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「アパラチアン (揚陸指揮艦)」の版間の差分

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'''アパラチアン(USS Appalachian, AGC-1)'''は、[[アメリカ海軍]]の[[揚陸指揮艦]]。[[アパラチアン級揚陸指揮艦]]の1番艦であり、[[1942年]][[11月4日]]に[[ニュージャージー州]][[カーニー (ニュージャージー州)|カーニー]]の[[フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック]]社で建造され、翌年[[1月29日]]にジョン・フランク・マクルニス夫人に命名され進水。同年[[2月27日]]に海軍に引き渡され、[[ニューヨーク州]][[ブルックリン区|ブルックリン]]の[[トッド・パシフィック造船所]]で揚陸指揮艦に転換された。[[10月2日]]にジェームズ・M・ファーナンド大佐指揮下で就役した。
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アパラチアンは大戦中の戦功により4つの[[従軍星章]]を受章した。
アパラチアンは大戦中の戦功により4つの[[従軍星章]]を受章した。


==戦後==
===戦後===
[[1945年]][[9月18日]]、アパラチアンは[[日本]]に向け出航、25日に[[青森市]]に到着し占領任務に当たる兵員をおろした。本艦が運んだ兵員は、他にも[[大湊]]、[[函館]]、[[小樽]]、[[横浜]]、[[横須賀]]、[[松山]]、[[広島]]といった都市の占領にも参加した。
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アパラチアンは[[11月12日]]に日本を離れて[[アメリカ西海岸]]へ向かい、[[4月12日]]まで[[サンフランシスコ]]に停泊していた。4月12日に[[クロスロード作戦]]のために創設された第1統合任務部隊に割り当てられ、作戦に参加。5月から7月までは報道陣の本部として機能し、[[8月16日]]にサンフランシスコに戻った。
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[[Category:アパラチアン級揚陸指揮艦]]

2024年7月2日 (火) 15:36時点における最新版

USS Appalachian
基本情報
建造所 フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック
運用者  アメリカ海軍
艦歴
起工 1942年11月4日
進水 1943年1月29日
就役 1943年10月2日
退役 1947年5月21日
最期 スクラップ
要目
全長 459 ft 3 in (139.98 m)
最大幅 63 ft (19 m)
吃水 24 ft (7.3 m)
推進 ゼネラル・エレクトリック社製ギヤード・蒸気タービン ×1
速力 16.4ノット
燃料 NSFO(海軍特殊燃料油)23,499バレル
ディーゼル用燃料 665バレル
航続距離 3000カイリ (5560km)
16ノット時
乗員 士官36名 下士官442名
兵装 連装40mm対空機関砲 ×4
38口径5インチ単装両用砲 ×2
単装20mm対空機関砲 ×18
テンプレートを表示

アパラチアン(USS Appalachian, AGC-1)は、アメリカ海軍揚陸指揮艦アパラチアン級揚陸指揮艦の1番艦でありる。

艦歴

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1942年11月4日ニュージャージー州カーニーフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で建造され、翌年1月29日にジョン・フランク・マクルニス夫人に命名され進水。同年2月27日に海軍に引き渡され、ニューヨーク州ブルックリントッド・パシフィック造船所で揚陸指揮艦に転換された。10月2日にジェームズ・M・ファーナンド大佐指揮下で就役した。

太平洋戦争

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チェサピーク湾での慣熟航海の後、南へ向かってパナマ運河を通過、11月26日カリフォルニア州サン・ディエゴに到着した。第4海兵師団の一部を乗せ、年が明けた1944年1月13日にハワイに向け出航した。

真珠湾に1日だけ寄り、クェゼリン環礁攻略作戦に参戦するため西へ出撃。本艦を含む北方攻撃部隊(Northern Attack Force)の攻撃目標は、ロイ=ナムル島であった。1月31日に攻撃が開始され、翌日、礁湖内に入り第4海兵師団の司令部大隊の設備と兵員を揚陸し始めた。島の確保後、リチャード・L・コノリー(en)海軍少将は将旗を戦艦メリーランドに移し、アパラチアンは翌日エリス諸島に向けて出航。乗組員はフナフティで1週間の休暇を過ごし、休暇後は3月29日にハワイに向け出航するまでソロモン諸島に展開。4月8日に真珠湾に到着してからは補給を受ける。

その後4月下旬にガダルカナルに戻り、6週間をマリアナ諸島侵攻の準備に明け暮れた。6月上旬に最後の作戦集結地たるクェゼリンに向かう。6月10日第3海兵水陸両用部隊の海兵隊員を乗せた船団に加わり、部隊司令官のロイ・ガイガー海兵隊大将が本艦に乗艦した。船団が目標グアムまであと50マイルまで迫ったとき、マリアナ諸島へ進撃する有力な日本艦隊との接触を避けるため、航路を反転するよう命じられた。アメリカ第5艦隊マリアナ沖海戦で日本艦隊を蹴散らし、上陸部隊がサイパン島で戦闘している間は、船団は長方形の航路を待機状態で航行していた。そしてグアム攻撃は延期され、船団は再補給のため6月28日エニウェトク環礁に入港。7月11日に再びグアムに向け出航し、14日に到着。その日の朝には上陸前の露払いとして艦砲射撃に加わり、上陸の最中は火力支援を行った。30日にはアプラ港に錨を下ろし、島の確保までは港内にとどまった。グアムを制圧した8月10日真珠湾に向けて出航した。

8月21日から9月2日にかけて、ヤップ島侵攻に備えてマウイ島沖で演習を実施したが、侵攻作戦は中止された。9月15日にハワイを発ち、追加演習のためアドミラルティ諸島マヌス島に向かう。10月3日ゼーアドラー湾に錨を下ろし、第7艦隊に配属された。14日に侵攻部隊と共にフィリピンのレイテ島に向けて出撃。本艦には第7歩兵師団司令官のA・V・アーノルド少将が乗艦した。10月20日に上陸作戦は開始されたが、米軍は殆ど抵抗らしい抵抗に遭遇しなかった。岸に兵員を揚陸してからは、アパラチアンは食糧や真水の補給のため23日までレイテ島沖に留まった。23日にニューギニアへ出発し、5日後にフンボルト湾に到着。

そして11月20日ニューカレドニアヌーメアへと出航。乗組員はそこで休暇を楽しんだ。12月17日にはソロモン諸島へ向かい、ガダルカナルで行われた侵攻作戦の短期リハーサルに参加したのち、クリスマスの日に再びマヌス島へ移動した。

終戦の年ルソン島侵攻と共に始まった。1月11日リンガエン湾に着き、兵員を揚陸させる。翌日には出発し、南シナ海航行中に日本軍航空機から攻撃を受けたが、巧みに回避して15日にはレイテ湾に無事到着した。

18日にレイテ湾を発ち、ウルシー環礁真珠湾を経由して2月13日サンフランシスコに入港。カリフォルニア州ヴァレーホメア・アイランド海軍造船所に入り、2月14日からオーバーホールが行われた。4月10日再びハワイへ向かい、16日真珠湾に到着。マウイ沖で演習を実施。

5月16日にマリアナ諸島へ向け出発、11日後にサイパンに到着。7月9日まで留まったあと、フィリピンへ出発。13日にマニラに入港し、終戦までフィリピン周辺の多島海で作戦に従事した。

アパラチアンは大戦中の戦功により4つの従軍星章を受章した。

戦後

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1945年9月18日、アパラチアンは日本に向け出航、25日に青森市に到着し占領任務に当たる兵員をおろした。本艦が運んだ兵員は、他にも大湊函館小樽横浜横須賀松山広島といった都市の占領にも参加した。

アパラチアンは11月12日に日本を離れてアメリカ西海岸へ向かい、4月12日までサンフランシスコに停泊していた。4月12日にクロスロード作戦のために創設された第1統合任務部隊に割り当てられ、作戦に参加。5月から7月までは報道陣の本部として機能し、8月16日にサンフランシスコに戻った。

9月16日第5艦隊旗艦となり、10月28日から翌年1月30日まで太平洋艦隊の旗艦を務める。同年5月21日に予備役に編入、処分のために連邦海事局に移管され、1960年にスクラップにされた。1959年3月1日に海軍のリストから名前が削除された。

受勲

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脚注

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外部リンク

[編集]

https://www.navsource.org/archives/10/01/0101.htm