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'''贔屓'''(ひいき・びし、[[拼音]]:Bìxì、正字体:'''贔屭''')は、中国における伝説上の生物。
'''贔屓'''(贔屭、ひき、{{ピン音|Bìxì}})は、[[中国]]における伝説上の[[生物]]。石碑の台になっているのは'''亀趺'''(きふ、{{ピン音|Guīfū}})と言う。'''覇下'''(はか)とも呼ばれる。


== 概要 ==
== 概要 ==
中国の伝説によると、贔屓は[[龍]]が生んだ9頭の神獣・[[竜生九子]]<!--(りゅうせいきゅうし)-->のひとつで、その姿は[[カメ|亀]]に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来[[柱|石柱]]や[[石碑]]の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の[[諺]]「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の[[諺]]だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。
中国の伝説によると、贔屓は[[龍]]が生んだ9頭の神獣・[[竜生九子]]<!--(りゅうせいきゅうし)-->のつで、その姿は[[カメ|亀]]に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来[[柱|石柱]]や[[石碑]]の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の[[諺]]「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の[[諺]]だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。


「贔を古くは贔屭と書いた。「贔」は「貝」が三つで、こは財貨が多くあることを表もの。「屭」その贔」を「[[尸部|尸]]」の下に置いたもので、財貨を多く抱えることを表したものである。「この財貨を多く抱える」、「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す[[擬音語]]に由来する。
「贔」「のどちらの字にも「貝」が含まれることから着想て、意味は「財貨を多く抱える」そこから「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった説明されることがある<ref>{{Cite book|和書|author1=鎌田正|author2=米山寅太郎||origdate=1994-4-1|date=1999-4-1|edition=六版|title=新版 漢語林|publisher=大修館書店|page=1049|isbn=4469031070}}</ref>が、これは俗説である。『[[説文解字]]』の[[篆書]]に示されているように、「贔」という字に含まれる「貝」は「罒+大」の変化、「屓」という字に含まれる「貝」は「自」の変化であるため、財貨とは関係がない。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す[[擬音語]]に由来する。


[[明]]代の[[李東陽]] (1447–1516) が著した『[[懐麓堂集]]』や、[[楊慎]] (1488–1559) が著した『[[升庵外集]]』にその名が見られる。
[[明]]代の[[李東陽]](1447–1516)が著した『[[懐麓堂集]]』や、[[楊慎]](1488–1559)が著した『[[升庵外集]]』にその名が見られる。


== 類例 ==
== 類例 ==
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File:Minzu-zhengqi-haoran-changcun-Bixi-3565.jpg|[[北京市]]宛平城の抗日記念館中庭にある「民族正気浩然長存」碑
File:Minzu-zhengqi-haoran-changcun-Bixi-3565.jpg|[[北京市]]宛平城の抗日記念館中庭にある「民族正気浩然長存」碑
File:Kangxi-Lugou-rebuilding-stele-3581.jpg|北京市[[盧溝橋]]脇にある「乾隆重葺盧溝橋碑」([[乾隆帝]]による修復を記念した碑)
File:Kangxi-Lugou-rebuilding-stele-3581.jpg|北京市[[盧溝橋]]脇にある「乾隆重葺盧溝橋碑」([[乾隆帝]]による修復を記念した碑)
File:Nanjing-Drum-Tower-Kangxi-stele-3050.jpg|[[南京市]]大鐘亭にある「聖諭碑」([[康熙帝]]の[[行幸]]を記念した碑)
File:Nanjing-Drum-Tower-Kangxi-stele-3050.jpg|[[南京市]]大鐘亭にある「聖諭碑」([[康熙帝]]の[[行幸]]を記念した碑)
File:Linggu-Stone-Tortoise-2901.jpg|南京市霊谷景区にある「石亀趺」
File:Linggu-Stone-Tortoise-2901.jpg|南京市霊谷景区にある「石亀趺」
ファイル:LugouQiao-Qianlong-bridge-rebuilding-stele-3610.JPG|贔屓。[[盧溝橋]]
File:Samjeondo Monument3.jpg|[[ソウル特別市]]の[[大清皇帝功徳碑]]
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<!--* [[台湾]]の[[台北市]][[大同区 (台北市)|大同区]]の[[大龍峒保安宮]]では、贔屓が石柱の土台の装飾として使われている。-->
<!--* [[台湾]]の[[台北市]][[大同区 (台北市)|大同区]]の[[大龍峒保安宮]]では、贔屓が石柱の土台の装飾として使われている。-->
==日本の亀趺==
===大名墓地等===
亀趺碑が墓地内に複数建てられているもの
*[[茨城県]][[常陸太田市]] [[水戸徳川家]]墓地
*[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]・[[会津若松市]] 土津霊神神社・[[会津松平家]]墓地
*[[鳥取県]][[鳥取市]](旧[[岩美郡]])国府町 [[鳥取藩]]主[[池田氏]]墓地
*[[岡山県]][[和気郡]][[和気町]] [[池田輝政]]
*[[東京都]][[墨田区]]向島弘福寺 [[池田定常]]
*[[山口県]][[萩市]]東光寺 [[長州藩]]主[[毛利家]]奇数代藩主の墓(三代以後)
*[[島根県]][[松江市]]月照寺 [[雲州松平家]]墓所 [[松平宗衍]]寿蔵碑
*[[栃木県]][[宇都宮市]]英巌寺 [[戸田忠恕]]
===大名の先祖や大名個人を顕彰するもの===
*[[愛知県]][[額田郡]][[幸田町]]本光寺 [[島原藩]] [[深溝松平家]]祖宗紀功碑
*[[鹿児島県]][[薩摩郡]][[宮之城町]]大徳山宗功寺跡 [[島津久通]]祖先世功碑
*愛知県[[安城市]] 本多忠豊死節碑
*愛知県安城市 本多忠高死事碑
===菩提寺等を顕彰するもの(実質大名を顕彰)===
*[[福井県]][[坂井郡]]大安寺 [[越前松平家]]菩提寺通称亀墓
*東京都[[文京区]]湯島麟祥院 亀趺碑([[春日局]]ゆかりのもの)
*[[長崎県]][[諌早市]]諌早公園 読誦大乗妙典壱万部之塔両碑
===神格等を顕彰するもの===
文廟(孔子廟)関係
*[[佐賀県]][[多久市]]西渓公園 大宝聖堂之碑
*[[山口県]][[萩市]]明倫館跡 明倫館記碑
*山口県萩市明倫館跡 重建明倫館記碑
===寺院等を顕彰するもの===
*山口県[[防府市]]大道国分寺跡 周防国分寺碑
*山口県防府市国庁跡 亀趺碑
*[[大分県]][[国東市]]文殊仙寺 亀趺碑
*鹿児島県[[鹿児島市]]福昌寺 亀趺碑
===神社等を顕彰するもの===
*山口県防府市右田玉里神社 亀趺碑
*山口県防府市大道繁枝神社 亀趺碑
*山口県[[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]]八代村二所神社 亀趺碑
===古の文人を顕彰するもの===
*山口県防府市天満宮 大相国菅公廟碑
*兵庫県[[明石市]]柿本神社 柿本人麿碑
*島根県[[益田市]]柿本神社 柿本大明神神詞碑
===南朝功臣を顕彰するもの===
*兵庫県[[神戸市]][[湊川神社]] 「嗚呼忠臣楠子之墓」亀趺
*[[熊本県]][[菊池市]]正観寺 菊池武光(正観公)神道碑
*熊本県菊池市 菊池武重碑
*[[三重県]][[津市]]結城神社 結城神君碑
===僧侶を顕彰するもの===
*東京都[[台東区]]上野[[寛永寺]] 了翁禅師碑
*長崎県[[長崎市]]今籠町大音寺 伝誉上人碑
*[[滋賀県]][[大津市]][[延暦寺]]瑠璃堂 全宗上人碑
*滋賀県大津市延暦寺亀井堂 詮舜阿闍梨碑
===賢人を顕彰するもの===
*鹿児島県[[加治木町]] 桐原正左衞門墓石
*鹿児島県加治木町 江夏友賢墓石
*鹿児島県加治木町 伊集院源次郎忠真墓石
*鳥取県鳥取市摩尼寺下 小泉友賢墓石  
===舎利塔===
*茨城県[[坂東市]](旧[[猿島郡]][[猿島町]])万蔵院 亀趺塔
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*[[伝説の生物一覧]]
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*[[中国の妖怪一覧]]
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*[[玄武]]
*[[玄武]]


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2024年6月13日 (木) 23:25時点における最新版

北京市香山公園に残る贔屓が背負う石柱。

贔屓(贔屭、ひき、拼音: Bìxì)は、中国における伝説上の生物。石碑の台になっているのは亀趺(きふ、拼音: Guīfū)と言う。覇下(はか)とも呼ばれる。

概要

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中国の伝説によると、贔屓はが生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つで、その姿はに似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味のだが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。

「贔」「屓」のどちらの字にも「貝」が含まれることから着想して、もとの意味は「財貨を多く抱える」で、そこから「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった説明されることがある[1]が、これは俗説である。『説文解字』の篆書に示されているように、「贔」という字に含まれる「貝」は「罒+大」の変化、「屓」という字に含まれる「貝」は「自」の変化であるため、財貨とは関係がない。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す擬音語に由来する。

代の李東陽(1447–1516)が著した『懐麓堂集』や、楊慎(1488–1559)が著した『升庵外集』にその名が見られる。

類例

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日本の亀趺

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大名墓地等

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亀趺碑が墓地内に複数建てられているもの

大名の先祖や大名個人を顕彰するもの

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菩提寺等を顕彰するもの(実質大名を顕彰)

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神格等を顕彰するもの

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文廟(孔子廟)関係

寺院等を顕彰するもの

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神社等を顕彰するもの

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  • 山口県防府市右田玉里神社 亀趺碑
  • 山口県防府市大道繁枝神社 亀趺碑
  • 山口県熊毛郡八代村二所神社 亀趺碑

古の文人を顕彰するもの

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  • 山口県防府市天満宮 大相国菅公廟碑
  • 兵庫県明石市柿本神社 柿本人麿碑
  • 島根県益田市柿本神社 柿本大明神神詞碑

南朝功臣を顕彰するもの

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僧侶を顕彰するもの

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賢人を顕彰するもの

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  • 鹿児島県加治木町 桐原正左衞門墓石
  • 鹿児島県加治木町 江夏友賢墓石
  • 鹿児島県加治木町 伊集院源次郎忠真墓石
  • 鳥取県鳥取市摩尼寺下 小泉友賢墓石  

舎利塔

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脚注

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  1. ^ 鎌田正、米山寅太郎『新版 漢語林』(六版)大修館書店、1999年4月1日(原著1994-4-1)、1049頁。ISBN 4469031070 

参考文献

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関連項目

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