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| 配偶者 = 盛田良子(旧姓:亀井)
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| 成果 = [[ソニー]]の設立
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'''盛田 昭夫'''(もりた あきお、[[1921年]][[1月26日]] - [[1999年]][[10月3日]])は、[[愛知県]][[名古屋市]]出身の[[技術者]]、[[実業家]]。位階は[[正三位]]。[[井深大]]と共に、電気機器メーカー[[ソニー]]創業者の一人であり、製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立した<ref>松下喜代子『決定版 知れば知るほど面白い!孫子の兵法』株式会社西東社、2012年、15ページ、ISBN 978-4-7916-1904-7。</ref>。[[大阪帝国大学]]卒業
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[[井深大]]と共に、電気機器メーカー[[ソニー]]創業者の一人であり、製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立した<ref>松下喜代子『決定版 知れば知るほど面白い!孫子の兵法』株式会社西東社、2012年、15ページ、ISBN 978-4-7916-1904-7。</ref>。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[愛知県]][[名古屋市]][[白壁]]<ref name=morita>[http://www.akiomorita.net/profile/life.html 盛田昭夫ライブラリー 盛田家公認オフィシャルサイト]</ref>(盛田家の出自は[[常滑市|常滑]]だが、盛田自身は名古屋出身である<ref name=morita/>)に盛田久左衛門・収子の長男として生まれる。生家は、代々続いた[[盛田|造り酒屋]]で父・久左衛門は盛田家第14代当主。母・収子は、元[[大垣共立銀行]]頭取[[戸田鋭之助]]の娘であり、元[[仙台市|仙台]][[市長]]・[[早川智寛]]の姪、会社再建の神様といわれた[[早川種三]]の[[いとこ]]にあたる。また、[[敷島製パン]]創業家とは親戚、[[三省堂]]創業家・亀井家とも姻戚関係にある。
[[愛知県]][[名古屋市]][[白壁]]<ref name=morita>[http://www.akiomorita.net/profile/life.html 盛田昭夫ライブラリー 盛田家公認オフィシャルサイト]</ref>(盛田家の出自は[[常滑市|常滑]]だが、盛田自身は名古屋出身である<ref name=morita/>)に盛田久左衛門・収子の長男として生まれる。生家は、代々続いた[[盛田|造り酒屋]]で父・久左衛門は盛田家第14代当主。母・収子は、元[[大垣共立銀行]]頭取[[戸田鋭之助]]の娘であり、元[[仙台市|仙台]][[市長]]・[[早川智寛]]の姪、会社再建の神様といわれた[[早川種三]]の[[いとこ]]にあたる。また、[[敷島製パン]]創業家とは親戚、[[三省堂]]創業家・亀井家とも姻戚関係にある。


愛知県第一師範学校附属小学校<ref name=morita/>(現・[[愛知教育大学附属名古屋小学校]])、旧制愛知県第一中学校<ref name=morita/>(現・[[愛知県立旭丘高等学校]])、[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]]<ref name=morita/>(現・[[名古屋大学]])、[[大阪帝国大学理学部]]物理学科卒<ref name=morita/>。
愛知県第一師範学校附属小学校<ref name=morita/>(現・[[愛知教育大学附属名古屋小学校]])、旧制愛知県第一中学校<ref name=morita/>(現・[[愛知県立旭丘高等学校]])、[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]]<ref name=morita/>(現・[[名古屋大学]])、[[大阪大学大学院理学研究科・理学部|大阪帝国大学理学部]]物理学科卒<ref name=morita/>。


[[太平洋戦争]]中、[[大日本帝国海軍|海軍]]技術中尉時代に[[ケ号爆弾]]開発研究会で[[井深大]]と知り合う。
[[太平洋戦争]]中、[[大日本帝国海軍|海軍]]技術中尉時代に[[ケ号爆弾]]開発研究会で[[井深大]]と知り合う。
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終戦後、[[1946年]]([[昭和]]21年)に井深らと[[ソニー]]の前身である東京通信工業株式会社を設立し、常務取締役に就任。
終戦後、[[1946年]]([[昭和]]21年)に井深らと[[ソニー]]の前身である東京通信工業株式会社を設立し、常務取締役に就任。


没後であるが2022年5月30日、名誉県民の称号を贈られる<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/article/20220530-6NGVOUCRSFICRN6GK3HHCT6KYA/|title=トヨタ創業者らに名誉県民 章男氏「意志受け継ぐ」|publisher=産経ニュース|date=2022-05-30|accessdate=2022-05-30}}</ref>。
没後であるが2022年5月30日、愛知県から名誉県民の称号を贈られる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220530-6NGVOUCRSFICRN6GK3HHCT6KYA/|title=トヨタ創業者らに名誉県民 章男氏「意志受け継ぐ」|publisher=産経ニュース|date=2022-05-30|accessdate=2022-05-30}}</ref>。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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*[[1976年]](昭和51年)同代表取締役会長に就任。
*[[1976年]](昭和51年)同代表取締役会長に就任。
*[[1979年]](昭和54年)[[ウォークマン]]発売。
*[[1979年]](昭和54年)[[ウォークマン]]発売。
*[[1986年]](昭和61年)[[経済団体連合会|経団連]]副会長。
*[[1986年]](昭和61年)[[日本経済団体連合会|経団連]]副会長。
*[[1993年]](平成5年)11月、[[テニス]]のプレー中、[[脳内出血]]で倒れる。その後会長職を退き、ハワイで静養した。
*[[1993年]](平成5年)11月、[[テニス]]のプレー中、[[脳内出血]]で倒れる。その後会長職を退き、ハワイで静養した。
*[[1994年]](平成6年)ソニー ファウンダー・名誉会長に就任。
*[[1994年]](平成6年)ソニー ファウンダー・名誉会長に就任。
*[[1999年]](平成11年)[[10月3日]]午前10時25分、[[肺炎]]のため[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[東京都済生会中央病院]]で死去した、{{没年齢|1921|1|26|1999|10|3}}<ref name="ismedia" />。[[戒名]]は盛昭院天涯敬道上座。
*[[1999年]](平成11年)[[10月3日]]午前10時25分、[[肺炎]]のため[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[東京都済生会中央病院]]で死去した、{{没年齢|1921|1|26|1999|10|3}}<ref name="ismedia" />。墓所は港区[[長谷寺 (東京都港区)|長谷寺]]。[[戒名]]は盛昭院天涯敬道上座。


== 受賞・栄誉 ==
== 受賞・栄誉 ==
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* 私人としては「社交性に富み、非常に親しみやすい」と言われる反面、十数代続く造り酒屋の跡取りとして、厳格な一家の家長であったと言われている。ただし、子息に自己の思考を押し付けたり、特定の学校への進学等を指図する事はなかったという。
* 私人としては「社交性に富み、非常に親しみやすい」と言われる反面、十数代続く造り酒屋の跡取りとして、厳格な一家の家長であったと言われている。ただし、子息に自己の思考を押し付けたり、特定の学校への進学等を指図する事はなかったという。
* ソニー創業期の社員の給与は、盛田の実家の酒屋([[盛田]])から出ていたという逸話がある。また常滑市南部の盛田一族及び縁故者もソニーの株を大量に購入して事業を支えた。それほど創業期は資金面において苦しかった模様である。また、銭形平次の原作者である[[野村胡堂]](レコード評論家「野村あらえびす」としても有名)より出資を受けている。
* ソニー創業期の社員の給与は、盛田の実家の酒屋([[盛田]])から出ていたという逸話がある。また常滑市南部の盛田一族及び縁故者もソニーの株を大量に購入して事業を支えた。それほど創業期は資金面において苦しかった模様である。また、銭形平次の原作者である[[野村胡堂]](レコード評論家「野村あらえびす」としても有名)より出資を受けている。
*「日本は[[福祉国家]]ではない。」が持論で、[[大きな政府]]に否定的な立場であったとされる。
*「日本は[[福祉国家論|福祉国家]]ではない。」が持論で、[[大きな政府]]に否定的な立場であったとされる。
* [[1989年]]([[平成]]元年)に作家の[[石原慎太郎]]と『[[「NO」と言える日本|「NO」と言える日本──新日米関係の方策]]』を発表しミリオンセラーとなった。同著では、対米関係の見直しを直言するなど、論客としても知られたが、派手な言動は人により評価が分かれ、共に日米経済人会議の議長に擬された、経団連副会長の佐波正一(東芝)と好対照と視る向きもある。[[建築家]]の[[岡田新一]]とは、次男が岡田の娘と結婚したため、[[姻戚]]関係にあった。
* [[1989年]]([[平成]]元年)に作家の[[石原慎太郎]]と『[[「NO」と言える日本|「NO」と言える日本──新日米関係の方策]]』を発表しミリオンセラーとなった。同著では、[[日米関係|対米関係]]の見直しを直言するなど、論客としても知られたが、派手な言動は人により評価が分かれ、共に日米経済人会議の議長に擬された、経団連副会長の佐波正一(東芝)と好対照と視る向きもある。[[建築家]]の[[岡田新一]]とは、次男が岡田の娘と結婚したため、[[姻戚]]関係にあった。
* 盛田の功績は経済界・産業界のみならず、ユニークな和製英語にも残る。[[ロマンスグレー]]は盛田が考案した造語である。
* 盛田の功績は経済界・産業界のみならず、ユニークな和製英語にも残る。[[ロマンスグレー]]は盛田が考案した造語である。
* 盛田は母校愛知県立旭丘高等学校バスケット部OBOG会の年会費2,000円を晩年まで毎年きっちりと振り込んでいた。
* 盛田は母校愛知県立旭丘高等学校バスケット部OBOG会の年会費2,000円を晩年まで毎年きっちりと振り込んでいた。
* 昭和の元号が採用される前は比較的なじみが薄かった昭の字を先行して用い命名された数少ない有名人の一人である。改元以降はこの字を含む名前が急増したため、昭和生まれと誤解されることもしばしばあった。
* 昭和の元号が採用される前は比較的なじみが薄かった昭の字を先行して用い命名された数少ない有名人の一人である。改元以降はこの字を含む名前が急増したため、昭和生まれと誤解されることもしばしばあった。
* [[1999年]]の[[タイム_(雑誌)|タイム誌]]による「[[タイム100:_今世紀最も重要な人物|今世紀に重要だった100人]]」に選出されている。
* [[1999年]]の[[タイム (雑誌)|タイム誌]]による「[[タイム100:_今世紀最も重要な人物|今世紀に重要だった100人]]」に選出されている。
* [[アマチュア無線]]家であり、JP1DPJという[[コールサイン]]を持っていた。
* [[アマチュア無線]]家であり、JP1DPJという[[コールサイン]]を持っていた。


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* 盛田久左衛門 - 醸造業[[盛田]]元代表。
* 盛田久左衛門 - 醸造業[[盛田]]元代表。
* [[盛田正明]] - 元ソニー副社長。公益財団法人盛田正明テニス・ファンド代表。公益財団法人[[日本テニス協会]]名誉会長。
* [[盛田正明]] - 元ソニー副社長。公益財団法人盛田正明テニス・ファンド代表。公益財団法人[[日本テニス協会]]名誉会長。
* 盛田和昭 - [[盛田]]エンタプライズ株式会社代表取締役会長。盛田元社長。[[敷島製パン]]元会長。[[ココストア]]創業者<ref>{{Citenews|title=盛田和昭氏が死去 ソニー創業者の盛田昭夫氏の弟|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/126477|newspaper=東京新聞TOKYO Web|date=2021-08-24|accessdate=2021-08-21}}</ref>。
* 盛田和昭 - 盛田エンタプライズ株式会社代表取締役会長。盛田元社長。[[敷島製パン]]元会長。[[ココストア]]創業者<ref>{{Citenews|title=盛田和昭氏が死去 ソニー創業者の盛田昭夫氏の弟|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/126477|newspaper=東京新聞TOKYO Web|date=2021-08-24|accessdate=2021-08-21}}</ref>。
* [[盛田英夫]]
* [[盛田英夫]]
* [[盛田昌夫]] - 1954年生。米[[ジョージタウン大学]]卒業後、モルガン銀行を経て1981年にソニーに入社。2015年ソニー・ミュージックエンタテインメイント代表取締役会長退任。
* [[盛田昌夫]] - 1954年生。米[[ジョージタウン大学]]卒業後、モルガン銀行を経て1981年にソニーに入社。2015年ソニー・ミュージックエンタテインメイント代表取締役会長退任。
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== 主な著作書籍 ==
== 主な著作書籍 ==
*{{Cite book|和書|title=学歴無用論|series=朝日文庫|publisher=朝日新聞社|date=1987-05-20|isbn=978-4022604156|id={{NDLJP|11955439}}}} ([[学歴無用論]]も参照)
*『学歴無用論』 (朝日新聞社 ISBN 978-4022604156)
*『新実力主義』 (文藝春秋)
*『新実力主義』 (文藝春秋)
*『MADE IN JAPAN』 (朝日新聞社、[[下村満子]]、E・M・ラインゴールドと共著、ISBN 978-4022605825) - 発行部数45万部
*{{Cite book|和書|title=メイド・イン・ジャパン : わが体験的国際戦略|translator[[下村満子]]|publisher=朝日新聞社|date=1987-01-26|isbn=978-4022605825|id={{NDLJP|12050462}}}}(E・M・ラインゴールドと共著 - 発行部数45万部
*『「NO」と言える日本』 (光文社、[[石原慎太郎]]と共著、ISBN 978-4334051587) - 発行部数125万部
*『「NO」と言える日本』 (光文社、[[石原慎太郎]]と共著、ISBN 978-4334051587) - 発行部数125万部
*『21世紀に向けて』 (読売新聞社、デイヴィッド・ロックフェラーとの共著、ISBN 978-4643921182)
*『21世紀に向けて』 (読売新聞社、デイヴィッド・ロックフェラーとの共著、ISBN 978-4643921182)
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[[Category:ソニーの人物]]
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[[Category:アメリカ哲学協会外国人会員]]
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[[Category:大阪大学出身の人物]]
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[[Category:愛知県立旭丘高等学校出身の人物]]
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[[Category:愛知県の歴史]]
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[[Category:正三位受位者]]
[[Category:正三位受位者]]
[[Category:勲一等瑞宝章受章者]]
[[Category:勲一等瑞宝章受章者]]
[[Category:勲一等旭日大綬章受章者]]
[[Category:勲一等旭日大綬章受章者]]
[[Category:大英帝国勲章受章者]]
[[Category:大英帝国勲章ナイト・コマンダー]]
[[Category:レジオンドヌール勲章コマンドゥール受章者]]
[[Category:レジオンドヌール勲章コマンドゥール受章者]]
[[Category:盛田家|あきお]]
[[Category:盛田家|あきお]]

2024年6月30日 (日) 12:47時点における版

盛田もりた 昭夫あきお
プレジデント社『プレジデント』9月号(1965)より
生誕 (1921-01-26) 1921年1月26日
日本の旗 日本愛知県名古屋市
死没 (1999-10-03) 1999年10月3日(78歳没)
日本の旗 日本東京都港区(東京都済生会中央病院)[1]
国籍 日本の旗 日本
教育 大阪帝国大学理学部物理学科
配偶者 盛田良子(旧姓:亀井)
子供 盛田英夫盛田取締役名誉会長・CEO)
盛田昌夫SMEJ代表取締役会長・SPEJ代表取締役)
岡田直子(イグフィコーポレーション代表取締役社長)
父:盛田久左衛門
母:盛田収子
業績
成果 ソニーの設立
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盛田 昭夫(もりた あきお、1921年大正10年〉1月26日 - 1999年平成11年〉10月3日)は、愛知県名古屋市出身の技術者実業家。位階は正三位

井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人であり、製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立した[2]

生涯

愛知県名古屋市白壁[3](盛田家の出自は常滑だが、盛田自身は名古屋出身である[3])に盛田久左衛門・収子の長男として生まれる。生家は、代々続いた造り酒屋で父・久左衛門は盛田家第14代当主。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘であり、元仙台市長早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三いとこにあたる。また、敷島製パン創業家とは親戚、三省堂創業家・亀井家とも姻戚関係にある。

愛知県第一師範学校附属小学校[3](現・愛知教育大学附属名古屋小学校)、旧制愛知県第一中学校[3](現・愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校[3](現・名古屋大学)、大阪帝国大学理学部物理学科卒[3]

太平洋戦争中、海軍技術中尉時代にケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合う。

終戦後、1946年昭和21年)に井深らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、常務取締役に就任。

没後であるが2022年5月30日、愛知県から名誉県民の称号を贈られる[4]

経歴

受賞・栄誉

人物

  • 井深大と共にソニーを世界企業に育て上げ、井深の技術的発想を実現すると共にソニーの発展を第一として活動、技術者出身ながら営業の第一線にあり、トランジスタラジオ、ウォークマン等を世界に売り込んだ。
  • 当時のソニーが技術開発の資金を調達することは、大変であったと思われる。しかし、盛田はそれをやりぬき、トリニトロンの商品化を実現した。
  • 私人としては「社交性に富み、非常に親しみやすい」と言われる反面、十数代続く造り酒屋の跡取りとして、厳格な一家の家長であったと言われている。ただし、子息に自己の思考を押し付けたり、特定の学校への進学等を指図する事はなかったという。
  • ソニー創業期の社員の給与は、盛田の実家の酒屋(盛田)から出ていたという逸話がある。また常滑市南部の盛田一族及び縁故者もソニーの株を大量に購入して事業を支えた。それほど創業期は資金面において苦しかった模様である。また、銭形平次の原作者である野村胡堂(レコード評論家「野村あらえびす」としても有名)より出資を受けている。
  • 「日本は福祉国家ではない。」が持論で、大きな政府に否定的な立場であったとされる。
  • 1989年平成元年)に作家の石原慎太郎と『「NO」と言える日本──新日米関係の方策』を発表しミリオンセラーとなった。同著では、対米関係の見直しを直言するなど、論客としても知られたが、派手な言動は人により評価が分かれ、共に日米経済人会議の議長に擬された、経団連副会長の佐波正一(東芝)と好対照と視る向きもある。建築家岡田新一とは、次男が岡田の娘と結婚したため、姻戚関係にあった。
  • 盛田の功績は経済界・産業界のみならず、ユニークな和製英語にも残る。ロマンスグレーは盛田が考案した造語である。
  • 盛田は母校愛知県立旭丘高等学校バスケット部OBOG会の年会費2,000円を晩年まで毎年きっちりと振り込んでいた。
  • 昭和の元号が採用される前は比較的なじみが薄かった昭の字を先行して用い命名された数少ない有名人の一人である。改元以降はこの字を含む名前が急増したため、昭和生まれと誤解されることもしばしばあった。
  • 1999年タイム誌による「今世紀に重要だった100人」に選出されている。
  • アマチュア無線家であり、JP1DPJというコールサインを持っていた。
  • 系譜

    盛田氏

    早川智寛
      ┃
      ┣━━━━━早川種三
      ┃
    ┏長子          岩間和夫
    ┃             ┃
    ┗戸田鋭之助━━収子  ┏菊子
            ┃   ┃
            ┃   ┣盛田正明
            ┣━━━┫
            ┃   ┣盛田和昭
            ┃   ┃
        盛田久左衛門  ┗盛田昭夫
                  ┃   ┏盛田英夫
                  ┣━━━┫
                  ┃   ┗盛田昌夫
          亀井豊治━━━━良子
    

    主な著作書籍

    • 『学歴無用論』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1987年5月20日。ISBN 978-4022604156NDLJP:11955439  (学歴無用論も参照)
    • 『新実力主義』 (文藝春秋)
    • 『メイド・イン・ジャパン : わが体験的国際戦略』朝日新聞社、1987年1月26日。ISBN 978-4022605825NDLJP:12050462 (E・M・ラインゴールドと共著) - 発行部数45万部
    • 『「NO」と言える日本』 (光文社、石原慎太郎と共著、ISBN 978-4334051587) - 発行部数125万部
    • 『21世紀に向けて』 (読売新聞社、デイヴィッド・ロックフェラーとの共著、ISBN 978-4643921182
    • 『21世紀へ』 (ワック、論文集、ISBN 978-4898310205
    • 『盛田昭夫語録—世界が舞台の永遠青年』 (ソニーマガジンズ、ソニー・マガジンズビジネスブック編集部編集による語録、ISBN 978-4789711012
    • 『盛田昭夫語録』 (小学館、盛田昭夫研究会編集による語録、ISBN 978-4094162929

    出典

    参考文献

    • 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 116-120頁

    関連項目

    外部リンク

    ビジネス
    先代
    井深大
    3代目:ソニー社長
    1971年 - 1976年
    次代
    岩間和夫
    その他の役職
    先代
    設立
    初代:日本イベント産業振興協会会長
    1989年 - 1995年
    次代
    佐治敬三