「F-102 (戦闘機)」の版間の差分
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| ユニットコスト=1,200,000 [[USドル]] |
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{{Double image|right|Convair YF-102 on Ramp E-2550.jpg|150|Convair |
{{Double image|right|Convair YF-102 on Ramp E-2550.jpg|150|Convair F-102A-30-CO Delta Dagger 54-1374 (JF-102A) on ramp E-2551.jpg|150|YF-102|YF-102A}} |
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'''F-102'''は[[ジェネラル・ダイナミクス]]社の[[コンベア]]部門が開発し、[[アメリカ空軍]]に制式採用された[[戦闘機]]([[要撃機]])。愛称はデルタダガー(Delta Dagger |
'''F-102'''は[[ジェネラル・ダイナミクス]]社の[[コンベア]]部門が開発し、[[1953年]]に初飛行し[[アメリカ空軍]]に制式採用された[[戦闘機]]([[要撃機]])である<ref name="National Museum">{{Cite web|url=https://www.nationalmuseum.af.mil/Visit/Museum-Exhibits/Fact-Sheets/Display/Article/198057/convair-f-102a-delta-dagger/ |title=Convair F-102A Delta Dagger |author=U.S. Air Force |date= |work= |publisher= |accessdate=2020-02-16 }}</ref>。愛称はデルタダガー(Delta Dagger<ref>ただしこの愛称は配備からかなり後に付けられたため浸透せず、非公式な愛称である「[[デュース]]」(型番の2に由来)の方が広く用いられていた。</ref>)。 |
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俗に[[センチュリーシリーズ]]と呼ばれる一連の |
俗に[[センチュリーシリーズ]]と呼ばれる一連の機体のひとつである。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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アメリカ空軍は[[北アメリカ大陸|北米大陸]]に来襲すると想定された[[ソビエト連邦|ソ連]]の核武装[[爆撃機]]を要撃する目的で、[[1949年]]から新型迎撃機の検討に着手した |
[[第二次世界大戦]]直後に始まった[[冷戦]]下において、アメリカ空軍は[[北アメリカ大陸|北米大陸]]に来襲すると想定された[[ソビエト連邦|ソ連]]の核武装[[爆撃機]]を要撃する目的で、[[1949年]]から新型迎撃機の検討に着手した。 |
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[[1950年]]にMX1154として新型迎撃機の提案要求が航空機メーカーで出され、コンベア社案がF-102として採用された。開発契約は[[1951年]]に結ばれている。F-102の機体形状は[[インテイク]]を胴体側面に持つ単発[[翼平面形#デルタ翼|デルタ翼]]機で、垂直尾翼も三角翼と、前作[[XF-92 (航空機)|XF-92]]に続き、[[ペーパークリップ作戦]]によりアメリカにわたり、その後コンベアに在籍していた[[ドイツ]]人技術者である[[アレクサンダー・リピッシュ|アレキサンダー・マルティン・リピッシュ]]のコンセプトが色濃く発揮されている。 |
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F-102の最も有名な逸話に[[エリアルール]]の初採用がある。YF-102の初号機は[[1953年]][[10月24日]]に初飛行したが間もなく墜落し、開発は試作2号機の完成まで遅延した。YF-102は10機製造され、各種試験・改装が行われたものの、[[音速]]領域で[[衝撃波]]の発生により[[造波抵抗|抵抗]]が急増する[[抵抗発散]]のため、風洞試験の予測通り水平飛行で音速を超える事はできず、一時は計画中止も危ぶまれた。 |
F-102の最も有名な逸話に[[エリアルール]]の初採用がある。YF-102の初号機は[[1953年]][[10月24日]]に初飛行したが間もなく墜落し、開発は試作2号機の完成まで遅延した。YF-102は10機製造され、各種試験・改装が行われたものの、[[音速]]領域で[[衝撃波]]の発生により[[造波抵抗|抵抗]]が急増する[[抵抗発散]]のため、風洞試験の予測通り水平飛行で音速を超える事はできず、一時は計画中止も危ぶまれた。 |
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そのため11号機(YF-102A)以降において、エンジンを[[プラット・アンド・ホイットニー|P&W]][[プラット・アンド・ホイットニーJT3C|J57-P-11]](A/B推力:6,804kg)から同P-23(7,258kg)に増強すると共に、[[NACA]][[ラングレー研究所]]の[[リチャード・ウィットカム]]([[:en:Richard T. Whitcomb|Richard T. Whitcomb]])が発見したばかりのエリアルール理論を基に、抜本的に改設計してようやく音速を超えることができた。機体の断面積変化を滑らかにすると抵抗が減少するという単純な法則で、機体の主翼部取付部は断面積が急増するので、これを相殺するため胴体中央部のくびれと尾部の張り出しを設け、断面積勾配をなだらかにするもので、その他にも胴体延長、キャノピー変更、主翼の大きな前縁キャンバーと端部捻り上げ等、別機と言って良いほど外観が変更された。 |
そのため11号機(YF-102A)以降において、エンジンを[[プラット・アンド・ホイットニー|P&W]][[プラット・アンド・ホイットニー JT3C|J57-P-11]](A/B推力:6,804kg)から同P-23(7,258kg)に増強すると共に、[[NACA]][[ラングレー研究所]]の[[リチャード・ウィットカム]]([[:en:Richard T. Whitcomb|Richard T. Whitcomb]])が発見したばかりのエリアルール理論を基に、抜本的に改設計してようやく音速を超えることができた。機体の断面積変化を滑らかにすると抵抗が減少するという単純な法則で、機体の主翼部取付部は断面積が急増するので、これを相殺するため胴体中央部のくびれと尾部の張り出しを設け、断面積勾配をなだらかにするもので、その他にも胴体延長、キャノピー変更、主翼の大きな前縁キャンバーと端部捻り上げ等、別機と言って良いほど外観が変更された。 |
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電子装置の開発も遅延し、新型の[[射撃管制装置|火器管制装置]]MX1179の完成は間に合わなかったため、当初は[[F- |
電子装置の開発も遅延し、新型の[[射撃管制装置|火器管制装置]]MX1179の完成は間に合わなかったため、当初は[[F-86D (航空機)|F-86D]]由来のE-9(後のMG-3)を装備している。MG-3は後にMG-10に更新されたほか、[[1960年代]]に入ると[[半自動式防空管制組織|SAGEシステム]]の整備に従い、これとリンクし半自動的要撃が可能となっている。 |
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YF-102Aは[[1954年]][[12月20日]]に初飛行し、翌[[12月21日|21日]]には音速突破を果したが、既にマッハ2級を目指した[[ロッキード]] [[F-104 (戦闘機)|F-104]]が同年[[2月]]に進空した後だった(実際にマッハ2を突破するのは翌年)。量産型のF-102Aは翌[[1955年]]から配備開始されたが、クック・クレイギー・プランによって既にYF-102用の生産[[治具]]が用意されてしまっており、F-102Aの量産に当ってそれらの大半を作り直さねばならず、多大な時間的・金銭的浪費と資材の無駄をもたらした。 |
YF-102Aは[[1954年]][[12月20日]]に初飛行し、翌[[12月21日|21日]]には音速突破を果したが、既にマッハ2級を目指した[[ロッキード]] [[F-104 (戦闘機)|F-104]]が同年[[2月]]に進空した後だった(実際にマッハ2を突破するのは翌年)。量産型のF-102Aは翌[[1955年]]から配備開始されたが、クック・クレイギー・プランによって既にYF-102用の生産[[治具]]が用意されてしまっており、F-102Aの量産に当ってそれらの大半を作り直さねばならず、多大な時間的・金銭的浪費と資材の無駄をもたらした。 |
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[[File:AIM-4D.jpg|thumb|250px|開放状態としたF-102のウェポンベイ<br />側面ベイにAIM-4Dミサイル、下面ベイにAIM-26ミサイルが搭載されている。ベイドアの先端断面にある3連の孔が2.75インチロケット弾の発射孔]] |
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固定[[機銃]]はなく、通常弾頭型[[AIM-4 (ミサイル)|AIM-4 ファルコン]]空対空ミサイル又は核弾頭型[[AIM-26 (ミサイル)|AIM-26Aファルコン]](最大6発)を機体下部左右側面および下面の3つの[[爆弾槽|ウェポンベイ]]に搭載し、[[Mk4 FFAR|Mk4 FFAR マイティ・マウス]] 2.75インチ空対空[[ロケット弾]]24発をウェポンベイの扉を兼用する発射機<ref>ウェポンベイドアに1枚あたり3基のロケット弾発射筒が内蔵されており、ドアは4枚あるため合計12基の発射筒が備えられている。1基の発射筒には縦列に2発のロケット弾を装弾し、総数24発を搭載する。発射筒の中央には開閉式の隔壁と発射炎排気口が設けられ、前後のロケット弾を分離していた。</ref>に搭載できた。 |
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F-102の低性能は空軍を失望させ、より性能の優れた要撃機の開発が急務となった。新型の火器管制装置MX1179を搭載し、空力的改良とパワーアップも加えた改良型:F-102B計画は、[[1956年]]に[[F-106 (戦闘機)|F-106]]として制式採用された。しかし非常に高価であったため、F-106配備数は340機に留まった。そのため空軍は、元来は別目的の機体であった[[F-101 (戦闘機)|F-101]]戦闘機を、補完目的の要撃機として制式採用している。 |
F-102の低性能は空軍を失望させ、より性能の優れた要撃機の開発が急務となった。新型の火器管制装置MX1179を搭載し、空力的改良とパワーアップも加えた改良型:F-102B計画は、[[1956年]]に[[F-106 (戦闘機)|F-106]]として制式採用された。しかし非常に高価であったため、F-106配備数は340機に留まった。そのため空軍は、元来は別目的の機体であった[[F-101 (戦闘機)|F-101]]戦闘機を、補完目的の要撃機として制式採用している。 |
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[[ファイル:509th Fighter-Interceptor Squadron Convair TF-102A-30-CO Delta Dagger 55-4042.jpg|250px|サムネイル|TF-102A サイドバイサイド配置のコックピットにより機首が太くなっている]] |
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また、サイド・バイ・サイド式の座席配置の[[練習機]]型TF-102も120機が製造された。操縦席が横に広がったため、エンジンのインテイク部分がF-102Aと大きく異なる。単座型と同じ火器管制装置と武装を有し、戦闘練習機とする目論見だったが、操縦席周りの抵抗増からダイブ時以外音速を超えられない鈍足振りで、純粋な練習機として運用された。本機の失敗を教訓として、これ以降単座戦闘機を改造して練習機兼用の複座型を派生する際には、タンデム配置にするのが通例とされている。 |
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また[[練習機]]型TF-102Aも111機が製造された。当時、F-86D、[[F-89 (戦闘機)|F-89]]、[[F-94 (戦闘機)|F-94]]といった全天候戦闘機の訓練には[[T-33 (航空機)|T-33]]とレーダーを装備した[[B-25 (航空機)|B-25]]が使われていたが、ジェット機への移行とアビオニクスの操作の訓練を別々に行う非効率が指摘されていたこと、またそれらのパイロットを将来的にF-102に移行させるためには、米空軍では実用機が本機しか存在しないデルタ翼の離着陸時の高[[迎角|AOA]]などの操縦特性を教育する必要性から、二重操縦装置を持ち、教官と訓練生との意思疎通の容易なサイドバイサイド配置の本機が開発された。同様にサイドバイサイド配置を採用した超音速戦闘機の練習機型には[[イギリス]]の[[イングリッシュ・エレクトリック ライトニング|ライトニング]]の例がある。 |
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胴体前部を再設計したこと、キャノピー形状の問題から発生したバフェッティング対策としてボーテックスジェネレータを付加したこと、さらには練習機としての用途を満たすために速度よりも視界の改善を図ったことなどから最高速度は高度3万8000フィートでマッハ0.97となったが、浅くダイブをかけることで音速を突破できた。水平飛行で音速を突破できなかった事は、当時としては致命的な問題とみなされたため、当初の目論みである実用戦闘機との兼務は放棄され、単座型と同じアビオニクスは搭載せず、慣熟飛行の訓練のみに用いられる事となり、F-102A装備の飛行隊あたり2機のTF-102Aが配備された。また、同じコンベア社製でデルタ翼の[[B-58 (航空機)|B-58ハスラー]]の乗員の訓練にも使用された。 |
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== 運用 == |
== 運用 == |
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1955年より量産開始され、総計879機が生産された。北米大陸防空が主務であったため交戦記録はない。 |
1955年より量産開始され、総計879機が生産された。アメリカ空軍においては、北米大陸防空が主任務であったため、国外派遣されるまで交戦記録はない。 |
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[[航空宇宙防衛軍団]]から[[1960年代]]後半より順次退役し、1970年までに全機退役した。以降は[[空軍州兵]]において[[1976年]]まで運用されている。第43代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・W・ブッシュ]]がテキサス空軍州兵のパイロット時代([[1968年]]から[[1973年]])に、[[ベトナム戦争]]への招集を不当に免れていた疑惑でスキャンダルになっているが、その時に搭乗していた機体が本機であった。 |
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日活製作映画「日本列島」42:45から貴重な日本上空飛行シーンがみれる。 |
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== 各型 == |
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== 仕様(F-102A) == |
== 仕様(F-102A) == |
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[[ファイル:Convair F-102 Delta Dagger wireframe.png|right|350px|F-102 透過図]] |
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{{航空機スペック |
{{航空機スペック |
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|ジェット or プロペラ?=ジェット |
|ジェット or プロペラ?=ジェット |
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|出典=The Great Book of Fighters<ref>Green, William and Gordon Swanborough. ''The Great Book of Fighters''. St. Paul, Minnesota: MBI Publishing, 2001. ISBN 0-7603-1194-3.</ref> |
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|乗員=1 |
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<!-- 武装= に直接書いても良いし、以下のパラメタを使っても良い --> |
<!-- 武装= に直接書いても良いし、以下のパラメタを使っても良い --> |
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|ロケット弾=[[Mk4 FFAR|Mk4 FFAR マイティ・マウス]] 70 mmロケット弾 × 24 |
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** [[AIM-26 (ミサイル)|AIM-26 ファルコン]](通常弾頭又は核弾頭) × 1 |
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== 登場作品 == |
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; 『[[海底軍艦 (映画)|海底軍艦]]』 |
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* 第43代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]]は、1968年から1973年まで[[テキサス空軍州兵]]に在籍しF-102Aのパイロットも勤めた。 |
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: [[国連軍]]所属機として2機登場。[[海底軍艦 (映画)#登場キャラクター|ムウ帝国]]からの攻撃を警戒すべく出撃する。 |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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{{commons|F-102 Delta Dagger}} |
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* コンベアF-102デルタダガー(世界の傑作機 No.81)文林堂 2000年 ISBN 9784893190789 |
* コンベアF-102デルタダガー(世界の傑作機 No.81)文林堂 2000年 ISBN 9784893190789 |
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* ミリタリーエアクラフト 1994年1月号 「アメリカ空軍戦闘機 1945-1993」 P.68 デルタ出版 |
* ミリタリーエアクラフト 1994年1月号 「アメリカ空軍戦闘機 1945-1993」 P.68 デルタ出版 |
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* 航空ファン別冊 No.32 アメリカ軍用機1945~1986 空軍 |
* 航空ファン別冊 No.32 アメリカ軍用機1945~1986 空軍編 文林堂 雑誌コード 03344-8 1986年 |
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== 脚注 == |
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[[bs:Convair F-102]] |
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2024年6月15日 (土) 14:49時点における最新版
F-102 デルタダガー
F-102はジェネラル・ダイナミクス社のコンベア部門が開発し、1953年に初飛行しアメリカ空軍に制式採用された戦闘機(要撃機)である[1]。愛称はデルタダガー(Delta Dagger[2])。
俗にセンチュリーシリーズと呼ばれる一連の機体のひとつである。
概要[編集]
第二次世界大戦直後に始まった冷戦下において、アメリカ空軍は北米大陸に来襲すると想定されたソ連の核武装爆撃機を要撃する目的で、1949年から新型迎撃機の検討に着手した。
1950年にMX1154として新型迎撃機の提案要求が航空機メーカーで出され、コンベア社案がF-102として採用された。開発契約は1951年に結ばれている。F-102の機体形状はインテイクを胴体側面に持つ単発デルタ翼機で、垂直尾翼も三角翼と、前作XF-92に続き、ペーパークリップ作戦によりアメリカにわたり、その後コンベアに在籍していたドイツ人技術者であるアレキサンダー・マルティン・リピッシュのコンセプトが色濃く発揮されている。
1951年12月にYF-102が正式発注されたが、これは試作機を表すY記号がついているものの純粋な試作機をパスして、いきなり量産準備型の生産に入る「クック・クレイギー・プラン」方式で開発が急がれた。先に生産ラインを組み、スローペースで量産準備型を製作しつつ並行してテストを行い、結果を本格量産型にフィードバックすることで開発期間の大幅短縮を目論むものだったが、基本設計に問題が発見された場合には、混乱を招くリスクがある。本機の場合は、ボマー・ギャップの解消を早急に行う目的と、先行して開発されたXF-92のデータが活用できるため問題は少ないと考えられた。しかしながら後述の通り、本機はクック・クレイギー・プランの最悪例になってしまった。
F-102の最も有名な逸話にエリアルールの初採用がある。YF-102の初号機は1953年10月24日に初飛行したが間もなく墜落し、開発は試作2号機の完成まで遅延した。YF-102は10機製造され、各種試験・改装が行われたものの、音速領域で衝撃波の発生により抵抗が急増する抵抗発散のため、風洞試験の予測通り水平飛行で音速を超える事はできず、一時は計画中止も危ぶまれた。
そのため11号機(YF-102A)以降において、エンジンをP&WJ57-P-11(A/B推力:6,804kg)から同P-23(7,258kg)に増強すると共に、NACAラングレー研究所のリチャード・ウィットカム(Richard T. Whitcomb)が発見したばかりのエリアルール理論を基に、抜本的に改設計してようやく音速を超えることができた。機体の断面積変化を滑らかにすると抵抗が減少するという単純な法則で、機体の主翼部取付部は断面積が急増するので、これを相殺するため胴体中央部のくびれと尾部の張り出しを設け、断面積勾配をなだらかにするもので、その他にも胴体延長、キャノピー変更、主翼の大きな前縁キャンバーと端部捻り上げ等、別機と言って良いほど外観が変更された。
電子装置の開発も遅延し、新型の火器管制装置MX1179の完成は間に合わなかったため、当初はF-86D由来のE-9(後のMG-3)を装備している。MG-3は後にMG-10に更新されたほか、1960年代に入るとSAGEシステムの整備に従い、これとリンクし半自動的要撃が可能となっている。
YF-102Aは1954年12月20日に初飛行し、翌21日には音速突破を果したが、既にマッハ2級を目指したロッキード F-104が同年2月に進空した後だった(実際にマッハ2を突破するのは翌年)。量産型のF-102Aは翌1955年から配備開始されたが、クック・クレイギー・プランによって既にYF-102用の生産治具が用意されてしまっており、F-102Aの量産に当ってそれらの大半を作り直さねばならず、多大な時間的・金銭的浪費と資材の無駄をもたらした。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/AIM-4D.jpg/250px-AIM-4D.jpg)
側面ベイにAIM-4Dミサイル、下面ベイにAIM-26ミサイルが搭載されている。ベイドアの先端断面にある3連の孔が2.75インチロケット弾の発射孔
固定機銃はなく、通常弾頭型AIM-4 ファルコン空対空ミサイル又は核弾頭型AIM-26Aファルコン(最大6発)を機体下部左右側面および下面の3つのウェポンベイに搭載し、Mk4 FFAR マイティ・マウス 2.75インチ空対空ロケット弾24発をウェポンベイの扉を兼用する発射機[3]に搭載できた。
F-102はデルタ翼特有の広大な機内スペースにより燃料搭載量が多く、超音速機としては空中給油の援助なしでも滞空時間が長く哨戒任務には適していたが、依然アンダーパワーで加速性・上昇力に劣り、また当時の電子機器の耐G性の低さから機動に強い制約があり、対戦闘機戦闘は回避するよう厳命されていた。
F-102の低性能は空軍を失望させ、より性能の優れた要撃機の開発が急務となった。新型の火器管制装置MX1179を搭載し、空力的改良とパワーアップも加えた改良型:F-102B計画は、1956年にF-106として制式採用された。しかし非常に高価であったため、F-106配備数は340機に留まった。そのため空軍は、元来は別目的の機体であったF-101戦闘機を、補完目的の要撃機として制式採用している。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/08/509th_Fighter-Interceptor_Squadron_Convair_TF-102A-30-CO_Delta_Dagger_55-4042.jpg/250px-509th_Fighter-Interceptor_Squadron_Convair_TF-102A-30-CO_Delta_Dagger_55-4042.jpg)
また練習機型TF-102Aも111機が製造された。当時、F-86D、F-89、F-94といった全天候戦闘機の訓練にはT-33とレーダーを装備したB-25が使われていたが、ジェット機への移行とアビオニクスの操作の訓練を別々に行う非効率が指摘されていたこと、またそれらのパイロットを将来的にF-102に移行させるためには、米空軍では実用機が本機しか存在しないデルタ翼の離着陸時の高AOAなどの操縦特性を教育する必要性から、二重操縦装置を持ち、教官と訓練生との意思疎通の容易なサイドバイサイド配置の本機が開発された。同様にサイドバイサイド配置を採用した超音速戦闘機の練習機型にはイギリスのライトニングの例がある。
胴体前部を再設計したこと、キャノピー形状の問題から発生したバフェッティング対策としてボーテックスジェネレータを付加したこと、さらには練習機としての用途を満たすために速度よりも視界の改善を図ったことなどから最高速度は高度3万8000フィートでマッハ0.97となったが、浅くダイブをかけることで音速を突破できた。水平飛行で音速を突破できなかった事は、当時としては致命的な問題とみなされたため、当初の目論みである実用戦闘機との兼務は放棄され、単座型と同じアビオニクスは搭載せず、慣熟飛行の訓練のみに用いられる事となり、F-102A装備の飛行隊あたり2機のTF-102Aが配備された。また、同じコンベア社製でデルタ翼のB-58ハスラーの乗員の訓練にも使用された。
運用[編集]
1955年より量産開始され、総計879機が生産された。アメリカ空軍においては、北米大陸防空が主任務であったため、国外派遣されるまで交戦記録はない。
1959年から後継機であるF-106の配備が始まったため、本土外への配備を開始した。西ドイツ、オランダのNATO諸国や、日本の横田基地、板付基地、三沢基地などに展開している。なおその際には、旧式となったF-86Dが、同盟諸国に供与されている。
1961年からはタイ王国に進出し、アメリカ空軍がベトナム戦争初期に運用した戦闘機として、1962年から1970年に掛けてベトナムにおける空対空戦闘に投入され若干の損失を出している、また地上攻撃にも使用された。なおF-106については生産数が限られた事から、F-102のような本土外配備はほとんどなされなかった。
旧態化した1969年以降は、ギリシャ空軍とトルコ空軍にも供与されている。トルコ空軍のF-102は1974年のキプロス島侵攻作戦中に起きたギリシャ空軍との戦闘で、2機のF-5戦闘機を撃墜する戦果をあげている(ギリシャ空軍のF-102の戦果の記録は無い)。
航空宇宙防衛軍団から1960年代後半より順次退役し、1970年までに全機退役した。以降は空軍州兵において1976年まで運用されている。第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュがテキサス空軍州兵のパイロット時代(1968年から1973年)に、ベトナム戦争への招集を不当に免れていた疑惑でスキャンダルになっているが、その時に搭乗していた機体が本機であった。
アメリカ空軍所属機は、用廃後200機以上がPQM-102A無人標的機に改造され、1970年代を通じ消尽された。
日活製作映画「日本列島」42:45から貴重な日本上空飛行シーンがみれる。
各型[編集]
- YF-102 - 初期試作機
- YF-102A - 改良型試作機
- F-102A - 単座全天候要撃機。889機生産。
- TF-102A - 複座訓練機。111機生産。
- F-102B - F-106A デルタダートの開発初期の名称。
- QF-102A - 複座有人標的ドローン(F-102Aから改造)
- PQM-102A - 無人標的ドローン。1973年以降、200機以上がF-102Aから改造。
- PQM-102B - 無人標的ドローン
仕様(F-102A)[編集]
![F-102 透過図](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/34/Convair_F-102_Delta_Dagger_wireframe.png/350px-Convair_F-102_Delta_Dagger_wireframe.png)
![F-102A 三面図](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/75/Convair_F-102_Delta_Dagger_3-view_line_drawing.svg/350px-Convair_F-102_Delta_Dagger_3-view_line_drawing.svg.png)
出典: The Great Book of Fighters[4]
諸元
- 乗員: 1
- 全長: 20.83 m (68 ft 4 in)
- 全高: 6.45 m (21 ft 2 in)
- 翼幅: 11.61 m(38 ft 1 in)
- 翼面積: 64.57 m2 (695 ft2)
- 空虚重量: 8,777 kg (19,350 lb)
- 運用時重量: 11,100 kg (24,500 lb)
- 最大離陸重量: 14,300 kg (31,500 lb)
- 動力: P&W J57-P-25 アフターバーナー付ターボジェット
- ドライ推力: 52.0 kN (11,700 lbf) × 1
- アフターバーナー使用時推力: 76.5 kN (17,200 lbf) × 1
- 内部燃料容量: 4,107 L (1,085 US gal)
- 外部燃料容量: 815 L (215 US gal)外部増槽 × 2
性能
- 最大速度: 1,304 km/h (704 kt) (12,190 m(40,000 ft)時)
- 航続距離: 2,175 km (1,170 nm)
- 実用上昇限度: 16,300 m (53,400 ft)
- 上昇率: 66 m/s (13,000 ft/min)
- 翼面荷重: 172 kg/m2 (35 lb/ft2)
- 推力重量比: 0.70
武装
- ロケット弾: Mk4 FFAR マイティ・マウス 70 mmロケット弾 × 24
- ミサイル:
- AIM-4 ファルコン × 6
- AIM-26 ファルコン(通常弾頭又は核弾頭) × 1
- アビオニクス:
- MG-10 FCS
登場作品[編集]
参考文献[編集]
- コンベアF-102デルタダガー(世界の傑作機 No.81)文林堂 2000年 ISBN 9784893190789
- ミリタリーエアクラフト 1994年1月号 「アメリカ空軍戦闘機 1945-1993」 P.68 デルタ出版
- 航空ファン別冊 No.32 アメリカ軍用機1945~1986 空軍編 文林堂 雑誌コード 03344-8 1986年
脚注[編集]
- ^ a b c U.S. Air Force. “Convair F-102A Delta Dagger”. 2020年2月16日閲覧。
- ^ ただしこの愛称は配備からかなり後に付けられたため浸透せず、非公式な愛称である「デュース」(型番の2に由来)の方が広く用いられていた。
- ^ ウェポンベイドアに1枚あたり3基のロケット弾発射筒が内蔵されており、ドアは4枚あるため合計12基の発射筒が備えられている。1基の発射筒には縦列に2発のロケット弾を装弾し、総数24発を搭載する。発射筒の中央には開閉式の隔壁と発射炎排気口が設けられ、前後のロケット弾を分離していた。
- ^ Green, William and Gordon Swanborough. The Great Book of Fighters. St. Paul, Minnesota: MBI Publishing, 2001. ISBN 0-7603-1194-3.