑誌『ムー』で取り上げていた[1]

緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。様々なフィクションに登場する。なお実在するベリリウム銅合金が特徴として近い。

『竹内文書』での設定

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古文書を模した偽書とみられる『竹内文書』によれば、神武天皇以後の御世ではかなり希少な金属になっており、祭祀用の装身具富山県皇祖皇太神宮本殿の屋根[2]などに用いられたが、時代とともに資源が枯渇したのか、精錬技術が失われていったのか、雄略天皇の時代に日の神十六菊形紋のを二枚作ったのを最後にヒヒイロカネは精錬されなくなったとされている。

ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本(神武天皇の御世以前=ウガヤ王朝期)では現在の鉄やと同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。特に合金としてよく出来たものは神具の材料として使われたという。三種の神器もヒヒイロカネで作られているとされる。

その比重よりも軽量であるが、合金としてのヒヒイロカネは金剛石(ダイヤモンド)よりも硬く、永久不変で絶対に錆びない性質をもつという。また常温での驚異的な熱伝導性を持ち、ヒヒイロカネで造られた茶釜で湯を沸かすには、木の葉数枚の燃料で十分であったとも伝えられている。

  • 太陽のように赤い金属とも、輝く金属とも言われる。
  • 触ると冷たい。
  • 表面が揺らめいて見える。
  • 磁気を拒絶する。

酒井勝軍とヒヒイロカネ

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酒井勝軍による調査で、草薙の剣ほかヒヒイロカネ製の装飾品を竹内巨麿邸にて発見し、酒井が主宰した月刊誌『神秘之日本』に発表している。その時、酒井が竹内邸で発見したヒヒイロカネ製の装飾品のかなりが「錆びて」おり、酒井が加工することで本来の輝きを取り戻したとされ(八幡書店刊『竹内文献資料集成』に写真が掲載されている)、ヒヒイロカネとはいえ本当に永久不変ではなく、保存状態が悪いと錆びてしまうらしいが、なぜ酒井がヒヒイロカネの加工技術を知っていたかは酒井の家族ですら知らない。なお、世界最高の切れ味を誇るといわれる日本刀の加工技術も、ヒヒイロカネの加工技術が一部使われていると酒井らは考えていた。

古代ギリシャに伝わるオリハルコンとヒヒイロカネは同一の物質であり、ともに「生きた金属=オーラを発する」と酒井は述べている。酒井自身が「これこそがヒヒイロカネである」と仲間に語った物質は岩手県で産出する餅鉄であるが、これはの含有率の高い単なる磁鉄鉱である。

オウム真理教とヒヒイロカネ

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オウム真理教麻原彰晃は、雑誌『ムー』1985年11月号(第60号)に、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」という記事を投稿した[3]。その中で、酒井勝軍の足跡を辿り、岩手県釜石市でヒヒイロカネを発見したと称した[4]。さらに、そこで酒井の隠された予言を知ったとした[4]

オウム真理教では、酒井がヒヒイロカネであるとした餅鉄を大量に用意しており、これを邪気を吸収するエネルギーを持つ霊石「ヒヒイロカネ」と称して[5]イニシエーションに用いていた[6]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 原田 2020, p. 212.
  2. ^ 上古第22代天疎日向津比売(あまさかりひにむかいつひひめ)身光天津日嗣天日天皇は、富山の皇祖皇太神宮本殿を造営した際、屋根をヒヒイロカネで葺いたと『竹内文書』に記されている。
  3. ^ 原田 2020, pp. 211–212.
  4. ^ a b 原田 2020, p. 213.
  5. ^ 東京キララ社編集部 『オウム真理教大辞典』 三一書房 2003年11月 ISBN 978-4380032097 P.113
  6. ^ 13.ヒヒイロカネとプルシャ|オウムとクンダリニー

参考文献

[編集]
  • 原田実『偽書が揺るがせた日本史』山川出版社、2020年3月25日。ISBN 978-4-634-15163-5 電子版あり)

関連項目

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