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| 画像 = Odakyu LSE 7000.jpg |
| 画像 = Odakyu LSE 7000.jpg |
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| 画像説明 = 7000形LSE |
| 画像説明 = 7000形 “'''LSE'''” |
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| 運用者 = [[小田急電鉄]] |
| 運用者 = [[小田急電鉄]] |
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| 製造所 = [[日本車輌製造]]<ref name="1985-k-180"/>・[[川崎 |
| 製造所 = [[日本車輌製造]]<ref name="1985-k-180"/>・[[川崎車両|川崎重工業]]<ref name="1985-k-180"/> |
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| 製造年 = 1980年 - 1983年 |
| 製造年 = [[1980年]] - [[1983年]] |
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| 製造数 = 4編成44両 |
| 製造数 = 4編成44両 |
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| 運用開始 = 1980年12月27日 |
| 運用開始 = [[1980年]][[12月27日]] |
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| 運用終了 = 2018年7月10日 |
| 運用終了 = [[2018年]][[7月10日]](定期運用) |
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| 引退 = 2018年[[10月13日]] |
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| 編成 = 11両連接車(9M2T) |
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| 軌間 = 1,067 mm |
| 軌間 = 1,067 mm |
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| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500V<br/>([[架空電車線方式]]) |
| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500V<br/>([[架空電車線方式]]) |
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| 制御方式 = 電動カム軸式[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]<br/>力行…全界磁13段・弱め界磁4段<ref name="rp491-23"/><br/>制動…全界磁16段<ref name="rp491-23"/> |
| 制御方式 = 電動カム軸式[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]<br/>力行…全界磁13段・弱め界磁4段<ref name="rp491-23"/><br/>制動…全界磁16段<ref name="rp491-23"/> |
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| 制御装置 = [[東芝|東京芝浦電気]] MM-39-A<ref name="1985-k-173"/> |
| 制御装置 = [[東芝|東京芝浦電気]] MM-39-A<ref name="1985-k-173"/> |
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| 制動装置 = [[発電ブレーキ|発電制動]]併用[[電気指令式ブレーキ|全電気指令式]][[電磁直通ブレーキ|電磁直通制動]] |
| 制動装置 = [[発電ブレーキ|発電制動]]併用[[電気指令式ブレーキ|全電気指令式]][[電磁直通ブレーキ|電磁直通制動]](MBS-D)<ref name="1985-k-151">[[#小山1985|小山 (1985) p.151]]</ref> |
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| 保安装置 = [[自動列車停止装置#多変周式信号 |
| 保安装置 = [[自動列車停止装置#多変周式信号ATS|OM-ATS]], [[自動列車停止装置#D-ATS-P(デジタルATS-P)形|D-ATS-P]] |
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| 備考 = 設計最高速度は平坦線均衡速度を記述 |
| 備考 = 設計最高速度は平坦線均衡速度を記述 |
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| 備考全幅 = {{ブルーリボン賞 (鉄道)|24|1981}} |
| 備考全幅 = {{ブルーリボン賞 (鉄道)|24|1981}} |
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}} |
}} |
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'''小田急7000形電車'''(おだきゅう7000がたでんしゃ)は、[[1980年]]から[[2018年]]まで[[小田急電鉄]](小田急)が運用していた[[特急形車両|特急用車両]]<!--小田急では「特急形」という区分ではないため。2300形の登場当時は竣功図に「優等電動客車」というように書いてあるようですが-->([[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]])である。 |
'''小田急7000形電車'''(おだきゅう7000がたでんしゃ)は、[[1980年]]から[[2018年]]まで[[小田急電鉄]](小田急)が運用していた[[特急形車両|特急用車両]]<!--小田急では「特急形」という区分ではないため。2300形の登場当時は竣功図に「優等電動客車」というように書いてあるようですが-->([[小田急ロマンスカー|ロマンスカー]])である。愛称は"Luxury Super Express"(略して「'''LSE'''」)<ref name="rp405-85" />。 |
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⚫ | 小田急では、編成表記の際には「[[新宿駅|新宿]]方先頭車両の[[鉄道の車両番号|車両番号]](新宿方の車号)×両数」という表記を使用している<ref>『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.15</ref>ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「7002×11」のように表記する。また、特定の[[鉄道の車両番号|車両番号]]から「デハ7800番台」などのように表記し、[[小田急3000形電車 (初代)|3000形 (初代)]]は「SE車」、[[小田急3100形電車|3100形]]は「NSE車」、本形式7000形は「LSE車」、[[小田急10000形電車|10000形]]は「HiSE車」、[[小田急30000形電車|30000形]]は「EXE車」、[[小田急50000形電車|50000形]]は「VSE車」、[[日本国有鉄道]]については「国鉄」、[[小田急箱根鉄道線|箱根登山鉄道鉄道線]][[箱根湯本駅]]へ乗り入れる特急列車については「箱根特急」と表記する。 |
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⚫ | [[箱根町|箱根]]方面への特急ロマンスカーに使用されていた[[小田急3000形電車 (初代)|3000形 |
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== 概要 == |
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⚫ | 小田急では、編成表記の際には「[[新宿駅|新宿]]方先頭車両の[[鉄道の車両番号|車両番号]](新宿方の車号)×両数」という表記を使用している<ref>『鉄道ダイヤ情報』通巻145号 p.15</ref>ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「7002×11」のように表記する。また、特定の[[鉄道の車両番号|車両番号]]から「デハ7800番台」などのように表記し、[[小田急3000形電車 (初代)|3000形 |
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[[1981年]]には[[鉄道友の会]]より[[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]を授与された<ref name="rp405-85" />。 |
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小田急では、1957年にSE車を<ref name="rp491-16"/>、1963年には[[展望車|前面展望席]]を設けた特急車両としてNSE車を登場させていた<ref name="rp491-19"/>。その後、1970年代に入ると設計当時に[[耐用年数]]を10年として設計した車両であったSE車は老朽化が進み<ref name="rp405-81"/>、保守やサービスの面からも検討を要する時期となっていた<ref name="rp405-81"/>。このため、1976年からはSE車の後継車として新型特急車両の事前調査研究が開始された<ref name="rp405-81"/>。当初計画ではSE車の後継という位置づけで<ref name="1987-y-90"/>、NSE車を6両固定編成として、それまでNSE車が使用されていた列車に新特急車を投入する案<ref name="rp405-82"/>や、20[[メートル|m]]級の[[ボギー台車|ボギー車]]4両編成にするという案<ref name="rp405-82"/>もあった。また、展望室はサロンルームにしたり、座席を外に向けたりする案もあった<ref name="rp405-83"/>。 |
小田急では、1957年にSE車を<ref name="rp491-16"/>、1963年には[[展望車|前面展望席]]を設けた特急車両としてNSE車を登場させていた<ref name="rp491-19"/>。その後、1970年代に入ると設計当時に[[耐用年数]]を10年として設計した車両であったSE車は老朽化が進み<ref name="rp405-81"/>、保守やサービスの面からも検討を要する時期となっていた<ref name="rp405-81"/>。このため、1976年からはSE車の後継車として新型特急車両の事前調査研究が開始された<ref name="rp405-81"/>。当初計画ではSE車の後継という位置づけで<ref name="1987-y-90"/>、NSE車を6両固定編成として、それまでNSE車が使用されていた列車に新特急車を投入する案<ref name="rp405-82"/>や、20[[メートル|m]]級の[[ボギー台車|ボギー車]]4両編成にするという案<ref name="rp405-82"/>もあった。また、展望室はサロンルームにしたり、座席を外に向けたりする案もあった<ref name="rp405-83"/>。 |
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1977年8月には社内で検討会を開催<ref name="rp405-81"/>、1978年秋には特急ロマンスカーの利用者に対してアンケート調査を行った<ref name="rp405-82"/>。これらの検討やアンケートの結果を踏まえ、1979年には製作前提の設計図をまとめるために製造メーカーも加わる共同研究に移行<ref name="rp405-82"/>、1980年2月には正式発注となった<ref name="rp405-82"/>。こうして、NSE車以来18年ぶりの新型特急車両として登場した<ref name="rp546-193"/>のがLSE車である。 |
1977年8月には社内で検討会を開催<ref name="rp405-81"/>、1978年秋には特急ロマンスカーの利用者に対してアンケート調査を行った<ref name="rp405-82"/>。これらの検討やアンケートの結果を踏まえ、1979年には製作前提の設計図をまとめるために製造メーカーも加わる共同研究に移行<ref name="rp405-82"/>、1980年2月には正式発注となった<ref name="rp405-82"/>。こうして、NSE車以来18年ぶりの新型特急車両として登場した<ref name="rp546-193"/>のがLSE車である。 |
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[[日本車輌製造]]や[[川崎重工業車両カンパニー|川崎重工業]]からは様々な外装や内装の案が出ていた。 |
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== 車両概説 == |
== 車両概説 == |
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正面の愛称表示器は、SE車・NSE車ではアクリル板を交換する方式であった<ref name="rp405-83"/>が、LSE車では自動幕式とした<ref name="rp405-83"/>。通常、こうした表示幕装置は垂直な平面に設置される<ref name="rp405-83"/>が、LSE車では車体前部の曲面に合わせて水平方向に巻き取る方式とした<ref name="rp405-83"/>。 |
正面の愛称表示器は、SE車・NSE車ではアクリル板を交換する方式であった<ref name="rp405-83"/>が、LSE車では自動幕式とした<ref name="rp405-83"/>。通常、こうした表示幕装置は垂直な平面に設置される<ref name="rp405-83"/>が、LSE車では車体前部の曲面に合わせて水平方向に巻き取る方式とした<ref name="rp405-83"/>。 |
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側面客用扉は各車両とも1箇所であるが、SE車とNSE車では手動式の開き戸だった<ref name="rp405-84"/>のに対して、700mm幅の[[自動ドア|自動開閉式]]折戸が採用された<ref name="rp405-84"/>。1999年7月までは、特急に乗車する際には乗車口を限定した上で、ホームで[[小田急ロマンスカー# |
側面客用扉は各車両とも1箇所であるが、SE車とNSE車では手動式の開き戸だった<ref name="rp405-84"/>のに対して、700mm幅の[[自動ドア|自動開閉式]]折戸が採用された<ref name="rp405-84"/>。1999年7月までは、特急に乗車する際には乗車口を限定した上で、ホームで[[小田急ロマンスカー#運行開始当初から1979年まで|特急券]]を確認する乗車改札を行っていた<ref name="rp679-25"/>ため、駅での旅客扱いを考慮し、[[自動ドア#日本|半自動]]扱いも可能な回路となっている<ref name="rp405-84"/>。 |
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側面窓の配置は、幅1,600mm<ref name="1981-u-129"/>・高さ800mm<ref name="2005-u-37"/>の固定窓を、窓柱の幅を340mm<ref name="1981-u-129"/>として配置した。先頭のデハ7000形乗務員室隣の窓と、中間のデハ7000形の車端部の窓については幅を765mmとした<ref name="1981-u-129"/>。デハ7000番台・デハ7800番台の連結面側車端部には500mm幅の乗務員扉を配置した<ref name="1981-u-129"/>。 |
側面窓の配置は、幅1,600mm<ref name="1981-u-129"/>・高さ800mm<ref name="2005-u-37"/>の固定窓を、窓柱の幅を340mm<ref name="1981-u-129"/>として配置した。先頭のデハ7000形乗務員室隣の窓と、中間のデハ7000形の車端部の窓については幅を765mmとした<ref name="1981-u-129"/>。デハ7000番台・デハ7800番台の連結面側車端部には500mm幅の乗務員扉を配置した<ref name="1981-u-129"/>。 |
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車両間の貫通路は1,200mm幅の広幅となっている<ref name="2005-u-37"/>が、通路は下部が絞り込まれた形状となっており、床面での貫通路幅は800mmとなっている<ref name="2005-u-37"/>。NSE車では一部を除いて[[貫通扉]]は設置されていなかったが、LSE車では先頭車と隣接する車両間<ref group="注">1・2号車の間と、10・11号車の間。</ref>を除く貫通路に両開きの自動扉を設けた<ref name="rp405-84"/>。この扉はNSE車と同様に開放的な雰囲気を出すことをねらい<ref name="rp405-84"/>、茶色がかった透明アクリルで構成した<ref name="rp491-23"/>。連結面間の[[幌]]はSE車やNSE車と同様に内幌と外幌の2重構造としたが、外幌については布と発泡材を使用し、変形のないものとした<ref name="rp405-84"/>。 |
車両間の貫通路は1,200mm幅の広幅となっている<ref name="2005-u-37"/>が、通路は下部が絞り込まれた形状となっており、床面での貫通路幅は800mmとなっている<ref name="2005-u-37"/>。NSE車では一部を除いて[[貫通扉]]は設置されていなかったが、LSE車では先頭車と隣接する車両間<ref group="注">1・2号車の間と、10・11号車の間。</ref>を除く貫通路に両開きの自動扉を設けた<ref name="rp405-84"/>。この扉はNSE車と同様に開放的な雰囲気を出すことをねらい<ref name="rp405-84"/>、茶色がかった透明アクリルで構成した<ref name="rp491-23"/>。連結面間の[[幌]]はSE車やNSE車と同様に内幌と外幌の2重構造としたが、外幌については布と発泡材を使用し、変形のないものとした<ref name="rp405-84"/>。 |
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塗装デザインはSE車およびNSE車で採用された「オレンジバーミリオン・ホワイト・グレーの3色」が小田急ロマンスカーのイメージとして浸透していることを鑑み<ref name="rp405-84"/>、腰板部分の白線がNSE車が3本であるのに対してLSE車は2本であるという相違点がある程度<ref name="2005-u-41"/>で、NSE車とほぼ同一とした<ref name="rp679-235"/>。 |
塗装デザインはSE車およびNSE車で採用された「オレンジバーミリオン{{Color|#f30a03|■}}・ホワイト□・グレー{{Color|#6a6a6a|■}}の3色」が小田急ロマンスカーのイメージとして浸透していることを鑑み<ref name="rp405-84"/>、腰板部分の白線がNSE車が3本であるのに対してLSE車は2本であるという相違点がある程度<ref name="2005-u-41"/>で、NSE車とほぼ同一とした<ref name="rp679-235"/>。 |
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=== 内装 === |
=== 内装 === |
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側壁はベージュ系の布目柄<ref name="1985-k-9"/>、天井は抽象柄とした<ref name="rp405-83"/>。床もベージュ系の色とした<ref name="rp405-83"/>が、通路にはセピア色の[[絨毯|カーペット]]を敷いた<ref name="rp491-23"/>。このカーペットは、2次車(7002×11)以降は赤色のカーペットに変更された<ref name="rp491-24"/>。 |
側壁はベージュ系の布目柄<ref name="1985-k-9"/>、天井は抽象柄とした<ref name="rp405-83"/>。床もベージュ系の色とした<ref name="rp405-83"/>が、通路にはセピア色の[[絨毯|カーペット]]を敷いた<ref name="rp491-23"/>。このカーペットは、2次車(7002×11)以降は赤色のカーペットに変更された<ref name="rp491-24"/>。 |
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サハ7050番台の新宿方車端部とサハ7150番台の小田原方車端部には喫茶コーナーを設置した<ref name="rp491-23"/>。喫茶コーナーからの排水は床下に配置された雑排水タンクに貯溜<ref name="rp405-84"/>、[[車両基地]]で排水を行うことにした<ref name="rp405-84"/>。デハ7200番台の新宿方車端部とデハ7600番台の小田原方車端部には男女共用[[便器#和式大便器(和風大便器)|和式]][[列車便所|トイレ]]・男子[[便器#小便器|小用トイレ]]・[[洗面器#洗面 |
サハ7050番台の新宿方車端部とサハ7150番台の小田原方車端部には喫茶コーナーを設置した<ref name="rp491-23"/>。喫茶コーナーからの排水は床下に配置された雑排水タンクに貯溜<ref name="rp405-84"/>、[[車両基地]]で排水を行うことにした<ref name="rp405-84"/>。デハ7200番台の新宿方車端部とデハ7600番台の小田原方車端部には男女共用[[便器#和式大便器(和風大便器)|和式]][[列車便所|トイレ]]・男子[[便器#小便器|小用トイレ]]・[[洗面器#取付用洗面器|化粧室]]を配置した<ref name="rp491-23"/>が、トイレでは従来の貯溜式汚物タンクに代えて汚物循環処理装置を採用した<ref name="rp491-23"/>。また、化粧室からの排水はタンク貯溜式とした<ref name="rp491-23"/>。 |
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<gallery widths="180" perrow="6" style="font-size:90%"> |
<gallery widths="180" perrow="6" style="font-size:90%"> |
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LSE-Seat.JPG|LSE車の座席(更新後のため室内のデザインは登場当時とは異なる) |
LSE-Seat.JPG|LSE車の座席(更新後のため室内のデザインは登場当時とは異なる) |
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Odakyu |
Odakyu-7000 Observatory-seat.jpg|LSE車の展望室の様子と座席 |
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Odakyu 7000 gata kitsusa corner.jpg|車内の喫茶コーナー |
Odakyu 7000 gata kitsusa corner.jpg|車内の喫茶コーナー |
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Odakyu 7000 gata interior.jpg|中間車の車内 |
Odakyu 7000 gata interior.jpg|中間車の車内 |
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[[運転士]]が乗務する乗務員室(運転室)は2階に上げた構造で、既にNSE車で採用実績がある<ref name="rp405-84"/>が、平均身長の伸びを反映した改善要望もあった<ref name="rp405-84"/>ことから、NSE車より室内を広くし<ref name="1981-u-146"/>、あわせて居住性と操作性の向上を図った<ref name="rp405-84"/>。この結果、LSE車の運転室には同時に3名まで乗務可能である<ref name="1981-u-146"/>。運転室への入口は、NSE車では展望室内天井の左側(運転席の背後下)に設置されていた<ref name="1981-u-146"/>が、LSE車では右側(助士席側背後下)に変更した<ref name="rp405-84"/>。また、運転席パネル類はデスクタイプとし<ref name="rp829-274"/>、スペースを確保するために[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]とブレーキ設定器を一体としたワンハンドルマスコンとした<ref name="rp405-85"/>が、ワンハンドル式の主幹制御器は小田急では初採用である<ref name="1981-u-146"/>。マスコンハンドルの右側には[[主電動機]]の直並列切り替えと逆転器を一体にしたハンドル<ref name="1981-u-146"/>が設置され、左手の位置には[[抑速ブレーキ|抑速制動]]ハンドルが設けられている<ref name="1981-u-146"/>。なお、緊急時には乗務員が直接車外に脱出できる構造としている<ref name="1981-u-29"/>。[[車掌]]が乗務する乗務員室(車掌室)は先頭車の連結面寄りに設けられており、NSE車では片隅式だったものをLSE車では左右両側に配置した<ref name="rp491-23"/>。なお、運転室・車掌室ともに機器の動作状態を示す[[鉄道車両のモニタ装置|モニタ装置]]が設置されている<ref name="1985-k-12"/>。 |
[[運転士]]が乗務する乗務員室(運転室)は2階に上げた構造で、既にNSE車で採用実績がある<ref name="rp405-84"/>が、平均身長の伸びを反映した改善要望もあった<ref name="rp405-84"/>ことから、NSE車より室内を広くし<ref name="1981-u-146"/>、あわせて居住性と操作性の向上を図った<ref name="rp405-84"/>。この結果、LSE車の運転室には同時に3名まで乗務可能である<ref name="1981-u-146"/>。運転室への入口は、NSE車では展望室内天井の左側(運転席の背後下)に設置されていた<ref name="1981-u-146"/>が、LSE車では右側(助士席側背後下)に変更した<ref name="rp405-84"/>。また、運転席パネル類はデスクタイプとし<ref name="rp829-274"/>、スペースを確保するために[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]とブレーキ設定器を一体としたワンハンドルマスコンとした<ref name="rp405-85"/>が、ワンハンドル式の主幹制御器は小田急では初採用である<ref name="1981-u-146"/>。マスコンハンドルの右側には[[主電動機]]の直並列切り替えと逆転器を一体にしたハンドル<ref name="1981-u-146"/>が設置され、左手の位置には[[抑速ブレーキ|抑速制動]]ハンドルが設けられている<ref name="1981-u-146"/>。なお、緊急時には乗務員が直接車外に脱出できる構造としている<ref name="1981-u-29"/>。[[車掌]]が乗務する乗務員室(車掌室)は先頭車の連結面寄りに設けられており、NSE車では片隅式だったものをLSE車では左右両側に配置した<ref name="rp491-23"/>。なお、運転室・車掌室ともに機器の動作状態を示す[[鉄道車両のモニタ装置|モニタ装置]]が設置されている<ref name="1985-k-12"/>。 |
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主電動機については、平坦線[[均衡速度]]145[[キロメートル毎時|km/h]]という高速性能と[[箱根 |
主電動機については、平坦線[[均衡速度]]145[[キロメートル毎時|km/h]]という高速性能と[[小田急箱根鉄道線|箱根登山鉄道鉄道線]]内の40[[パーミル|‰]]勾配を走行可能な登坂性能という二つの条件を満たすため<ref name="rp405-85"/>に、出力140[[ワット|kW]]の[[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]]を採用し<ref name="rp405-85"/>、各電動台車に2台ずつ装架した。[[東洋電機製造]]のTDK-8420-A形<ref name="1985-k-172"/>・[[三菱電機]]のMB-3262-A形<ref name="1985-k-172"/>を併用しているが、小田急社内ではこれらの2種類の電動機を「OER7000形」と総称している<ref name="rp405-85"/>。 |
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[[主制御器|制御装置]]は[[東芝|東京芝浦電気(東芝)]]の[[発電ブレーキ|発電]]・抑速制動付[[カムシャフト|電動カム軸]]式[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]装置であるMM-39A形を採用し<ref name="rp491-23"/>、デハ7000番台・デハ7300番台・デハ7500番台・デハ7800番台の車両に搭載した<ref name="rp546-194"/>。SE車・NSE車に引き続き東芝製の採用である。この制御器は1台で4つの電動機の制御を行い(1C4M)<ref name="rp491-23"/>、主回路接続は4つの電動機を全て直列に接続する方式(永久4S)である<ref name="rp491-23"/>。これを1編成あたり4組装備し、並列運転時には4組を全て並列させる「4並列回路制御」を行い<ref name="rp405-180"/>、直列運転時には2組を直列にした状態で、1台の制御器で8つの電動機を直列に接続した「2直列回路制御」となる<ref name="rp405-180"/>。直並列の切り替えは運転席の直並列切り替えハンドルで行う「直列・並列運転指定式」である<ref name="rp405-180"/>。駆動装置は小田急では初の採用となる[[TD平行カルダン駆動方式]](中実軸撓み板継手方式)で<ref name="1985-k-12"/>、[[歯車比|歯数比]]は80:19=4.21とした<ref name="rp491-23"/>。 |
[[主制御器|制御装置]]は[[東芝|東京芝浦電気(東芝)]]の[[発電ブレーキ|発電]]・抑速制動付[[カムシャフト|電動カム軸]]式[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]装置であるMM-39A形を採用し<ref name="rp491-23"/>、デハ7000番台・デハ7300番台・デハ7500番台・デハ7800番台の車両に搭載した<ref name="rp546-194"/>。SE車・NSE車に引き続き東芝製の採用である。この制御器は1台で4つの電動機の制御を行い(1C4M)<ref name="rp491-23"/>、主回路接続は4つの電動機を全て直列に接続する方式(永久4S)である<ref name="rp491-23"/>。これを1編成あたり4組装備し、並列運転時には4組を全て並列させる「4並列回路制御」を行い<ref name="rp405-180"/>、直列運転時には2組を直列にした状態で、1台の制御器で8つの電動機を直列に接続した「2直列回路制御」となる<ref name="rp405-180"/>。直並列の切り替えは運転席の直並列切り替えハンドルで行う「直列・並列運転指定式」である<ref name="rp405-180"/>。駆動装置は小田急では初の採用となる[[TD平行カルダン駆動方式]](中実軸撓み板継手方式)で<ref name="1985-k-12"/>、[[歯車比|歯数比]]は80:19=4.21とした<ref name="rp491-23"/>。 |
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=== 国鉄線上での試験 === |
=== 国鉄線上での試験 === |
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[[ファイル:Odakyu 7002F test tun on Tokaido Line.jpg|thumb|国鉄東海道本線で走行試験をおこなう7000形LSE車<br/>(1982年12月14日 |
[[ファイル:Odakyu 7002F test tun on Tokaido Line.jpg|thumb|国鉄東海道本線で走行試験をおこなう7000形LSE車<br/>(1982年12月14日 [[早川駅]] - [[根府川駅]]間)]] |
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この当時、国鉄では新形特急用車両の開発を進めていた<ref name="1985-k-129"/>が、その一環として、通常のボギー車と連接車の比較試験を1982年の11月から12月にかけて行うことになった<ref name="1985-k-129"/>。国鉄には試験に使用できるような連接車がなかった<ref group="注">国鉄の連接車は、試作車両で[[国鉄591系電車|591系 |
この当時、国鉄では新形特急用車両の開発を進めていた<ref name="1985-k-129"/>が、その一環として、通常のボギー車と連接車の比較試験を1982年の11月から12月にかけて行うことになった<ref name="1985-k-129"/>。国鉄には試験に使用できるような連接車がなかった<ref group="注">国鉄の連接車は、試作車両で[[国鉄591系電車|591系]]と[[国鉄キハ391系気動車|キハ391系気動車]]が当時存在していたが、591系は廃車・解体済み、キハ391系は車籍はあったが[[休車]]状態であった。</ref>ため、国鉄の申し入れにより小田急からLSE車を貸し出すことになった<ref name="2005-u-41"/>。ボギー車の試験では[[国鉄183系電車|183系]]が使用された<ref name="1985-k-129"/>が、この車種選定の理由は「重心の高さや[[粘着式鉄道#粘着現象|輪重]]などの数値が似通っていたから」と説明されている<ref name="2009-a-144"/>。 |
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試験車両には7002×11が使用されることになり、試験に際して、デハ7002の先頭台車と連接台車のそれぞれ新宿方の車軸を測定軸とし<ref name="rp491-24"/>、大野工場で[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]交換や測定機器の搭載を行った<ref name="rp491-24"/>上で国鉄に貸し出され、1982年12月10日から15日にかけて[[東海道本線]] |
試験車両には7002×11が使用されることになり、試験に際して、デハ7002の先頭台車と連接台車のそれぞれ新宿方の車軸を測定軸とし<ref name="rp491-24"/>、大野工場で[[輪軸 (鉄道車両)|輪軸]]交換や測定機器の搭載を行った<ref name="rp491-24"/>上で国鉄に貸し出され、1982年12月10日から15日にかけて[[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]]の[[大船駅]]~[[熱海駅]]間(一部回送では[[来宮駅]]まで入線)で最高速度130km/hの走行試験が行われた<ref name="rp829-181"/>。この試験では、指定した箇所を本則-5km/hから本則+15km/hまでの速度段で走行する際に、[[粘着式鉄道#粘着現象|輪重]]・横圧・振動・変位・騒音などを地上と車内で測定する内容であった<ref name="rp491-24"/>。私鉄の特急形車両が国鉄の路線上で走行試験を行ったのはSE車(1957年9月の高速度試験の際に実施)とLSE車だけで<ref name="1985-u-123"/>、沿線には多くの鉄道ファンが撮影に訪れた<ref name="rp829-181"/><ref group="注">特急形以外では、2019年に登場した[[相鉄12000系電車]]が[[根府川駅]]まで入線している。</ref>。 |
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この試験により、連接車の特性が定量的に把握された<ref name="rp491-24"/>が、試験の結果は「ボギー車と連接車で乗り心地の差は見られず、同程度の性能」という結論であった<ref name="2009-a-144145"/>。ただし、「台車構造の差が測定結果に強く認められたため、十分に違いを把握したとはいえない」ともしており、曲線の通過性能については「今後さらに検討を要する」としている<ref name="2009-a-145"/>。唯一、車両ごとの振動の差が少ない点について「連接構造による車両間の拘束が強いため」と認めている<ref name="2009-a-145"/>。このため、その後国鉄では連接車の導入は見送られることとなり<ref name="rp789-10"/>、その後国鉄からJRになってからも、本格的な連接車の導入はされていない<ref name="rp829-181"/><ref group="注">JRになってから製造された車両における連接車は、新幹線の[[新幹線952形・953形電車|952形・953形]]、在来線の[[JR東日本E993系電車|E993系]]・[[JR東日本E331系電車|E331系]]で、いずれも[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の車両である。E331系以外は営業運転には使用されておらず、同車においても同年代に導入された他のボギー車よりも早く運用を離脱している。</ref>。 |
この試験により、連接車の特性が定量的に把握された<ref name="rp491-24"/>が、試験の結果は「ボギー車と連接車で乗り心地の差は見られず、同程度の性能」という結論であった<ref name="2009-a-144145"/>。ただし、「台車構造の差が測定結果に強く認められたため、十分に違いを把握したとはいえない」ともしており、曲線の通過性能については「今後さらに検討を要する」としている<ref name="2009-a-145"/>。唯一、車両ごとの振動の差が少ない点について「連接構造による車両間の拘束が強いため」と認めている<ref name="2009-a-145"/>。このため、その後国鉄では連接車の導入は見送られることとなり<ref name="rp789-10"/>、その後国鉄からJRになってからも、本格的な連接車の導入はされていない<ref name="rp829-181"/><ref group="注">JRになってから製造された車両における連接車は、新幹線の[[新幹線952形・953形電車|952形・953形]]、在来線の[[JR東日本E993系電車|E993系]]・[[JR東日本E331系電車|E331系]]で、いずれも[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の車両である。E331系以外は営業運転には使用されておらず、同車においても同年代に導入された他のボギー車よりも早く運用を離脱している。</ref>。 |
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1983年12月に4次車として7004×11が入線し<ref name="1985-k-180"/>、これでLSE車の増備は終了となった。この時期は、輸送力増強と老朽車両の置き換えを進めていたことから、年に1編成ずつの導入しかできなかった<ref name="2005-u-41"/>。しかし、4次にわたるLSE車の導入により、11両編成の特急車の運用に余裕ができたことから、[[日本の鉄道車両検査|車両検査]]時に箱根特急にSE車を投入することによって輸送力が不足していた事例は解消された<ref name="1981-u-123"/>。1985年10月には、小田急で初めての車内[[公衆電話]]が設置された<ref name="rp491-15"/>。 |
1983年12月に4次車として7004×11が入線し<ref name="1985-k-180"/>、これでLSE車の増備は終了となった。この時期は、輸送力増強と老朽車両の置き換えを進めていたことから、年に1編成ずつの導入しかできなかった<ref name="2005-u-41"/>。しかし、4次にわたるLSE車の導入により、11両編成の特急車の運用に余裕ができたことから、[[日本の鉄道車両検査|車両検査]]時に箱根特急にSE車を投入することによって輸送力が不足していた事例は解消された<ref name="1981-u-123"/>。1985年10月には、小田急で初めての車内[[公衆電話]]が設置された<ref name="rp491-15"/>。 |
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[[ファイル:Odakyu 7000-Hakone 20120219.jpg|thumb|right|更新後のLSE車(2012年2月19日)]] |
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[[File:Odakyu 7000 series Emblem "Yamayuri" (Lilium auratum).jpg|thumb|right|更新後のLSE車には車体側面にヤマユリと"OER"の飾り文字をモチーフにしたエンブレムが施された。]] |
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1996年から1998年にかけて、日本車輌において全編成のリニューアル工事が実施された。外部カラーリングはHiSE車と同様のホワイトベースに濃淡ワインレッドの帯が入るデザインに変更され<ref name="rp679-236"/>、「前面展望室のある車両」のイメージ統一を行った<ref name="rp829-274"/>。座席モケットの変更<ref name="rp829-274"/>の他、[[車椅子|車いす]]対応座席の設置<ref name="rp829-274"/>とそれに伴う出入口幅の拡張(700mm→1,000mm)<ref name="rp829-274"/>や客室内のカラースキームもブラウン系濃淡を基調としたものとなった<ref name="rp829-274"/>ことが挙げられる。加えてトイレの汚物処理方式も循環式から真空式へ変更されている<ref name="rp829-274"/>。また、室内の号車番号や座席番号表示などはEXE車と共通の[[書体]]が用いられた。なお、リニューアル車で最後に出場した7004×11については、電動発電機を[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]][[半導体素子|素子]]式の[[静止形インバータ]] (IGBT-SIV) に置き換えている<ref name="rp679-236"/>。2005年から2006年にかけて集電装置を順次菱形パンタグラフからシングルアーム式パンタグラフに変更した<ref name="rp829-274"/>。 |
1996年から1998年にかけて、日本車輌において全編成のリニューアル工事が実施された。外部カラーリングはHiSE車と同様のホワイト{{Color|#fbfbfb|■}}ベースに濃淡ワインレッド{{Color|#c70101|■}}{{Color|#eb0000|■}}の帯が入るデザインに変更され<ref name="rp679-236"/>、「前面展望室のある車両」のイメージ統一を行った<ref name="rp829-274"/>。座席モケットの変更<ref name="rp829-274"/>の他、[[車椅子|車いす]]対応座席の設置<ref name="rp829-274"/>とそれに伴う出入口幅の拡張(700mm→1,000mm)<ref name="rp829-274"/>や客室内のカラースキームもブラウン系濃淡を基調としたものとなった<ref name="rp829-274"/>ことが挙げられる。加えてトイレの汚物処理方式も循環式から真空式へ変更されている<ref name="rp829-274"/>。また、室内の号車番号や座席番号表示などはEXE車と共通の[[書体]]が用いられた。なお、リニューアル車で最後に出場した7004×11については、電動発電機を[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT]][[半導体素子|素子]]式の[[静止形インバータ]] (IGBT-SIV) に置き換えている<ref name="rp679-236"/>。2005年から2006年にかけて集電装置を順次菱形パンタグラフからシングルアーム式パンタグラフに変更した<ref name="rp829-274"/>。 |
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これより少し前の2003年4月から7月にかけては、VSE車の導入に先駆けた[[振り子式車両|車体傾斜制御]]の試験として<ref name="2005-u-130"/>、サハ7052の両端台車を交換した上で連接部の間隔を広げ<ref name="rp829-275"/>、更に新宿方にパンタグラフを仮設して<ref name="rp829-275"/>性能確認試験を行った。 |
これより少し前の2003年4月から7月にかけては、VSE車の導入に先駆けた[[振り子式車両|車体傾斜制御]]の試験として<ref name="2005-u-130"/>、サハ7052の両端台車を交換した上で連接部の間隔を広げ<ref name="rp829-275"/>、更に新宿方にパンタグラフを仮設して<ref name="rp829-275"/>性能確認試験を行った。 |
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[[ファイル:小田急7000形LSE車.jpg|thumb|right|旧塗装に復元されたLSE車(2018年2月27日 栢山駅 - 富水駅間)]] |
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2007年で小田急開業から80周年・SE車登場から50周年を迎えるのを記念し、同年7月6日から7004×11を1999年以来8年ぶりの旧塗装に復元して営業運転に就くこととなった<ref name="rp829-275"/>。旧塗装での営業運転は2008年3月31日までの予定であったが、それ以降も継続して使用している<ref name="rp829-275"/>。なお、実際に走っていた1999年ごろまでの旧塗装との違いとして、先頭部分の窓枠が銀色ではなく黒色となっていたこと<ref name="rp829-275"/>や、パンタグラフがシングルアーム式であること、2008年3月以降は側面に[[小田急グループ]]ブランドマークが貼付された<ref name="rp829-275"/>ことなどが挙げられる。また各先頭車の座席 |
2007年で小田急開業から80周年・SE車登場から50周年を迎えるのを記念し、同年7月6日から7004×11を1999年以来8年ぶりの旧塗装に復元して営業運転に就くこととなった<ref name="pr20070524">{{Cite press release|和書|title=小田急ロマンスカー就役50周年を記念して ロマンスカー・LSE(7000形)がデビュー当時の旧塗装に復活 -2007年7月6日(金)に臨時特急「旧塗装特別記念号」を運転-|publisher=小田急電鉄|date=2007-05-24|url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/2616_4746548_.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2020-12-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070927012800/http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/2616_4746548_.pdf|archivedate=2007-09-27}}</ref><ref name="rp829-275"/>。旧塗装での営業運転は2008年3月31日までの予定であったが、それ以降も継続して使用している<ref name="rp829-275"/>。なお、実際に走っていた1999年ごろまでの旧塗装との違いとして、先頭部分の窓枠が銀色ではなく黒色となっていたこと<ref name="rp829-275"/>や、パンタグラフがシングルアーム式であること、2008年3月以降は側面に[[小田急グループ]]ブランドマークが貼付された<ref name="rp829-275"/>ことなどが挙げられる。また各先頭車の一部座席の撤去が行われ定員が8人減っている。 |
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2010年1月中旬より、LSE車とHiSE車は部品の一部に不具合が見つかったことを理由として<ref name="rj522-147"/>長野電鉄に譲渡されたHiSEの2編成に関しても全面的に運用から離脱し、点検を行った。同年4月1日から営業運行に復帰している<ref name="railf110801"/>。 |
2010年1月中旬より、LSE車とHiSE車は部品の一部に不具合が見つかったことを理由として<ref name="rj522-147"/>長野電鉄に譲渡されたHiSEの2編成に関しても全面的に運用から離脱し、点検を行った。同年4月1日から営業運行に復帰している<ref name="railf110801"/>。 |
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なお、この不具合とは無関係に<ref name="rj522-148"/>、同年1月4日に7002×11が[[廃車 (鉄道)|廃車]]解体された<ref name="rp832-85"/>。 |
なお、この不具合とは無関係に<ref name="rj522-148"/>、同年1月4日に7002×11が[[廃車 (鉄道)|廃車]]解体された<ref name="rp832-85"/>。 |
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2012年2月には、1編成を登場当時の塗装デザインに復元し、1編成が廃車となることが小田急から発表された<ref name="rf613-186"/>。これによって、HiSE車に準じた塗装デザインの車両による運行は同年2月19日限りで終了し<ref name="rf613-192"/>、同年2月20日以降は旧塗装車両のみでの運行となる<ref name="rj546-147"/>。これに伴い、7003×11については旧塗装へ復元され<ref name="railf120317"/>、7001×11については2月19日を |
2012年2月には、1編成を登場当時の塗装デザインに復元し、1編成が廃車となることが小田急から発表された<ref name="pr20120131">{{Cite press release|和書|title=ロマンスカー・LSE(7000形)は、デビュー当時の塗装に統一します。|publisher=小田急電鉄|date=2012-01-31|url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/6916_3140503_.pdf|format=PDF|language=日本語|accessdate=2020-12-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304031930/http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/6916_3140503_.pdf|archivedate=2016-03-04}}</ref><ref name="rf613-186"/>。これによって、HiSE車に準じた塗装デザインの車両による運行は同年2月19日限りで終了し<ref name="rf613-192"/>、同年2月20日以降は旧塗装車両のみでの運行となる<ref name="rj546-147"/>。これに伴い、7003×11については旧塗装へ復元され<ref name="railf120317"/>、7001×11については2月19日をもって運用を終了した<ref name="rf613-192"/>。旧塗装への復元が行われた編成については、[[自動列車停止装置#D-ATS-P(デジタルATS-P)形|D-ATS-P]]の設置工事が日本車輌で実施され<ref name="rf613-186"/>、この際に前面の窓枠は銀色のものに戻されている<ref name="rf613-186"/>。 |
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[[小田急70000形電車|70000形GSE車]]導入後の2018年3月15日、7003×11を同年6月までに廃車することと、7004×11についても2018年度内に引退予定であることが発表された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.odakyu.jp/notice/o5oaa10000017l9h-att/o5oaa10000017l9o.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180317232419/https://www.odakyu.jp/notice/o5oaa10000017l9h-att/o5oaa10000017l9o.pdf|format=PDF|language=日本語|title=一部車両の解体について|publisher=小田急電鉄|date=2018-03-15|accessdate=2020-12-24|archivedate=2018-03-17}}</ref>。5月29日には定期運行終了日が発表され<ref name="press180529">{{Cite press release|和書|url=https://www.odakyu.jp/news/o5oaa10000019eyc-att/o5oaa10000019eyj.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201208173922/https://www.odakyu.jp/news/o5oaa10000019eyc-att/o5oaa10000019eyj.pdf|format=PDF|language=日本語|title=7月10日(火)、特急ロマンスカー・LSEが定期運行終了 記念ロゴマークの掲出や、抽選で特別乗車会にご招待するキャンペーンを実施します|publisher=小田急電鉄|date=2018-05-29|accessdate=2020-12-24|archivedate=2020-12-08}}</ref>、7月10日に新宿駅および箱根湯本駅で記念式典を行った後、同日の「ホームウェイ83号」{{refnest|group="注"|この日に限り片瀬江ノ島まで延長運転(通常は藤沢行)<ref name="press180529"/>。}}をもって定期運行を終了した<ref>{{Cite news|url=https://trafficnews.jp/post/80921|title=小田急ロマンスカー「LSE」定期運行を終了 38年の「人生」にひと区切り 今後は臨時で(写真22枚)|newspaper=乗りものニュース|date=2018-07-10|accessdate=2020-10-02}}</ref>。その後、団体専用の臨時列車にいくつか充当されたのち、同年10月13日に新宿 → 小田原 → 秦野間で運行された[[さよなら運転|さよならツアー]]をもって営業運転を終了した<ref name="press180718">{{Cite press release|和書|url=https://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001b42l-att/o5oaa1000001b42s.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201208173627/https://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001b42l-att/o5oaa1000001b42s.pdf|format=PDF|language=日本語|title=約38年のご愛顧に感謝をこめて 特急ロマンスカー・LSE(7000形)最終イベント列車を運転 〜LSEに乗って最後の勇姿を見届けて〜|publisher=小田急電鉄|date=2018-07-18|accessdate=2020-12-24|archivedate=2020-12-08}}</ref>。 |
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== 保存 == |
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[[File:LSE HW83-SAGAMIONO 20180710.jpg|thumb|right|定期運行最終便となったホームウェイ83号。2018年7月10日、[[相模大野駅]]にて。]] |
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引退後は7003×11の先頭車2両がしばらく保管されていたが、新宿方の7003号車が[[ロマンスカーミュージアム]]に展示保存されている。小田原方の7803号車は解体されたが、運転台部分のみロマンスカーミュージアム内にある「ロマンスカーシミュレーターLSE」に流用された<ref>イカロス出版『小田急電鉄 40年の軌跡』</ref>。 |
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2018年3月の[[小田急70000形電車|70000形GSE車]]導入に伴う動向が注目されていたが、同年3月15日に、7003×11を6月までに廃車解体すること、7004×11についても2018年度内に引退予定であることが発表された<ref>[https://web.archive.org/web/20180317232419/https://www.odakyu.jp/notice/o5oaa10000017l9h-att/o5oaa10000017l9o.pdf 一部車両の解体について]小田急電鉄 2018年3月15日([[インターネットアーカイブ]])</ref>。5月29日には定期運行終了日が発表され<ref name="press180529">{{Cite press release|title=7月10日(火)、特急ロマンスカー・LSEが定期運行終了|url=http://www.odakyu.jp/news/o5oaa10000019eyc-att/o5oaa10000019eyj.pdf|publisher=小田急電鉄|format=PDF|date=2018-05-29|accessdate=2018-05-29}}</ref>、7月10日の「ホームウェイ83号」{{refnest|group="注"|この日に限り片瀬江ノ島まで延長運転(通常は藤沢行)<ref name="press180529"/>。}}をもって定期運行を終了した。そして同年10月13日に実施されたイベント列車としての臨時運行をもって完全に引退した<ref name="press180718">{{Cite press release|title=約38年のご愛顧に感謝をこめて 特急ロマンスカー・LSE(7000形) 最終イベント列車を運転 〜LSEに乗って最後の勇姿を見届けて〜|url=http://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001b42l-att/o5oaa1000001b42s.pdf|publisher=小田急電鉄|format=PDF|date=2018-07-18|accessdate=2018-07-19}}</ref>。引退後7004×11は2018年12月をもって全車が解体された。7003×11については先頭車2両が保管されていたが、7803号車は2019年2月をもって解体されたため、7003号車1両のみ保存されている。 |
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なお、最後まで運用されていた7004×11は全車両が解体された。 |
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2021年春開業予定の『ロマンスカーミュージアム』に先頭車の7003号が展示保存される予定となっている。 |
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== 編成表 == |
== 編成表 == |
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; 凡例 : Mc …[[制御車|制御電動車]]、M …[[動力車|電動車]]、T…[[付随車]]、CON…[[主制御器|制御装置]]、MG…[[電動発電機]]、CP…[[圧縮機|電動空気圧縮機]]、PT…[[集電装置]]<br/>乗 …乗務員室、展 …[[展望車|展望席]]、喫…喫茶コーナー、WC…[[列車便所|トイレ]]・[[洗面器#洗面 |
; 凡例 : Mc …[[制御車|制御電動車]]、M …[[動力車|電動車]]、T…[[付随車]]、CON…[[主制御器|制御装置]]、MG…[[電動発電機]]、CP…[[圧縮機|電動空気圧縮機]]、PT…[[集電装置]]<br/>乗 …乗務員室、展 …[[展望車|展望席]]、喫…喫茶コーナー、WC…[[列車便所|トイレ]]・[[洗面器#取付用洗面器|化粧室]]、電…[[公衆電話]] |
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=== 出典 === |
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<ref name="railf110801">{{Cite web|date=2010-04-05|url=http://railf.jp/news/2010/04/05/131300.html|title=小田急「LSE」が営業運転に復帰|publisher=[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』railf.jp 鉄道ニュース|accessdate=2011-08-01}}</ref> |
<ref name="railf110801">{{Cite web|和書|date=2010-04-05|url=http://railf.jp/news/2010/04/05/131300.html|title=小田急「LSE」が営業運転に復帰|publisher=[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』railf.jp 鉄道ニュース|accessdate=2011-08-01}}</ref> |
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<ref name="railf120317">{{Cite web|date=2012-03-16|url=http://railf.jp/news/2012/03/16/142900.html|title=小田急7000形7003編成が試運転|publisher=[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』railf.jp 鉄道ニュース|accessdate=2012-03-17}}</ref> |
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=== 雑誌記事 === |
=== 雑誌記事 === |
2024年5月30日 (木) 00:49時点における最新版
小田急7000形電車 Luxury Super Express | |
---|---|
7000形 “LSE” | |
基本情報 | |
運用者 | 小田急電鉄 |
製造所 | 日本車輌製造[1]・川崎重工業[1] |
製造年 | 1980年 - 1983年 |
製造数 | 4編成44両 |
運用開始 | 1980年12月27日 |
運用終了 | 2018年7月10日(定期運用) |
引退 | 2018年10月13日 |
主要諸元 | |
編成 | 11両連接車(9M2T) |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 110 km/h |
設計最高速度 | 145 km/h |
編成定員 | 456名[2]→454名 |
車両定員 |
50名[3](1・11号車) 44名[3](2・5・6・7・10号車) 32名[3]→30名(3号車) 36名[3](4・8号車) 32名[3](9号車) |
編成重量 | 267.44 t[2] |
編成長 | 145.20 m |
全長 |
16,390 mm[2](新宿方先頭車) 16,310 mm[2](小田原方先頭車) 12,500 mm[2](中間車) |
全幅 | 2,900 mm |
全高 |
4,060 mm[2](先頭車) 4,015 mm[2](集電装置付中間車) 3,835 mm[2](集電装置なし中間車) |
台車 |
住友金属工業 FS508A[3](連接電動台車) 住友金属工業 FS508B[3](先頭電動台車) 住友金属工業 FS008[3](連接付随台車) |
主電動機 |
東洋電機製造 TDK-8420-A[3] 三菱電機 MB-3262-A[3] |
主電動機出力 | 140kW[5](直巻整流子電動機・端子電圧375V[6]・定格回転数1,900rpm) |
駆動方式 |
東洋電機製造 KD333-A-M[4] TD平行カルダン駆動方式[5] (中実軸撓み板継手方式[6]) |
歯車比 | 80:19=4.21[5] |
制御方式 |
電動カム軸式抵抗制御 力行…全界磁13段・弱め界磁4段[4] 制動…全界磁16段[4] |
制御装置 | 東京芝浦電気 MM-39-A[5] |
制動装置 | 発電制動併用全電気指令式電磁直通制動(MBS-D)[7] |
保安装置 | OM-ATS, D-ATS-P |
備考 | 設計最高速度は平坦線均衡速度を記述 |
小田急7000形電車(おだきゅう7000がたでんしゃ)は、1980年から2018年まで小田急電鉄(小田急)が運用していた特急用車両(ロマンスカー)である。愛称は"Luxury Super Express"(略して「LSE」)[8]。
小田急では、編成表記の際には「新宿方先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している[9]ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「7002×11」のように表記する。また、特定の車両番号から「デハ7800番台」などのように表記し、3000形 (初代)は「SE車」、3100形は「NSE車」、本形式7000形は「LSE車」、10000形は「HiSE車」、30000形は「EXE車」、50000形は「VSE車」、日本国有鉄道については「国鉄」、箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本駅へ乗り入れる特急列車については「箱根特急」と表記する。
概要
[編集]箱根方面への特急ロマンスカーに使用されていた3000形電車 (SE車)の置き換えを当初の目的として登場した[10]車両で、それまでの特急ロマンスカーのイメージを尊重しつつ斬新さを追求し[11]、居住性や機能性の向上を図った[11]。1984年までに44両が製造された[12]。
1981年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を授与された[8]。
登場の経緯
[編集]小田急では、1957年にSE車を[13]、1963年には前面展望席を設けた特急車両としてNSE車を登場させていた[14]。その後、1970年代に入ると設計当時に耐用年数を10年として設計した車両であったSE車は老朽化が進み[15]、保守やサービスの面からも検討を要する時期となっていた[15]。このため、1976年からはSE車の後継車として新型特急車両の事前調査研究が開始された[15]。当初計画ではSE車の後継という位置づけで[10]、NSE車を6両固定編成として、それまでNSE車が使用されていた列車に新特急車を投入する案[16]や、20m級のボギー車4両編成にするという案[16]もあった。また、展望室はサロンルームにしたり、座席を外に向けたりする案もあった[17]。
この時期にはNSE車が検査入場した場合にはSE車を箱根特急に使用することを余儀なくされ[18]、輸送力が不足する状態になっていた[18]。また、新型車両を製造するのであれば、NSE車を上回る車両を製造した上でNSE車を置き換え、捻出されたNSE車によってSE車を置き換えてゆくことが望ましいと結論付けられた[10]。また、SE車やNSE車に引き続き連接車とし、編成長や定員はNSE車と大きく違わないようにした[19]。
1977年8月には社内で検討会を開催[15]、1978年秋には特急ロマンスカーの利用者に対してアンケート調査を行った[16]。これらの検討やアンケートの結果を踏まえ、1979年には製作前提の設計図をまとめるために製造メーカーも加わる共同研究に移行[16]、1980年2月には正式発注となった[16]。こうして、NSE車以来18年ぶりの新型特急車両として登場した[11]のがLSE車である。
車両概説
[編集]本節では、登場当時の仕様を基本として、増備途上での変更点を個別に記述する。更新による変更については沿革で後述する。
LSE車は11両連接の固定編成で、形式は先頭車が制御電動車のデハ7000形で、中間車は両端とも付随台車となっている車両が付随車のサハ7050形で、それ以外の中間車が電動車のデハ7000形である。編成については、巻末の編成表を参照のこと。
車体
[編集]先頭車は車体長16,150mm[20]・全長は新宿方先頭車が16,390mm[2]で小田原方先頭車が16,310mm[2][注 1]、中間車は車体長12,100mm[20]・全長12,500mm[2]で、車体幅は2,900mm[20]である。車体は側板・屋根板はそれぞれ1.6mm・1.2mmの厚さの高耐候性鋼板を[4]、床板は厚さ1.0mmステンレス板を採用した[4]。車体断面は下部を半径2,500mmの緩いカーブで絞り込み[4]、側面上部を3度の傾斜角で内傾させた形状とした[4]。また、SE車とNSE車では車体中央部を低床構造としていた[11]が、LSE車では展望室部分を除いて平床構造とし[11]、車体の上下寸法も拡大された[11]。
先頭部の形状は運転室を2階に上げ、最前部まで客室とした前面展望構造の流線形であるが、前面客室窓の高さを850mmと広くした[21]ほか、シャープな形状を強調するため[4]、正面腰板との境界を直線状とした[22]上で、前面窓の傾斜角をNSE車の60度から48度と強くし[4]、前面の灯火類や愛称表示器、ダンパーを車体に埋め込む構造とした[4]。原案ではさらにシャープにするデザインも検討されていた[23]が、「レジャーとしては和やかな雰囲気を」という理由で、丸みを帯びたデザインとなった[24]。また、2階の運転席部分の形状は「屋根の上に載せた」という感覚をなくすようにデザインされた[21]。これら前頭部形状の設定にあたっては、10分の1や20分の1の模型の作成、さらに原寸大のモックアップを作成した上で、細部にわたる検討が行われた[17]。先頭のスカートの内側には、異常時に使用する格納式密着連結器、警笛、電子警報器(補助警報音を発する装置)、展望室用の冷房装置が装備されている[25]。標識灯は運転席窓下に設けられた。
正面の愛称表示器は、SE車・NSE車ではアクリル板を交換する方式であった[17]が、LSE車では自動幕式とした[17]。通常、こうした表示幕装置は垂直な平面に設置される[17]が、LSE車では車体前部の曲面に合わせて水平方向に巻き取る方式とした[17]。
側面客用扉は各車両とも1箇所であるが、SE車とNSE車では手動式の開き戸だった[26]のに対して、700mm幅の自動開閉式折戸が採用された[26]。1999年7月までは、特急に乗車する際には乗車口を限定した上で、ホームで特急券を確認する乗車改札を行っていた[27]ため、駅での旅客扱いを考慮し、半自動扱いも可能な回路となっている[26]。
側面窓の配置は、幅1,600mm[28]・高さ800mm[20]の固定窓を、窓柱の幅を340mm[28]として配置した。先頭のデハ7000形乗務員室隣の窓と、中間のデハ7000形の車端部の窓については幅を765mmとした[28]。デハ7000番台・デハ7800番台の連結面側車端部には500mm幅の乗務員扉を配置した[28]。
車両間の貫通路は1,200mm幅の広幅となっている[20]が、通路は下部が絞り込まれた形状となっており、床面での貫通路幅は800mmとなっている[20]。NSE車では一部を除いて貫通扉は設置されていなかったが、LSE車では先頭車と隣接する車両間[注 2]を除く貫通路に両開きの自動扉を設けた[26]。この扉はNSE車と同様に開放的な雰囲気を出すことをねらい[26]、茶色がかった透明アクリルで構成した[4]。連結面間の幌はSE車やNSE車と同様に内幌と外幌の2重構造としたが、外幌については布と発泡材を使用し、変形のないものとした[26]。
塗装デザインはSE車およびNSE車で採用された「オレンジバーミリオン■・ホワイト□・グレー■の3色」が小田急ロマンスカーのイメージとして浸透していることを鑑み[26]、腰板部分の白線がNSE車が3本であるのに対してLSE車は2本であるという相違点がある程度[29]で、NSE車とほぼ同一とした[30]。
内装
[編集]室内の配色については、室内全体の明るさを強調した軽快な感じを出すことに重きを置いた[17]。
座席は回転式リクライニングシートを採用、シートピッチ970mmで配置した[20]。小田急においてリクライニングシートの採用は2300形以来であるが、これは1978年秋に実施したアンケートの結果、要望が多かったものである[26]。また、座席は省力化対策として、折り返しの車内整備の際にスイッチ操作による一斉転換を可能とした[26]。これは、空気シリンダによって作動し、リクライニング状態を元に戻した上で回転動作を行うもので[26]、転換クロスシートで自動転換が可能な座席は前例がある[26]が、回転式リクライニングシートの自動転換は日本の鉄道では初めての採用例である[21]。座席自体はバケットタイプで、背摺り形状に工夫を凝らしたほか、表地はオレンジとベージュのツートーンとした[31]。
列車両端の展望室については、NSE車では定員が10名であったものを14名に増加させた[31]。また、NSE車では展望室の天井は2階の乗務員室の張り出しがあったが、LSE車では乗務員室の張り出しをなくした[26]。また、天井は円形ドーム型の二重天井とした上で間接照明とダウンライトを採用[4]、さらに展望室の窓には日よけのレースカーテンを装着した[26]。
側壁はベージュ系の布目柄[31]、天井は抽象柄とした[17]。床もベージュ系の色とした[17]が、通路にはセピア色のカーペットを敷いた[4]。このカーペットは、2次車(7002×11)以降は赤色のカーペットに変更された[32]。
サハ7050番台の新宿方車端部とサハ7150番台の小田原方車端部には喫茶コーナーを設置した[4]。喫茶コーナーからの排水は床下に配置された雑排水タンクに貯溜[26]、車両基地で排水を行うことにした[26]。デハ7200番台の新宿方車端部とデハ7600番台の小田原方車端部には男女共用和式トイレ・男子小用トイレ・化粧室を配置した[4]が、トイレでは従来の貯溜式汚物タンクに代えて汚物循環処理装置を採用した[4]。また、化粧室からの排水はタンク貯溜式とした[4]。
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LSE車の座席(更新後のため室内のデザインは登場当時とは異なる)
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LSE車の展望室の様子と座席
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車内の喫茶コーナー
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中間車の車内
主要機器
[編集]LSE車では、営業線でのトラブルを回避するため[8]、主要機器については既に実績のある製品を使用するようにした[8]。また、将来の御殿場線直通用にも同一機器で対応できるようにした[8]。また、連接車であることから、軸重の均一化を図った[16]。
運転士が乗務する乗務員室(運転室)は2階に上げた構造で、既にNSE車で採用実績がある[26]が、平均身長の伸びを反映した改善要望もあった[26]ことから、NSE車より室内を広くし[33]、あわせて居住性と操作性の向上を図った[26]。この結果、LSE車の運転室には同時に3名まで乗務可能である[33]。運転室への入口は、NSE車では展望室内天井の左側(運転席の背後下)に設置されていた[33]が、LSE車では右側(助士席側背後下)に変更した[26]。また、運転席パネル類はデスクタイプとし[34]、スペースを確保するために主幹制御器とブレーキ設定器を一体としたワンハンドルマスコンとした[8]が、ワンハンドル式の主幹制御器は小田急では初採用である[33]。マスコンハンドルの右側には主電動機の直並列切り替えと逆転器を一体にしたハンドル[33]が設置され、左手の位置には抑速制動ハンドルが設けられている[33]。なお、緊急時には乗務員が直接車外に脱出できる構造としている[35]。車掌が乗務する乗務員室(車掌室)は先頭車の連結面寄りに設けられており、NSE車では片隅式だったものをLSE車では左右両側に配置した[4]。なお、運転室・車掌室ともに機器の動作状態を示すモニタ装置が設置されている[6]。
主電動機については、平坦線均衡速度145km/hという高速性能と箱根登山鉄道鉄道線内の40‰勾配を走行可能な登坂性能という二つの条件を満たすため[8]に、出力140kWの直流直巻電動機を採用し[8]、各電動台車に2台ずつ装架した。東洋電機製造のTDK-8420-A形[3]・三菱電機のMB-3262-A形[3]を併用しているが、小田急社内ではこれらの2種類の電動機を「OER7000形」と総称している[8]。
制御装置は東京芝浦電気(東芝)の発電・抑速制動付電動カム軸式抵抗制御装置であるMM-39A形を採用し[4]、デハ7000番台・デハ7300番台・デハ7500番台・デハ7800番台の車両に搭載した[36]。SE車・NSE車に引き続き東芝製の採用である。この制御器は1台で4つの電動機の制御を行い(1C4M)[4]、主回路接続は4つの電動機を全て直列に接続する方式(永久4S)である[4]。これを1編成あたり4組装備し、並列運転時には4組を全て並列させる「4並列回路制御」を行い[21]、直列運転時には2組を直列にした状態で、1台の制御器で8つの電動機を直列に接続した「2直列回路制御」となる[21]。直並列の切り替えは運転席の直並列切り替えハンドルで行う「直列・並列運転指定式」である[21]。駆動装置は小田急では初の採用となるTD平行カルダン駆動方式(中実軸撓み板継手方式)で[6]、歯数比は80:19=4.21とした[4]。
制動装置(ブレーキ)については、LSE車は他形式との連結運転を行わないことから[12]、小田急では初となる発電ブレーキ併用電気指令式電磁直通制動[37]のMBS-D形として[30]、機器や配管の集約化と応答性の向上を図った[32]。また、ブレーキ初速に応じてブレーキシリンダー圧力を3段階で制御する方式が採用されている[36]。電力回生ブレーキは特急車両であることから停車駅が少なく、ブレーキの回数も多くないことから採用されていない[8]。主抵抗器は自然通風式とした[36]。
台車は、連接電動台車がFS508A、先頭電動台車がFS508B、連接付随台車がFS008で、いずれも小田急においては2600形以来実績のある住友金属工業製の軸箱支持装置がアルストムリンク式の空気ばね台車である[6]が、連接車という特性上から[36]空気ばねの取り付け方式はインダイレクトマウント方式となった[36]。いずれの台車も車輪径は860mm[36]で、軸ばねにエリゴばねを採用した[4]。基礎ブレーキ装置は電動台車がシングル式(片押し式)[30]、付随台車ではツインディスク式ディスクブレーキである[30]。
集電装置(パンタグラフ)は、デハ7100番台・デハ7300番台の屋根上新宿方車端部と、デハ7500番台・デハ7700番台の屋根上小田原方車端部に設置した[34]。冷房装置については、10,500kcal/hの能力を有する三菱電機製CU-195形集約分散式冷房装置を1両あたり3台搭載した[34]ほか、列車両端の展望室には4,500kcal/hの能力を有する三菱電機製CU-23形を1台搭載した[34]。CU-23形は床上には熱交換器とファンのみで、コンプレッサー部分は床下に搭載するセパレート方式である[26]。補助電源装置は、出力140kVAのCLG-350A型電動発電機 (MG) をデハ7100番台・サハ7050番台・サハ7150番台・デハ7700番台の車両に搭載した[36]。電動空気圧縮機 (CP) については低騒音型のC-2000L[32]をサハ7050番台・サハ7150番台・デハ7400番台の車両に搭載した[34]。
沿革
[編集]登場当初
[編集]1980年に製造された1次車(7001×11)では新宿方の6両を日本車輌製造で、小田原方の5両を川崎重工で分担して製造した[1]。川崎重工兵庫工場で完成した5両を一旦日本車輌豊川製作所に輸送し[38]、日本車輌で11両編成に組成した[29]上で小田原まで輸送することになったが、このときは連接車専用の控え車を製作・連結した[38]上で、兵庫から豊川まで輸送を行った。こうして、同年12月7日に7001×11が入線し[8]、12月9日に竣功[1]、整備や試運転を実施した後の12月25日には新宿駅で完成記念式典が行われ[39]、12月27日から営業運行を開始した[8]。
1981年9月13日には、鉄道友の会より第24回ブルーリボン賞を授与され[8]、新宿駅地下ホームで式典が行われた[40]。この年には2次車(7002×11)が製造されたが、2次車ではデハ7002・7102・7702・7802・サハ7052の5両が日本車輌で、残りの6両が川崎重工で製造された[1]ため、先に完成した日本車輌の製造分をいったん豊川から兵庫まで5両連接にした状態で輸送し[38][注 3]、川崎重工で11両編成に組成してから小田急に納入されている。1982年11月には3次車として7003×11が入線した[1]。
国鉄線上での試験
[編集]この当時、国鉄では新形特急用車両の開発を進めていた[41]が、その一環として、通常のボギー車と連接車の比較試験を1982年の11月から12月にかけて行うことになった[41]。国鉄には試験に使用できるような連接車がなかった[注 4]ため、国鉄の申し入れにより小田急からLSE車を貸し出すことになった[29]。ボギー車の試験では183系が使用された[41]が、この車種選定の理由は「重心の高さや輪重などの数値が似通っていたから」と説明されている[42]。
試験車両には7002×11が使用されることになり、試験に際して、デハ7002の先頭台車と連接台車のそれぞれ新宿方の車軸を測定軸とし[32]、大野工場で輪軸交換や測定機器の搭載を行った[32]上で国鉄に貸し出され、1982年12月10日から15日にかけて東海道本線の大船駅~熱海駅間(一部回送では来宮駅まで入線)で最高速度130km/hの走行試験が行われた[43]。この試験では、指定した箇所を本則-5km/hから本則+15km/hまでの速度段で走行する際に、輪重・横圧・振動・変位・騒音などを地上と車内で測定する内容であった[32]。私鉄の特急形車両が国鉄の路線上で走行試験を行ったのはSE車(1957年9月の高速度試験の際に実施)とLSE車だけで[44]、沿線には多くの鉄道ファンが撮影に訪れた[43][注 5]。
この試験により、連接車の特性が定量的に把握された[32]が、試験の結果は「ボギー車と連接車で乗り心地の差は見られず、同程度の性能」という結論であった[45]。ただし、「台車構造の差が測定結果に強く認められたため、十分に違いを把握したとはいえない」ともしており、曲線の通過性能については「今後さらに検討を要する」としている[46]。唯一、車両ごとの振動の差が少ない点について「連接構造による車両間の拘束が強いため」と認めている[46]。このため、その後国鉄では連接車の導入は見送られることとなり[47]、その後国鉄からJRになってからも、本格的な連接車の導入はされていない[43][注 6]。
リニューアルと廃車
[編集]1983年12月に4次車として7004×11が入線し[1]、これでLSE車の増備は終了となった。この時期は、輸送力増強と老朽車両の置き換えを進めていたことから、年に1編成ずつの導入しかできなかった[29]。しかし、4次にわたるLSE車の導入により、11両編成の特急車の運用に余裕ができたことから、車両検査時に箱根特急にSE車を投入することによって輸送力が不足していた事例は解消された[18]。1985年10月には、小田急で初めての車内公衆電話が設置された[19]。
1996年から1998年にかけて、日本車輌において全編成のリニューアル工事が実施された。外部カラーリングはHiSE車と同様のホワイト■ベースに濃淡ワインレッド■■の帯が入るデザインに変更され[48]、「前面展望室のある車両」のイメージ統一を行った[34]。座席モケットの変更[34]の他、車いす対応座席の設置[34]とそれに伴う出入口幅の拡張(700mm→1,000mm)[34]や客室内のカラースキームもブラウン系濃淡を基調としたものとなった[34]ことが挙げられる。加えてトイレの汚物処理方式も循環式から真空式へ変更されている[34]。また、室内の号車番号や座席番号表示などはEXE車と共通の書体が用いられた。なお、リニューアル車で最後に出場した7004×11については、電動発電機をIGBT素子式の静止形インバータ (IGBT-SIV) に置き換えている[48]。2005年から2006年にかけて集電装置を順次菱形パンタグラフからシングルアーム式パンタグラフに変更した[34]。
これより少し前の2003年4月から7月にかけては、VSE車の導入に先駆けた車体傾斜制御の試験として[49]、サハ7052の両端台車を交換した上で連接部の間隔を広げ[50]、更に新宿方にパンタグラフを仮設して[50]性能確認試験を行った。
2007年で小田急開業から80周年・SE車登場から50周年を迎えるのを記念し、同年7月6日から7004×11を1999年以来8年ぶりの旧塗装に復元して営業運転に就くこととなった[51][50]。旧塗装での営業運転は2008年3月31日までの予定であったが、それ以降も継続して使用している[50]。なお、実際に走っていた1999年ごろまでの旧塗装との違いとして、先頭部分の窓枠が銀色ではなく黒色となっていたこと[50]や、パンタグラフがシングルアーム式であること、2008年3月以降は側面に小田急グループブランドマークが貼付された[50]ことなどが挙げられる。また各先頭車の一部座席の撤去が行われ定員が8人減っている。
2010年1月中旬より、LSE車とHiSE車は部品の一部に不具合が見つかったことを理由として[52]長野電鉄に譲渡されたHiSEの2編成に関しても全面的に運用から離脱し、点検を行った。同年4月1日から営業運行に復帰している[53]。
なお、この不具合とは無関係に[54]、同年1月4日に7002×11が廃車解体された[55]。
2012年2月には、1編成を登場当時の塗装デザインに復元し、1編成が廃車となることが小田急から発表された[56][57]。これによって、HiSE車に準じた塗装デザインの車両による運行は同年2月19日限りで終了し[58]、同年2月20日以降は旧塗装車両のみでの運行となる[59]。これに伴い、7003×11については旧塗装へ復元され[60]、7001×11については2月19日をもって運用を終了した[58]。旧塗装への復元が行われた編成については、D-ATS-Pの設置工事が日本車輌で実施され[57]、この際に前面の窓枠は銀色のものに戻されている[57]。
70000形GSE車導入後の2018年3月15日、7003×11を同年6月までに廃車することと、7004×11についても2018年度内に引退予定であることが発表された[61]。5月29日には定期運行終了日が発表され[62]、7月10日に新宿駅および箱根湯本駅で記念式典を行った後、同日の「ホームウェイ83号」[注 7]をもって定期運行を終了した[63]。その後、団体専用の臨時列車にいくつか充当されたのち、同年10月13日に新宿 → 小田原 → 秦野間で運行されたさよならツアーをもって営業運転を終了した[64]。
保存
[編集]引退後は7003×11の先頭車2両がしばらく保管されていたが、新宿方の7003号車がロマンスカーミュージアムに展示保存されている。小田原方の7803号車は解体されたが、運転台部分のみロマンスカーミュージアム内にある「ロマンスカーシミュレーターLSE」に流用された[65]。
なお、最後まで運用されていた7004×11は全車両が解体された。
編成表
[編集]- 凡例
- Mc …制御電動車、M …電動車、T…付随車、CON…制御装置、MG…電動発電機、CP…電動空気圧縮機、PT…集電装置
乗 …乗務員室、展 …展望席、喫…喫茶コーナー、WC…トイレ・化粧室、電…公衆電話
← 小田原 新宿 →
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
形式 | デハ7000 | デハ7000 | サハ7050 | デハ7000 | デハ7000 | デハ7000 | デハ7000 | デハ7000 | サハ7050 | デハ7000 | デハ7000 | ||||||||||||||||||||||
区分 | M9c | M8 | T2 | M7 | M6 | M5 | M4 | M3 | T1 | M2 | M1c | ||||||||||||||||||||||
車両番号 | 7801 | 7701 | 7151 | 7601 | 7501 | 7401 | 7301 | 7201 | 7051 | 7101 | 7001 | ||||||||||||||||||||||
7802 | 7702 | 7152 | 7602 | 7502 | 7402 | 7302 | 7202 | 7052 | 7102 | 7002 | |||||||||||||||||||||||
7803 | 7703 | 7153 | 7603 | 7503 | 7403 | 7303 | 7203 | 7053 | 7103 | 7003 | |||||||||||||||||||||||
7804 | 7704 | 7154 | 7604 | 7504 | 7404 | 7304 | 7204 | 7054 | 7104 | 7004 | |||||||||||||||||||||||
搭載機器 | CON | MG or SIV,PT | CP | CON,PT | CP | CON,PT | CP | MG or SIV,PT | CON | ||||||||||||||||||||||||
台車形式 | FS508B | FS508A | FS008 | FS008 | FS508A | FS508A | FS508A | FS508A | FS008 | FS008 | FS508A | FS508B | |||||||||||||||||||||
自重 | 32.60t | 22.96t | 22.07t | 22.13t | 22.96t | 22.54t | 22.96t | 22.13t | 22.07t | 22.96t | 32.60t | ||||||||||||||||||||||
車内設備 | 乗、展 | 喫 | WC | WC | 喫、電 | 乗、展 | |||||||||||||||||||||||||||
定員 | 46 | 44 | 30 | 36 | 44 | 44 | 44 | 36 | 32 | 44 | 46 |
- 7001x11 1980年12月入線、2012年2月運用終了
- 7002x11 1981年入線、2010年1月廃車
- 7003x11 1982年11月入線、2018年5月運用終了
- 7004x11 1983年12月入線、2018年10月運用終了
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 生方 (2005) p.37に掲載の図面上では、連結部は小田原方が240mm、新宿方が160mmとなっているため、差異が生じる。
- ^ 1・2号車の間と、10・11号車の間。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻491号 p.32の写真では、牽引機としてEF58形電気機関車の1号機が写っている。
- ^ 国鉄の連接車は、試作車両で591系とキハ391系気動車が当時存在していたが、591系は廃車・解体済み、キハ391系は車籍はあったが休車状態であった。
- ^ 特急形以外では、2019年に登場した相鉄12000系電車が根府川駅まで入線している。
- ^ JRになってから製造された車両における連接車は、新幹線の952形・953形、在来線のE993系・E331系で、いずれも東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両である。E331系以外は営業運転には使用されておらず、同車においても同年代に導入された他のボギー車よりも早く運用を離脱している。
- ^ この日に限り片瀬江ノ島まで延長運転(通常は藤沢行)[62]。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j k l 小山 (1985) p.172
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 大幡 (1988) p.23
- ^ a b c d 小山 (1985) p.173
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- ^ 小山 (1985) p.13
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- ^ 細谷 (1999) p.25
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- ^ 『約38年のご愛顧に感謝をこめて 特急ロマンスカー・LSE(7000形)最終イベント列車を運転 〜LSEに乗って最後の勇姿を見届けて〜』(PDF)(プレスリリース)小田急電鉄、2018年7月18日。オリジナルの2020年12月8日時点におけるアーカイブ 。2020年12月24日閲覧。
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参考文献
[編集]書籍
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- 生方良雄、諸河久『日本の私鉄5 小田急』保育社、1981年。0165-508530-7700。
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- 生方良雄『小田急ロマンスカー総覧』大正出版、2005年。ISBN 4811706552。
- 小山育男、諸河久『私鉄の車両2 小田急』保育社、1985年。ISBN 4586532025。
- 吉川文夫『小田急 車両と駅の60年』大正出版、1987年。0025-301310-4487。
雑誌記事
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- 刈田草一「小田急列車運転慨史」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、15-23頁。
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- 曽根悟「連接車 -ボギー車との比較と評価-」『鉄道ピクトリアル』第789号、電気車研究会、2007年5月、10-16頁。
- 船山貢「小田急車両総説」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、92-99頁。
- 細谷和一郎「営業設備とサービス」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、22-25頁。
- 山下和幸「私鉄車両めぐり122 小田急電鉄」『鉄道ピクトリアル』第405号、電気車研究会、1982年6月、169-183頁。
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- 「あの日、あの頃 小田急の情景」『鉄道ピクトリアル』第829号、電気車研究会、2010年1月、173-183頁。
- 「Topic Photos 『小田急7000形7002編成廃車』」『鉄道ピクトリアル』第832号、電気車研究会、2010年4月、85頁。
- 「Railway Topics 『小田急LSE・HiSEが運用から外れる』」『鉄道ジャーナル』第522号、鉄道ジャーナル社、2010年4月、147頁。
- 「Railway Topics 『小田急の引退予定車両の動き』」『鉄道ジャーナル』第546号、鉄道ジャーナル社、2012年4月、147頁。
- 「POST」『鉄道ファン』第613号、交友社、2012年5月、186-194頁。
外部リンク
[編集]- LSE(7000形) - 小田急電鉄(インターネットアーカイブ)