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'''アメリカ海軍情報局'''([[英語]]:Office of Naval Intelligence 略称:ONI)とは、[[アメリカ海軍]]の[[情報機関]]。
'''アメリカ海軍情報局'''(Office of Naval Intelligence;略称ONI)とは、[[アメリカ海軍]]の[[情報機関]]であり、アメリカの[[インテリジェンス・コミュニティー|情報共同体]]の一員である。ONIは、極めて強力な[[暗号]]([[暗号解読]])機関を有する外、広範囲な[[シギント|電波傍受網]]も有しており、外国の探知システム、海洋監視システム、[[潜水艦]]及び潜水武器システムに関する音響情報の収集([[SOSUS]])、分析に従事している。


[[アメリカ合衆国]]の[[インテリジェンス・コミュニティー]]の一員であり、[[アメリカ陸軍|陸軍]]の[[アメリカ陸軍情報保全コマンド|情報保全コマンド]](INSCOM)、[[アメリカ空軍|空軍]]の[[空軍情報・監視・偵察局|情報・監視・偵察局]](AFISR)、[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]の[[:en:Marine Corps Intelligence Activity|情報部]]とともに、[[アメリカ国防総省|国防総省]]の管轄下にある四軍<ref>[[アメリカ合衆国国土安全保障省|国土安全保障省]]に属する[[アメリカ沿岸警備隊|沿岸警備隊]]を含めれば「五軍」である。ちなみに沿岸警備隊も情報部(CGI)を有しており、五軍全てが独自の情報機関を有している。</ref>の情報機関の1つとして任務に当たっている。
また、ONIは民間船舶の移動に関する情報を収集できるアメリカ唯一の情報機関であるため、世界武器市場の情報に関する主要情報源の1つともなっており、[[麻薬]][[密輸]]、[[密漁]]、[[放射性廃棄物]]の海洋投棄の監視等の問題も担当している。

ONI本部は、[[メリーランド州]]シュトランドの国家海事情報センター(National Maritime Intelligence Center)に位置する。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

=== 創設期 ===
=== 創設期 ===
海軍情報部創設のきっかけとなったのは、合衆国を二分した[[南北戦争]]([[1861年]] - [[1865年]])である<ref name="ONI history">[http://www.oni.navy.mil/This_is_ONI/Proud_History.html “Proud History”] {{en icon}} 海軍情報部の公式サイトにて紹介されている海軍情報部の歴史。</ref>。合衆国海軍は南北戦争において、[[アメリカ連合国海軍|連合国海軍]](南軍)とともに[[装甲艦]](甲鉄艦)を建造・実戦投入したり、[[北軍による海上封鎖|海上封鎖]]により南部経済に大きな打撃を与えるなど、大きな進歩・戦果をあげた。しかし南北戦争の終結後、合衆国海軍の戦力は大きく削減され、その結果保有艦艇は装備が旧式化したものが少数という欧州諸国、[[ロシア]]などの[[列強]]諸国や[[日本]]など当時海軍力の強化・近代化を推進していた「海軍大国」の国々に比して、戦力的に大きく水をあけられた極めて脆弱な状況に陥った<ref name="ONI history"/>。


[[1880年]]代に入り、当時の[[ジェームズ・ガーフィールド]](第20代)、[[チェスター・A・アーサー]](第21代)両[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の下で[[アメリカ合衆国海軍長官|海軍長官]]を務めた[[ウィリアム・ヘンリー・ハント (海軍長官)|ウィリアム・H・ハント]]長官は、弱体化した海軍の現状に警鐘を鳴らし、[[:en:Naval Consulting Board|海軍諮問委員会]]を設置するなど、[[アメリカ合衆国連邦政府|アメリカ政府]]もようやく海軍力の再建・近代化の必要性を認識し、これに取り組むようになった。その取り組みの中で、艦艇増強などと併せて実施された近代化策の1つが海軍情報部の設置である。
1882年3月3日、海軍省令により航法局に情報課が編成され、しばらく後に海軍情報局となった。この日付は、海軍情報局の創設日と考えられている。海軍情報局は、アメリカの情報機関中最古の情報機関である。


アーサー[[政権]]時代の[[1882年]][[3月3日]]、ウィリアム・H・ハント長官により[[アメリカ合衆国海軍省|海軍省]]令(一般省令第292号)が発令され、この省令により航海局(Bureau of Navigation)の下に情報課が編成された。この日は海軍情報部の公式な創設日とされており、海軍情報部はアメリカのインテリジェンス・コミュニティーの中でも最古の情報機関となっている。本省令によって情報課に与えられた任務は、「戦時および平時において、海軍省にとって有益と思われる情報の収集および記録を行う」ことであった<ref>[https://web.archive.org/web/20070521024644/http://www.history.navy.mil/library/online/ndl_order292.htm “General Order No. 292 (23 March 1882)”] {{en icon}} 海軍情報課の創設を命じる海軍省令(一般省令)第292号の全文。海軍省ライブラリにて公開されている。</ref>。
海軍省令に先立ち、海軍情報の経験獲得のため、セオド・メイソン尉が欧州に派遣された。この際、当時の[[イギリス海軍]]が独立した情報機関を有していなかったため、[[フランス海軍]]が模範に取られた。1882年から1888年の間、駐ロンドン、パリ、ローマのアメリカ大使館に海軍[[駐在武官]]職が制定された。

この海軍省令・情報課創設に先立ち、海軍による情報任務構想・経験獲得のため、[[:en:Theodorus B. M. Mason|セオドラス・メイソン]][[大]][[ヨーロッパ]]に派遣された。この際、当時の[[イギリス海軍]]が独立した情報を有していなかったため、[[フランス海軍]]が模範に取られた。1882年から1888年の間、駐[[ロンドン]][[パリ]][[ローマ]]のアメリカ[[大使館]]に海軍[[駐在武官]]職が制定された。


=== 両大戦間 ===
=== 両大戦間 ===
[[第次世界大戦]]時、アメリカ海軍の情報需要の大部分は、イギリス海軍の助けにより満たされた。海軍情報は、1920年から独立部署となったが、外国の無線の傍受、[[暗号]]解読を非倫理的であるとみなした政府の意向のため、その職員数は削減された。この結果、1934年当時、海軍情報は、20人の職員しか有していなかった。


海軍情報の両大戦間における最も輝かしい成果は、日本の外交及び海軍の電報の傍受・解読であった。特に同の努力のおかげで、1940年に導入された日本の「[[パープル暗号|パープル]]」暗号が解読された。アメリカ政府は、駐ワシントン日本大使館のほぼ全ての電文を読むことができた。
[[第1次世界大戦]]時、アメリカ海軍の情報需要の大部分は、[[イギリス海軍]]の助けにより満たされた。海軍情報は、1920年から独立部署となったが、外国の無線の傍受、暗号解読を非倫理的であるとみなした政府の意向のため、その職員数は削減された。この結果、1934年当時、海軍情報は、20人の職員しか有していなかった。


=== [[次世界大戦]] ===
海軍情報の両大戦間における最も輝かしい成果は、日本の外交及び海軍の電報の傍受・解読であった。特に同の努力のおかげで、1940年に導入された日本の「[[パープル暗号|パープル]]」暗号が解読された。アメリカ政府は、駐ワシントン日本大使館のほぼ全ての電文を読むことができた。
1941年12月7日の[[真珠湾攻撃|真珠湾奇襲]]は、海軍情報が非常に限定的な役割しか果たしていなかったことを示した。仮想敵に関する諜報情報の収集が日々の任務ではあったが、収集した情報の分析及び配布は許可されていなかった。この権限を有していたのは、海軍作戦部であった。それ故、奇襲について[[ワシントンD.C.|ワシントン]]には適時に通報されたにも拘わらず、[[ハワイ州|ハワイ]]の[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|太平洋艦隊]]司令官は何も知らなかった。[[空襲]]警報は、空襲終結後に彼に手渡された。


海軍情報の第次世界大戦における最も輝かしい成果と考えられているのは、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の暗号のほぼ完全な解明とその事実の秘匿の成功であった。日本海軍の暗号の解読は、[[ミッドウェ海戦]]時に日本[[航空母艦|空母]]の正確な所在地を確定し、その勝利に大きく貢献した。1943年4月18日の[[連合艦隊司令長官]][[山本五十六]]海軍[[大将]]搭乗機の撃墜([[海軍甲事件]])も、その成果の1つである。[[日本軍]]に対しては数々の戦果を挙げており、[[マキン]]島コマンド奇襲による暗号書類の奪取、[[ガダルカナル]]に座礁したイ-1潜水艦内部からの暗号書類、暗号装置の奪取、[[海軍乙事件]]における作戦関係書類の情報分析など情報戦での貢献は非常に大きなものがある。この情報戦の分野で日本は、陸軍の[[堀栄三]][[少佐]]が中心となり対策を講じたが、戦勢挽回には至らなかった。
=== 第2次世界大戦 ===
1941年12月7日の[[真珠湾攻撃|真珠湾奇襲]]は、海軍情報が非常に限定的な役割しか果たしていなかったことを示した。仮想敵に関する諜報情報の収集が日々の任務ではあったが、収集した情報の分析及び配布は許可されていなかった。この権限を有していたのは、海軍作戦部であった。それ故、奇襲について[[ワシントンD.C.|ワシントン]]には適時に通報されたにも拘わらず、[[ハワイ]]の太平洋艦隊司令官は何も知らなかった。空襲警報は、空襲終結後に彼に手渡された。


また[[ドイツ海軍]]の[[Uボート]]潜水艦の暗号無線機[[エニグマ (暗号機)|エニグマ]]の奪取作戦に参加し、その解読に成功した結果、Uボートを大西洋から駆逐することに成功した。
海軍情報の第2次世界大戦における最も輝かしい成果と考えられているのは、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[暗号]]のほぼ完全な解明とその事実の秘匿の成功であった。日本海軍の暗号の解読は、[[ミッドウェ海戦]]時に日本空母の正確な所在地を確定し、その勝利に大きく貢献した。1943年4月18日の[[連合艦隊司令長官]][[山本五十六]][[海軍大将]]搭乗機の撃墜([[海軍甲事件]])も、その成果の1つである。日本軍に対しては数々の戦果を挙げており、[[マキン]]島コマンド奇襲による暗号書類の奪取、[[ガダルカナル]]に座礁したイ-1潜水艦内部からの暗号書類、暗号装置の奪取、[[海軍乙事件]]における作戦関係書類の情報分析など情報戦での貢献は非常に大きなものがある。この情報戦の分野で日本は、陸軍の[[堀栄三]]少佐が中心となり対策を講じたが、戦勢挽回には至らなかった。

またドイツ海軍の[[Uボート]]潜水艦の暗号無線機[[エニグマ]]の奪取作戦に参加し、その解読に成功した結果、Uボートを大西洋から駆逐することに成功した。


戦時中、一連の独立部署が創設された。特に海軍写真解読センターは、艦隊の作戦準備に顕著な影響を与えた。
戦時中、一連の独立部署が創設された。特に海軍写真解読センターは、艦隊の作戦準備に顕著な影響を与えた。


== 現状 ==
== 現状 ==
ONIは、極めて強力な[[暗号]](暗号解読)機関を有する外、広範囲な[[シギント|電波傍受網]]も有しており、外国の探知システム、海洋監視システム、[[潜水艦]]及び潜水武器システムに関する音響情報の収集([[SOSUS]])、分析に従事している。また、ONIは民間船舶の移動に関する情報を収集できるアメリカ唯一の情報機関であるため、世界武器市場の情報に関する主要情報源の1つともなっており、[[麻薬]][[密輸]]、[[密漁]]、[[放射性廃棄物]]の海洋投棄の監視等の問題も担当している。


現在の海軍情報は、組織的に海軍作戦部に入っている。海軍情報長は、海軍作戦部長補佐官の地位を有し、海軍長官に直属する。この外、海軍省内には、通信担当海軍作戦部長補佐官が指揮する'''海軍保安群'''が存在する。海軍保安群は、ONIと密接に協力し、暗号解読機能を遂行している。
現在の海軍情報は、組織的に海軍作戦部に入っている。海軍情報長は、情報担当海軍作戦部長補佐官の地位を有する。海軍には、通信担当海軍作戦部長補佐官が指揮する'''海軍保安群'''が存在する。海軍保安群は、ONIと密接に協力し、暗号解読機能を遂行している。1993年に設立された'''国家海事情報センター'''は、ONIが入手した電子、写真、電波、音響情報の解析を行い、全海洋の軍民を問わず全艦艇の移動をリアルタイムで追跡している。


海軍情報局は、他の軍情報機関と異なり、独立した防諜部署を有していない。必要な場合、ONI職員が艦隊内発生た犯罪の捜査を行う1993年に設立された'''国家海事情報センター'''は、ONIが入手た電子写真電波、音響情報の解析を行い、全海洋の軍民問わず全艦艇の移動をリアルタイムで追跡している。
ONIは、各地区の情報部、各艦隊の情報科から構成されているが、他の[[アメリカ軍|米]]情報と異なり、防諜要員を有していない。各地区の情報部は、ONIの作戦統制下にあり、所属地区活動ている各艦隊の情報は、艦隊司令官に直属し、戦術・作戦偵察防諜保障任務遂行する。


海軍[[駐在武官]]は、ONIの指導下で情報収集に従事するが、全軍の駐在武官の情報収集を集約する[[アメリカ国防情報局|国防省情報本部]](DIA)と[[アメリカ合衆国国務省|国務省]]にも監督されている。
海軍情報局の下位機関は、3つの主要構成要素から成る。各地区の海軍情報部は、ONIの作戦統制下にあり、米本土と所属地区で活動している。地区の情報科は、艦隊司令官に直属する。科士官は、主として防諜と安全保障任務を遂行する。情報士官と並行して、地区の情報科には、安全保障問題に従事し、艦隊内の刑事事件の捜査を行う軍属が含まれる。

ONI本部は、[[メリーランド州]]シュトランドの国家海事情報センター(National Maritime Intelligence Center)に位置する。


== 脚注 ==
航海中の艦隊の情報部門は、艦隊司令官に従属する。航海中の艦隊、及び在外海軍基地では、艦隊司令官は、その本部に情報部門を有して、戦術・作戦偵察を行っている。情報部門の士官は、ONIのための情報収集任務を遂行することもある。
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海軍[[駐在武官]]は、ONIの指導下で活動するが、出向先の[[国務省]]の監督下にある。海軍駐在武官はまた、全軍種の駐在武官の業務を調整する[[アメリカ国防情報局|国防情報局]](DIA)にも監督されている。海軍駐在武官は、赴任前、ONIで特殊訓練を受け、在任時、ONIのための諜報情報を収集するが、国務省の任務も遂行している。


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2024年5月21日 (火) 07:01時点における最新版

アメリカ海軍情報局英語:Office of Naval Intelligence 略称:ONI)とは、アメリカ海軍情報機関

アメリカ合衆国インテリジェンス・コミュニティーの一員であり、陸軍情報保全コマンド(INSCOM)、空軍情報・監視・偵察局(AFISR)、海兵隊情報部とともに、国防総省の管轄下にある四軍[1]の情報機関の1つとして任務に当たっている。

歴史

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創設期

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海軍情報部創設のきっかけとなったのは、合衆国を二分した南北戦争1861年 - 1865年)である[2]。合衆国海軍は南北戦争において、連合国海軍(南軍)とともに装甲艦(甲鉄艦)を建造・実戦投入したり、海上封鎖により南部経済に大きな打撃を与えるなど、大きな進歩・戦果をあげた。しかし南北戦争の終結後、合衆国海軍の戦力は大きく削減され、その結果保有艦艇は装備が旧式化したものが少数という欧州諸国、ロシアなどの列強諸国や日本など当時海軍力の強化・近代化を推進していた「海軍大国」の国々に比して、戦力的に大きく水をあけられた極めて脆弱な状況に陥った[2]

1880年代に入り、当時のジェームズ・ガーフィールド(第20代)、チェスター・A・アーサー(第21代)両大統領の下で海軍長官を務めたウィリアム・H・ハント長官は、弱体化した海軍の現状に警鐘を鳴らし、海軍諮問委員会を設置するなど、アメリカ政府もようやく海軍力の再建・近代化の必要性を認識し、これに取り組むようになった。その取り組みの中で、艦艇増強などと併せて実施された近代化策の1つが海軍情報部の設置である。

アーサー政権時代の1882年3月3日、ウィリアム・H・ハント長官により海軍省令(一般省令第292号)が発令され、この省令により航海局(Bureau of Navigation)の下に情報課が編成された。この日は海軍情報部の公式な創設日とされており、海軍情報部はアメリカのインテリジェンス・コミュニティーの中でも最古の情報機関となっている。本省令によって情報課に与えられた任務は、「戦時および平時において、海軍省にとって有益と思われる情報の収集および記録を行う」ことであった[3]

この海軍省令・情報課創設に先立ち、海軍による情報任務の構想・経験獲得のため、セオドラス・メイソン大尉ヨーロッパに派遣された。この際、当時のイギリス海軍が独立した情報部を有していなかったため、フランス海軍が模範に取られた。1882年から1888年の間、駐ロンドンパリローマのアメリカ大使館に海軍駐在武官職が制定された。

両大戦間

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第一次世界大戦時、アメリカ海軍の情報需要の大部分は、イギリス海軍の助けにより満たされた。海軍情報部は、1920年から独立部署となったが、外国の無線の傍受、暗号解読を非倫理的であるとみなした政府の意向のため、その職員数は削減された。この結果、1934年当時、海軍情報部は、20人の職員しか有していなかった。

海軍情報部の両大戦間における最も輝かしい成果は、日本の外交及び海軍の電報の傍受・解読であった。特に同部の努力のおかげで、1940年に導入された日本の「パープル」暗号が解読された。アメリカ政府は、駐ワシントン日本大使館のほぼ全ての電文を読むことができた。

1941年12月7日の真珠湾奇襲は、海軍情報部が非常に限定的な役割しか果たしていなかったことを示した。仮想敵に関する諜報情報の収集が日々の任務ではあったが、収集した情報の分析及び配布は許可されていなかった。この権限を有していたのは、海軍作戦部であった。それ故、奇襲についてワシントンには適時に通報されたにも拘わらず、ハワイ太平洋艦隊司令官は何も知らなかった。空襲警報は、空襲終結後に彼に手渡された。

海軍情報部の第二次世界大戦における最も輝かしい成果と考えられているのは、日本海軍の暗号のほぼ完全な解明とその事実の秘匿の成功であった。日本海軍の暗号の解読は、ミッドウェー海戦時に日本空母の正確な所在地を確定し、その勝利に大きく貢献した。1943年4月18日の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将搭乗機の撃墜(海軍甲事件)も、その成果の1つである。日本軍に対しては数々の戦果を挙げており、マキン島コマンド奇襲による暗号書類の奪取、ガダルカナル島に座礁したイ-1潜水艦内部からの暗号書類、暗号装置の奪取、海軍乙事件における作戦関係書類の情報分析など情報戦での貢献は非常に大きなものがある。この情報戦の分野で日本は、陸軍の堀栄三少佐が中心となり対策を講じたが、戦勢挽回には至らなかった。

またドイツ海軍Uボート潜水艦の暗号無線機エニグマの奪取作戦に参加し、その解読に成功した結果、Uボートを大西洋から駆逐することに成功した。

戦時中、一連の独立部署が創設された。特に海軍写真解読センターは、艦隊の作戦準備に顕著な影響を与えた。

現状

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ONIは、極めて強力な暗号(暗号解読)機関を有する外、広範囲な電波傍受網も有しており、外国の探知システム、海洋監視システム、潜水艦及び潜水武器システムに関する音響情報の収集(SOSUS)、分析に従事している。また、ONIは民間船舶の移動に関する情報を収集できるアメリカ唯一の情報機関であるため、世界武器市場の情報に関する主要情報源の1つともなっており、麻薬密輸密漁放射性廃棄物の海洋投棄の監視等の問題も担当している。

現在の海軍情報部は、組織的に海軍作戦部に入っている。海軍情報部長は、情報担当海軍作戦部長補佐官の地位を有する。海軍には、通信担当海軍作戦部長補佐官が指揮する海軍保安群が存在する。海軍保安群は、ONIと密接に協力し、暗号解読機能を遂行している。1993年に設立された国家海事情報センターは、ONIが入手した電子、写真、電波、音響情報の解析を行い、全海洋の軍民を問わず全艦艇の移動をリアルタイムで追跡している。

ONIは、各地区の情報部、各艦隊の情報科から構成されているが、他の米軍情報部と異なり、防諜要員を有していない。各地区の情報部は、ONIの作戦統制下にあり、所属地区で活動している。各艦隊の情報科は、艦隊司令官に直属し、戦術・作戦偵察、防諜、安全保障任務を遂行する。

海軍駐在武官は、ONIの指導下で情報収集に従事するが、全軍の駐在武官の情報収集を集約する国防省情報本部(DIA)と国務省にも監督されている。

ONI本部は、メリーランド州シュトランドの国家海事情報センター(National Maritime Intelligence Center)に位置する。

脚注

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  1. ^ 国土安全保障省に属する沿岸警備隊を含めれば「五軍」である。ちなみに沿岸警備隊も情報部(CGI)を有しており、五軍全てが独自の情報機関を有している。
  2. ^ a b “Proud History” (英語) 海軍情報部の公式サイトにて紹介されている海軍情報部の歴史。
  3. ^ “General Order No. 292 (23 March 1882)” (英語) 海軍情報課の創設を命じる海軍省令(一般省令)第292号の全文。海軍省ライブラリにて公開されている。