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「佐藤愛子 (柔道)」の版間の差分

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'''佐藤 愛子'''(さとう あいこ、[[1983年]][[10月18日]] - )は、[[北海道]][[名寄市]]出身の[[女子]][[柔道]]57kg級の選手。身長は157cm。血液型はO型。[[組み手]]は右組み。段位は四段。得意技は[[背負投]]、[[寝技]]。[[北海道旭川南高等学校]]、[[筑波大学]]卒業。[[学校法人了徳寺学園|了徳寺学園]]柔道部所属<ref name="名鑑">「柔道全日本強化選手名鑑 2012」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2012年4月号</ref>
'''佐藤 愛子'''さとう あいこ、[[1983年]][[10月18日]] - は、[[北海道]][[名寄市]]出身の[[柔道家]]。現役時代は[[女子]][[柔道]]57kg級の選手。身長は157cm。血液型はO型。[[組み手]]は右組み。段位は四段。得意技は[[背負投]]、[[寝技]]。

[[北海道旭川南高等学校]]、[[筑波大学]]卒業<ref name="名鑑">「柔道全日本強化選手名鑑 2012」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2012年4月号</ref>。[[学校法人了徳寺学園|了徳寺学園]]職員を経て、2016年より[[東京女子体育大学]]の教員及び柔道部監督<ref>[http://blog.ryotokuji-u.ac.jp/?eid=238254 了徳寺学園柔道部ブログ]</ref><ref>[https://gyoseki.twcpe.ac.jp/twehp/KgApp?kyoinId=ymbsygybggy 東京女子体育大学(教員情報)]</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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だが北京では準々決勝で敗退したうえ、敗者復活戦で右膝のじん帯を断裂。帰国後に手術、リハビリのため1年間は練習もできず、強化選手からも外れた。2009年末に復帰したものの、思うように動けなかったという。2010年の世界選手権で松本薫が優勝したことで「もういい、やめよう」と何度も思ったが、「北京のけじめ、というのもあったし、大好きな柔道ができるのは今しかないとも思った」と諦めなかった。
だが北京では準々決勝で敗退したうえ、敗者復活戦で右膝のじん帯を断裂。帰国後に手術、リハビリのため1年間は練習もできず、強化選手からも外れた。2009年末に復帰したものの、思うように動けなかったという。2010年の世界選手権で松本薫が優勝したことで「もういい、やめよう」と何度も思ったが、「北京のけじめ、というのもあったし、大好きな柔道ができるのは今しかないとも思った」と諦めなかった。


2011年8月の世界選手権では準決勝で[[松本薫 (柔道)|松本薫]]に合技で一本勝ちすると、決勝ではブラジルの[[ラファエラ・シルバ]]に背負投で一本勝ちして優勝を果たした<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/08/25/kiji/K20110825001480950.html 佐藤愛 完全復活の金「気持ちも強くなった」] [[スポーツニッポン]] 2011年8月25日</ref>。
2011年8月の世界選手権では準決勝で[[松本薫 (柔道)|松本薫]]に合技で一本勝ちすると、決勝ではブラジルの[[ラファエラ・シルバ]]に背負投で一本勝ちして優勝を果たした<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/08/25/kiji/K20110825001480950.html 佐藤愛 完全復活の金「気持ちも強くなった」] [[スポーツニッポン]] 2011年8月25日</ref>。


12月の[[グランドスラム・東京2011|グランドスラム・東京]]では準決勝で世界ジュニアチャンピオンの[[山本杏]]に一本勝ちするが、決勝では[[ゴールデンスコア|GS]]において松本に背負投を返されて有効を取られて2位に終わった<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201112/2011121000313 女王対決、松本が雪辱=柔道グランドスラム東京] [[時事通信]] 2011年12月10日</ref>。
12月の[[グランドスラム・東京2011|グランドスラム・東京]]では準決勝で世界ジュニアチャンピオンの[[山本杏]]に一本勝ちするが、決勝では[[ゴールデンスコア|GS]]において松本に背負投を返されて有効を取られて2位に終わった<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201112/2011121000313 女王対決、松本が雪辱=柔道グランドスラム東京] [[時事通信]] 2011年12月10日</ref>。
これで松本との対戦成績は1勝6敗となった<ref name="名鑑"/>。
これで松本との対戦成績は1勝6敗となった<ref name="名鑑"/>。


2012年1月には[[ワールドマスターズ2012|ワールドマスターズ]]に出場するが、準決勝でポルトガルの[[テルマ・モンテイロ]]に背負投で一本負けして3位にとどまった<ref name="名鑑"/>。
2012年1月には[[ワールドマスターズ2012|ワールドマスターズ]]に出場するが、準決勝でポルトガルの[[テルマ・モンテイロ]]に背負投で一本負けして3位にとどまった<ref name="名鑑"/>。2月には[[グランドスラム・パリ2012|グランドスラム・パリ]]に出場して、決勝でモンテイロに開始9秒の大内刈で一本勝負けして2位に終わった<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012020500049&rel=j&g=spo 悔しさにじませる佐藤=柔道グランドスラム」] [[時事通信]] 2012年2月5日</ref>。
2月には[[グランドスラム・パリ2012|グランドスラム・パリ]]に出場して、決勝でモンテイロに開始9秒の大内刈で一本勝負けして2位に終わった<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012020500049&rel=j&g=spo 悔しさにじませる佐藤=柔道グランドスラム」] [[時事通信]] 2012年2月5日</ref>。


5月の体重別では初戦で[[小松製作所|コマツ]]の[[宇高菜絵]]に[[大外刈]]で一本負けを喫して、オリンピック代表には選出されなかった<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120513-950296.html 佐藤が初戦負け「今の実力」] [[日刊スポーツ]] 2012年5月13日</ref>。体重別終了直後に引退を表明すると<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/hokkaido/sports/news/20120514-OHT1T00139.htm 佐藤、連続五輪逃し引退「悔いありません」…柔道] [[スポーツ報知]] 2012年5月14日</ref>、7月には正式に引退した<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120711-981603.html 佐藤愛子が引退会見「充実した柔道生活」] [[日刊スポーツ]] 2012年7月11日</ref>。
5月の体重別では初戦で[[小松製作所|コマツ]]の[[宇高菜絵]]に[[大外刈]]で一本負けを喫して、オリンピック代表には選出されなかった<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120513-950296.html 佐藤が初戦負け「今の実力」] [[日刊スポーツ]] 2012年5月13日</ref>。体重別終了直後に引退を表明すると<ref>[https://web.archive.org/web/20120514160701/http://hochi.yomiuri.co.jp/hokkaido/sports/news/20120514-OHT1T00139.htm 佐藤、連続五輪逃し引退「悔いありません」…柔道] [[スポーツ報知]] 2012年5月14日</ref>、7月には正式に引退した<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120711-981603.html 佐藤愛子が引退会見「充実した柔道生活」] [[日刊スポーツ]] 2012年7月11日</ref>。


2013年から1年間、アメリカの[[サンノゼ]]に留学することになった<ref>[http://blog.ryotokuji-u.ac.jp/?eid=197594 了徳寺学園柔道部ブログ | 佐藤愛子]</ref>。
2013年から1年間、アメリカの[[サンノゼ]]に留学することになった<ref>[http://blog.ryotokuji-u.ac.jp/?eid=197594 了徳寺学園柔道部ブログ | 佐藤愛子]</ref>。


2015年の体重別ではテレビの解説を受け持った<ref>[http://www.fujitv.co.jp/sports/judo/japan/ 全日本選抜柔道体重別選手権2015 - フジテレビ]</ref>。
2015年の体重別ではテレビの解説を受け持った<ref>[https://www.fujitv.co.jp/sports/judo/japan/ 全日本選抜柔道体重別選手権2015 - フジテレビ]</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==
ペットとしてカメを飼っており、遠征先に一緒に連れて行くほどのカメ好き<ref>「解体新書 佐藤愛子」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2003年4月号、103-106頁</ref>。
* ペットとしてカメを飼っており、遠征先に一緒に連れて行くほどのカメ好き<ref>「解体新書 佐藤愛子」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2003年4月号、103-106頁</ref>。
* ロンドンオリンピックの代表争いをしていた4歳年下の松本とは、現役時代によく酒を飲みにいく間柄で友人だったという。周囲からはライバル相手とあまり仲良くならない方がよいとのアドバイスも受けていたものの、気に留めず付き合いを続けた<ref>「金メダリスト・インタビュー 佐藤愛子」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、2011年12月号 15頁</ref>。


==戦績==
==戦績==
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*[[2008年]] - [[グランドスラム・パリ|フランス国際]] 3位
*[[2008年]] - [[グランドスラム・パリ|フランス国際]] 3位
*[[2008年]] - [[全日本選抜柔道体重別選手権大会|選抜体重別]] 2位
*[[2008年]] - [[全日本選抜柔道体重別選手権大会|選抜体重別]] 2位
*[[2008年]] - [[北京オリンピック]] 7位
*[[2008年]] - [[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]] 7位
*[[2009年]] - [[全日本選抜柔道体重別選手権大会|選抜体重別]] 3位
*[[2009年]] - [[全日本選抜柔道体重別選手権大会|選抜体重別]] 3位
*[[2009年]] - [[講道館杯全日本柔道体重別選手権大会|講道館杯]] 3位
*[[2009年]] - [[講道館杯全日本柔道体重別選手権大会|講道館杯]] 3位
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*[[2012年]] - [[ワールドマスターズ2012|ワールドマスターズ]] 3位
*[[2012年]] - [[ワールドマスターズ2012|ワールドマスターズ]] 3位
*[[2012年]] - [[グランドスラム・パリ2012|グランドスラム・パリ]] 2位
*[[2012年]] - [[グランドスラム・パリ2012|グランドスラム・パリ]] 2位
(出典<ref name="名鑑"/>、[[JudoInside.com]])
(出典<ref name="名鑑"/>、JudoInside.com)


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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==外部リンク==
==外部リンク==
*[https://cocoron-pj.com/support_menu/judo/ こころんプロジェクト]
*[http://www.ryotokuji.ac.jp/HP/judoHP/html/satou_p.htm 了徳寺学園柔道部・佐藤愛子]
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獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
世界柔道選手権
2007 リオデジャネイロ 57kg級
2011 パリ 57kg級
世界団体
2011 パリ 57kg級
2006 パリ 57kg級
2007 北京 57kg級
ワールドマスターズ
2012 アルマトイ 57kg級
グランドスラム
2011 モスクワ 57kg級
2012 パリ 57kg級
2011 東京 57kg級
2011 パリ 57kg級
アジア大会
2006 ドーハ 57kg級
アジア柔道選手権
2003 済州 52kg級
2007 クウェート 57kg級
2011 アブダビ 57kg級

佐藤 愛子(さとう あいこ、1983年10月18日 - )は、北海道名寄市出身の柔道家。現役時代は女子柔道57kg級の選手。身長は157cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は背負投寝技

北海道旭川南高等学校筑波大学卒業[1]了徳寺学園職員を経て、2016年より東京女子体育大学の教員及び柔道部監督[2][3]

経歴

[編集]

9歳で柔道を始める[1]アテネオリンピックでは52kg級で代表を狙うも、減量に苦しみ、代表になれなかった。それを教訓に、2005年からスタミナの心配が少ない57kg級に転向した。2007年の世界選手権で銅メダルを獲得、その実績から北京五輪の代表に選出された[1]

だが北京では準々決勝で敗退したうえ、敗者復活戦で右膝のじん帯を断裂。帰国後に手術、リハビリのため1年間は練習もできず、強化選手からも外れた。2009年末に復帰したものの、思うように動けなかったという。2010年の世界選手権で松本薫が優勝したことで「もういい、やめよう」と何度も思ったが、「北京のけじめ、というのもあったし、大好きな柔道ができるのは今しかないとも思った」と諦めなかった。

2011年8月の世界選手権では準決勝で松本薫に合技で一本勝ちすると、決勝ではブラジルのラファエラ・シルバに背負投で一本勝ちして優勝を果たした[4]

12月のグランドスラム・東京では準決勝で世界ジュニアチャンピオンの山本杏に一本勝ちするが、決勝ではGSにおいて松本に背負投を返されて有効を取られて2位に終わった[5]。 これで松本との対戦成績は1勝6敗となった[1]

2012年1月にはワールドマスターズに出場するが、準決勝でポルトガルのテルマ・モンテイロに背負投で一本負けして3位にとどまった[1]。2月にはグランドスラム・パリに出場して、決勝でモンテイロに開始9秒の大内刈で一本勝負けして2位に終わった[6]

5月の体重別では初戦でコマツ宇高菜絵大外刈で一本負けを喫して、オリンピック代表には選出されなかった[7]。体重別終了直後に引退を表明すると[8]、7月には正式に引退した[9]

2013年から1年間、アメリカのサンノゼに留学することになった[10]

2015年の体重別ではテレビの解説を受け持った[11]

人物

[編集]
  • ペットとしてカメを飼っており、遠征先に一緒に連れて行くほどのカメ好き[12]
  • ロンドンオリンピックの代表争いをしていた4歳年下の松本とは、現役時代によく酒を飲みにいく間柄で友人だったという。周囲からはライバル相手とあまり仲良くならない方がよいとのアドバイスも受けていたものの、気に留めず付き合いを続けた[13]

戦績

[編集]

(52kg級での成績)

(これ以降は全て57kg級での成績)

(出典[1]、JudoInside.com)

脚注

[編集]

外部リンク

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