コンテンツにスキップ

「カルロス・スペンサー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
 
(9人の利用者による、間の12版が非表示)
1行目: 1行目:
'''カルロス・スペンサー'''または'''カーロス・スペンサー'''(Carlos Spencer, またはCarlos”'''KING'''”Spencer, [[1975年]][[10月14日]] - )は[[ニュージーランド]]の[[ラグビー]]選手。身長185cm、体重96kg。ポジションは[[スタンドオフ]]。愛称は「キング」。
'''カルロス・スペンサー'''または'''カーロス・スペンサー'''(Carlos Spencer, またはCarlos“'''KING'''”Spencer, [[1975年]][[10月14日]] - )は[[ニュージーランド]]の[[ラグビーユニオン|ラグビー]]選手。身長185cm、体重96kg。ポジションは[[スタンドオフ]]。愛称は「キング」。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[File:Carlos Spencer.jpg|right|thumb|160px|カルロス・スペンサー]]
[[ファイル:Carlos Spencer.jpg|right|thumb|160px|カルロス・スペンサー]]
元ニュージーランド代表[[オールブラックス]]のメンバーである。キャップ数は35、291ポイント、14トライ。代表デビューは1995年の欧州ツアー(仏伊)で、当時の正スタンドオフである[[アンドリュー・マーティンズ]]の代わりとして出場することが多かった。オールブラックスでは試合前に披露する[[ハカ (ダンス)|ハカ]]のリード選手に起用された。
元ニュージーランド代表[[オールブラックス]]のメンバーである。キャップ数は44、291ポイント、14トライ。代表デビューは1995年の欧州ツアー(仏伊)で、当時の正スタンドオフである[[アンドリュー・マーティンズ]]の代わりとして出場することが多かった。オールブラックスでは試合前に披露する[[ハカ (ダンス)|ハカ]]のリード選手に起用された。


1993年から2004年まで[[ニュージーランド州代表選手権|NPC]](エア・ニュージーランドカップ)オークランド所属。1996年から2005年まで[[スーパー14]][[ブルース (ラグビー)|ブルース]]所属。
1993年から2004年まで[[ニュージーランド州代表選手権|NPC]](エア・ニュージーランドカップ)オークランド所属。1996年から2005年まで[[スーパー14]][[ブルース (ラグビー)|ブルース]]所属。
13行目: 13行目:
2005年に[[プレミアシップ (ラグビー)|プレミアシップ]]のノーサンプトン・セインツに移籍し2009年まで在籍。2009年 - 2010年シーズンは同リーグ・グロスターラグビーへ移籍。2010年 - 2011年シーズンは南アフリカのライオンズに所属し5年ぶりにスーパー14に復帰した。
2005年に[[プレミアシップ (ラグビー)|プレミアシップ]]のノーサンプトン・セインツに移籍し2009年まで在籍。2009年 - 2010年シーズンは同リーグ・グロスターラグビーへ移籍。2010年 - 2011年シーズンは南アフリカのライオンズに所属し5年ぶりにスーパー14に復帰した。


また、2007年5月9日、12日に開催された[[ラグビー日本代表]] x [[クラシック・オールブラックス]]には、2戦とも参加。この試合では[[フルバック]]として参加し、クラシック・オールブラックスの勝利に貢献した。
また、2007年5月9日、12日に開催された[[ラグビー日本代表|日本代表]] x [[クラシック・オールブラックス]]には、2戦とも参加。この試合では[[ラグビーのポジション#フルバック|フルバック]]として参加し、クラシック・オールブラックスの勝利に貢献した。


引退後、ライオンズ(2012年)、シャークス(2013年)、キングス(2014年)、2016年から2018年にかけて、ジャパンラグビーリーグ1部だった宗像サニックスブルース、2019年から2021年は、ハリケーンズ、2022年からは米国 NOLAゴールドでコーチとして、活躍した。
{{DEFAULTSORT:すへんさ かるろす}}

[[Category:ニュージーランドのラグビー選手]]
== 関連項目 ==
*[[ブルーズ (ラグビー)|ブルーズ]]
*[[ラグビーニュージーランド代表]]

{{Navboxes
|title= {{Flagicon|NZL}} [[ラグビーニュージーランド代表 |{{Color|#fff|ニュージーランド代表 }}]] - 出場大会
|titlestyle = background:black; color:#fff;
|list1 =
{{ニュージーランド代表1999年ラグビーワールドカップ}}
{{ニュージーランド代表2003年ラグビーワールドカップ}}
}}

{{デフォルトソート:すへんさ かるろす}}
[[Category:ニュージーランドのラグビーユニオン選手]]
[[Category:ブルーズの選手]]
[[Category:ラグビーニュージーランド代表選手]]
[[Category:ラグビーニュージーランド代表選手]]
[[Category:ラグビーワールドカップニュージーランド代表選手]]
[[Category:ラグビーワールドカップ1999出場選手]]
[[Category:ラグビーワールドカップ2003出場選手]]
[[Category:1975年生]]
[[Category:1975年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:マオリ・オールブラックスの選手]]

2024年5月29日 (水) 09:11時点における最新版

カルロス・スペンサーまたはカーロス・スペンサー(Carlos Spencer, またはCarlos“KING”Spencer, 1975年10月14日 - )はニュージーランドラグビー選手。身長185cm、体重96kg。ポジションはスタンドオフ。愛称は「キング」。

来歴[編集]

カルロス・スペンサー

元ニュージーランド代表オールブラックスのメンバーである。キャップ数は44、291ポイント、14トライ。代表デビューは1995年の欧州ツアー(仏・伊)で、当時の正スタンドオフであるアンドリュー・マーティンズの代わりとして出場することが多かった。オールブラックスでは試合前に披露するハカのリード選手に起用された。

1993年から2004年までNPC(エア・ニュージーランドカップ)オークランド所属。1996年から2005年までスーパー14ブルース所属。

正スタンドオフとしてその地位を確固たる物としたのは2003年のワールドカップであった。精密機器のごとく正確なパスを供給するマーティンズとは対照的に、天才肌のスペンサーは変幻自在なパスを供給。WTB陣はスペンサーから供給されるパスに合わせ攻撃編成を組み立てる。ワールドカップ準決勝対オーストラリア戦ではワラビーズに戦術攻略をされパスの供給に失敗。攻撃陣と息が合わず準決勝敗退。

2004年8月のラグビーオーストラリア代表ワラビーズ戦を最後に代表引退。

2005年にプレミアシップのノーサンプトン・セインツに移籍し2009年まで在籍。2009年 - 2010年シーズンは同リーグ・グロスターラグビーへ移籍。2010年 - 2011年シーズンは南アフリカのライオンズに所属し5年ぶりにスーパー14に復帰した。

また、2007年5月9日、12日に開催された日本代表 x クラシック・オールブラックスには、2戦とも参加。この試合ではフルバックとして参加し、クラシック・オールブラックスの勝利に貢献した。

引退後、ライオンズ(2012年)、シャークス(2013年)、キングス(2014年)、2016年から2018年にかけて、ジャパンラグビーリーグ1部だった宗像サニックスブルース、2019年から2021年は、ハリケーンズ、2022年からは米国 NOLAゴールドでコーチとして、活躍した。

関連項目[編集]