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'''岡田 正義'''(おかだ まさよし、[[1958年]][[5月24日]] - )は、[[東京都]][[保谷市]](現[[西東京市]])出身の日本の[[審判員 (サッカー)|サッカー審判員]](元国際主審)。「[[正義 (曖昧さ回避)|正義]]」という名前より、一部サポーターは「'''[[ジャスティス]]'''」と呼ぶ。
'''岡田 正義'''(おかだ まさよし、[[1958年]][[5月24日]] - )は、[[東京都]][[保谷市]](現[[西東京市]])出身の日本の[[審判員 (サッカー)|サッカー審判員]](元国際主審)。「[[正義 (曖昧さ回避)|正義]]」という名前から、一部サポーターはジャスティスと呼ぶ。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[東洋大学]]中の[[1977年]]、4級審判員資格を取得し、選手から審判員へと転向する。
中学校からサッカー部に入部し、[[東京都立久留米高等学校]]では主将。[[東洋大学]]部電気工学科に入学後は工学部体育会蹴球部に所属していたが[[1977年]]、4級審判員資格を取得し、選手から審判員へと転向する。

卒業後は[[日立情報システムズ|日本ビジネスコンサルタント]]に入社するが審判員活動のため国分寺市役所環境部へ転職。


[[1986年]]には1級審判員資格を取得し、日本リーグなどのトップリーグで笛を吹く。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]が開幕した[[1993年]]には国際主審に登録され、[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|フランスワールドカップ]]、[[サッカーイングランド代表|イングランド]]対[[サッカーチュニジア代表|チュニジア]]戦をはじめ、多くの国際試合で主審を務めた。
[[1986年]]には1級審判員資格を取得し、日本リーグなどのトップリーグで笛を吹く。[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]が開幕した[[1993年]]には国際主審に登録され、[[1998年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|フランスワールドカップ]]、[[サッカーイングランド代表|イングランド]]対[[サッカーチュニジア代表|チュニジア]]戦をはじめ、多くの国際試合で主審を務めた。
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また、[[1997年]]・2002年・[[2007年]]には、Jリーグ優秀主審賞を受賞した。
また、[[1997年]]・2002年・[[2007年]]には、Jリーグ優秀主審賞を受賞した。


なお、岡田は[[2008年]]に50歳を迎えたが、JFAが2007年にサッカー審判員の50歳定年制を撤廃したことにより、[[2009年]]もJリーグの主審としてピッチに立つことになり<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20081224114.html 50歳定年廃止 岡田氏が51歳で現役続行へ] スポーツニッポン 2008年12月24日閲覧</ref>、同年[[5月9日]]のJ1第11節・[[大分トリニータ]]-[[横浜F・マリノス]]戦(@[[大分スポーツ公園総合競技場|九州石油ドーム]])で初のJ/J1リーグ戦で主審担当300試合を達成した。
岡田は[[2008年]]に50歳を迎えたが、JFAが2007年にサッカー審判員の50歳定年制を撤廃したことにより、[[2009年]]もJリーグの主審としてピッチに立つことになり<ref>[http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20081224114.html 50歳定年廃止 岡田氏が51歳で現役続行へ] スポーツニッポン 2008年12月24日閲覧</ref>、同年[[5月9日]]のJ1第11節・[[大分トリニータ]]-[[横浜F・マリノス]]戦(@[[大分スポーツ公園総合競技場|九州石油ドーム]])で初のJ/J1リーグ戦で主審担当300試合を達成した。


[[2010年]][[11月18日]]、日本サッカー協会審判委員会に対しシーズン限りでの現役引退を申し入れ<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201011/2010111800372|title=岡田氏が引退へ=W杯で主審、J1でも300試合以上-サッカー|work=時事ドットコム|newspaper=[[時事通信]]|date=2010-11-18|accessdate=2010-12-04|language=日本語}}</ref>。[[12月4日]]、サッカー協会より正式に引退が発表された<ref>{{Cite news
== 問題となった主な試合・判定 ==
|url=https://web.archive.org/web/20101206132648/http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/news/20101203-OYT1T00904.htm|title=日本初のプロ・W杯仏大会出場の岡田主審ら引退|work=YOMIURI ONLINE|newspaper=[[読売新聞]]|date=2010-12-04|accessdate=2010-12-04|language=日本語}}</ref>。
<!--*前述のように、日本を代表する審判員として数々の重要な試合で主審を務めてきた岡田だが、2000年代以降、どちらか一方のチームに有利となるような判定、過剰なカードの乱発(一方のチームに続けざまに警告、退場者を出した後、まるで帳尻合わせのようにもう一方にもカードを乱発することなどが珍しくない)などの、不可解な判定が目に見えて増え始め、サッカーファンなどからはそのジャッジの質を疑われ始めている。また、試合終了後にもカードを出すことがしばしばある。


== 問題となった主な判定 ==
*-->
*[[2001年]][[12月2日]]、J1チャンピオンシップ[[ジュビロ磐田]]-[[鹿島アントラーズ]]戦
* [[2001年]][[12月2日]]、J1チャンピオンシップ[[ジュビロ磐田]]-[[鹿島アントラーズ]]戦
:PKで磐田が1点リードした前半37分、鹿島のフリーキックの際に、ペナルティエリア内で[[福西崇史]]が[[鈴木隆行]]を投げ飛ばした。その際に鈴木の手がボールに当たったため、この試合の主審であった岡田は鈴木に警告を提示。鈴木は2枚目の警告となり退場となった。しかし、鈴木を投げ飛ばした福西はカードどころか、ファウルのペナルティすら与えず、試合終了後に鹿島サポーターと磐田サポーターが小競り合いを起こし、判定に不満を持った両チームのサポーターがグラウンドになだれ込みそうになる事態となった。鈴来のイエロカードは誤審であり、福西に一発レッドを提示するべきではなかったかと、試合後に当時のチェアマンからも批判される異例の事態となった。この誤審の影響で、岡田はこのシーズンはこの試合以降笛を吹くことはなかった。


* [[2005年]][[3月5日]]、J1第1節開幕戦の 横浜F・マリノス-[[ジュビロ磐田]]戦
:PKで磐田が1点リードした前半37分、鹿島のフリーキックの際に、ペナルティエリア内で[[福西崇史]]が[[鈴木隆行]]を投げ飛ばした。その際に鈴木の手がボールに当たったため、この試合の主審であった岡田は鈴木に警告を提示。鈴木は2枚目の警告となり退場となった。
:両チーム無得点の0-0で迎えた後半のロスタイム、磐田は[[名波浩]]のフリーキックを[[福西崇史]]がゴールに押し込むが、ボールは明らかに福西の右手に当たってゴール内に入っており、本来なら得点としては認められないはずのものであった。しかし、この試合の主審であった岡田は副審に確認を取った上で、この得点を有効と判定。横浜Mの執拗な抗議も実らず、結局試合は1-0で磐田が勝利した。3月8日に行われた審判委員会でビデオ検証を行った結果、[[中澤佑二]]との競り合いの中で福西がボールが見えない状況であり意図的なハンドではなかったとの判断でこのゴールは有効と認められた。


*[[2005年]][[3月5日]]、J1第1:横浜F・マリノス-[[ジュビロ磐田]]戦
* [[2008年]][[5月17日]]、J1第13 [[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]-[[ガンバ大阪]]戦
:前半44分のスローインの判定がG大阪ボールとなり(ビデオで確認すると浦和ボールであるが、主審・副審から遠い位置でのプレーであ明確ジャッジしなかった)、これが2点目のプレーへとつながって試合は3-2でG大阪が勝利した。しかし、この試合終了後に両チームの選手が小競り合いを起こし、また両チームのサポーターも物を投げ合うなどの騒動に発展したことも相まり、この試合のレフェリングが話題を呼んだ。
:なお、この試合のレフェリングに対する[[週刊サッカーダイジェスト]]と[[週刊サッカーマガジン]]の採点はそれぞれ「3.5」「4.5」であった(採点は10点満点で、5.5~6.0がおおむね及第点とされる)。


* [[2008年]][[12月6日]]、J1第34節 [[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]-[[川崎フロンターレ]]戦
:両チーム無得点で迎えた後半のロスタイム、磐田は[[名波浩]]のフリーキックを[[福西崇史]]がゴールに押し込むが、ボールは明らかに福西の右手に当たってゴール内に入っており、本来なら得点としては認められないはずのものであった。
:前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした福西崇史が[[寺田周平]]に腕を当てたことで一発退場となり、川崎にPKが与えられた判定(なお、キッカーの[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]はPKを失敗)。これは、ボールを蹴る際に寺田の胸付近を腕で打ったことが乱暴な行為と判断されたものであった。
:福西の退場後、東京Vは60分余りを10人で戦ったが0-2で敗れ、J1復帰から1年でのJ2降格が決定した。また、福西にとってはこの試合プレーが現役最後のプレーとなった。


* [[2009年]][[9月12日]]、J1第25節 [[鹿島アントラーズ]]-川崎フロンターレ戦
:しかし、この試合の主審であった岡田は副審に確認を取った上で、この得点を有効と判定。横浜Mの執拗な抗議も実らず、結局試合は1-0で磐田が勝利した。3月8日に行われた審判委員会でビデオ検証を行った結果、[[中澤佑二]]との競り合いの中で福西がボールが見えない状況であり意図的なハンドではなかったとの判断でこのゴールは有効と認められた。
:後半29分に降雨によるピッチコンディション不良のため試合を途中で打ち切ってそのまま中止とした。この試合は首位鹿島2川崎の直接対決で川崎が3-1と優位に試合を進めていた。Jリグで[[落雷]]以外に天候を理由とする試合中止前例がかったのでなぜ中止にしたのかという疑問が出た(海外では降雪、停電などで延期、サスペンデッドの前例はある)。同年10月7日に3-1の川崎のリードの場面から再開する形で試合をやり直した。
:この件に関して、後に[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]で放送された「レフェリー座談会」という番組で、選手が安全にプレーできるコンディションでなかったことと、海外では豪雨での中止の前例があるため中止にしたと語った。


==決勝担当==
*[[2008年]][[5月17日]]、J1第13節:[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]-[[ガンバ大阪]]戦
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:前半44分のスローインの判定がガンバボールとなり(ビデオで確認すると浦和ボールであるが、主審・副審から遠い位置でのプレーであったが明確ジャッジしなかった)、これが2点目のプレーへとつながって試合は3-2でガンバが勝利した。しかし、この試合終了後に両チームの選手が小競り合いを起こし、また両チームのサポーターも物を投げ合うなどの騒動に発展したことも相まり、この試合のレフェリングが話題を呼んだ。
!開催年月日

!大会
:なお、この試合のレフェリングに対する[[週刊サッカーダイジェスト]]と[[週刊サッカーマガジン]]の採点はそれぞれ「3.5」「4.5」であった(採点は10点満点で、5.5~6.0がね及第点とされる)。
!colspan=2|対戦カード

!結果
*[[2008年]][[12月6日]]、J1第34節[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]-[[川崎フロンターレ]]戦
!会場

!担当
:前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした福西崇史が[[寺田周平]]に腕を当てたことで一発退場となり、川崎にPKが与えられた判定(なお、キッカーの[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]はPKを失敗)。これは、ボールを蹴る際に寺田の胸付近を腕で打ったことが乱暴な行為と判断されたものであったが、ボールを蹴るときの自然な動作と判断するほうが妥当だと思われた。このジャッジに対しては本人も退場になったジャッジは納得していないと言っている。[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00074929.html]元東京ヴェルディの[[小倉隆史]]氏も「ちょっと厳しいジャッジ」とコメントしている
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|1994年1月1日||[[第73回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[鹿島アントラーズ]]||[[横浜フリューゲルス]]||<center>2-6||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
:福西の退場後、ヴェルディは60分余りを10人で戦ったが0-2で敗れ、J1復帰から1年でのJ2降格が決定した。また、福西この試合を最後に現役を引退した。
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|1996年1月1日||[[第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[名古屋グランパス]]||[[サンフレッチェ広島]]||<center>3-0||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
*[[2009年]][[9月12日]]、J1第25節[[鹿島アントラーズ]]-川崎フロンターレ戦
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:後半29分に降雨によるピッチコンディション不良のため試合中止とした。この試合は首位アントラーズフロンターレの直接対決でフロンターレが3-1と優位に試合を進めていた。サッカーは落雷以外に天候試合中止にする前例がかったのでなぜ中止にしたのかという疑問が出た。
|1997年1月1日||[[第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[サンフレッチェ広島]]||[[ヴェルディ川崎]]||<center>0-3||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審

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:(同年10月7日に3-1の川崎のリードの場面から残りを開催)
|1997年12月6日||[[1997年のJリーグ#サントリーチャンピオンシップ|1997Jリーグサントリーチャンピオンシップ]]||[[ジュビロ磐田]]||[[鹿島アントラーズ]]||<center>3-2||[[ジュビロ磐田スタジアム]]||主審
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|1998年1月1日||[[第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[鹿島アントラーズ]]||[[横浜フリューゲルス]]||<center>3-0||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|1998年7月19日||[[1998年のJリーグカップ|1998 Jリーグヤマザキナビスコカップ]]||[[ジュビロ磐田]]||[[ジェフユナイテッド千葉]]||<center>4-0||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|1998年11月21日||[[1998年のJリーグ#サントリーチャンピオンシップ|1998Jリーグサントリーチャンピオンシップ]]||[[ジュビロ磐田]]||[[鹿島アントラーズ]]||<center>1-2||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|1999年1月1日||[[第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[横浜フリューゲルス]]||[[清水エスパルス]]||<center>2-1||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|1999年12月11日||[[1999年のJリーグ#サントリーチャンピオンシップ|1999Jリーグサントリーチャンピオンシップ]]||[[清水エスパルス]]||[[ジュビロ磐田]]||<center>2-1<br>(PK2-4)||[[日本平スタジアム]]||主審
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|2000年1月1日||[[第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[名古屋グランパス]]||[[サンフレッチェ広島]]||<center>2-0||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|2000年12月9日||[[2000年のJリーグ#サントリーチャンピオンシップ|2000Jリーグサントリーチャンピオンシップ]]||[[鹿島アントラーズ]]||[[横浜F・マリノス]]||<center>3-0||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|2001年3月3日||ゼロックススーパーカップ 2001||[[鹿島アントラーズ]]||[[清水エスパルス]]||<center>0-3||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
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|2001年12月2日||[[2001年のJリーグ#サントリーチャンピオンシップ|2001Jリーグサントリーチャンピオンシップ]]||[[ジュビロ磐田]]||[[鹿島アントラーズ]]||<center>2-2||[[静岡県小笠山総合運動公園スタジアム|静岡スタジアムエコパ]]||主審
|-
|2003年1月1日||[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]||[[鹿島アントラーズ]]||[[京都パープルサンガ]]||<center>1-2||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
|-
|2004年3月6日||ゼロックススーパーカップ 2004||[[横浜F・マリノス]]||[[ジュビロ磐田]]||<center>1-1<br>(PK2-4)||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]||主審
|-
|2004年12月5日||[[2004年のJリーグ#サントリーチャンピオンシップ|2004Jリーグサントリーチャンピオンシップ]]||[[横浜F・マリノス]]||[[浦和レッズ]]||<center>1-0||[[横浜国際総合競技場]]||主審
|}


== 著書 ==
== 著書 ==
* 『ジャッジをくだす瞬間 サッカーをコントロールするのはレフェリーだ』([[講談社]]、ISBN 978-4062103626)
* 『ジャッジをくだす瞬間 サッカーをコントロールするのはレフェリーだ』([[講談社]]、ISBN 978-4062103626)

== 脚注 ==
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==関連項目==
==関連項目==
*[[野田鶴声社]] - 愛用するホイッスルのメーカー
*[[野田鶴声社]] - 愛用するホイッスルのメーカー


== 脚註 ==
==外部リンク==
* [http://www.jfa.jp/referee/profile/history/okada_masayoshi.html 世界の舞台に立った日本人審判員|審判紹介|審判|JFA|日本サッカー協会]
<div class="references-small"><references /></div>

{{先代次代|[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]優秀主審賞|1997<br />2002<br />2007|[[ゾラン・ペトロヴィッチ]]<br />[[レスリー・モットラム]]<br/ >[[上川徹]]|[[レスリー・モットラム]]<br />[[上川徹]]<br />[[吉田寿光]]}}

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2024年7月1日 (月) 21:57時点における最新版

岡田 正義(おかだ まさよし、1958年5月24日 - )は、東京都保谷市(現西東京市)出身の日本のサッカー審判員(元国際主審)。「正義」という名前から、一部サポーターは“ジャスティス”と呼ぶ。

来歴[編集]

中学校からサッカー部に入部し、東京都立久留米高等学校では主将。東洋大学工学部電気工学科に入学後は工学部体育会蹴球部に所属していたが1977年、4級審判員資格を取得し、選手から審判員へと転向する。

卒業後は日本ビジネスコンサルタントに入社するが審判員活動のため国分寺市役所環境部へ転職。

1986年には1級審判員資格を取得し、日本リーグなどのトップリーグで笛を吹く。Jリーグが開幕した1993年には国際主審に登録され、1998年フランスワールドカップイングランドチュニジア戦をはじめ、多くの国際試合で主審を務めた。

2002年には、上川徹とともに日本サッカー協会(JFA)認定のスペシャルレフェリー(SR、現プロフェッショナルレフェリー:PR)第1号となった。

また、1997年・2002年・2007年には、Jリーグ優秀主審賞を受賞した。

岡田は2008年に50歳を迎えたが、JFAが2007年にサッカー審判員の50歳定年制を撤廃したことにより、2009年もJリーグの主審としてピッチに立つことになり[1]、同年5月9日のJ1第11節・大分トリニータ-横浜F・マリノス戦(@九州石油ドーム)で初のJ/J1リーグ戦で主審担当300試合を達成した。

2010年11月18日、日本サッカー協会審判委員会に対しシーズン限りでの現役引退を申し入れ[2]12月4日、サッカー協会より正式に引退が発表された[3]

問題となった主な判定[編集]

PKで磐田が1点リードした前半37分、鹿島のフリーキックの際に、ペナルティエリア内で福西崇史鈴木隆行を投げ飛ばした。その際に鈴木の手がボールに当たったため、この試合の主審であった岡田は鈴木に警告を提示。鈴木は2枚目の警告となり退場となった。しかし、鈴木を投げ飛ばした福西はカードどころか、ファウルのペナルティすら与えず、試合終了後に鹿島サポーターと磐田サポーターが小競り合いを起こし、判定に不満を持った両チームのサポーターがグラウンドになだれ込みそうになる事態となった。鈴来のイエロカードは誤審であり、福西に一発レッドを提示するべきではなかったかと、試合後に当時のチェアマンからも批判される異例の事態となった。この誤審の影響で、岡田はこのシーズンはこの試合以降笛を吹くことはなかった。
両チーム無得点の0-0で迎えた後半のロスタイム、磐田は名波浩のフリーキックを福西崇史がゴールに押し込むが、ボールは明らかに福西の右手に当たってゴール内に入っており、本来なら得点としては認められないはずのものであった。しかし、この試合の主審であった岡田は副審に確認を取った上で、この得点を有効と判定。横浜Mの執拗な抗議も実らず、結局試合は1-0で磐田が勝利した。3月8日に行われた審判委員会でビデオ検証を行った結果、中澤佑二との競り合いの中で福西がボールが見えない状況であり意図的なハンドではなかったとの判断でこのゴールは有効と認められた。
前半44分のスローインの判定がG大阪ボールとなり(ビデオで確認すると浦和ボールであるが、主審・副審から遠い位置でのプレーであり明確にジャッジしなかった)、これが2点目のプレーへとつながって試合は3-2でG大阪が勝利した。しかし、この試合終了後に両チームの選手が小競り合いを起こし、また両チームのサポーターも物を投げ合うなどの騒動に発展したことも相まり、この試合のレフェリングが話題を呼んだ。
なお、この試合のレフェリングに対する週刊サッカーダイジェスト週刊サッカーマガジンの採点はそれぞれ「3.5」「4.5」であった(採点は10点満点で、5.5~6.0がおおむね及第点とされる)。
前半26分、川崎側のコーナーキックのこぼれ球をクリアした福西崇史が寺田周平に腕を当てたことで一発退場となり、川崎にPKが与えられた判定(なお、キッカーのジュニーニョはPKを失敗)。これは、ボールを蹴る際に寺田の胸付近を腕で打ったことが乱暴な行為と判断されたものであった。
福西の退場後、東京Vは60分余りを10人で戦ったが0-2で敗れ、J1復帰から1年でのJ2降格が決定した。また、福西にとってはこの試合プレーが現役最後のプレーとなった。
後半29分に降雨によるピッチコンディション不良のため試合を途中で打ち切ってそのまま中止とした。この試合は首位鹿島と2位川崎の直接対決で川崎が3-1と優位に試合を進めていた。Jリーグでは落雷以外に天候を理由とする試合中止の前例がなかったので、なぜ中止にしたのかという疑問が出た(海外では降雪、停電などで延期、サスペンデッドの前例はある)。同年10月7日に3-1の川崎のリードの場面から再開する形で試合をやり直した。
この件に関して、後にスカパー!で放送された「レフェリー座談会」という番組で、選手が安全にプレーできるコンディションでなかったことと、海外では豪雨での中止の前例があるため中止にしたと語った。

決勝担当[編集]

開催年月日 大会 対戦カード 結果 会場 担当
1994年1月1日 第73回天皇杯全日本サッカー選手権大会 鹿島アントラーズ 横浜フリューゲルス
2-6
国立競技場 主審
1996年1月1日 第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会 名古屋グランパス サンフレッチェ広島
3-0
国立競技場 主審
1997年1月1日 第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会 サンフレッチェ広島 ヴェルディ川崎
0-3
国立競技場 主審
1997年12月6日 1997Jリーグサントリーチャンピオンシップ ジュビロ磐田 鹿島アントラーズ
3-2
ジュビロ磐田スタジアム 主審
1998年1月1日 第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会 鹿島アントラーズ 横浜フリューゲルス
3-0
国立競技場 主審
1998年7月19日 1998 Jリーグヤマザキナビスコカップ ジュビロ磐田 ジェフユナイテッド千葉
4-0
国立競技場 主審
1998年11月21日 1998Jリーグサントリーチャンピオンシップ ジュビロ磐田 鹿島アントラーズ
1-2
国立競技場 主審
1999年1月1日 第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会 横浜フリューゲルス 清水エスパルス
2-1
国立競技場 主審
1999年12月11日 1999Jリーグサントリーチャンピオンシップ 清水エスパルス ジュビロ磐田
2-1
(PK2-4)
日本平スタジアム 主審
2000年1月1日 第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会 名古屋グランパス サンフレッチェ広島
2-0
国立競技場 主審
2000年12月9日 2000Jリーグサントリーチャンピオンシップ 鹿島アントラーズ 横浜F・マリノス
3-0
国立競技場 主審
2001年3月3日 ゼロックススーパーカップ 2001 鹿島アントラーズ 清水エスパルス
0-3
国立競技場 主審
2001年12月2日 2001Jリーグサントリーチャンピオンシップ ジュビロ磐田 鹿島アントラーズ
2-2
静岡スタジアムエコパ 主審
2003年1月1日 第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会 鹿島アントラーズ 京都パープルサンガ
1-2
国立競技場 主審
2004年3月6日 ゼロックススーパーカップ 2004 横浜F・マリノス ジュビロ磐田
1-1
(PK2-4)
国立競技場 主審
2004年12月5日 2004Jリーグサントリーチャンピオンシップ 横浜F・マリノス 浦和レッズ
1-0
横浜国際総合競技場 主審

著書[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]