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{{Otheruseslist|'''[[宮号]]'''および'''[[宮家]]'''|現在の[[家長|当主]]|秋篠宮文仁親王}} |
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'''菊栄親睦会'''(きくえいしんぼくかい)は、[[皇族]]及び[[旧皇族]](旧宮家)による親睦団体である。 |
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{{日本の氏族 |
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|家名= 秋篠宮家 |
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|家紋= Japanese Crest of Akisino no miya.svg |
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|創設年月日= [[平成]]2年([[1990年]])[[6月29日]] |
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|家紋名称= {{ruby|菊栂|きくつが}} |
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|本姓= |
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|家祖= [[秋篠宮文仁親王|文仁親王]]<br />(第125代天皇[[明仁]]〈[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]〉第2皇男子・<br />第126代天皇[[徳仁]]弟) |
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|種別= [[皇族]]([[直宮家]]) |
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|出身地= {{JPN}}・[[東京都]] |
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|根拠地= 東京都[[港区 (東京都)|港区]][[元赤坂]]・[[赤坂御用地]]内<br />[[秋篠宮邸]] |
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|人物= [[秋篠宮文仁親王]]([[皇嗣]])<br />[[文仁親王妃紀子]](皇嗣妃)<br />[[佳子内親王]](第2女子)<br/>[[悠仁親王]](第1男子)<br />[[小室眞子]](眞子内親王・第1女子) |
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|支流= |
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}} |
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{{日本の皇室}} |
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[[File:Prince Fumihito of Akishino and his family.jpg|thumb|250px|秋篠宮の家族写真(1990年代)<br>左から文仁親王、眞子内親王、佳子内親王、紀子妃]] |
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[[File:Crown Prince Fumihito and Crown Princess Kiko with their family 20201130.jpg|thumb|秋篠宮家の家族写真(2020年)<br>左から眞子内親王、悠仁親王、文仁親王、紀子妃、佳子内親王]] |
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'''秋篠宮'''(あきしののみや)は、[[日本]]の[[皇室]]における[[宮家]]の一つ。 |
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==概要== |
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菊栄親睦会は皇室の親族一統による親睦会で、[[皇室]]と最も近い親戚として交流を保ち、皇室を支える役割を担う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nihonbunka.or.jp/knowledge/about|title=皇室とは|accessdate=2021年2月7日|website=日本文化興隆財団|publisher=}}</ref>。 |
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== 概要 == |
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[[1947年]]([[昭和]]22年)10月に[[昭和天皇]]の弟である[[秩父宮]]・[[高松宮]]・[[三笠宮]]の3直宮家を除く11宮家が[[臣籍降下#昭和22年10月14日の皇籍離脱(旧皇族)|臣籍降下]](いわゆる皇籍離脱)した際、昭和天皇の指示により、戦前の「皇族親睦会」を「菊栄親睦会」と改称して皇族と旧皇族の親睦を図っている。 |
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[[1990年]]([[平成]]2年)[[6月29日]]、天皇[[明仁]]の第二皇子である'''[[秋篠宮文仁親王|礼宮文仁親王]]'''を初代として、親王と[[文仁親王妃紀子|川嶋紀子]]との婚姻にあわせて創設された。 |
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宮号は、[[和歌]]の[[歌枕]]として有名な[[奈良市]]の「'''[[秋篠]]'''(あきしの)」に由来する。 |
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== 結成 == |
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遡ると、戦前に皇族内の親睦会として「皇族親睦会」があり、初回は昭和2年(1927年)5月、[[秩父宮]]邸で開かれた{{Sfn|勝岡|p=76}}。[[第二次世界大戦]]の中断を経て、敗戦後の昭和20年(1945年)9月に茶話会として復活し、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の占領政策についての意見交換などを行う{{Sfn|勝岡|p=76}}。 |
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[[直宮家]]、筆頭宮家である。 |
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しかし直後の昭和22年(1947年)10月14日、GHQによる皇室財産の処分及び皇室縮小の方針に抗しかねて、いわゆる[[伏見宮]]系皇族にあたる11宮家51名が[[臣籍降下]]を余儀なくされる。 |
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; 構成員一覧 |
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{{main|臣籍降下#1947年の11宮家の臣籍降下}} |
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{|class="wikitable sortable" style="font-size:small" |
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!名及び[[身位]] |
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!性別 |
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!生年月日 |
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!現年齢 |
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!続柄 |
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![[皇位継承順位]] |
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!備考 |
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|[[秋篠宮文仁親王|秋篠宮{{ruby|文仁|ふみひと}}親王]] |
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|男性 |
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||[[1965年]]([[昭和]]40年)<br>[[11月30日]] |
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|{{年数|1965|11|30}}歳||[[明仁|上皇明仁]]第二皇男子(2男1女のうち第2子) |
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| 1位 |
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|[[文仁親王妃紀子|文仁親王妃{{ruby|紀子|きこ}}]] |
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|女性 |
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|[[1966年]](昭和41年)<br>{{0}}[[9月11日]] |
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|{{年数|1966|9|11}}歳||[[川嶋辰彦]]と和代夫妻の長女 |
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|{{ruby|眞子|まこ}}内親王<br>([[小室眞子]]) |
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|女性 |
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|[[1991年]]([[平成]]{{0}}3年)<br />[[10月23日]] |
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|{{年数|1991|10|23}}歳||文仁親王第一女子(第1子) |
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|2021年(令和3年)10月26日、<br>婚姻により皇籍離脱 |
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|[[佳子内親王|{{ruby|佳子|かこ}}内親王]] |
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|女性 |
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|[[1994年]](平成{{0}}6年)<br>[[12月29日]] |
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|{{年数|1994|12|29}}歳 |
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|[[秋篠宮文仁親王|文仁親王]]第二女子(第2子) |
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|- |
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|[[悠仁親王|{{ruby|悠仁|ひさひと}}親王]] |
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|男性 |
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|[[2006年]](平成18年)<br>[[9月6日|{{0}}9月{{0}}6日]] |
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|{{年数|2006|9|6}}歳 |
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|文仁親王第一男子(第3子) |
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| 2位 |
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|} |
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== 系図 == |
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[[昭和天皇]]としては今回の臣籍降下は占領政策による不本意なものであり、皇室としては11宮家([[旧皇族]])とは従来と変わらず交流をすることを希望したことから{{Sfn|勝岡|p=80}}、同日付で皇族親睦会にかわる、皇族と旧皇族の合同の新たな親睦会を結成。天皇より「'''菊栄親睦会'''」と命名される。その目的は、「会員の親睦・知識の増進及び人格の修養を図り、必要に応じて相互扶助を行うこと」とされた{{Sfn|勝岡|p=85}}。 |
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<div style="font-size:70%; text-align:center"> |
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{{familytree/start|}} |
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{{familytree | | |!| | |}} |
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{{familytree | | 125 | |125=125代天皇<br>'''[[明仁]]'''|boxstyle_ 125 =background-color: #d99502;}} |
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{{familytree | | |)|-|-|-|-|-|-|-|.| |}} |
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{{familytree | | 126 | | | | | | 001 |v| 002 |126=126代天皇<br>'''[[徳仁]]'''|boxstyle_ 126 =background-color: #d99502;|001='''初代秋篠宮'''<br>[[文仁親王]]|002=[[文仁親王妃紀子|紀子妃]]|boxstyle_ 001 =background-color: #f19072;}} |
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{{familytree | | | | | | | | |,|-|-|-|+|-|-|-|.| | |}} |
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{{familytree | | | | | | | | 001 | | 002 | | 003 | |001=[[眞子内親王]]|002=[[佳子内親王]]|003=[[悠仁親王]]}} |
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{{familytree/end}} |
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</div> |
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== 宮邸 == |
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宮家創設時から、[[赤坂御用地]](東京都[[港区 (東京都)|港区]][[元赤坂]])に宮邸を構えている。 |
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2019年(令和元年)頃、令和改元に際し、以下の通り改正された<ref name=″fushimi2022-156″>[[#伏見博明 2022|伏見博明 2022]] p.156</ref>。 |
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;名誉会員{{efn|下記の他、令和時代における第1皇女である[[愛子内親王|敬宮愛子内親王]]について、会員(2に該当)である伏見博明は、敬宮が名誉会員に「含まれない」ことを認めている<ref name=″fushimi2022-156″/>。一方、「含まれる」と報じる例もある<ref>{{Cite journal|author=永井貴子|year=2021|title=どうなる眞子さまと小室さんの「新婚生活」 皇族らが集う「菊栄親睦会」入りで晩餐会出席も?|journal=週刊朝日}}</ref>。}} |
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*[[天皇]]、[[皇后]]、[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]]、[[上皇后]] |
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;会員 |
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#名誉会員以外の皇族 |
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#1947年 (昭和22年) 10月14日に臣籍降下した[[旧皇族]]とその配偶者、元[[王公族]]とその配偶者(※子孫は、当主(祭祀継承者)とその配偶者に限る) |
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#上記より後に皇籍を離れた者とその配偶者{{efn|一例として、平成時代における第1皇女だった[[黒田清子]](2005年(平成17年)に降嫁)が該当し、夫の[[黒田慶樹]]とともに会員である<ref name=″fushimi2022-156″/>。}} |
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2019年([[令和]]元年)に文仁親王が'''[[皇嗣]]'''([[皇位継承順位]]第1位、[[皇太子]]に准ずる地位)となってから、接遇機能を備えるために宮邸の拡張が行われた。この増築工事中(2019年から2022年3月まで)、一家は赤坂御用地内の「御仮寓所」に仮住まいをしていた。 |
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== 運営 == |
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皇室と旧皇族との交際は、宮中行事への参列や、個々の宮家ごとの拝謁などで度々行われていたが、その他にも、旧皇族との親睦自体を目的とした会合もたびたびおこなわれた。 |
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== 備考 == |
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なお、菊栄親睦会およびこれらの活動について宮内庁は、「皇室の方々の私的な御交際」とした上で「皇族方の公私にわたるお世話をしているということから、同会のお手伝いをしている」「こうした御交際について、特段の法的な位置づけがあるものではない」と答弁している<ref name="kokkai-2021-0226">{{cite conference |url =https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120405266X00220210226 |date = 2021-2-26 |title = 衆議院予算委員会第一分科会 |volume = 第2号 |conference = 第204回国会 }} [[池田憲治]]宮内庁次長答弁</ref>。 |
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=== 職員 === |
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宮家附の職員は元々20名程であったが<ref>[[週刊文春]]([[文藝春秋]])[[2015年]][[7月9日]]号</ref>、上記のとおり2019年に文仁親王が皇太子に准ずる地位になって以降は、「'''[[宮内庁皇嗣職|皇嗣職]]'''」が設置され、職員が増員された。 |
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; 宮務官 |
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; 定例の陪食・賜茶の会 |
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: 1名。旧称は[[家令]]。宮家とその当主の側近奉仕のことを総括・掌理する。 |
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:: 歴代:富士亮<ref group="注釈">初代宮務官。元・[[東宮職|東宮侍従]]</ref>、山口弘康、徳丸久衛、中島慶二、小原邦彦、坪倉昭 |
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; 侍女長 |
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: 1名。妃の側近奉仕のことを総括・掌理する。侍女長補を監督する。 |
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:: 歴代:笠松祐子、犬伏紗知子、飯島蘭子、大内映子、池上礼子、山崎敦子 |
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; 侍女長補 |
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: 妃の側近奉仕のことを分掌する。侍女長を補佐する。 |
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; 事務官 |
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: 8名程。 |
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; 運転技官 |
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: 専任の運転手。定員は5名程。 |
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; 調理技官 |
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: 専任の調理師。宮内庁大膳課から配属される。 |
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:: 歴代:宮田拓矢<ref group="注釈">[[帝国ホテル]]副料理長</ref> |
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; 臨時職員 |
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: 3名程。他部署との併在辞令を受けた職員。 |
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:: 歴代:谷みどり |
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; 侍女 |
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: 2名程。宮家の私費で雇われる。 |
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; 秋篠宮付御用掛 |
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:: 歴代: [[赤木攻]]、沼田恭子、松田慶文、[[板倉敏和]]、[[近藤茂夫]] |
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=== 書籍 === |
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概ね年2回~2年に1回の割合で、皇居に旧皇族が召かれて、天皇・皇后との会食を行う{{Sfn|勝岡|pp=108-111}}。また、皇室の慶事(皇族の婚姻等)に合わせて内祝いとして開催されることもある{{Sfn|勝岡|p=111}}。 |
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2022年5月、インタビューに基づくノンフィクション書籍『秋篠宮』が刊行された(小学館 / [[江森啓治]]著) |
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== 注釈 == |
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; 皇族主催の親睦会 |
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昭和50年代ごろから始められた形式で、老齢に達した昭和天皇にかわる形で、天皇・皇后の慶事を、皇太子同妃が主催して祝う形式がとられた・皇居・吹上御苑内の花蔭亭が使用され、皇族・旧皇族に加えて、侍従職等も交じっての余興が多く行われる特色がある{{Sfn|勝岡|pp=111-114}}。 |
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; 菊栄親睦会大会 |
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皇室の慶事や重大事があった際に、親睦会の主催で特別に開催される。皇居外で行われるのが通例であり、天皇・皇后が招待される形をとる。皇族・旧皇族から数名が幹事となり、皇族・旧皇族の正会員に加えて、その親族も参列し、総勢100名近くに達することもある{{Sfn|勝岡|p=91}}。立食形式で和洋の料理、デザート、飲み物などがふるまわれ、[[寿司]]や[[天ぷら]]がその場で提供されるという<ref>[[#伏見博明 2022|伏見博明 2022]] p.158-160</ref>。 |
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2年~5年に1回のペースで開かれるが、平成に入ると明仁天皇が公務で多忙であったこともあり、開催頻度は減少した<ref name="fushimi2022-157"/>。直近で開催された大会は、2014年(平成26年)5月18日の「天皇陛下傘寿奉祝菊栄親睦会大会」である。令和2年(2020年)6月に、徳仁天皇の即位を奉祝して5年ぶりの大会が計画されていたが<ref name="fushimi2022-157"/>{{efn|書籍の刊行は2022年(令和4年)であるが、伏見博明への聞き取りは[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]が日本でも広まる以前の2020年(令和2年)1月及び2月にも行われている。}}、[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の感染拡大]]の影響で取り止めとなった。[[池田憲治]]宮内庁次長は2021年(令和3年)2月時点で2014年(平成26年)5月18日の「天皇陛下傘寿奉祝菊栄親睦会大会」が最後の開催と答弁した<ref name="kokkai-2021-0226"/>。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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= |
<references group="注釈" /> |
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{{Notelist}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|18em}} |
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== |
== 出典 == |
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{{reflist}} |
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* {{Cite book|和書|author= 伏見博明|title= 旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて|publisher = [[中央公論新社]] |date=2022-01-26|isbn =978-4120054952|ref=伏見博明 2022}} |
|||
* {{Cite journal | 和書 | author = 勝岡寛次 | authorlink = 勝岡寛次 | title = 菊栄親睦会の基礎的研究 | journal = 日本国史学 | volume = 17 | issue = | publisher = 日本国史学会 | date = 2021-08-01 | pages = 74-127 | isbn = 978-4-89992-077-9 | ref = {{SfnRef|勝岡}}}} |
|||
{{参照方法|date=2021年6月|section=1}} |
|||
* [[谷部金次郎]]『昭和天皇と鰻茶漬 陛下一代の料理番』[[河出書房新社]]、2015年 |
|||
* 皇室事典編集委員会編『皇室事典 令和版』[[KADOKAWA]]、2019年 |
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== |
== 外部リンク == |
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*[https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/03/activity03.html 秋篠宮家のご活動] - [[宮内庁]] |
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*[[旧皇族]] |
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*[[霞会館]] |
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{{ |
{{宮家一覧}} |
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{{DEFAULTSORT:き |
{{DEFAULTSORT:あきしののみや}} |
2024年6月29日 (土) 07:22時点における版
秋篠宮家 | |
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家祖 |
文仁親王 (第125代天皇明仁〈上皇〉第2皇男子・ 第126代天皇徳仁弟) |
種別 | 皇族(直宮家) |
出身地 | 日本・東京都 |
主な根拠地 |
東京都港区元赤坂・赤坂御用地内 秋篠宮邸 |
著名な人物 |
秋篠宮文仁親王(皇嗣) 文仁親王妃紀子(皇嗣妃) 佳子内親王(第2女子) 悠仁親王(第1男子) 小室眞子(眞子内親王・第1女子) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
皇室 |
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|
概要
1990年(平成2年)6月29日、天皇明仁の第二皇子である礼宮文仁親王を初代として、親王と川嶋紀子との婚姻にあわせて創設された。
宮号は、和歌の歌枕として有名な奈良市の「秋篠(あきしの)」に由来する。
直宮家、筆頭宮家である。
- 構成員一覧
名及び身位 | 性別 | 生年月日 | 現年齢 | 続柄 | 皇位継承順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
秋篠宮 |
男性 | 1965年(昭和40年) 11月30日 |
58歳 | 上皇明仁第二皇男子(2男1女のうち第2子) | 1位 | |
文仁親王妃 |
女性 | 1966年(昭和41年) 9月11日 |
57歳 | 川嶋辰彦と和代夫妻の長女 | ||
(小室眞子) |
女性 | 1991年(平成 3年) 10月23日 |
32歳 | 文仁親王第一女子(第1子) | 2021年(令和3年)10月26日、 婚姻により皇籍離脱 | |
女性 | 1994年(平成 6年) 12月29日 |
29歳 | 文仁親王第二女子(第2子) | |||
男性 | 2006年(平成18年) 9月 6日 |
17歳 | 文仁親王第一男子(第3子) | 2位 |
系図
宮邸
宮家創設時から、赤坂御用地(東京都港区元赤坂)に宮邸を構えている。
2019年(令和元年)に文仁親王が皇嗣(皇位継承順位第1位、皇太子に准ずる地位)となってから、接遇機能を備えるために宮邸の拡張が行われた。この増築工事中(2019年から2022年3月まで)、一家は赤坂御用地内の「御仮寓所」に仮住まいをしていた。
備考
職員
宮家附の職員は元々20名程であったが[1]、上記のとおり2019年に文仁親王が皇太子に准ずる地位になって以降は、「皇嗣職」が設置され、職員が増員された。
- 侍女長
- 1名。妃の側近奉仕のことを総括・掌理する。侍女長補を監督する。
- 歴代:笠松祐子、犬伏紗知子、飯島蘭子、大内映子、池上礼子、山崎敦子
- 侍女長補
- 妃の側近奉仕のことを分掌する。侍女長を補佐する。
- 事務官
- 8名程。
- 運転技官
- 専任の運転手。定員は5名程。
- 調理技官
- 専任の調理師。宮内庁大膳課から配属される。
- 歴代:宮田拓矢[注釈 2]
- 臨時職員
- 3名程。他部署との併在辞令を受けた職員。
- 歴代:谷みどり
書籍
2022年5月、インタビューに基づくノンフィクション書籍『秋篠宮』が刊行された(小学館 / 江森啓治著)