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「野田佳彦」の版間の差分

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| 没年月日 =
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| 死没地 =
| 死没地 =
| 出身校 = [[早稲田大学政治経済学部]][[政治学|政治学科]]
| 出身校 = [[早稲田大学政治経済学部]][[政治学|政治学科]]卒業
| 前職 = [[家庭教師]]<br />[[都市ガス]]点検員
| 前職 =
| 現職 =
| 現職 =
| 所属政党 = ([[無所属]]→)<br />([[日本新党]]→)<br />([[新進党]]→)<br />([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]→)<br />([[民進党]]→)<br />(無所属/千葉民主連合→)<br />[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]([[花斉会|野田G]])
| 所属政党 = ([[無所属]]→)<br />([[日本新党]]→)<br />([[新進党]]→)<br />([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]→)<br />([[民進党]]→)<br />(無所属/千葉民主連合→)<br />[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]([[花斉会|野田G]])
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'''野田 佳彦'''(のだ よしひこ、[[1957年]]〈[[昭和]]32年〉[[5月20日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]所属の[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](9期)、立憲民主党最高顧問。
'''野田 佳彦'''(のだ よしひこ、[[1957年]]〈[[昭和]]32年〉[[5月20日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]所属の[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](9期)、立憲民主党最高顧問。


[[千葉県議会|千葉県議会議員]](2期)、[[財務副大臣]]([[鳩山由紀夫内閣]])、[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]([[菅直人内閣|第14代]])、[[内閣総理大臣]]([[野田内閣|第95代]])、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[国民民主党国会対策委員会|国会対策委員長]](第7代・第10代)、民主党幹事長代理、[[国民民主党代表|民主党代表]](第9代)、民主党最高顧問、[[民進党]][[国民民主党幹事長|幹事長]](第2代)などを歴任。
[[千葉県議会|千葉県議会議員]](2期)、[[財務副大臣]]([[鳩山由紀夫内閣]])、[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]([[菅直人内閣|第14代]])、[[内閣総理大臣]]([[野田内閣|第95代]])、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[国民民主党国会対策委員会|国会対策委員長]](第7代・第10代)、民主党幹事長代理、[[国民民主党代表|民主党代表]](第9代)、民主党最高顧問、[[民進党]][[国民民主党幹事長|幹事長]](第2代)を歴任した


== 歴 ==
== 歴 ==
=== 生い立ち ===
=== 生い立ち ===
[[千葉県]][[船橋市]]出身。父は、[[富山県]]の[[農家]]の6人兄弟の末っ子として生まれ、[[陸上自衛隊]][[習志野駐屯地]]に所属した[[自衛官]]<ref name="excite">[https://archive.fo/sr5SB 「日本の次期首相・野田氏は軍人一家出身で強硬派」=中国報道] エキサイトニュース 2011年8月29日</ref><ref name="nikkei BPnet">[https://web.archive.org/web/20080321233237/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/matsushita/080317_1st/ 3歳半のときから「政治」を意識した] nikkei BPnet 2008年3月17日</ref><ref name="mainichi">[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110830k0000m010104000c.html 民主代表選:野田新代表「ドジョウの政治をやり抜く」 - 毎日jp(毎日新聞)]{{リンク切れ|date=2021年11月}}</ref> だった。母は千葉県の農家の11人兄弟の末っ子だった<ref name="mainichi"/>。
[[千葉県]][[船橋市]]出身。父は、[[富山県]]の[[農家]]の6人兄弟の末っ子として生まれ、[[陸上自衛隊]][[習志野駐屯地]]に所属した[[自衛官]]<ref name="excite">[https://archive.fo/sr5SB 「日本の次期首相・野田氏は軍人一家出身で強硬派」=中国報道] エキサイトニュース 2011年8月29日</ref><ref name="nikkei BPnet">[https://web.archive.org/web/20080321233237/http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/matsushita/080317_1st/ 3歳半のときから「政治」を意識した] nikkei BPnet 2008年3月17日</ref><ref name="mainichi">[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110830k0000m010104000c.html 民主代表選:野田新代表「ドジョウの政治をやり抜く」 - 毎日jp(毎日新聞)]{{リンク切れ|date=2021年11月}}</ref> だった。母は千葉県の農家の11人兄弟の末っ子だった<ref name="mainichi"/>。
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県立船橋高校では[[柔道|柔道部]]に所属<ref name="yomiuri20110902">{{cite news|title=誕生 野田首相 「時代に選ばれ」飛躍|author=黒田高史|author2=大森祐香|author3=野崎達也|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞|date=2011-09-02|url=https://archive.fo/mi33y|accessdate=2012-02-19}}</ref>。1976年(昭和51年)4月、[[早稲田大学政治経済学部]][[政治学|政治学科]]に入学。当初は[[立花隆]]に憧れ、[[ジャーナリスト]]を志していた<ref name="nikkei BPnet"/>。在学中は[[新自由クラブ]]で[[ボランティア]]活動をし、[[第11回参議院議員通常選挙|1977年の参院選]]で[[チラシ|ビラ]]配りをした経験もある<ref name="yomiuri20110902"/>。同年には[[TBSテレビ|TBS]]の『[[クイズ世界をあなたに]]』の解答者として出場。優勝し[[アメリカ合衆国|アメリカ]]旅行を手にした<ref>衆議院議員になってからは、同局の『[[オールスター感謝祭|オールスター大感謝祭]]』にも出場した。</ref>。
県立船橋高校では[[柔道|柔道部]]に所属<ref name="yomiuri20110902">{{cite news|title=誕生 野田首相 「時代に選ばれ」飛躍|author=黒田高史|author2=大森祐香|author3=野崎達也|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞|date=2011-09-02|url=https://archive.fo/mi33y|accessdate=2012-02-19}}</ref>。1976年(昭和51年)4月、[[早稲田大学政治経済学部]][[政治学|政治学科]]に入学。当初は[[立花隆]]に憧れ、[[ジャーナリスト]]を志していた<ref name="nikkei BPnet"/>。在学中は[[新自由クラブ]]で[[ボランティア]]活動をし、[[第11回参議院議員通常選挙|1977年の参院選]]で[[チラシ|ビラ]]配りをした経験もある<ref name="yomiuri20110902"/>。同年には[[TBSテレビ|TBS]]の『[[クイズ世界をあなたに]]』の解答者として出場。優勝し[[アメリカ合衆国|アメリカ]]旅行を手にした<ref>衆議院議員になってからは、同局の『[[オールスター感謝祭|オールスター大感謝祭]]』にも出場した。</ref>。


[[1980年]](昭和55年)3月、同大学卒業。[[日本放送協会|NHK]]と[[読売新聞]]の内定を得ていたが<ref>[https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7334&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1 野田佳彦首相の対米観] [[浅野一弘]]</ref>、[[松下幸之助]]が設立したばかりの[[松下政経塾]]に第1期生として入塾した。野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終[[面接]]を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は[[富豪|金持ち]]か?』『どちらかというと[[貧乏]]です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき[[政治]]の姿を学ぶことになりました<ref name="nikkei BPnet"/>。」と当時について回想している。
[[1980年]](昭和55年)3月、同大学卒業。[[日本放送協会|NHK]]と[[読売新聞]]の内定を得ていたが<ref>{{Cite journal|和書 |author=[[浅野一弘]] |date=2016-03 |url=https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/records/7334 |title=野田佳彦首相の対米観 |journal=札幌法学 |ISSN=0915809X |publisher=札幌大学法学部 |volume=27 |issue=1/2 |pages=7-37 |CRID=1050282812531711616}}</ref>、[[松下幸之助]]が設立したばかりの[[松下政経塾]]に第1期生として入塾した。野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終[[面接]]を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は[[富豪|金持ち]]か?』『どちらかというと[[貧乏]]です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき[[政治]]の姿を学ぶことになりました<ref name="nikkei BPnet"/>。」と当時について回想している。


松下政経塾では[[学童保育]]の研究などを行い、[[1985年]](昭和60年)に卒業した<ref name="nik20110830"/>。
松下政経塾では[[学童保育]]の研究などを行い、[[1985年]](昭和60年)に卒業した<ref name="nik20110830"/>。


=== 政界入り ===
=== 政界入り ===
[[家庭教師]]や[[都市ガス]]の点検員など、様々な仕事の経験を経て<ref name="mainichi1">{{cite web|url=http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/08/30/20110830ddm010010191000c.html|title=民主党代表選:野田代表、出発は裸一貫 ガス点検員を経験/駅前で演説24年…|publisher=[[毎日新聞]]|accessdate=2011-08-30|date=2011-08-30|deadlinkdate=2012-03-07}}</ref>、1987年(昭和62年)に[[千葉県議会]]議員選挙に[[千葉県]]内一の激戦区である[[船橋市]]から立候補した。選挙資金は[[カンパ]]による500万円、運動員は20代のボランティア約50人だったが、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した<ref>{{cite news|title=松下政経塾 地方政界に新風 地盤、看板、金なし 辻説法で9人当選(解説)|newspaper=[[読売新聞]]|date=1987-04-29|author=小林篤市}}</ref>。千葉県議は2期務めた。
[[家庭教師]]や[[都市ガス]]の点検員など、様々な仕事の経験を経て<ref name="mainichi1">{{Cite web|和書|url=http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/08/30/20110830ddm010010191000c.html|title=民主党代表選:野田代表、出発は裸一貫 ガス点検員を経験/駅前で演説24年…|publisher=[[毎日新聞]]|accessdate=2011-08-30|date=2011-08-30|deadlinkdate=2012-03-07}}</ref>、1987年(昭和62年)に[[千葉県議会]]議員選挙に[[千葉県]]内一の激戦区である[[船橋市]]から立候補した。選挙資金は[[カンパ]]による500万円、運動員は20代のボランティア約50人だったが、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した<ref>{{cite news|title=松下政経塾 地方政界に新風 地盤、看板、金なし 辻説法で9人当選(解説)|newspaper=[[読売新聞]]|date=1987-04-29|author=小林篤市}}</ref>。千葉県議は2期務めた。


=== 国政へ ===
=== 国政へ ===
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=== 堀江メール問題での失脚 ===
=== 堀江メール問題での失脚 ===
{{see also|堀江メール問題}}
{{see also|堀江メール問題}}
2005年(平成17年)の総選挙で惨敗した民主党は敗北の責任を取って辞任した[[岡田克也]]代表の後任に前原誠司を選出して、野田は前原[[民主党執行部|執行部]]で国会対策委員長に再任した。しかし、[[2006年]](平成18年)2月に[[永田寿康]]が引き起こした[[ライブドア]]元社長の[[堀江貴文]]の総選挙立候補をめぐる[[堀江メール問題]]では、当初このメールの信憑性を疑わずに永田を擁護する対応をとったため国対委員長を引責辞任した(のちに前原も[[民主党代表]]を辞任)。なお、このメール問題について[[2008年]](平成20年)に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では「普通の企業なら当然そなわっている危機管理と統治能力がなかった」、「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」が原因だったと指摘された。また、[[馬淵澄夫]]によれば、国対委員長を辞任した野田と[[神楽坂]]のバーで飲んだ際、野田は「いやー、いろいろあったけど墓場まで持っていくしかねぇな」と話したという<ref>[http://mabuti-sumio.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post-77af.html 終局:まぶちすみおの「不易塾」日記] 2006年3月8日</ref>。
2005年(平成17年)の総選挙で惨敗した民主党は敗北の責任を取って辞任した[[岡田克也]]代表の後任に前原誠司を選出して、野田は前原[[民主党執行部|執行部]]で国会対策委員長に再任した。しかし、[[2006年]](平成18年)2月に[[永田寿康]]が引き起こした[[ライブドア]]元社長の[[堀江貴文]]の総選挙立候補をめぐる[[堀江メール問題]]では、当初このメールの信憑性を疑わずに前原発言後の記者達を集めた記者会見で「これが証拠の電子メールです」と発言し入手した証拠の電子メールを発表し永田を擁護する対応をとったため国対委員長を引責辞任した(のちに前原も[[民主党代表]]を辞任)。なお、このメール問題について[[2008年]](平成20年)に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では「普通の企業なら当然そなわっている危機管理と統治能力がなかった」、「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」が原因だったと指摘された。また、[[馬淵澄夫]]によれば、国対委員長を辞任した野田と[[神楽坂]]のバーで飲んだ際、野田は「いやー、いろいろあったけど墓場まで持っていくしかねぇな」と話したという<ref>[http://mabuti-sumio.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post-77af.html 終局:まぶちすみおの「不易塾」日記] 2006年3月8日</ref>。


国対委員長辞任後は科学技術政策ワーキングチームの座長として宇宙の軍事利用の検討を行い、[[防衛]]目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非[[侵略]]での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針や「宇宙庁」の設置を主張した<ref name="yomiuri">{{cite news|title= 民主の「宇宙庁」構想に異論も 基本法案骨子を示す 関係省庁「行革に逆行」|newspaper= 読売新聞|date= 2007-12-27}}</ref><ref>{{cite news|title= [スキャナー]宇宙政策を大転換 基本法成立受け 国家戦略や宇宙局に課題|newspaper= 読売新聞|date= 2008-05-22}}</ref>。
国対委員長辞任後は科学技術政策ワーキングチームの座長として宇宙の軍事利用の検討を行い、[[防衛]]目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非[[侵略]]での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針や「宇宙庁」の設置を主張した<ref name="yomiuri">{{cite news|title= 民主の「宇宙庁」構想に異論も 基本法案骨子を示す 関係省庁「行革に逆行」|newspaper= 読売新聞|date= 2007-12-27}}</ref><ref>{{cite news|title= [スキャナー]宇宙政策を大転換 基本法成立受け 国家戦略や宇宙局に課題|newspaper= 読売新聞|date= 2008-05-22}}</ref>。


[[2007年]](平成19年)11月から2008年(平成20年)4月まで[[国土審議会]]委員を務めた<ref>{{cite web|title=国土審議会(総会)・名簿|url=https://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/soukai/soukai_meibo_071101.html|accessdate=2012-01-28|publisher=[[国土交通省]]}}</ref><ref>{{cite web|title=国土審議会(総会)・名簿|url=https://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/soukai/soukai_meibo.html|publisher=国土交通省|accessdate=2012-01-28}}</ref>。
[[2007年]](平成19年)11月から2008年(平成20年)4月まで[[国土審議会]]委員を務めた<ref>{{Cite web|和書|title=国土審議会(総会)・名簿|url=https://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/soukai/soukai_meibo_071101.html|accessdate=2012-01-28|publisher=[[国土交通省]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=国土審議会(総会)・名簿|url=https://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/soukai/soukai_meibo.html|publisher=国土交通省|accessdate=2012-01-28}}</ref>。


2008年(平成20年)8月に「本当の[[二大政党制|二大政党]]なら[[政策]]論争をしないと意味がない」と主張して、民主党代表選への立候補をあきらかにしたが、幹部の[[松本剛明]]に強く自制を求められるなどみずからの[[花斉会|グループ]]をまとめきれず<ref>{{cite news|title= 民主代表戦 野田氏出馬断念の背景 小沢氏 3選確実|newspaper= 産経新聞 大阪本社版|date= 2008-08-23}}</ref>、さらに[[安住淳]]国対委員長代理(当時)からいわゆる偽メール問題の責任を挙げられ自省を迫られるなど<ref>{{cite news|title= 政界- 安住・民主国対委員長代理「野田氏は自省を」|newspaper= 毎日新聞|date= 2008-08-22}}</ref>、推薦人(20人)確保のめどが立たず、立候補を断念。これにより、[[小沢一郎]]代表体制の継続が事実上決まった。野田の立候補断念に反発した馬淵澄夫は、グループを脱会した。
2008年(平成20年)8月に「本当の[[二大政党制|二大政党]]なら[[政策]]論争をしないと意味がない」と主張して、民主党代表選への立候補をあきらかにしたが、幹部の[[松本剛明]]に強く自制を求められるなどみずからの[[花斉会|グループ]]をまとめきれず<ref>{{cite news|title= 民主代表戦 野田氏出馬断念の背景 小沢氏 3選確実|newspaper= 産経新聞 大阪本社版|date= 2008-08-23}}</ref>、さらに[[安住淳]]国対委員長代理(当時)からいわゆる偽メール問題の責任を挙げられ自省を迫られるなど<ref>{{cite news|title= 政界- 安住・民主国対委員長代理「野田氏は自省を」|newspaper= 毎日新聞|date= 2008-08-22}}</ref>、推薦人(20人)確保のめどが立たず、立候補を断念。これにより、[[小沢一郎]]代表体制の継続が事実上決まった。野田の立候補断念に反発した馬淵澄夫は、グループを脱会した。
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=== 鳩山内閣 ===
=== 鳩山内閣 ===
2009年9月、[[鳩山由紀夫内閣]]が成立すると、当初は[[防衛大臣]]への就任が取り沙汰されたが、野田が著書で[[日本の集団的自衛権|集団的自衛権]]の行使容認を主張するなど[[タカ派]]的な姿勢を示していたことから、[[民社国連立政権|連立]]を組む[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の懸念により見送られ<ref name="hayashi">[[林信吾]]、[[葛岡智恭]]『日本人の選択 二〇一〇年代』、アドレナライズ 2013年</ref>、[[藤井裕久]]財務相の推挙により[[財務副大臣]]([[予算 (日本)|予算]]担当<ref>[https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022127/www.mof.go.jp/kaiken/kaiken.htm 財務省 財務副大臣就任記者会見の概要 平成21年9月25日]</ref>)に就任し<ref>[https://gendai.media/articles/print/20202 現代ビジネス磯山友幸「経済ニュースの裏側」2011年09月21日(水)]</ref>、消費増税派に転向する。2010年(平成22年)1月に藤井が健康上の問題を理由に辞任すると、当時は小沢一郎幹事長と敵対関係ではなかったため、後任候補の1人として名前が上がり<ref>{{cite news
2009年9月、[[鳩山由紀夫内閣]]が成立すると、当初は[[防衛大臣]]への就任が取り沙汰されたが、野田が著書で[[日本の集団的自衛権|集団的自衛権]]の行使容認を主張するなど[[タカ派]]的な姿勢を示していたことから、[[民社国連立政権|連立]]を組む[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の懸念により見送られ<ref name="hayashi">[[林信吾]]、[[葛岡智恭]]『日本人の選択 二〇一〇年代』、アドレナライズ 2013年</ref>、[[藤井裕久]]財務相の推挙により[[財務副大臣]]([[予算 (日本)|予算]]担当<ref>[https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022127/www.mof.go.jp/kaiken/kaiken.htm 財務省 財務副大臣就任記者会見の概要 平成21年9月25日]</ref>)に就任し<ref>[https://gendai.media/articles/print/20202 現代ビジネス磯山友幸「経済ニュースの裏側」2011年09月21日(水)]</ref>、消費増税派に転向する。2010年(平成22年)1月に藤井が健康上の問題を理由に辞任すると、当時は小沢一郎幹事長と敵対関係ではなかったため、後任候補の1人として名前が上がり<ref>{{cite news
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|title = 「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (1/2ページ)
|title = 「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (1/2ページ)
|newspaper = 産経新聞
|newspaper = 産経新聞
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|accessdate = 2010-04-19
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}}</ref>、藤井も野田を後任に推薦する意向だったが<ref>{{cite news
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|title = 「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (2/2ページ)
|title = 「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (2/2ページ)
|newspaper = 産経新聞
|newspaper = 産経新聞
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2011年(平成23年)8月29日に施行された代表選挙では、第1回目の投票で海江田の143票に次ぐ102票を獲得<ref>[https://news.ntv.co.jp/category/politics/189483 民主党代表選 海江田氏と野田氏の決選投票] 日テレNEWS24 2011年8月29日</ref>。過半数を獲得した候補がいなかったため決選投票となり、小沢への批判票を集めた野田が215票を獲得して177票を獲得した海江田を逆転し、第9代民主党代表に選出された<ref>[https://archive.is/20120717235348/www.asahi.com/politics/update/0829/TKY201108290138.html 民主新代表に野田氏 決選投票で海江田氏を逆転] 朝日新聞 2011年8月29日</ref>。
2011年(平成23年)8月29日に施行された代表選挙では、第1回目の投票で海江田の143票に次ぐ102票を獲得<ref>[https://news.ntv.co.jp/category/politics/189483 民主党代表選 海江田氏と野田氏の決選投票] 日テレNEWS24 2011年8月29日</ref>。過半数を獲得した候補がいなかったため決選投票となり、小沢への批判票を集めた野田が215票を獲得して177票を獲得した海江田を逆転し、第9代民主党代表に選出された<ref>[https://archive.is/20120717235348/www.asahi.com/politics/update/0829/TKY201108290138.html 民主新代表に野田氏 決選投票で海江田氏を逆転] 朝日新聞 2011年8月29日</ref>。


投票前に行われた、いわゆる「ドジョウ演説」では、ジョークや[[相田みつを]]の詩を交えつつ、政治に「夢、志、人情」を取り戻すことを訴えた<ref name="j-cast">[http://www.j-cast.com/2011/08/29105647.html 野田新代表の「演説力」はピカ一 ジョーク交え「夢、志、人情」訴える] J-CASTニュース 2011年8月29日</ref>。<!--相田みつをの政治利用は「曖昧なわかりやすさ」でしかないと[[小田嶋隆]]に批判された<ref>{{cite web
投票前に行われた、いわゆる「ドジョウ演説」では、ジョークや[[相田みつを]]の詩を交えつつ、政治に「夢、志、人情」を取り戻すことを訴えた<ref name="j-cast">[https://www.j-cast.com/2011/08/29105647.html 野田新代表の「演説力」はピカ一 ジョーク交え「夢、志、人情」訴える] J-CASTニュース 2011年8月29日</ref>。<!--相田みつをの政治利用は「曖昧なわかりやすさ」でしかないと[[小田嶋隆]]に批判された<ref>{{cite web
|author = 小田嶋隆
|author = 小田嶋隆
|date = 2011-09-02
|date = 2011-09-02
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[[10月31日]]、[[ベトナム]]の[[グエン・タン・ズン|ズン]][[ベトナムの首相|首相]]と[[内閣総理大臣官邸|官邸]]で会談し、2010年に合意した日本が[[輸出]]する[[ニントゥアン第二原子力発電所]]について計画通り実施することを再確認した。[[東北地方太平洋沖地震|3.11]]後、菅首相(当時)による原発輸出見直し発言もあったが、これにより従来通り原発輸出推進へと舵を切ることとなった。
[[10月31日]]、[[ベトナム]]の[[グエン・タン・ズン|ズン]][[ベトナムの首相|首相]]と[[内閣総理大臣官邸|官邸]]で会談し、2010年に合意した日本が[[輸出]]する[[ニントゥアン第二原子力発電所]]について計画通り実施することを再確認した。[[東北地方太平洋沖地震|3.11]]後、菅首相(当時)による原発輸出見直し発言もあったが、これにより従来通り原発輸出推進へと舵を切ることとなった。


[[12月16日]]、野田は[[福島第一原子力発電所事故|福島第一原子力発電所]]の[[原子炉]]が冷温停止状態(ステップ2)を達成したとして、いわゆる原発事故の「収束宣言」を行なった。「収束」という言葉に対する違和感を示す質問には「ステップ2が終わったから政府のいろんな対応が、手を抜いていくとか、[[福島県|福島]]の地から我々はどんどん力を削いでいくということは全くありません。」と釈明した<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2011/1216kaiken.html 野田内閣総理大臣記者会見] 首相官邸 2011年12月16日</ref><ref>[http://www.j-cast.com/2011/12/16116749.html 野田首相が原発事故「収束」宣言 記者から「違和感」指摘する声] J-CASTニュース 2011年12月16日</ref>。
[[12月16日]]、野田は[[福島第一原子力発電所事故|福島第一原子力発電所]]の[[原子炉]]が冷温停止状態(ステップ2)を達成したとして、いわゆる原発事故の「収束宣言」を行なった。「収束」という言葉に対する違和感を示す質問には「ステップ2が終わったから政府のいろんな対応が、手を抜いていくとか、[[福島県|福島]]の地から我々はどんどん力を削いでいくということは全くありません。」と釈明した<ref>[https://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2011/1216kaiken.html 野田内閣総理大臣記者会見] 首相官邸 2011年12月16日</ref><ref>[https://www.j-cast.com/2011/12/16116749.html 野田首相が原発事故「収束」宣言 記者から「違和感」指摘する声] J-CASTニュース 2011年12月16日</ref>。


[[12月22日]]、野田が議長を務める[[国家戦略会議]]において「[[日本再生の基本戦略]]」が決定され、[[東日本大震災]]からの[[復興]]に加えて[[アジア]]の成長を取込み、2011年(平成23年)度から[[2020年]](令和2年)度の平均で[[国内総生産]]名目成長率3%程度、実質成長率2%程度を目指す国家戦略を定めた<ref>{{cite web|title=日本再生の基本戦略 復興やインフラ海外展開 名目3%成長目指す|publisher=[[産経新聞]]|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111222/fnc11122221540015-n1.htm|date=2011-12-22|accessdate=2012-01-02}}</ref>。同戦略は、2日後の24日に野田内閣で[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議決定]]された<ref>{{cite web|title=12年度財投計画は前年比18%増の17.6兆円=政府|url=http://jp.reuters.com/article/JPbusinessmarket/idJPTYE7BN00320111224|date=2011-12-24|accessdate=2012-01-02|publisher=[[ロイター]]}}</ref>。
[[12月22日]]、野田が議長を務める[[国家戦略会議]]において「[[日本再生の基本戦略]]」が決定され、[[東日本大震災]]からの[[復興]]に加えて[[アジア]]の成長を取込み、2011年(平成23年)度から[[2020年]](令和2年)度の平均で[[国内総生産]]名目成長率3%程度、実質成長率2%程度を目指す国家戦略を定めた<ref>{{Cite web|和書|title=日本再生の基本戦略 復興やインフラ海外展開 名目3%成長目指す|publisher=[[産経新聞]]|url=https://web.archive.org/web/20111222222802/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111222/fnc11122221540015-n1.htm|date=2011-12-22|accessdate=2012-01-02}}</ref>。同戦略は、2日後の24日に野田内閣で[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議決定]]された<ref>{{Cite web|和書|title=12年度財投計画は前年比18%増の17.6兆円=政府|url=https://jp.reuters.com/article/JPbusinessmarket/idJPTYE7BN00320111224/|date=2011-12-24|accessdate=2012-01-02|publisher=[[ロイター]]}}</ref>。


==== 野田第1次改造内閣 ====
==== 野田第1次改造内閣 ====
2012年(平成24年)1月13日、[[内閣改造]]を行い、[[野田内閣 (第1次改造)|野田第1次改造内閣]]が発足した。同年3月30日、政府は[[消費税]]率を現行の5%から10%まで段階的に引き上げる消費増税関連4法案を含む[[三党合意|社会保障・税一体改革関連法案]]を閣議決定し、[[国会 (日本)|国会]]に提出した<ref>{{cite web|title=首相、成立へ修正辞さず 消費増税法案を国会提出 デフレ脱却へ日銀と連携|publisher=日本経済新聞|url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E1E2E2E68B8DE1E2E2E1E0E2E3E09F9FEAE2E2E2;at=DGXZZO0195166008122009000000|date=2012-03-30|accessdate=2012-04-06}}</ref>。野田は、これに先立つ国会答弁で「将来不安をなくすことによって、消費や経済を活性化させることもある」などと意義を強調したが<ref>{{cite web|title=消費増税の経済への影響ないよう策講じる必要=野田首相|publisher=ロイター|url=http://jp.reuters.com/article/JPpolitics/idJPTYE82F01Y20120316|date=2012-03-16|accessdate=2012-04-08}}</ref>、[[野党]]時代にはこれとは逆に、増税で「[[日本の経済|日本経済]]が[[肺炎]]に」などと発言していたと[[報道]]された<ref>{{cite web|title=増税で「日本経済が肺炎に」 野田首相の過去の発言にまた「ブーメラン現象」?|publisher=[[ジェイ・キャスト#J-CASTニュース|J-CASTニュース]]|url=http://www.j-cast.com/2012/03/15125618.html?p=all|date=2012-03-15|accessdate=2012-04-06}}</ref>。
2012年(平成24年)1月13日、[[内閣改造]]を行い、[[野田内閣 (第1次改造)|野田第1次改造内閣]]が発足した。同年3月30日、政府は[[消費税]]率を現行の5%から10%まで段階的に引き上げる消費増税関連4法案を含む[[三党合意|社会保障・税一体改革関連法案]]を閣議決定し、[[国会 (日本)|国会]]に提出した<ref>{{Cite web|和書|title=首相、成立へ修正辞さず 消費増税法案を国会提出 デフレ脱却へ日銀と連携|publisher=日本経済新聞|url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E1E2E2E68B8DE1E2E2E1E0E2E3E09F9FEAE2E2E2;at=DGXZZO0195166008122009000000|date=2012-03-30|accessdate=2012-04-06}}</ref>。野田は、これに先立つ国会答弁で「将来不安をなくすことによって、消費や経済を活性化させることもある」などと意義を強調したが<ref>{{Cite web|和書|title=消費増税の経済への影響ないよう策講じる必要=野田首相|publisher=ロイター|url=https://jp.reuters.com/article/JPpolitics/idJPTYE82F01Y20120316/|date=2012-03-16|accessdate=2012-04-08}}</ref>、[[野党]]時代にはこれとは逆に、増税で「[[日本の経済|日本経済]]が[[肺炎]]に」などと発言していたと[[報道]]された<ref>{{Cite web|和書|title=増税で「日本経済が肺炎に」 野田首相の過去の発言にまた「ブーメラン現象」?|publisher=[[ジェイ・キャスト#J-CASTニュース|J-CASTニュース]]|url=https://www.j-cast.com/2012/03/15125618.html?p=all|date=2012-03-15|accessdate=2012-04-06}}</ref>。


==== 野田第2次改造内閣 ====
==== 野田第2次改造内閣 ====
2012年(平成24年)6月4日、再度[[内閣改造]]を行い、[[野田内閣 (第2次改造)|野田第2次改造内閣]]が発足した。[[防衛大臣|防衛相]]に[[拓殖大学]]大学院教授の[[森本敏]]を初めて[[民間人閣僚|民間から起用]]した。森本の前任の[[一川保夫]]と[[田中直紀]]はともに[[問責決議]]を受けていたため、防衛相人事は野田にとって鬼門だと評された<ref>{{cite news|title=政権が変わっても森本敏防衛大臣を再任せよ|newspaper=WEBRONZA|date=2012-06-19|author=小谷哲男|url=http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012061800005.html?iref=webronza|accessdate=2012-12-13}}</ref>。この人事には与野党から批判の声が上がったが、元朝日新聞論説委員の薬師寺克行は「形式論的な指摘でしかなく、本質を突いた批判になっていない」と述べている<ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012060700002.html?iref=webronza 森本敏防衛大臣のどこが問題なのか?] WEBRONZA 2012年6月8日</ref>。
2012年(平成24年)6月4日、再度[[内閣改造]]を行い、[[野田内閣 (第2次改造)|野田第2次改造内閣]]が発足した。[[防衛大臣|防衛相]]に[[拓殖大学]]大学院教授の[[森本敏]]を初めて[[民間人閣僚|民間から起用]]した。森本の前任の[[一川保夫]]と[[田中直紀]]はともに[[問責決議]]を受けていたため、防衛相人事は野田にとって鬼門だと評された<ref>{{cite news|title=政権が変わっても森本敏防衛大臣を再任せよ|newspaper=WEBRONZA|date=2012-06-19|author=小谷哲男|url=http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012061800005.html?iref=webronza|accessdate=2012-12-13}}</ref>。この人事には与野党から批判の声が上がったが、元朝日新聞論説委員の薬師寺克行は「形式論的な指摘でしかなく、本質を突いた批判になっていない」と述べている<ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012060700002.html?iref=webronza 森本敏防衛大臣のどこが問題なのか?] WEBRONZA 2012年6月8日</ref>。


同年6月15日、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]・[[公明党]]の実務者間での協議(確約した解散時期以降に社会保障国民会議の設置をすることで、[[社会保障]]抜本改革を先送りして消費税増税を既成事実とすること)が合意に達し、社会保障・税一体改革関連法案の修正内容について合意が成立した('''[[三党合意]]''')<ref>[[共同通信社|共同通信]]「3党修正協議が合意 民主、週明け了承手続き」『[http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012061501002312.html 3党修正協議が合意 民主、週明け了承手続き - 47NEWS(よんななニュース)]』全国新聞ニュース、2012年[[6月16日]]。</ref>。しかし、修正法案の内容に対して党内の反対派から「[[第45回衆議院議員総選挙]]の[[マニフェスト]]でうたった社会保障改革が棚上げされた」と合意内容を批判する声が上がっている<ref>日本経済新聞2012年6月18日</ref>。これに対し、社会保障・税一体改革担当大臣でもある民主党の[[岡田克也]][[副総理]]は、増税についてマニフェストに書いていない点は率直におわびしなければならないとした上で、[[東日本大震災]]と[[ヨーロッパ|欧州]][[恐慌|経済危機]]の発生により「社会保障制度の持続可能性のためにも消費税を上げざるを得ない」と反論。また関連8法案のうち6法案は社会保障改革に関するものであり、棚上げは事実と異なると主張している<ref>[http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120628/plt1206280712002-n1.htm “社会保障改革”棚上げは事実と異なる!] zakzak 2012年6月28日</ref>。党内からは、党大会に次ぐ議決機関である[[議員総会#両院議員総会|両院議員総会]]の開催を求める声が高まり、開催を求める154名分の署名が執行部に提出されたが<ref>[http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/468.html 民主中間派 両院総会開催要求 154人の署名提出]</ref>、社会保障・税一体改革関連法案を議論するための両院議員総会は開かれず、代わりに両院議員懇談会が開かれた。
同年6月15日、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]・[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]・[[公明党]]の実務者間での協議(確約した解散時期以降に社会保障国民会議の設置をすることで、[[社会保障]]抜本改革を先送りして消費税増税を既成事実とすること)が合意に達し、社会保障・税一体改革関連法案の修正内容について合意が成立した('''[[三党合意]]''')<ref>[[共同通信社|共同通信]]「3党修正協議が合意 民主、週明け了承手続き」『[https://web.archive.org/web/20120617111416/http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012061501002312.html 3党修正協議が合意 民主、週明け了承手続き - 47NEWS(よんななニュース)]』全国新聞ニュース、2012年[[6月16日]]。</ref>。しかし、修正法案の内容に対して党内の反対派から「[[第45回衆議院議員総選挙]]の[[マニフェスト]]でうたった社会保障改革が棚上げされた」と合意内容を批判する声が上がっている<ref>日本経済新聞2012年6月18日</ref>。これに対し、社会保障・税一体改革担当大臣でもある民主党の[[岡田克也]][[副総理]]は、増税についてマニフェストに書いていない点は率直におわびしなければならないとした上で、[[東日本大震災]]と[[ヨーロッパ|欧州]][[恐慌|経済危機]]の発生により「社会保障制度の持続可能性のためにも消費税を上げざるを得ない」と反論。また関連8法案のうち6法案は社会保障改革に関するものであり、棚上げは事実と異なると主張している<ref>[https://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120628/plt1206280712002-n1.htm “社会保障改革”棚上げは事実と異なる!] zakzak 2012年6月28日</ref>。党内からは、党大会に次ぐ議決機関である[[議員総会#両院議員総会|両院議員総会]]の開催を求める声が高まり、開催を求める154名分の署名が執行部に提出されたが<ref>[http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/468.html 民主中間派 両院総会開催要求 154人の署名提出]</ref>、社会保障・税一体改革関連法案を議論するための両院議員総会は開かれず、代わりに両院議員懇談会が開かれた。


6月19日の党内協議では[[小沢グループ]]による三党合意の項目別合意や多数決採決の意見を押し切り、政調会長一任を決断し党内合意を得ることに成功した。
6月19日の党内協議では[[小沢グループ]]による三党合意の項目別合意や多数決採決の意見を押し切り、政調会長一任を決断し党内合意を得ることに成功した。
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{{Seealso|三党合意}}
{{Seealso|三党合意}}


また、7月17日には、野田の[[日本の原子力政策|原子力政策]]に批判的な[[舟山康江]]・[[行田邦子]]・[[谷岡郁子]]が離党届を提出し、新たな会派「[[みどりの風]]」を結成した<ref>民主党:3参院議員が離党…小沢新党に合流せず 毎日新聞社 2012年7月17日</ref>。その翌日には、野田の[[外交政策]]や社会保障・税一体改革関連法案に批判的な[[中津川博郷]]が離党届を提出した<ref>[https://archive.fo/EBnLw 民主党の中津川氏が離党届提出 消費税増税と尖閣対応に反発] 産経新聞 2012年7月18日</ref>。[[日本の地方議会議員|地方議会議員]]の離党も相次いでおり、[[岩手県]]では党所属の地方議会議員のうち7割以上が離党する事態となった<ref>[http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/641.html 90人中66人が民主離党 県内の市町村議]</ref>。8月8日、[[衆議院解散|衆院解散]]時期について民自公の三党で会談し、[[消費税]]増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案を成立させた上で、具体的な解散時期は明示せず、「近いうちに信を問う」ことで合意した<ref>{{Cite web|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/politics/608990.html|title=「近いうちに解散」で合意 3党首会談、時期は明示せず|publisher=[[福井新聞]]|accessdate=2012-10-24|date=2012-08-08}}</ref> が、10月24日、[[新党大地 (2012-)|新党大地・真民主]]の[[鈴木宗男]]から「今は[[景気]]対策や[[復興]]対策に力を注ぐべきで、選挙をやるべきではない」と問われた野田は、「私もそう思います」と応じた<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121024/stt12102415050007-n1.htm|title=鈴木宗男代表との党首会談で野田首相|publisher=[[MSN産経ニュース]]|date=2012-10-24|accessdate=2012-10-24}}</ref>。
また、7月17日には、野田の[[日本の原子力政策|原子力政策]]に批判的な[[舟山康江]]・[[行田邦子]]・[[谷岡郁子]]が離党届を提出し、新たな会派「[[みどりの風]]」を結成した<ref>民主党:3参院議員が離党…小沢新党に合流せず 毎日新聞社 2012年7月17日</ref>。その翌日には、野田の[[外交政策]]や社会保障・税一体改革関連法案に批判的な[[中津川博郷]]が離党届を提出した<ref>[https://archive.fo/EBnLw 民主党の中津川氏が離党届提出 消費税増税と尖閣対応に反発] 産経新聞 2012年7月18日</ref>。[[日本の地方議会議員|地方議会議員]]の離党も相次いでおり、[[岩手県]]では党所属の地方議会議員のうち7割以上が離党する事態となった<ref>[http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/641.html 90人中66人が民主離党 県内の市町村議]</ref>。8月8日、[[衆議院解散|衆院解散]]時期について民自公の三党で会談し、[[消費税]]増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案を成立させた上で、具体的な解散時期は明示せず、「近いうちに信を問う」ことで合意した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/politics/608990.html|title=「近いうちに解散」で合意 3党首会談、時期は明示せず|publisher=[[福井新聞]]|accessdate=2012-10-24|date=2012-08-08}}</ref> が、10月24日、[[新党大地 (2012-)|新党大地・真民主]]の[[鈴木宗男]]から「今は[[景気]]対策や[[復興]]対策に力を注ぐべきで、選挙をやるべきではない」と問われた野田は、「私もそう思います」と応じた<ref>{{Cite web|和書|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121024/stt12102415050007-n1.htm|title=鈴木宗男代表との党首会談で野田首相|publisher=[[MSN産経ニュース]]|date=2012-10-24|accessdate=2012-10-24}}</ref>。


[[9月10日]]、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]・[[郵政民営化担当大臣]]の[[松下忠洋]]が自殺。これを受け、同日より内閣総理大臣の野田が自ら郵政民営化担当大臣事務代理を兼務([[10月1日]]の内閣改造まで)<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL110BG_R10C12A9000000/ 金融相代理に安住財務相 財務相、松下氏死去「残念」] 日本経済新聞 2012年9月11日 10:14</ref>。金融担当大臣については、10月1日の内閣改造まで[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]の[[安住淳]]が事務代理を兼務。なおこの期間中は一時的に連立を組む[[国民新党]]の閣僚が不在となった。)。
[[9月10日]]、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]・[[郵政民営化担当大臣]]の[[松下忠洋]]が自殺。これを受け、同日より内閣総理大臣の野田が自ら郵政民営化担当大臣事務代理を兼務([[10月1日]]の内閣改造まで)<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL110BG_R10C12A9000000/ 金融相代理に安住財務相 財務相、松下氏死去「残念」] 日本経済新聞 2012年9月11日 10:14</ref>。金融担当大臣については、10月1日の内閣改造まで[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]の[[安住淳]]が事務代理を兼務。なおこの期間中は一時的に連立を組む[[国民新党]]の閣僚が不在となった。)。
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[[9月11日]]、[[魚釣島]]・[[北小島]]・[[南小島]]の3島を[[海上保安庁]]に20億5千万円で[[埼玉県]]在住の地権者から買取らせ、所有権移転登記を完了し、[[尖閣諸島国有化|尖閣諸島を国有化]]した<ref>{{Cite news|author= |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120912/plc12091213060012-n1.htm |title=尖閣の接続水域で中国船確認せず 国への移転登記済ませる|newspaper=[[産経新聞]] |publisher= |date=2012-09-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120912081047/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120912/plc12091213060012-n1.htm |archivedate=2012-09-12 |deadlinkdate=}}</ref>。この[[尖閣諸島国有化]]は、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]の[[東京都]]による購入計画(実効支配強化のために島に様々な施設を作る)を阻止し、日本の実効支配強化が進むことへの中国の反発を抑えることを目的として行われた。この[[尖閣諸島国有化]]に対して[[2012年の中国における反日活動|中国では反日デモ]]が相次ぎ、日系企業が襲撃され多大な被害が出た<ref>{{Cite news |author= |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/120917/chn12091719000007-n1.htm |title=襲撃被害「責任は日本が負うべき」中国外務省|newspaper=[[MSN産経ニュース]] |publisher= |date=2012-09-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120918082852/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120917/chn12091719000007-n1.htm |archivedate=2012-09-17 |deadlinkdate=}}</ref>。これについて[[中華民国総統]]であった[[李登輝]]は、「経済力を背景に、[[ベトナム]]から[[西沙諸島]]を奪い、[[南沙諸島]]で[[フィリピン]]が領有していた地域に手を出し、そして日本領土である[[尖閣諸島]]の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『[[成金]]』の姿そのものである。野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化されたが、あのような手続きを行ったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わないなら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、[[日本国政府|日本政府]]は手続き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある」と批判している<ref name="Voice">{{Cite news |author=[[李登輝]] |url=https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT37#v=onepage&q&f=false |title=台湾が感動した安倍総理の友人発言 |newspaper=[[Voice (雑誌)|Voice]] |publisher=[[PHP研究所]] |date=2013-05 |archiveurl= |archivedate= |page=37}}</ref>。
[[9月11日]]、[[魚釣島]]・[[北小島]]・[[南小島]]の3島を[[海上保安庁]]に20億5千万円で[[埼玉県]]在住の地権者から買取らせ、所有権移転登記を完了し、[[尖閣諸島国有化|尖閣諸島を国有化]]した<ref>{{Cite news|author= |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120912/plc12091213060012-n1.htm |title=尖閣の接続水域で中国船確認せず 国への移転登記済ませる|newspaper=[[産経新聞]] |publisher= |date=2012-09-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120912081047/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120912/plc12091213060012-n1.htm |archivedate=2012-09-12 |deadlinkdate=}}</ref>。この[[尖閣諸島国有化]]は、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]の[[東京都]]による購入計画(実効支配強化のために島に様々な施設を作る)を阻止し、日本の実効支配強化が進むことへの中国の反発を抑えることを目的として行われた。この[[尖閣諸島国有化]]に対して[[2012年の中国における反日活動|中国では反日デモ]]が相次ぎ、日系企業が襲撃され多大な被害が出た<ref>{{Cite news |author= |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/120917/chn12091719000007-n1.htm |title=襲撃被害「責任は日本が負うべき」中国外務省|newspaper=[[MSN産経ニュース]] |publisher= |date=2012-09-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120918082852/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120917/chn12091719000007-n1.htm |archivedate=2012-09-17 |deadlinkdate=}}</ref>。これについて[[中華民国総統]]であった[[李登輝]]は、「経済力を背景に、[[ベトナム]]から[[西沙諸島]]を奪い、[[南沙諸島]]で[[フィリピン]]が領有していた地域に手を出し、そして日本領土である[[尖閣諸島]]の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『[[成金]]』の姿そのものである。野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化されたが、あのような手続きを行ったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わないなら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、[[日本国政府|日本政府]]は手続き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある」と批判している<ref name="Voice">{{Cite news |author=[[李登輝]] |url=https://books.google.co.jp/books?id=Lrxf36yn1VwC&pg=PT37#v=onepage&q&f=false |title=台湾が感動した安倍総理の友人発言 |newspaper=[[Voice (雑誌)|Voice]] |publisher=[[PHP研究所]] |date=2013-05 |archiveurl= |archivedate= |page=37}}</ref>。


[[9月19日]]、[[差別]]や[[虐待]]などの[[人権蹂躙|人権侵害]]事案の解決にあたる救済機関「人権委員会」を[[法務省]]の[[外局]]として新設するための[[人権擁護法案#人権委員会設置法案の内容|人権委員会設置法案]]を[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議決定]]した<ref>{{cite web|url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/324760|title=差別や虐待などで救済機関新設 人権法案を閣議決定|publisher=[[西日本新聞]]|date=2012-09-19|accessdate=2012-09-19}}</ref>。
[[9月19日]]、[[差別]]や[[虐待]]などの[[人権蹂躙|人権侵害]]事案の解決にあたる救済機関「人権委員会」を[[法務省]]の[[外局]]として新設するための[[人権擁護法案#人権委員会設置法案の内容|人権委員会設置法案]]を[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議決定]]した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/324760|title=差別や虐待などで救済機関新設 人権法案を閣議決定|publisher=[[西日本新聞]]|date=2012-09-19|accessdate=2012-09-19}}</ref>。


==== 野田第3次改造内閣 ====
==== 野田第3次改造内閣 ====
2012年(平成24年)10月1日、[[内閣改造]]を三たび行い、[[野田内閣 (第3次改造)|野田第3次改造内閣]]が発足した。10月23日に、[[田中慶秋]][[法務大臣]]が[[暴力団]]関係者との交際問題で事実上の更迭<ref>[http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201210190165.html 田中法相、辞任へ 政権運営に支障、事実上の更迭] 朝日新聞 2012年10月19日</ref> をされただけでなく、[[前原誠司]][[国家戦略局#国家戦略担当大臣|国家戦略担当大臣]]の[[事務所費]]問題<ref>[http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/main/637281.html 秘書宅を事務所に経費計上 1千万、前原氏政治団体] 福井新聞 2012年10月29日</ref> や[[田中眞紀子]][[文部科学大臣]]の『3大学の「不認可」』問題<ref>[http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/498.html 真紀子文科相 辞任危機…野田政権3人目の“田中大臣問題”]</ref> が発生し、改造内閣発足後1ヶ月で[[内閣支持率|支持率]]が17%(共同通信社調査)<ref>[http://www.kyodo.co.jp/pol-news/2012-11-12_71892/ 内閣支持率17%に急落 石原新党に期待4割] 共同通信 2012年11月12日</ref>。10月9日、[[大韓民国ウォン|韓国ウォン]]の急落を受けて前年10月に700億ドルに引き上げられた[[日韓通貨スワップ]]協定の拡充措置を予定通り打ち切ることで両国が合意。11月以降は700億ドルから130億ドルに大幅減少する<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0900O_Z01C12A0MM0000/ 日韓通貨協定の拡充、延長せず 11日に財務相会談] 日本経済新聞 2012年10月9日</ref>。
2012年(平成24年)10月1日、[[内閣改造]]を三たび行い、[[野田内閣 (第3次改造)|野田第3次改造内閣]]が発足した。10月23日に、[[田中慶秋]][[法務大臣]]が[[暴力団]]関係者との交際問題で事実上の更迭<ref>[http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201210190165.html 田中法相、辞任へ 政権運営に支障、事実上の更迭] 朝日新聞 2012年10月19日</ref> をされただけでなく、[[前原誠司]][[国家戦略局#国家戦略担当大臣|国家戦略担当大臣]]の[[事務所費]]問題<ref>[http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/main/637281.html 秘書宅を事務所に経費計上 1千万、前原氏政治団体] 福井新聞 2012年10月29日</ref> や[[田中眞紀子]][[文部科学大臣]]の『3大学の「不認可」』問題<ref>[http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/498.html 真紀子文科相 辞任危機…野田政権3人目の“田中大臣問題”]</ref> が発生し、改造内閣発足後1ヶ月で[[内閣支持率|支持率]]が17%(共同通信社調査)<ref>[http://www.kyodo.co.jp/pol-news/2012-11-12_71892/ 内閣支持率17%に急落 石原新党に期待4割] 共同通信 2012年11月12日</ref>。10月9日、[[大韓民国ウォン|韓国ウォン]]の急落を受けて前年10月に700億ドルに引き上げられた[[日韓通貨スワップ]]協定の拡充措置を予定通り打ち切ることで両国が合意。11月以降は700億ドルから130億ドルに大幅減少する<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0900O_Z01C12A0MM0000/ 日韓通貨協定の拡充、延長せず 11日に財務相会談] 日本経済新聞 2012年10月9日</ref>。


11月9日、人権委員会設置法案の提出を閣議決定した<ref>{{cite web|url=http://mainichi.jp/select/news/20121109k0000e010200000c.html|title=人権委設置法案:今国会提出を閣議決定|publisher=毎日新聞|date=2012-11-09|accessdate=2012-11-15}}</ref>。
11月9日、人権委員会設置法案の提出を閣議決定した<ref>{{Cite web|和書|url=http://mainichi.jp/select/news/20121109k0000e010200000c.html|title=人権委設置法案:今国会提出を閣議決定|publisher=毎日新聞|date=2012-11-09|accessdate=2012-11-15}}</ref>。


[[ファイル:14QT2.jpg|サムネイル|200px|2011年11月14日、[[党首討論]]で[[自由民主党総裁]][[安倍晋三]]と]]
[[ファイル:20121114 Question Time 2.jpg|サムネイル|200px|2011年11月14日、[[党首討論]]で[[自由民主党総裁]][[安倍晋三]]と]]
11月14日、[[国会議事堂|国会]]で行われた[[党首討論]]で[[自由民主党総裁]][[安倍晋三]]に対し、[[第181回国会|当国会]]中の[[議員定数]]削減法案可決に協力することを確約するなら同月16日に[[衆議院解散]]を行うと明言した<ref>{{cite web|url=http://mainichi.jp/select/news/20121114k0000e010266000c.html|title=野田首相:「16日に解散」表明 党首討論で|publisher=毎日新聞|date=2012-11-14|accessdate=2012-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121201075125/mainichi.jp/select/news/20121114k0000e010266000c.html|archivedate=2012-12-01}}</ref><ref>[http://jp.reuters.com/article/economicPolicies/idJPTK055392520121114 UPDATE1:定数削減で協力確約なら16日に解散、安倍総裁に協力呼びかけ=野田首相] ロイター 2012年11月14日</ref>。この解散表明は[[岡田克也]][[副総理]]や[[藤村修]][[内閣官房長官|官房長官]]らごく限られた人数にしか知らされておらず、[[連立政権|連立与党]]の[[国民新党]]や解散を求めていた[[自由民主党 (日本)|自民]]・公明両党も予想していなかった<ref name="fude">[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36555 憲政史上最高の解散宣言 野田首相に見た本物の政治家の覚悟] JBPRESS 2012年11月16日</ref>。[[政治評論家]]の[[筆坂秀世]]は、この討論での野田の弁論は安倍、[[国民の生活が第一]]の[[小沢一郎]]代表、[[公明党]]の[[山口那津男]][[公明党代表|代表]]を圧倒した一方で、安倍は動揺しまともに回答できなかったと評している<ref name="fude" />。11月16日、野田は閣議で解散を宣言し全[[国務大臣|閣僚]]が署名。[[衆議院|衆院]][[本会議]]で[[横路孝弘]][[衆議院議長|衆院議長]]が解散を宣言した<ref>[http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/TKY201211160521.html 衆院が解散、総選挙へ 12月4日公示、16日投開票] 朝日新聞 2012年11月16日</ref>。[[非自民]]の[[内閣総理大臣|総理大臣]]による[[衆議院解散]]([[近いうち解散]])は自民党発足前の[[1955年]][[1月24日]]の[[鳩山一郎]]首相([[日本民主党]]総裁)の[[天の声解散]]以来57年ぶりであり<ref>[http://www.bihoroshinbun.com/japan/index.php/ja/bihoroshinbun001/bihoroshinbun002-3/963-column1204 衆議院選公示] 美幌新聞 2012年12月4日</ref>、2020年現在も1955年11月15日の自民党発足以降で唯一の例である。
11月14日、[[国会議事堂|国会]]で行われた[[党首討論]]で[[自由民主党総裁]][[安倍晋三]]に対し、[[第181回国会|当国会]]中の[[議員定数]]削減法案可決に協力することを確約するなら同月16日に[[衆議院解散]]を行うと明言した<ref>{{Cite web|和書|url=http://mainichi.jp/select/news/20121114k0000e010266000c.html|title=野田首相:「16日に解散」表明 党首討論で|publisher=毎日新聞|date=2012-11-14|accessdate=2012-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121201075125/mainichi.jp/select/news/20121114k0000e010266000c.html|archivedate=2012-12-01}}</ref><ref>[https://jp.reuters.com/article/economicPolicies/idJPTK055392520121114/ UPDATE1:定数削減で協力確約なら16日に解散、安倍総裁に協力呼びかけ=野田首相] ロイター 2012年11月14日</ref>。この解散表明は[[岡田克也]][[副総理]]や[[藤村修]][[内閣官房長官|官房長官]]らごく限られた人数にしか知らされておらず、[[連立政権|連立与党]]の[[国民新党]]や解散を求めていた[[自由民主党 (日本)|自民]]・公明両党も予想していなかった<ref name="fude">[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36555 憲政史上最高の解散宣言 野田首相に見た本物の政治家の覚悟] JBPRESS 2012年11月16日</ref>。[[政治評論家]]の[[筆坂秀世]]は、この討論での野田の弁論は安倍、[[国民の生活が第一]]の[[小沢一郎]]代表、[[公明党]]の[[山口那津男]][[公明党代表|代表]]を圧倒した一方で、安倍は動揺しまともに回答できなかったと評している<ref name="fude" />。11月16日、野田は閣議で解散を宣言し全[[国務大臣|閣僚]]が署名。[[衆議院|衆院]][[本会議]]で[[横路孝弘]][[衆議院議長|衆院議長]]が解散を宣言した<ref>[http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/TKY201211160521.html 衆院が解散、総選挙へ 12月4日公示、16日投開票] 朝日新聞 2012年11月16日</ref>。[[非自民]]の[[内閣総理大臣|総理大臣]]による[[衆議院解散]]([[近いうち解散]])は自民党発足前の[[1955年]][[1月24日]]の[[鳩山一郎]]首相([[日本民主党]]総裁)の[[天の声解散]]以来57年ぶりであり<ref>[http://www.bihoroshinbun.com/japan/index.php/ja/bihoroshinbun001/bihoroshinbun002-3/963-column1204 衆議院選公示] 美幌新聞 2012年12月4日</ref>、2020年現在も1955年11月15日の自民党発足以降で唯一の例である。


[[12月16日]]施行の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、従来からの[[千葉県第4区|千葉4区]]、さらに[[比例南関東ブロック]]で[[重複立候補制度|重複立候補]]した。[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2012年12月)|北朝鮮が人工衛星と称するミサイル発射]]への警戒のため遊説を自粛していた<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news2/20121206-OYT1T00284.htm ミサイル警戒、動けぬ首相…予告時間の遊説自粛] 読売新聞 2012年12月6日</ref> が、強固な支持基盤に支えられ[[小選挙区制|小選挙区]]で6選<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news/20121216-OYT1T00615.htm 野田首相が6選、「刺客」の政権批判かわす] 読売新聞 2012年12月16日</ref>。同日、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]が惨敗したことを受けて党代表辞任を表明した<ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/TKY201212160137.html | title=野田首相、民主党代表辞任を表明 「最大の責任は私に」 | newspaper=朝日新聞 | date=2012-12-16 | accessdate=2021-11-29 }}</ref>。
[[12月16日]]施行の[[第46回衆議院議員総選挙]]では、従来からの[[千葉県第4区|千葉4区]]、さらに[[比例南関東ブロック]]で[[重複立候補制度|重複立候補]]した。[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2012年12月)|北朝鮮が人工衛星と称するミサイル発射]]への警戒のため遊説を自粛していた<ref>[https://web.archive.org/web/20121209052526/http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news2/20121206-OYT1T00284.htm ミサイル警戒、動けぬ首相…予告時間の遊説自粛] 読売新聞 2012年12月6日</ref> が、強固な支持基盤に支えられ[[小選挙区制|小選挙区]]で6選<ref>[https://web.archive.org/web/20121219002053/http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news/20121216-OYT1T00615.htm 野田首相が6選、「刺客」の政権批判かわす] 読売新聞 2012年12月16日</ref>。同日、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]が惨敗したことを受けて党代表辞任を表明した<ref>{{cite news |url=http://www.asahi.com/senkyo/sousenkyo46/news/TKY201212160137.html | title=野田首相、民主党代表辞任を表明 「最大の責任は私に」 | newspaper=朝日新聞 | date=2012-12-16 | accessdate=2021-11-29 }}</ref>。


12月17日、[[ホワイトハウス]]のカーニー[[ホワイトハウス報道官|報道官]]は定例記者会見の質疑応答の中で、オバマ大統領は、野田が日米関係のために果たした貢献に感謝していると言及した<ref>[https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2012/12/17/press-briefing-press-secretary-jay-carney-121712] ホワイトハウス公式会見記録</ref>。辞任する総理大臣にこのような発言をするのは異例のことである<ref>『週刊東洋経済』2014年9月27日、43頁</ref>。
12月17日、[[ホワイトハウス]]のカーニー[[ホワイトハウス報道官|報道官]]は定例記者会見の質疑応答の中で、オバマ大統領は、野田が日米関係のために果たした貢献に感謝していると言及した<ref>[https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2012/12/17/press-briefing-press-secretary-jay-carney-121712] ホワイトハウス公式会見記録</ref>。辞任する総理大臣にこのような発言をするのは異例のことである<ref>『週刊東洋経済』2014年9月27日、43頁</ref>。
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第45回衆議院議員総選挙で民主党の政権公約として消費税増税を掲げていなかったにもかかわらず、野田内閣は消費税増税法案の成立を推進、その過程で公約遵守を主張する小沢一郎らが集団離党することになり民主党は分裂状態に至った。さらに衆議院解散に打って出るも、民主党は第46回衆議院議員総選挙で惨敗を喫した。こうした公約を無視した政権運営や根回ししない強引な党運営には批判も根強く、首相辞任以降も党内外から批判を浴びることとなる。野党となって以降は目立った活動を控えていたが、[[2015年]][[6月27日]]、民主党福島県総支部連合会の会合に出席したところ、同席した民主党顧問の[[渡部恒三]]が「なぜ、野田君がこの場にいるのか<ref>清水真人「消費税という怪物――『庶民増税』もがく政治」『[[日本経済新聞]]』46557号、[[日本経済新聞社]]、2015年9月27日、13面。</ref>」と一喝し、野田を痛烈に批判する騒ぎも起きている。
第45回衆議院議員総選挙で民主党の政権公約として消費税増税を掲げていなかったにもかかわらず、野田内閣は消費税増税法案の成立を推進、その過程で公約遵守を主張する小沢一郎らが集団離党することになり民主党は分裂状態に至った。さらに衆議院解散に打って出るも、民主党は第46回衆議院議員総選挙で惨敗を喫した。こうした公約を無視した政権運営や根回ししない強引な党運営には批判も根強く、首相辞任以降も党内外から批判を浴びることとなる。野党となって以降は目立った活動を控えていたが、[[2015年]][[6月27日]]、民主党福島県総支部連合会の会合に出席したところ、同席した民主党顧問の[[渡部恒三]]が「なぜ、野田君がこの場にいるのか<ref>清水真人「消費税という怪物――『庶民増税』もがく政治」『[[日本経済新聞]]』46557号、[[日本経済新聞社]]、2015年9月27日、13面。</ref>」と一喝し、野田を痛烈に批判する騒ぎも起きている。


2016年9月16日に[[蓮舫]]代表の就任に伴う党役員人事で民進党幹事長に就任し、久々の表舞台への復権となったが、民主党が大敗した当時の首相だった野田の幹事長就任に党内からは「野田氏が幹事長になるなら離党も検討する」と反発の声が出るなど<ref>{{Cite web | url = https://www.sankei.com/article/20160916-KO2OIXQBBBPNVEBWADYOD46VWY/| title = 民進党、幹事長に野田佳彦元首相起用で調整 旧民主党政権崩壊させた張本人 党内では「離党検討」と反発も| publisher = 産経新聞| date = 2016-09-16| accessdate = 2016-09-18}}</ref> 物議を醸した。一方、[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[石破茂]]は、自身のブログで「(野田氏の)幹事長就任には様々な見解を頂いております。概して否定的なご意見が多いように見受けられますが、私は民進党の中では野田氏は極めて真っ当な[[保守]]政治家だと認識しています」とのコメントを発表した<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/Economic_66539/ 野田氏は極めて真っ当な保守政治家 石破氏]</ref><ref>[http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3678.html 石破茂(いしばしげる)ブログ:民進党新体制など]</ref>。
2016年9月16日に[[蓮舫]]代表の就任に伴う党役員人事で民進党幹事長に就任し、久々の表舞台への復権となったが、民主党が大敗した当時の首相だった野田の幹事長就任に党内からは「野田氏が幹事長になるなら離党も検討する」と反発の声が出るなど<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.sankei.com/article/20160916-KO2OIXQBBBPNVEBWADYOD46VWY/| title = 民進党、幹事長に野田佳彦元首相起用で調整 旧民主党政権崩壊させた張本人 党内では「離党検討」と反発も| publisher = 産経新聞| date = 2016-09-16| accessdate = 2016-09-18}}</ref> 物議を醸した。一方、[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[石破茂]]は、自身のブログで「(野田氏の)幹事長就任には様々な見解を頂いております。概して否定的なご意見が多いように見受けられますが、私は民進党の中では野田氏は極めて真っ当な[[保守]]政治家だと認識しています」とのコメントを発表した<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/Economic_66539/ 野田氏は極めて真っ当な保守政治家 石破氏]</ref><ref>[http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-3678.html 石破茂(いしばしげる)ブログ:民進党新体制など]</ref>。


2017年7月25日に[[2017年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]敗北の総括のため開いた両院議員懇談会で、敗北の責任を取り幹事長を辞任する意向を表明した<ref>{{Cite web | url = https://www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/1861544_m.html?mode=all| title = 民進党・野田幹事長が辞任へ 蓮舫氏「体制を強化」| publisher = 日刊スポーツ| date = 2017-07-25| accessdate = 2017-07-25}}</ref>。
2017年7月25日に[[2017年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]敗北の総括のため開いた両院議員懇談会で、敗北の責任を取り幹事長を辞任する意向を表明した<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/1861544_m.html?mode=all| title = 民進党・野田幹事長が辞任へ 蓮舫氏「体制を強化」| publisher = 日刊スポーツ| date = 2017-07-25| accessdate = 2017-07-25}}</ref>。


同年9月28日、衆議院解散。同日、民進党は[[希望の党 (日本 2017)|希望の党]]への合流を決定<ref>{{cite news |url=https://www.asahi.com/special/timeline/syuinkaisan17/ | title=ドキュメント衆院解散 | newspaper=朝日新聞 | date=2017-9-28 | accessdate=2022-2-10 }}</ref>。同日夜、希望の党結党メンバーの[[細野豪志]]はBSフジの番組で「[[三権の長]]を経験された方にはご遠慮いただいた方がいい」と述べ、総理大臣経験者の野田と[[菅直人]]の合流を拒否する考えを示した<ref>{{cite news |url=https://www.sankei.com/article/20170929-4L57AHJI7RKNBLPOHULOQW4NTY/ | title=民進党の三権の長経験者は「合流遠慮してもらいたい」 希望の党・細野豪志氏が発言 | newspaper=産経新聞 | date=2017-9-29 | accessdate=2022-2-25 }}</ref>。9月29日、野田は記者団に対し、「希望の党に(公認を)申請することは一夜城みたいな形式だけど、本気で安倍政権を打倒していくという意味では、一つの選択肢だと思う」としたうえで、自身については「あえて先に離党していった人の股をくぐる気はまったくない」と述べ、[[無所属]]で立候補する意向を表明した<ref>{{Cite news |title=野田佳彦元首相「先に離党した人の股くぐる気ない」|newspaper=朝日新聞|date=2017-09-29|url=https://www.asahi.com/articles/ASK9Y5QL3K9YUDCB017.html|accessdate=2021-03-09}}</ref>。10月22日投票の[[第48回衆議院議員総選挙]]では、選挙応援のため全国各地を駆けまわりながらも、自由民主党の木村哲也に2倍以上の得票差をつけて<ref>{{Cite web|url= http://291022senkyo-chibaken-senkan.jp/|title= 衆議院議員投開票速報|publisher = 千葉県選挙管理委員会|date= 2017-10-23| accessdate= 2017-10-24}}</ref>、8選を果たした<ref>{{Cite web|url= https://www.sankei.com/article/20171023-JC56YNEY3ZK2XGE5HHSWUQ7ZJM/|title= 無所属・野田氏、貫禄の8選 千葉4区|publisher = 産経新聞|date= 2017-10-23| accessdate= 2017-10-24}}</ref>。
同年9月28日、衆議院解散。同日、民進党は[[希望の党 (日本 2017)|希望の党]]への合流を決定<ref>{{cite news |url=https://www.asahi.com/special/timeline/syuinkaisan17/ | title=ドキュメント衆院解散 | newspaper=朝日新聞 | date=2017-9-28 | accessdate=2022-2-10 }}</ref>。同日夜、希望の党結党メンバーの[[細野豪志]]はBSフジの番組で「[[三権の長]]を経験された方にはご遠慮いただいた方がいい」と述べ、総理大臣経験者の野田と[[菅直人]]の合流を拒否する考えを示した<ref>{{cite news |url=https://www.sankei.com/article/20170929-4L57AHJI7RKNBLPOHULOQW4NTY/ | title=民進党の三権の長経験者は「合流遠慮してもらいたい」 希望の党・細野豪志氏が発言 | newspaper=産経新聞 | date=2017-9-29 | accessdate=2022-2-25 }}</ref>。9月29日、野田は記者団に対し、「希望の党に(公認を)申請することは一夜城みたいな形式だけど、本気で安倍政権を打倒していくという意味では、一つの選択肢だと思う」としたうえで、自身については「あえて先に離党していった人の股をくぐる気はまったくない」と述べ、[[無所属]]で立候補する意向を表明した<ref>{{Cite news |title=野田佳彦元首相「先に離党した人の股くぐる気ない」|newspaper=朝日新聞|date=2017-09-29|url=https://www.asahi.com/articles/ASK9Y5QL3K9YUDCB017.html|accessdate=2021-03-09}}</ref>。10月22日投票の[[第48回衆議院議員総選挙]]では、選挙応援のため全国各地を駆けまわりながらも、自由民主党の木村哲也に2倍以上の得票差をつけて<ref>{{Cite web|和書|url= http://291022senkyo-chibaken-senkan.jp/|title= 衆議院議員投開票速報|publisher = 千葉県選挙管理委員会|date= 2017-10-23| accessdate= 2017-10-24}}</ref>、8選を果たした<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sankei.com/article/20171023-JC56YNEY3ZK2XGE5HHSWUQ7ZJM/|title= 無所属・野田氏、貫禄の8選 千葉4区|publisher = 産経新聞|date= 2017-10-23| accessdate= 2017-10-24}}</ref>。


同年10月26日、岡田克也が代表を務める「[[無所属の会 (2017)|無所属の会]]」の結成メンバーとなった<ref>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102600868&g=pol|title=民進系、「無所属の会」結成=13人参加、野党第3会派に|publisher=時事ドットコム|date=2017-10-26|accessdate=2017-10-26}}</ref>。
同年10月26日、岡田克也が代表を務める「[[無所属の会 (2017)|無所属の会]]」の結成メンバーとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20171026214019/https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102600868&g=pol|title=民進系、「無所属の会」結成=13人参加、野党第3会派に|publisher=時事ドットコム|date=2017-10-26|accessdate=2017-10-26}}</ref>。


[[2018年]]5月に民進党が[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]に移行する際は「無所属で野党結集に力を注いだ方がベターと判断した」と述べ、5月7日付で民進党を離党<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20180507-VSF5E5MTCVNVZN43TBMMOFSDQI/|title=野田元首相も国民民主党に参加せず 1カ月後めどに地域政治団体設立|publisher=産経新聞|date=2018-05-07|accessdate=2018-06-11}}</ref>。その後の6月10日に千葉県内の旧民進党系地方議員らによる政治団体「千葉民主連合」を設立し代表に就任した<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20180611-6327GXRAIVOVRJQRVBU2ADIMEE/|title=野田前首相が地域政治団体「千葉民主連合」設立 国会議員は小西洋之参院議員と2人 |publisher=産経新聞|date=2018-06-11|accessdate=2018-06-11}}</ref>。
[[2018年]]5月に民進党が[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]に移行する際は「無所属で野党結集に力を注いだ方がベターと判断した」と述べ、5月7日付で民進党を離党<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20180507-VSF5E5MTCVNVZN43TBMMOFSDQI/|title=野田元首相も国民民主党に参加せず 1カ月後めどに地域政治団体設立|publisher=産経新聞|date=2018-05-07|accessdate=2018-06-11}}</ref>。その後の6月10日に千葉県内の旧民進党系地方議員らによる政治団体「千葉民主連合」を設立し代表に就任した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20180611-6327GXRAIVOVRJQRVBU2ADIMEE/|title=野田前首相が地域政治団体「千葉民主連合」設立 国会議員は小西洋之参院議員と2人 |publisher=産経新聞|date=2018-06-11|accessdate=2018-06-11}}</ref>。


[[2019年]][[1月7日]]、岡田克也が示した[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]会派へ個別合流案<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20181208-UUY5HHXRTVIMFJHQQ32AWDT4Z4/|title=無所属の会、解散へ 立民会派への個別合流模索|newspaper=産経新聞|agency=|date=2018-12-08|accessdate=2018-12-08}}</ref> に際し、野田は同党会派に移籍しない意向を明らかにした<ref>{{Cite news|title=無所属の会、岡田克也代表ら9人が立民会派加入へ|newspaper=産経ニュース|date=2019-1-8|author=|authorlink=|url=https://www.sankei.com/article/20190108-DIDJWSMPYNMCBE4MXP4ROKFDXU/|accessdate=2019-1-8|format=|agency=|location=|publisher=|isbn=|issn=|oclc=|pmid=|pmd=|bibcode=|doi=|id=|page=|pages=|at=|language=|trans-title=|quote=|archiveurl=|archivedate=|ref=|postscript=}}</ref>。同月16日、無所属の会の解散に際し、野田は無所属に留まり、新会派「[[社会保障を立て直す国民会議]]」を結成して同会派の代表に就くこととなった<ref>[https://this.kiji.is/458124878152057953 野田前首相、7人で会派結成 玄葉元外相ら参加] - 共同通信 2019年1月16日</ref>。同年9月30日、会派「社会保障を立て直す国民会議」は解散し、会派「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」に合流した。
[[2019年]][[1月7日]]、岡田克也が示した[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]会派へ個別合流案<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20181208-UUY5HHXRTVIMFJHQQ32AWDT4Z4/|title=無所属の会、解散へ 立民会派への個別合流模索|newspaper=産経新聞|agency=|date=2018-12-08|accessdate=2018-12-08}}</ref> に際し、野田は同党会派に移籍しない意向を明らかにした<ref>{{Cite news|title=無所属の会、岡田克也代表ら9人が立民会派加入へ|newspaper=産経ニュース|date=2019-1-8|author=|authorlink=|url=https://www.sankei.com/article/20190108-DIDJWSMPYNMCBE4MXP4ROKFDXU/|accessdate=2019-1-8|format=|agency=|location=|publisher=|isbn=|issn=|oclc=|pmid=|pmd=|bibcode=|doi=|id=|page=|pages=|at=|language=|trans-title=|quote=|archiveurl=|archivedate=|ref=|postscript=}}</ref>。同月16日、無所属の会の解散に際し、野田は無所属に留まり、新会派「[[社会保障を立て直す国民会議]]」を結成して同会派の代表に就くこととなった<ref>[https://web.archive.org/web/20190116055944/https://this.kiji.is/458124878152057953 野田前首相、7人で会派結成 玄葉元外相ら参加] - 共同通信 2019年1月16日</ref>。同年9月30日、会派「社会保障を立て直す国民会議」は解散し、会派「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」に合流した。


[[2020年]]9月に立憲民主党や国民民主党などが合流して結成された新「[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]」に入党し、党の最高顧問に就任した<ref>{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20200929/k00/00m/010/307000c.amp|title=民進系、「無所属の会」結成=13人参加、野党第3会派に|publisher=時事ドットコム|date=2017-10-26|accessdate=2017-10-26}}</ref>。
[[2020年]]9月に立憲民主党や国民民主党などが合流して結成された新「[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]」に入党し、党の最高顧問に就任した<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20200929/k00/00m/010/307000c.amp|title=民進系、「無所属の会」結成=13人参加、野党第3会派に|publisher=時事ドットコム|date=2017-10-26|accessdate=2017-10-26}}</ref>。


[[2021年]]10月31日、[[第49回衆議院議員総選挙]]で9選。
[[2021年]]10月31日、[[第49回衆議院議員総選挙]]で9選。


[[2022年]]9月27日、[[安倍晋三銃撃事件|銃撃事件]]に伴い死去した[[安倍晋三]]に対して行われた[[故安倍晋三国葬儀|国葬]]に[[鳩山由紀夫|鳩山]]、[[菅直人|菅]]らが欠席する中民主党政権の首相経験者では唯一参列した<ref>{{cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA20ASX0Q2A920C2000000/|title=菅直人、鳩山由紀夫両元首相は安倍氏の国葬欠席 野田佳彦元首相と対応分かれる|newspaper=日本経済新聞|date=2022-09-20|accessdate=2023-07-20}}</ref>。
[[2022年]]9月27日、[[安倍晋三銃撃事件|銃撃事件]]に伴い死去した[[安倍晋三]]に対して行われた[[故安倍晋三国葬儀|国葬]]に[[鳩山由紀夫|鳩山]]、[[菅直人|菅]]らが欠席する中民主党政権の首相経験者では唯一参列した<ref>{{cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA20ASX0Q2A920C2000000/|title=菅直人、鳩山由紀夫両元首相は安倍氏の国葬欠席 野田佳彦元首相と対応分かれる|newspaper=日本経済新聞|date=2022-09-20|accessdate=2023-07-20}}</ref>。


{{Wikisource|野田佳彦君の故議員安倍晋三君に対する追悼演説|野田佳彦による追悼演説|3=全文}}
{{Wikisource|野田佳彦君の故議員安倍晋三君に対する追悼演説|野田佳彦による追悼演説|3=全文}}
2022年10月7日、安倍に対する国会での[[追悼演説]]について、自民党側が「安倍氏は長く総理大臣を経験し、その重圧と孤独を最も知っているのが野田氏だ」として演説を申し入れ、野田党内で協議後、要請を受諾<ref>{{Cite web |title=安倍元首相に対する国会での追悼演説 立民 野田元首相に {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221007/k10013851691000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-10-07 |publisher=日本放送協会 |date=2022-10-07}}</ref><ref>{{Cite web |title=安倍氏の追悼演説、立憲・野田元首相が受諾 自民「遺族の意向」 |url=https://mainichi.jp/articles/20221007/k00/00m/010/046000c |website=毎日新聞 |access-date=2022-10-07 |publisher=毎日新聞社 |date=2022-10-07}}</ref>、同月25日に行われた<ref>{{Cite web |title=安倍元首相との党首討論「火花散らす真剣勝負」と回顧…野田元首相が追悼演説 |url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20221025-OYT1T50240/ |website=読売新聞 |date=2022-10-25 |access-date=2022-10-30}}</ref>。野田の追悼演説は、かつての「仇敵」に対する惜しみない敬意や情感のこもった内容で「心を打つ」と話題を呼び、高く評価され、「憲政史に残る名演説」と賞賛する声もあがった<ref>{{Cite web |title=「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」野田元首相の追悼演説にキャンキャン吠えるだけの野党が学ぶべきこと 野党式の「重箱の隅をつつき何でも反対する」発言との決別 |url=https://president.jp/articles/-/63040 |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |date=2022-10-29 |access-date=2022-10-31}}</ref><ref>{{Cite web |title=「描写力はまるで小説家」野田元首相の安倍晋三追悼演説をスピーチトレーナーが絶賛 {{!}} 集英社オンライン {{!}} 毎日が、あたらしい |url=https://shueisha.online/culture/68615 |website=shueisha.online |access-date=2022-10-31 |publisher=集英社}}</ref>。
2022年10月7日、安倍に対する国会での[[追悼演説]]について、自民党側が「安倍氏は長く総理大臣を経験し、その重圧と孤独を最も知っているのが野田氏だ」として、野田に演説を申し入れ、野田自身もこれを受けて党内で協議後、要請を受諾<ref>{{Cite web|和書|title=安倍元首相に対する国会での追悼演説 立民 野田元首相に {{!}} NHK |url=https://web.archive.org/web/20221007033543/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221007/k10013851691000.html |website=NHKニュース |access-date=2022-10-07 |publisher=日本放送協会 |date=2022-10-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=安倍氏の追悼演説、立憲・野田元首相が受諾 自民「遺族の意向」 |url=https://mainichi.jp/articles/20221007/k00/00m/010/046000c |website=毎日新聞 |access-date=2022-10-07 |publisher=毎日新聞社 |date=2022-10-07}}</ref>、同月25日に行われた<ref>{{Cite web|和書|title=安倍元首相との党首討論「火花散らす真剣勝負」と回顧…野田元首相が追悼演説 |url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20221025-OYT1T50240/ |website=読売新聞 |date=2022-10-25 |access-date=2022-10-30}}</ref>。野田の追悼演説は、「再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」など、かつての「仇敵」に対する惜しみない敬意や情感のこもった内容で「心を打つ」と話題を呼び、高く評価され、「憲政史に残る名演説」と賞賛する声もあがった<ref>{{Cite web|和書|title=「勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」野田元首相の追悼演説にキャンキャン吠えるだけの野党が学ぶべきこと 野党式の「重箱の隅をつつき何でも反対する」発言との決別 |url=https://president.jp/articles/-/63040 |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |date=2022-10-29 |access-date=2022-10-31}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「描写力はまるで小説家」野田元首相の安倍晋三追悼演説をスピーチトレーナーが絶賛 {{!}} 集英社オンライン {{!}} 毎日が、あたらしい |url=https://shueisha.online/culture/68615 |website=shueisha.online |access-date=2022-10-31 |publisher=集英社}}</ref>。


2022年に成立した改正[[公職選挙法]]により、野田が長らく地盤としてきた船橋市は西側が4区、東側が[[千葉県第14区|14区]]に分けられることとなった。そのため、次期衆院選においてどちらの選挙区を選択するかが注目されていたが<ref>{{Cite web |title=10増10減 千葉4区か14区か 野田元総理の選択は?各党は? |url=https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/007/53/ |website=日本放送協会 |date=2022-12-01 |access-date=2023-05-16}}</ref>、[[2023年]]5月16日、次期衆院選においては14区から出馬し、4区においては新人候補を擁立する意向を明らかにした<ref>{{Cite web |title=野田佳彦 元総理は千葉14区(船橋東部・習志野)から 10増10減 |url=https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/012/91/ |website=日本放送協会 |date=2023-05-16 |access-date=2023-05-16}}</ref>。
2022年に成立した改正[[公職選挙法]]により、野田が長らく地盤としてきた船橋市は西側が4区、東側が[[千葉県第14区|14区]]に分けられることとなった。そのため、次期衆院選においてどちらの選挙区を選択するかが注目されていたが<ref>{{Cite web|和書|title=10増10減 千葉4区か14区か 野田元総理の選択は?各党は? |url=https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/007/53/ |website=日本放送協会 |date=2022-12-01 |access-date=2023-05-16}}</ref>、[[2023年]]5月16日、次期衆院選においては14区から出馬し、4区においては新人候補を擁立する意向を明らかにした<ref>{{Cite web|和書|title=野田佳彦 元総理は千葉14区(船橋東部・習志野)から 10増10減 |url=https://www.nhk.or.jp/shutoken/chiba/article/012/91/ |website=日本放送協会 |date=2023-05-16 |access-date=2023-05-16}}</ref>。


== 年譜 ==
== 年譜 ==
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=== 財政・金融 ===
=== 財政・金融 ===
* [[財政政策]]では、[[与謝野馨]]らと並んで[[財政再建]]派・増税派の代表格とされる。[[東日本大震災]]直後には[[復興]][[財源]]を賄うための臨時増税の実施を示唆していた<ref>{{cite news|url = http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011081400071|title = 復興増税、来年度実施=諮問会議の復活検討-野田財務相|newspaper = jiji.com([[時事通信]])|date = 2011-08-14|accessdate = 2011-08-17 }}</ref>。
* [[財政政策]]では、[[与謝野馨]]らと並んで[[財政再建]]派・増税派の代表格とされる。[[東日本大震災]]直後には[[復興]][[財源]]を賄うための臨時増税の実施を示唆していた<ref>{{cite news|url = http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011081400071|title = 復興増税、来年度実施=諮問会議の復活検討-野田財務相|newspaper = jiji.com([[時事通信]])|date = 2011-08-14|accessdate = 2011-08-17 }}</ref>。
* [[日本国債|国債]]発行については「どちらかと言えば抑制すべきだ」としている<ref name="asahi-todai2017">{{cite web |url=https://www.asahi.com/sp/senkyo/senkyo2017/asahitodai/koho.html?k=ZZZZZ0A7 | title=野田佳彦 |website=2017衆院選 候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査) | publisher=朝日新聞社 | date= | accessdate=2023-04-01}}</ref>。
* [[日本国債|国債]]発行については「どちらかと言えば抑制すべきだ」としている<ref name="asahi-todai2017">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/sp/senkyo/senkyo2017/asahitodai/koho.html?k=ZZZZZ0A7 | title=野田佳彦 |website=2017衆院選 候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査) | publisher=朝日新聞社 | date= | accessdate=2023-04-01}}</ref>。
* 財源調達機能として、[[利子所得|金融所得]]課税の強化を有力な選択肢だとしている。[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]の[[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]に対し、「私が財務大臣の頃と違い、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]を兼ねているから中立的にしか言えないんですかね。[[日本国政府|政府]]として金融所得課税に取り組んでいく、党の動きを待つだけではない姿勢が必要だ」と指摘していた<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120804376X00320220209/52 第208回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号(発言番号52)]</ref>。
* 財源調達機能として、[[利子所得|金融所得]]課税の強化を有力な選択肢だとしている。[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]の[[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]に対し、「私が財務大臣の頃と違い、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]を兼ねているから中立的にしか言えないんですかね。[[日本国政府|政府]]として金融所得課税に取り組んでいく、党の動きを待つだけではない姿勢が必要だ」と指摘していた<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120804376X00320220209/52 第208回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号(発言番号52)]</ref>。


=== 外交・安全保障 ===
=== 外交・安全保障 ===
* 「[[沖ノ鳥島]]は岩礁にすぎない」とした[[唐家璇]][[中華人民共和国国務院|中国国務委員]]([[副首相]]級)に対し、「沖ノ鳥島は満潮時でも水没しない」「かつて、満潮時には水没してしまう岩礁に高床式の掘っ立て小屋を立てて、[[南沙諸島]]を実効支配した貴国にとやかく言われる筋合いはない」と反論している<ref>[https://www.nodayoshi.gr.jp/leaflet/detail/113.html かわら版 No.997 『南シナ海波高し』] 公式サイト 2015年6月22日</ref>。一方、[[2012年]]([[平成]]24年)[[10月29日]]の所信表明演説では、[[尖閣諸島|尖閣]]・[[竹島]]などの領土問題に関して具体的な国や島の名前の言及は避けており<ref>[https://archive.is/20130425000528/www.asahi.com/politics/update/1029/TKY201210290290.html 尖閣・竹島問題、具体的には触れず 首相所信表明演説] 朝日新聞 2012年10月29日</ref>、[[竹島問題]]での[[国際司法裁判所]](ICJ)への単独[[訴訟|提訴]]を11月以降に先送りするなど「関係改善」を模索している。2012年[[10月27日]]に判明した[[自衛隊]]と[[在日米軍]]による共同の離島奪還訓練の断念については、米・キャンベル国務次官補が「日本が決めたなら、戻せとは言わないが、なぜ中止しないといけないのか理解しかねる」<ref>[https://megalodon.jp/2012-1101-2352-36/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00234578.html 離島防衛訓練中止 米・キャンベル国務次官補が強い不快感示す]</ref> と述べた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121101/plc12110110030005-n2.htm 野田首相、あなたもか]</ref>。
* 「[[沖ノ鳥島]]は岩礁にすぎない」とした[[唐家璇]][[中華人民共和国国務院|中国国務委員]]([[副首相]]級)に対し、「沖ノ鳥島は満潮時でも水没しない」「かつて、満潮時には水没してしまう岩礁に高床式の掘っ立て小屋を立てて、[[南沙諸島]]を実効支配した貴国にとやかく言われる筋合いはない」と反論している<ref>[https://www.nodayoshi.gr.jp/leaflet/detail/113.html かわら版 No.997 『南シナ海波高し』] 公式サイト 2015年6月22日</ref>。一方、[[2012年]]([[平成]]24年)[[10月29日]]の所信表明演説では、[[尖閣諸島|尖閣]]・[[竹島 (代表的なトピック)|竹島]]などの領土問題に関して具体的な国や島の名前の言及は避けており<ref>[https://archive.is/20130425000528/www.asahi.com/politics/update/1029/TKY201210290290.html 尖閣・竹島問題、具体的には触れず 首相所信表明演説] 朝日新聞 2012年10月29日</ref>、[[竹島問題]]での[[国際司法裁判所]](ICJ)への単独[[訴訟|提訴]]を11月以降に先送りするなど「関係改善」を模索している。2012年[[10月27日]]に判明した[[自衛隊]]と[[在日米軍]]による共同の離島奪還訓練の断念については、米・キャンベル国務次官補が「日本が決めたなら、戻せとは言わないが、なぜ中止しないといけないのか理解しかねる」<ref>[https://megalodon.jp/2012-1101-2352-36/www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00234578.html 離島防衛訓練中止 米・キャンベル国務次官補が強い不快感示す]</ref> と述べた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121101/plc12110110030005-n2.htm 野田首相、あなたもか]</ref>。


=== TPP ===
=== TPP ===
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=== 歴史認識 ===
=== 歴史認識 ===
* [[清華大学]]現代国際関係研究院副院長の劉江永は、野田の政治姿勢を「[[中道右派|中庸右寄り]]であり、最[[右翼]]や[[極右]]ではないと思う。[[保守中道]]の右寄りだ」と評している<ref>[https://web.archive.org/web/20180620124754/http://j1.peopledaily.com.cn/94474/7586254.html 劉江永氏:日本の新首相は中庸派 国内の難題いっぱい (2)]、[[人民網]]日本語版</ref>。
* [[清華大学]]現代国際関係研究院副院長の劉江永は、野田の政治姿勢を「[[中道右派|中庸右寄り]]であり、最[[右翼]]や[[極右]]ではないと思う。[[保守中道]]の右寄りだ」と評している<ref>[https://web.archive.org/web/20180620124754/http://j1.peopledaily.com.cn/94474/7586254.html 劉江永氏:日本の新首相は中庸派 国内の難題いっぱい (2)]、[[人民網]]日本語版</ref>。
* [[小泉純一郎]][[内閣総理大臣|首相]]の[[靖国神社問題|靖国神社参拝]]が論争となっていた2005年(平成17年)[[10月17日]]には、「[[A級戦犯]]と呼ばれた人たちは[[戦争犯罪]]人ではない。[[A級戦犯合祀問題|戦争犯罪人が合祀]]されていることを理由に首相の[[靖国神社]]参拝に反対する論理は破綻している」「参拝の是非は国際政治的な利害を踏まえてなされるべきもので、誤ったA級戦犯理解に基づく是非論はA級戦犯とされた方々に対する[[人権蹂躙|人権侵害]]であり、人権と国家の名誉に関わる問題である」「[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]を受諾したという[[日本国政府|政府]]や[[外務省|外交当局]]の見解によれば、東京裁判における[[南京事件 (代表的なトピック)|南京大虐殺]]20数万や日本の[[ソビエト連邦|ソ連]][[侵略]]といった虚構も含め、日本が[[満州事変]]以降一貫して[[侵略戦争]]を行って来たという誤解を受け入れることになってしまう」という趣旨の[[質問主意書]]を提出した<ref>{{cite web|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm|publisher=[[衆議院]]|author=野田佳彦|date=2005-10-17|accessdate=2012-08-14|title=「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書}}</ref>。ただし、首相就任後は靖国参拝を自粛し、8月15日に参拝の意向を示していた[[羽田雄一郎]][[国土交通大臣|国土交通相]]と[[松原仁]][[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]にも自粛するように求めた<ref>{{cite news|newspaper=毎日新聞|date=2012-08-10|title=<野田首相>靖国参拝で自粛促す 2閣僚の言及で|url=http://mainichi.jp/select/news/20120811k0000m010100000c.html|accessdate=2012-08-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120817222207/mainichi.jp/select/news/20120811k0000m010100000c.html|archivedate=2012-08-17}}</ref>。
* [[小泉純一郎]][[内閣総理大臣|首相]]の[[靖国神社問題|靖国神社参拝]]が論争となっていた2005年(平成17年)[[10月17日]]には、「[[A級戦犯]]と呼ばれた人たちは[[戦争犯罪]]人ではない。[[A級戦犯合祀問題|戦争犯罪人が合祀]]されていることを理由に首相の[[靖国神社]]参拝に反対する論理は破綻している」「参拝の是非は国際政治的な利害を踏まえてなされるべきもので、誤ったA級戦犯理解に基づく是非論はA級戦犯とされた方々に対する[[人権蹂躙|人権侵害]]であり、人権と国家の名誉に関わる問題である」「[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]を受諾したという[[日本国政府|政府]]や[[外務省|外交当局]]の見解によれば、東京裁判における[[南京事件 (代表的なトピック)|南京大虐殺]]20数万や日本の[[ソビエト連邦|ソ連]][[侵略]]といった虚構も含め、日本が[[満州事変]]以降一貫して[[侵略戦争]]を行って来たという誤解を受け入れることになってしまう」という趣旨の[[質問主意書]]を提出した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm|publisher=[[衆議院]]|author=野田佳彦|date=2005-10-17|accessdate=2012-08-14|title=「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書}}</ref>。ただし、首相就任後は靖国参拝を自粛し、8月15日に参拝の意向を示していた[[羽田雄一郎]][[国土交通大臣|国土交通相]]と[[松原仁]][[国家公安委員会委員長|国家公安委員長]]にも自粛するように求めた<ref>{{cite news|newspaper=毎日新聞|date=2012-08-10|title=<野田首相>靖国参拝で自粛促す 2閣僚の言及で|url=http://mainichi.jp/select/news/20120811k0000m010100000c.html|accessdate=2012-08-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120817222207/mainichi.jp/select/news/20120811k0000m010100000c.html|archivedate=2012-08-17}}</ref>。


=== 外国人参政権 ===
=== 外国人参政権 ===
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=== 政治・行政・規制改革 ===
=== 政治・行政・規制改革 ===
* 自身の[[政治改革]]の3原則として①政治にお金をかけない ②政治でお金を儲けない ③お金で政治を動かさない ー の3つを挙げている<ref name="Nishinippon(P2:2024-1-15)">{{Cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/d908fbb08cac3ddd32aeb4a776d286ef0369c8c0?page=2|title=抜け穴になった政治資金パーティー 野田佳彦元首相が訴える政治改革の三原則とは|publisher=西日本新聞(P2)|date=2024-1-15|accessdate=2024-1-15}}</ref>。
* 2009年(平成21年)[[7月14日]]の[[衆議院]][[本会議]]で、「25000人の[[国家公務員]]OBが、4500の法人に[[天下り]]をし、その4500法人に12兆円1000億円の血税が流れていることがわかりました。これだけの税金に一言で言えば[[シロアリ]]が群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです」と述べて、天下りの根絶を主張している。さら[[第45回衆議院議員総選挙]]公示目前の2009年8月15日には、「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、[[消費税]]を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」と[[大阪府]][[堺市]]で演説している<ref>植草一秀『消費増税亡国論』</ref>。
* 2009年(平成21年)[[7月14日]]の[[衆議院]][[本会議]]で、「25000人の[[国家公務員]]OBが、4500の法人に[[天下り]]をし、その4500法人に12兆円1000億円の血税が流れていることがわかりました。これだけの税金に一言で言えば[[シロアリ]]が群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです」と述べて、天下りの根絶を主張している。に[[第45回衆議院議員総選挙]]公示目前の2009年8月15日には、「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、[[消費税]]を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」と[[大阪府]][[堺市]]で演説している<ref>植草一秀『消費増税亡国論』</ref>。
* 2012年(平成24年)11月に衆議院の議員定数を45削減する選挙制度改革関連法案を提出していた<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/txt/118124293X00120121114/7 第181回国会 衆議院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号(発言番号7)]</ref>。
* 2012年(平成24年)11月に衆議院の議員定数を45削減する選挙制度改革関連法案を提出していた<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/txt/118124293X00120121114/7 第181回国会 衆議院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号(発言番号7)]</ref>。
* [[行政改革|行革(行政改革)]]を更に進めるため、[[行政事業レビュー]]を法定化すべきだとしている<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/txt/119205254X00220160927/3 第192回国会 衆議院 予算委員会 第2号(発言番号3)]</ref>。
* [[行政改革|行革(行政改革)]]を更に進めるため、[[行政事業レビュー]]を法定化すべきだとしている<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/txt/119205254X00220160927/3 第192回国会 衆議院 予算委員会 第2号(発言番号3)]</ref>。
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* [[人権擁護法案から人権を守る会]]
* [[人権擁護法案から人権を守る会]]
* [[天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟]](副実行委員長)
* [[天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟]](副実行委員長)
* 民進党福祉タクシー議員連盟(会長)


==人物==
==人物==
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* 1日に2箱の[[たばこ]]を吸う[[ヘビースモーカー]]である<ref>{{Cite news |url = https://gendai.media/articles/-/26967 |title = 成立間近小宮山洋子厚労相が推し進める「スゴい〝禁煙法案〟」 |newspaper = 現代ビジネス |publisher = [[講談社]] |date = 2011-11-21 |accessdate = 2020-11-14 }}</ref>。2012年3月19日の[[参議院]][[決算委員会]]で「私、'''18'''から辞めたことなく貫いてきました」と発言したことがある。
* 1日に2箱の[[たばこ]]を吸う[[ヘビースモーカー]]である<ref>{{Cite news |url = https://gendai.media/articles/-/26967 |title = 成立間近小宮山洋子厚労相が推し進める「スゴい〝禁煙法案〟」 |newspaper = 現代ビジネス |publisher = [[講談社]] |date = 2011-11-21 |accessdate = 2020-11-14 }}</ref>。2012年3月19日の[[参議院]][[決算委員会]]で「私、'''18'''から辞めたことなく貫いてきました」と発言したことがある。
* 趣味は[[格闘技]]観戦。政界屈指の[[プロレス]]ファンとして知られており、[[2013年]]に[[日本武道館]]で行われた[[小橋建太]]の引退試合に来場し、セレモニーでは花束を贈呈している。野田本人は「一人のファンとして、小橋の最後を見ないわけにはいかない。この試合だけは、生で見ないと失礼に当たる。絶対王者と呼ばれた人のラストファイトを見届けたい。これぞ小橋という魂を感じる試合を最後に見たい」と思いを語った<ref name="nikkan">[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20130508-1123940.html 小橋の引退試合を野田前首相が生観戦へ]([[日刊スポーツ]])</ref>。小学生の時に[[キックボクシング]]の[[沢村忠]]に握手してもらい感動したという<ref name="nik20110830"/>。憧れの[[プロレスラー]]は[[ジャンボ鶴田]]<ref name="nikkan"/>。政治の場でも格闘技用語を使い、2002年の民主党代表選のキャッチフレーズは「ドスンパンチ」、2003年には小泉純一郎首相の答弁を「ヒットアンドアウェーというよりアウェーアンドアウェー」と表現した<ref name="nik20110830"/>。柔道2[[段級位制|段]]の有段者で、[[谷亮子|田村亮子]]と写った写真を[[議員会館]]自室に飾っている。田村について「政治家としての行動は違うが、柔道家としては好き」と語っている<ref name="nik20110830"/>。超党派で作る格闘技振興議員連盟の会長を務めている。本人曰く柔道でも政治でも[[寝技]]は苦手。2012年[[6月18日]]に[[メキシコ]]で行われた日露首脳会談では、柔道家として知られる[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]][[ロシア連邦大統領|大統領]]と自国の[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]代表の柔道着を贈りあった<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20120620k0000m010012000c.html|title=野田首相:プーチン大統領と柔道着贈り合い|date=2012-06-19|accessdate=2012-06-19|newspaper=毎日新聞|archiveurl=https://archive.is/jWJn|archivedate=2012-07-10}}</ref>。
* 趣味は[[格闘技]]観戦。政界屈指の[[プロレス]]ファンとして知られており、[[2013年]]に[[日本武道館]]で行われた[[小橋建太]]の引退試合に来場し、セレモニーでは花束を贈呈している。野田本人は「一人のファンとして、小橋の最後を見ないわけにはいかない。この試合だけは、生で見ないと失礼に当たる。絶対王者と呼ばれた人のラストファイトを見届けたい。これぞ小橋という魂を感じる試合を最後に見たい」と思いを語った<ref name="nikkan">[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20130508-1123940.html 小橋の引退試合を野田前首相が生観戦へ]([[日刊スポーツ]])</ref>。小学生の時に[[キックボクシング]]の[[沢村忠]]に握手してもらい感動したという<ref name="nik20110830"/>。憧れの[[プロレスラー]]は[[ジャンボ鶴田]]<ref name="nikkan"/>。政治の場でも格闘技用語を使い、2002年の民主党代表選のキャッチフレーズは「ドスンパンチ」、2003年には小泉純一郎首相の答弁を「ヒットアンドアウェーというよりアウェーアンドアウェー」と表現した<ref name="nik20110830"/>。柔道2[[段級位制|段]]の有段者で、[[谷亮子|田村亮子]]と写った写真を[[議員会館]]自室に飾っている。田村について「政治家としての行動は違うが、柔道家としては好き」と語っている<ref name="nik20110830"/>。超党派で作る格闘技振興議員連盟の会長を務めている。本人曰く柔道でも政治でも[[寝技]]は苦手。2012年[[6月18日]]に[[メキシコ]]で行われた日露首脳会談では、柔道家として知られる[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]][[ロシア連邦大統領|大統領]]と自国の[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]代表の柔道着を贈りあった<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20120620k0000m010012000c.html|title=野田首相:プーチン大統領と柔道着贈り合い|date=2012-06-19|accessdate=2012-06-19|newspaper=毎日新聞|archiveurl=https://archive.is/jWJn|archivedate=2012-07-10}}</ref>。
* 好物は[[ラーメン]]と[[日本酒]]<ref>{{cite news|title= 基礎からわかる 野田佳彦 つじ立ち糧に 宰相へ=特集|newspaper=毎日新聞|date= 2011-08-30}}</ref>。酒豪だが高級バーをはしごするタイプではなく、庶民的な店がほとんどだという<ref name="nik20110830"/>。藤井裕久とは2004年参院選の際に空港の待合室でカップ酒を10本空けたことを機に親しくなり、民主党政権において財務副大臣・財務大臣などを務めて政治的に飛躍していく素地となった<ref>{{Cite web|url=http://www.asahi.com/politics/update/0916/TKY201309160099.html|title=「ちょっと今、とんがった歴史観が多過ぎ」野田前首相|accessdate=2021/08/27|publisher=朝日新聞2013年9月16日}}</ref>。
* 好物は[[ラーメン]]と[[日本酒]]<ref>{{cite news|title= 基礎からわかる 野田佳彦 つじ立ち糧に 宰相へ=特集|newspaper=毎日新聞|date= 2011-08-30}}</ref>。酒豪だが高級バーをはしごするタイプではなく、庶民的な店がほとんどだという<ref name="nik20110830"/>。藤井裕久とは2004年参院選の際に空港の待合室でカップ酒を10本空けたことを機に親しくなり、民主党政権において財務副大臣・財務大臣などを務めて政治的に飛躍していく素地となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/politics/update/0916/TKY201309160099.html|title=「ちょっと今、とんがった歴史観が多過ぎ」野田前首相|accessdate=2021/08/27|publisher=朝日新聞2013年9月16日}}</ref>。
* 一方、酒好きを懸念する声も上がった。首相在任時は公邸で一升瓶を空けることもあり、翌日呂律が回らないこともあったと報じられた<ref>{{Cite web|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/432ed1546a63ff7f5e3e9d65c84f662219f51cd4|title=「野田首相説明も頭に入らず?」|accessdate=2021/08/27|publisher=毎日新聞2012年11月3日}}</ref>。
* 一方、酒好きを懸念する声も上がった。首相在任時は公邸で一升瓶を空けることもあり、翌日呂律が回らないこともあったと報じられた<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/432ed1546a63ff7f5e3e9d65c84f662219f51cd4|title=「野田首相説明も頭に入らず?」|accessdate=2021/08/27|publisher=毎日新聞2012年11月3日}}</ref>。
* [[カラオケ]]の十八番は「[[柳ヶ瀬ブルース]]」「[[思えば遠くへ来たもんだ]]」など。
* [[カラオケ]]の十八番は「[[柳ヶ瀬ブルース]]」「[[思えば遠くへ来たもんだ]]」など。
* 2011年10月の[[資産公開制度|資産公開]]で、野田の[[資産]]は1,774万円([[千葉県]][[船橋市]]の自宅の土地・建物計1,514万円、定期預金260万円)で、家族分も公開対象となった[[1989年]]以降、首相の就任時では過去最少となった<ref>{{cite web|url=http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201110140552.html|publisher=朝日新聞|date=2011-10-14|accessdate=2012-02-08|title=野田首相の資産、歴代最少 内閣平均は菅内閣上回る}}</ref>。
* 2011年10月の[[資産公開制度|資産公開]]で、野田の[[資産]]は1,774万円([[千葉県]][[船橋市]]の自宅の土地・建物計1,514万円、定期預金260万円)で、家族分も公開対象となった[[1989年]]以降、首相の就任時では過去最少となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201110140552.html|publisher=朝日新聞|date=2011-10-14|accessdate=2012-02-08|title=野田首相の資産、歴代最少 内閣平均は菅内閣上回る}}</ref>。
* 自身の性格・人柄について、内閣総理大臣時に「馬鹿正直」と答弁している<ref name="gijiroku20121114">[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/008818120121114001.htm 第181回国会 国家基本政策委員会合同審査会 第1号(平成24年11月14日)会議録] - 衆議院</ref>。
* 自身の性格・人柄について、内閣総理大臣時に「馬鹿正直」と答弁している<ref name="gijiroku20121114">[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/008818120121114001.htm 第181回国会 国家基本政策委員会合同審査会 第1号(平成24年11月14日)会議録] - 衆議院</ref>。
* [[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[石破茂]]とは、同じ[[昭和32年]]生まれで[[血液型]]も[[ABO式血液型|B型]]であり、上述の様にたばこや日本酒好きを公言するなど共通点は多い。野田は、地方議員だった頃に、石破が自民党の若手議員として既に[[テレビ]]出演しており、憧れの存在であったと述べている<ref>{{cite news|url=https://nikkan-spa.jp/1945334?cx_clicks_art_mdl=5_title|title=石破茂 × 野田佳彦の対談が実現、2人の政治家が見る令和の国会「きちんと議論をする文化が失われた」|newspaper=[[SPA!|日刊SPA!]]|date=2023-10-11|accessdate=2023-10-11}}</ref>。


=== 政治家として ===
=== 政治家として ===
* 1996年に落選したが(田中:73,792票、野田:73,687票、[[惜敗率]]:99.85%)、これは2014年の[[第47回衆議院議員総選挙]]の[[新潟県第2区|新潟2区]]で[[細田健一]]が[[鷲尾英一郎]]を102票差で破るまで衆院選小選挙区で最小の票差であった。この際、「がんばれ野田佳彦」「必勝」などと書かれた投票用紙が大量に見つかりすべて無効票と判断されたため、選挙管理委員会に選挙無効申し立てをしたが後に取り下げた。約4年間の浪人時代は[[中小企業|中小・零細企業]]の経営者たちのカンパに支えられたという<ref name="nik20110830"/>。1999年に医療グループ「DSヘルスケアグループ」社長の寒竹郁夫が後援会長に就任した<ref>[http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1625 週刊文春 2012年8月2日号 野田首相の前後援会長が社会保障費21億円を不正請求]</ref>。
* 1996年に落選したが(田中:73,792票、野田:73,687票、[[惜敗率]]:99.85%)、これは2014年の[[第47回衆議院議員総選挙]]の[[新潟県第2区|新潟2区]]で[[細田健一]]が[[鷲尾英一郎]]を102票差で破るまで衆院選小選挙区で最小の票差であった。この際、「がんばれ野田佳彦」「必勝」などと書かれた投票用紙が大量に見つかりすべて無効票と判断されたため、選挙管理委員会に選挙無効申し立てをしたが後に取り下げた。約4年間の浪人時代は[[中小企業|中小・零細企業]]の経営者たちのカンパに支えられたという<ref name="nik20110830"/>。1999年に医療グループ「DSヘルスケアグループ」社長の寒竹郁夫が後援会長に就任した<ref>[http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1625 週刊文春 2012年8月2日号 野田首相の前後援会長が社会保障費21億円を不正請求]</ref>。
* 松下政経塾の塾長であった松下幸之助からの助言に従い、駅前で通勤する人々に政策を訴える「[[朝立ち]]」を[[1986年]]10月から2010年に財務相に就任する前日まで24年間続け、「駅前留学は[[NOVA]]、駅前演説はNODA」と自ら称した。首相退任後の2012年12月から朝立ちを再開している<ref>{{Cite web |title=元首相が36年間、朝の駅前に立ち続ける理由 原点に松下幸之助さんの助言 |url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1034898/ |website=西日本新聞 |access-date=2023-01-05 |author=井崎圭 |date=2023-01-04 |page=1}}</ref>。
* 松下政経塾の塾長であった松下幸之助からの助言に従い、駅前で通勤する人々に政策を訴える「[[朝立ち]]」を[[1986年]]10月から2010年に財務相に就任する前日まで24年間続け、「駅前留学は[[NOVA]]、駅前演説はNODA」と自ら称した。首相退任後の2012年12月から朝立ちを再開している<ref>{{Cite web|和書|title=元首相が36年間、朝の駅前に立ち続ける理由 原点に松下幸之助さんの助言 |url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1034898/ |website=西日本新聞 |access-date=2023-01-05 |author=井崎圭 |date=2023-01-04 |page=1}}</ref>。
* [[財政政策]]にブレが少なくあまり省議に口を挟まないことから、[[財務省]]内では「仕えやすい上司」との評価が定着。演説の上手さにも定評がある<ref name="nik20110830"/>。
* [[財政政策]]にブレが少なくあまり省議に口を挟まないことから、[[財務省]]内では「仕えやすい上司」との評価が定着。演説の上手さにも定評がある<ref name="nik20110830"/>。
* 財務省では[[たばこ税|たばこ]]増税に取り組んだが、自身は1日2箱の愛煙家で、「(増税は)切ないテーマ」と認めた<ref>{{cite news|newspaper=朝日新聞|date=2011-02-26|title=(国会論戦 ここに注目しました)愛煙家・禁煙派、増税は別|author=明楽麻子}}</ref>。2011年7月、東日本大震災の復興財源の税目として更なるたばこ増税が議論になった際に、当時財務相であった野田は、税制を使った「[[オヤジ狩り]]みたいなもの」だと反発した<ref>{{cite web|title=たばこ・酒増税は「オヤジ狩り」 復興財源めぐり政府内バトル|url=http://www.j-cast.com/2011/07/17101687.html?p=all|accessdate=2012-01-28|publisher=[[J-CAST]]}}</ref>。
* 財務省では[[たばこ税|たばこ]]増税に取り組んだが、自身は1日2箱の愛煙家で、「(増税は)切ないテーマ」と認めた<ref>{{cite news|newspaper=朝日新聞|date=2011-02-26|title=(国会論戦 ここに注目しました)愛煙家・禁煙派、増税は別|author=明楽麻子}}</ref>。2011年7月、東日本大震災の復興財源の税目として更なるたばこ増税が議論になった際に、当時財務相であった野田は、税制を使った「[[オヤジ狩り]]みたいなもの」だと反発した<ref>{{Cite web|和書|title=たばこ・酒増税は「オヤジ狩り」 復興財源めぐり政府内バトル|url=https://www.j-cast.com/2011/07/17101687.html?p=all|accessdate=2012-01-28|publisher=[[J-CAST]]}}</ref>。
* 第162回国会における2005年1月21日の小泉首相による[[施政方針演説]]の中で、凶弾に倒れながらも「男子の本懐」と漏らした[[濱口雄幸]]首相を小泉が自らになぞらえたことに対して、1月25日の[[代表質問]]の場において、狙撃後も命をかけて国会に出席し[[説明責任]]を果たしたことが浜口の真骨頂であり、ぼかして逃げるあなた(小泉)とは違うと批判した<ref>{{cite web|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/000116220050125003.htm|title=衆議院議事録|date=2005-01-25|accessdate=2012-01-28|publisher=衆議院}}</ref>。
* 第162回国会における2005年1月21日の小泉首相による[[施政方針演説]]の中で、凶弾に倒れながらも「男子の本懐」と漏らした[[濱口雄幸]]首相を小泉が自らになぞらえたことに対して、1月25日の[[代表質問]]の場において、狙撃後も命をかけて国会に出席し[[説明責任]]を果たしたことが浜口の真骨頂であり、ぼかして逃げるあなた(小泉)とは違うと批判した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/000116220050125003.htm|title=衆議院議事録|date=2005-01-25|accessdate=2012-01-28|publisher=衆議院}}</ref>。
* [[日本大学法学部・大学院法学研究科及び新聞学研究科|日本大学法学部]]教授の[[岩井奉信]]は、党の内外や官僚と敵対しない温厚なタイプと野田を評した<ref name="postkan">{{cite news|title=特集ワイド:「ポスト菅」一体誰が… 一長一短で本命不在|newspaper=毎日新聞|date=2011-08-18|author1=江畑佳明|author2=根本太一}}</ref>。
* [[日本大学法学部・大学院法学研究科及び新聞学研究科|日本大学法学部]]教授の[[岩井奉信]]は、党の内外や官僚と敵対しない温厚なタイプと野田を評した<ref name="postkan">{{cite news|title=特集ワイド:「ポスト菅」一体誰が… 一長一短で本命不在|newspaper=毎日新聞|date=2011-08-18|author1=江畑佳明|author2=根本太一}}</ref>。
* 民主党の[[藤井裕久]]最高顧問は政界引退にあたって、「今の日本の政治家で、彼をおいて総理に値する人は絶無だ」と断言した<ref>{{cite web|url=https://archive.fo/HP3Fv|title=民主・藤井裕久氏が引退表明、「世の中のために尽くす」|date=2012-11-30|accessdate=2012-02-23|publisher=神奈川新聞}}</ref>。
* 民主党の[[藤井裕久]]最高顧問は政界引退にあたって、「今の日本の政治家で、彼をおいて総理に値する人は絶無だ」と断言した<ref>{{Cite web|和書|url=https://archive.fo/HP3Fv|title=民主・藤井裕久氏が引退表明、「世の中のために尽くす」|date=2012-11-30|accessdate=2012-02-23|publisher=神奈川新聞}}</ref>。
* [[御厨貴]]は総理時代の野田について「鳩山・菅とは異なる保守の政治家であり極めて現実的に進めようと努めた人でした。基本的に民主党は反官僚で霞が関とは敵対していましたが野田政権の時は官僚も少しは話が出来ると態度を軟化。「統治」とは何かがようやく分かり始めた時にはすでに政権の足元が揺らいでおり打つ手がなかった。僕は民主党政権で唯一評価すべき総理は野田だと思っている」と評している<ref>[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴/[[後藤謙次]]、173頁</ref>。
* [[御厨貴]]は総理時代の野田について「鳩山・菅とは異なる保守の政治家であり極めて現実的に進めようと努めた人でした。基本的に民主党は反官僚で霞が関とは敵対していましたが野田政権の時は官僚も少しは話が出来ると態度を軟化。「統治」とは何かがようやく分かり始めた時にはすでに政権の足元が揺らいでおり打つ手がなかった。僕は民主党政権で唯一評価すべき総理は野田だと思っている」と評している<ref>[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴/[[後藤謙次]]、173頁</ref>。


==選挙歴==
==選挙歴==
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* 2007年(平成19年)6月に[[政治資金パーティー]]を行った際に、脱税事件で有罪判決を受けた男性が代表を務める会社の関連会社2社が40万円ずつ(計・80万円)のパーティー券を購入したことが判明し、野田の事務局は「速やかに返還する」とした<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0400L_U1A300C1CC0000/?at=DGXZZO019 野田財務相も80万円返還へ パーティー券問題] 日本経済新聞 2011年3月4日</ref>。
* 2007年(平成19年)6月に[[政治資金パーティー]]を行った際に、脱税事件で有罪判決を受けた男性が代表を務める会社の関連会社2社が40万円ずつ(計・80万円)のパーティー券を購入したことが判明し、野田の事務局は「速やかに返還する」とした<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0400L_U1A300C1CC0000/?at=DGXZZO019 野田財務相も80万円返還へ パーティー券問題] 日本経済新聞 2011年3月4日</ref>。
* 2011年(平成23年)[[1月20日]]に[[朝日新聞社]]が調べたところによると、関係政治団体「野田よしひこ後援会」が、2009年(平成21年)に[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]などで支出した飲食費合計22万2500円を政治資金の交際費として支出したと、[[政治資金収支報告書]]に記載しており、野田の事務所は[[1月19日]]付で、報告書から削除した。この問題について、同事務所は「女性が接客する店の代金は、政治家の政治活動にはあたらない、と判断したので削除した」と説明した<ref>[http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201101200215.html 野田財務相の団体、政治資金からスナック代22万円払う] 朝日新聞 2011年1月20日</ref>。
* 2011年(平成23年)[[1月20日]]に[[朝日新聞社]]が調べたところによると、関係政治団体「野田よしひこ後援会」が、2009年(平成21年)に[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]などで支出した飲食費合計22万2500円を政治資金の交際費として支出したと、[[政治資金収支報告書]]に記載しており、野田の事務所は[[1月19日]]付で、報告書から削除した。この問題について、同事務所は「女性が接客する店の代金は、政治家の政治活動にはあたらない、と判断したので削除した」と説明した<ref>[http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201101200215.html 野田財務相の団体、政治資金からスナック代22万円払う] 朝日新聞 2011年1月20日</ref>。
* 2011年(平成23年)6月16日に、[[業務上過失致死罪]]で医師が起訴された品川美容外科グループ創業者の男性から、2008年と2009年、2010年に各100万円の[[政治献金]]を受け取っていた。この問題に対し、野田は「返金を検討したい」と述べた<ref>[https://news.ntv.co.jp/category/politics/184720 品川美容外科の献金返還を検討~野田財務相] 日テレNEWS24 2011年6月17日</ref>。
* 2011年(平成23年)6月16日に、[[業務上過失致死傷罪|業務上過失致死罪]]で医師が起訴された品川美容外科グループ創業者の男性から、2008年と2009年、2010年に各100万円の[[政治献金]]を受け取っていた。この問題に対し、野田は「返金を検討したい」と述べた<ref>[https://news.ntv.co.jp/category/politics/184720 品川美容外科の献金返還を検討~野田財務相] 日テレNEWS24 2011年6月17日</ref>。
* 2012年(平成24年)[[3月9日]]、[[参議院]][[決算委員会]]で政府の[[癌]]対策に絡み、野党・[[公明党]]の[[松あきら]]が、愛煙家の野田に「率先垂範して[[禁煙]]宣言してはどうか」と迫った。これに対し「いや、困りましたね。[[喫煙率]]が下がっていくことは望ましいと思いますが、私、18歳からずっとやめたことなく貫いてきてしまいました。[[受動喫煙]]には気を付けたい」と発言。議場内がざわめき、「[[喫煙]]は[[二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律|法律]]で[[年齢#20歳|20歳]]から」という周囲のささやきで、問題発言をしたことに気付いた野田は、「あ、すみません、20歳からです、失礼いたしました。」と慌てて答弁を訂正した。松は「ここは目をつぶるから、しっかりやって」と、野田に禁煙を迫った<ref>{{cite news|url=https://archive.fo/TGDz|newspaper=朝日新聞|date=2012-03-09|title=首相、たばこ「18歳からやめていない」 あわてて訂正|accessdate=2012-03-09}}</ref>。
* 2012年(平成24年)[[3月9日]]、[[参議院]][[決算委員会]]で政府の[[癌]]対策に絡み、野党・[[公明党]]の[[松あきら]]が、愛煙家の野田に「率先垂範して[[禁煙]]宣言してはどうか」と迫った。これに対し「いや、困りましたね。[[喫煙率]]が下がっていくことは望ましいと思いますが、私、18歳からずっとやめたことなく貫いてきてしまいました。[[受動喫煙]]には気を付けたい」と発言。議場内がざわめき、「[[喫煙]]は[[二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律|法律]]で[[年齢#20歳|20歳]]から」という周囲のささやきで、問題発言をしたことに気付いた野田は、「あ、すみません、20歳からです、失礼いたしました。」と慌てて答弁を訂正した。松は「ここは目をつぶるから、しっかりやって」と、野田に禁煙を迫った<ref>{{cite news|url=https://archive.fo/TGDz|newspaper=朝日新聞|date=2012-03-09|title=首相、たばこ「18歳からやめていない」 あわてて訂正|accessdate=2012-03-09}}</ref>。
*[[中国人民解放軍海軍|中国海軍]]の[[フリゲート|フリゲート艦]]が2013年1月30日午前10時ごろに[[海上自衛隊]]の[[護衛艦]]に[[射撃管制装置|火器管制レーダー]]を照射した事件<ref>{{cite news
*[[中国人民解放軍海軍|中国海軍]]の[[フリゲート|フリゲート艦]]が2013年1月30日午前10時ごろに[[海上自衛隊]]の[[護衛艦]]に[[射撃管制装置|火器管制レーダー]]を照射した事件<ref>{{cite news
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| title = 中国艦船、海自艦船にレーダー照射 1月30日に政府は抗議
| title = 中国艦船、海自艦船にレーダー照射 1月30日に政府は抗議
| newspaper = [[日本経済新聞]]
| newspaper = [[日本経済新聞]]
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| accessdate = 2013-02-08
| accessdate = 2013-02-08
}}</ref> の報道に対して、野田佳彦、[[岡田克也]]、民主党は「報道は事実に反する」とし、謝罪と訂正を求めた<ref>[http://www.dpj.or.jp/article/101921/%E9%87%8E%E7%94%B0%E4%BD%B3%E5%BD%A6%E5%89%8D%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%8C%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E7%85%A7%E5%B0%84%E4%BA%8B%E6%A1%88%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%83%A8%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AB%E3%80%8C%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E7%84%A1%E6%A0%B9%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88 野田佳彦前代表が中国レーダー照射事案の一部報道に「事実無根」のコメント] 民主党ニュース 2013年2月7日</ref><ref>[http://www.dpj.or.jp/article/101928/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E7%85%A7%E5%B0%84%E4%BA%8B%E6%A1%88%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%83%A8%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AB%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%83%BB%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%83%BB%E8%A8%82%E6%AD%A3%E8%A8%98%E4%BA%8B%E6%8E%B2%E8%BC%89%E3%82%92%E7%94%B3%E3%81%97%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%80%80%E7%B4%B0%E9%87%8E%E5%B9%B9%E4%BA%8B%E9%95%B7 中国レーダー照射事案の一部報道に説明・謝罪・訂正記事掲載を申し入れ 細野幹事長] 民主党ニュース 2013年2月8日</ref>。また、[[第2次安倍内閣]]に於いても国会答弁にて[[小野寺五典]][[防衛大臣|防衛相]]が「今回の照射事案以前に、総理等まで報告の上、公表の必要があると判断された今回のような事案は、発生しておりません。」と報道を正式に否定した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118305261X00320130208 衆議院会議録 平成25年2月8日]</ref>。また、[[菅義偉]][[内閣官房長官|官房長官]]は情報を報道へリークしたとされる《関係者》なる人物の存在について「私どもからそうした情報を出すということは、これはあり得ないことであります。それは、民主党政権であっても私どもの政権であっても、新聞というのは真実に基づいて報道すべきだろうと思います。」と国会で答弁し、報道を正式に否定した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118315261X00720130227 参議院会議録 平成25年2月27日]</ref>。
}}</ref> の報道に対して、野田佳彦、[[岡田克也]]、民主党は「報道は事実に反する」とし、謝罪と訂正を求めた<ref>[http://www.dpj.or.jp/article/101921/%E9%87%8E%E7%94%B0%E4%BD%B3%E5%BD%A6%E5%89%8D%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%8C%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E7%85%A7%E5%B0%84%E4%BA%8B%E6%A1%88%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%83%A8%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AB%E3%80%8C%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E7%84%A1%E6%A0%B9%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88 野田佳彦前代表が中国レーダー照射事案の一部報道に「事実無根」のコメント] 民主党ニュース 2013年2月7日</ref><ref>[http://www.dpj.or.jp/article/101928/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E7%85%A7%E5%B0%84%E4%BA%8B%E6%A1%88%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%83%A8%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%81%AB%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%83%BB%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%83%BB%E8%A8%82%E6%AD%A3%E8%A8%98%E4%BA%8B%E6%8E%B2%E8%BC%89%E3%82%92%E7%94%B3%E3%81%97%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%80%80%E7%B4%B0%E9%87%8E%E5%B9%B9%E4%BA%8B%E9%95%B7 中国レーダー照射事案の一部報道に説明・謝罪・訂正記事掲載を申し入れ 細野幹事長] 民主党ニュース 2013年2月8日</ref>。また、[[第2次安倍内閣]]に於いても国会答弁にて[[小野寺五典]][[防衛大臣|防衛相]]が「今回の照射事案以前に、総理等まで報告の上、公表の必要があると判断された今回のような事案は、発生しておりません。」と報道を正式に否定した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118305261X00320130208 衆議院会議録 平成25年2月8日]</ref>。また、[[菅義偉]][[内閣官房長官|官房長官]]は情報を報道へリークしたとされる《関係者》なる人物の存在について「私どもからそうした情報を出すということは、これはあり得ないことであります。それは、民主党政権であっても私どもの政権であっても、新聞というのは真実に基づいて報道すべきだろうと思います。」と国会で答弁し、報道を正式に否定した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118315261X00720130227 参議院会議録 平成25年2月27日]</ref>。
*2016年6月22日、[[第24回参議院議員通常選挙|参院選]]の応援演説で「[[白鵬翔|白鵬]]は力が衰えた分、立ち合いが汚い。左手を相手の顔に出し、ひるんだところに右肘でエルボーを入れる。[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]は眼窩(がんか)底骨折。安倍政権も同じ。左手で[[アベノミクス]]と言い、右手で[[憲法改正論議|憲法改正]]。顔面骨折は、国民がするんです」と安倍政権の政治手法を大相撲の横綱・白鵬の取り口になぞらえた批判を行った。これを知った[[愛知県]][[名古屋市]]の白鵬後援会が抗議文を提出したため、同年7月5日に名古屋市内で開かれた白鵬の激励会に野田佳彦本人直筆の謝罪文を持った[[民進党]]の別の議員2人が訪れ、代理で謝罪した<ref>{{Cite web|title=【参院選】民進・野田佳彦前首相、白鵬関に謝罪 演説で安倍政治同様「立ち合いが荒っぽい」などと発言|url=https://www.sankei.com/politics/news/160706/plt1607060054-n1.html|website=産経ニュース(2016年7月6日)|accessdate=2019-05-30|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|title=白鵬に野田前首相が謝罪文 「立ち合い汚い」批判で - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1673511.html|website=nikkansports.com(2016年7月5日)|accessdate=2019-05-30|language=ja|publisher=}}</ref>。しかし、野田自身の公式サイトには同様のたとえをそのままに、武力や権謀をもって支配・統治する「覇道」であると安倍政権を非難した文章が残っている<ref>{{Cite web|title=かわら版 No.1045 『覇道を倒す』 {{!}} 詳細 {{!}} かわら版|衆議院議員 野田よしひこ|url=http://www.nodayoshi.gr.jp/leaflet/detail/163.html|website=www.nodayoshi.gr.jp|accessdate=2019-05-30}}</ref>。
*2016年6月22日、[[第24回参議院議員通常選挙|参院選]]の応援演説で「[[白鵬翔|白鵬]]は力が衰えた分、立ち合いが汚い。左手を相手の顔に出し、ひるんだところに右肘でエルボーを入れる。[[豪栄道豪太郎|豪栄道]]は眼窩(がんか)底骨折。安倍政権も同じ。左手で[[アベノミクス]]と言い、右手で[[憲法改正論議|憲法改正]]。顔面骨折は、国民がするんです」と安倍政権の政治手法を大相撲の横綱・白鵬の取り口になぞらえた批判を行った。これを知った[[愛知県]][[名古屋市]]の白鵬後援会が抗議文を提出したため、同年7月5日に名古屋市内で開かれた白鵬の激励会に野田佳彦本人直筆の謝罪文を持った[[民進党]]の別の議員2人が訪れ、代理で謝罪した<ref>{{Cite web|和書|title=【参院選】民進・野田佳彦前首相、白鵬関に謝罪 演説で安倍政治同様「立ち合いが荒っぽい」などと発言|url=https://www.sankei.com/politics/news/160706/plt1607060054-n1.html|website=産経ニュース(2016年7月6日)|accessdate=2019-05-30|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=白鵬に野田前首相が謝罪文 「立ち合い汚い」批判で - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1673511.html|website=nikkansports.com(2016年7月5日)|accessdate=2019-05-30|language=ja|publisher=}}</ref>。しかし、野田自身の公式サイトには同様のたとえをそのままに、武力や権謀をもって支配・統治する「覇道」であると安倍政権を非難した文章が残っている<ref>{{Cite web|和書|title=かわら版 No.1045 『覇道を倒す』 {{!}} 詳細 {{!}} かわら版|衆議院議員 野田よしひこ|url=http://www.nodayoshi.gr.jp/leaflet/detail/163.html|website=www.nodayoshi.gr.jp|accessdate=2019-05-30}}</ref>。


== 家族・親族 ==
== 家族・親族 ==
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* 弟・'''剛彦'''(千葉県議会議員・[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]所属)<ref name="musuko"/>
* 弟・'''剛彦'''(千葉県議会議員・[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]所属)<ref name="musuko"/>
* 妻・'''[[野田仁実|仁実]]'''<ref name="musuko"/>
* 妻・'''[[野田仁実|仁実]]'''<ref name="musuko"/>
* 長男<ref name="musuko">{{cite web|url=https://web.archive.org/web/20111206010636/https://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110830-OYT1T01186.htm|title=野田さんがほれこんだ料理・気配り上手な夫人|publisher=読売新聞|date=2011-08-31|accessdate=2012-10-08}}</ref>・竜之介(1991年12月19日生<ref name="jinji">人事興信録45版の22</ref>)
* 長男<ref name="musuko">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20111206010636/https://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110830-OYT1T01186.htm|title=野田さんがほれこんだ料理・気配り上手な夫人|publisher=読売新聞|date=2011-08-31|accessdate=2012-10-08}}</ref>・竜之介(1991年12月19日生<ref name="jinji">人事興信録45版の22</ref>)
* 次男<ref name="musuko"/>・晋之介(1995年1月5日<ref name="jinji" />)
* 次男<ref name="musuko"/>・晋之介(1995年1月5日<ref name="jinji" />)


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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Official website}}
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* {{Wayback|url=http://gree.jp/noda_yoshihiko/ |title=野田佳彦 公式ブログ |date=20210624054910}}
* [https://ameblo.jp/nodayoshi55/ 野田よしひこの オフィシャルブログ「『かわら版』+」]
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* [http://cdp-chiba.jp/ 立憲民主党千葉県総支部連合会]
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* [http://www.mskj.or.jp/index.html 松下政経塾]
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2024年6月24日 (月) 01:19時点における版

野田 佳彦
のだ よしひこ
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1957-05-20) 1957年5月20日(67歳)
出生地 日本の旗 日本 千葉県船橋市
出身校 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
前職 家庭教師
都市ガス点検員
所属政党無所属→)
日本新党→)
新進党→)
民主党→)
民進党→)
(無所属/千葉民主連合→)
立憲民主党野田G
称号 政治学士(早稲田大学、1980年
配偶者 野田仁実
親族 弟・野田剛彦(千葉県議会議員)
サイン
公式サイト 衆議院議員 野田よしひこ

内閣 野田内閣
野田第1次改造内閣
野田第2次改造内閣
野田第3次改造内閣
在任期間 2011年9月2日 - 2012年12月26日
天皇 明仁(上皇)

日本の旗 第14代 財務大臣
内閣 菅直人内閣
菅直人第1次改造内閣
菅直人第2次改造内閣
在任期間 2010年6月8日 - 2011年9月2日

選挙区旧千葉1区→)
千葉4区
当選回数 9回
在任期間 1993年7月18日 - 1996年9月27日
2000年6月25日 - 現職

選挙区 船橋市選挙区
当選回数 2回
在任期間 1987年4月23日 - 1993年7月5日

その他の職歴
第9代 民主党代表
2011年8月29日 - 2012年12月25日
第2代 民進党幹事長
(代表:蓮舫
2016年9月 - 2017年9月
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野田 佳彦(のだ よしひこ、1957年昭和32年〉5月20日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(9期)、立憲民主党最高顧問。

千葉県議会議員(2期)、財務副大臣鳩山由紀夫内閣)、財務大臣第14代)、内閣総理大臣第95代)、民主党国会対策委員長(第7代・第10代)、民主党幹事長代理、民主党代表(第9代)、民主党最高顧問、民進党幹事長(第2代)を歴任した。

来歴

生い立ち

千葉県船橋市出身。父は、富山県農家の6人兄弟の末っ子として生まれ、陸上自衛隊習志野駐屯地に所属した自衛官[1][2][3] だった。母は千葉県の農家の11人兄弟の末っ子だった[3]

3歳の時、当時日本社会党委員長であった浅沼稲次郎が死亡した浅沼稲次郎暗殺事件を知り、初めて政治を意識したという。保育園に通っていたときには、ジョン・F・ケネディ暗殺が起き、政治家は命懸けの仕事なのだと幼児期には固く信じていた[2]

学生時代

船橋市立薬園台小学校船橋市立二宮中学校と進み、1976年(昭和51年)3月、千葉県立船橋高等学校を卒業[4]

県立船橋高校では柔道部に所属[5]。1976年(昭和51年)4月、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。当初は立花隆に憧れ、ジャーナリストを志していた[2]。在学中は新自由クラブボランティア活動をし、1977年の参院選ビラ配りをした経験もある[5]。同年にはTBSの『クイズ世界をあなたに』の解答者として出場。優勝しアメリカ旅行を手にした[6]

1980年(昭和55年)3月、同大学卒業。NHK読売新聞の内定を得ていたが[7]松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔で迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました[2]。」と当時について回想している。

松下政経塾では学童保育の研究などを行い、1985年(昭和60年)に卒業した[4]

政界入り

家庭教師都市ガスの点検員など、様々な仕事の経験を経て[8]、1987年(昭和62年)に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補した。選挙資金はカンパによる500万円、運動員は20代のボランティア約50人だったが、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した[9]。千葉県議は2期務めた。

国政へ

1992年(平成4年)に松下政経塾の評議員の1人だった元熊本県知事細川護煕の下で、小池百合子前原誠司山田宏樽床伸二中田宏らとともに、日本新党の結党に参加。翌1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙旧千葉1区から立候補して、選挙区内で最も多くの票を得て初当選した。この総選挙では日本新党ほか新生党新党さきがけが党勢を拡大して自由民主党を過半数割れに追い込み、8党派による連立政権が誕生するが、細川内閣羽田内閣はともに短命に終わり、非自民・非共産連立政権は10ヶ月で幕を下ろした。直後に野党による新党(新進党)結成の機運が高まり、野田も1994年12月の結党に参加した。衆議院議員になった1993年(平成5年)夏、地元の千葉県に松下政経塾の地域政経塾である千葉政経塾を地元の有志たちと共に設立している[10]

小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では千葉4区から新進党公認で立候補。同党は1つの例外を除き、各比例ブロックにつき1人しか重複立候補を認めない方針を取っていた。そのため得票数1位の自民党の田中昭一とわずか105票の差で落選した(これは2023年1月現在、衆議院選挙の小選挙区において3位の記録である。接戦選挙#国政選挙1人区を参照)。落選後に新進党を離党し、1998年(平成10年)に結成された民主党に入党した。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では、民主党公認で千葉4区から立候補して当選し、国政に復帰。同年、民主党総務局長に就任した。翌2001年(平成13年)の民主党「次の内閣」でネクスト行政改革規制改革担当大臣に就任する。

2002年(平成14年)9月の民主党代表選挙に際しては、菅直人鳩山由紀夫の「鳩菅体制」に危機感を覚える前原誠司松沢成文河村たかしなどの中堅・若手議員で「第二期民主党をつくる有志の会」を結成した。代表選に前原と野田のどちらを擁立するかで調整が難航したが、中堅・若手議員を代表する形で野田の立候補に落ち着いた。鳩山代表の3選は阻止できず落選したが、選挙戦を通じて党内での知名度を高めた。その後、鳩山代表から政策調査会長就任を要請されるが、鳩山を支持するために代表選立候補を取り止めた中野寛成幹事長就任を「論功行賞」と批判し、就任を固辞した。

12月に民主党国会対策委員長に(2003年〈平成15年〉11月まで)就任。2004年(平成16年)には「次の内閣」でネクスト財務大臣に就任(2005年〈平成17年〉9月まで)して、党の要職を歴任する。

2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では千葉4区で自民党の藤田幹雄の猛追を受けるが、944票差で藤田を破って4選。なお、この選挙で千葉県内の小選挙区で当選した民主党議員は野田ただ1人であった。

堀江メール問題での失脚

2005年(平成17年)の総選挙で惨敗した民主党は敗北の責任を取って辞任した岡田克也代表の後任に前原誠司を選出して、野田は前原執行部で国会対策委員長に再任した。しかし、2006年(平成18年)2月に永田寿康が引き起こしたライブドア元社長の堀江貴文の総選挙立候補をめぐる堀江メール問題では、当初このメールの信憑性を疑わずに前原発言後の記者達を集めた記者会見で「これが証拠の電子メールです」と発言し入手した証拠の電子メールを発表し永田を擁護する対応をとったため国対委員長を引責辞任した(のちに前原も民主党代表を辞任)。なお、このメール問題について2008年(平成20年)に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では「普通の企業なら当然そなわっている危機管理と統治能力がなかった」、「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」が原因だったと指摘された。また、馬淵澄夫によれば、国対委員長を辞任した野田と神楽坂のバーで飲んだ際、野田は「いやー、いろいろあったけど墓場まで持っていくしかねぇな」と話したという[11]

国対委員長辞任後は科学技術政策ワーキングチームの座長として宇宙の軍事利用の検討を行い、防衛目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非侵略での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針や「宇宙庁」の設置を主張した[12][13]

2007年(平成19年)11月から2008年(平成20年)4月まで国土審議会委員を務めた[14][15]

2008年(平成20年)8月に「本当の二大政党なら政策論争をしないと意味がない」と主張して、民主党代表選への立候補をあきらかにしたが、幹部の松本剛明に強く自制を求められるなどみずからのグループをまとめきれず[16]、さらに安住淳国対委員長代理(当時)からいわゆる偽メール問題の責任を挙げられ自省を迫られるなど[17]、推薦人(20人)確保のめどが立たず、立候補を断念。これにより、小沢一郎代表体制の継続が事実上決まった。野田の立候補断念に反発した馬淵澄夫は、グループを脱会した。

2009年(平成21年)5月の小沢代表辞任に伴う後継選挙では、岡田克也を支援した。岡田は鳩山由紀夫に敗北したが、岡田が鳩山代表のもとで幹事長に就任すると幹事長代理として執行部入りした。

鳩山内閣

2009年9月、鳩山由紀夫内閣が成立すると、当初は防衛大臣への就任が取り沙汰されたが、野田が著書で集団的自衛権の行使容認を主張するなどタカ派的な姿勢を示していたことから、連立を組む社民党の懸念により見送られ[18]藤井裕久財務相の推挙により財務副大臣予算担当[19])に就任し[20]、消費増税派に転向する。2010年(平成22年)1月に藤井が健康上の問題を理由に辞任すると、当時は小沢一郎幹事長と敵対関係ではなかったため、後任候補の1人として名前が上がり[21]、藤井も野田を後任に推薦する意向だったが[22]、菅直人副総理国家戦略担当大臣から横滑りする形で財務相に就任し、野田の財務相昇格案は見送られた。

菅直人内閣

財務大臣在任時

2010年(平成22年)6月に鳩山が代表・首相辞任を表明して、6月8日に鳩山内閣は総辞職した。後継代表・首相には菅副総理兼財務相が就任して、菅直人内閣の財務相には野田が副大臣から昇格する形で就任した。初入閣での財務相就任は初めての例であり、戦後の大蔵大臣時代を含めても比較的異例である。

同年8月20日、為替動向について記者会見で「重大な関心をもって注意深くみていく」と述べる一方、為替介入についてはコメントを避けた[23]。9月8日、円高について衆院財務金融委員会での答弁で「明らかに一方的に偏っている」とし、「必要なときには為替介入をふくむ断固たる措置をとる」「産業の空洞化にもつながりかねないということで、強い懸念をもっている」と述べた[24]。9月15日、政府日本銀行が「円売りドル買い」の為替介入に踏み切ったことを発表。この介入により1ドル=82円台から1ドル=85円台に急落した[25]。10月8日、1ドル=81円台に上昇したことを受け「より一層重大な関心を持ってマーケットの動向を注視し、必要なときには介入を含めて断固たる措置をとるという姿勢に変わりはない」と述べた[26]。また同日ワシントンで開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では為替介入について「批判的な意見は出なかった」と説明した[27]

9月に発足した菅改造内閣でも財務相に留任。2011年(平成23年)1月の内閣改造に際しては内閣官房長官への横滑りも取り沙汰されたが、野田が財務相続投を強く希望したため、菅再改造内閣でも留任した。

スタンダード&プアーズによる米国債の格下げに伴い、2011年(平成23年)8月8日に行われたG7電話会談では、「米国債への信頼は揺るがないし、魅力ある商品だと思う」と述べ、円高に対してはマーケットの動向を注視すると述べた[28]

2011年民主党代表選挙

2011年(平成23年)6月9日、菅直人首相の退陣表明を受けて仙谷由人民主党代表代行や岡田克也党幹事長らは民主党代表選挙に野田を擁立する方向で調整。朝日新聞(2011年〈平成23年〉6月9日付)が1面トップでポスト菅の「本命」と報じ、夕刊の各全国紙が後追いした。野田は8月10日の文藝春秋で「時機が来れば、私は、先頭に立つ覚悟です」と党代表選への立候補に意欲を示し、同日の記者会見では「脱小沢」路線は見直すべきとの考えを示した[29]。8月23日、代表選での連携を期待していた[30] 前原誠司が立候補の意向を示した。

野田は8月26日に立候補を表明して、福島第一原発事故の収束を優先事項に挙げる。また自身は脱原発依存の立場であり、原発は新設しないことを表明した[31]。朝日新聞が8月26日に発表した「次期首相にだれがふさわしいか」の世論調査の結果では、原口一博に次ぐ4位となった[32]。同26日には小沢一郎元代表の支持を受けた海江田万里経済産業大臣が立候補を表明。代表選には史上最多となる野田・前原誠司前外務大臣・海江田経産大臣・鹿野道彦農林水産大臣・馬淵澄夫前国土交通大臣の5人が立候補する形となった。

2011年(平成23年)8月29日に施行された代表選挙では、第1回目の投票で海江田の143票に次ぐ102票を獲得[33]。過半数を獲得した候補がいなかったため決選投票となり、小沢への批判票を集めた野田が215票を獲得して177票を獲得した海江田を逆転し、第9代民主党代表に選出された[34]

投票前に行われた、いわゆる「ドジョウ演説」では、ジョークや相田みつをの詩を交えつつ、政治に「夢、志、人情」を取り戻すことを訴えた[35]。 落語家の三遊亭楽春は「落語にドジョウは出てくるが主役じゃない。野田さんは華はないけど実直で安心感はある」とドジョウ演説を評価した一方で、政治評論家の有馬晴海は「『ドジョウ政治』と言っても何をしたいのか分からない。もっと自分の生活から絞り出てくる言葉がほしい」と批判した[36]

党首選挙に於ける決選投票での逆転当選は、1956年12月自由民主党総裁選挙での石橋湛山以来55年振りで、民主党では初めてとなった[37]

内閣総理大臣就任

アジア太平洋経済協力ブルネイアメリカ合衆国ベトナム台湾フィリピン大韓民国首脳(2011年)
アメリカ合衆国ヒラリー・クリントン国務長官
ウクライナ最高会議議長ヴォロディミル・リトヴィンと
米国国家安全保障問題担当大統領補佐官トーマス・E・ドニロンと
アメリカ航空宇宙局長官らと

野田内閣

民主党代表選出後の2011年(平成23年)8月30日、菅再改造内閣の総辞職を受けて両院で行われた首班指名選挙において、第95代内閣総理大臣に指名された[38]。9月2日に天皇による親任式を経て正式に就任し、民主党と国民新党の連立による野田内閣が発足した[39]。松下政経塾出身の初めての総理大臣である[40]。1955年以後で、自民党在籍歴を持たない総理大臣が2代続いた唯一の例となっている。また、初の昭和30年代生まれの総理大臣で、千葉県出身の初の総理大臣である。

9月21日にオバマ大統領と、ニューヨーク国連本部で初めての日米首脳会談を行う。会談後、オバマ大統領は野田について「I can do business with him(彼とは仕事ができる)」と評したとされる[41]

10月7日政府は臨時閣議で東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の復興事業を盛り込んだ第3次補正予算案を閣議決定し、野田は東日本大震災復興対策本部で予算案の早期成立に向けて野党の意見を取り入れる姿勢を示した[42]補正予算の総額は12兆円程度で、そのうち震災関係経費は9兆1,000億円。財源は10年間で9兆2,000億円にのぼる臨時増税で賄う方針[42]。復興財源を所得税法人税などの臨時増税で賄うことに対し、毎日、読売、日経、朝日の各紙は「増税やむなし」との見解を社説で表明したのに対し、産経と東京の二紙は「歳出削減が第一である」と疑念を呈した[43]。また、みんなの党渡辺喜美や松下政経塾設立に関わった江口克彦が松下幸之助の「無税国家論」と相容れないと国会で質問したのに対し、野田は「松下さんが想定をしていたよりもはるかに深刻な財政状況を招いている」「松下幸之助は(中略)演壇においてとうとうと師の教えと私の持論を述べることについて必ずしもお喜びにならないと思います。むしろ、実行し、実践することを求めていると思います」と答弁した[44][45][46]

12月20日に「南スーダン国際平和協力業務の実施に関する自衛隊行動命令」を発出した後、翌2012年には1月11日より段階的に派遣を進める。

2012年6月、2011年度第1 - 第3次補正予算で計上された復興予算約15兆円のうち、約4割が年度内に使われなかったことが明らかになった。震災直後は被害状況の把握が難しく予算が多めに計上されたことや、被災地との調整に手間取り復興事業が想定通りに進まなかったことが原因とされている[47]

2011年10月19日韓国訪問中に李明博大統領と会談を行い、日韓経済連携協定 (EPA) 交渉の早期再開に向けて実務者協議を加速させることや、市場の不安定化に備えて両国の通貨スワップの限度額を現行の130億ドルからその5倍の700億ドルへ拡充することなどで合意した[48][49]。通貨スワップの拡大は、相互依存関係が強まっている韓国経済を安定化させることによって日本経済成長を促し[50]、日本が通貨スワップを行使して円売り・ドル買いを行うことによって円高を抑える効果が期待できるとされている[51] 一方、日本にはメリットがほとんどないという見解もあった[52]。日韓首脳会談では同時に、植民地時代に日本に渡った朝鮮半島由来の図書5冊が引き渡され、「韓日関係が未来に向かうため象徴的意味を持っている」と李から謝意を表明された[49]

10月21日、野田は大洪水の被害が拡大しているタイへの支援策を早急にまとめるように閣僚に指示し、それを受けて政府は船外機仮設トイレライフジャケットなど2,500万円相当の緊急援助物資第2弾を決定した[53]。タイからは東日本大震災の際に援助物資や義援金を受け取っており、政府はすでに緊急援助物資としてテントや浄水器など3,000万円相当、東南アジア諸国連合プラス3 (ASEAN+3) の備蓄を融通し合う制度を利用して5万ドルなどをタイに対して支出した[53]

10月31日ベトナムズン首相官邸で会談し、2010年に合意した日本が輸出するニントゥアン第二原子力発電所について計画通り実施することを再確認した。3.11後、菅首相(当時)による原発輸出見直し発言もあったが、これにより従来通り原発輸出推進へと舵を切ることとなった。

12月16日、野田は福島第一原子力発電所原子炉が冷温停止状態(ステップ2)を達成したとして、いわゆる原発事故の「収束宣言」を行なった。「収束」という言葉に対する違和感を示す質問には「ステップ2が終わったから政府のいろんな対応が、手を抜いていくとか、福島の地から我々はどんどん力を削いでいくということは全くありません。」と釈明した[54][55]

12月22日、野田が議長を務める国家戦略会議において「日本再生の基本戦略」が決定され、東日本大震災からの復興に加えてアジアの成長を取込み、2011年(平成23年)度から2020年(令和2年)度の平均で国内総生産名目成長率3%程度、実質成長率2%程度を目指す国家戦略を定めた[56]。同戦略は、2日後の24日に野田内閣で閣議決定された[57]

野田第1次改造内閣

2012年(平成24年)1月13日、内閣改造を行い、野田第1次改造内閣が発足した。同年3月30日、政府は消費税率を現行の5%から10%まで段階的に引き上げる消費増税関連4法案を含む社会保障・税一体改革関連法案を閣議決定し、国会に提出した[58]。野田は、これに先立つ国会答弁で「将来不安をなくすことによって、消費や経済を活性化させることもある」などと意義を強調したが[59]野党時代にはこれとは逆に、増税で「日本経済肺炎に」などと発言していたと報道された[60]

野田第2次改造内閣

2012年(平成24年)6月4日、再度内閣改造を行い、野田第2次改造内閣が発足した。防衛相拓殖大学大学院教授の森本敏を初めて民間から起用した。森本の前任の一川保夫田中直紀はともに問責決議を受けていたため、防衛相人事は野田にとって鬼門だと評された[61]。この人事には与野党から批判の声が上がったが、元朝日新聞論説委員の薬師寺克行は「形式論的な指摘でしかなく、本質を突いた批判になっていない」と述べている[62]

同年6月15日、民主党自由民主党公明党の実務者間での協議(確約した解散時期以降に社会保障国民会議の設置をすることで、社会保障抜本改革を先送りして消費税増税を既成事実とすること)が合意に達し、社会保障・税一体改革関連法案の修正内容について合意が成立した(三党合意[63]。しかし、修正法案の内容に対して党内の反対派から「第45回衆議院議員総選挙マニフェストでうたった社会保障改革が棚上げされた」と合意内容を批判する声が上がっている[64]。これに対し、社会保障・税一体改革担当大臣でもある民主党の岡田克也副総理は、増税についてマニフェストに書いていない点は率直におわびしなければならないとした上で、東日本大震災欧州経済危機の発生により「社会保障制度の持続可能性のためにも消費税を上げざるを得ない」と反論。また関連8法案のうち6法案は社会保障改革に関するものであり、棚上げは事実と異なると主張している[65]。党内からは、党大会に次ぐ議決機関である両院議員総会の開催を求める声が高まり、開催を求める154名分の署名が執行部に提出されたが[66]、社会保障・税一体改革関連法案を議論するための両院議員総会は開かれず、代わりに両院議員懇談会が開かれた。

6月19日の党内協議では小沢グループによる三党合意の項目別合意や多数決採決の意見を押し切り、政調会長一任を決断し党内合意を得ることに成功した。

6月26日の衆議院本会議での消費増税法案の採決では、民主党内から反対・棄権・欠席した議員が73名に達し、閣僚経験者ら大物議員を含め造反者が続出する事態となった[67]。 採決に先立ち、加藤学から反対票を投じる方針を聞いた後援会長の中島衛は「加藤議員とは基本的に路線が一致していると思う」と話した[68]。また田中秀征は「かつて日本の政治史に、これほどまで明確な重大公約違反があっただろうか」[69] と話している。

7月2日、消費増税法案に批判的な小沢一郎東祥三広野允士らが一斉に離党届を提出して「国民の生活が第一」を結成し、新党きづなとの統一会派「国民の生活が第一・きづな」を発足させた。党執行部は造反者や離党届提出者への処分案を取りまとめるが、7月4日に社会保障・税一体改革関連法案に批判的な加藤学が離党届を提出し[70]、さらにその2日後に米長晴信が離党届を提出したことから、再び処分案を見直す事態となった[71]

また、7月17日には、野田の原子力政策に批判的な舟山康江行田邦子谷岡郁子が離党届を提出し、新たな会派「みどりの風」を結成した[72]。その翌日には、野田の外交政策や社会保障・税一体改革関連法案に批判的な中津川博郷が離党届を提出した[73]地方議会議員の離党も相次いでおり、岩手県では党所属の地方議会議員のうち7割以上が離党する事態となった[74]。8月8日、衆院解散時期について民自公の三党で会談し、消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法案を成立させた上で、具体的な解散時期は明示せず、「近いうちに信を問う」ことで合意した[75] が、10月24日、新党大地・真民主鈴木宗男から「今は景気対策や復興対策に力を注ぐべきで、選挙をやるべきではない」と問われた野田は、「私もそう思います」と応じた[76]

9月10日金融担当大臣郵政民営化担当大臣松下忠洋が自殺。これを受け、同日より内閣総理大臣の野田が自ら郵政民営化担当大臣事務代理を兼務(10月1日の内閣改造まで)[77]。金融担当大臣については、10月1日の内閣改造まで財務大臣安住淳が事務代理を兼務。なおこの期間中は一時的に連立を組む国民新党の閣僚が不在となった。)。

9月11日魚釣島北小島南小島の3島を海上保安庁に20億5千万円で埼玉県在住の地権者から買取らせ、所有権移転登記を完了し、尖閣諸島を国有化した[78]。この尖閣諸島国有化は、石原慎太郎東京都知事東京都による購入計画(実効支配強化のために島に様々な施設を作る)を阻止し、日本の実効支配強化が進むことへの中国の反発を抑えることを目的として行われた。この尖閣諸島国有化に対して中国では反日デモが相次ぎ、日系企業が襲撃され多大な被害が出た[79]。これについて中華民国総統であった李登輝は、「経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島フィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『成金』の姿そのものである。野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化されたが、あのような手続きを行ったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わないなら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、日本政府は手続き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある」と批判している[80]

9月19日差別虐待などの人権侵害事案の解決にあたる救済機関「人権委員会」を法務省外局として新設するための人権委員会設置法案閣議決定した[81]

野田第3次改造内閣

2012年(平成24年)10月1日、内閣改造を三たび行い、野田第3次改造内閣が発足した。10月23日に、田中慶秋法務大臣暴力団関係者との交際問題で事実上の更迭[82] をされただけでなく、前原誠司国家戦略担当大臣事務所費問題[83]田中眞紀子文部科学大臣の『3大学の「不認可」』問題[84] が発生し、改造内閣発足後1ヶ月で支持率が17%(共同通信社調査)[85]。10月9日、韓国ウォンの急落を受けて前年10月に700億ドルに引き上げられた日韓通貨スワップ協定の拡充措置を予定通り打ち切ることで両国が合意。11月以降は700億ドルから130億ドルに大幅減少する[86]

11月9日、人権委員会設置法案の提出を閣議決定した[87]

2011年11月14日、党首討論自由民主党総裁安倍晋三

11月14日、国会で行われた党首討論自由民主党総裁安倍晋三に対し、当国会中の議員定数削減法案可決に協力することを確約するなら同月16日に衆議院解散を行うと明言した[88][89]。この解散表明は岡田克也副総理藤村修官房長官らごく限られた人数にしか知らされておらず、連立与党国民新党や解散を求めていた自民・公明両党も予想していなかった[90]政治評論家筆坂秀世は、この討論での野田の弁論は安倍、国民の生活が第一小沢一郎代表、公明党山口那津男代表を圧倒した一方で、安倍は動揺しまともに回答できなかったと評している[90]。11月16日、野田は閣議で解散を宣言し全閣僚が署名。衆院本会議横路孝弘衆院議長が解散を宣言した[91]非自民総理大臣による衆議院解散近いうち解散)は自民党発足前の1955年1月24日鳩山一郎首相(日本民主党総裁)の天の声解散以来57年ぶりであり[92]、2020年現在も1955年11月15日の自民党発足以降で唯一の例である。

12月16日施行の第46回衆議院議員総選挙では、従来からの千葉4区、さらに比例南関東ブロック重複立候補した。北朝鮮が人工衛星と称するミサイル発射への警戒のため遊説を自粛していた[93] が、強固な支持基盤に支えられ小選挙区で6選[94]。同日、民主党が惨敗したことを受けて党代表辞任を表明した[95]

12月17日、ホワイトハウスのカーニー報道官は定例記者会見の質疑応答の中で、オバマ大統領は、野田が日米関係のために果たした貢献に感謝していると言及した[96]。辞任する総理大臣にこのような発言をするのは異例のことである[97]

内閣総辞職に際して花束を贈呈される野田

12月26日午前、臨時閣議にて閣僚らの辞表を取りまとめ、内閣総辞職した。在任期間は482日間で、鳩山の266日、菅の452日を上回り民主党政権としては最長となった。総辞職に際して「ぬくもりあふれる社会を取り戻し、次の世代に引き継ぐための道筋をつけることができた」「(閣僚に対して)汗を一緒にかいたことをありがたく思う」と談話を発表[98]

内閣総理大臣退任後

2015年

第45回衆議院議員総選挙で民主党の政権公約として消費税増税を掲げていなかったにもかかわらず、野田内閣は消費税増税法案の成立を推進、その過程で公約遵守を主張する小沢一郎らが集団離党することになり民主党は分裂状態に至った。さらに衆議院解散に打って出るも、民主党は第46回衆議院議員総選挙で惨敗を喫した。こうした公約を無視した政権運営や根回ししない強引な党運営には批判も根強く、首相辞任以降も党内外から批判を浴びることとなる。野党となって以降は目立った活動を控えていたが、2015年6月27日、民主党福島県総支部連合会の会合に出席したところ、同席した民主党顧問の渡部恒三が「なぜ、野田君がこの場にいるのか[99]」と一喝し、野田を痛烈に批判する騒ぎも起きている。

2016年9月16日に蓮舫代表の就任に伴う党役員人事で民進党幹事長に就任し、久々の表舞台への復権となったが、民主党が大敗した当時の首相だった野田の幹事長就任に党内からは「野田氏が幹事長になるなら離党も検討する」と反発の声が出るなど[100] 物議を醸した。一方、自民党石破茂は、自身のブログで「(野田氏の)幹事長就任には様々な見解を頂いております。概して否定的なご意見が多いように見受けられますが、私は民進党の中では野田氏は極めて真っ当な保守政治家だと認識しています」とのコメントを発表した[101][102]

2017年7月25日に東京都議会議員選挙敗北の総括のため開いた両院議員懇談会で、敗北の責任を取り幹事長を辞任する意向を表明した[103]

同年9月28日、衆議院解散。同日、民進党は希望の党への合流を決定[104]。同日夜、希望の党結党メンバーの細野豪志はBSフジの番組で「三権の長を経験された方にはご遠慮いただいた方がいい」と述べ、総理大臣経験者の野田と菅直人の合流を拒否する考えを示した[105]。9月29日、野田は記者団に対し、「希望の党に(公認を)申請することは一夜城みたいな形式だけど、本気で安倍政権を打倒していくという意味では、一つの選択肢だと思う」としたうえで、自身については「あえて先に離党していった人の股をくぐる気はまったくない」と述べ、無所属で立候補する意向を表明した[106]。10月22日投票の第48回衆議院議員総選挙では、選挙応援のため全国各地を駆けまわりながらも、自由民主党の木村哲也に2倍以上の得票差をつけて[107]、8選を果たした[108]

同年10月26日、岡田克也が代表を務める「無所属の会」の結成メンバーとなった[109]

2018年5月に民進党が国民民主党に移行する際は「無所属で野党結集に力を注いだ方がベターと判断した」と述べ、5月7日付で民進党を離党[110]。その後の6月10日に千葉県内の旧民進党系地方議員らによる政治団体「千葉民主連合」を設立し代表に就任した[111]

2019年1月7日、岡田克也が示した立憲民主党会派へ個別合流案[112] に際し、野田は同党会派に移籍しない意向を明らかにした[113]。同月16日、無所属の会の解散に際し、野田は無所属に留まり、新会派「社会保障を立て直す国民会議」を結成して同会派の代表に就くこととなった[114]。同年9月30日、会派「社会保障を立て直す国民会議」は解散し、会派「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」に合流した。

2020年9月に立憲民主党や国民民主党などが合流して結成された新「立憲民主党」に入党し、党の最高顧問に就任した[115]

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で9選。

2022年9月27日、銃撃事件に伴い死去した安倍晋三に対して行われた国葬鳩山らが欠席する中で民主党政権の首相経験者では唯一参列した[116]

2022年10月7日、安倍に対する国会での追悼演説について、自民党側が「安倍氏は長く総理大臣を経験し、その重圧と孤独を最も知っているのが野田氏だ」として、野田に演説を申し入れ、野田自身もこれを受けて党内で協議後、要請を受諾[117][118]、同月25日に行われた[119]。野田の追悼演説は、「再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん」など、かつての「仇敵」に対する惜しみない敬意や情感のこもった内容で「心を打つ」と話題を呼び、高く評価され、「憲政史に残る名演説」と賞賛する声もあがった[120][121]

2022年に成立した改正公職選挙法により、野田が長らく地盤としてきた船橋市は西側が4区、東側が14区に分けられることとなった。そのため、次期衆院選においてどちらの選挙区を選択するかが注目されていたが[122]2023年5月16日、次期衆院選においては14区から出馬し、4区においては新人候補を擁立する意向を明らかにした[123]

年譜

2010年11月アジア太平洋経済協力財務相会合にて議長に就任
2012年アジア太平洋経済協力
  • 1980年(昭和55年):早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業する。松下政経塾に入塾(第1期生)。
  • 1987年(昭和62年):千葉県議会議員に無所属で立候補する。当選。
  • 1991年(平成3年):千葉県議会議員に無所属で立候補する。再選。
  • 1993年(平成5年):第40回衆議院議員選挙に日本新党公認で立候補する。初当選(1期目)。
  • 1993年(平成5年):衆議院規制緩和に関する特別委員会に所属。
  • 1996年(平成8年):衆議院規制緩和に関する特別委員会理事(委員長代理[124])に就任する。
  • 1996年(平成8年):第41回衆議院議員選挙に新進党公認で立候補したが105票差で落選する。
  • 2000年(平成12年):第42回衆議院議員選挙に民主党公認で立候補する。当選(2期目)。
  • 2000年(平成12年):民主党総務局長に就任する。
  • 2001年(平成13年):民主党「次の内閣」の行政改革担当大臣に就任する。
  • 2002年(平成14年):民主党代表選挙に、第二期民主党をつくる有志の会に推されて立候補するが、鳩山由紀夫に敗れる。
  • 2002年(平成14年):民主党国会対策委員長に就任する。
  • 2003年(平成15年):第43回衆議院議員選挙に民主党公認で立候補する。当選(3期目)。
  • 2004年(平成16年):民主党「次の内閣」の財務大臣に就任する。
  • 2005年(平成17年):第44回衆議院議員選挙に民主党公認で立候補する。当選(4期目)。
  • 2005年(平成17年):民主党国会対策委員長に2度目の就任した。
  • 2006年(平成18年):国会対策委員長を引責辞任する。
  • 2007年(平成19年):民主党政治改革推進本部事務局長に就任する。
  • 2007年(平成19年):衆議院教育再生に関する特別委員会理事に就任する。
  • 2007年(平成19年):民主党広報委員長に就任する。
  • 2009年(平成21年):衆議院懲罰委員長に就任する。
  • 2009年(平成21年):民主党幹事長代理に就任する。
  • 2009年(平成21年):第45回衆議院議員選挙に民主党公認で立候補する。小選挙区当選(5期目)。
  • 2009年(平成21年):鳩山由紀夫内閣で財務副大臣に就任する。
  • 2010年(平成22年):菅直人内閣で財務大臣に就任する。初入閣。
  • 2011年(平成23年):民主党代表及び内閣総理大臣に就任する。
  • 2012年(平成24年):第46回衆議院議員選挙に民主党公認で立候補する。小選挙区当選(6期目)。
  • 2012年(平成24年)12月26日:臨時閣議にて内閣総辞職する。在任期間は482日間。
  • 2014年(平成26年):第47回衆議院議員選挙に民主党公認で立候補する。小選挙区当選(7期目)。
  • 2016年(平成28年)9月16日:民進党幹事長に就任する。
  • 2017年(平成29年)9月:幹事長辞任。
  • 2017年(平成29年):第48回衆議院議員選挙に無所属で立候補する。小選挙区当選(8期目)。
  • 2019年(平成31年):院内会派「社会保障を立て直す国民会議」代表。

政策・主張

2010年11月6日シンガポール財務大臣ターマン・シャンムガラトナム(左)、アメリカ合衆国財務長官ティモシー・フランツ・ガイトナー(右)と

財政・金融

外交・安全保障

  • 沖ノ鳥島は岩礁にすぎない」とした唐家璇中国国務委員副首相級)に対し、「沖ノ鳥島は満潮時でも水没しない」「かつて、満潮時には水没してしまう岩礁に高床式の掘っ立て小屋を立てて、南沙諸島を実効支配した貴国にとやかく言われる筋合いはない」と反論している[128]。一方、2012年平成24年)10月29日の所信表明演説では、尖閣竹島などの領土問題に関して具体的な国や島の名前の言及は避けており[129]竹島問題での国際司法裁判所(ICJ)への単独提訴を11月以降に先送りするなど「関係改善」を模索している。2012年10月27日に判明した自衛隊在日米軍による共同の離島奪還訓練の断念については、米・キャンベル国務次官補が「日本が決めたなら、戻せとは言わないが、なぜ中止しないといけないのか理解しかねる」[130] と述べた[131]

TPP

歴史認識

外国人参政権

政治・行政・規制改革

  • 自身の政治改革の3原則として①政治にお金をかけない ②政治でお金を儲けない ③お金で政治を動かさない ー の3つを挙げている[137]
  • 2009年(平成21年)7月14日衆議院本会議で、「25000人の国家公務員OBが、4500の法人に天下りをし、その4500法人に12兆円1000億円の血税が流れていることがわかりました。これだけの税金に一言で言えばシロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです」と述べて、天下りの根絶を主張している。更に第45回衆議院議員総選挙公示目前の2009年8月15日には、「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」と大阪府堺市で演説している[138]
  • 2012年(平成24年)11月に衆議院の議員定数を45削減する選挙制度改革関連法案を提出していた[139]
  • 行革(行政改革)を更に進めるため、行政事業レビューを法定化すべきだとしている[140]

その他

  • 大連立推進論者である。自民党公明党との大連立に関し「101回でもプロポーズしていきたい」と意欲を示している[141]
  • 選択的夫婦別姓制度導入推進を主張している。改姓による職業上の不利益をなくす、生まれたときからの姓を使い続けたい、それぞれの理由により、別姓を選択したい人が自らの姓を使い続けられるようにするべき、と述べている[142]
  • 2015年1月の民主党代表選挙では、元代表岡田克也の推薦人に名を連ねた[143]
  • 民共共闘について、2016年(平成28年)6月には民進党を血液型のA型、共産党をB型に例え「輸血してもらったら、死んじゃうかもしれない」[144] と語るなど民共共闘に否定的であった。しかし幹事長就任後の支持者向けの会合では、「私は自衛官のせがれで、(自衛隊解体を綱領に掲げる)共産党に対する意識は、どなたよりも強烈だ」「ビジネスでは握手だけでなく、カラオケに行って一緒にマイクを握ることもある。だが、魂を売るわけではないし、一緒に住む話でもない」[145] と慎重姿勢を示しながらも、「野党がバラバラで一つの選挙区で自民党、公明党の候補者と戦うにはまだまだ力不足」「握手くらいは、やらないといけない。魂を売るわけではないが、どういう協力をするかは真剣に考えていく」として一定の理解を求めた[144]
  • 2022年令和4年)10月25日放送の安倍晋三元総理の追悼演説直後に出演したBSフジLIVE プライムニュースにて、第1次安倍内閣の実績として防衛庁から防衛省に格上げされたことは「自衛官の倅としてうれしかった」と述べている。また、視聴者からの電子メールによる質問で「なぜ自民党に行かないのか」という問いに対し、「政権交代可能な二大政党制を実現するため」と答えている。

所属団体・議員連盟

人物

2010年11月6日、アメリカ合衆国財務長官ティモシー・フランツ・ガイトナー(左)と

人柄、性格、趣味など

  • 身長173cm、体重79kg。
  • 尊敬する人物は松下幸之助ロバート・ケネディ
  • 座右の銘は松下政経塾の「五誓」の一つである「素志貫徹(成功の要諦は成功するまで続けるところにある)」。政治信条はケネディの「アイデアリズム・ウイズアウト・イリュージョン(幻想なき理想主義)」[4]
  • 性格は温厚で低姿勢と評される事が多い[40][146][147]
  • 1日に2箱のたばこを吸うヘビースモーカーである[148]。2012年3月19日の参議院決算委員会で「私、18から辞めたことなく貫いてきました」と発言したことがある。
  • 趣味は格闘技観戦。政界屈指のプロレスファンとして知られており、2013年日本武道館で行われた小橋建太の引退試合に来場し、セレモニーでは花束を贈呈している。野田本人は「一人のファンとして、小橋の最後を見ないわけにはいかない。この試合だけは、生で見ないと失礼に当たる。絶対王者と呼ばれた人のラストファイトを見届けたい。これぞ小橋という魂を感じる試合を最後に見たい」と思いを語った[149]。小学生の時にキックボクシング沢村忠に握手してもらい感動したという[4]。憧れのプロレスラージャンボ鶴田[149]。政治の場でも格闘技用語を使い、2002年の民主党代表選のキャッチフレーズは「ドスンパンチ」、2003年には小泉純一郎首相の答弁を「ヒットアンドアウェーというよりアウェーアンドアウェー」と表現した[4]。柔道2の有段者で、田村亮子と写った写真を議員会館自室に飾っている。田村について「政治家としての行動は違うが、柔道家としては好き」と語っている[4]。超党派で作る格闘技振興議員連盟の会長を務めている。本人曰く柔道でも政治でも寝技は苦手。2012年6月18日メキシコで行われた日露首脳会談では、柔道家として知られるプーチン大統領と自国のロンドンオリンピック代表の柔道着を贈りあった[150]
  • 好物はラーメン日本酒[151]。酒豪だが高級バーをはしごするタイプではなく、庶民的な店がほとんどだという[4]。藤井裕久とは2004年参院選の際に空港の待合室でカップ酒を10本空けたことを機に親しくなり、民主党政権において財務副大臣・財務大臣などを務めて政治的に飛躍していく素地となった[152]
  • 一方、酒好きを懸念する声も上がった。首相在任時は公邸で一升瓶を空けることもあり、翌日呂律が回らないこともあったと報じられた[153]
  • カラオケの十八番は「柳ヶ瀬ブルース」「思えば遠くへ来たもんだ」など。
  • 2011年10月の資産公開で、野田の資産は1,774万円(千葉県船橋市の自宅の土地・建物計1,514万円、定期預金260万円)で、家族分も公開対象となった1989年以降、首相の就任時では過去最少となった[154]
  • 自身の性格・人柄について、内閣総理大臣時に「馬鹿正直」と答弁している[155]
  • 自民党石破茂とは、同じ昭和32年生まれで血液型B型であり、上述の様にたばこや日本酒好きを公言するなど共通点は多い。野田は、地方議員だった頃に、石破が自民党の若手議員として既にテレビ出演しており、憧れの存在であったと述べている[156]

政治家として

  • 1996年に落選したが(田中:73,792票、野田:73,687票、惜敗率:99.85%)、これは2014年の第47回衆議院議員総選挙新潟2区細田健一鷲尾英一郎を102票差で破るまで衆院選小選挙区で最小の票差であった。この際、「がんばれ野田佳彦」「必勝」などと書かれた投票用紙が大量に見つかりすべて無効票と判断されたため、選挙管理委員会に選挙無効申し立てをしたが後に取り下げた。約4年間の浪人時代は中小・零細企業の経営者たちのカンパに支えられたという[4]。1999年に医療グループ「DSヘルスケアグループ」社長の寒竹郁夫が後援会長に就任した[157]
  • 松下政経塾の塾長であった松下幸之助からの助言に従い、駅前で通勤する人々に政策を訴える「朝立ち」を1986年10月から2010年に財務相に就任する前日まで24年間続け、「駅前留学はNOVA、駅前演説はNODA」と自ら称した。首相退任後の2012年12月から朝立ちを再開している[158]
  • 財政政策にブレが少なくあまり省議に口を挟まないことから、財務省内では「仕えやすい上司」との評価が定着。演説の上手さにも定評がある[4]
  • 財務省ではたばこ増税に取り組んだが、自身は1日2箱の愛煙家で、「(増税は)切ないテーマ」と認めた[159]。2011年7月、東日本大震災の復興財源の税目として更なるたばこ増税が議論になった際に、当時財務相であった野田は、税制を使った「オヤジ狩りみたいなもの」だと反発した[160]
  • 第162回国会における2005年1月21日の小泉首相による施政方針演説の中で、凶弾に倒れながらも「男子の本懐」と漏らした濱口雄幸首相を小泉が自らになぞらえたことに対して、1月25日の代表質問の場において、狙撃後も命をかけて国会に出席し説明責任を果たしたことが浜口の真骨頂であり、ぼかして逃げるあなた(小泉)とは違うと批判した[161]
  • 日本大学法学部教授の岩井奉信は、党の内外や官僚と敵対しない温厚なタイプと野田を評した[146]
  • 民主党の藤井裕久最高顧問は政界引退にあたって、「今の日本の政治家で、彼をおいて総理に値する人は絶無だ」と断言した[162]
  • 御厨貴は総理時代の野田について「鳩山・菅とは異なる保守の政治家であり極めて現実的に進めようと努めた人でした。基本的に民主党は反官僚で霞が関とは敵対していましたが野田政権の時は官僚も少しは話が出来ると態度を軟化。「統治」とは何かがようやく分かり始めた時にはすでに政権の足元が揺らいでおり打つ手がなかった。僕は民主党政権で唯一評価すべき総理は野田だと思っている」と評している[163]

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
千葉県議会議員選挙 1987年4月12日 29 船橋市選挙区 無所属 1万8707票 10.12% 7 4/14 /
千葉県議会議員選挙 1991年4月7日 33 船橋市選挙区 無所属 2万405票 12.52% 7 3/10 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 36 旧千葉1区 日本新党 17万5671票 20.54% 5 1/9 /
第41回衆議院議員総選挙 1996年10月20日 39 千葉4区 新進党 7万3687票 31.94% 1 2/4 /
第42回衆議院議員総選挙 2000年06月25日 43 千葉4区 民主党 11万6156票 47.27% 1 1/4 /
第43回衆議院議員総選挙 2003年11月09日 46 千葉4区 民主党 13万5522票 55.77% 1 1/3 /
第44回衆議院議員総選挙 2005年09月11日 48 千葉4区 民主党 12万9834票 44.90% 1 1/4 /
第45回衆議院議員総選挙 2009年08月30日 52 千葉4区 民主党 16万2153票 53.64% 1 1/5 /
第46回衆議院議員総選挙 2012年12月16日 55 千葉4区 民主党 16万3334票 57.28% 1 1/4 /
第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 57 千葉4区 民主党 11万9193票 51.69% 1 1/4 /
第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日 60 千葉4区 無所属 13万1024票 59.59% 1 1/4 /
第49回衆議院議員総選挙 2021年10月31日 64 千葉4区 立憲民主党 15万4412票 64.55% 1 1/2 /

エピソード

  • 2007年(平成19年)6月に政治資金パーティーを行った際に、脱税事件で有罪判決を受けた男性が代表を務める会社の関連会社2社が40万円ずつ(計・80万円)のパーティー券を購入したことが判明し、野田の事務局は「速やかに返還する」とした[164]
  • 2011年(平成23年)1月20日朝日新聞社が調べたところによると、関係政治団体「野田よしひこ後援会」が、2009年(平成21年)にクラブなどで支出した飲食費合計22万2500円を政治資金の交際費として支出したと、政治資金収支報告書に記載しており、野田の事務所は1月19日付で、報告書から削除した。この問題について、同事務所は「女性が接客する店の代金は、政治家の政治活動にはあたらない、と判断したので削除した」と説明した[165]
  • 2011年(平成23年)6月16日に、業務上過失致死罪で医師が起訴された品川美容外科グループ創業者の男性から、2008年と2009年、2010年に各100万円の政治献金を受け取っていた。この問題に対し、野田は「返金を検討したい」と述べた[166]
  • 2012年(平成24年)3月9日参議院決算委員会で政府の対策に絡み、野党・公明党松あきらが、愛煙家の野田に「率先垂範して禁煙宣言してはどうか」と迫った。これに対し「いや、困りましたね。喫煙率が下がっていくことは望ましいと思いますが、私、18歳からずっとやめたことなく貫いてきてしまいました。受動喫煙には気を付けたい」と発言。議場内がざわめき、「喫煙法律20歳から」という周囲のささやきで、問題発言をしたことに気付いた野田は、「あ、すみません、20歳からです、失礼いたしました。」と慌てて答弁を訂正した。松は「ここは目をつぶるから、しっかりやって」と、野田に禁煙を迫った[167]
  • 中国海軍フリゲート艦が2013年1月30日午前10時ごろに海上自衛隊護衛艦火器管制レーダーを照射した事件[168] の報道に対して、野田佳彦、岡田克也、民主党は「報道は事実に反する」とし、謝罪と訂正を求めた[169][170]。また、第2次安倍内閣に於いても国会答弁にて小野寺五典防衛相が「今回の照射事案以前に、総理等まで報告の上、公表の必要があると判断された今回のような事案は、発生しておりません。」と報道を正式に否定した[171]。また、菅義偉官房長官は情報を報道へリークしたとされる《関係者》なる人物の存在について「私どもからそうした情報を出すということは、これはあり得ないことであります。それは、民主党政権であっても私どもの政権であっても、新聞というのは真実に基づいて報道すべきだろうと思います。」と国会で答弁し、報道を正式に否定した[172]
  • 2016年6月22日、参院選の応援演説で「白鵬は力が衰えた分、立ち合いが汚い。左手を相手の顔に出し、ひるんだところに右肘でエルボーを入れる。豪栄道は眼窩(がんか)底骨折。安倍政権も同じ。左手でアベノミクスと言い、右手で憲法改正。顔面骨折は、国民がするんです」と安倍政権の政治手法を大相撲の横綱・白鵬の取り口になぞらえた批判を行った。これを知った愛知県名古屋市の白鵬後援会が抗議文を提出したため、同年7月5日に名古屋市内で開かれた白鵬の激励会に野田佳彦本人直筆の謝罪文を持った民進党の別の議員2人が訪れ、代理で謝罪した[173][174]。しかし、野田自身の公式サイトには同様のたとえをそのままに、武力や権謀をもって支配・統治する「覇道」であると安倍政権を非難した文章が残っている[175]

家族・親族

野田家

(富山県富山市、千葉県船橋市)
  • 家系
父は富山県婦負郡野積村(現在の富山市八尾町水口[176])の出身[2]。農家の6人兄弟の末っ子として生まれた[2]自衛隊の前身である警察予備隊に入隊し、定年で退官するまで自衛官としての人生を歩んだ[2]。習志野駐屯地勤務の折に、母と出会い、結婚[2]。母は千葉県の農家の11人兄弟の末っ子だった[2][3]。貧乏で結婚式も挙げなかった[177]
野田によると「農家の末っ子同士の間に生まれた子どもが、私です。選挙区が都市部なのにシティーボーイに見えないのは、そのせいかも知れません[35]」という。出生時、係累に政治家は誰もいなかった[2]

略系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
野田剛彦野田佳彦
 
 
 
仁実
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

著書

  • 『民主の敵 政権交代に大義あり』新潮社〈新潮新書〉、2009年7月17日。ISBN 978-4-10-610323-0 

寄稿

脚注

  1. ^ a b 「日本の次期首相・野田氏は軍人一家出身で強硬派」=中国報道 エキサイトニュース 2011年8月29日
  2. ^ a b c d e f g h i j k 3歳半のときから「政治」を意識した nikkei BPnet 2008年3月17日
  3. ^ a b c 民主代表選:野田新代表「ドジョウの政治をやり抜く」 - 毎日jp(毎日新聞)[リンク切れ]
  4. ^ a b c d e f g h i 日本経済新聞. (2011年8月30日) 
  5. ^ a b 黒田高史; 大森祐香; 野崎達也 (2011年9月2日). “誕生 野田首相 「時代に選ばれ」飛躍”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). https://archive.fo/mi33y 2012年2月19日閲覧。 
  6. ^ 衆議院議員になってからは、同局の『オールスター大感謝祭』にも出場した。
  7. ^ 浅野一弘野田佳彦首相の対米観」『札幌法学』第27巻第1/2号、札幌大学法学部、2016年3月、7-37頁、CRID 1050282812531711616ISSN 0915809X 
  8. ^ 民主党代表選:野田代表、出発は裸一貫 ガス点検員を経験/駅前で演説24年…”. 毎日新聞 (2011年8月30日). 2011年8月30日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ 小林篤市 (1987年4月29日). “松下政経塾 地方政界に新風 地盤、看板、金なし 辻説法で9人当選(解説)”. 読売新聞 
  10. ^ 山元一郎 (2011年9月18日). “野田首相の助言受け大津さん、防犯活動「素志貫徹」 ボランティア組織作り/神奈川県”. 朝日新聞 
  11. ^ 終局:まぶちすみおの「不易塾」日記 2006年3月8日
  12. ^ “民主の「宇宙庁」構想に異論も 基本法案骨子を示す 関係省庁「行革に逆行」”. 読売新聞. (2007年12月27日) 
  13. ^ “[スキャナー]宇宙政策を大転換 基本法成立受け 国家戦略や宇宙局に課題”. 読売新聞. (2008年5月22日) 
  14. ^ 国土審議会(総会)・名簿”. 国土交通省. 2012年1月28日閲覧。
  15. ^ 国土審議会(総会)・名簿”. 国土交通省. 2012年1月28日閲覧。
  16. ^ “民主代表戦 野田氏出馬断念の背景 小沢氏 3選確実”. 産経新聞 大阪本社版. (2008年8月23日) 
  17. ^ “政界- 安住・民主国対委員長代理「野田氏は自省を」”. 毎日新聞. (2008年8月22日) 
  18. ^ 林信吾葛岡智恭『日本人の選択 二〇一〇年代』、アドレナライズ 2013年
  19. ^ 財務省 財務副大臣就任記者会見の概要 平成21年9月25日
  20. ^ 現代ビジネス磯山友幸「経済ニュースの裏側」2011年09月21日(水)
  21. ^ “「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (1/2ページ)”. 産経新聞. (2010年1月6日). https://web.archive.org/web/20100110053215/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100106/plc1001062351017-n1.htm 2010年4月19日閲覧。 
  22. ^ “「菅財務相」は小沢氏との距離が決め手 (2/2ページ)”. 産経新聞. (2010年1月6日). https://web.archive.org/web/20100111131944/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100106/plc1001062351017-n2.htm 2010年4月19日閲覧。 
  23. ^ 重大な関心もって市場動向を注視=円高で野田財務相 ロイター 2010年8月20日
  24. ^ 必要な時には断固たる措置とる=円高で野田財務相 ロイター 2010年9月8日
  25. ^ 政府・日銀、6年半ぶり為替介入 15年ぶり円高水準で asahi.com 2010年9月15日
  26. ^ 日本の為替介入理由「自らG7各国に説明」 野田財務相 朝日新聞 2010年10月9日
  27. ^ G7「通貨安競争」回避で協調 円高介入批判出ず ライブドアニュース 2010年10月9日
  28. ^ 野田財務相の会見での全発言 G7電話会談 日本経済新聞 2011年8月8日
  29. ^ 野田氏、民主代表選に意欲 「脱小沢」見直しを表明 朝日新聞 2011年6月10日
  30. ^ 前原前外相、民主代表選に立候補へ 23日に正式表明 朝日新聞 2011年8月23日
  31. ^ 野田財務相が民主代表選に出馬表明、「国難」解決の先頭に ロイター 2011年8月26日
  32. ^ “次期首相、適任者は「前原氏」40% 朝日新聞世論調査”. 朝日新聞社. (2011年8月26日). オリジナルの2012年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/qPc5 2011年8月30日閲覧。 
  33. ^ 民主党代表選 海江田氏と野田氏の決選投票 日テレNEWS24 2011年8月29日
  34. ^ 民主新代表に野田氏 決選投票で海江田氏を逆転 朝日新聞 2011年8月29日
  35. ^ a b 野田新代表の「演説力」はピカ一 ジョーク交え「夢、志、人情」訴える J-CASTニュース 2011年8月29日
  36. ^ “野田内閣- ドジョウ内閣「本気でやってごらん」 “ゆかりの地”に活気”. 毎日新聞. (2011年9月2日) 
  37. ^ 2011年8月30日の毎日新聞(東京本社版)より。
  38. ^ 野田氏を新首相に指名 衆議院 輿石氏に幹事長打診 日本経済新聞 2011年8月30日
  39. ^ 野田内閣がスタート、主要閣僚に40代を起用 AFPBB News 2011年9月2日
  40. ^ a b “松下塾出身 初の首相”. 読売新聞. (2011年8月29日) 
  41. ^ [1] 日本経済新聞 2011年9月24日朝刊
  42. ^ a b “3次補正総額12兆円 基本方針閣議決定 震災関係は9兆円”. 東京新聞. (2011年10月8日) 
  43. ^ 清湖口敏 (2011年10月17日). “【社説検証】復興増税”. 産経新聞 
  44. ^ 本会議 衆議院 2011年9月15日
  45. ^ 本会議 参議院 2011年9月16日
  46. ^ 山寺香 (2011年9月20日). “特集ワイド- われら松下政経塾、花の1期生 素志貫徹できる?”. 毎日新聞 
  47. ^ 復興予算4割使われず 23年度、想定通り進まず
  48. ^ 基太村真司、竹本能文、石田仁志、田中志保 (2011年10月19日). “WRAPUP1:日韓、通貨スワップ限度額を700億ドルに拡充 市場の不安定化に備え”. ロイター 
  49. ^ a b “日韓首脳会談- EPA交渉再開へ加速 野田首相、図書5冊引き渡し”. 毎日新聞. (2011年10月19日) 
  50. ^ “日韓為替安定策—Q&A 外貨不足時にドル融通”. 信濃毎日新聞. (2011年10月20日) 
  51. ^ “日韓首脳会談 EPA交渉再開 協議加速 「儀軌」一部引き渡し”. 読売新聞. (2011年10月19日) 
  52. ^ “社説 〔日韓首脳会談〕 対韓配慮が過ぎるのでは”. 北國新聞. (2011年10月20日) 
  53. ^ a b “タイ洪水- 野田首相「支援、早急に」 震災時の恩義に報い”. 毎日新聞. (2011年10月22日) 
  54. ^ 野田内閣総理大臣記者会見 首相官邸 2011年12月16日
  55. ^ 野田首相が原発事故「収束」宣言 記者から「違和感」指摘する声 J-CASTニュース 2011年12月16日
  56. ^ 日本再生の基本戦略 復興やインフラ海外展開 名目3%成長目指す”. 産経新聞 (2011年12月22日). 2012年1月2日閲覧。
  57. ^ 12年度財投計画は前年比18%増の17.6兆円=政府”. ロイター (2011年12月24日). 2012年1月2日閲覧。
  58. ^ 首相、成立へ修正辞さず 消費増税法案を国会提出 デフレ脱却へ日銀と連携”. 日本経済新聞 (2012年3月30日). 2012年4月6日閲覧。
  59. ^ 消費増税の経済への影響ないよう策講じる必要=野田首相”. ロイター (2012年3月16日). 2012年4月8日閲覧。
  60. ^ 増税で「日本経済が肺炎に」 野田首相の過去の発言にまた「ブーメラン現象」?”. J-CASTニュース (2012年3月15日). 2012年4月6日閲覧。
  61. ^ 小谷哲男 (2012年6月19日). “政権が変わっても森本敏防衛大臣を再任せよ”. WEBRONZA. http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012061800005.html?iref=webronza 2012年12月13日閲覧。 
  62. ^ 森本敏防衛大臣のどこが問題なのか? WEBRONZA 2012年6月8日
  63. ^ 共同通信「3党修正協議が合意 民主、週明け了承手続き」『3党修正協議が合意 民主、週明け了承手続き - 47NEWS(よんななニュース)』全国新聞ニュース、2012年6月16日
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参考文献

関連項目

外部リンク

公職
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菅直人
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第95代:2011年 - 2012年
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