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{{Infobox 囲碁棋士
'''青木喜久代'''(あおき きくよ、[[1968年]][[5月24日]] - )は、[[囲碁]]の[[棋士 (囲碁)|棋士]]。[[東京都]]出身、[[日本棋院]]所属、八段。[[菊池康郎]]に師事。[[女流名人戦|女流名人]]5期、[[女流鶴聖戦]]4期、[[女流最強戦]]1期、[[女流棋聖戦]]1期、[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]準優勝など。手厚くゆったりとした棋風。兄は[[青木紳一]]九段。
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| caption = <!-- 表題・タイトル -->
| 名前 = 青木喜久代
| 旧姓 = <!-- 女流棋士等名前に変更があった場合に利用してください -->
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1968|5|24}}<!-- 亡くなった場合はこちらを使用。{{生年月日と年齢|生年|月|日|no}} -->
| 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} -->
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| 所属 = 日本棋院東京本院
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| 名誉称号名乗り = <!-- 現役引退後または60歳の誕生日を迎えた後または特例で名誉称号を名乗れる場合はこちらに記載してください。-->
| 名誉称号 = <!-- 所持者の場合は入力ください -->
| タイトル = <!-- 現在保持しているタイトルを入力 -->
| 段位 = 八段<!-- 名誉称号を名乗れる場合は書かないでください -->
| タイトル合計 = 12
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| 棋聖 = <!--何期獲得かあるいは挑戦者かをお書きください -->
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| 棋聖戦リーグ =<!-- 短期在籍者・引退棋士等頻繁な変更が必要ない場合・タイトル保持経験が無い場合利用してください。棋聖戦はSリーグで起算してください -->
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| 更新日時 = 2018年9月15日<!-- 記述する必要はありません -->
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'''青木 喜久代'''(あおき きくよ、[[1968年]][[5月24日]] - )は、[[囲碁]]の[[棋士 (囲碁)|棋士]]。[[東京都]]出身、[[日本棋院]]所属、八段。[[菊池康郎]]に師事。[[女流名人戦 (囲碁)|女流名人]]5期、[[女流鶴聖戦]]4期、[[女流最強戦]]1期、[[女流棋聖戦]]1期、[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]準優勝など。手厚くゆったりとした棋風。兄は[[青木紳一]]九段。2人の娘がいる


==経歴==
==経歴==
小学1年で母親と一緒に囲碁教室に通い、碁を覚える。小学5年に菊池康郎の主宰する緑星会(現・[[緑星囲碁学園]])に入る。小学6年の1980年に[[少年少女囲碁大会]]小学生の部で4位。1981年に日本棋院院生となり、1986年入段。1990年に女流名人戦リーグで全勝優勝し、初タイトル獲得
小学1年で母親と一緒に囲碁教室に通い、碁を覚える。小学5年に菊池康郎の主宰する緑星会(現・[[緑星囲碁学園]])に入る。小学6年の1980年に[[少年少女囲碁大会]]小学生の部で4位。1981年に日本棋院[[院生 (囲碁)|院生]]となり、1986年入段。


1991年に中国の女子名人戦に招待され、リーグ5勝2敗で2位。1991年92年に女流鶴聖戦連続優勝1997年には[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]で決勝に進み、三番勝負で[[山田規三生]]に0-2で敗れ。1998年の[[本因坊|本因坊戦]]2次予選で[[依田紀基]]碁聖を破り、29年振りに女流棋士としてタイトル保持者に勝利。1999年には[[本因坊戦]]で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、[[加藤正夫]]に敗れる。
1990年に第2期[[女流名人戦 (囲碁)|女流名人戦]]リーグで全勝優勝し、初タイトル獲得。1991年には第13期[[女流鶴聖戦]]で優勝し2つ目のタイトルを獲得したほか、18連勝も記録(女流棋士史上1位)。同年には中国の[[女子名人戦]]に招待され、リーグ5勝2敗で2位。以降1990年代から2000年代前半頃まで女流棋士の第一人者として活躍。1995年から1998年にかけてはタイトルを獲れなかったが、女流名人4期(1990,1999-2000,2002年)、女流鶴聖4期(1991-1992,1994,2000年)、[[女流最強]]1期(2001年)など活躍した2000-2003年には、青木と[[小林泉美_(棋士)|小林泉美]]は女流名人戦挑戦手合4年連続で対戦している。また、1997年には決勝三番勝負で[[山田規三生]]に02で敗れたものの、[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]で[[女流棋士 (囲碁)|女流棋士]]としては史上初めて決勝戦に進出。1998年の[[本因坊|本因坊戦]]2次予選で[[依田紀基]]碁聖を破り、29年振りに女流棋士としてタイトル保持者に勝利した。1999年には[[本因坊戦]]で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、[[加藤正夫]]に敗れる。2000年に[[大手合]]で八段昇段


1999年に結婚し、2000年と2002年には、長女と次女の出産で産休を取得している。
1999年に結婚。2000年、長女出産で産休を取得。[[大手合]]で八段昇段。2002年、次女出産に伴い産休。女流名人に返り咲き。2006年にも、女流名人に返り咲き。2008年には正官庄杯世界女子囲碁最強戦に日本代表として出場し3人抜き。タイトル通算10期獲得。1991年の18連勝は女流棋士史上1位。


2006年には第18期女流名人戦で[[小山栄美]]に挑み勝利、4年ぶりのタイトルを獲得し名人5期目、通算獲得タイトルを10とした。2008年には[[正官庄杯世界女子囲碁最強戦]]に日本代表として出場し3人抜き。2009年には第28期[[女流本因坊戦]]で[[謝依旻]]に挑んだものの、1勝3敗で敗れた。
2000-2003年、青木と[[小林泉美_(棋士)|小林泉美]]は女流名人戦挑戦手合で4年連続の対戦となる。


2012年には、第15期[[女流棋聖戦]]にて挑戦手合に進出。2009年以来3年ぶりの挑戦手合であったが、史上初めて女流三冠を独占していた[[謝依旻]]に挑み、2月16日に2勝1敗で挑戦手合に勝利。自身初となる女流棋聖位を獲得し、女流タイトル獲得数11は歴代で単独2位となった(当時)。翌年は謝の挑戦に敗れたものの、2014年にも再度挑戦(0勝2敗で敗退)。同年には第27期女流名人戦で初のリーグ入り<ref group="注">[https://web.archive.org/web/20141012114049/http://www.sankei.com/life/news/140710/lif1407100006-n1.html 【女流名人戦】青木八段がリーグ初参戦] 本戦進出はリーグ戦導入前の第20期以来7期ぶり。</ref>。また、2016年にも第28期女流名人戦で挑戦手合進出、第3回[[会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦|会津中央病院杯]]で準優勝など、謝や[[藤沢里菜]]ら次世代の棋士が活躍する中でも一定の結果を残している。2021年には、この年創設された第1回[[テイケイ杯女流レジェンド戦]](45歳以上の女流棋士が対象)で優勝、12個目のタイトルを獲得した。
2012年2月16日、女流棋聖戦3番勝負にて[[謝依旻]]を2勝1敗で下して自身初となる女流棋聖タイトルを獲得した。女流タイトル獲得数を11とし、歴代で単独2位となった。


== タイトル戦 ==
2012-2014年、青木と謝依旻は女流棋聖戦挑戦手合で3年連続の対戦となる。
登場は挑戦手合か決勝。他の棋士との比較は、''[[囲碁の女流タイトル在位者一覧]]'' を参照。


{| class="wikitable" border="1"
2014年、第27期女流名人戦リーグ入り(第20期女流名人戦本戦以来7期ぶり)<ref>[http://www.sankei.com/life/news/140710/lif1407100006-n1.html 【女流名人戦】青木八段がリーグ初参戦]</ref>。
|- align="center" style="background-color: #ccf;"
|タイトル||[[番勝負]]
|獲得年度
|登場
|獲得期数
|連覇
|- align="center"
| style="" |'''[[女流本因坊戦|女流本因坊]]'''
|五番勝負<br>10‐11月
|
|1
|
|
|- align="center"
| style="" |[[女流名人戦 (囲碁)|'''女流名人''']]
|三番勝負<br>4月
|1990,99-00,02,06
|12
|5期
|2
|- align="center"
| style="" |'''[[女流棋聖戦|女流棋聖]]'''||三番勝負<br>1-2月
|2012
|3
|1期
|
|-
| colspan="6" align="center" |獲得合計12期<ref group="注">[[女流鶴聖戦]]4期、[[女流最強戦|東京精密杯女流プロ最強戦]]1期、[[テイケイ杯女流レジェンド戦]]1期を含む。</ref>
|-
|}
* [[女流鶴聖戦]] 4期(1991、92、94、2000年
* [[女流最強戦|東京精密杯女流プロ最強戦]] 1期(2001
*[[テイケイ杯女流レジェンド戦]] 1期(2021年)
(挑戦手合及び決勝戦 総登場回数 26<ref group="注">東京精密杯女流プロ最強戦・準優勝2回(2000年、2007年)、新人王戦・準優勝1回(1997年)、会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦・準優勝1回(2016年)を含む。</ref>)


=== タイトル歴 ===
{{女流囲碁棋士タイトル獲得数ランキング}}
* [[女流名人戦]] 1990、1999-2000、02、06年
* [[女流鶴聖戦]] 1991、92、94、2000年
* [[女流最強戦|東京精密杯女流プロ最強戦]] 2001
* [[女流棋聖戦]] 2012年
登場回数 22回 獲得合計 11期


=== その他の棋歴 ===
=== その他の棋歴 ===
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* [[女流本因坊戦]] 挑戦者 2009年
* [[女流本因坊戦]] 挑戦者 2009年
* 女流棋聖戦 挑戦者 2014年
* 女流棋聖戦 挑戦者 2014年
*[[会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦|会津中央病院杯]] 準優勝 2016年
* [[ペア碁選手権戦|リコー杯ペア囲碁選手権戦]] 優勝 1998、99年(ともに[[本田邦久]]とペア)、2005年([[三村智保]]とペア)
* [[ペア碁選手権戦|リコー杯ペア囲碁選手権戦]] 優勝 1998、99年(ともに[[本田邦久]]とペア)、2005年([[三村智保]]とペア)


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== 脚註 ==
== 脚註 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000255.htm 日本棋院の青木喜久代紹介ページ]
* [https://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000255.htm 日本棋院の青木喜久代紹介ページ]
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[[Category:日本の囲碁棋士]]
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2024年6月19日 (水) 13:15時点における最新版

 青木喜久代 八段
名前 青木喜久代
生年月日 (1968-05-24) 1968年5月24日(56歳)
プロ入り年 1986年
出身地 日本の旗 日本東京都
所属 日本棋院東京本院
段位 八段
概要
タイトル獲得合計 12
戦績
女流名人 5期(1990・99-00・02・06)
女流棋聖 1期(2012)
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青木 喜久代(あおき きくよ、1968年5月24日 - )は、囲碁棋士東京都出身、日本棋院所属、八段。菊池康郎に師事。女流名人5期、女流鶴聖戦4期、女流最強戦1期、女流棋聖戦1期、新人王戦準優勝など。手厚くゆったりとした棋風。兄は青木紳一九段。2人の娘がいる。

経歴[編集]

小学1年で母親と一緒に囲碁教室に通い、碁を覚える。小学5年に菊池康郎の主宰する緑星会(現・緑星囲碁学園)に入る。小学6年の1980年に少年少女囲碁大会小学生の部で4位。1981年に日本棋院院生となり、1986年入段。

1990年に第2期女流名人戦リーグで全勝優勝し、初タイトル獲得。1991年には第13期女流鶴聖戦で優勝し2つ目のタイトルを獲得したほか、18連勝も記録(女流棋士史上1位)。同年には中国の女子名人戦に招待され、リーグ5勝2敗で2位。以降、1990年代から2000年代前半頃まで女流棋士の第一人者として活躍。1995年から1998年にかけてはタイトルを獲れなかったが、女流名人4期(1990,1999-2000,2002年)、女流鶴聖4期(1991-1992,1994,2000年)、女流最強戦1期(2001年)など活躍した。2000-2003年には、青木と小林泉美は女流名人戦挑戦手合で4年連続で対戦している。また、1997年には決勝三番勝負で山田規三生に0勝2敗で敗れたものの、新人王戦女流棋士としては史上初めて決勝戦に進出。1998年の本因坊戦2次予選では依田紀基碁聖を破り、29年振りに女流棋士としてタイトル保持者に勝利した。1999年には本因坊戦で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、加藤正夫に敗れる。2000年に大手合で八段昇段。

1999年に結婚し、2000年と2002年には、長女と次女の出産で産休を取得している。

2006年には第18期女流名人戦で小山栄美に挑み勝利、4年ぶりのタイトルを獲得し名人5期目、通算獲得タイトルを10とした。2008年には正官庄杯世界女子囲碁最強戦に日本代表として出場し3人抜き。2009年には第28期女流本因坊戦謝依旻に挑んだものの、1勝3敗で敗れた。

2012年には、第15期女流棋聖戦にて挑戦手合に進出。2009年以来3年ぶりの挑戦手合であったが、史上初めて女流三冠を独占していた謝依旻に挑み、2月16日に2勝1敗で挑戦手合に勝利。自身初となる女流棋聖位を獲得し、女流タイトル獲得数11は歴代で単独2位となった(当時)。翌年は謝の挑戦に敗れたものの、2014年にも再度挑戦(0勝2敗で敗退)。同年には第27期女流名人戦で初のリーグ入り[注 1]。また、2016年にも第28期女流名人戦で挑戦手合進出、第3回会津中央病院杯で準優勝など、謝や藤沢里菜ら次世代の棋士が活躍する中でも一定の結果を残している。2021年には、この年創設された第1回テイケイ杯女流レジェンド戦(45歳以上の女流棋士が対象)で優勝、12個目のタイトルを獲得した。

タイトル戦[編集]

登場は挑戦手合か決勝。他の棋士との比較は、囲碁の女流タイトル在位者一覧 を参照。

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇
女流本因坊 五番勝負
10‐11月
1
女流名人 三番勝負
4月
1990,99-00,02,06 12 5期 2
女流棋聖 三番勝負
1-2月
2012 3 1期
獲得合計12期[注 2]

(挑戦手合及び決勝戦 総登場回数 26[注 3]

女流棋士タイトル獲得数ランキング
(2024年06月17日時点)
順位 獲得回数 棋士名
1位 27期 謝依旻七段*
2位 24期 藤沢里菜女流名人・女流本因坊*
3位 14期 上野愛咲美女流立葵杯*
4位 12期 青木喜久代八段*
5位 11期 小林泉美六段*
6位タイ 10期 杉内寿子八段* | 小林禮子七段
8位 9期 知念かおり六段*
9位 8期 伊藤友恵七段
10位タイ 7期 本田幸子七段 | 楠光子八段
・獲得回数には男女混合棋戦、参加資格限定棋戦も含む。
*は現役棋士。

その他の棋歴[編集]

国際棋戦[編集]

国内棋戦・その他[編集]

良績[編集]

  • 2000年:賞金ランキング第16位、女流第1位
  • 2006年:賞金ランキング第19位、女流第1位

参考文献[編集]

  • 秋山賢司「飛び出した若手棋士群 第6回 青木喜久代女流鶴聖」(『棋道』1991年12月号)

脚註[編集]

  1. ^ 【女流名人戦】青木八段がリーグ初参戦 本戦進出はリーグ戦導入前の第20期以来7期ぶり。
  2. ^ 女流鶴聖戦4期、東京精密杯女流プロ最強戦1期、テイケイ杯女流レジェンド戦1期を含む。
  3. ^ 東京精密杯女流プロ最強戦・準優勝2回(2000年、2007年)、新人王戦・準優勝1回(1997年)、会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦・準優勝1回(2016年)を含む。

外部リンク[編集]