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'''関口 誠人'''(せきぐち まこと、[[1959年]][[5月2日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]、[[俳優]]、[[小説家]]。[[東京都]][[世田谷区]]出身。[[身長]]167cm。[[血液型]]A型。実兄は大学などで講師も務める[[ロマ音楽]]評論家の[[関口義人]]。
'''関口 誠人'''(せきぐち まこと、[[1959年]][[5月2日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]、[[俳優]]、[[小説家]]。1983年に[[C-C-B]]のメンバーとしてデビュー。[[東京都]][[世田谷区]]出身。[[身長]]167cm。[[血液型]]A型。実兄は[[ロマ音楽]]評論家の[[関口義人]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
* [[1980代]]活躍したロックバンド[[C-C-B]]のメンバー([[ギター]]、[[ヴォーカル]])として[[1983年]]6月にデビュー。[[1987年]]1月、[[中野サンプラザ]]3Daysコンサート(4日 - 6日)の最終日にステージ上で脱退を表明。翌日、生放送の[[音楽番組]]にて改めて画面を通じて脱退宣言を行った。
* 19836月に[[C-C-B]]のメンバー([[ギター]]、[[ーカル]])としてデビュー。1987年1月、[[中野サンプラザ]]3Daysコンサート(4日 - 6日)の最終日にステージ上で脱退を表明。翌日、生放送の[[音楽番組]]にて改めて脱退宣言をした。C-C-Bのメンバーとして参加した最後のコンサートツアー『TOUCH and GO』の最終日、1987年4月6日の[[よみうりランド]]EASTでのステージを以て脱退(C-C-Bは[[1989年]]に解散するまで4人で活動を続けた)。脱退直後からラジオパーソナリティ、俳優、短編小説執筆、漫画原作などソロ活動を開始する。また、C-C-B時代に所属していた[[ポリドール・レコード]](現:[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]])から[[ポニーキャニオン]]に移籍した。
* 1988年2月21日、シングル「東京・Lovers Map」でソロ歌手としてデビュー。同年3月4日より渋谷公会堂を皮切りにライブツアー・"TOUR FOLK SONG"を行う。1992年にポニーキャニオンから離れる。
:C-C-Bのメンバーとして参加した最後のコンサートツアー『TOUCH and GO』の最終日、1987年4月6日の[[よみうりランド]]EASTでのステージを以って脱退。その後、関口はソロ活動を、C-C-Bは4人での活動を開始する(C-C-Bは[[1989年]]に解散)。
* [[1990年代]]に入り、C-C-Bのメンバーと幾たびかユニットを組んで単発ライブを行っている。また、テレビ番組の企画で一時的にC-C-Bの元メンバーとして参加し演奏を披露している。それらとは別に単独でC-C-Bの名義を使用してライブやイベントを行うこともある。
* 1990年代に入り、C-C-Bのメンバーと幾たびかユニットを組んで単発ライブを行っ。また、テレビ番組の企画で一時的にC-C-Bの元メンバーとして演奏を披露こともあった。それらとは別に単独でC-C-Bの名義を使用してライブやイベントを行うこともある。
* [[2008年]]、[[渡辺英樹]]・[[笠浩二]]とともに正式にC-C-B名義を掲げて再結成。テレビ出演やライブツアーも行ったが、[[2009年]]に入ってから活動を行っておらず、事実上休止自然消滅状態った。
* 2008年、[[渡辺英樹]]・[[笠浩二]]とともに正式にC-C-B名義を掲げて再結成。カバー・アルバムをリリースし、テレビ出演やライブツアーも行ったが2009年に入ってから一切活動はなく、事実上解散となった。以来、C-C-Bの他のメンバーと共演をしていない(C-C-Bのメンバー解散時の4人は2015年ライブを行ている)<ref group="注釈">渡辺、笠の死去後に行われ『お別れの会』(追悼ライブに相当)には不参加</ref>
* [[2018年]]、デビュー35周年、ソロデビュー30周年を迎えた。
* 2018年、デビュー35周年、ソロデビュー30周年を迎えた。
* 2023年、デビュー40周年、ソロデビュー35周年を迎えた。


== 人物 ==
== 人物 ==
* 歯科医の子息で、三人兄妹の次男として出生し、何不自由ない幼少期を世田谷区[[成城]]で過ごす。しかし関口が小学校の入学式当日の朝、父が病気で急逝。同級生たちよりも一週間ほど遅れて通学を始めた。一人だけ編入生のような気後れを感じていたところに、父を亡くしたことへの同級生の心無い言葉に傷つき、クラスにはなかなか馴染めなかった。やがてその意識は大きくなり、たびたび登校拒否をするようになる。中学に進学してからも、学校に対する苦手意識が消えることはなかった(近年になって、中学二年生の時、仮病を使って休んだことが原因で[[虫垂炎]]と誤診され開腹手術されてしまったこと、不良との交流、C-C-B時代は高校を卒業しているとしていたが、実は中学卒業後、母の知人の会社に就職したことなどを吐露している。その頃の感情や体験をモチーフに幾つか楽曲を作っている)。
* 歯科医の子息で、三人兄妹の次男として出生し、何不自由ない幼少期を世田谷区[[成城]]で過ごす。しかし関口が小学校の入学式当日の朝、結核を患っていた父が急逝<ref name="mainitin20230417">{{Cite web2|url=https://mainichi.jp/articles/20230413/k00/00m/040/113000c|title=「母は輸血を拒否したまま死んだ」 願った延命、葛藤続けた40年|website=特集 宗教とこども|publisher=毎日新聞社|date=2023-04-16|accessdate=2023-04-17}}</ref>。同級生たちよりも一週間ほど遅れて通学を始めた。一人だけ編入生のような気後れを感じていたところに、父を亡くしたことへの同級生の心無い言葉に傷つき、クラスにはなかなか馴染めなかった。やがてその意識は大きくなり、たびたび登校拒否をするようになる。中学に進学してからも、学校に対する苦手意識が消えることはなかった(近年になって、中学二年生の時、仮病を使って休んだことが原因で[[虫垂炎]]と誤診され開腹手術されてしまったこと、不良との交流、C-C-B時代は高校を卒業しているとしていたが、実は中学卒業後、母の知人の会社に就職したことなどを告白している。その頃の感情や体験をモチーフに幾つか楽曲を作っている)。
* 少年期には宗教([[エホバの証人]])に傾倒してその教えを強く言い含める母に抗えず、集会に参加したり教義を写した冊子を個別訪問販売した経験のある元[[宗教2世]]である<ref name="mainitin20230417"/><ref name="Twit20221223">[https://twitter.com/sekigutimakoto/status/1606188068507205634 関口誠人Twitter 2022年12月23日付]</ref>。10代半ばには[[バプテスマ]]を受けている。しかし、学校での行動や友人関係も制限されることに憤りを覚え、暫くのち教会が禁じている世俗に興味を示すようになる。17歳になる頃、教えを守らない素行不良者として排斥(脱会)された<ref name="Twit20221223"/>。その頃に母の体がガンに侵されていることが分かったが、最期まで教義を守り続ける意思を示したため治療方法が限られ、関口が20歳のときに他界した<ref>{{Cite web2|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/260523|title=C-C-B元メンバーの関口誠人「エホバの証人の2世信者でした」「母は輸血拒否したまま…」|website=東スポWEB|publisher=東京スポーツ新聞社|date=2023-04-17|accessdate=2023-04-17}}</ref><ref name="mainitin20230417"/>{{efn|C-C-B在籍中にアルバム収録曲『流星のラストデート』の制作秘話として「19歳の時に他界した母を思い…」と述べていた。}}。脱会した後も、幼少期に刷り込まれた終末思想がトラウマとなっているという<ref>[https://twitter.com/sekigutimakoto/status/1606276568048930816 関口誠人Twitter 2022年12月23日付]</ref>。また、肉体に意図的な傷を刻むことを禁じる教えを受けていたため、[[入れ墨|タトゥー]]に興味はあるものの未だに実行に移せずにいる。しかし、[[ピアス]]は1983年頃に渡辺英樹と一緒にあけている(場所は[[新宿アルタ]]の男子トイレ。同ビルの店舗でピアッサー付きのピアスを購入し、即実行に移した。しかし、緊張のあまり間違えて右耳にあけてしまったという。渡辺曰く「絶対にワザとウケを狙って右にあけたと思う」)。その後、ソロになって暫くして右の乳首にボディピアスを開けた(現在は閉じている)。
* 音楽好きの兄の影響で、小学生の頃には既にギターに触れていた。
* 音楽好きの兄の影響で、小学生の頃には既に[[アコースティック・ギター]]に触れていた(後述に記されているが、[[エレクトリック・ギター]]は不得手であった)
* 10代半ばに[[バプテスマ]]を受けた[[クリスチャン]]である。肉体に意図的な傷を刻むことを禁じる教えを受けていたため、[[刺青|タトゥー]]に興味はあるものの実行に移していない。しかし、[[ピアス]]は1983年頃に渡辺と一緒にあけている(場所は[[新宿アルタ]]の男子トイレ。自分でピアッサーを使い、緊張のあまり間違えて右耳にあけてしまったという。渡辺曰く「絶対にワザと狙って右にあけたと思う」)。その後、ソロになって暫くして右の乳首にボディピアスを開けた(現在は閉じている)。
* C-C-B時代の愛称「ゴム」は、関口の自宅に遊びに来ていたメンバーの笠が、部屋に無造作に置かれていた[[コンドーム]]の箱を菓子の箱と間違えて「食べていいか?」と聞いたところ、関口が笠をからかって「食べられるならどうぞ」と勧めたことが発端。箱を開けて真相を知った笠はそれ以降、関口を「ゴムくん」と呼ぶようになり浸透してしまった。その後、C-C-Bが売れて歌番組などに出演した際にその愛称の由来を尋ねられると「ゴムのように柔軟性が…」など、当たり障りない後付けの理由を述べることがあった(そのたびにメンバーは失笑したりほくそ笑んだりしていた)。
* C-C-B時代の愛称「ゴム」は、関口の自宅に遊びに来ていたメンバーの笠が、部屋に無造作に置かれていた[[コンドーム]]の箱を菓子の箱と間違えて「食べていいか」と聞いたところ、関口が笠をからかって「食べられるならどうぞ」と勧めたことが発端。箱を開けて真相を知った笠はそれ以降、関口を「ゴムくん」と呼ぶようになり浸透してしまった。その後、C-C-Bが売れて歌番組などに出演した際にその愛称の由来を尋ねられると「ゴムのように柔軟性が…」など、当たり障りない後付けの理由を述べることがあった(そのたびにメンバーは失笑したりほくそ笑んいた)。
* 80年代初め、芸能関係者が多く出入りしていた[[レストラン]]「[[グローバルダイニング|ゼスト キャンティーナ]]原宿店」([[2006年]]閉店)でアルバイトをしていた。顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。時を置かずして、親しくなった[[ビクターエンタテインメント|ビクタ音楽産業]]の関係者を通じ、[[渡辺英樹]]を紹介された。
* 母思いである一方、思春期の自分に対し清らかであれと教会の教えを主として説く母を厭ったこともあり、綯い交ぜになる矛盾な感情を抗うように自問自答を繰り返した。また、音楽・演劇・文章・絵などに強く気持ちを傾け、辛い現実から目を背けようとし、結果的にそれらのことから受けた刺激や培われた感受性が、自らが表現する側になりたいと強く思うようになった切っ掛けだという。尚、母は関口の成人直前に死去している。
* [[中森明菜]]や[[五木ひろし]]、[[羽野晶紀]]など、他のアーティストへの楽曲提供も多数あり、新人をプロデュースしたこともある。また、音楽の専門学校でボイストレーニングや作詞、作曲理論などを教える講師をしていた時期もある。
* 80年代初め、芸能関係者が多く出入りしていた[[レストラン]]「[[グローバルダイニング|ゼスト キャンティーナ]]原宿店」([[2006年]]閉店)でアルバイトをしていた。顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。時を置かずして、親しくなった[[ビクターレコ]]の関係者を通じ、[[渡辺英樹]]を紹介された。
* [[中森明菜]]や[[五木ひろし]]、[[羽野晶紀]]など、他のアーティストへの楽曲提供も多数あり、新人をプロデュースしたこともある。
* フォークソング、歌謡曲、日本語ロックといった、日本語の歌詞の面白さや美しさに影響を受けていると公言しており、落語や浪曲なども好んでいる。また、音楽の専門学校でボイストレーニングや作詞、作曲理論などを教える講師をしていた時期もある。
* 既婚者(結婚2回・離婚1回を経験)。
* 既婚者(結婚2回・離婚1回を経験)。
* [[2007年]]3月に[[心筋梗塞]]を発症して入院をしたことを告白[[病床]]で「もう一度C-C-Bとして活動したい。ずっと思い続けてくれたファンに音楽を通じて感謝を伝えなければ、自分の人生に悔いが残ると強く思った」と述べている(2008年のC-C-B再結成の経緯のひとつ)。後遺症を懸念していたが、声質や発声(呂律)に多少の違和が生じたものの、ギターを弾く手指の神経などに問題は残らなかった。現在も定期的に通院しており、日常生活を送るには問題無いという。また、心臓への負担を回避すべくダイエットも意識しめた。イメージキャラクターを務める健康食品を併用し、その食生活や体重の変化などの経過をウェブサイト内でブログとして公開した。ダイエット企画スタート時の体重は、若い頃の50kg台から約20kg以上増加していること、また、2008年3月の頃は体重78kg・体脂肪率37%であったことを明かしている。しかし、やや減量の兆しが見え始めた2008年12月頃からダイエットを休止。周囲の声を受けて2009年9月に再開したものの、同年11月以降ブログは更新されてい(後にブログはリンク切れしている)。
* 2007年3月に[[心筋梗塞]]を発症して入院をしたことを告白)<ref group="注釈">[[病床]]で「もう一度C-C-Bとして活動したい。ずっと思い続けてくれたファンに音楽を通じて感謝を伝えなければ、自分の人生に悔いが残ると強く思った」と述べている(2008年のC-C-B再結成の経緯のひとつ)。</ref>。後遺症を懸念していたが、声質や発声(呂律)に多少の違和が生じたものの、ギターを弾く手指の神経などに問題は残らなかった。心臓への負担を回避すべくダイエットを開始。イメージキャラクターを務める(2008年当時)健康食品を併用し、その食生活や体重の変化などの経過を企業ウェブサイト内でブログとして公開していた。ダイエット企画スタート時の体重は、若い頃の50kg台から約20kg以上増加していること、また、2008年3月の頃は体重78kg・体脂肪率37%であったことを明かしている。しかし、減量の兆しが見え始めた2008年12月頃からダイエットを無断で休止。周囲の声を受けて2009年9月に再開したものの、同年11月以降ブログは更新されず、結果を出すことく企画終了となった(後にブログはリンク切れ)。
* 髪を派手な色に染めていたのはC-C-Bがブレイクして人気が安定した時期までで、それ以降は自然な髪色を通している。そのため2008年のC-C-B再結成時には80年代のブレイク当初の印象=カラフルな髪色を思い起こさせる緑色にカラーリングを施したカツラを製作した。ジャケット写真や[[プロモーションビデオ]]などで使用しているが、ライブなどで使用することは基本的にはない。しかし、テレビ出演時や取材などで必要と判断した場合使用していた。[[2011年]]になって衣装やカツラの使用は事務所からの強要であり、不本意であった旨を吐露している。
* 髪を派手な色に染めていたのはC-C-Bがブレイクして人気が安定した時期までで、それ以降は自然な髪色を通している。そのため2008年のC-C-B再結成時には80年代のブレイク当初の印象=カラフルな髪色を思い起こさせる緑色にカラーリングを施したカツラを製作した。アーティスト写真やMVなどで使用しているが、ライブなどで使用することは基本的にはな、テレビ出演時や取材などで必要と判断した場合のみ使用した。[[2011年]]になって衣装やカツラの使用は事務所からの強要であり、不本意であった吐露している。
* 若い頃と現在とのルックスのギャップを自らイジり、トークでは進んでボケ役を買って出ることが多い。一方で、C-C-Bの音楽性やファンを嘲笑する発言をするなど自虐ネタの範疇を超えている言動が多い。
* 若い頃と現在とのルックスのギャップを自らイジり、トークでは進んでボケ役を買って出ることが多い。一方で、C-C-Bの音楽性やファンを嘲笑する発言をするなど自虐ネタの範疇を超えている言動が多い。
* [[2010年]]7月8日、突然[[アナフィラキシー]]ショックを起こし呼吸困難に陥り救急搬送された。早急な処置がされたため大事には至らず翌日には快復をした。アレルギーなどの検査を受け、後日、[[豆乳]]に対して[[食物アレルギー]]反応が強いことが判明した(ただし、すべての[[ダイズ|大豆]]製品に反応が出るわけではないという)<ref>{{Cite web|url=https://ameblo.jp/sekiguchi-makoto/entry-10587900717.html|title=実行しますね|publisher=関口誠人オフィシャルブログ|date=2010-07-11|accessdate=2016-03-14}}</ref><ref>「[[爆報! THE フライデー]]」2016年3月11日放送にて本人の弁(ただし、実際に倒れた日付と放送で述べた日付に誤差が生じている)。</ref>。
* 2010年7月8日、[[アナフィラキシー]]ショックを起こし呼吸困難に陥り救急搬送された。早急な処置がされたため大事には至らず翌日には快復をした。アレルギーなどの検査を受け、後日、[[豆乳]]に対して[[食物アレルギー]]反応が強いことが判明した(ただし、すべての[[ダイズ|大豆]]製品に反応が出るわけではないという)<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/sekiguchi-makoto/entry-10587900717.html|title=実行しますね|publisher=関口誠人オフィシャルブログ|date=2010-07-11|accessdate=2016-03-14}}</ref><ref group="注釈">「[[爆報! THE フライデー]]」2016年3月11日放送にて本人の弁(ただし、実際に倒れた日付と放送で述べた日付に誤差が生じている)。</ref>。
* [[2014年]]8月2日、ライブ会場にて体調を崩し倒れたため病院へ救急搬送され、数日入院した。
* 2014年8月2日、ライブ会場にて体調を崩したため病院へ救急搬送され、数日入院した。
* [[2017年]]3月7日、体調不良のため月末までのスケジュールを全てキャンセルし、検査入院をする旨を公式ブログ及びSNSを通じて明らかにした(その後、体調回復とともに復帰)。同年6月6日、ワイドショー「[[バラいろダンディ]]」([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]])が行った街頭インタビューに一般人として出演。“C-C-B在籍時、ギターを弾いているふり([[当て振り]])をしていた”と発言して物議を醸した。放送翌日、自身のブログで“「Romanticが止まらない」がヒットした頃はギターが上手くなかったため。現在は教則本を出せるまで上達している”と釈明した<ref>{{Cite web|url=https://asajo.jp/excerpt/31065|title=元C-C-B関口誠人が街頭インタビューに一般人として登場!視聴者もビックリ|publisher=アサジョ|date=2017-06-10|accessdate=2021-09-25}}</ref>。
* 2017年3月7日、体調不良のため月末までのスケジュールを全てキャンセルし、検査入院をする旨を公式ブログ及びSNSを通じて明らかにした(その後、体調回復とともに復帰)。同年6月6日、ワイドショー「[[バラいろダンディ]]」([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]])街頭インタビューに一般人として出演。“C-C-B在籍時、ギターを弾いているふり([[当て振り]])をしていた”と発言して物議を醸した。放送翌日、自身のブログで“「Romanticが止まらない」がヒットした頃はギターが上手くなかったため。現在は教則本を出せるまで上達している”と釈明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://asajo.jp/excerpt/31065|title=元C-C-B関口誠人が街頭インタビューに一般人として登場!視聴者もビックリ|publisher=アサジョ|date=2017-06-10|accessdate=2021-09-25}}</ref>。
* 2018年6月28日、『関口 誠人(ex.C-C-B)新作ミニアルバム制作プロジェクト』クラウドファンディング目標金額を大幅に超え157%達成。
* 2018年6月28日、『関口誠人(ex.C-C-B)新作ミニアルバム制作プロジェクト』[[クラウドファンディング]]目標金額を大幅に超え157%達成。
* 2019年末、[[アルコール性肝疾患]]を発症。それまではウイスキーをストレートで1日にボトル2本のペースで飲むような生活を続けており、糖尿病や肥満、初期の鬱病など併発していた。これを機に生活習慣の改善を試みているが、一進一退を繰り返している。
* 2019年末、[[アルコール性肝疾患]]を発症。それまでは[[ウイスキー]]をストレートで1日にボトル2本のペースで飲むような生活を続けており、[[糖尿病]]や肥満、初期の[[うつ病|鬱病]]など併発していた。これを機に生活習慣の改善を試みているが、一進一退を繰り返している。
* 2021年夏から得意のイラストを受注販売している。また、イラストをプントした[[マス#ウレンマスク|ウレタンマスク]]制作し、通信販売及びライブ会場で販売している。
* 2021年夏から音楽活動と並行して、イラスト制作やオジナルキャラクタ描いたグッズの販売を活発に行うようになる。
* 2021年12月10日、同年11月中旬に体調を崩し<!--関口は「心の闇に埋没していた」と吐露している-->、入院していたことをSNSを通じて報告。翌11日、ラジオのレギュラー番組「関口誠人のspicy night」の出演が体調が整わないことから儘ならないため、年内に一度終了することを明らかにした。2022年4月9日、体調回復に伴い同番組を再開した。
* 2021年12月10日、同年11月中旬に体調を崩し<ref group="注釈">関口は「心の闇に埋没していた」と吐露した。</ref>、入院していたことをSNSを通じて報告。翌11日、ラジオのレギュラー番組「関口誠人のspicy night」の出演が体調が整わないことから儘ならないため、年内に一度終了することを明らかにした。2022年4月9日、体調回復に伴い同番組を再開した。


== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==
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#:映画「天河伝説殺人事件」主題歌
#:映画「天河伝説殺人事件」主題歌
#たまゆら/少しだけ永遠を(1991年7月21日、ポニーキャニオン)
#たまゆら/少しだけ永遠を(1991年7月21日、ポニーキャニオン)
#:[[関西テレビ]]系「[[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ#1991年|不思議サスペンス]]」 ※テーマ曲
#:[[関西テレビ放送|関西テレビ]]系「[[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ#1991年|不思議サスペンス]]」 ※テーマ曲
#砂の暦/悪党(1992年1月21日、ポニーキャニオン)
#砂の暦/悪党(1992年1月21日、ポニーキャニオン)
#:関西テレビ系「[[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ#1992年|六つの離婚サスペンス]]」 ※テーマ曲
#:関西テレビ系「[[関西テレビ制作・月曜夜10時枠の連続ドラマ#1992年|六つの離婚サスペンス]]」 ※テーマ曲
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#さよならの無い世界(2017年11月8日)
#さよならの無い世界(2017年11月8日)


=== アルバム ===
=== スタジオ・アルバム ===
{{Album
{{Album
| title = FOLK SONG
| title = FOLK SONG
| year = 1988
| year = 1988
| label = 1988年531) ([[ポニーキャニオン]]
| label = 1988年321日 [[ポニーキャニオン]]
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#FOLK SONG
#FOLK SONG
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| title = Women & Me
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| year = 1989
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#TALKING MAN
#TALKING MAN
106行目: 108行目:
| title = Money Flower
| title = Money Flower
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| year = 1990
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#Good-Bye I'm sorry
#Good-Bye I'm sorry
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| title = 悪戯
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| year = 1991
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#天河伝説殺人事件(松本隆作詞)
#天河伝説殺人事件(松本隆作詞)
136行目: 138行目:
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#ロシアの少女(松本隆作詞)
#ロシアの少女(松本隆作詞)
204行目: 206行目:
#さよならの無い世界(ボーナストラック)
#さよならの無い世界(ボーナストラック)
}}
}}



=== その他 ===
=== その他 ===
247行目: 250行目:


=== 著書ほか ===
=== 著書ほか ===
* ホテル。(1987年5月、[[CBSソニー出版]] ISBN 4-7897-0286-3・[[角川文庫]]版 1991年2月、ISBN 4-04-179101-4)
* ホテル。(1987年5月、[[ソニー・マガジンズ|CBSソニー出版]] ISBN 4-7897-0286-3・[[角川文庫]]版 1991年2月、ISBN 4-04-179101-4)
**[[ソニー・マガジンズ|PATi PATi]]誌上で連載していた自身の処女作。
**[[ソニー・マガジンズ|PATi PATi]]誌上で連載していた自身の処女作。
* 青春ちゃん(1988年3月、CBSソニー出版 ISBN 4-7897-0356-8・角川文庫版 1991年3月、ISBN 4-04-179102-2)
* 青春ちゃん(1988年3月、CBSソニー出版 ISBN 4-7897-0356-8・角川文庫版 1991年3月、ISBN 4-04-179102-2)
* アナザーロード(1988年 - 1989年)
* アナザーロード(1988年 - 1989年)
**[[週刊明星]]で連載された漫画の原作を担当。作画は[[岸本景子]]。単行本化はされていない。
**[[週刊明星]]で連載された漫画の原作を担当。作画は[[岸本景子]]。単行本化はされていない。
* みみたぶ そんなユ〜コに惚れました。(1989年5月、CBSソニー出版 ISBN 4-7897-0443-2・角川文庫版 1991年4月、ISBN 4-04-179103-0)
* みみたぶ そんなユ〜コに惚れました。(1989年5月、CBSソニー出版 ISBN 4-7897-0443-2・角川文庫版 1991年4月、ISBN 4-04-179103-0)
* パジャマプレスの投書どんぶり(1990年8月、[[日本文芸社]] ISBN 4-53-702200-0)
* パジャマプレスの投書どんぶり(1990年8月、[[日本文芸社]] ISBN 4-53-702200-0)
**[[FMナイトストリート]]「PAJAMA PRESS」パーソナリティー[[哀川翔]]・[[あいざわ元気|相沢元気]]・[[赤坂泰彦]]・関口誠人など編
**[[FMナイトストリート]]「PAJAMA PRESS」パーソナリティー[[哀川翔]]・[[あいざわ元気|相沢元気]]・[[赤坂泰彦]]・関口誠人など編
* フィフティーンスバースデイ(1992年2月、[[マガジンハウス]] ISBN 4-8387-0305-8 所収・[[福武文庫版]] 1995年5月、ISBN 4-8288-5722-2)
* フィフティーンスバースデイ(1992年2月、[[マガジンハウス]] ISBN 4-8387-0305-8 所収・[[ベネッセコーポレーション|福武文庫版]] 1995年5月、ISBN 4-8288-5722-2)
**[[藤堂志津子]]ほか著『誘惑の十六幕 Chic porno』内より
**[[藤堂志津子]]ほか著『誘惑の十六幕 Chic porno』内より
* 15秒でわかるコード進行160 イラストで納得!コード進行ネタ集!!(イラスト/[[ほししんいち]]・協力/[[成瀬正樹]] 2002年3月、リットーミュージック ISBN 4-8456-0754-9)
* 15秒でわかるコード進行160 イラストで納得!コード進行ネタ集!!(イラスト/[[ほししんいち]]・協力/[[成瀬正樹]] 2002年3月、[[リットーミュージック]] ISBN 4-8456-0754-9)
* ダメな人のための名言集(著者/[[唐沢俊一]]・イラスト/関口誠人 2005年8月、[[幻冬舎]] ISBN 434440680X)
* ダメな人のための名言集(著者/[[唐沢俊一]]・イラスト/関口誠人 2005年8月、[[幻冬舎]] ISBN 434440680X)
* BAND LIFE―バンドマン20人の音楽人生劇場独白インタビュー集(著者/[[吉田豪]] 2008年4月、[[メディアックス]] ISBN 4862016146)
* BAND LIFE―バンドマン20人の音楽人生劇場独白インタビュー集(著者/[[吉田豪]] 2008年4月、[[メディアックス]] ISBN 4862016146)
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== 出演作品 ==
== 出演作品 ==
=== 映画 ===
=== 映画 ===
* [[エンジェル☆ゲーム]](1980年1月6日公開、[[屋上企画舎]]) - 主演 ※[[日本大学]]の学生が制作した自主映画
* エンジェル☆ゲーム(1980年1月6日公開、屋上企画舎) - 主演 ※[[日本大学]]の学生が制作した自主映画
* [[微熱少年]](1987年6月13日公開、[[東宝]]) - 吉田 役
* [[微熱少年]](1987年6月13日公開、[[東宝]]) - 吉田 役
* [[226 (映画)|226]](1989年6月17日公開、[[松竹富士]]) - [[田中勝 (軍人)|田中勝]]中尉 役
* [[226 (映画)|226]](1989年6月17日公開、[[松竹富士]]) - [[田中勝 (軍人)|田中勝]]中尉 役
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=== バラエティ番組 ===
=== バラエティ番組 ===
* [[MUSIC JUNCTION]] #9・#10(2020年10月12日・26日、[[歌謡ポップスチャンネル]]) ※不定期リピート放送あり
* MUSIC JUNCTION #9・#10(2020年10月12日・26日、[[歌謡ポップスチャンネル]])<ref group="注釈">「松本隆作詞生活50周年記念特集」とコラボ企画。[[サエキけんぞう]]、[[K (歌手)|K]]らと出演</ref>


=== ラジオ ===
=== ラジオ ===
* [[スーパーギャング]](1987年6月 - 1988年3月、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]) - 月曜日担当
* [[スーパーギャング]](1987年6月 - 1988年3月、[[TBSラジオ]]) - 月曜日担当
* [[ABC東京発 アーチストNOW]](1987年10月 - 1988年3月まで木曜日担当。火曜日に移動し1988年4月 - 1988年9月、[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]) - [[森川美穂]]と共演
* [[ABC東京発 アーチストNOW]](1987年10月 - 1988年3月まで木曜日担当。火曜日に移動し1988年4月 - 1988年9月、[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]) - [[森川美穂]]と共演
* [[MBSヤングタウン]](1989年1月 - 1990年9月、[[MBSラジオ]]) - 土曜日担当、[[北野誠 (タレント)|北野誠]]・[[福井希容]]( - 1989年9月)、[[羽野晶紀]](1989年10月 - 1990年9月)と共演
* [[MBSヤングタウン]][[土曜日]](1989年1月 - 1990年9月、[[MBSラジオ]]) - [[北野誠 (タレント)|北野誠]]・福井希容( - 1989年9月)、[[羽野晶紀]](1989年10月 - 1990年9月)と共演
* [[FMナイトストリート]] ・第1部「PAJAMA PRESS」(1989年4月 - 1993年3月、[[全国FM放送協議会|JFN]]) - 木曜日担当
* [[FMナイトストリート]] ・第1部「PAJAMA PRESS」(1989年4月 - 1993年3月、[[全国FM放送協議会|JFN]]) - 木曜日担当
* 関口誠人のspicy night(2018年5月12日 - 2021年12月18日、2022年4月9日 - 、[[渋谷クロスFM]]) - 姫貴さゆりと共演
* 関口誠人のspicy night(2018年5月12日 - 2021年12月18日、2022年4月9日 - 、[[渋谷クロスFM]]) - 姫貴さゆりと共演
* 夜は行け行け!ド〜ンと歌謡曲(2024年4月 - 、ジェイクランプ制作・[[コミュニティ放送|コミュニティFM局]]ネット) - 毎月第3週担当


=== その他 ===
=== その他 ===
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== 音楽担当 ==
== 音楽担当 ==
* [[舞台]]「[[ナインティナイ]] ライブ」(1997年)
* [[ナイナイライブ]] (1997年)


== 楽詞・楽曲提供 ==
== 楽詞・楽曲提供 ==
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**「胡蝶蘭」(作詞:松本隆)
**「胡蝶蘭」(作詞:松本隆)
**「紅葉狩」(作詞:松本隆)
**「紅葉狩」(作詞:松本隆)
*[[M an air]]
*M an air
*[[小川範子]]
*[[小川範子]]
**「架空の思い出」(作詞:川村真澄、編曲:[[井上ヨシマサ]])
**「架空の思い出」(作詞:川村真澄、編曲:[[井上ヨシマサ]])
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*[[ちあきなおみ]]
*[[ちあきなおみ]]
**「曖昧2」
**「曖昧2」
*[[TOSHI]]
*[[Toshl|TOSHI]]
**「[[made in HEAVEN|Stranger in my love]]」(作詞:Yumeto)
**「[[made in HEAVEN|Stranger in my love]]」(作詞:Yumeto)
*[[中森明菜]]
*[[中森明菜]]
330行目: 334行目:
**「ねぇ、ねぇ」(作詞:羽野晶紀)
**「ねぇ、ねぇ」(作詞:羽野晶紀)
**「みんな誰かを愛してる」(作詞:羽野晶紀)
**「みんな誰かを愛してる」(作詞:羽野晶紀)
*[[早川めぐみ]]
*早川めぐみ
**「世紀末C・I・T・Y」(作曲:[[米川英之]])
**「世紀末C・I・T・Y」(作曲:[[米川英之]])
*[[真風]]
*[[真風]]
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*[[mimika]]
*[[mimika]]
*[[米川英之]]
*[[米川英之]]
**「[[米川英之 BEST|銀の十字架]]」
**「[[米川英之 BEST|銀の十字架]]」(作曲:米川英之)
** 「奇跡」(作曲:[[米川英之]]
** 「奇跡」(作曲:米川英之)
*[[ribbon (アイドルグループ)|ribbon]]
*[[ribbon (アイドルグループ)|ribbon]]
**「楽園へ行こう」(作詞:[[高柳恋]]、編曲:[[水島康貴]])
**「楽園へ行こう」(作詞:[[高柳恋]]、編曲:[[水島康貴]])
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
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* [https://ameblo.jp/sekiguchi-makoto/ 関口誠人 超個人的日記] 
* [https://ameblo.jp/sekiguchi-makoto/ 関口誠人 超個人的日記] 
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関口 誠人
生誕 (1959-05-02) 1959年5月2日(65歳)
出身地 日本の旗 日本東京都世田谷区
ジャンル フォーク
J-POP
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ギター
活動期間 1982年 - 1987年
2008年 - 2009年(ココナッツボーイズ、C-C-B)
1987年 - (ソロ)
レーベル ポニーキャニオン(1988年 - 1992年)
Luxury Records(2003年 - )
共同作業者
公式サイト 関口誠人 超個人的日記 

関口 誠人(せきぐち まこと、1959年5月2日 - )は、日本シンガーソングライター、元俳優、元小説家。1983年にC-C-Bのメンバーとしてデビュー。東京都世田谷区出身。身長167cm。血液型A型。実兄はロマ音楽評論家の関口義人

来歴

[編集]
  • 1983年6月にC-C-Bのメンバー(ギターボーカル)としてデビュー。1987年1月、中野サンプラザ3Daysコンサート(4日 - 6日)の最終日にステージ上で脱退を表明。翌日、生放送の音楽番組にて改めて脱退宣言をした。C-C-Bのメンバーとして参加した最後のコンサートツアー『TOUCH and GO』の最終日、1987年4月6日のよみうりランドEASTでのステージを以て脱退(C-C-Bは1989年に解散するまで4人で活動を続けた)。脱退直後からラジオパーソナリティ、俳優、短編小説執筆、漫画原作などソロ活動を開始する。また、C-C-B時代に所属していたポリドール・レコード(現:ユニバーサルミュージック)からポニーキャニオンに移籍した。
  • 1988年2月21日、シングル「東京・Lovers Map」でソロ歌手としてデビュー。同年3月4日より渋谷公会堂を皮切りにライブツアー・"TOUR FOLK SONG"を行う。1992年にポニーキャニオンから離れる。
  • 1990年代に入り、C-C-Bの元メンバーと幾たびかユニットを組んで単発ライブを行った。また、テレビ番組の企画で一時的にC-C-Bの元メンバーとして演奏を披露することもあった。それらとは別に単独でC-C-Bの名義を使用してライブやイベントを行うこともある。
  • 2008年、渡辺英樹笠浩二とともに正式にC-C-B名義を掲げて再結成。カバー・アルバムをリリースし、テレビ出演やライブツアーも行ったが2009年に入ってから一切活動はなく、事実上解散となった。以来、C-C-Bの他のメンバーと共演をしていない(C-C-Bのメンバー(解散時の4人)は2015年にライブを行っている)[注釈 1]
  • 2018年、デビュー35周年、ソロデビュー30周年を迎えた。
  • 2023年、デビュー40周年、ソロデビュー35周年を迎えた。

人物

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  • 歯科医の子息で、三人兄妹の次男として出生し、何不自由ない幼少期を世田谷区成城で過ごす。しかし関口が小学校の入学式当日の朝、結核を患っていた父が急逝[1]。同級生たちよりも一週間ほど遅れて通学を始めた。一人だけ編入生のような気後れを感じていたところに、父を亡くしたことへの同級生の心無い言葉に傷つき、クラスにはなかなか馴染めなかった。やがてその意識は大きくなり、たびたび登校拒否をするようになる。中学に進学してからも、学校に対する苦手意識が消えることはなかった(近年になって、中学二年生の時、仮病を使って休んだことが原因で虫垂炎と誤診され開腹手術されてしまったこと、不良との交流、C-C-B時代は高校を卒業しているとしていたが、実は中学卒業後、母の知人の会社に就職したことなどを告白している。その頃の感情や体験をモチーフに幾つか楽曲を作っている)。
  • 少年期には宗教(エホバの証人)に傾倒してその教えを強く言い含める母に抗えず、集会に参加したり教義を写した冊子を個別訪問販売した経験のある元宗教2世である[1][2]。10代半ばにはバプテスマを受けている。しかし、学校での行動や友人関係も制限されることに憤りを覚え、暫くのち教会が禁じている世俗に興味を示すようになる。17歳になる頃、教えを守らない素行不良者として排斥(脱会)された[2]。その頃に母の体がガンに侵されていることが分かったが、最期まで教義を守り続ける意思を示したため治療方法が限られ、関口が20歳のときに他界した[3][1][注釈 2]。脱会した後も、幼少期に刷り込まれた終末思想がトラウマとなっているという[4]。また、肉体に意図的な傷を刻むことを禁じる教えを受けていたため、タトゥーに興味はあるものの未だに実行に移せずにいる。しかし、ピアスは1983年頃に渡辺英樹と一緒にあけている(場所は新宿アルタの男子トイレ。同ビルの店舗でピアッサー付きのピアスを購入し、即実行に移した。しかし、緊張のあまり間違えて右耳にあけてしまったという。渡辺曰く「絶対にワザとウケを狙って右にあけたと思う」)。その後、ソロになって暫くして右の乳首にボディピアスを開けた(現在は閉じている)。
  • 音楽好きの兄の影響で、小学生の頃には既にアコースティック・ギターに触れていた(後述に記されているが、エレクトリック・ギターは不得手であった)。
  • C-C-B時代の愛称「ゴム」は、関口の自宅に遊びに来ていたメンバーの笠が、部屋に無造作に置かれていたコンドームの箱を菓子の箱と間違えて「食べていいか?」と聞いたところ、関口が笠をからかって「食べられるならどうぞ」と勧めたことが発端。箱を開けて真相を知った笠はそれ以降、関口を「ゴムくん」と呼ぶようになり浸透してしまった。その後、C-C-Bが売れて歌番組などに出演した際にその愛称の由来を尋ねられると「ゴムのように柔軟性が…」など、当たり障りない後付けの理由を述べることがあった(そのたびにメンバーは失笑したりほくそ笑んでいた)。
  • 80年代初め、芸能関係者が多く出入りしていたレストランゼスト キャンティーナ原宿店」(2006年閉店)でアルバイトをしていた。顔馴染みになった音楽業界の関係者に自作の曲の入ったカセットテープを渡したりするなど、音楽で身を立てられるよう積極的にアプローチをしていた。時を置かずして、親しくなったビクター音楽産業の関係者を通じ、渡辺英樹を紹介された。
  • 中森明菜五木ひろし羽野晶紀など、他のアーティストへの楽曲提供も多数あり、新人をプロデュースしたこともある。また、音楽の専門学校でボイストレーニングや作詞、作曲理論などを教える講師をしていた時期もある。
  • 既婚者(結婚2回・離婚1回を経験)。
  • 2007年3月に心筋梗塞を発症して入院をしたことを告白)[注釈 3]。後遺症を懸念していたが、声質や発声(呂律)に多少の違和が生じたものの、ギターを弾く手指の神経などに問題は残らなかった。心臓への負担を回避すべくダイエットを開始。イメージキャラクターを務める(2008年当時)健康食品を併用し、その食生活や体重の変化などの経過を企業ウェブサイト内でブログとして公開していた。ダイエット企画スタート時の体重は、若い頃の50kg台から約20kg以上増加していること、また、2008年3月の頃は体重78kg・体脂肪率37%であったことを明かしている。しかし、減量の兆しが見え始めた2008年12月頃からダイエットを無断で休止。周囲の声を受けて2009年9月に再開したものの、同年11月以降ブログは更新されず、結果を出すことなく企画終了となった(後にブログはリンク切れ)。
  • 髪を派手な色に染めていたのはC-C-Bがブレイクして人気が安定した時期までで、それ以降は自然な髪色を通している。そのため2008年のC-C-B再結成時には80年代のブレイク当初の印象=カラフルな髪色を思い起こさせる緑色にカラーリングを施したカツラを製作した。アーティスト写真やMVなどで使用しているが、ライブなどで使用することは基本的にはなく、テレビ出演時や取材などで必要と判断した場合のみ使用した。2011年になって衣装やカツラの使用は事務所からの強要であり、不本意であったと吐露している。
  • 若い頃と現在とのルックスのギャップを自らイジり、トークでは進んでボケ役を買って出ることが多い。一方で、C-C-Bの音楽性やファンを嘲笑する発言をするなど自虐ネタの範疇を超えている言動が多い。
  • 2010年7月8日、アナフィラキシーショックを起こし呼吸困難に陥り救急搬送された。早急な処置がされたため大事には至らず翌日には快復をした。アレルギーなどの検査を受け、後日、豆乳に対して食物アレルギー反応が強いことが判明した(ただし、すべての大豆製品に反応が出るわけではないという)[5][注釈 4]
  • 2014年8月2日、ライブ会場にて体調を崩したため病院へ救急搬送され、数日入院した。
  • 2017年3月7日、体調不良のため月末までのスケジュールを全てキャンセルし、検査入院をする旨を公式ブログ及びSNSを通じて明らかにした(その後、体調回復とともに復帰)。同年6月6日、ワイドショー「バラいろダンディ」(TOKYO MX)の街頭インタビューに一般人として出演。“C-C-B在籍時、ギターを弾いているふり(当て振り)をしていた”と発言して物議を醸した。放送翌日、自身のブログで“「Romanticが止まらない」がヒットした頃はギターが上手くなかったため。現在は教則本を出せるまで上達している”と釈明した[6]
  • 2018年6月28日、『関口誠人(ex.C-C-B)新作ミニアルバム制作プロジェクト』クラウドファンディング目標金額を大幅に超え157%達成。
  • 2019年末、アルコール性肝疾患を発症。それまではウイスキーをストレートで1日にボトル2本のペースで飲むような生活を続けており、糖尿病や肥満、初期の鬱病など併発していた。これを機に生活習慣の改善を試みているが、一進一退を繰り返している。
  • 2021年夏頃から音楽活動と並行して、イラスト制作やオリジナルキャラクターを描いたグッズの販売を活発に行うようになる。
  • 2021年12月10日、同年11月中旬に体調を崩し[注釈 5]、入院していたことをSNSを通じて報告。翌11日、ラジオのレギュラー番組「関口誠人のspicy night」の出演が体調が整わないことから儘ならないため、年内に一度終了することを明らかにした。2022年4月9日、体調回復に伴い同番組を再開した。

ディスコグラフィー

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シングル

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  1. 東京・Lovers Map/FOLK SONG-2(1988年2月21日、ポニーキャニオン
  2. FOLK SONG/雨の満塁ホームラン(1988年7月6日、ポニーキャニオン)
  3. New Town Child/悲しみのマリア(1988年11月2日、ポニーキャニオン)
  4. TALKING MAN/LOVE SONG(1989年6月21日、ポニーキャニオン)
  5. ノー、ノー、ボーイフレンド/Angel Game(1989年10月21日、ポニーキャニオン)
    ダイヤックス「POPIO」CMソング(1989年)
  6. 天河伝説殺人事件/宝島(1991年2月14日、ポニーキャニオン)
    映画「天河伝説殺人事件」主題歌
  7. たまゆら/少しだけ永遠を(1991年7月21日、ポニーキャニオン)
    関西テレビ系「不思議サスペンス」 ※テーマ曲
  8. 砂の暦/悪党(1992年1月21日、ポニーキャニオン)
    関西テレビ系「六つの離婚サスペンス」 ※テーマ曲
  9. 魂のレベル〜スゴカタ2/スターダスト・シンドローム/唇ベイブ/Just like 西遊記〜reloaded(2006年12月11日)
  10. 青空/永久に咲かぬ花(2009年9月11日)※2013年3月7日にリニューアルバージョンリリース
  11. 僕はキスをしたんだ(2010年9月21日)
  12. NoSong NoMomotaro/冒険のススメ#プライベートマッスル(セルフカバー)(2011年3月3日)
  13. TAMAGO(2012年5月3日)
  14. さよならの無い世界(2017年11月8日)

スタジオ・アルバム

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その他

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  • オリバー ニューヨーク子猫ものがたり(1990年・日本公開版)
    • ヒューイ・ルイスが歌った同映画の主題歌『Once Upon a Time in New York City』の日本語カバー『いつかニューヨークの街で』を歌唱している。
  • GUITAR & SONGS カセットテープ版(2000年・全作品作詞・作曲:関口誠人)
    1. 笑う天使
    2. 銀色の月
    3. 父の風景
    4. DAVID
  • GUITAR & SONGS CD-R版(2004年・全作品作詞・作曲:関口誠人)
    1. 笑う天使
    2. 銀色の月
    3. 父の風景
    4. DAVID
    5. 夏の幻

ビデオ

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  • ノー、ノー、ボーイフレンド(1989年12月6日・プロモーションビデオ&ライブ映像)
    1. ノー、ノー、ボーイフレンド
    2. FOLK SONG
    3. 東京・Lovers Map
    4. TALING MAN
    5. マグカフェ
  • Makoto Sekiguchi Live 2003-2004(2004年8月・江古田マーキーでのライブDVD)
    1. シェイクハンドDX
    2. 幻モーターバイク
    3. FOLK SONG-2
    4. Money Frower
    5. 僕と彼女の森
    6. 17才のジャングル
    7. アダムとイヴ
    8. 悪戯美人
    9. 悲しみのマリア
    10. パジャマクエスチョン
    11. ミセスディープキス
    12. バライゾン
    13. フラワー
    14. 演歌After Hour
    15. 流星のラストデート
    16. マリー世界は美しい
    17. JUST LIKE 西遊記

著書ほか

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出演作品

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映画

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  • エンジェル☆ゲーム(1980年1月6日公開、屋上企画舎) - 主演 ※日本大学の学生が制作した自主映画
  • 微熱少年(1987年6月13日公開、東宝) - 吉田 役
  • 226(1989年6月17日公開、松竹富士) - 田中勝中尉 役
  • バカヤロー!3 へんな奴ら第三話「会社をナメるな」(1990年10月20日公開、松竹) - 芳賀洋介 役
  • 未来の想い出 Last Christmas(1992年8月29日公開、東宝) - 占いのアベックの男 役
  • 夢見た君へ(2016年、スターバル)
  • 22世紀寓話(2019年、PLUS VOX) - 関口誠人(本人) 役 ※特別出演。主題歌「さよならの無い世界」提供

Vシネマ

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テレビドラマ

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バラエティ番組

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ラジオ

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その他

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  • セキグチMaコトの電脳カフェ(2007年3月 - 2008年7月) - ビデオポッドキャスト番組
  • 1046radio/霜ノ関通信社(2014年8月 - ) - YouTube上でのインターネットラジオ番組
  • 関口誠人の弾き語りTV(2016年4月 - ) - FC2ライブで行っているネット番組。第2・第4水曜日に放送していた。2019年以降不定期

音楽担当

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楽詞・楽曲提供

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 渡辺、笠の死去後に行われた『お別れの会』(追悼ライブに相当)には不参加
  2. ^ C-C-B在籍中にアルバム収録曲『流星のラストデート』の制作秘話として「19歳の時に他界した母を思い…」と述べていた。
  3. ^ 病床で「もう一度C-C-Bとして活動したい。ずっと思い続けてくれたファンに音楽を通じて感謝を伝えなければ、自分の人生に悔いが残ると強く思った」と述べている(2008年のC-C-B再結成の経緯のひとつ)。
  4. ^ 爆報! THE フライデー」2016年3月11日放送にて本人の弁(ただし、実際に倒れた日付と放送で述べた日付に誤差が生じている)。
  5. ^ 関口は「心の闇に埋没していた」と吐露した。
  6. ^ 「松本隆作詞生活50周年記念特集」とコラボ企画。サエキけんぞうKらと出演

出典

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  1. ^ a b c "「母は輸血を拒否したまま死んだ」 願った延命、葛藤続けた40年". 特集 宗教とこども. 毎日新聞社. 16 April 2023. 2023年4月17日閲覧
  2. ^ a b 関口誠人Twitter 2022年12月23日付
  3. ^ "C-C-B元メンバーの関口誠人「エホバの証人の2世信者でした」「母は輸血拒否したまま…」". 東スポWEB. 東京スポーツ新聞社. 17 April 2023. 2023年4月17日閲覧
  4. ^ 関口誠人Twitter 2022年12月23日付
  5. ^ 実行しますね”. 関口誠人オフィシャルブログ (2010年7月11日). 2016年3月14日閲覧。
  6. ^ 元C-C-B関口誠人が街頭インタビューに一般人として登場!視聴者もビックリ”. アサジョ (2017年6月10日). 2021年9月25日閲覧。

外部リンク

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