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'''ローツェ'''(Lhotse {{lang-bo|ལྷོ་རྩེ}}; {{lang-ne|ल्होत्से}})は、[[ヒマラヤ山脈]]の[[エベレスト]]の南に連なる[[山]]。標高は8,516mで世界第4位。主峰の他に中央峰(8,414m 、シャール峰(8,383 m、東峰)がある。ローツェは[[チベット語]]で「ロー=南、ツェ=峰」の意で、エベレストの南峰であることを意味する。ローツェの頂上と[[エベレスト]]の頂上は、直線で約3kmほどしか離れていない。
'''ローツェ'''(Lhotse; {{lang-bo|ལྷོ་རྩེ}}、{{lang-zh|洛子峰}}、{{lang-ne|ल्होत्से}})は、[[ヒマラヤ山脈]]の[[エベレスト]]の南に連なる[[山]]。標高は8516 mで世界第4位。主峰の他に中央峰(8414 m)、シャール峰(8383 m、東峰)がある。ローツェは[[チベット語]]で「ロー=南、ツェ=峰」の意で、エベレストの南峰であることを意味する。ローツェの頂上と[[エベレスト]]の頂上は、直線で約3 kmほどしか離れていない。


== 登山ルート ==
== 登山ルート ==
ローツェの頂上に至る標準的なルートは、約7800mまではエベレストの[[ノーマルルート]]と同じ道を辿る<ref>[http://www.explorersweb.com/everest_k2/news.php?id=1686 Lhotse 2006: Simone Moro's new route on the West face] Explorersweb 2006年3月15日</ref>。
ローツェの頂上に至る標準的なルートは、約7800 mまではエベレストの[[ノーマルルート]]と同じ道を辿る<ref>[http://www.explorersweb.com/everest_k2/news.php?id=1686 Lhotse 2006: Simone Moro's new route on the West face] Explorersweb 2006年3月15日</ref>。
このルートでは、まず[[エベレスト・ベースキャンプ|ベースキャンプ]]を出発してから難所のクーンブ・アイスフォールを越え、西壁を登る途中でエベレストに向かうルートと分岐し、最後に狭いクーロワールを通って頂上に至る。
このルートでは、まず[[エベレスト・ベースキャンプ|ベースキャンプ]]を出発してから難所のクーンブ・アイスフォールを越え、西壁を登る途中でエベレストに向かうルートと分岐し、最後に狭いクーロワールを通って頂上に至る。


=== 西壁 ===
=== 西壁 ===
ローツェは、[[サウスコル]]と呼ばれる[[鞍部]]を経て[[エベレスト]]につながっている。ローツェの西側面は「ローツェ・フェース」として知られている。サウスコルを通って[[エベレスト]]へと向かう[[登山家]]は、この高さ1,125 mに及ぶ氷壁を登らなければならない。この氷壁は通常で40度から50度、場所によっては80度以上になる勾配を持つ。氷壁の上には「イエロー・バンド」「ジュネーブのシュプール(ジェネバ・スパー)」と呼ばれる2つの岩場がある。
ローツェは、[[サウスコル]]と呼ばれる[[鞍部]]を経て[[エベレスト]]につながっている。ローツェの西側面は「ローツェ・フェース」として知られている。サウスコルを通って[[エベレスト]]へと向かう[[登山家]]は、この高さ1125 mに及ぶ氷壁を登らなければならない。この氷壁は通常で40度から50度、場所によっては80度以上になる勾配を持つ。氷壁の上には「イエロー・バンド」「ジュネーブのシュプール(ジェネバ・スパー)」と呼ばれる2つの岩場がある。


=== 南壁 ===
=== 南壁 ===
ローツェ南壁は標高差が3,300mあり、世界屈指の大岩壁である。登攀は極めて難しく、[[ラインホルト・メスナー]]ら世界の名だたるアルピニスト達の挑戦を退け、[[イェジ・ククチカ]]や[[ニコラ・ジャジェール]]らのクライマーが、ここに眠っている。過去、[[1990年]]5月に[[スロベニア]]の[[トモ・チェセン]]が単独・無酸素で45時間20分かかり初制覇したとされる他、同年秋にソ連隊17人中の2人が南壁の別ルートから登頂を果たしたのみであった<ref>[http://www.big.or.jp/~arimochi/info.01.03.27.07.html アルパインクライミングホームページ(2001年3月27日の記事)]</ref>。なお、トモ・チェセンの登攀は登頂証明とされる写真が他人から借用したものだったこと、登頂時に見たとする景色がロシア隊や後に挑戦したピエール・ベジャンなどの証言とあまりに食い違うことから、現在では疑義を呈されている。 [[2006年]][[12月27日]]に、[[田辺治]]を隊長とする日本山岳会東海支部の[[パーティ]]が、冬季としては史上初の南壁登攀を達成した<ref>[http://www.jac-tokai.jp/page104.html (社)日本山岳会東海支部(ローツェ南壁登山隊2006)]</ref>。ただし、体力を消耗していたため登頂は断念した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/zoomup/zo_07011001.htm?from=os1 あと41メートル…無情の頂] 読売新聞 2007年1月10日</ref>。
ローツェ南壁は標高差が3300 mあり、世界屈指の大岩壁である。登攀は極めて難しく、[[ラインホルト・メスナー]]ら世界の名だたるアルピニスト達の挑戦を退け、[[イェジ・ククチカ]]や[[ニコラ・ジャジェール]]らのクライマーが、ここに眠っている。過去、[[1990年]]5月に[[スロベニア]]の[[トモ・チェセン]]が単独・無酸素で45時間20分かかり初制覇したとされる他、同年秋にソ連隊17人中の2人が南壁の別ルートから登頂を果たしたのみであった<ref>[http://www.big.or.jp/~arimochi/info.01.03.27.07.html アルパインクライミングホームページ(2001年3月27日の記事)]</ref>。なお、トモ・チェセンの登攀は登頂証明とされる写真が他人から借用したものだったこと、登頂時に見たとする景色がロシア隊や後に挑戦したピエール・ベジャンなどの証言とあまりに食い違うことから、現在では疑義を呈されている。 [[2006年]][[12月27日]]に、[[田辺治]]を隊長とする日本山岳会東海支部の[[パーティ]]が、冬季としては史上初の南壁登攀を達成した<ref>[http://www.jac-tokai.jp/page104.html (社)日本山岳会東海支部(ローツェ南壁登山隊2006)]</ref>。ただし、体力を消耗していたため登頂は断念した<ref>[https://web.archive.org/web/20070112074237/http://www.yomiuri.co.jp/zoomup/zo_07011001.htm?from=os1 あと41メートル…無情の頂] 読売新聞 2007年1月10日</ref>。


== 登頂史 ==
== 登頂史 ==
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=== 年表 ===
=== 年表 ===
* [[1956年]][[5月18日]] - スイス隊が初登頂。
* [[1956年]][[5月18日]] - スイス隊が初登頂。
* [[1965年]] - 日本隊がシャール峰に挑戦し、8,100 m地点まで登る。
* [[1965年]] - 日本隊がシャール峰に挑戦し、8100 m地点まで登る。
* [[1970年]][[5月12日]] - オーストリア隊がシャール峰初登頂、南東稜から。
* [[1970年]][[5月12日]] - オーストリア隊がシャール峰初登頂、南東稜から。
* [[1975年]] - [[リカルド・カシン]]率いるイタリア隊が南壁に挑むが雪崩により資材を流され7,500m地点で敗退。
* [[1975年]] - [[リカルド・カシン]]率いるイタリア隊が南壁に挑むが雪崩により資材を流され7500 m地点で敗退。
* [[1977年]][[5月11日]] - ドイツのミヒャエル・ダッヒャーが無酸素初登頂。
* [[1977年]][[5月11日]] - ドイツのミヒャエル・ダッヒャーが無酸素初登頂。
* [[1983年]][[10月]] - [[カモシカ同人隊]]の[[高橋和之 (登山家)|高橋和之]]らが日本人初登頂。
* [[1983年]][[10月]] - [[カモシカ同人隊]]の[[高橋和之 (登山家)|高橋和之]]らが日本人初登頂。
* [[1988年]][[12月31日]] - [[クシストフ・ヴィエリツキ]]([[ポーランド]])が冬季初登頂。
* [[1988年]][[12月31日]] - [[クシストフ・ヴィエリツキ]]([[ポーランド]])が冬季初登頂。
* [[1989年]] - [[イェジ・ククチカ]]([[ポーランド]])が未登のビッグウォールである南壁の登攀中、標高約8,200mの部位から転落死した。
* [[1989年]] - [[イェジ・ククチカ]]([[ポーランド]])が未登のビッグウォールである南壁の登攀中、標高約8200 mの部位から転落死した。
* [[1990年]]5月 - [[トモ・チェセン]]が[[アルパインスタイル]]で南壁初登頂に成功と主張するも、様々な疑惑が噴出<ref>『孤独の山』 補遺「疑惑の系譜」 p161~ </ref>。
* [[1990年]]5月 - [[トモ・チェセン]]が[[アルパインスタイル]]で南壁初登頂に成功と主張するも、様々な疑惑が噴出<ref>『孤独の山』 補遺「疑惑の系譜」 p161~ </ref>。
* [[1994年]] - [[フランス]]のシャンタル・モーデュイが女性として初めての登頂。
* [[1994年]] - [[フランス]]のシャンタル・モーデュイが女性として初めての登頂。
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== ローツェを扱った作品 ==
== ローツェを扱った作品 ==
*「[[岳]]」[[石塚真一]] 著 (ビッグコミックス) コミック18巻で、主人公が南壁を単独で登る。
*「[[岳]]」[[石塚真一]] 著 (ビッグコミックス) コミック18巻で、主人公が南壁を単独で登る。
*「[[ソロ ローツェ南壁]]」[[笹本稜平]]著(2020年4月 祥伝社文庫)旧題「ソロ」。本作も、主人公が南壁の単独踏破に挑む。

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author=トモ・チェセン |translator=[[近藤等]] |date=1998-10 |title=孤独の山―ローツェ南壁単独登攀への軌跡 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |isbn=4635178110}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author=トモ・チェセン |translator=[[近藤等]] |date=1998-10 |title=孤独の山―ローツェ南壁単独登攀への軌跡 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |isbn=4635178110}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|Lhotse|Lhotse}}
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* [[8000メートル峰]]
* [[8000メートル峰]]
* [[エベレスト南峰]] – エベレストの南方約130mの地点にあるピーク。ローツェとは異なる。
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[[Category:エベレスト周辺の地形]]
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[[Category:ヒマラヤ山脈]]
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[[Category:ネパールの山]]
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[[Category:チベット自治区の山]]
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2024年6月17日 (月) 17:05時点における最新版

ローツェ
ローツェ
標高 8516 m
所在地 ネパールの旗 ネパールサガルマタ県ソルクンブ郡
中華人民共和国の旗 中国チベット自治区ティンリ県
位置 北緯27度58分00秒 東経86度56分00秒 / 北緯27.96667度 東経86.93333度 / 27.96667; 86.93333座標: 北緯27度58分00秒 東経86度56分00秒 / 北緯27.96667度 東経86.93333度 / 27.96667; 86.93333
山系 ヒマラヤ山脈(クーンブ・ヒマール)
初登頂 1956年5月18日
スイスの旗 スイスエルンスト・ライスフリッツ・ルフジンガー
ローツェの位置(ネパール内)
ローツェ
ローツェ
ローツェの位置(アジア内)
ローツェ
ローツェ
プロジェクト 山
テンプレートを表示
エベレスト(左)とローツェ(右)

ローツェ(Lhotse; チベット語: ལྷོ་རྩེ中国語: 洛子峰ネパール語: ल्होत्से)は、ヒマラヤ山脈エベレストの南に連なる。標高は8516 mで世界第4位。主峰の他に中央峰(8414 m)、シャール峰(8383 m、東峰)がある。ローツェはチベット語で「ロー=南、ツェ=峰」の意で、エベレストの南峰であることを意味する。ローツェの頂上とエベレストの頂上は、直線で約3 kmほどしか離れていない。

登山ルート

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ローツェの頂上に至る標準的なルートは、約7800 mまではエベレストのノーマルルートと同じ道を辿る[1]。 このルートでは、まずベースキャンプを出発してから難所のクーンブ・アイスフォールを越え、西壁を登る途中でエベレストに向かうルートと分岐し、最後に狭いクーロワールを通って頂上に至る。

西壁

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ローツェは、サウスコルと呼ばれる鞍部を経てエベレストにつながっている。ローツェの西側面は「ローツェ・フェース」として知られている。サウスコルを通ってエベレストへと向かう登山家は、この高さ1125 mに及ぶ氷壁を登らなければならない。この氷壁は通常で40度から50度、場所によっては80度以上になる勾配を持つ。氷壁の上には「イエロー・バンド」「ジュネーブのシュプール(ジェネバ・スパー)」と呼ばれる2つの岩場がある。

南壁

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ローツェ南壁は標高差が3300 mあり、世界屈指の大岩壁である。登攀は極めて難しく、ラインホルト・メスナーら世界の名だたるアルピニスト達の挑戦を退け、イェジ・ククチカニコラ・ジャジェールらのクライマーが、ここに眠っている。過去、1990年5月にスロベニアトモ・チェセンが単独・無酸素で45時間20分かかり初制覇したとされる他、同年秋にソ連隊17人中の2人が南壁の別ルートから登頂を果たしたのみであった[2]。なお、トモ・チェセンの登攀は登頂証明とされる写真が他人から借用したものだったこと、登頂時に見たとする景色がロシア隊や、後に挑戦したピエール・ベジャンなどの証言とあまりに食い違うことから、現在では疑義を呈されている。 2006年12月27日に、田辺治を隊長とする日本山岳会東海支部のパーティが、冬季としては史上初の南壁登攀を達成した[3]。ただし、体力を消耗していたため登頂は断念した[4]

登頂史

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ローツェの登頂は、1956年5月18日エルンスト・ライスフリッツ・ルフジンガーが率いるスイスの登山隊によって成し遂げられた。1970年5月12日にはオーストリア隊のZepp MaierlとRolf Walterがシャール峰への登頂に成功し、2001年5月23日にロシアのEugeny Vinogradsky・Serguei Timofeev・Alexei Bolotov・Petr Kuznetsovの4人が中央峰に登頂している。

1988年12月31日に、ポーランドの登山家クシストフ・ヴィエリツキが、ローツェの冬季初登頂に成功した。

2003年10月までに243人が登頂に成功し、イェジ・ククチカら11人が命を落としている。

年表

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ローツェを扱った作品

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  • 石塚真一 著 (ビッグコミックス) コミック18巻で、主人公が南壁を単独で登る。
  • ソロ ローツェ南壁笹本稜平著(2020年4月 祥伝社文庫)旧題「ソロ」。本作も、主人公が南壁の単独踏破に挑む。

脚注

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参考文献

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  • トモ・チェセン 著、近藤等 訳『孤独の山―ローツェ南壁単独登攀への軌跡』山と溪谷社、1998年10月。ISBN 4635178110 

関連項目

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