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'''クリスチャン・カレン'''('''Christian Mathias Cullen''', [[1976年]][[2月12日]] - )は、[[ニュージーランド]]の元[[ラグビー]]選手。
'''クリスチャン・カレン'''('''Christian Mathias Cullen''', [[1976年]][[2月12日]] - )は、[[ニュージーランド]]出身の元[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手。現役時代のポジションは[[ラグビーのポジション#フルバック|フルバック(FB)]]


== 人物 ==
[[ウェリントン]]郊外パラパラウム生まれ。カピティ・カレッジ卒業。ラグビーニュージーランド高等学校代表を経て1995年に[[ニュージーランド州代表選手権|NPC]]マナワツに所属。セントラル・バイキングス(1999年にホークスベイとマナワツに統合)を経て1998年から2003年までウェリントン2003年から2006年まで[[アイルランド]]のマンスターに所属し、マンスターを最後に現役生活から引退した。
[[ウェリントン]]郊外パラパラウム生まれ。カピティ・カレッジ卒業。ラグビーニュージーランド高等学校代表を経て1995年に[[ニュージーランド州代表選手権|NPC]](現在のエアニュージーランドカップ)マナワツに所属。セントラル・バイキングス(1999年にホークスベイとマナワツに統合)を経て1998年から2003年までウェリントンに所属し2000年にはウェリントンの14年ぶりの優勝に貢献している。2003年から2006年まで[[アイルランド]]のマンスターに所属し、マンスターを最後に現役生活から引退した。


1996年から2003年までスーパーラグビー([[スーパー14]])[[ハリケーンズ]]に所属、1996年ら2002年まで[[ラグビーニュージーランド代表]](オールブラックス)に選出され58キャップ、46トライ、236得点。オールブラックス46トライはオールブラックス史上歴代2位の記録である(2008年現在)。スーパーラグビーでは56トライを記録。[[7人制グビー]]ニュージーンド代表(1995年から1996年)にも選抜された。2000年にはNPC(現在のエアニュージーランドカップ)ウェリントンの14年ぶりの優勝に貢献している
1996年から2003年までスーパーラグビー([[スーパー14]])[[ハリケーンズ (ラグビー)|ハリケーンズ]]に所属、1996年ら2002年まで[[ラグビーニュージーランド代表]](オールブラックス)に選出され58キャップ、46トライ、236得点。オールブラックス46トライはオールブラックス史上歴代2位の記録である(2010年現在)。スーパーラグビーでは通算85試合に出場し56トライ[[イネイションズ]]16トイを記録


[[7人制ラグビー]]ニュージーランド代表(1995年、1996年、1998年)に選抜され、[[1998年コモンウェルスゲームズ]]大会では金メダルを獲得。
フルバックのポジションながらスペースをつく戦術、的確な状況判断の下、トライを量産した。[[1999 ラグビー・ワールドカップ]]ではセンターでプレイした経験を持つ。足元が柔らかく、パス、ドロップキック等の技術水準も高く、オールブラックス史上最も華麗な選手の一人と称される選手。オールブラックス史上最多キャップ数のフルバックである。2001年は怪我の影響により出場機会が減り、また、ジョン・ミッチェルヘッドコーチ(当時)、[[ロビー・ディーンズ]]アシスタントコーチ(当時)との確執も取り沙汰され、2003年にアイルランドのマンスターへ移籍するも移籍後怪我に悩まされ目立った活躍のないまま現役生活引退した。


フルバックのポジションからスペースをつく戦略と的確な戦況判断のもとトライを量産した。[[ラグビーワールドカップ1999]]ではセンターで起用された経歴を持つ。足元が柔らかく、パス、[[ドロップキック (フットボール)|ドロップキック]]すべての技術水準が高く、足が非常に速い。
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華麗なボールさばきはオールブラックス史上最も華麗な選手の一人と称される。オールブラックス史上最多キャップ数を誇るフルバックである。
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2010年4月に交際12年の女性と結婚。結婚時、夫妻の間には2子が誕生している。
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アイルランドからの家系を持つ人物であるが、他にドイツ、サモア、マオリ族の家系を持つ。

== 関連項目 ==
*[[ハリケーンズ (ラグビー)|ハリケーンズ]]
*[[ラグビーニュージーランド代表]]
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[[Category:ニュージーランドのラグビーユニオン選手]]
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[[Category:アイルランド系ニュージーランド人]]
[[Category:ドイツ系ニュージーランド人]]
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[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:ハリケーンズの選手]]
[[Category:ラグビーワールドカップニュージーランド代表選手]]
[[Category:ラグビーワールドカップ1999出場選手]]
[[Category:ニュージーランドのコモンウェルスゲームズ金メダリスト]]
[[Category:マオリ・オールブラックスの選手]]

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クリスチャン・カレン

クリスチャン・カレンChristian Mathias Cullen, 1976年2月12日 - )は、ニュージーランド出身の元ラグビー選手。現役時代のポジションはフルバック(FB)

人物

[編集]

ウェリントン郊外パラパラウム生まれ。カピティ・カレッジ卒業。ラグビーニュージーランド高等学校代表を経て1995年にNPC(現在のエアニュージーランドカップ)マナワツに所属。セントラル・バイキングス(1999年にホークスベイとマナワツに統合)を経て1998年から2003年までウェリントンに所属し2000年にはウェリントンの14年ぶりの優勝に貢献している。2003年から2006年までアイルランドのマンスターに所属し、マンスターを最後に現役生活から引退した。

1996年から2003年までスーパーラグビー(スーパー14ハリケーンズに所属、1996年から2002年までラグビーニュージーランド代表(オールブラックス)に選出され58キャップ、46トライ、236得点。オールブラックス46トライはオールブラックス史上歴代2位の記録である(2010年現在)。スーパーラグビーでは通算85試合に出場し56トライ、トライネイションズ16トライを記録。

7人制ラグビーニュージーランド代表(1995年、1996年、1998年)に選抜され、1998年コモンウェルスゲームズ大会では金メダルを獲得。

フルバックのポジションからスペースをつく戦略と的確な戦況判断のもとトライを量産した。ラグビーワールドカップ1999ではセンターで起用された経歴を持つ。足元が柔らかく、パス、ドロップキックすべての技術水準が高く、足が非常に速い。

華麗なボールさばきはオールブラックス史上最も華麗な選手の一人と称される。オールブラックス史上最多キャップ数を誇るフルバックである。

2001年は怪我の影響により出場機会が減り、また、ジョン・ミッチェルヘッドコーチ(当時)、ロビー・ディーンズアシスタントコーチ(当時)との確執も取り沙汰され、2003年にアイルランドのマンスターへ移籍するも移籍後も怪我に悩まされ目立った活躍のないまま現役生活から引退した。

2010年4月に交際12年の女性と結婚。結婚時、夫妻の間には2子が誕生している。

アイルランドからの家系を持つ人物であるが、他にドイツ、サモア、マオリ族の家系を持つ。

関連項目

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