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「越前屋俵太」の版間の差分

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| 本名 = 谷 雅德<br/>(たに まさのり)
| 本名 = 谷 雅德<br/>(たに まさのり)
| 別名義 = 俵 越山<br/>桜島ポーランド
| 別名義 = 俵 越山<br/>桜島ポーランド
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'''越前屋 俵太'''(えちぜんや ひょうた、本名、'''谷 雅德'''(たに まさのり)[[1961年]][[12月29日]] - )は、日本の[[コメディアン]]、[[書家]]。血液型は[[ABO式血液型|O型]]。所属[[芸能事務所|事務所]]はアルファ・ウェイブ。書家としての号は'''俵 越山'''(たわら えつざん)<ref>[http://etsuzan.jp/blog/archives/660 越前屋俵太さんのウィキペディア | 俵越山|越前屋俵太 公式ウェブサイト] {{ja icon}}</ref>。
'''越前屋 俵太'''(えちぜんや ひょうた、本名、谷 雅德(たに まさのり)[[1961年]]〈[[昭和]]36年〉[[12月29日]]<ref name="djmeikan">{{Cite book ja|title=DJ名鑑 1987|url={{国立国会図書館デジタルコレクション|12276264/19}}|url-access=registration|publisher=[[三才ブックス]]|date=1987-02-15|page=36}}</ref> - )は、日本の[[コメディアン]]、[[書家]]。血液型は[[ABO式血液型|O型]]。所属[[芸能事務所|事務所]]はアルファ・ウェイブ。書家としての号は'''俵 越山'''(たわら えつざん)<ref>[http://etsuzan.jp/ 越前屋俵太さんのウィキペディア | 俵越山|越前屋俵太 公式ウェブサイト] {{ja icon}}</ref>。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
[[京都府]][[京都市]]生まれ、[[京都府]][[城陽市]]育ち。[[大谷中学校・高等学校 (京都)|大谷高校]]卒業。[[関西大学]][[社会学部]]社会学科マスコミュニケーション学専攻除籍。関西大学在学中、[[テレビ番組]]や[[ラジオ番組]]の企画会社で[[アルバイト]]をしており、[[テレビ大阪]]の番組『HIP』などにスタッフとして関わる<ref name="djmeikan">別冊[[ラジオパラダイス]]「DJ名鑑」([[三才ブックス]]、1987年刊)p.36</ref>。その際に自身が番組に出演することになり、[[落語]]の「[[寿限無]]」に出てくるような長い芸名を考えたが、[[ディレクター]]に却下された。次に考えた芸名が、「'''越前屋俵太'''」だった。売れようとする気は全くなかったため、あえて画数の多い覚えられにくい名前にした。テレビ番組を企画・[[プロデュース]]する時や会社経営者としては、本名を使用している。
[[京都府]][[京都市]]生まれ、[[京都府]][[城陽市]]育ち。[[大谷中学校・高等学校 (京都)|大谷高校]]卒業。[[関西大学]][[社会学部]]社会学科マスコミュニケーション学専攻除籍。関西大学在学中、[[テレビ番組]]や[[ラジオ番組]]の企画会社で[[アルバイト]]をしており、[[テレビ大阪]]の番組『HIP』などにスタッフとして関わる<ref name="djmeikan"/>。その際に自身が番組に出演することになり、[[落語]]の「[[寿限無]]」に出てくるような長い芸名を考えたが、[[ディレクター]]に却下された。次に考えた芸名が、「'''越前屋俵太'''」だった。売れようとする気は全くなかったため、あえて画数の多い覚えられにくい名前にした。テレビ番組を企画・[[プロデュース]]する時や会社経営者としては、本名を使用している。


[[1981年]]、『[[笑ってる場合ですよ!]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のコーナー『お笑い君こそスターだ!』に出演して5週勝ち抜き<ref name="djmeikan"/>、これがきっかけで[[太田プロダクション]]や[[吉本興業]]などからスカウトされたがこれらを断り、[[フリーランス|フリー]]で活動を開始する<ref name="djmeikan"/>。そしてこれをきっかけに全国区[[デビュー]]を果たした。その後も『[[オールナイトニッポン]]』([[ニッポン放送]])や『[[OH!たけし]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])、『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』([[TBSテレビ|TBS]])などに出演し、[[近畿地方]]では『[[TV-JACK]]』(企画立案にも携わる<ref name="djmeikan"/>)や[[上岡龍太郎]]局長時代の『[[探偵!ナイトスクープ]]』(いずれも[[朝日放送テレビ|朝日放送]])に出演した。特にナイトスクープには初代探偵として出演し、視聴率調査、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズなどを担当した。
[[1981年]]、『[[笑ってる場合ですよ!]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])のコーナー『お笑い君こそスターだ!』に出演して5週勝ち抜き<ref name="djmeikan"/>、これがきっかけで[[太田プロダクション]]や[[吉本興業]]などからスカウトされたがこれらを断り、[[フリーランス|フリー]]で活動を開始する<ref name="djmeikan"/>。そしてこれをきっかけに全国区[[デビュー]]を果たした。その後も『[[オールナイトニッポン]]』([[ニッポン放送]])や『[[OH!たけし]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])、『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』([[TBSテレビ|TBS]])などに出演し、[[近畿地方]]では『[[TV-JACK]]』(企画立案にも携わる<ref name="djmeikan"/>)や[[上岡龍太郎]]局長時代の『[[探偵!ナイトスクープ]]』(いずれも[[朝日放送テレビ|朝日放送]])に出演した。特にナイトスクープには初代探偵として出演し、視聴率調査、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズなどを担当した。
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[[1993年]]に[[有限会社]]「越前屋電視社」を設立し、番組の企画・プロデュースを手掛けるようにもなった。同社企画協力および自身出演のローカル番組『[[俵太の達者でござる]]』([[福井テレビジョン放送|福井テレビ]])が、[[1994年]]日本民間放送連盟賞のテレビ娯楽部門で最優秀賞を受賞した。[[1999年]]には監督・[[ビートたけし|北野武]]からの推薦を得て、映画『[[THE HEARTMAN]]』([[島田洋七]]主演)の監督も務めている。
[[1993年]]に[[有限会社]]「越前屋電視社」を設立し、番組の企画・プロデュースを手掛けるようにもなった。同社企画協力および自身出演のローカル番組『[[俵太の達者でござる]]』([[福井テレビジョン放送|福井テレビ]])が、[[1994年]]日本民間放送連盟賞のテレビ娯楽部門で最優秀賞を受賞した。[[1999年]]には監督・[[ビートたけし|北野武]]からの推薦を得て、映画『[[THE HEARTMAN]]』([[島田洋七]]主演)の監督も務めている。


その後も[[サイコロ]]や[[なすび]]、あるいは[[動物]]の被り物をしながら、独特の世界観を発揮した『[[バスDEコロコロ]]』や『[[BeeBee's Family]]』(いずれも[[関西テレビ放送|関西テレビ]])、『[[京都コンチキチン]]』([[京都放送|KBS京都テレビ]])などに出演した。さらに、番組で[[榊莫山]]宅を取材した際に彼の作品などに感銘を受けたことから、[[1996年]]頃からは俵越山を名乗っての決まりに縛られない自由な書道を始め、職人を訪ねて即興で文字を書くパフォーマンスなどを行う。また、一時期'''桜島ポーランド'''(さくらじまポーランド)という名で[[写真家]]としても活動をしており、[[タイ王国|タイ]]へ写真撮影の旅をするという番組企画『[[越前屋俵太のGO!GO!タイランド]]』([[朝日放送]])に参加した。
その後も[[サイコロ]]や[[なすび]]、あるいは[[動物]]の被り物をしながら、独特の世界観を発揮した『[[バスDEコロコロ]]』や『[[BeeBee's Family]]』(いずれも[[関西テレビ放送|関西テレビ]])、『[[京都コンチキチン]]』([[京都放送|KBS京都テレビ]])などに出演した。さらに、番組で[[榊莫山]]宅を取材した際に彼の作品などに感銘を受けたことから、[[1996年]]頃からは俵越山を名乗っての決まりに縛られない自由な書道を始め、職人を訪ねて即興で文字を書くパフォーマンスなどを行う。また、一時期'''桜島ポーランド'''(さくらじまポーランド)という名で[[写真家]]としても活動をしており、[[タイ王国|タイ]]へ写真撮影の旅をするという番組企画『[[越前屋俵太のGO!GO!タイランド]]』([[朝日放送テレビ|朝日放送]])に参加した。


[[2003年]]から芸能活動を休止。[[2005年]]春頃に引退を示唆する挨拶状を親しい関係者に送ったと言われ、『[[誠のサイキック青年団]]』([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]])で[[パーソナリティ]]の[[北野誠 (タレント)|北野誠]]が「'''俵太は芸能界を引退した'''」とコメントし、マスコミ各方面で「'''俵太引退か?'''」と報道された。ただし、同番組において7月に「俵太さんとパーティーでばったり会った人の話」として、引退しているつもりはないが、引退と言われることを楽しんでいるらしいと伝えられた。以後、書家としての活動に軸足を移し、[[福祉施設]]に書の作品を寄贈するなどの活動を行っている。また、[[城陽市立図書館]]の協力を得て、小中学生向けに「書きたいように書く」ことで感性を伸ばす講座を[[2008年]]より開講した。
[[2003年]]から芸能活動を休止。[[2005年]]春頃に引退を示唆する挨拶状を親しい関係者に送ったと言われ、『[[誠のサイキック青年団]]』([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]])で[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]の[[北野誠 (タレント)|北野誠]]が「'''俵太は芸能界を引退した'''」とコメントし、マスコミ各方面で「'''俵太引退か?'''」と報道された。ただし、同番組において7月に「俵太さんとパーティーでばったり会った人の話」として、引退しているつもりはないが、引退と言われることを楽しんでいるらしいと伝えられた。以後、書家としての活動に軸足を移し、[[福祉施設]]に書の作品を寄贈するなどの活動を行っている。また、[[城陽市立図書館]]の協力を得て、小中学生向けに「書きたいように書く」ことで感性を伸ばす講座を[[2008年]]より開講した。


[[2006年]]より[[仁愛大学]]非常勤講師として、人間学部コミュニケーション学科のパーソナル・コミュニケーション論を担当している。
[[2017年]]現在は書家としての活動を続けているほか、ユニバーサル・マーケティング・デザイン[[株式会社 (日本)|株式会社]]の[[代表取締役]][[社長]]と関西大学総合情報学部の[[客員教授]]を兼任している<ref>[http://www.boom-sports.com/archives/51630845.html 越前屋俵太さんが関大教授に ブームスポーツ2009年4月1日]</ref>。オフィシャルウェブサイトにおいては俵越山の名前のみが記載されており、長らく越前屋俵太としての活動は事実上休止状態となっていた。オフィシャルウェブサイトに掲載されていた[[2010年]][[7月]]執筆の文章の中では、[[タレント]]活動をしていた頃を「越前屋俵太時代」と記していた<ref>[https://web.archive.org/web/20130702154526/http://www.etsuzan.jp/koten_04_02.html 俵越山個展04「自分書道にお手本なし」](2013年7月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


[[2008年]][[1月]]、『[[嗚呼!越山先生]]』([[関西テレビ☆京都チャンネル]])に書家・俵越山として出演した。この番組は、[[2009年]][[4月30日]]の京都チャンネルの閉局をもって終了したが、『嗚呼!越山先生』の番組アーカイブは[[2009年]][[6月]]から動画配信サイト「関西テレビ おんでま」で有料配信されている。[[2009年]][[10月19日]]、同日19:00から生放送の『[[ふくい浪漫 い〜ざぁええDay]] スペシャル』([[福井テレビ]])にゲスト出演した。その後、その前身番組で彼が長年出演し続けていた『俵太の達者でござる』が同局で再放送された。
[[2008年]][[1月]]、『[[嗚呼!越山先生]]』([[関西テレビ☆京都チャンネル]])に書家・俵越山として出演した。この番組は、[[2009年]][[4月30日]]の京都チャンネルの閉局をもって終了したが、『嗚呼!越山先生』の番組アーカイブは[[2009年]][[6月]]から動画配信サイト「関西テレビ おんでま」で有料配信されている。[[2009年]][[10月19日]]、同日19:00から生放送の『[[ふくい浪漫 い〜ざぁええDay]] スペシャル』([[福井テレビジョン放送|福井テレビ]])にゲスト出演した。その後、その前身番組で彼が長年出演し続けていた『俵太の達者でござる』が同局で再放送された。


[[2016年]][[10月22日]]、[[大阪市]]で開催された「道頓堀リバーフェスティバル」に俵越山として出演し、舞台後の取材では「越前屋俵太」としての活動を復活させる意向もあることを示したという<ref>{{Citenews|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2016/10/22/0009602810.shtml|title=越前屋俵太 タレント復帰に意欲「もう1回」…20年ぶりイベント登場|newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2016-10-22|accessdate=2016-12-21}} {{ja icon}}</ref>。
また、[[2006年]]より[[仁愛大学]]非常勤講師として、人間学部コミュニケーション学科のパーソナル・コミュニケーション論を担当している。

[[2016年]][[10月22日]]、[[大阪市]]で開催された「道頓堀リバーフェスティバル」に俵越山として出演し、舞台後の取材では「越前屋俵太」としての活動を復活させる意向もあることを示したという<ref>{{Citenews|url=http://www.daily.co.jp/gossip/2016/10/22/0009602810.shtml|title=越前屋俵太 タレント復帰に意欲「もう1回」…20年ぶりイベント登場|newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2016-10-22|accessdate=2016-12-21}} {{ja icon}}</ref>。


[[12月4日]]、[[DDTプロレスリング]]の[[高木三四郎]]の強い希望により[[大阪府立体育会館]]第一競技場大会にてオープニングアクトに出演。さらには[[アイアンマンヘビーメタル級王座]]の1207代王者にもなる。
[[12月4日]]、[[DDTプロレスリング]]の[[高木三四郎]]の強い希望により[[大阪府立体育会館]]第一競技場大会にてオープニングアクトに出演。さらには[[アイアンマンヘビーメタル級王座]]の1207代王者にもなる。


2017年1月9日より「[[武田和歌子のぴたっと。]]」の月曜新レギュラーとして出演。初回出演後の取材で、引退ではなく休止であったと述べている<ref>{{Citenews|url=https://thepage.jp/osaka/detail/20170114-00000001-wordleafv|title=芸能活動再開の越前屋俵太「僕は究極の寄り道をしてる」|newspaper=[[THE PAGE]]|date=2017-01-14|accessdate=2017-01-14}} {{ja icon}}</ref>。
2017年1月9日より「[[武田和歌子のぴたっと。]]」の月曜新レギュラーとして出演。初回出演後の取材で、引退ではなく休止であったと述べている<ref>{{Citenews|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/e425651ab61de441d2ceae3c06cfdf2cd3a1631c|title=芸能活動再開の越前屋俵太「僕は究極の寄り道をしてる」|newspaper=[[THE PAGE]]|date=2017-01-14|accessdate=2017-01-14}} {{ja icon}}</ref>。
[[2017年]]は書家としての活動を続けているほか、関西大学総合情報学部の[[客員教授]]を兼任している<ref>[http://www.boom-sports.com/archives/51630845.html 越前屋俵太さんが関大教授に ブームスポーツ2009年4月1日]</ref>。オフィシャルウェブサイトにおいては俵越山の名前のみが記載されており、長らく越前屋俵太としての活動は事実上休止状態となっていた。オフィシャルウェブサイトに掲載されていた[[2010年]][[7月]]執筆の文章の中では、[[タレント]]活動をしていた頃を「越前屋俵太時代」と記していた<ref>[https://web.archive.org/web/20130702154526/http://www.etsuzan.jp/koten_04_02.html 俵越山個展04「自分書道にお手本なし」](2013年7月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


== 出演 ==
== 出演 ==
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* [[TV-JACK]] ([[朝日放送テレビ|朝日放送]])
* [[TV-JACK]] ([[朝日放送テレビ|朝日放送]])
* [[オジャマンないと!]] ([[名古屋テレビ]])
* [[オジャマンないと!]] ([[名古屋テレビ]])
* [[OH!たけし]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<!-- 1985年4月 - 1986年9月 --> - 「俵太の、みーんなおともだち!」のコーナーを担当。
* [[OH!たけし]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<!-- 1985年4月 - 1986年9月 -->「俵太の、みーんなおともだち!」のコーナーを担当。
* [[TV海賊チャンネル]] (日本テレビ)
* [[TV海賊チャンネル]] (日本テレビ)
* [[紳助・ 俵太のここ一番]]([[TBSテレビ|TBS]])
* [[紳助・ 俵太のここ一番]]([[TBSテレビ|TBS]])
* [[やる気マンマン日曜日]]([[MBSテレビ|MBS]])<!-- 1987年10月 - 1989年4月 -->
* [[やる気マンマン日曜日]]([[MBSテレビ|MBS]])<!-- 1987年10月 - 1989年4月 -->
* [[探偵!ナイトスクープ]](朝日放送)<!-- 1988年3月 - 1995年3月 -->
* [[探偵!ナイトスクープ]](朝日放送)<!-- 1988年3月 - 1995年3月 -->
* [[ラジオDEごめん]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]])<!-- 1990年 - 1991年3月 --> - [[月曜日]]を担当。
* [[ラジオDEごめん]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]])<!-- 1990年 - 1991年3月 -->[[月曜日]]を担当。
* [[モーレツ!科学教室]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 実験・[[アニメーション]]構成・[[プロデューサー]]も担当。[[プロデューサー]]は「'''谷雅徳'''」名義、制作総指揮は「'''越前屋俵太'''」名義。
* [[モーレツ!科学教室]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]]):実験・[[アニメーション]]構成・[[プロデューサー]]も担当。[[プロデューサー]]は「'''谷雅徳'''」名義、制作総指揮は「'''越前屋俵太'''」名義。
* [[GLOBAL HEAD LINE]] (関西テレビ)
* [[GLOBAL HEAD LINE]] (関西テレビ)
* [[BeeBee's Family]] (関西テレビ)
* [[BeeBee's Family]] (関西テレビ)
* [[巨泉の使えない英語]](朝日放送)<!-- 1992年10月 - 1993年12月 -->
* [[巨泉の使えない英語]](朝日放送)<!-- 1992年10月 - 1993年12月 -->
* [[キューティクルハニー]]([[サンテレビジョン|サンテレビ]])<!-- [[1993年]][[秋]] -->
* [[キューティクルハニー]]([[サンテレビジョン|サンテレビ]])<!-- [[1993年]][[秋]] -->
* [[スペースJ|情報スペースJ]] (TBS)<!-- 1993年10月 - 1994年9月 --> - 「越前屋経済研究所」のコーナーを担当。
* [[スペースJ|情報スペースJ]] (TBS)<!-- 1993年10月 - 1994年9月 -->「越前屋経済研究所」のコーナーを担当。
* [[俵太の達者でござる]]([[福井テレビジョン放送|福井テレビ]])<!-- 1993年11月 - 2004年1月 -->
* [[俵太の達者でござる]]([[福井テレビジョン放送|福井テレビ]])<!-- 1993年11月 - 2004年1月 -->
* [[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]](TBS)<!-- 1994年10月 - --> - 「越前屋俵太のサッカー向上委員会」のコーナーを担当。
* [[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]](TBS)<!-- 1994年10月 - -->「越前屋俵太のサッカー向上委員会」のコーナーを担当。
* [[知ってドーするの!?]] ([[テレビ東京]])<!-- 1996年4月 - 9月 --> - 「チェイスマン」のコーナーを担当。
* [[知ってドーするの!?]] ([[テレビ東京]])<!-- 1996年4月 - 9月 -->「チェイスマン」のコーナーを担当。
* [[バスDEコロコロ]](関西テレビ)<!-- 1998年10月 - 2000年3月 -->
* [[バスDEコロコロ]](関西テレビ)<!-- 1998年10月 - 2000年3月 -->
* [[神出鬼没!タケシムケン]]([[テレビ朝日]])<!-- 1999年4月 - 2000年3月 --> - 「すこやか日本列島笑顔でこんにちは」のコーナーを担当。
* [[神出鬼没!タケシムケン]]([[テレビ朝日]])<!-- 1999年4月 - 2000年3月 -->「すこやか日本列島笑顔でこんにちは」のコーナーを担当。
* [[昼あがり!どまんなか]](関西テレビ)<!-- 1999年10月 - 2003年3月 --> - 「越前屋俵太のお見事!日本」のコーナーを担当。
* [[昼あがり!どまんなか]](関西テレビ)<!-- 1999年10月 - 2003年3月 -->「越前屋俵太のお見事!日本」のコーナーを担当。
* [[日立 世界・ふしぎ発見!]] (TBS)
* [[日立 世界・ふしぎ発見!]] (TBS)
* [[京都コンチキチン]]([[京都放送|KBS京都テレビ]])
* [[京都コンチキチン]]([[京都放送|KBS京都テレビ]])
* [[香港・ひと月住んで 越前屋俵太返還直前報告]](関西テレビ・[[テレビマンユニオン]]共同制作フジテレビ系) - 返還直前の[[香港]]からの現地レポート特番。
* [[香港・ひと月住んで 越前屋俵太返還直前報告]](関西テレビ・[[テレビマンユニオン]]共同制作フジテレビ系):返還直前の[[香港]]からの現地レポート特番。
* [[京都!ちゃちゃちゃっ]](KBS京都テレビ) - 俵越山として出演し、「俵越山の一書一会」のコーナーを担当。自身の個展も紹介。
* [[京都!ちゃちゃちゃっ]](KBS京都テレビ):俵越山として出演し、「俵越山の一書一会」のコーナーを担当。自身の個展も紹介。
* [[千の感謝]]([[関西テレビ☆京都チャンネル]])
* [[千の感謝]]([[関西テレビ☆京都チャンネル]])
* [[嗚呼!越山先生]](関西テレビ☆京都チャンネル、KBS京都テレビ)
* [[嗚呼!越山先生]](関西テレビ☆京都チャンネル、KBS京都テレビ)
* [[越前屋俵太のGO!GO!タイランド]](朝日放送)
* [[越前屋俵太のGO!GO!タイランド]](朝日放送)
* [[越前屋俵太30周年特別企画 俵越山ニューヨークへ行く!]]<!-- 2014年9月29日 -->(関西テレビ)
* [[越前屋俵太30周年特別企画 俵越山ニューヨークへ行く!]]<!-- 2014年9月29日 -->(関西テレビ)
* [[キャスト (テレビ番組)|キャスト]](朝日放送)<!-- 2020年4月 - 2022年3月 -->:隔週金曜日コメンテーター。「越前屋変人類研究所」のコーナーも担当。


=== ラジオ番組 ===
=== ラジオ番組 ===
* [[グKYOTO]] ([[京都放送|KBSラジオ]])<!-- 1985年10月 - 1987年3月 --> - [[ハイヤングKYOTO (第一期)|第1期]]の金曜を担当。
* [[越前屋俵太のオールナトニッポン]]([[ニッポン放送]])<!-- 1986年10月 - 1987年9月 -->:火2部を担当。
* [[越前屋俵太のオルナイトニッポン]]([[ニッポン放送]])<!-- 1986年10月 - 19879月 --> - 火曜2部を担当。
* [[激突!あごはずしショー]](ニッポン放送)<!-- 1987年10月 - 19883月 -->:司会担当。当時落語家だった[[伊集院光]]が素人として出演した
* [[激突!あごはずしショー]](ニッポン放送)<!-- 1987年10月 - 19883月 --> - 司会担当。当時落語家だった[[伊集院光]]が素人として出演した
* [[ABCラジオパラダイス]]([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]])<!-- 1990年10月 - 19919月 -->:金曜日を部分的に担当。
* [[ABCラジオパラダイス]]([[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]])<!-- 1990年10月 - 1991年9月 --> - 金曜を部分的に担当。
* [[真夜中のトレーニングパンツ]](ABCラジオ)
* [[真夜中のトレーニングパンツ]](ABCラジオ)
* [[武田和歌子のぴたっと。]](ABCラジオ、2017年1月 - ) - 月曜レギュラー <ref>{{cite news|url=http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161221-OHT1T50242.html|title=芸能活動再開の越前屋俵太が2017年1月からラジオ番組レギュラー決定|newspaper=スポーツ報知|date=2016-12-22|accessdate=2016-12-22}} {{ja icon}}</ref>
* [[武田和歌子のぴたっと。]](ABCラジオ、2017年1月 - ):月曜レギュラー
* [[ハイヤングKYOTO]] ([[京都放送|KBSラジオ]])<!-- 1985年10月 - 1987年3月 -->:[[ハイヤングKYOTO (第一期)|第1期]]の金曜日を担当。


=== CM ===
=== CM ===
* [[ケンミン食品]] ケンミン焼きビーフン
* [[ケンミン食品]] ケンミン焼きビーフン
* タバコのポイ捨て禁止([[大阪市]]広報) - 自ら企画・構成を手掛け、[[カンヌ国際広告祭]]公共広告部門で日本人初の金賞を受賞した。
* タバコのポイ捨て禁止([[大阪市]]広報):自ら企画・構成を手掛け、[[カンヌ国際広告祭]]公共広告部門で日本人初の金賞を受賞した。
* [[新進]] -「しんしん」ブランド食品・漬物
* [[新進]]「しんしん」ブランド食品・漬物
* メディカルヘアー
* メディカルヘアー
* 和歌山[[有田みかん]]
* 和歌山[[有田みかん]]
* [[ダイハツ工業]] [[ダイハツ・シャレード|シャレード・ソシアル]]
* [[ダイハツ工業]] [[ダイハツ・シャレード|シャレード・ソシアル]]
* [[盛田]] ハイピース 越前茶
* [[盛田]] ハイピース 越前茶(1996年頃)


=== ビデオ ===
=== ビデオ ===
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.etsuzan.jp/ 俵越山 オフィシャルウェブサイト] {{ja icon}}
* [http://www.etsuzan.jp/ 俵越山 オフィシャルウェブサイト] {{ja icon}}
* {{Twitter|echizenya_hyota}}
* [http://umd-kyoto.jp/ ユニバーサルマーケティングデザイン(本人が代表取締役を務める)] {{ja icon}}
* {{YouTube|c=UC60ieSnqp5puMmNl86lP-Yw|HYOTA TUBE}}
* {{twitter|echizenya_hyota}}
* [https://web.archive.org/web/20010716094827/http://www.b-brain.co.jp/megajob/column/interviews/hyota/index.html megajob インタビュー]


{{探偵!ナイトスクープ}}
{{探偵!ナイトスクープ}}
131行目: 133行目:
{{DEFAULTSORT:えちせんや ひようた}}
{{DEFAULTSORT:えちせんや ひようた}}
[[Category:日本のタレント]]
[[Category:日本のタレント]]
[[Category:日本の実業家]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:書家]]
[[Category:書家]]
[[Category:探偵!ナイトスクープ]]
[[Category:探偵!ナイトスクープ]]
[[Category:仁愛大学の教員]]
[[Category:仁愛大学の教員]]
[[Category:大谷高等学校出身の人物 (京都府)]]
[[Category:関西大学出身の人物]]
[[Category:関西大学出身の人物]]
[[Category:京都市出身の人物]]
[[Category:京都市出身の人物]]

2024年6月30日 (日) 10:17時点における最新版

えちぜんや ひょうた
越前屋 俵太
本名 谷 雅德
(たに まさのり)
別名義 俵 越山
桜島ポーランド
生年月日 (1961-12-29) 1961年12月29日(62歳)
出生地 日本の旗 日本京都府京都市
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1981年 -
活動内容 タレント
書家
配偶者 あり
主な作品
探偵!ナイトスクープ
俵太の達者でござる
受賞
日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門・最優秀賞(1994年
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越前屋 俵太(えちぜんや ひょうた、本名、谷 雅德(たに まさのり)1961年昭和36年〉12月29日[1] - )は、日本のコメディアン書家。血液型はO型。所属事務所はアルファ・ウェイブ。書家としての号は俵 越山(たわら えつざん)[2]

略歴

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京都府京都市生まれ、京都府城陽市育ち。大谷高校卒業。関西大学社会学部社会学科マスコミュニケーション学専攻除籍。関西大学在学中、テレビ番組ラジオ番組の企画会社でアルバイトをしており、テレビ大阪の番組『HIP』などにスタッフとして関わる[1]。その際に自身が番組に出演することになり、落語の「寿限無」に出てくるような長い芸名を考えたが、ディレクターに却下された。次に考えた芸名が、「越前屋俵太」だった。売れようとする気は全くなかったため、あえて画数の多い覚えられにくい名前にした。テレビ番組を企画・プロデュースする時や会社経営者としては、本名を使用している。

1981年、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)のコーナー『お笑い君こそスターだ!』に出演して5週勝ち抜き[1]、これがきっかけで太田プロダクション吉本興業などからスカウトされたがこれらを断り、フリーで活動を開始する[1]。そしてこれをきっかけに全国区デビューを果たした。その後も『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)や『OH!たけし』(日本テレビ)、『日立 世界・ふしぎ発見!』(TBS)などに出演し、近畿地方では『TV-JACK』(企画立案にも携わる[1])や上岡龍太郎局長時代の『探偵!ナイトスクープ』(いずれも朝日放送)に出演した。特にナイトスクープには初代探偵として出演し、視聴率調査、抽象的なテーマについて市井の人々から強烈な個性のある意見を引き出す「調べてください」シリーズなどを担当した。

1993年有限会社「越前屋電視社」を設立し、番組の企画・プロデュースを手掛けるようにもなった。同社企画協力および自身出演のローカル番組『俵太の達者でござる』(福井テレビ)が、1994年日本民間放送連盟賞のテレビ娯楽部門で最優秀賞を受賞した。1999年には監督・北野武からの推薦を得て、映画『THE HEARTMAN』(島田洋七主演)の監督も務めている。

その後もサイコロなすび、あるいは動物の被り物をしながら、独特の世界観を発揮した『バスDEコロコロ』や『BeeBee's Family』(いずれも関西テレビ)、『京都コンチキチン』(KBS京都テレビ)などに出演した。さらに、番組で榊莫山宅を取材した際に彼の作品などに感銘を受けたことから、1996年頃からは俵越山を名乗っての決まりに縛られない自由な書道を始め、職人を訪ねて即興で文字を書くパフォーマンスなどを行う。また、一時期桜島ポーランド(さくらじまポーランド)という名で写真家としても活動をしており、タイへ写真撮影の旅をするという番組企画『越前屋俵太のGO!GO!タイランド』(朝日放送)に参加した。

2003年から芸能活動を休止。2005年春頃に引退を示唆する挨拶状を親しい関係者に送ったと言われ、『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)でパーソナリティ北野誠が「俵太は芸能界を引退した」とコメントし、マスコミ各方面で「俵太引退か?」と報道された。ただし、同番組において7月に「俵太さんとパーティーでばったり会った人の話」として、引退しているつもりはないが、引退と言われることを楽しんでいるらしいと伝えられた。以後、書家としての活動に軸足を移し、福祉施設に書の作品を寄贈するなどの活動を行っている。また、城陽市立図書館の協力を得て、小中学生向けに「書きたいように書く」ことで感性を伸ばす講座を2008年より開講した。

2006年より仁愛大学非常勤講師として、人間学部コミュニケーション学科のパーソナル・コミュニケーション論を担当している。

2008年1月、『嗚呼!越山先生』(関西テレビ☆京都チャンネル)に書家・俵越山として出演した。この番組は、2009年4月30日の京都チャンネルの閉局をもって終了したが、『嗚呼!越山先生』の番組アーカイブは2009年6月から動画配信サイト「関西テレビ おんでま」で有料配信されている。2009年10月19日、同日19:00から生放送の『ふくい浪漫 い〜ざぁええDay スペシャル』(福井テレビ)にゲスト出演した。その後、その前身番組で彼が長年出演し続けていた『俵太の達者でござる』が同局で再放送された。

2016年10月22日大阪市で開催された「道頓堀リバーフェスティバル」に俵越山として出演し、舞台後の取材では「越前屋俵太」としての活動を復活させる意向もあることを示したという[3]

12月4日DDTプロレスリング高木三四郎の強い希望により大阪府立体育会館第一競技場大会にてオープニングアクトに出演。さらにはアイアンマンヘビーメタル級王座の1207代王者にもなる。

2017年1月9日より「武田和歌子のぴたっと。」の月曜新レギュラーとして出演。初回出演後の取材で、引退ではなく休止であったと述べている[4]

2017年は書家としての活動を続けているほか、関西大学総合情報学部の客員教授を兼任している[5]。オフィシャルウェブサイトにおいては俵越山の名前のみが記載されており、長らく越前屋俵太としての活動は事実上休止状態となっていた。オフィシャルウェブサイトに掲載されていた2010年7月執筆の文章の中では、タレント活動をしていた頃を「越前屋俵太時代」と記していた[6]

出演

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テレビ番組

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ラジオ番組

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CM

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ビデオ

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  • 越前屋俵太傑作集
  • モーレツ!科学教室
  • 俵太の生き物バンザイ!
  • 俵太のアニマルファミリースペシャル
  • 俵太の達者でござる
  • 越前屋俵太の海外特派員
  • 俵太の万国ドタバタ特派員

以上、越前屋電視社

  • 満流鮎釣入門 村田満、越前屋俵太のとことん行け!! 1・2・3

脚注

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  1. ^ a b c d e DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、36頁。
  2. ^ 越前屋俵太さんのウィキペディア | 俵越山|越前屋俵太 公式ウェブサイト (日本語)
  3. ^ “越前屋俵太 タレント復帰に意欲「もう1回」…20年ぶりイベント登場”. デイリースポーツ. (2016年10月22日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/10/22/0009602810.shtml 2016年12月21日閲覧。  (日本語)
  4. ^ “芸能活動再開の越前屋俵太「僕は究極の寄り道をしてる」”. THE PAGE. (2017年1月14日). https://news.yahoo.co.jp/articles/e425651ab61de441d2ceae3c06cfdf2cd3a1631c 2017年1月14日閲覧。  (日本語)
  5. ^ 越前屋俵太さんが関大教授に ブームスポーツ2009年4月1日
  6. ^ 俵越山個展04「自分書道にお手本なし」(2013年7月2日時点のアーカイブ

関連項目

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外部リンク

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