「ソビエト連邦の国旗」の版間の差分
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{{国旗 |
{{国旗 |
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|画像={{Flagicon|SSR|size= |
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|使用色=[[赤色]]、[[金色]] |
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|根拠法令=[[s:ru:Указ Президиума ВС СССР от 19.08.1955 об утверждении Положения о государственном флаге СССР|ソビエト社会主義共和国連邦の国旗に関する規則]] |
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*[[赤]] |
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*[[黄色|黄]] |
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[[File:Flag of the Soviet Union (reverse).svg|thumb|{{FIAV|historical|1}}{{FIAV|reverse|1}} 1980年10月23日より、裏面は無地と規定された]] |
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{{USSR}} |
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'''[[ソビエト連邦]]の[[国旗]]'''は、赤地('''[[赤旗]]''')に黄色で'''[[鎌と槌]]'''、'''[[赤い星]]'''([[五芒星]])が描かれた[[旗]]である。赤は[[革命]]を、交差した[[槌]]([[労働者]]のシンボル)と[[鎌]]([[農民]]のシンボル)は労働者と農民の団結を、その上の五芒星は[[五大陸]]の労働者の団結と[[ソビエト連邦共産党|共産党]]による指導とを意味する。 |
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'''[[ソビエト連邦]]の[[国旗]]'''は、金の[[鎌と槌]]と金の縁取りを持つ[[赤い星|赤い五芒星]]を表示した[[赤旗]]である。赤は[[社会主義]]と[[共産主義]]の構築へ向かう、[[ソビエト連邦共産党]]に指導されたソビエト人民の果敢な闘争を、鎌と槌は[[労働者階級]]と[[農民]]との絶えざる団結を、赤い五芒星は五大陸における共産主義の最終的勝利を象徴する<ref>{{lang|ru|{{БСЭ3|Флаг государственный|27}}}}</ref>。 |
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== 変遷 == |
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ソビエト連邦の公式な旗は、[[1922年]]12月に開かれた{{仮リンク|第1回全連邦ソビエト大会|ru|I Всесоюзный съезд Советов |
ソビエト連邦の公式な旗は、[[1922年]]12月に開かれた{{仮リンク|第1回全連邦ソビエト大会|ru|I Всесоюзный съезд Советов}}において制定の方針が決められた。ここでは「[[赤旗]]を[[ソビエト連邦共産党|党]]のシンボルから[[国家]]のシンボルへと変え、その旗を囲んでソビエト共和国諸国の人民が一つの国家-ソビエト社会主義共和国連邦のもとに団結する」ことが合意された。 |
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同月30日に締結された「{{仮リンク|ソビエト連邦の結成に関する条約|ru|Договор об образовании СССР|en|Treaty on the Creation of the USSR}}」の第22条では「ソビエト社会主義共和国連邦は自身の旗、紋章、そして[[国璽]]を持つ」と定められている<ref name="flag">{{lang|ru|{{cite web|title= Флаги СССР|url= http://www.vexillographia.ru/russia/ussr.htm|publisher= Russian Centre of Vexillology and Heraldry, Orenburg branch of RCVH|website= Вексиллография|accessdate= 2018-10-02}}}}</ref>。翌[[1923年]]には[[ソビエト連邦中央執行委員会|連邦中央執行委員会]]によって国旗・[[ソビエト連邦の国章|国章]]を制定するための特別委員会が設置され、その中で著名な紋章学者のK・I・ドゥーニン=ボルコフスキーは旗の中央に[[エスカッシャン (紋章学)|エスカッシャン]]を配したデザインを提案した<ref name="flag"/>。このデザインは委員会によって承認され、また海上での視認性を考慮して、黒地に[[鎌と槌]]を配したA・エヴェルリンクによる類似のデザインも提案された<ref name="flag"/>。しかし、赤と黒の組み合わせは喪色を連想させるとして、委員会はこのデザインを否認した<ref name="flag"/>。 |
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[[12月30日]]、ソビエト大会はソビエト連邦の樹立に合意し、国家樹立を宣言した。この時締結された{{仮リンク|ソビエト連邦の結成に関する条約|en|Treaty of the creation of the Soviet Union|label=連邦条約}}の第22条には「ソビエト社会主義共和国連邦は[[国旗]]、[[国章]]、[[国璽]]を持つ。<br>'''{{lang|ru|Союз Советских Социалистических Республик имеет свой флаг, герб и государственную печать.}}'''」とあった。 |
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同年7月1日に[[ニジニ・ノヴゴロド]]での式典で掲げられたのは、黄文字の {{lang|ru|«СССР»}} と、鎌と槌入りの{{仮リンク|カルトゥーシュ (意匠)|label= カルトゥーシュ|en|Cartouche (design)}}を表示した、縦横比1:4の赤旗であった<ref name="flag"/>。 |
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=== 最初の国旗 === |
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[[File:Flag of the Soviet Union (1923).svg| |
[[File:Flag of the Soviet Union (1923, unofficial).svg|400px|center|thumb|{{FIAV|historical|1}}{{FIAV|reconstructed|1}}{{FIAV|defacto|1}} 1923年7月にニジニ・ノヴゴロドで掲げられた旗]] |
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最初の国旗の詳細は、[[1923年]][[7月6日]]に[[ソビエト連邦中央執行委員会]]の第二回会合で了承された[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1924年)|最初のソビエト連邦憲法]]案において定められた。この際の憲法案の第71条にはこうあった。 |
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:「ソビエト社会主義共和国連邦の国旗は、赤色または緋色の地に国章を配する。」 |
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同月6日、中央執行委第1回大会第2期会議において採択された[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1924年)|最初の憲法]]では、国旗と国章については次のように定められている<ref name="flag"/>。 |
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この国旗の縦横比は縦1:横4という、例を見ない横長のものであり、赤旗の中央に国章を配置していた。 |
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{{quotation|第70条:ソビエト連邦の国旗は、国章を配した赤ないし緋色の布である。<br /> |
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第71条:ソビエト連邦の国章は、太陽光で照らされ、小麦の穂で囲まれ、第34条の定める文言「[[万国の労働者よ、団結せよ!|万国の労働者よ、団結せよ!]]」を6つの言語で示した、鎌と槌を乗せた地球である。紋章の上部には五芒星を表示する。}} |
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中央執行委はサンプルなしに全会一致でこの条文を採択したが、実際にはこのデザインは制作困難であり、特に国章部分は細部が潰れてしまうことが判明した<ref name="flag"/>。また、国旗の縦横比も上記ニジニ・ノヴゴロドでの旗のように異様に横長のものが工場へ発注されはしたが、実際に制作に至ることはなかった<ref name="flag"/>。 |
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しかしこの国旗は大量生産にまわされることはなかった。4ヶ月の間だけ国旗の座にあり、[[1923年]][[11月12日]]のソ連中央執行委員会の第三回会合でデザインされた、一般に良く知られている「'''[[鎌と槌]]'''」の旗に置き換えられる。 |
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=== 二番目の国旗 === |
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ソ連中央執行委員会の第三回会合では、デザイン変更をうけて憲法案の第71条の条項はこう書き換えられた。 |
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:「ソビエト社会主義共和国連邦の国旗は、赤色または緋色を地とし、左上端に金色の槌と鎌を配し、金で縁取られた赤い五芒星をその上に配する。国旗の縦と横の比率は1:2である。<br>'''{{lang|ru|Государственный флаг Союза ССР состоит из красного или алого полотнища, с изображением на его верхнем углу у древка золотых серпа и молота и над ними красной пятиконечной звезды, обрамленной золотой каймой. Отношение длины к ширине 1:2.}}'''」 |
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同年11月12日、第3期中央執行委は憲法第71条の条文に次のような変更を加えた<ref name="flag"/>。 |
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新しく採用されたソ連の公式な旗は、赤一色の旗に、交差した鎌と槌が描かれ、赤い星が上方に配置されていた。槌は産業労働者を、鎌は農業労働者をそれぞれシンボル化したものである。赤い星は共産党による指導を意味していた。旗の裏側は何も描かれていない赤一色であった。 |
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{{quotation|ソビエト連邦の国旗は、上部隅旗竿付近に金色の鎌と槌のイメージを、その上部に金の縁取りを持つ[[赤い星|赤い五芒星]]を配した赤ないし緋色の布である。}} |
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この修正憲法は翌[[1924年]]1月31日の第2期[[ソビエト大会 (ソビエト連邦)|ソビエト大会]]において批准されたが、この段階に至っても国旗の具体的なイメージは示されなかった<ref name="flag"/>。しかし同年4月12日、『[[イズベスチヤ]]』紙は国旗の細則に関する[[ソビエト連邦人民委員会議|人民委員会議]]の決定を次のように報じた<ref name="flag"/>。 |
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{{quotation|旗は幅に対する高さの比が2:1の、赤ないし緋色の矩形である。左上部隅の[[カントン (紋章学)|カントン]]は旗と同色で、幅は旗の全幅の6分の2、高さは旗の全高の半分とする。カントンはその高さの8分の1を半径とする金色の鎌と槌、そしてその上部にカントンの高さの5分の1を直径とする、金の縁取りを持つ赤い五芒星を持つ。カントンは旗の高さの15分の1を幅とする金の縁取りを持つ。}} |
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[[File:Flag of the Soviet Union (1924).svg|200px|center|thumb|{{FIAV|historical|1}}{{FIAV|reconstructed|1}} 1924年4月に『イズベスチヤ』紙が報じた国旗]] |
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[[File:Flag-map of the Soviet Union (1922-1939).svg|thumb|200px|1:2という国旗の縦横比は、ソ連領土の南北と東西への広がりを基準に定められた<ref name="flag"/>。]] |
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[[1950年代]]以降、[[ソビエト連邦の旗一覧|ソ連を構成する各共和国でも国旗が定められたが]]、すべてソ連国旗をもとに部分的に独自の色や模様を追加した旗であった。 |
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さらに同月18日、{{仮リンク|全ロシア中央執行委員会|label= 全ロシア中央執行委|ru|Всероссийский центральный исполнительный комитет}}幹部会はカントンに関する規定を削除した国旗の修正案を承認した<ref name="flag"/>。その後の[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1936年)|1936年憲法]]においては、国旗については次のように定められている<ref name="flag"/>。 |
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{{quotation|第144条:ソビエト社会主義共和国連邦の国旗は、上部隅旗竿付近に金の鎌と槌のイメージを、その上部に金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した、赤い矩形の布である。高さに対する幅の比は1:2とする。}} |
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{{-}} |
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=== 三番目と四番目の国旗 === |
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[[1955年]][[8月19日]]の{{仮リンク|ソビエト連邦最高会議幹部会|en|Presidium of the Supreme Soviet|label=最高会議幹部会}}の決定により、国旗には修正が加えられた。鎌の形状が全体的に変えられ、ハンマーの持ち手も長くなっている。 |
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⚫ | この国旗は世界各国の共産党や共産主義国家にも影響を与えている。[[中華人民共和国]]や[[ベトナム]]などは赤地に金の星のデザインを使用し、赤い星は[[南イエメン]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]などの旗に使用された。また'鎌と槌やそのバリエーションである槌と斧、槌とペン、槌とコンパスなどのシンボルは社会主義諸国の国旗([[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[アンゴラ]]、[[モザンビーク]])や国章、党章に使用されている。[[1950年代]]以降は[[ソビエト連邦構成共和国]]でも国旗が刷新されたが([[ソビエト連邦の旗一覧]])、それらはすべてソ連国旗をもとに部分的に独自の色や模様を追加した旗であった。 |
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[[1980年]][[8月15日]]にも国旗の修正が行われた。地の赤色は明るくされ、ワイン色に近い深紅から明るい赤へと変更された。 |
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その後、[[1955年]]8月19日の[[ソビエト連邦最高会議幹部会|最高会議幹部会]]令により、「ソビエト社会主義共和国連邦の国旗に関する規則」の新版が承認された<ref name="flag"/>。 |
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{{quotation|ソビエト連邦の国旗は、上部隅旗竿付近に金の鎌と槌のイメージを、その上部に金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した、赤い矩形の布である。高さに対する幅の比は1:2とする。鎌と槌は辺長を旗の高さの4分の1とする正方形に収まる。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは正方形の対角線の4分の3とする。五芒星は旗の高さの8分の1を直径とし、正方形の上辺に接する円に収まる。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1とする。旗の上端から星の中心までの距離は、旗の高さの8分の1とする。}} |
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この法令は同時に、国旗の公的施設における掲揚日の規則や、船尾旗としての使用規則も定めていたが、全体としては1924年の規則と同内容であった<ref name="flag"/>。この国旗は、その後改定された[[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1977年)|1977年憲法]]や[[1980年]]8月15日の新国旗法においても変更されることなく、[[ソビエト連邦の崩壊]]まで使用され続けた<ref name="flag"/>。 |
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[[File:Construction sheet of the flag of the Soviet Union.png|300px|center|thumb|{{FIAV|historical|1}}{{FIAV|twosided|1}}{{FIAV|010111|1}} 1955年8月19日からソ連崩壊までの国旗とその細則({{FIAV|historical|1}}{{FIAV|reverse|1}} 裏面は1980年10月23日から<ref name="flag"/>)]] |
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[[ファイル:Flag of the Soviet Union (3-2).svg|中央|サムネイル|200x200ピクセル|{{FIAV|alternate}}縦横比2:3の別タイプ]] |
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[[1991年]]12月25日のソ連崩壊を以てソ連国旗は公式の場から姿を消したが、宇宙ステーション「[[ミール]]」の船外には、技術的な理由からソ連崩壊後も1年間ソ連国旗が掲げられたままであった<ref>{{lang|ru|{{Cite journal2 |author = {{nobr|Лавренюк В.}}, {{nobr|Соколов А.}} |editor= |format= |url= http://www.fandom.ru/inter/lavrenyuk_1.htm |title= Космические миры Андрея Соколова |type= журнал |orig-year= | agency = |edition= Воин России |location= {{М.}} |date= 2001 |year= 2001 |publisher= [[ロシア国防省|Министерство обороны Российской Федерации]] |at= |volume= |issue= |number= 4|pages = 94-96 |page= |series= |isbn = |issn = |doi = |bibcode = |arxiv = |pmid = |ref= |archive-url = |archive-date = |language= |quote= }}}}</ref>。 |
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=== 赤色国旗の復活 === |
=== 赤色国旗の復活 === |
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{{main|[[勝利の旗]]}} |
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[[File:Moscow_Victory_Day_Parade_(2019)_70.jpg|thumb|200px|[[2019年]]の[[戦勝記念日 (5月9日)|戦勝記念日]]パレードで翻る「勝利の旗」]] |
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また[[ウラジーミル・プーチン]]大統領のもとで、「勝利の旗」は[[ロシア陸軍]]の公式な旗となったが、その後は公式な存在ではなくなった。[[ |
また[[ウラジーミル・プーチン]]大統領のもとで、「勝利の旗」は[[ロシア陸軍]]の公式な旗となったが、その後は公式な存在ではなくなった。[[2005年]]にこの旗の公式な地位を定める法律が議会に上程されたが、「[[祖国 (ロシア)|祖国]]」の議員が、実際にライヒスタークに掲げられたソ連旗ではない旗を「勝利の旗」と名乗るのは歴史を冒涜するものだという反対意見を出し、議論となった。結局、[[2007年]]にプーチン大統領はエリツィン時代の「勝利の旗」を取り下げた。 |
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[[2009年]]現在のロシア軍旗は赤地に四方に[[赤い星]]、中央に[[双頭の鷲]]があしらわれた旗が使われている。プーチン大統領以後に「勝利の旗」と呼ばれる旗は、ライヒスタークに掲げられた旗のうち、第150狙撃兵師団が掲げたもので、ソ連国旗に白い文字で「第1[[白ロシア戦線]]・第3突撃軍・第79狙撃兵軍団・第150イドリツァ名誉称号クトゥーゾフ勲章2等受章狙撃兵師団」の略号が書かれている。これがモスクワ中央軍事博物館に永久保存されているほか、複製が軍事パレードで掲げられ、愛国教育に用いられている。 |
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Russia Victory Commemorative Flag.svg|{{FIAV|historical|1}} 1996年に定められた「勝利の旗」 |
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Soviet Znamya Pobedy.svg|{{FIAV|historical|1}} ライヒスタークの赤旗。2007年以降、「勝利の旗」と呼ばれているもの |
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Stamps of Azerbaijan, 2010-903.jpg|[[ライヒスタークの赤旗]]の写真をもとにした、[[大祖国戦争]]勝利65周年を記念するアゼルバイジャンの切手(2010年) |
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ファイル:Red Army flag.svg|{{FIAV|001000}}{{FIAV|historical}} [[赤軍]]の旗、ソ連陸軍の旗 |
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Banner of the Armed Forces of the Russian Federation (obverse).svg|ロシア連邦軍の軍旗 |
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ファイル:Banner of the Armed Forces of the Russian Federation (obverse).svg|[[ロシア連邦軍]]の[[軍旗]]。 |
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== ギャラリー == |
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Flag of the Soviet Union (1923, unofficial).svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の最初の非公式の旗、1923年7月 |
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ファイル:Flag of the Soviet Union (1923).svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の最初の国旗(1923年7月-1923年11月の間使用) |
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Flag of the Soviet Union (1924).svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の非公式の旗(1924年4月12日) |
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Flag of the Soviet Union (1924-1936).svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の非公式の旗(1924年4月18日) |
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ファイル:Flag of the Soviet Union 1923.svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の二番目の国旗(1923年11月-1955年の間使用) |
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ファイル:Flag of the Soviet Union (1955-1980).svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の三番目の国旗(1955年-1980年の間使用) |
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Flag_of_the_Soviet_Union_1980.svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の非公式の旗(1980年) |
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ファイル:Flag of the Soviet Union.svg|{{FIAV|historical|}}ソビエト連邦の最後の国旗(1980年-1991年の間使用) |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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{{Commonscat|Flags of the Soviet Union}} |
{{Commonscat|Flags of the Soviet Union}} |
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* [[国旗の一覧]] |
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* [[中華人民共和国の国旗]] |
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* [[中華ソビエト共和国の国旗]] |
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* [[ロシアの国旗]] |
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* [[ベラルーシの国旗]] |
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* [[ロシア構成主義]] |
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* [[ソビエト連邦の国章]] |
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* [[ソビエト連邦の旗一覧]] |
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{{Flags of the Soviet Republics}} |
{{Flags of the Soviet Republics}} |
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{{ヨーロッパの題材|国旗}} |
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{{アジアの国旗}} |
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== 外部リンク == |
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* [http://flagspot.net/flags/su.html Flags of the World Soviet Union page] |
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{{デフォルトソート:そひえとれんほうのこつき}} |
{{デフォルトソート:そひえとれんほうのこつき}} |
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[[Category:ソビエト |
[[Category:ソビエト連邦の国の象徴|こつき]] |
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[[Category:ソビエト連邦の旗|こつき]] |
[[Category:ソビエト連邦の旗|こつき]] |
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[[Category:かつて使用されていた国旗]] |
[[Category:かつて使用されていた国旗]] |
2024年6月12日 (水) 05:05時点における最新版
用途及び属性 | ? |
---|---|
縦横比 | 1:2 |
制定日 | 1955年8月19日 |
使用色 | 赤色、金色 |
根拠法令 | ソビエト社会主義共和国連邦の国旗に関する規則 |
ソビエト連邦 |
---|
最高指導者 共産党書記長 |
レーニン · スターリン マレンコフ · フルシチョフ ブレジネフ · アンドロポフ チェルネンコ · ゴルバチョフ |
標章 |
ソビエト連邦の国旗 ソビエト連邦の国章 ソビエト連邦の国歌 鎌と槌 |
政治 |
ボリシェヴィキ · メンシェヴィキ ソビエト連邦共産党 ソビエト連邦の憲法· 最高会議 チェーカー · 国家政治保安部 ソ連国家保安委員会 |
軍事 |
赤軍 · ソビエト連邦軍 ソビエト連邦地上軍 · ソビエト連邦海軍 ソビエト連邦空軍 · ソビエト連邦防空軍 戦略ロケット軍 |
場所 |
モスクワ · レニングラード スターリングラード ·クレムリン · 赤の広場 |
イデオロギー |
共産主義 · 社会主義 マルクス・レーニン主義 スターリン主義 |
歴史 |
ロシア革命 ·ロシア内戦 ·大粛清· 独ソ不可侵条約· バルト諸国占領·冬戦争· 独ソ戦 ·冷戦 · 中ソ対立 · キューバ危機 ベトナム戦争 · 中ソ国境紛争 アフガニスタン紛争 · ペレストロイカ ·チェルノブイリ原子力発電所事故·マルタ会談 · 8月クーデター ソビエト連邦の崩壊 |
ソビエト連邦の国旗は、金の鎌と槌と金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した赤旗である。赤は社会主義と共産主義の構築へ向かう、ソビエト連邦共産党に指導されたソビエト人民の果敢な闘争を、鎌と槌は労働者階級と農民との絶えざる団結を、赤い五芒星は五大陸における共産主義の最終的勝利を象徴する[1]。
変遷[編集]
ソビエト連邦の公式な旗は、1922年12月に開かれた第1回全連邦ソビエト大会において制定の方針が決められた。ここでは「赤旗を党のシンボルから国家のシンボルへと変え、その旗を囲んでソビエト共和国諸国の人民が一つの国家-ソビエト社会主義共和国連邦のもとに団結する」ことが合意された。
同月30日に締結された「ソビエト連邦の結成に関する条約」の第22条では「ソビエト社会主義共和国連邦は自身の旗、紋章、そして国璽を持つ」と定められている[2]。翌1923年には連邦中央執行委員会によって国旗・国章を制定するための特別委員会が設置され、その中で著名な紋章学者のK・I・ドゥーニン=ボルコフスキーは旗の中央にエスカッシャンを配したデザインを提案した[2]。このデザインは委員会によって承認され、また海上での視認性を考慮して、黒地に鎌と槌を配したA・エヴェルリンクによる類似のデザインも提案された[2]。しかし、赤と黒の組み合わせは喪色を連想させるとして、委員会はこのデザインを否認した[2]。
同年7月1日にニジニ・ノヴゴロドでの式典で掲げられたのは、黄文字の «СССР» と、鎌と槌入りのカルトゥーシュを表示した、縦横比1:4の赤旗であった[2]。
同月6日、中央執行委第1回大会第2期会議において採択された最初の憲法では、国旗と国章については次のように定められている[2]。
第70条:ソビエト連邦の国旗は、国章を配した赤ないし緋色の布である。
第71条:ソビエト連邦の国章は、太陽光で照らされ、小麦の穂で囲まれ、第34条の定める文言「万国の労働者よ、団結せよ!」を6つの言語で示した、鎌と槌を乗せた地球である。紋章の上部には五芒星を表示する。
中央執行委はサンプルなしに全会一致でこの条文を採択したが、実際にはこのデザインは制作困難であり、特に国章部分は細部が潰れてしまうことが判明した[2]。また、国旗の縦横比も上記ニジニ・ノヴゴロドでの旗のように異様に横長のものが工場へ発注されはしたが、実際に制作に至ることはなかった[2]。
同年11月12日、第3期中央執行委は憲法第71条の条文に次のような変更を加えた[2]。
ソビエト連邦の国旗は、上部隅旗竿付近に金色の鎌と槌のイメージを、その上部に金の縁取りを持つ赤い五芒星を配した赤ないし緋色の布である。
この修正憲法は翌1924年1月31日の第2期ソビエト大会において批准されたが、この段階に至っても国旗の具体的なイメージは示されなかった[2]。しかし同年4月12日、『イズベスチヤ』紙は国旗の細則に関する人民委員会議の決定を次のように報じた[2]。
旗は幅に対する高さの比が2:1の、赤ないし緋色の矩形である。左上部隅のカントンは旗と同色で、幅は旗の全幅の6分の2、高さは旗の全高の半分とする。カントンはその高さの8分の1を半径とする金色の鎌と槌、そしてその上部にカントンの高さの5分の1を直径とする、金の縁取りを持つ赤い五芒星を持つ。カントンは旗の高さの15分の1を幅とする金の縁取りを持つ。
さらに同月18日、全ロシア中央執行委幹部会はカントンに関する規定を削除した国旗の修正案を承認した[2]。その後の1936年憲法においては、国旗については次のように定められている[2]。
第144条:ソビエト社会主義共和国連邦の国旗は、上部隅旗竿付近に金の鎌と槌のイメージを、その上部に金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した、赤い矩形の布である。高さに対する幅の比は1:2とする。
この国旗は世界各国の共産党や共産主義国家にも影響を与えている。中華人民共和国やベトナムなどは赤地に金の星のデザインを使用し、赤い星は南イエメン、北朝鮮、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国などの旗に使用された。また'鎌と槌やそのバリエーションである槌と斧、槌とペン、槌とコンパスなどのシンボルは社会主義諸国の国旗(東ドイツ、アンゴラ、モザンビーク)や国章、党章に使用されている。1950年代以降はソビエト連邦構成共和国でも国旗が刷新されたが(ソビエト連邦の旗一覧)、それらはすべてソ連国旗をもとに部分的に独自の色や模様を追加した旗であった。
その後、1955年8月19日の最高会議幹部会令により、「ソビエト社会主義共和国連邦の国旗に関する規則」の新版が承認された[2]。
ソビエト連邦の国旗は、上部隅旗竿付近に金の鎌と槌のイメージを、その上部に金の縁取りを持つ赤い五芒星を表示した、赤い矩形の布である。高さに対する幅の比は1:2とする。鎌と槌は辺長を旗の高さの4分の1とする正方形に収まる。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは正方形の対角線の4分の3とする。五芒星は旗の高さの8分の1を直径とし、正方形の上辺に接する円に収まる。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1とする。旗の上端から星の中心までの距離は、旗の高さの8分の1とする。
この法令は同時に、国旗の公的施設における掲揚日の規則や、船尾旗としての使用規則も定めていたが、全体としては1924年の規則と同内容であった[2]。この国旗は、その後改定された1977年憲法や1980年8月15日の新国旗法においても変更されることなく、ソビエト連邦の崩壊まで使用され続けた[2]。
1991年12月25日のソ連崩壊を以てソ連国旗は公式の場から姿を消したが、宇宙ステーション「ミール」の船外には、技術的な理由からソ連崩壊後も1年間ソ連国旗が掲げられたままであった[3]。
赤色国旗の復活[編集]
1996年4月15日、ロシア大統領ボリス・エリツィンは「勝利の旗」と呼ばれるソ連国旗に似た旗に対し、国旗と同じ格を与える大統領布告に署名した。この旗は第二次世界大戦の勝利を記念した旗で、1945年5月1日にベルリンの国会議事堂(ライヒスターク)の屋上で翻ったとされる旗(ライヒスタークの赤旗)を基にしたもので、ソ連国旗から槌と鎌を除き、赤地に黄色の星だけになったものである。祝日には「勝利の旗」はロシア国旗と並んで掲揚され、軍事パレードでも掲げられた。
またウラジーミル・プーチン大統領のもとで、「勝利の旗」はロシア陸軍の公式な旗となったが、その後は公式な存在ではなくなった。2005年にこの旗の公式な地位を定める法律が議会に上程されたが、「祖国」の議員が、実際にライヒスタークに掲げられたソ連旗ではない旗を「勝利の旗」と名乗るのは歴史を冒涜するものだという反対意見を出し、議論となった。結局、2007年にプーチン大統領はエリツィン時代の「勝利の旗」を取り下げた。
2009年現在のロシア軍旗は赤地に四方に赤い星、中央に双頭の鷲があしらわれた旗が使われている。プーチン大統領以後に「勝利の旗」と呼ばれる旗は、ライヒスタークに掲げられた旗のうち、第150狙撃兵師団が掲げたもので、ソ連国旗に白い文字で「第1白ロシア戦線・第3突撃軍・第79狙撃兵軍団・第150イドリツァ名誉称号クトゥーゾフ勲章2等受章狙撃兵師団」の略号が書かれている。これがモスクワ中央軍事博物館に永久保存されているほか、複製が軍事パレードで掲げられ、愛国教育に用いられている。
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ライヒスタークの赤旗の写真をもとにした、大祖国戦争勝利65周年を記念するアゼルバイジャンの切手(2010年)
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ロシア連邦軍の軍旗
脚注[編集]
- ^ Флаг государственный // Ульяновск — Франкфорт. — М. : Советская энциклопедия, 1977. — (Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров ; 1969—1978, т. 27).
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “Флаги СССР”. Вексиллография. Russian Centre of Vexillology and Heraldry, Orenburg branch of RCVH. 2018年10月2日閲覧。
- ^ Лавренюк В., Соколов А. (2001). "Космические миры Андрея Соколова" (журнал) (4) (Воин России ed.). М.: Министерство обороны Российской Федерации: 94–96.
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