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「アバクロンビー (モニター・2代)」の版間の差分

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'''アバクロンビー''' ('''HMS Abercrombie, F109''') は[[イギリス海軍]]の[[モニター艦]]。[[ロバーツ級モニター]]の1隻。{{要出典|範囲=艦名は[[ジェームズ・アバークロンビー (将軍)|ジェームズ・アバークロンビー]]将軍に因む。|date=2018年5月}}の名を持つモニターとしては2隻目。
'''アバクロンビー''' ('''HMS Abercrombie, F109''') は[[イギリス海軍]]の[[モニター艦|モニター]]。[[ロバーツ級モニター|ロバーツ級]]。{{要出典|範囲=艦名は[[ジェームズ・アバークロンビー (将軍)|ジェームズ・アバークロンビー]]将軍に因む。|date=2018年5月}}の名を持つモニターとしては2隻目。

==艦歴==
==艦歴==
第二次世界大戦中、モニター「[[テラー (モニター)|テラー]]」は北アフリカの陸軍支援に従事し、1941年2月に戦没した。その働きが良かったため代艦が建造された<ref name=バクストン189>『巨砲モニター艦』189ページ</ref>。それがこの「アバクロンビー」である。設計は「[[ロバーツ (モニター・2代)|ロバーツ]]」のものをもとに、近接兵器の増加、弾薬、清水などの搭載量増加、発電能力の強化、居住空間の拡充などの変更がなされている<ref name=バクストン190>『巨砲モニター艦』190ページ</ref>。
「アバクロンビー」は1941年4月26日に[[ヴィッカース・アームストロング]]社で起工し、1942年3月31日に進水、1943年5月5日に就役した。搭載した15インチ砲塔は「[[フューリアス (空母)|フューリアス]]」の予備砲塔として製造されたものであった。


ニューカッスルの[[ヴィッカース・アームストロング]]社で建造<ref name=バクストン192>『巨砲モニター艦』192ページ</ref>。1941年5月26日起工<ref name=バクストン217>『巨砲モニター艦』217ページ</ref>。1942年3月31日進水<ref name=バクストン217/>。主砲塔は「[[フューリアス (空母)|フューリアス]]」の予備砲塔が改修されて搭載された<ref name=バクストン190/>。その改修作業に時間がかかったことなどから、竣工は1943年5月5日となった<ref>『巨砲モニター艦』192-193ページ</ref>。
就役後、[[ハスキー作戦]]([[シチリア島]]侵攻)参加のため「アバクロンビー」は[[地中海]]へ向かい、1943年7月4日に[[チュニス]]に到着した。7月8日に「アバクロンビー」は上陸部隊を載せた船団とともにシチリア島へ向けて出撃した。そして、7月10日から7月15日まで「アバクロンビー」は砲撃による支援を行った。それにより弾薬が欠乏したため[[マルタ]]で補給を受け、その後も7月18日から7月23日までシチリア島周辺で活動した。


続いて[[ベイタウン作戦]]参加が、この作戦では「アバクロンビー」は砲撃を行う機会はなく、9月4日に[[アヴァラン作戦]]([[サレルノ]]上陸)参加のため[[ビゼルト]]へ向かった。そこを9月7日に出撃、9月9日にサレルノに到着し上陸支援を行った。同日、「アバクロンビー」は右舷中央部に触雷し、9月11日に[[パレルモ]]に後退した。「アバクロンビー」の修理は[[ターラント]]で行われた。ターラントには10月7に到着し、修理には10月を要した。
[[ハスキー作戦]]([[シチリア島]]侵攻)参加「アバクロンビー」は1943年7月4日に[[チュニス]]に到着した<ref name=バクストン199>『巨砲モニター艦』199ページ</ref>。「アバクロンビー」の担当アメリカ軍の上陸支援であっ<ref name=バクストン199/>。「アバクロンビー」は上陸の行われた10月10から10月15日まで砲撃行っ<ref>『巨砲モニター艦』199-200ページ</ref>


続いて[[ベイタウン作戦]]に参加したが、この作戦では「アバクロンビー」は砲撃を行う機会はなかった<ref name=バクストン201>『巨砲モニター艦』201ページ</ref>。次の作戦は[[アヴァランチ作戦]]([[サレルノ]]上陸)で、「アバクロンビー」の任務はアメリカ軍のサレルノ湾南端への上陸支援であった<ref name=バクストン202>『巨砲モニター艦』202ページ</ref>。上陸は9月9日に行われ、「アバクロンビー」は砲撃を実施<ref name=バクストン202/>。同日、艦中央部右舷側のバルジの下で機雷が爆発<ref name=バクストン202/>。船体内部への被害はバルジによってほぼ食い止められたが、若干の浸水の他、15インチ砲の方位盤が落下するなどの被害があり、1名が負傷した<ref name=バクストン202>『巨砲モニター艦』202ページ</ref>。修理はイタリアとの休戦後にタラントで行われ、10か月を要した<ref>『巨砲モニター艦』204-205ページ</ref>。
修理が完了した「アバクロンビー」は1944年8月15日に[[マルタ島]]に到着した。8月21日、マルタ南東沖で訓練中であった「アバクロンビー」は再び触雷した今度は2発機雷触れ、マルタでの修理は9ヶ要した。


修理が完了した「アバクロンビー」は1944年8月15日に[[マルタ島]]に到着した<ref name=バクストン209>『巨砲モニター艦』209ページ</ref>。8月21日、マルタ南東沖で訓練中であった「アバクロンビー」は2度触雷<ref name=バクストン209/>艦首右側と後部の艦底破孔が生じ推進軸などが被害を受けた<ref name=バクストン209/>。修理はマルタで行われ、11か月要した<ref name=バクストン209/>
修理後、「アバクロンビー」は対日作戦に投入されることになった。だが、任地に向かう途中、[[アデン]]付近で終戦を迎えた。


修理後対日作戦に投入されることになるも終戦により引き返し、1945年11月6日にシーアネス着<ref name=バクストン212>『巨砲モニター艦』212ページ</ref>。
「アバクロンビー」は1945年11月に[[チャタム (ケント州)|チャタム]]に帰還し、1954年まで砲術訓練や[[宿泊艦]]としての任務に従事した。「アバクロンビー」は1954年12月24日に[[バロー=イン=ファーネス|バロー]]でスクラップとして廃棄された。


宿泊艦や砲術教練艦などとして使用された後、1954年11月22日に[[:en:British Iron & Steel Corporation|英国鉄鋼会社]]に引き渡され、T. W. ウォード社のバロウ造船所で解体となった<ref>『巨砲モニター艦』214、217ページ</ref>。1954年12月24日、バロウ着<ref name=バクストン217/>。
==要目==
*排水量:基準8536トン、満載9717トン
*全長:373フィート4インチ(113.79m)
*全幅:89フィート9インチ(27.36m)
*機関:海軍式三胴缶2基、パーソンズ式単段減速ギアード蒸気タービン2基(4800軸馬力)、2軸
*速力:設計、就役時12.25ノット、公試12.0ノット
*乗員:士官20名、下士官兵440名
*兵装(竣工時):15インチ(38.1cm)砲2門(連装1基)、4インチ(102mm)砲8門(連装4基)、2ポンド砲16門、20mm機銃20挺
*出典<ref name=バクストン217/>
==脚注==
{{reflist}}
==参考文献==
==参考文献==
*イアン・バクストン、橋本若路(訳)、本吉隆(監修)『巨砲モニター艦 設計・建造・運用 1914~1945』イカロス出版、2019年、ISBN 978-4-8022-0707-2
*Ian Buxton, ''Big Gun Monitors : Design, Construction and Operations 1941-1945'', Seaforth Publishing, 2008, ISBN 978-1-84415-719-8

==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www.uboat.net/allies/warships/ship/5463.html HMS Abercrombie at www.uboat.net]
*[http://www.uboat.net/allies/warships/ship/5463.html HMS Abercrombie at www.uboat.net]

2024年6月1日 (土) 11:35時点における最新版

艦歴
発注 1941年4月4日
起工 1941年4月26日
進水 1942年3月31日
就役 1943年5月5日
退役
その後 1954年12月24日にスクラップとして廃棄
除籍
性能諸元
排水量 7,850トン
全長 373.25 ft (113.77 m)
全幅 89.75 ft (27.36 m)
吃水 11 ft (3.4 m)
機関 パーソンズ式蒸気タービン、2軸推進、4,800 hp
最大速 12.5ノット (14.4 mph)
乗員 350名
兵装

アバクロンビー (HMS Abercrombie, F109) はイギリス海軍モニターロバーツ級艦名はジェームズ・アバークロンビー将軍に因む。[要出典]この名を持つモニターとしては2隻目。

艦歴

[編集]

第二次世界大戦中、モニター「テラー」は北アフリカの陸軍支援に従事し、1941年2月に戦没した。その働きが良かったため代艦が建造された[1]。それがこの「アバクロンビー」である。設計は「ロバーツ」のものをもとに、近接兵器の増加、弾薬、清水などの搭載量増加、発電能力の強化、居住空間の拡充などの変更がなされている[2]

ニューカッスルのヴィッカース・アームストロング社で建造[3]。1941年5月26日起工[4]。1942年3月31日進水[4]。主砲塔は「フューリアス」の予備砲塔が改修されて搭載された[2]。その改修作業に時間がかかったことなどから、竣工は1943年5月5日となった[5]

ハスキー作戦シチリア島侵攻)参加のため「アバクロンビー」は1943年7月4日にチュニスに到着した[6]。「アバクロンビー」の担当はアメリカ軍の上陸支援であった[6]。「アバクロンビー」は上陸の行われた10月10日から10月15日まで砲撃を行った[7]

続いてベイタウン作戦に参加したが、この作戦では「アバクロンビー」は砲撃を行う機会はなかった[8]。次の作戦はアヴァランチ作戦サレルノ上陸)で、「アバクロンビー」の任務はアメリカ軍のサレルノ湾南端への上陸支援であった[9]。上陸は9月9日に行われ、「アバクロンビー」は砲撃を実施[9]。同日、艦中央部右舷側のバルジの下で機雷が爆発[9]。船体内部への被害はバルジによってほぼ食い止められたが、若干の浸水の他、15インチ砲の方位盤が落下するなどの被害があり、1名が負傷した[9]。修理はイタリアとの休戦後にタラントで行われ、10か月を要した[10]

修理が完了した「アバクロンビー」は1944年8月15日にマルタ島に到着した[11]。8月21日、マルタ南東沖で訓練中であった「アバクロンビー」は2度触雷[11]。艦首の右側と後部の艦底に破孔が生じ、推進軸などが被害を受けた[11]。修理はマルタで行われ、11か月要した[11]

修理後対日作戦に投入されることになるも終戦により引き返し、1945年11月6日にシーアネス着[12]

宿泊艦や砲術教練艦などとして使用された後、1954年11月22日に英国鉄鋼会社に引き渡され、T. W. ウォード社のバロウ造船所で解体となった[13]。1954年12月24日、バロウ着[4]

要目

[編集]
  • 排水量:基準8536トン、満載9717トン
  • 全長:373フィート4インチ(113.79m)
  • 全幅:89フィート9インチ(27.36m)
  • 機関:海軍式三胴缶2基、パーソンズ式単段減速ギアード蒸気タービン2基(4800軸馬力)、2軸
  • 速力:設計、就役時12.25ノット、公試12.0ノット
  • 乗員:士官20名、下士官兵440名
  • 兵装(竣工時):15インチ(38.1cm)砲2門(連装1基)、4インチ(102mm)砲8門(連装4基)、2ポンド砲16門、20mm機銃20挺
  • 出典[4]

脚注

[編集]
  1. ^ 『巨砲モニター艦』189ページ
  2. ^ a b 『巨砲モニター艦』190ページ
  3. ^ 『巨砲モニター艦』192ページ
  4. ^ a b c d 『巨砲モニター艦』217ページ
  5. ^ 『巨砲モニター艦』192-193ページ
  6. ^ a b 『巨砲モニター艦』199ページ
  7. ^ 『巨砲モニター艦』199-200ページ
  8. ^ 『巨砲モニター艦』201ページ
  9. ^ a b c d 『巨砲モニター艦』202ページ
  10. ^ 『巨砲モニター艦』204-205ページ
  11. ^ a b c d 『巨砲モニター艦』209ページ
  12. ^ 『巨砲モニター艦』212ページ
  13. ^ 『巨砲モニター艦』214、217ページ

参考文献

[編集]
  • イアン・バクストン、橋本若路(訳)、本吉隆(監修)『巨砲モニター艦 設計・建造・運用 1914~1945』イカロス出版、2019年、ISBN 978-4-8022-0707-2

外部リンク

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