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『'''阿Q正伝'''』(あうでん/あキューせいでん)は、[[中国]]の作家[[魯迅]]の[[小説]]。[[1921年]][[12月4日]]から[[1922年]][[2月12日]]にかけて新聞『晨報』の週刊付録に一章ずつ発表されたもので、魯迅唯一の[[中編小説]]である<ref name="takeuchi245">竹内(1955年)245ページ</ref>。阿Qという近代中国の一庶民を主人公とした、他に例を見ない物語として注目を集めた
|題名 = 阿Q正伝
|原題 = {{lang|zh|阿Q正傳}}
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|収録 = 短編集『[[吶喊 (魯迅)|吶喊]]』
|収録の出版元 = 北京新潮社
|収録の出版年月日 = [[1923年]]
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}}
{{中華圏の事物
|タイトル = 阿Q正伝
|繁体字 = 阿Q正傳
|簡体字 = 阿Q正传
|ピン音 = Ā Q Zhèngzhuàn
|カタカナ = アーキューヂォンヂュァン
|ひらがな = あきゅうせいでん
|英文 = The True Story of Ah Q
}}
『'''阿Q正伝'''』(あきゅせいでん、アキューセイデン、{{lang-zh|阿Q正傳}})は、[[中国]]の作家[[魯迅]]の[[小説]]。[[1921年]][[12月4日]]から[[1922年]][[2月12日]]にかけて新聞『晨報』の週刊付録に一章ずつ発表されたもので、魯迅唯一の[[中編小説]]である<ref name="takeuchi245">竹内(1955年)245ページ</ref>。


== 評価 ==
== 評価 ==
阿Qという近代中国の一庶民を主人公とした、他に例を見ない物語として注目を集めた。
阿Qという、おそらくはこれ以下はないであろう最下層の人間を主人公に設定し、それを縦横無尽に活躍させることにより、巧みな布置の中に農村社会ひいては全体社会のさまざまな人間タイプの思考や行動の様式を、浮き彫りにしている<ref name="takeuchi245"/>。特にこの作品を気に入った[[毛沢東]]が談話でしばしば「阿Q精神」を引き合いに出したため、魯迅の名声が高まった<ref> [http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=71890 毛沢東の魯迅評価]</ref>。後に中国の高校教科書に採用され、中国国民の多くが知っている小説である。また外国向けにも翻訳されている。

主人公は、観念操作で失敗を成功にすりかえる「{{仮リンク|精神勝利法|en|Method of spiritual victory}}」、面従腹背、卑屈と傲慢の二面性など、封建[[植民地]]社会内における[[奴隷]]性格の典型といえる人物で、その後「阿Q精神」は、このような性格の代名詞ともなった<ref>[[ブリタニカ国際大百科事典]] 「阿Q正伝」</ref>。特にこの作品を気に入った[[毛沢東]]が談話でしばしば引き合いに出したため、魯迅の名声が高まった<ref>{{Cite journal|和書|author=小山三郎 |date=1989-03 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00540001-0194 |title=毛沢東の魯迅評価について |journal=藝文研究 |ISSN=0435-1630 |publisher=慶應義塾大学藝文学会 |volume=54 |pages=194-216 |CRID=1050001338948820864}}</ref>。後に中国の高校教科書に採用され、中国国民の多くが知っている小説である。また外国向けにも翻訳されている。


== あらすじ ==
== あらすじ ==
時代が[[清]]から[[中華民国]]へ変わろうとする[[辛亥革命]]の時期、中国のある小さな村に、本名すらはっきりしない、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いの阿Qという男がいた。
時代が[[清]]から[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]]へ変わろうとする[[辛亥革命]]の時期、中国のある小さな村に、本名すらはっきりしない、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いの'''阿Q'''という男がいた。


彼は、働き者との評判こそ持ってはいたが、家も金も女もなく、字も読めず容姿も不細工などと閑人たちに馬鹿にされる、村の最下層の立場にあった。そして内面では、「精神勝利法」と自称する独自の思考法を頼りに、閑人たちに罵られたり、日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、人一倍高いプライドを守る日々を送っていた。
彼は、働き者との評判こそ持ってはいたが、家も金も女もなく、字も読めず容姿も不細工などと閑人たちに馬鹿にされる、村の最下層の立場にあった。そして内面では、'''「精神勝利法」'''と自称する独自の思考法を頼りに、閑人たちに罵られたり、日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、人一倍高いプライドを守る日々を送っていた。


ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買って村八分になり、仕事にもあぶれてしまう。食うに困って盗みを働き、逃亡同然の生活を続けるうちに、革命党が近くの町にやってきた事を耳にした彼は、意味もわからぬまま「革命」に便乗して騒いだ結果、革命派の趙家略奪に関与した無実の容疑で逮捕される。
ある日、阿Qは村の金持ちである'''趙家の女中'''に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に'''趙の旦那'''の怒りを買って村八分になり、仕事にもあぶれてしまう。食うに困って盗みを働き、逃亡同然の生活を続けるうちに、'''[[中国同盟会|革命党]]'''が近くの町にやってきた事を耳にした彼は、意味もわからぬまま「革命」に便乗して騒いだ結果、革命派の趙家略奪に関与した無実の容疑で逮捕される。

無知ゆえに筋道たてた弁明も出来ず、流されるままに刑場に引き出され、あっけなく銃殺されてしまった阿Qに観客達は不満を述べてるのだった。
無知ゆえに筋道たてた弁明も出来ず、阿Qは流されるままに刑場に引き出され、あっけなく銃殺されてしまう。集まった見物人たちは銃殺斬首より見栄えがしないなど、不満を述べてるのだった。


== 背景 ==
== 背景 ==
魯迅は日本に留学し、仙台医学専門学校(現[[東北大学]]医学部)で解剖学を学んでいた。ある日、教室で[[日露戦争]]の記録映画が上映される。その中にロシア側のスパイ容疑で捕まった中国人が銃殺されるシーンがあり、周囲で同胞の銃殺に喝采する中国民の無自覚な姿に、魯迅は衝撃を受けた。これを契機に魯迅は医学から転じて中の社会改革革命関心を深め、文筆を通じ中国人の精神を啓発するった。
魯迅は日本に留学し、仙台医学専門学校(現[[東北大学]]医学部)で解剖学を学んでいた。ある日、教室で[[日露戦争]]の記録映画が上映される。その中にロシア側のスパイ容疑で日本軍に捕まった中国人が銃殺されるシーンがあり、刑場の周囲で同胞の銃殺に喝采する中国民の無自覚な姿に、魯迅は衝撃を受けた。この体験や心境の変化は、魯迅の小説『藤野先生』に描写されている。{{Quotation|あのことがあって以来、私医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な民は、たい体格がよく、どんな頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしの材料とその見物となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(1955年)岩波文庫)}}


魯迅は本作で、無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗で弱者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の滑稽な人物像を描き出し、中国社会の最大の病理であった、民の無知と無自覚を痛烈に告発した。物語の最後で、まったくの無実の罪で処刑される阿Q、その死にざまの見栄えのなさに不平を述べる観衆たちの記述は、同胞の死刑に喝采する中国人同胞の姿にショックを受けた作者の体験を反映する。この体験や心境の変化は、魯迅の小説『藤野先生』に描写されている。
これを契機に魯迅の関心は医学から中国の社会改革と革命に転じ、文筆を通じ中国人民の精神を啓発する道に入った。魯迅は本作で、無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗な一方自分より者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の卑屈で滑稽な人物像を描き出し、中国社会の最大の病理であった、民の無知と無自覚を痛烈に告発した。物語の最後で、まったくの無実の罪で処刑される阿Q、その死にざまの見栄えのなさに不平を述べる観衆たちの記述は、同胞の死刑に喝采する中国人同胞の姿にショックを受けた作者の体験を反映する。


== 阿Qの意味 ==
== 阿Qの意味 ==
「阿Q」は便宜的な名として作者が設定した仮名である。「阿Q」という主人公の名前は奇妙に思えるが、中国南部(魯迅は[[浙江省]]出身である)では、「阿」は姓の前につく[[接頭辞]]で親しみの表現であり―先生」と同様に、現在でも使われている単語である<ref>[http://www.excite.co.jp/dictionary/chinese_japanese/?search=%E9%98%BF&match=beginswith&id=1 デイリーコンサイス中日辞典 (三省堂)]</ref><ref>[http://www.ctrans.org/cjdic/search.php?word=%E9%98%BF&opts=fw 中日辞書 北辞郎]</ref>。従って、阿Q正伝』は阿Q情けな人物像もかかわらず、「Qちゃんの伝記」といった意味になる。
「阿Q」は便宜的な名として作者が設定した仮名である。「阿」は姓の前につく[[接頭辞]]で親しみの表現であり「~ちゃん」といった意味となる<ref name=":0">{{Cite web |title=阿(中国語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 中日辞典 |url=https://kotobank.jp/zhjaword/%E9%98%BF |website=コトバンク |access-date=2022-06-20 |language=ja |first=中日辞典 |last=第3版}}</ref>([[呉下の阿蒙]])。年上対する呼びかけでもあり<ref name=":0" />中国南部(魯迅の出身地の[[浙江省]]を含む)では現在でも使われている単語である<ref>[http://www.excite.co.jp/dictionary/chinese_japanese/?search=%E9%98%BF&match=beginswith&id=1 デイリーコンサイス中日辞典 (三省堂)]</ref><ref>[http://www.ctrans.org/cjdic/search.php?word=%E9%98%BF&opts=fw 中日辞書 北辞郎]</ref>(中世から近代にかけての日本で女性名の多くが「お」に仮名2文字だたのと同じで、この「お」に相当する)。{{seealso|敬称#アジアの言語}}「Q」という漢字文化圏ではあり得ない名前につい、阿Qは人々から「Quei(アークェイ/あくい)」と呼ばれていたが、Quei部分の漢字表記がどうしても判明せず、また[[注音符号]](注音字母)では一般に判るまとして、やむを得ずローマ字を略した名前を用いる、と設定している<ref>作中で、Quei当てはまる字を推定して「桂」と「貴」が挙げれているが、この2字はいれも[[拼音]]で「{{lang|zh-latn|guì}}」[[ウェード式]]で{{lang|zh-latn|kuei<sup>4</sup>}}」、注音符号で「{{lang|zh-hant|ㄍㄨㄟˋ}}」と表記され。</ref>


従って、『阿Q正伝』は「Qちゃんの伝記」といった意味になる。
また「Q」という漢字文化圏ではあり得ない名前については、阿Qは人々から「阿Quei(あくい)」と呼ばれていたが、Queiの部分の漢字表記が分からないためやむを得ず略称を用いる、と設定している<ref>作中で、Queiに当てはまる字を推定して「桂」と「貴」が挙げられているが、この2字はいずれも[[ピン音|拼音]]で「{{lang|zh-latn|guì}}」、[[ウェード式]]で「{{lang|zh-latn|kuei<sup>4</sup>}}」、[[注音符号]]で「{{lang|zh-hant|ㄍㄨㄟˋ}}」と表記される。</ref>。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* [[竹内好]]訳『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫、1955年、のち改版。解説竹内好「『吶喊』について」
* [[竹内好]]訳『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫、1955年、 のち改版 ISBN 978-4-00-320252-4)。解説竹内好「『吶喊』について」
* {{Cite journal|和書|author=川本栄三郎 |date=1989-12 |url=https://doi.org/10.15113/00013607 |title=「阿Q正伝」の物語り文法 |journal=Artes liberales |ISSN=03854183 |publisher=岩手大学人文社会科学部 |volume=45 |pages=1-15 |doi=10.15113/00013607 |CRID=1390572174618416256 |accessdate=2023-08-30 |ref=harv}}

=== 書誌情報 ===
=== 書誌情報 ===
*『阿Q正伝・藤野先生』 [[駒田信二]]訳、講談文芸文庫19985月。ISBN 4-06-197616-8
*『阿Q正伝』 [[井上紅梅]]訳、改造社、193211月。のち青空文庫<ref>https://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/42934_16419.html</ref>。
*『阿Q正伝』 [[増田渉]]訳、角川文庫、1961年3月。ISBN 978-4-04-220401-5
*『阿Q正伝・故郷』 [[小田岳夫]]訳、偕成社文庫、1990年5月。ISBN 978-4-03-850670-3
*『阿Q正伝・藤野先生』 [[駒田信二]]訳、講談社文芸文庫、1998年5月。ISBN 978-4-06-197616-0
*『故郷/阿Q正伝』 [[藤井省三]]訳、光文社古典新訳文庫、2009年4月。ISBN 978-4-334-75179-1
*『故郷/阿Q正伝』 [[藤井省三]]訳、光文社古典新訳文庫、2009年4月。ISBN 978-4-334-75179-1

== 出典・脚注 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*[[下層階級]]
*[[下層階級]]
*[[ルサンチマン]]
*[[ルサンチマン]]
* [[すっぱい葡萄]]
* [[ポリアンナ症候群]]
* [[弱者男性]]


== 出典・脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* {{青空文庫|001124|42934|新字新仮名|阿Q正伝}}([[井上紅梅]]訳)
* {{青空文庫|001124|42934|新字新仮名|阿Q正伝}}([[井上紅梅]]訳)
*[http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0716.html 松岡正剛の千夜千冊 『阿Q正伝』魯迅] 
*{{Cite web
|author=川本栄三郎
|year=1989
|url=http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/2444/1/al-no45p001-015.pdf
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[[Category:清朝を舞台とした作品]]
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阿Q正伝
阿Q正傳
作者 魯迅
中華民国の旗 中華民国
言語 白話中国語
ジャンル 中編小説
発表形態 新聞連載
初出情報
初出 新聞『晨報』週刊付録
1921年12月4日 - 1922年2月12日
刊本情報
収録 短編集『吶喊
出版元 北京新潮社
出版年月日 1923年
日本語訳
訳者 井上紅梅竹内好藤井省三ほか
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示
阿Q正伝
各種表記
繁体字 阿Q正傳
簡体字 阿Q正传
拼音 Ā Q Zhèngzhuàn
発音: アーキューヂォンヂュァン
日本語読み: あきゅうせいでん
英文 The True Story of Ah Q
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阿Q正伝』(あきゅうせいでん、アキューセイデン、中国語: 阿Q正傳)は、中国の作家魯迅小説1921年12月4日から1922年2月12日にかけて新聞『晨報』の週刊付録に一章ずつ発表されたもので、魯迅唯一の中編小説である[1]

評価[編集]

阿Qという近代中国の一庶民を主人公とした、他に例を見ない物語として注目を集めた。

主人公は、観念操作で失敗を成功にすりかえる「精神勝利法英語版」、面従腹背、卑屈と傲慢の二面性など、封建植民地社会内における奴隷性格の典型といえる人物で、その後「阿Q精神」は、このような性格の代名詞ともなった[2]。特にこの作品を気に入った毛沢東が談話でしばしば引き合いに出したため、魯迅の名声が高まった[3]。後に中国の高校教科書に採用され、中国国民の多くが知っている小説である。また外国向けにも翻訳されている。

あらすじ[編集]

時代がから中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期、中国のある小さな村に、本名すらはっきりしない、村の半端仕事をしてはその日暮らしをする日雇いの阿Qという男がいた。

彼は、働き者との評判こそ持ってはいたが、家も金も女もなく、字も読めず容姿も不細工などと閑人たちに馬鹿にされる、村の最下層の立場にあった。そして内面では、「精神勝利法」と自称する独自の思考法を頼りに、閑人たちに罵られたり、日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、人一倍高いプライドを守る日々を送っていた。

ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買って村八分になり、仕事にもあぶれてしまう。食うに困って盗みを働き、逃亡同然の生活を続けるうちに、革命党が近くの町にやってきた事を耳にした彼は、意味もわからぬまま「革命」に便乗して騒いだ結果、革命派の趙家略奪に関与した無実の容疑で逮捕される。

無知ゆえに筋道たてた弁明も出来ず、阿Qは流されるままに刑場に引き出され、あっけなく銃殺されてしまう。集まった見物人たちは、銃殺は斬首より見栄えがしないなど、不満を述べたてるのだった。

背景[編集]

魯迅は日本に留学し、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)で解剖学を学んでいた。ある日、教室で日露戦争の記録映画が上映される。その中にロシア側のスパイ容疑で日本軍に捕まった中国人が銃殺されるシーンがあり、刑場の周囲で同胞の銃殺に喝采する中国人民の無自覚な姿に、魯迅は衝撃を受けた。この体験や心境の変化は、魯迅の小説『藤野先生』に描写されている。

あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとい体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(1955年)岩波文庫)

これを契機に魯迅の関心は医学から中国の社会改革と革命に転じ、文筆を通じ中国人民の精神を啓発する道に入った。魯迅は本作で、無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗な一方で自分より弱い者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の卑屈で滑稽な人物像を描き出し、中国社会の最大の病理であった、人民の無知と無自覚を痛烈に告発した。物語の最後で、まったくの無実の罪で処刑される阿Q、その死にざまの見栄えのなさに不平を述べる観衆たちの記述は、同胞の死刑に喝采する中国人同胞の姿にショックを受けた作者の体験を反映する。

阿Qの意味[編集]

「阿Q」は便宜的な名として作者が設定した仮名である。「阿」は姓の前につく接頭辞で親しみの表現であり「~ちゃん」といった意味となる[4]呉下の阿蒙)。年上に対する呼びかけでもあり[4]、中国南部(魯迅の出身地の浙江省を含む)では現在でも使われている単語である[5][6](中世から近代にかけての日本で女性名の多くが「お」に仮名2文字だったのと同じで、この「お」に相当する)。

「Q」という漢字文化圏ではあり得ない名前については、阿Qは人々から「阿Quei(アークェイ/あくい)」と呼ばれていたが、Queiの部分の漢字表記がどうしても判明せず、また注音符号(注音字母)では一般に判るまいとして、やむを得ずローマ字を略した名前を用いる、と設定している[7]

従って、『阿Q正伝』は「Qちゃんの伝記」といった意味になる。

参考文献[編集]

  • 竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫、1955年、 のち改版 ISBN 978-4-00-320252-4)。解説竹内好「『吶喊』について」
  • 川本栄三郎「「阿Q正伝」の物語り文法」『Artes liberales』第45巻、岩手大学人文社会科学部、1989年12月、1-15頁、CRID 1390572174618416256doi:10.15113/00013607ISSN 038541832023年8月30日閲覧 

書誌情報[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 竹内(1955年)245ページ
  2. ^ ブリタニカ国際大百科事典 「阿Q正伝」
  3. ^ 小山三郎「毛沢東の魯迅評価について」『藝文研究』第54巻、慶應義塾大学藝文学会、1989年3月、194-216頁、CRID 1050001338948820864ISSN 0435-1630 
  4. ^ a b 第3版, 中日辞典. “阿(中国語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 中日辞典”. コトバンク. 2022年6月20日閲覧。
  5. ^ デイリーコンサイス中日辞典 (三省堂)
  6. ^ 中日辞書 北辞郎
  7. ^ 作中で、Queiに当てはまる字を推定して「桂」と「貴」が挙げられているが、この2字はいずれも拼音で「guì」、ウェード式で「kuei4」、注音符号で「ㄍㄨㄟˋ」と表記される。
  8. ^ https://www.aozora.gr.jp/cards/001124/files/42934_16419.html

関連項目[編集]

外部リンク[編集]