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| field = 書道、詩
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| training = 関東短期大学
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'''相田 みつを'''(あいだ みつを、本名:相田 光男、[[雅号]]:貪不安(ドンフアン)<ref name = Obana>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 女流書家 尾花也生さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>、[[1924年]][[5月20日]] - [[1991年]][[12月17日]])は、日本の[[詩人]][[書家]]。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。'''書の詩人'''<ref name=Tochigi>{{cite news |title= 相田みつをふるさと展 「書の詩人」の原点--足利商工会議所友愛会館 /栃木|newspaper= 毎日新聞|date= 2006-06-07}}</ref>、'''いのちの詩人'''<ref name=Touounippou>{{cite news |title= 田子/相田みつを長男が講演/作品は自分への言葉|author= 本間善幸|newspaper= 東奥日報|date= 2009-06-03}}</ref>とも称される。
'''相田 みつを'''(あいだ みつを、[[雅号]]:貪不安(ドンフアン)<ref name = Obana>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 女流書家 尾花也生さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>、[[1924年]]([[大正]]13年)[[5月20日]] - [[1991年]]([[平成]]3年)[[12月17日]])は、[[日本]]の[[詩人]][[書家]]。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人<ref name="Tochigi">{{cite news |title= 相田みつをふるさと展 「書の詩人」の原点--足利商工会議所友愛会館 /栃木|newspaper= 毎日新聞|date= 2006-06-07}}</ref>、いのちの詩人<ref name=Touounippou>{{cite news |title= 田子/相田みつを長男が講演/作品は自分への言葉|author= 本間善幸|newspaper= 東奥日報|date= 2009-06-03}}</ref>とも称される。[[栃木県]][[足利市]]出身。本名は'''相田 光男'''(あいだ みつお)


== 生い立ち ==
== 生い立ち ==
1924年、[[栃木県]][[足利市]]に生まれた。生家は名刹、[[鑁阿寺]](ばんなじ)の東に位置していた<ref name=Ashikaga>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 相田の息吹残る故郷・足利|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>。[[栃木県立足利高等学校|旧制栃木県立足利中学校]]在学中に書や短歌、絵に親しんだが<ref name=Ouenka>{{cite news |title= 特集- 「こころに響くことば~書の詩人 相田みつを展」 「あなた」への応援歌|newspaper= 毎日新聞|date= 2011-04-02}}</ref><ref>{{cite news |title= 中日文化センターだより|newspaper= 中日新聞|date= 2007-04-01}}</ref>、喫煙の濡れ衣をきせられ<ref>{{cite news |title= 【産経抄】|newspaper= 産経新聞|date= 2011-09-01}}</ref>軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念<ref name=Touounippou></ref>。卒業後は歌人・[[山下陸奥]]に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる[[曹洞宗]]高福寺の[[武井哲応]]と出会い、在家しながら禅を学んだ<ref name=Ouenka></ref>。1943年、書家を志して[[岩沢渓石]]に師事、本格的に書の修行を積んだ<ref name=Ouenka></ref>。1953年3月、[[関東短期大学]]夜間部国文科卒業。
1924年、[[栃木県]][[足利市]]に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、[[鑁阿寺]](ばんなじ)の東に位置していた<ref name=Ashikaga>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 相田の息吹残る故郷・足利|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>。[[栃木県立足利高等学校|旧制栃木県立足利中学校]]在学中に書や短歌、絵に親しんだが<ref name=Ouenka>{{cite news |title= 特集- 「こころに響くことば~書の詩人 相田みつを展」 「あなた」への応援歌|newspaper= 毎日新聞|date= 2011-04-02}}</ref><ref>{{cite news |title= 中日文化センターだより|newspaper= 中日新聞|date= 2007-04-01}}</ref>、喫煙の濡れ衣をきせられ<ref>{{cite news |title= 【産経抄】|newspaper= 産経新聞|date= 2011-09-01}}</ref>軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念<ref name=Touounippou></ref>。卒業後は歌人・[[山下陸奥]]に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる[[曹洞宗]]高福寺の[[武井哲応]]と出会い、在家しながら禅を学んだ<ref name=Ouenka></ref>。1943年、書家を志して[[岩沢渓石]]に師事、本格的に書の修行を積んだ<ref name=Ouenka></ref>。1953年3月、[[関東短期大学]]夜間部国文科卒業。


== 創作活動 ==
== 創作活動 ==
相田は書の最高峰のひとつとされる[[毎日書道展]]に1954年から7年連続入選するなど、技巧派の書家として出発した<ref name=Tochigi></ref>。1947年の[[鄭道昭]]の臨書・「鄭文公碑臨書」で古典書道における実力を示す一方、1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では、伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露<ref name=Ouenka></ref>。専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した<ref name=Gendaishi>{{cite news |title= [いまどきの現代詩](3)時代の方向性 平明さに「慰め」求める(連載)|newspaper= 読売新聞|date= 2002-04-04}}</ref>。1954年、最初の個展を足利市で開催。個展はその後も足利市などで毎年開催されるようになった。1955年[[ろうけつ染め]]を学び、書道教師ではなく、ろうけつ染めや地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていたが<ref name=Tochigi></ref><ref name=Ashikaga></ref>、1974年、教えを受けていた[[紀野一義]]のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介され、さらに1984年、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、広く知られるようになった。『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり<ref name=Gendaishi></ref>、つづく第2詩集の『おかげさん』(1987年)も約25万部のベストセラー<ref name=Dojou>{{cite news |title=相田みつを作品 どじょう演説で脚光 美術館の来館者急増 詩集5千部増刷決まる|url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/110831/art11083122260005-n1.htm|newspaper= msn産経ニュース|date= 2011-08-31|access date=2011-09-09}}</ref>、地位を確立した。若き日には、故郷足利市の老舗菓子店「虎谷」のミートサブレ(命名者も相田で「逢」のMeetが由来で)などの、包装紙や栞のデザインも手がけた<ref>[http://www.mitsuo.co.jp/museum/info/live.html 相田みつを美術館 第85回ミュージアムライブ]</ref><ref>読売新聞日曜版2014年12月21日2面</ref>。
相田は書の最高峰のひとつとされる[[毎日書道展]]に1954年から7年連続入選するなど、技巧派の書家として出発した<ref name=Tochigi></ref>。1947年の[[鄭道昭]]の臨書・「鄭文公碑臨書」で古典書道における実力を示す一方、1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では、伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露<ref name=Ouenka></ref>。専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した<ref name=Gendaishi>{{cite news |title= [いまどきの現代詩](3)時代の方向性 平明さに「慰め」求める(連載)|newspaper= 読売新聞|date= 2002-04-04}}</ref>。1954年、最初の個展を足利市で開催。個展はその後も足利市などで毎年開催されるようになった。1955年[[ろうけつ染め]]を学び、書道教師ではなく、ろうけつ染めや地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていたが<ref name=Tochigi></ref><ref name=Ashikaga></ref>、1974年、教えを受けていた[[紀野一義]]のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介され、さらに1984年、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、広く知られるようになった。『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり<ref name=Gendaishi></ref>、つづく第2詩集の『おかげさん』(1987年)も約25万部のベストセラー<ref name=Dojou>{{cite news |title=相田みつを作品 どじょう演説で脚光 美術館の来館者急増 詩集5千部増刷決まる|url=https://web.archive.org/web/20110901062622/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110831/art11083122260005-n1.htm|newspaper= msn産経ニュース|date= 2011-08-31|access date=2011-09-09}}</ref>、地位を確立した。若き日には、故郷足利市の老舗菓子店「虎谷」のミートサブレ(命名者も相田で「逢」のMeetが由来で)などの、包装紙や栞のデザインも手がけた<ref>[http://www.mitsuo.co.jp/museum/info/live.html 相田みつを美術館 第85回ミュージアムライブ]</ref><ref>読売新聞日曜版2014年12月21日2面</ref>。


1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、[[脳内出血]]と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になった<ref name = Kazuhito>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 父を語る 相田みつを美術館長 相田一人さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>。67歳没。
1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、[[脳内出血]]と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になった<ref name = Kazuhito>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 父を語る 相田みつを美術館長 相田一人さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>。67歳没。
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== 影響と批評 ==
== 影響と批評 ==
相田は長く不遇であり、師匠の紀野一義によると、詩の文言が顧客に受け入れられずに長く苦しんだという。晩年の大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、文学や書の分野で相田の作品が評論されることはあまりなく<ref>{{Cite journal ja-jp|author= 都築響一|year= 2006|title= 都築響一の夜露死苦現代詩|journal= 新潮|volume= 103|issue= 2|serial= 2006年2月号|publisher = 新潮社|pages= }}</ref>、詩人の[[高橋順子]]は「相田作品は処世訓のようなもの」、[[思潮社]]代表取締役であり詩人でもある小田久郎は「今は分かりやすいものが受ける時代。詩は難解であっていい」、現代詩作家の[[荒川洋治]]は「実用的で即効性のあるものが求められているのを感じる。でも、自分がどう生きるのか、長い時間をかけて考えさせてくれるのは文学しかない」と、おおむね否定的である<ref name=Gendaishi></ref>。[[奥本大三郎]]は「素直に言ってこの相田みつをと言う人の、わざと下手に書いて人に阿(おもね)るような字も、それを紙に書きつけた、人の心の底の劣等感をごまかすような文句も私は嫌いである。上手に書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある、と警戒したくなる」などと厳しい<ref>「泥鰌内閣」(『マルセイユの海鞘』[[ 中央公論新社]])</ref>。
相田は長く不遇であり、師匠の紀野一義によると、詩の文言が顧客に受け入れられずに長く苦しんだという。晩年の大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、文学や書の分野で相田の作品が評論されることはあまりなく<ref>{{Cite journal ja-jp|author= 都築響一|year= 2006|title= 都築響一の夜露死苦現代詩|journal= 新潮|volume= 103|issue= 2|serial= 2006年2月号|publisher = 新潮社|pages= }}</ref>、詩人の[[高橋順子]]は「相田作品は処世訓のようなもの」、[[思潮社]]代表取締役であり詩人でもある[[小田久郎]]は「今は分かりやすいものが受ける時代。詩は難解であっていい」、現代詩作家の[[荒川洋治]]は「実用的で即効性のあるものが求められているのを感じる。でも、自分がどう生きるのか、長い時間をかけて考えさせてくれるのは文学しかない」と、おおむね否定的である<ref name=Gendaishi></ref>。[[奥本大三郎]]は「素直に言ってこの相田みつをと言う人の、わざと下手に書いて人に阿(おもね)るような字も、それを紙に書きつけた、人の心の底の劣等感をごまかすような文句も私は嫌いである。上手に書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある、と警戒したくなる」などと厳しい<ref>「泥鰌内閣」(『マルセイユの海鞘』[[ 中央公論新社]])</ref>。


一方、詩人の[[杉山平一]]は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べた<ref name=Gendaishi></ref>。作家の[[立松和平]]は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った<ref name=Ouenka></ref>。行動経済学研究の第一人者であるリチャード・セイラー([[:en:Richard Thaler]])は「彼の残した書の言葉は実に素晴らしく、心を打たれました。印象に残ったのは、“しあわせはいつもじぶんのこころがきめる”というフレーズと、“にんげんだもの”です。行動経済学に通じるものがあります」と語り、相田の人に対する洞察が行動経済学が想定する「人類」をうまく表現していることを指摘した<ref>{{cite news |title=行動経済学の本質、それは「にんげんだもの」にあった!―リチャード・セイラー米シカゴ大学教授が語る新著と「相田みつを」|author=広野彩子|newspaper= 日経ビジネス・オンライン|date= 2009-10-06|url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091002/206138/|access date=2011-09-09}}</ref>。
一方、詩人の[[杉山平一]]は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べた<ref name=Gendaishi></ref>。作家の[[立松和平]]は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った<ref name=Ouenka></ref>。行動経済学研究の第一人者である[[リチャード・セイラー]]([[:en:Richard Thaler]])は「彼の残した書の言葉は実に素晴らしく、心を打たれました。印象に残ったのは、“しあわせはいつもじぶんのこころがきめる”というフレーズと、“にんげんだもの”です。行動経済学に通じるものがあります」と語り、相田の人に対する洞察が行動経済学が想定する「人類」をうまく表現していることを指摘した<ref>{{cite news |title=行動経済学の本質、それは「にんげんだもの」にあった!―リチャード・セイラー米シカゴ大学教授が語る新著と「相田みつを」|author=広野彩子|newspaper= 日経ビジネス・オンライン|date= 2009-10-06|url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091002/206138/|access date=2011-09-09}}</ref>。


=== 著名人の座右の銘 ===
=== 著名人の座右の銘 ===
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* 「たまには涙をみせたっていいがな」 [[藤波辰爾]](新日本プロレス社長)<ref>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 私を支える座右の銘 藤波辰爾さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>
* 「たまには涙をみせたっていいがな」 [[藤波辰爾]](新日本プロレス社長)<ref>{{cite news |title= 【イブニングマガジン】相田みつを 私を支える座右の銘 藤波辰爾さん|newspaper= 産経新聞|date= 2001-09-28}}</ref>
* 「一生燃焼、一生感動、一生不悟」 常盤百樹(ときわももき、[[四国電力]]社長)<ref>{{cite news |title= 新社長 Who's Who 四国電力 常盤百樹(ときわ・ももき)|author= 池冨仁|newspaper= 週刊ダイヤモンド|date= 2005-10-30}}</ref>
* 「一生燃焼、一生感動、一生不悟」 常盤百樹(ときわももき、[[四国電力]]社長)<ref>{{cite news |title= 新社長 Who's Who 四国電力 常盤百樹(ときわ・ももき)|author= 池冨仁|newspaper= 週刊ダイヤモンド|date= 2005-10-30}}</ref>
* 「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 [[野田佳彦]](元[[首相]]及び[[内閣総理大臣]]・[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]衆議院議員
* 「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 [[野田佳彦]](元[[内閣総理大臣]]・[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]最高顧問。
* 「出会いが人を変え、感動が人を動かす」[[NAOTO (ダンサー)|NAOTO]] ([[EXILE]]のパフォーマー)<ref>{{Cite web|title=三代目J Soul Brothersの物語(3ページ目)|date=2013-02-18|url= http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/10222/3.html|publisher=X BRAND|accessdate=2013-08-31}}</ref>
* 「出会いが人を変え、感動が人を動かす」[[NAOTO (ダンサー)|NAOTO]] ([[EXILE]]のパフォーマー)<ref>{{Cite web|和書|title=三代目J Soul Brothersの物語(3ページ目)|date=2013-02-18|url= http://xbrand.yahoo.co.jp/category/entertainment/10222/3.html|publisher=X BRAND|accessdate=2013-08-31}}</ref>


=== 遺産 ===
=== 相田みつを美術館 ===
1996年[[相田みつを美術館]]開館。
[[1996年]]に東京・銀座に[[相田みつを美術館]]開館し、その後、[[東京国際フォーラム]]に移転した<ref name="shimotsuke20240119" />

2004年、[[木梨憲武]]主演で相田の生涯が『[[にんげんだもの#ドラマ・にんげんだもの|にんげんだもの -相田みつを物語-]]』としてドラマ化された。


2007年、相田みつを美術館で新春書初めイベントが行われ、相田の書が楽しめる[[ニンテンドーDS]]用ソフト『[[こころに染みる毛筆で書く相田みつをDS]]』の体験デモが行われた<ref>{{cite news|title=相田みつを美術館 三が日新春書初め|newspaper=[[産経新聞]]|date=2006-12-28}}</ref>。
2007年、相田みつを美術館で新春書初めイベントが行われ、相田の書が楽しめる[[ニンテンドーDS]]用ソフト『[[こころに染みる毛筆で書く相田みつをDS]]』の体験デモが行われた<ref>{{cite news|title=相田みつを美術館 三が日新春書初め|newspaper=[[産経新聞]]|date=2006-12-28}}</ref>。


2009年、相田みつを美術館は、相田の書と写真が合成できる[[iPhone]]/[[iPod touch]]向けアプリケーション『みつをフォトアート』を発表し、相田の作品を初めて全世界へ配信した<ref>{{cite web|title=相田みつをの“書”と写真を合成――iPhoneアプリ「みつをフォトアート」|url=http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0903/25/news070.html|date=2009-03-25|publisher=[[ITmedia]]|accessdate=2013-04-30|author=田中聡}}</ref>。
2009年、相田みつを美術館は、相田の書と写真が合成できる[[iPhone]]/[[iPod touch]]向けアプリケーション『みつをフォトアート』を発表し、相田の作品を初めて全世界へ配信した<ref>{{Cite web|和書|title=相田みつをの“書”と写真を合成――iPhoneアプリ「みつをフォトアート」|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0903/25/news070.html|date=2009-03-25|publisher=[[ITmedia]]|accessdate=2013-04-30|author=田中聡}}</ref>。

しかし、東京国際フォーラムが長期大規模修繕工事に入るのを機に、[[2024年]](令和6年)[[1月28日]]で閉館することが発表された<ref name="shimotsuke20240119">{{Cite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/846147|title=相田みつを美術館、28日で閉館 他館での展示や通信販売は継続|work=|publisher=下野新聞|date=2024-01-19|accessdate=2024-01-19}}</ref>。

=== メディアでの反響 ===
2004年、[[木梨憲武]]主演で相田の生涯が『[[にんげんだもの#概要|にんげんだもの -相田みつを物語-]]』としてドラマ化された。


2011年6月、[[サイバーコンサルタント]]は、1984年初版の書籍「にんげんだもの」を、1989年初版の朗読版「にんげんだもの」(朗読:[[大坂志郎]])とで再構成されたiPhone/iPod touch向けアプリケーション『にんげんだもの - 相田みつを』の配信を開始した<ref>{{cite web|title=サイバーコンサルタント、iPhoneアプリで読む、相田みつをの「にんげんだもの」|url=http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/18550/|date=2011-06-17|publisher=[[MdN]]|accessdate=2013-04-30}}</ref>。同年8月、[[野田佳彦]]による民主党代表選での演説で、「どじょう」(第2詩集「おかげさん」収録)が引用されると、美術館の来場者急増や詩集の注文殺到による増刷など脚光を浴びた<ref name=Dojou></ref>。
2011年6月、[[サイバーコンサルタント]]は、1984年初版の書籍「にんげんだもの」を、1989年初版の朗読版「にんげんだもの」(朗読:[[大坂志郎]])とで再構成されたiPhone/iPod touch向けアプリケーション『にんげんだもの - 相田みつを』の配信を開始した<ref>{{Cite web|和書|title=サイバーコンサルタント、iPhoneアプリで読む、相田みつをの「にんげんだもの」|url=http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/18550/|date=2011-06-17|publisher=[[MdN]]|accessdate=2013-04-30}}</ref>。同年8月、[[野田佳彦]]による民主党代表選での演説で、「どじょう」(第2詩集「おかげさん」収録)が引用されると、美術館の来場者急増や詩集の注文殺到による増刷など脚光を浴びた<ref name=Dojou></ref>。


[[生島ヒロシ]]は、自身の[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]番組『[[生島ヒロシのおはよう一直線]]』の「一期一会」のコーナーで相田の詩を紹介していて<ref>{{cite web|title=相田みつを美術館|url=http://www.mitsuo.co.jp/museum/info/live.html|accessdate=2013-04-30|publisher=[[相田みつを美術館]]}}</ref>、義母を介護する際にも読み聞かせていたという<ref>{{cite web|title=生島ヒロシ 介護でオススメは音楽を流し相田みつを読み聞かせ|url=http://www.news-postseven.com/archives/20120219_88855.html|date=2012-02-19|accessdate=2013-04-30|publisher=[[NEWSポストセブン]]}}</ref>。また、[[大沢悠里]]もTBSラジオ番組『[[大沢悠里のゆうゆうワイド]]』で毎週金曜日、「相田みつを・こころの美術館」で詩を朗読していた<ref>{{cite web|title=相田みつを美術館|url=http://www.mitsuo.co.jp/museum/media/|accessdate=2013-04-30|publisher=[[相田みつを美術館]]}}</ref>。
[[生島ヒロシ]]は、自身の[[TBSラジオ]]番組『[[生島ヒロシのおはよう一直線]]』の「一期一会」のコーナーで相田の詩を紹介していて<ref>{{Cite web|和書|title=相田みつを美術館|url=http://www.mitsuo.co.jp/museum/info/live.html|accessdate=2013-04-30|publisher=[[相田みつを美術館]]}}</ref>、義母を介護する際にも読み聞かせていたという<ref>{{Cite web|和書|title=生島ヒロシ 介護でオススメは音楽を流し相田みつを読み聞かせ|url=https://www.news-postseven.com/archives/20120219_88855.html?DETAIL|date=2012-02-19|accessdate=2013-04-30|publisher=[[NEWSポストセブン]]}}</ref>。また、[[大沢悠里]]もTBSラジオ番組『[[大沢悠里のゆうゆうワイド]]』で毎週金曜日、「相田みつを・こころの美術館」で詩を朗読していた<ref>{{Cite web|和書|title=相田みつを美術館|url=http://www.mitsuo.co.jp/museum/media/|accessdate=2013-04-30|publisher=[[相田みつを美術館]]}}</ref>。


この他、インターネット上を中心に相田の詩を真似たパロディ作品も多数登場している。
この他、インターネット上を中心に相田の詩を真似たパロディ作品も多数登場している。
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=== 単著 ===
=== 単著 ===
*『にんげんだもの』 文化出版局(のち角川文庫)、1984年。
*『にんげんだもの』 文化出版局、1984年。
**『にんげんだもの 愛蔵版』 文化出版局、1998年。
*『おかげさん』 ダイヤモンド社、1987年。
*『おかげさん』 ダイヤモンド社、1987年。
**『おかげさ 軽装版』 ダイヤモンド社、2004年。
*『おかげさん 心の歳時記』 ダイヤモンド社、1988年。
*『一生感動一生青春』 文化出版局、1990年。
*『一生感動一生青春』 文化出版局、1990年。
**『一生感動一生青春 愛蔵版』 文化出版局、1999年。
*『相田みつをひとり語り 第1集 いまここ』 ダイヤモンド社、1990年。
*『相田みつを ひとり語り 第1集 いまここ』 ダイヤモンド社、1990年。
*『いのちいっぱい』 ダイヤモンド社、1991年。
*『いのちいっぱい』 ダイヤモンド社、1991年。
*『いちずに一本道ちずに一ツ事佼成出版(のち角川文庫)1992年。
**『いちいっぱい 新装版ダイヤモンド社、2019年。
*『雨の日は…文化出版1993年。
*『いちず一本道 いちずに一ツ事佼成出版1992年。
**『いちずに一本道 いちずに一ツ事 新版』 角川文庫、1998年。
*『きょうが一番いい日』 ダイヤモンド社、1992年。
*『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』 化出版局1993年。
**『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』 角川文庫、2009年。
*『相田みつを 心の書選』 文化出版局、1995年。
*『しあわせはいつも』 文化出版局、1995年。
*『しあわせはいつも』 文化出版局、1995年。
*『アノネ』(相田みつを・心の詩1) ダイヤモンド社、1995年。
*『相田みつを・心の詩』シリーズ
*『空を見上げて』(相田みつを・心の詩2) ダイヤモンド社、1995年。
**『アノネ 相田みつを・心の詩1』ダイヤモンド社、1995年。
*『大事なこと』(相田みつを・心の詩3) ダイヤモンド社、1995年。
**『空を見上げて 相田みつを・心の詩2』ダイヤモンド社、1995年。
*『いまこ―対訳相田みつを作品集[[ティム・ジェンセン]]訳、ダイヤモンド社、1996年。
**『大事な相田みつを・心の詩3』 ダイヤモンド社、1995年。
*『生きいてよかった相田一人監修、ダイヤモンド社(のち角川文庫)1998年。
**『相田みつを・心の詩 アノネ・空を見上げ・大事なこと』 ダイヤモンド社、1997年。
*『そのままでいいがな―対訳相田みつを作品集2 [[ティム・ジェンセン]]訳、ダイヤモンド社、2000年。
*『対訳 相田みつを作品集』シリーズ
**『対訳 相田みつを作品集 THE HERE AND NOW いまここ』 [[ティム・ジェンセン]]訳、ダイヤモンド社、1996年。
**『対訳 相田みつを作品集2 A Phrase by my side そのままでいいがな』 相田一人監修、ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、2000年。
**『対訳 相田みつを作品集3 Talking to… あなたのこころがきれいだから』 相田一人監修、ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、2000年。
*『生きていてよかった』 [[相田一人]]監修、ダイヤモンド社、1998年。
**『生きていてよかった』 角川文庫、2003年。
*『相田みつをと私 著名50人が選んだマイベストコレクション』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2000年。
*『相田みつをと私 著名50人が選んだマイベストコレクション』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2000年。
*『にんげんだもの 逢 新版』 角川文庫、2000年。
*『あなたのこころがきれいだから…―対訳相田みつを作品集3』 [[ティム・ジェンセン]]訳、ダイヤモンド社、2000年。
*『じぶんの花を』 文化出版局、2001年。
*『じぶんの花を』 文化出版局、2001年。
*『ひとしずか』 角川文庫、2001年。
*『日めく文庫 にんげんだもの』 角川文庫、2001年。
*『日めくり文庫 ひとりしずか』 角川文庫、2001年。
*『相田みつを 奇跡のことば』 河出書房新社〈KAWADE夢ムック 文藝別冊〉、2001年。
*『私が「じぶん」に出逢うとき』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2002年。
*『私が「じぶん」に出逢うとき』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2002年。
*『いまからここから』 ダイヤモンド社、2003年。
*『いまから ここから』 相田一人監修、ダイヤモンド社、2003年。
*『おかげさん ベストセレクション・日めくり』 ダイヤモンド社、2003年
**『おかげさん ベストセレクション・日めくり 復刻版』 ダイヤモンド社、2009年
**『おかげさん ベストセレクション・日めくり 新装版』 ダイヤモンド社、2015年
*『「生きていてよかった」特別編 3年B組金八先生ベストセレクション』 ダイヤモンド社、2005年。
*『「生きていてよかった」特別編 3年B組金八先生ベストセレクション』 ダイヤモンド社、2005年。
*『いのちのバトン 初めて出会う相田みつをのことば』 角川2005年。
*『本気』 相田一人監修、化出版局2006年。
*『本気』 文化出版局、2006年。
*『相田みつをの「本気」で書き写し』 文化出版局、2006年。
*『相田みつをの「本気」で書き写し』 文化出版局、2006年。
*『いのち いちばん大切なもの』 文化出版局、2008年。
*『いのち いちばん大切なもの』 文化出版局、2008年。
*『ある日自分へ』 相田一人監修、文化出版局、2010年。
*『いちば大事なこと―絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
*『みんなほんもの―絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
*『うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる』 ダイヤモンド社、2011年。
*『相田みつを ザ・ベスト』シリーズ
*『雨の日には雨の中を風の日には風の中を』 角川2009年。
*『ある日自分へ』 [[相田一人]]監修、化出版局2010年。
**『一生感動一生青春 相田みつを ザ・ベスト』 角川2011年。
*『一生感動一生青春―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年。
**『にんげんだもの 逢 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
*『にんげんだもの 逢―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年。
**『にんげんだもの 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
*『にんげんだ 道―相田みつを ザ・ベストシリーズ』 角川文庫、2011年。
**『しあわせはいつも 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
*『しあわせはいつも―相田みつを ザベストシリーズ』 角川文庫、2011年。
**『かんのん讃歌 相田みつを ザベスト』 角川文庫、2012年。
**『いちずに一本道 いちずに一ッ事 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2013年。
*『相田みつを手帳「道」』シリーズ
**『相田みつを手帳「道」2013』 ダイヤモンド社、2012年。
**『相田みつを手帳「道」2014』 ダイヤモンド社、2013年。
**『相田みつを手帳「道」2016』 ダイヤモンド社、2015年。
**『相田みつを手帳「道」2017』 相田一人監修、ダイヤモンド社、2016年。
*『幸運日めくり ハローキティのにんげんだもの 毎日がもっと楽しくなる31の言葉』 ダイヤモンド社、2015年。
*『幸運日めくり 願い(ウィッシュ)編 ハローキティのにんげんだもの 毎日がもっと楽しくなる31の言葉』 ダイヤモンド社、2016年。
*『ただいるだけで』 PHP研究所、2016年。


=== 共著 ===
=== 共著 ===
*[[佐々木正美]]『育てたように子は育つ 相田みつをいのちのことば』 [[相田一人]]監修、小学館、1999年。
*[[佐々木正美]]『育てたように子は育つ 相田みつを いのちのことば』 相田一人監修、小学館、1999年。
*佐々木正美『なやみはつきねんだなあ 相田みつをいのちのことば』 小学館、2003年。
**佐々木正美『育てたように子つ 相田みつを いのちのことば』 小学館文庫2008年。
*佐々木正美『なやみはつきねんだなあ 相田みつを いのちのことば』 小学館、2003年。
**佐々木正美『なやみはつきねんだなあ 相田みつを いのちのことば』 小学館文庫、2005年。
*[[川上健一]]『日めくり物語 三十の人生の三十の感動』 小学館、2004年。
*[[川上健一]]『日めくり物語 三十の人生の三十の感動』 小学館、2004年。
*辻慶樹『ことばは光アスク、2005年。
*[[立原えりか]]いのちのバトン 初めて出会う相田みつをのことば』 角川文庫、2005年。
*[[野崎洋光]]『相田みつをの心 野崎洋光の味文化出版局2009年。
*[[西舘好子]]『いちばん大事なこと 絆シリーズダイヤモンド社2008年。
*[[いわさきちひろ]]『みんなほんもの 絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
*[[野崎洋光]]『相田みつをの心 野崎洋光の味』 文化出版局、2009年。
*[[みつはしちかこ]]『あなたにめぐりあえてほんとうによかった 絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2011年
*くっしー『いのちいっぱい じぶんの花を』 角川つばさ文庫、2011年。
*トトアキヒコ『しあわせ 相田みつを&雲母唐長 幸運を贈るポストカードBook』 ダイヤモンド社、2013年
*佐々木正美『自分の番を生きるということ 人生のおさらい』 小学館、2016年。
*高瀬勝之、ヲバラトモコ『やわらかければだいじょうぶ ウルみつ絵本シリーズ』 あいうえお館、2016年。


== 私生活 ==
== 私生活 ==
[[1954年]]、大きなの末娘であった平賀千江と結婚。千江は歌会で相田と知り合ったが、不器用で収入がなかった相田との結婚に周囲が反対したという<ref>{{cite news |title=家族のこと話そう 相田みつを美術館長 相田一人さん 覚悟して道を進んだ父 書に対する執念 美術館には反対|newspaper=中日新聞|date= 2009-05-10}}</ref>。一男一女をもうけ、家族四人は八畳一間で暮らしていたが、相田だけは三十畳のアトリエを独占していたという<ref name=Kazuhito></ref>。[[相田みつを美術館]]館長の[[相田一人]]は長男。
[[1954年]]、材木商の末娘であった平賀千江と結婚。千江は「短で相田と知り合ったが、不器用で収入がなかった相田との結婚に周囲が反対したという<ref>{{cite news |title=家族のこと話そう 相田みつを美術館長 相田一人さん 覚悟して道を進んだ父 書に対する執念 美術館には反対|newspaper=中日新聞|date= 2009-05-10}}</ref>。一男一女をもうけ、家族四人は八畳一間で暮らしていたが、相田だけは三十畳のアトリエを独占していたという<ref name=Kazuhito></ref>。[[相田みつを美術館]]館長の[[相田一人]]は長男。長男一人によると、相田みつをは兄2人を戦争で亡くしている。また、本人も戦争に参加していることから、戦争体験抜きに相田みつをの作品は語れないと話している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chichi.co.jp/web/20180913aidamituwo-1/ |title=「にんげんだもの」 相田みつをの作品は、なぜ心に響くのか |access-date=2022-10-27 |publisher=[[致知出版社]] |date=2021-05-16}}</ref>


画商の菅原澄によると、相田は自分では「自分は書家ではない。在野の坊主だ」と常々言っていたが、人間臭く、わがままで、嫌いな相手とすぐケンカになったり、女性に大層もてたりしたという<ref name=Sugawara></ref>。{{要出典範囲|date=2011年9月|[[埼玉県]][[加須市]]在住の書道家[[我峰]]([[渡邉浅男]])}}、女流書家の尾花也生(おばなやよい)<ref name=Obana></ref>など、懇意にしていた書道家仲間が多数存在した。足利を代表する須永花火など数社を有する須永グループ代表の須永昇は相田のパトロンの一人であり、無名だった相田の作品を展覧会の度に購入して活動を支えた。現在も須永家では相田の作品を数多く所蔵し、一部は相田みつを美術館に寄贈、須永コレクションとして展示されている。
画商の菅原澄によると、相田は自分では「自分は書家ではない。在野の坊主だ」と常々言っていたが、人間臭く、わがままで、嫌いな相手とすぐケンカになったり、女性に大層もてたりしたという<ref name=Sugawara></ref>。{{要出典範囲|date=2011年9月|[[埼玉県]][[加須市]]在住の書道家[[我峰]]([[渡邉浅男]])}}、女流書家の尾花也生(おばなやよい)<ref name=Obana></ref>など、懇意にしていた書道家仲間が多数存在した。足利を代表する須永花火など数社を有する須永グループ代表の須永昇は相田のパトロンの一人であり、無名だった相田の作品を展覧会の度に購入して活動を支えた。現在も須永家では相田の作品を数多く所蔵し、一部は相田みつを美術館に寄贈、須永コレクションとして展示されている。
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://mitsuo.co.jp/ 相田みつを美術館]
* [http://mitsuo.co.jp/ 相田みつを美術館]
* [http://mitsuo-tv.com/ 相田みつを美術館・公式映像配信サイト「みつをTV」]
* [https://mitsuo-tv.com/ 相田みつを美術館・公式映像配信サイト「みつをTV」]
* [http://www.shikishima-farm.jp/shopandgallery/ 相田みつを那須ギャラリー]
* [http://www.shikishima-farm.jp/shopandgallery/ 相田みつを那須ギャラリー]
* {{NHK人物録|D0009072383_00000}}
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相田あいだ みつを
本名 相田 光男(あいだ みつお)
誕生日 1924年5月20日
出生地 日本の旗 日本栃木県足利市
死没年 (1991-12-17) 1991年12月17日(67歳没)
死没地 栃木県足利市
国籍 日本の旗 日本
芸術分野 書道
教育 関東短期大学夜間部国文科卒業
代表作 にんげんだもの、おかげさん
受賞 毎日書道展入選
後援者 須永昇、菅原澄
影響を受けた
芸術家
鄭道昭山下陸奥、武井哲応、紀野一義、岩沢渓石
影響を与えた
芸術家
尾花也生
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相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)[1]1924年大正13年)5月20日 - 1991年平成3年)12月17日)は、日本詩人書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人[2]、いのちの詩人[3]とも称される。栃木県足利市出身。本名は相田 光男(あいだ みつお)。

生い立ち

[編集]

1924年、栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた[4]旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが[5][6]、喫煙の濡れ衣をきせられ[7]軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念[3]。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ[5]。1943年、書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積んだ[5]。1953年3月、関東短期大学夜間部国文科卒業。

創作活動

[編集]

相田は書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続入選するなど、技巧派の書家として出発した[2]。1947年の鄭道昭の臨書・「鄭文公碑臨書」で古典書道における実力を示す一方、1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では、伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露[5]。専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した[8]。1954年、最初の個展を足利市で開催。個展はその後も足利市などで毎年開催されるようになった。1955年ろうけつ染めを学び、書道教師ではなく、ろうけつ染めや地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていたが[2][4]、1974年、教えを受けていた紀野一義のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介され、さらに1984年、詩集『にんげんだもの』出版が契機となり、広く知られるようになった。『にんげんだもの』はその後ミリオンセラーとなり[8]、つづく第2詩集の『おかげさん』(1987年)も約25万部のベストセラー[9]、地位を確立した。若き日には、故郷足利市の老舗菓子店「虎谷」のミートサブレ(命名者も相田で「逢」のMeetが由来で)などの、包装紙や栞のデザインも手がけた[10][11]

1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、脳内出血と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、長男・一人との最期の会話になった[12]。67歳没。

作品に対して妥協を許さず、「逢」というたった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を使用したり、印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったという[13]。挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には自らの実生活が重ね合わされているのが特徴である[3]

つまづいたって

いいじゃないか

にんげんだもの

  みつを

—相田みつを(『にんげんだもの』より)

影響と批評

[編集]

相田は長く不遇であり、師匠の紀野一義によると、詩の文言が顧客に受け入れられずに長く苦しんだという。晩年の大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、文学や書の分野で相田の作品が評論されることはあまりなく[14]、詩人の高橋順子は「相田作品は処世訓のようなもの」、思潮社代表取締役であり詩人でもある小田久郎は「今は分かりやすいものが受ける時代。詩は難解であっていい」、現代詩作家の荒川洋治は「実用的で即効性のあるものが求められているのを感じる。でも、自分がどう生きるのか、長い時間をかけて考えさせてくれるのは文学しかない」と、おおむね否定的である[8]奥本大三郎は「素直に言ってこの相田みつをと言う人の、わざと下手に書いて人に阿(おもね)るような字も、それを紙に書きつけた、人の心の底の劣等感をごまかすような文句も私は嫌いである。上手に書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある、と警戒したくなる」などと厳しい[15]

一方、詩人の杉山平一は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べた[8]。作家の立松和平は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った[5]。行動経済学研究の第一人者であるリチャード・セイラーen:Richard Thaler)は「彼の残した書の言葉は実に素晴らしく、心を打たれました。印象に残ったのは、“しあわせはいつもじぶんのこころがきめる”というフレーズと、“にんげんだもの”です。行動経済学に通じるものがあります」と語り、相田の人に対する洞察が行動経済学が想定する「人類」をうまく表現していることを指摘した[16]

著名人の座右の銘

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  • 「そんかとくか 人間のものさし うそかまことか 佛さまのものさし」 南部靖之(パソナ代表取締役グループ代表)[17]
  • 「そのとき どう動く」 菅原澄(画商・タマ美術代表取締役)[13]
  • 「たまには涙をみせたっていいがな」 藤波辰爾(新日本プロレス社長)[18]
  • 「一生燃焼、一生感動、一生不悟」 常盤百樹(ときわももき、四国電力社長)[19]
  • 「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 野田佳彦(元内閣総理大臣立憲民主党最高顧問。)
  • 「出会いが人を変え、感動が人を動かす」NAOTOEXILEのパフォーマー)[20]

相田みつを美術館

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1996年に東京・銀座に相田みつを美術館が開館し、その後、東京国際フォーラムに移転した[21]

2007年、相田みつを美術館で新春書初めイベントが行われ、相田の書が楽しめるニンテンドーDS用ソフト『こころに染みる毛筆で書く相田みつをDS』の体験デモが行われた[22]

2009年、相田みつを美術館は、相田の書と写真が合成できるiPhone/iPod touch向けアプリケーション『みつをフォトアート』を発表し、相田の作品を初めて全世界へ配信した[23]

しかし、東京国際フォーラムが長期大規模修繕工事に入るのを機に、2024年(令和6年)1月28日で閉館することが発表された[21]

メディアでの反響

[編集]

2004年、木梨憲武主演で相田の生涯が『にんげんだもの -相田みつを物語-』としてドラマ化された。

2011年6月、サイバーコンサルタントは、1984年初版の書籍「にんげんだもの」を、1989年初版の朗読版「にんげんだもの」(朗読:大坂志郎)とで再構成されたiPhone/iPod touch向けアプリケーション『にんげんだもの - 相田みつを』の配信を開始した[24]。同年8月、野田佳彦による民主党代表選での演説で、「どじょう」(第2詩集「おかげさん」収録)が引用されると、美術館の来場者急増や詩集の注文殺到による増刷など脚光を浴びた[9]

生島ヒロシは、自身のTBSラジオ番組『生島ヒロシのおはよう一直線』の「一期一会」のコーナーで相田の詩を紹介していて[25]、義母を介護する際にも読み聞かせていたという[26]。また、大沢悠里もTBSラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』で毎週金曜日、「相田みつを・こころの美術館」で詩を朗読していた[27]

この他、インターネット上を中心に相田の詩を真似たパロディ作品も多数登場している。

著書

[編集]

50冊近い「相田本」はロングセラーを続け、累計1,000万部に迫るとされる[28]

単著

[編集]
  • 『にんげんだもの』 文化出版局、1984年。
    • 『にんげんだもの 愛蔵版』 文化出版局、1998年。
  • 『おかげさん』 ダイヤモンド社、1987年。
    • 『おかげさん 軽装版』 ダイヤモンド社、2004年。
  • 『おかげさん 心の歳時記』 ダイヤモンド社、1988年。
  • 『一生感動一生青春』 文化出版局、1990年。
    • 『一生感動一生青春 愛蔵版』 文化出版局、1999年。
  • 『相田みつを ひとり語り 第1集 いまここ』 ダイヤモンド社、1990年。
  • 『いのちいっぱい』 ダイヤモンド社、1991年。
    • 『いのちいっぱい 新装版』 ダイヤモンド社、2019年。
  • 『いちずに一本道 いちずに一ツ事』 佼成出版社、1992年。
    • 『いちずに一本道 いちずに一ツ事 新版』 角川文庫、1998年。
  • 『きょうが一番いい日』 ダイヤモンド社、1992年。
  • 『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』 文化出版局、1993年。
    • 『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』 角川文庫、2009年。
  • 『相田みつを 心の書選』 文化出版局、1995年。
  • 『しあわせはいつも』 文化出版局、1995年。
  • 『相田みつを・心の詩』シリーズ
    • 『アノネ 相田みつを・心の詩1』ダイヤモンド社、1995年。
    • 『空を見上げて 相田みつを・心の詩2』ダイヤモンド社、1995年。
    • 『大事なこと 相田みつを・心の詩3』 ダイヤモンド社、1995年。
    • 『相田みつを・心の詩 アノネ・空を見上げて・大事なこと』 ダイヤモンド社、1997年。
  • 『対訳 相田みつを作品集』シリーズ
    • 『対訳 相田みつを作品集 THE HERE AND NOW いまここ』 ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、1996年。
    • 『対訳 相田みつを作品集2 A Phrase by my side そのままでいいがな』 相田一人監修、ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、2000年。
    • 『対訳 相田みつを作品集3 Talking to… あなたのこころがきれいだから』 相田一人監修、ティム・ジェンセン訳、ダイヤモンド社、2000年。
  • 『生きていてよかった』 相田一人監修、ダイヤモンド社、1998年。
    • 『生きていてよかった』 角川文庫、2003年。
  • 『相田みつをと私 著名50人が選んだマイベストコレクション』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2000年。
  • 『にんげんだもの 逢 新版』 角川文庫、2000年。
  • 『じぶんの花を』 文化出版局、2001年。
  • 『日めくり文庫 にんげんだもの』 角川文庫、2001年。
  • 『日めくり文庫 ひとりしずか』 角川文庫、2001年。
  • 『相田みつを 奇跡のことば』 河出書房新社〈KAWADE夢ムック 文藝別冊〉、2001年。
  • 『私が「じぶん」に出逢うとき』 毎日新聞社〈毎日ムック〉、2002年。
  • 『いまから ここから』 相田一人監修、ダイヤモンド社、2003年。
  • 『おかげさん ベストセレクション・日めくり』 ダイヤモンド社、2003年
    • 『おかげさん ベストセレクション・日めくり 復刻版』 ダイヤモンド社、2009年
    • 『おかげさん ベストセレクション・日めくり 新装版』 ダイヤモンド社、2015年
  • 『「生きていてよかった」特別編 3年B組金八先生ベストセレクション』 ダイヤモンド社、2005年。
  • 『本気』 相田一人監修、文化出版局、2006年。
  • 『相田みつをの「本気」で書き写し』 文化出版局、2006年。
  • 『いのち いちばん大切なもの』 文化出版局、2008年。
  • 『ある日自分へ』 相田一人監修、文化出版局、2010年。
  • 『うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる』 ダイヤモンド社、2011年。
  • 『相田みつを ザ・ベスト』シリーズ
    • 『一生感動一生青春 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
    • 『にんげんだもの 逢 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
    • 『にんげんだもの 道 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
    • 『しあわせはいつも 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2011年。
    • 『かんのん讃歌 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2012年。
    • 『いちずに一本道 いちずに一ッ事 相田みつを ザ・ベスト』 角川文庫、2013年。
  • 『相田みつを手帳「道」』シリーズ
    • 『相田みつを手帳「道」2013』 ダイヤモンド社、2012年。
    • 『相田みつを手帳「道」2014』 ダイヤモンド社、2013年。
    • 『相田みつを手帳「道」2016』 ダイヤモンド社、2015年。
    • 『相田みつを手帳「道」2017』 相田一人監修、ダイヤモンド社、2016年。
  • 『幸運日めくり ハローキティのにんげんだもの 毎日がもっと楽しくなる31の言葉』 ダイヤモンド社、2015年。
  • 『幸運日めくり 願い(ウィッシュ)編 ハローキティのにんげんだもの 毎日がもっと楽しくなる31の言葉』 ダイヤモンド社、2016年。
  • 『ただいるだけで』 PHP研究所、2016年。

共著

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  • 佐々木正美『育てたように子は育つ 相田みつを いのちのことば』 相田一人監修、小学館、1999年。
    • 佐々木正美『育てたように子は育つ 相田みつを いのちのことば』 小学館文庫、2008年。
  • 佐々木正美『なやみはつきねんだなあ 相田みつを いのちのことば』 小学館、2003年。
    • 佐々木正美『なやみはつきねんだなあ 相田みつを いのちのことば』 小学館文庫、2005年。
  • 川上健一『日めくり物語 三十の人生の三十の感動』 小学館、2004年。
  • 立原えりか『いのちのバトン 初めて出会う相田みつをのことば』 角川文庫、2005年。
  • 西舘好子『いちばん大事なこと 絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
  • いわさきちひろ『みんなほんもの 絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2008年。
  • 野崎洋光『相田みつをの心 野崎洋光の味』 文化出版局、2009年。
  • みつはしちかこ『あなたにめぐりあえてほんとうによかった 絆シリーズ』 ダイヤモンド社、2011年
  • くっしー『いのちいっぱい じぶんの花を』 角川つばさ文庫、2011年。
  • トトアキヒコ『しあわせ 相田みつを&雲母唐長 幸運を贈るポストカードBook』 ダイヤモンド社、2013年
  • 佐々木正美『自分の番を生きるということ 人生のおさらい』 小学館、2016年。
  • 高瀬勝之、ヲバラトモコ『やわらかければだいじょうぶ ウルみつ絵本シリーズ』 あいうえお館、2016年。

私生活

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1954年、材木商の末娘であった平賀千江と結婚。千江は「短歌の会」で相田と知り合ったが、不器用で収入がなかった相田との結婚に周囲が反対したという[29]。一男一女をもうけ、家族四人は八畳一間で暮らしていたが、相田だけは三十畳のアトリエを独占していたという[12]相田みつを美術館館長の相田一人は長男。長男一人によると、相田みつをは兄2人を戦争で亡くしている。また、本人も戦争に参加していることから、戦争体験抜きに相田みつをの作品は語れないと話している[30]

画商の菅原澄によると、相田は自分では「自分は書家ではない。在野の坊主だ」と常々言っていたが、人間臭く、わがままで、嫌いな相手とすぐケンカになったり、女性に大層もてたりしたという[13]埼玉県加須市在住の書道家我峰(渡邉浅男)[要出典]、女流書家の尾花也生(おばなやよい)[1]など、懇意にしていた書道家仲間が多数存在した。足利を代表する須永花火など数社を有する須永グループ代表の須永昇は相田のパトロンの一人であり、無名だった相田の作品を展覧会の度に購入して活動を支えた。現在も須永家では相田の作品を数多く所蔵し、一部は相田みつを美術館に寄贈、須永コレクションとして展示されている。

参考文献

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  1. ^ a b “【イブニングマガジン】相田みつを 女流書家 尾花也生さん”. 産経新聞. (2001年9月28日) 
  2. ^ a b c “相田みつをふるさと展 「書の詩人」の原点--足利商工会議所友愛会館 /栃木”. 毎日新聞. (2006年6月7日) 
  3. ^ a b c 本間善幸 (2009年6月3日). “田子/相田みつを長男が講演/作品は自分への言葉”. 東奥日報 
  4. ^ a b “【イブニングマガジン】相田みつを 相田の息吹残る故郷・足利”. 産経新聞. (2001年9月28日) 
  5. ^ a b c d e “特集- 「こころに響くことば~書の詩人 相田みつを展」 「あなた」への応援歌”. 毎日新聞. (2011年4月2日) 
  6. ^ “中日文化センターだより”. 中日新聞. (2007年4月1日) 
  7. ^ “【産経抄】”. 産経新聞. (2011年9月1日) 
  8. ^ a b c d “[いまどきの現代詩](3)時代の方向性 平明さに「慰め」求める(連載)”. 読売新聞. (2002年4月4日) 
  9. ^ a b “相田みつを作品 どじょう演説で脚光 美術館の来館者急増 詩集5千部増刷決まる”. msn産経ニュース. (2011年8月31日). https://web.archive.org/web/20110901062622/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110831/art11083122260005-n1.htm 
  10. ^ 相田みつを美術館 第85回ミュージアムライブ
  11. ^ 読売新聞日曜版2014年12月21日2面
  12. ^ a b “【イブニングマガジン】相田みつを 父を語る 相田みつを美術館長 相田一人さん”. 産経新聞. (2001年9月28日) 
  13. ^ a b c “【イブニングマガジン】人間・相田みつを タマ美術代表取締役 菅原澄さん”. 産経新聞. (2001年9月28日) 
  14. ^ 都築響一、2006、「都築響一の夜露死苦現代詩」、『新潮』103巻2号(2006年2月号)、新潮社
  15. ^ 「泥鰌内閣」(『マルセイユの海鞘』中央公論新社
  16. ^ 広野彩子 (2009年10月6日). “行動経済学の本質、それは「にんげんだもの」にあった!―リチャード・セイラー米シカゴ大学教授が語る新著と「相田みつを」”. 日経ビジネス・オンライン. http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091002/206138/ 
  17. ^ “【イブニングマガジン】相田みつを 私を支える座右の銘 南部康之さん”. 産経新聞. (2001年9月28日) 
  18. ^ “【イブニングマガジン】相田みつを 私を支える座右の銘 藤波辰爾さん”. 産経新聞. (2001年9月28日) 
  19. ^ 池冨仁 (2005年10月30日). “新社長 Who's Who 四国電力 常盤百樹(ときわ・ももき)”. 週刊ダイヤモンド 
  20. ^ 三代目J Soul Brothersの物語(3ページ目)”. X BRAND (2013年2月18日). 2013年8月31日閲覧。
  21. ^ a b 相田みつを美術館、28日で閉館 他館での展示や通信販売は継続”. 下野新聞 (2024年1月19日). 2024年1月19日閲覧。
  22. ^ “相田みつを美術館 三が日新春書初め”. 産経新聞. (2006年12月28日) 
  23. ^ 田中聡 (2009年3月25日). “相田みつをの“書”と写真を合成――iPhoneアプリ「みつをフォトアート」”. ITmedia. 2013年4月30日閲覧。
  24. ^ サイバーコンサルタント、iPhoneアプリで読む、相田みつをの「にんげんだもの」”. MdN (2011年6月17日). 2013年4月30日閲覧。
  25. ^ 相田みつを美術館”. 相田みつを美術館. 2013年4月30日閲覧。
  26. ^ 生島ヒロシ 介護でオススメは音楽を流し相田みつを読み聞かせ”. NEWSポストセブン (2012年2月19日). 2013年4月30日閲覧。
  27. ^ 相田みつを美術館”. 相田みつを美術館. 2013年4月30日閲覧。
  28. ^ “相田一人さん=開館10周年を迎えた、相田みつを美術館長”. 毎日新聞. (2006年9月17日) 
  29. ^ “家族のこと話そう 相田みつを美術館長 相田一人さん 覚悟して道を進んだ父 書に対する執念 美術館には反対”. 中日新聞. (2009年5月10日) 
  30. ^ 「にんげんだもの」 相田みつをの作品は、なぜ心に響くのか”. 致知出版社 (2021年5月16日). 2022年10月27日閲覧。

関連文献

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  • 紀野一義 『生きるのが下手な人へ』 光文社、1974年。
  • 松本幸夫 『いのちの詩人相田みつをに学ぶ』 総合法令出版、1997年。
  • 相田一人 『父相田みつを』 文化出版局(のち角川文庫)、1998年。
  • 相田一人 『書相田みつを』 文化出版局、1998年。
  • 松本幸夫 『おかげさまの人生 相田みつをに学ぶ生き方』 総合法令出版、1998年。
  • 『相田みつを 奇跡のことば』 河出書房新社〈Kawade夢ムック〉、2001年。
  • 今井久喜 『ことばに生かされて 相田みつを・人生の応援歌』相田一人監修、小学館、2002年。
  • 致知編集部 『現代人の伝記1』 致知出版、2003年。

外部リンク

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