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|最高行政執行者称号 = 市長
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|最高行政執行者名 = ユーニスムシナ(Eunice Mgcina)(職務代理)
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|総面積(平方キロ) = 1645
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|人口の時点 = 2019年
|人口の時点 = 2019年
|人口に関する備考 =
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|総人口 = 5,635,127<ref>[http://www.statssa.gov.za/timeseriesdata/pxweb2006/Dialog/varval.asp?ma=dc_agegroup&ti=Table%3A+Census+2011+by+district+council%2C+gender%2C+age+in+5+year+groups++and+population+group.+&path=../Database/South%20Africa/Population%20Census/Census%202011/District%20council%20%20-%20Persons/&lang=1 Table: Census 2011 by district council, gender, age in 5 year groups and population group] Retrieved on 2013-07-21.{{en icon}}</ref>
|総人口 = 5,635,127<ref name="#1">[http://www.statssa.gov.za/timeseriesdata/pxweb2006/Dialog/varval.asp?ma=dc_agegroup&ti=Table%3A+Census+2011+by+district+council%2C+gender%2C+age+in+5+year+groups++and+population+group.+&path=../Database/South%20Africa/Population%20Census/Census%202011/District%20council%20%20-%20Persons/&lang=1 Table: Census 2011 by district council, gender, age in 5 year groups and population group] Retrieved on 2013-07-21.{{en icon}}</ref>
|人口密度(平方キロ当たり) = 2696<!--有効数字4桁なので、2695.9の5桁目である小数点第1位を四捨五入した。-->
|人口密度(平方キロ当たり) = 2696<!--有効数字4桁なので、2695.9の5桁目である小数点第1位を四捨五入した。-->
|市街地人口 = 8,000,000
|市街地人口 = 8,000,000
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'''ヨハネスブルグ'''('''{{lang|en|Johannesburg}}'''、{{Lang-af|[juˈɦɑnəsbœrx, juɦɑnəsˈbœrx]}}、{{Lang-en|[dʒoʊˈhænɪsbɜrɡ]}}、[[南アフリカ英語]]: {{lang|en|[ʤəˈhænəsbøːg]}}、{{lang-zu|IGoli}})<ref>[[:de:Johannesburg]], [[:en:Johannesburg]] - より適切な出典を求む</ref>は、[[南アフリカ共和国]]北東部に位置する、[[ハウテン州]]の[[州都]]である。片仮名転記では'''ヨハネスブルク'''<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_africa/data.html 南アフリカ基礎データ] 外務省 2020年10月4日閲覧。</ref>、'''ヨハネスバーグ'''<ref>新詳高等社会科地図、帝国書院編集部、1990年、ISBN 978-4807120567</ref>などとも表記される。
'''ヨハネスブルグ'''('''{{lang|en|Johannesburg}}'''、{{IPA-af|juˈɦɑnəsbœrx, juɦɑnəsˈbœrx}}、{{IPA-en|dʒoʊˈhænɪsbɜrɡ}}、<small>[[南アフリカ英語]]発音: </small>{{IPA|ʤəˈhænəsbøːg}}、{{lang-zu|eGoli}}, {{lang-xh|eGoli}})は、[[南アフリカ共和国]]北東部に位置する、[[ハウテン州]]の[[州都]]である。片仮名転記では'''ヨハネスブルク'''<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_africa/data.html 南アフリカ基礎データ] 外務省 2020年10月4日閲覧。</ref>、'''ヨハネスバーグ'''<ref>新詳高等社会科地図、帝国書院編集部、1990年、ISBN 978-4807120567</ref>などとも表記される。


==概要==
==概要==
ヨハネスブルグは周辺地域からの人口流入などによって南アフリカ共和国最大の都市に成長し、人口は[[2019年]]で約563万人を数える<ref>[http://www.statssa.gov.za/timeseriesdata/pxweb2006/Dialog/varval.asp?ma=dc_agegroup&ti=Table%3A+Census+2011+by+district+council%2C+gender%2C+age+in+5+year+groups++and+population+group.+&path=../Database/South%20Africa/Population%20Census/Census%202011/District%20council%20%20-%20Persons/&lang=1 Table: Census 2011 by district council, gender, age in 5 year groups and population group] Retrieved on 2013-07-21.{{en icon}}</ref>。
ヨハネスブルグは周辺地域からの人口流入などによって南アフリカ共和国最大の都市に成長し、人口は[[2019年]]で約563万人を数える<ref name="#1"/>。2019年の近郊を含む[[世界の都市的地域の人口順位|都市圏人口]]は1,050万人を擁する[[メガシティ]]で、同国内では第1位、[[アフリカ]]内でも第4位である<ref>[http://www.demographia.com/db-worldua.pdf Demographia World Urban Areas & Population Projections]</ref>。
2019年の近郊を含む[[世界の都市的地域の人口順位|都市圏人口]]は1050万人を擁する[[メガシティ]]で、同国内では第1位、[[アフリカ]]内でも第4位である<ref>[http://www.demographia.com/db-worldua.pdf Demographia World Urban Areas & Population Projections]</ref>。


アフリカを代表する[[世界都市]]の1つに数えられ、アメリカ合衆国のシンクタンクの1つであるAT Kearneyが2017年に発表した総合的な[[世界都市#研究調査|世界都市ランキング]]において、ヨハネスブルグは世界53位の都市と評価された<ref>[https://www.atkearney.com/documents/10192/12610750/Global+Cities+2017+-+Leaders+in+a+World+of+Disruptive+Innovation.pdf/c00b71dd-18ab-4d6b-8ae6-526e380d6cc4 Global Cities 2017] AT Kearney 2017年公表 2017年8月4日閲覧。</ref>。アフリカの都市では首位である。また、[[2016年]]に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界42位と評価された<ref>[http://mori-m-foundation.or.jp/ius/gpci/index.shtml 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2016] 森記念財団都市戦略研究所 2016年11月2日閲覧。</ref>。[[域内総生産順リスト|都市のGDP]]は1100億ドルで、[[南部アフリカ]]第1位である<ref name="pricewater">{{cite web|url=https://www.ukmediacentre.pwc.com/imagelibrary/downloadMedia.ashx?MediaDetailsID=1562|title=Global city GDP rankings 2008-2025|publisher=Pricewaterhouse Coopers|accessdate=2009-11-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110504031739/https://www.ukmediacentre.pwc.com/imagelibrary/downloadMedia.ashx?MediaDetailsID=1562|archivedate=2011年5月4日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。アフリカ最大の[[証券取引所]]である[[JSE]]の所在地でもあり、アフリカ最高の[[金融センター]]と評価されている<ref>[http://www.sh.xinhuanet.com/shstatics/images2013/IFCD2013_En.pdf Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013)] 2013年9月15日閲覧。</ref>。
アフリカを代表する[[世界都市]]のひとつに数えられ、アメリカ合衆国のシンクタンクのひとつであるAT Kearneyが2017年に発表した総合的な[[世界都市#研究調査|世界都市ランキング]]において、ヨハネスブルグは世界53位の都市と評価された<ref>[https://www.atkearney.com/documents/10192/12610750/Global+Cities+2017+-+Leaders+in+a+World+of+Disruptive+Innovation.pdf/c00b71dd-18ab-4d6b-8ae6-526e380d6cc4 Global Cities 2017] AT Kearney 2017年公表 2017年8月4日閲覧。</ref>。アフリカの都市では首位である。また、[[2016年]]に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界42位と評価された<ref>[http://mori-m-foundation.or.jp/ius/gpci/index.shtml 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2016] 森記念財団都市戦略研究所 2016年11月2日閲覧。</ref>。[[域内総生産順リスト|都市のGDP]]は1,100億ドルで、[[南部アフリカ]]第1位である<ref name="pricewater">{{Cite web|url=https://www.ukmediacentre.pwc.com/imagelibrary/downloadMedia.ashx?MediaDetailsID=1562|title=Global city GDP rankings 2008-2025|publisher=Pricewaterhouse Coopers|accessdate=2009-11-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110504031739/https://www.ukmediacentre.pwc.com/imagelibrary/downloadMedia.ashx?MediaDetailsID=1562|archivedate=2011-05-04|url-status=dead|url-status-date=2017-09}}</ref>。アフリカ最大の[[証券取引所]]である[[JSE]]の所在地でもあり、アフリカ最高の[[金融センター]]と評価されている<ref>[http://www.sh.xinhuanet.com/shstatics/images2013/IFCD2013_En.pdf Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013)] 2013年9月15日閲覧。</ref>。


===名称===
===名称===
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[[File:JohannesburgGP-Aerial.jpg|thumb|200px|ヨハネスブルグの上空画像]]
[[File:JohannesburgGP-Aerial.jpg|thumb|200px|ヨハネスブルグの上空画像]]
===地形===
===地形===
南アフリカ北東部の標高が約1753 mの高地に位置する。周辺地域は、[[ウィットウォーターズランド]]と呼ばれる小さな峰で、北部や西部の郊外は起伏のある丘が見られる。一方で、東部の都心地域は平野である。
南アフリカ北東部の標高が約1,753mの高地に位置する。周辺地域は、[[ウィットウォーターズランド]]と呼ばれる小さな峰で、北部や西部の郊外は起伏のある丘が見られる。一方で、東部の都心地域は平野である。


ヨハネスブルグは年間平均降水量は713 mm程度と比較的乾燥した気候であるにもらず、600万本もの樹木がある世界最大の[[人工林]]を持つ都市と言われている。ほとんどの樹木は都市の北側に鉱業のため19世紀に植えられたものである。この地域はダイヤモンド鉱山などを牛耳るドイツ系移民の企業家Hermann Ecksteinが開発していた。彼はこの辺りを"forest estates Sachsenwald"と呼んでいた。その名前も、" Saxonwold"に変わり現在は郊外の地名になっている。第1次世界大戦中に、白人居住区はこの地域に移り、人工林も保持され、さらに新しい木も植えられた。しかし、その後の人口流入などのために現在は北側の開発が進み、多く樹木が伐採されている。20年から30年のうちに多くの森林が失われることが危惧されている。
ヨハネスブルグは年間平均降水量は713mm程度と比較的乾燥した気候であるにもかかわらず、600万本もの樹木がある世界最大の[[人工林]]を持つ都市と言われている。ほとんどの樹木は都市の北側に鉱業のため19世紀に植えられたものである。この地域はダイヤモンド鉱山などを牛耳るドイツ系移民の企業家Hermann Ecksteinが開発していた。彼はこの辺りを "forest estates Sachsenwald" と呼んでいた。その名前も、" Saxonwold" に変わり現在は郊外の地名になっている。第1次世界大戦中に、白人居住区はこの地域に移り、人工林も保持され、さらに新しい木も植えられた。しかし、その後の人口流入などのために現在は北側の開発が進み、多く樹木が伐採されている。20年から30年のうちに多くの森林が失われることが危惧されている。
===気候===
===気候===
10月から4月の夏の期間は、午後遅い時間に時折激しい雨が降る。年間平均降水量は713 mmでそのほとんどが夏の期間に降る。その雨の勢いは凄まじく、道路が冠水し、衛星放送が見られなくなるなど、市民生活に影響があるほどである。豪雨は、雷や雹をうこともある<ref>{{cite web | publisher = [[地球の歩き方]] | title =雷雨はヨハネス夏の風物詩! 南アフリカ/ヨハネスブルグ特派員ブログ | url =http://tokuhain.arukikata.co.jp/johannesburg/2010/12/post_127.html | date = 2010-12-12 | accessdate = 2013-11-04}}</ref>。なお、ヨハネスブルグは自称ながら「世界一雷の多い街」と呼ばれる<ref>{{cite news |title=「雷の都」の名に恥じぬ落雷を観測 南ア・ヨハネスブルク |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-10-29 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3002266 |accessdate=2013-11-04}}</ref>。
10月から4月の夏の期間は、午後遅い時間に時折激しい雨が降る。年間平均降水量は713mmそのほとんどが夏の期間に降る。その雨の勢いは凄まじく、道路が冠水し、衛星放送が見られなくなるなど、市民生活に影響があるほどである。豪雨は、雷や雹をともなうこともある<ref>{{Cite web|和書| publisher = [[地球の歩き方]] | title =雷雨はヨハネス夏の風物詩! 南アフリカ/ヨハネスブルグ特派員ブログ | url =http://tokuhain.arukikata.co.jp/johannesburg/2010/12/post_127.html | date = 2010-12-12 | accessdate = 2013-11-04}}</ref>。なお、ヨハネスブルグは自称ながら「世界一雷の多い街」と呼ばれる<ref>{{cite news |title=「雷の都」の名に恥じぬ落雷を観測 南ア・ヨハネスブルク |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-10-29 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3002266 |accessdate=2013-11-04}}</ref>。


ヨハネスブルグの気温は通常穏やかである。南緯26付近と低緯度ながら、標高が高いこともあり、夏の1月でも最高気温は26 ℃程度に留まる。また、冬の6月でも最高気温は平均して16 ℃程度である。しかし、冬の間は時々、気温が深夜に下がり、霜の降りる場合もある。なお、雪は滅多に降らず、[[1956年]]5月、[[1981年]]9月、[[2006年]]8月に経験したくらいである。[[2007年]]6月27日も降雪があり、その時は約10 cmの積雪があった。
ヨハネスブルグの気温は通常穏やかである。南緯26付近と低緯度ながら、標高が高いこともあり、夏の1月でも最高気温は26℃程度に留まる。また、冬の6月でも最高気温は平均して16℃程度である。しかし、冬の間は時々、気温が深夜に下がり、霜の降りる場合もある。なお、雪は滅多に降らず、[[1956年]]5月、[[1981年]]9月、[[2006年]]8月に経験したくらいである。[[2007年]]6月27日も降雪があり、その時は約10cmの積雪があった。
その後、[[2012年]]、[[2023年]]にも降雪が観測されている<ref>{{Cite web |url=https://www.cnn.co.jp/fringe/35206451.html |title=ヨハネスブルクで11年ぶりの雪、住民魅了 南ア |publisher=CNN |date=2023-07-12 |accessdate=2023-07-14}}</ref>。


{{Weather box
{{Weather box
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|date=August 2010
|date=August 2010
}}
}}

===地域===
===地域===
====行政区分====
====行政区分====
[[File:Johannesburg 2006 regions with legend.PNG|thumb|180px|ヨハネスブルグの行政区分]]
[[File:Johannesburg 2006 regions with legend.PNG|thumb|180px|ヨハネスブルグの行政区分]]
*A区
*A区
**ディープスロート、ミッドランド、ランセリアなど
**ディープスロート、ミッドランド、ランセリアなど
*B区
*B区
**ノースクリフなど
**ノースクリフなど
*C区
*C区
**ローデポールトなど
**ローデポールトなど
*D区
*D区
**[[ソウェト]]など
**[[ソウェト]]など
*[[E区 (ヨハネスブルグ)|E区]]
*[[E区 (ヨハネスブルグ)|E区]]
**[[サントン]]、アレクサンドラなど
**[[サントン]]、アレクサンドラなど
*[[F区 (ヨハネスブルグ)|F区]]
*[[F区 (ヨハネスブルグ)|F区]]
**インナーシティ([[ヒルブロウ]])など
**インナーシティ([[ヒルブロウ]])など
*G区
*G区
**エンナーデール、オレンジファームなど
**エンナーデール、オレンジファームなど


==歴史==
==歴史==
[[File:Langlaagte.jpg|thumb|200px|left|1886年に最初に金脈が発見された農場]]
[[File:Langlaagte.jpg|thumb|200px|left|1886年に最初に金脈が発見された農場]]
===先史===
===先史===
[[19世紀]]半ばまでは、[[先住民族]]である[[サン人]]の小さな集落の1つにぎなかった。
[[19世紀]]半ばまでは、[[先住民族]]である[[サン人]]の小さな集落のひとつにぎなかった。
===オランダ人の入植===
===オランダ人の入植===
[[1853年]]の[[トランスヴァール共和国]]成立以降も、開拓のためオランダ系移民の[[アフリカーナー|ボーア人]]が定住したとは言え、大きく変わるものではなかった。
[[1853年]]の[[トランスヴァール共和国]]成立以降も、開拓のためオランダ系移民の[[アフリカーナー|ボーア人]]が定住したとは言え、大きく変わるものではなかった。しかし、[[1886年]]に[[ウィットウォーターズランド]](『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の[[金]]鉱脈が発見され、アフリカ各地からの移住者が増加した。一方、かねてより自国の南ア拠点である[[ケープ植民地]]の勢力伸長を狙っていた[[イギリス]]は、この機会をとらえて[[1890年]]に[[セシル・ローズ]]率いる入植民部隊を南ローデシア(現[[ジンバブエ]])に投入し、金鉱の利権を巡ってボーア人側との緊張を高めていった。
しかし、[[1886年]]に[[ウィットウォーターズランド]](『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の[[金]]鉱脈が発見され、アフリカ各地からの移住者が増加した。
一方、かねてより自国の南ア拠点である[[ケープ植民地]]の勢力伸長を狙っていた[[イギリス]]は、この機会を捉えて[[1890年]]に[[セシル・ローズ]]率いる入植民部隊を南ローデシア(現[[ジンバブエ]])に投入し、金鉱の利権を巡ってボーア人側との緊張を高めていった。


この結果として19世紀末から[[20世紀]]初頭にかけて戦われた[[ボーア戦争]]において、イギリスはボーア人に勝利して金鉱をおさえた。
この結果として19世紀末から[[20世紀]]初頭にかけて戦われた[[ボーア戦争]]において、イギリスはボーア人に勝利して金鉱をおさえた。ただ、その後、イギリス人とボーア人は和解し、黒人の権利を踏みにじりつつ鉱山労働などで酷使する[[アパルトヘイト]]政策(1948年〜1994年)を施行していった。
ただ、その後、イギリス人とボーア人は和解し、黒人の権利を踏みにじりつつ鉱山労働などで酷使する[[アパルトヘイト]]政策(1948年〜1994年)を施行していった。
===アパルトヘイト時代===
===アパルトヘイト時代===
アパルトヘイト統治時代、市内は[[アフリカーナー]](ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系や[[カラード (南アフリカ共和国)|カラード]]など有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。
アパルトヘイト統治時代、市内は[[アフリカーナー]](ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系や[[カラード (南アフリカ共和国)|カラード]]など有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。殊に、[[1959年]]のバントゥー自治促進法の公布にあたっては、ヨハネスブルグにおいてもアフリカ人居住地域ソフィアタウンが取り壊され、約6万人の住民が市域南部の[[ソウェト]]に強制移住させられた。白人居住区にはさまざまな優遇政策が実施され、ソウェトの住民の不満は高まっていった。[[1976年]]に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動である[[ソウェト蜂起]]が勃発し、国内外に波紋を投げかけることとなった。この事件をひとつの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、[[1993年|1994年]]にようやく全面廃止されるに至った。
殊に、[[1959年]]のバントゥー自治促進法の公布に当たっては、ヨハネスブルグにおいてもアフリカ人居住地域ソフィアタウンが取り壊され、約6万人の住民が市域南部の[[ソウェト]]に強制移住させられた。
白人居住区には様々な優遇政策が実施され、ソウェトの住民の不満は高まっていった。
[[1976年]]に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動である[[ソウェト蜂起]]が勃発し、国内外に波紋を投げかけることとなった。
この事件を1つの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、[[1993年]]にようやく全面廃止されるに至った。
===アパルトヘイトの廃止後===
===アパルトヘイトの廃止後===
この廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、[[1990年代]]には職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住した。
この廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、[[1990年代]]には職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住した。しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができなかったため、失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化していった。
しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができなかったため、失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化していった。
===21世紀===
===21世紀===
*[[2000年]]に周辺の自治体と合併し、ヨハネスブルグ市都市圏が発足した。
*[[2000年]]に周辺の自治体と合併し、ヨハネスブルグ市都市圏が発足した。
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この国際会議において、「'''持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言'''」が出された。
この国際会議において、「'''持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言'''」が出された。


しかし依然として、金鉱での採掘が難しくなってきたことなどによる経済の悪化や、人口流入や失業者による治安の悪化、さらに、治安の悪化を理由とする富裕層や企業の移転になる経済の悪化といった悪循環が起こってきた。また、犯罪多発とに、[[後天性免疫不全症候群|エイズの蔓延]]の問題も、近代都市・国際都市としてのヨハネスブルグの暗部であり続けている。
しかし依然として、金鉱での採掘が難しくなってきたことなどによる経済の悪化や、人口流入や失業者による治安の悪化、さらに、治安の悪化を理由とする富裕層や企業の移転にともなさらなる経済の悪化といった悪循環が起こってきた。また、犯罪多発とともに、[[後天性免疫不全症候群|エイズの蔓延]]の問題も、近代都市・国際都市としてのヨハネスブルグの暗部であり続けている。


==政治==
==政治==
===行政区域の変遷===
===行政区域の変遷===
アパルトヘイト廃止以前は、ヨハネスブルグ市内には人種居住区別に11の行政区(アフリカーナー行政区7・アフリカ系、カラード行政区4)が設置されていた。
アパルトヘイト廃止以前は、ヨハネスブルグ市内には人種居住区別に11の行政区(アフリカーナー行政区7・アフリカ系、カラード行政区4)が設置されていた。行政区域はきわめて非効率的で、市政府は税支出の90%をアフリカーナー居住区に、アフリカ系やカラード居住区への税支出は10%にすぎなかった。
行政区域は極めて非効率的で、市政府は税支出の90%をアフリカーナー居住区に、アフリカ系やカラード居住区への税支出は10%に過ぎなかった。


[[1995年]]に、アパルトヘイト廃止にい成立した市政府は、税支出の民族別不均衡の是正に取り組むと同時に、民族別居住区の撤廃を実施した。
[[1995年]]に、アパルトヘイト廃止にともない成立した市政府は、税支出の民族別不均衡の是正に取り組むと同時に、民族別居住区の撤廃を実施した。


[[1999年]]に、周辺の自治体と合併することで市域の拡大を行い、'''ヨハネスブルグ市都市圏'''が発足した。
[[1999年]]に、周辺の自治体と合併することで市域の拡大を行い、'''ヨハネスブルグ市都市圏'''が発足した。このとき、市内を民族構成や地域構成を基に約30万人を目安とした新たな11行政区・109地区に再編した<ref>[http://www.joburg-archive.co.za/unicity/regions.pdf Johannesburg's administrative regions - city of johanenesburg] - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト{{en icon}}</ref>
この時に、市内を民族構成や地域構成を基に約300,000人を目安とした新たな11行政区・109地区に再編した<ref>[http://www.joburg-archive.co.za/unicity/regions.pdf Johannesburg's administrative regions - city of johanenesburg] - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト{{en icon}}</ref>。


[[2006年]]2月、市政府は行政サービスの効率化を図るため、市議会の議決を経て7行政区へ再編した<ref>[http://www.joburg.org.za/content/view/170/50/ The seven regions - city of johanenesburg] - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト{{en icon}}</ref>。
[[2006年]]2月、市政府は行政サービスの効率化を図るため、市議会の議決を経て7行政区へ再編した<ref>[http://www.joburg.org.za/content/view/170/50/ The seven regions - city of johanenesburg] - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト{{en icon}}</ref>。
===行政===
===行政===
[[File:South Africa-Johannesburg-Hillbrow001.jpg|thumb|170px|F区の[[ヒルブロウ・タワー]]]]
[[File:South Africa-Johannesburg-Hillbrow001.jpg|thumb|170px|F区の[[ヒルブロウ・タワー]]]]
*市長:タペロ・アーマド(Thapelo Amad、2023年1月27日就任)
====市長====

*市長 - パークス・トー([[アフリカ民族会議]])
===議会===
===議会===
====市議会====
====市議会====
*市議会議長 -
*市議会議長 -
*市議会構成 -
*市議会構成 -
===治安===
==治安==
[[File:Repair_shop_on_pavement,_Hillbrow,_Johannesburg,_South_Africa.jpg|200px|right|thumb|有刺鉄線を張り巡らす商店]]
[[File:Repair_shop_on_pavement,_Hillbrow,_Johannesburg,_South_Africa.jpg|200px|right|thumb|有刺鉄線を張り巡らす商店]]


ヨハネスブルグは、世界の中で甚だしく治安の悪い犯罪多発都市の1つとされる。アパルトヘイト時代は比較的良好だったヨハネスブルグの治安は、見る影もなく悪化した。
ヨハネスブルグは、世界の中で甚だしく治安の悪い犯罪凶悪都市のひとつとされる。アパルトヘイト時代は比較的良好だったヨハネスブルグの治安は、見る影もなく悪化した。


実際に、南アフリカ共和国は都市部での犯罪性向が強い。2011年に発表された犯罪統計によると、主要都市が所在する3州(ヨハネスブルグを含む[[ハウテン州]]、[[西ケープ州]]、クワズル・ナタール州)で、南アフリカ共和国における殺人事件の59.1%、住居侵入強盗事件の73.5%、性的犯罪の56.4%が発生している。に南アフリカ全体での犯罪件数も多く(殺人が年間15,940件(1日たり43.6件)、殺人未遂が15,493件(1日たり42.4件)、武装強盗が101,463件(1日たり277.9件)、強盗54,883件が(1たり150.3件)、強姦を含む性犯罪が66,196件(1日たり181.3件)発生した<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/south_africa.html 外務省 海外安全ホームページ]</ref>。
実際に、南アフリカ共和国は都市部での犯罪性向が強い。2011年に発表された犯罪統計によると、主要都市が所在する3州(ヨハネスブルグを含む[[ハウテン州]]、[[西ケープ州]]、クワズル・ナタール州)で、南アフリカ共和国における殺人事件の59.1%、住居侵入強盗事件の73.5%、性的犯罪の56.4%が発生している。さらに南アフリカ全体での犯罪件数も多く(殺人が年間1万5,940件(1日たり43.6件)、殺人未遂が1万5,493件(1日たり42.4件)、武装強盗が10万1,463件(1日たり277.9件)、強盗が5万4,883件(1たり150.3件)、強姦を含む性犯罪が6万6,196件(1日たり181.3件)発生した<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/south_africa.html 外務省 海外安全ホームページ]</ref>。


なお、これらの数字および被害者の数の多くはギャング同士の抗争や酒場での喧嘩が原因で、観光客がこの被害に遭うことは少ないとする意見もある<ref>{{Cite web| url=http://getnews.jp/archives/65417 | title=『ヨハネスブルグのガイドライン』はどこまで本当? 大使にきいてみた! | publisher=ガジェット通信 | accessdate=2013-03-02}}</ref>。しかし、実際はヨハネスブルグでは昼間であっても、犯罪多発地区への立ち入りは非常に危険であり、日本の外務省などは、そのような地区への立ち入りはしないように勧告している<ref name="mofa_anzen">http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=122#header</ref>。
なお、これらの数字および被害者の数の多くはギャング同士の抗争や酒場での喧嘩が原因で、観光客がこの被害に遭うことは少ないとする意見もある<ref>{{Cite web|和書| url=http://getnews.jp/archives/65417 | title=『ヨハネスブルグのガイドライン』はどこまで本当? 大使にきいてみた! | publisher=ガジェット通信 | accessdate=2013-03-02}}</ref>。しかし、実際はヨハネスブルグでは昼間であっても、犯罪多発地区への立ち入りは非常に危険であり、日本の外務省などは、そのような地区への立ち入りはしないように勧告している<ref name="mofa_anzen">http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=122#header</ref>。


とりわけヨハネスブルグ中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でもワーストクラスとなってしまった。どの店でもショーウィンドには[[鉄格子]]が据えけられ、治安の悪い地区には[[有刺鉄線]]が張りらされた商店もある。
とりわけヨハネスブルグ中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でもワーストクラスとなってしまった。どの店でもショーウィンドには[[鉄格子]]が据えけられ、治安の悪い地区には[[有刺鉄線]]が張りめぐらされた商店もある。


ヨハネスブルグ中心部の[[ヒルブロウ]]にある[[ポンテシティアパート|ポンテタワー]]は、白人が去り[[ギャング]]が制圧した建物で、この周辺の治安が特に悪化している。
治安の悪化によって、富裕層から[[中産階級]]層のオフィスや居住地は北部のサントン地区などの郊外へ移転し始めた。彼らが移住して行った先の地区は中心部にホテルが併設された大型[[ショッピングセンター]]が存在するなど地区内で生活が完結する一種の[[ゲーテッドコミュニティ]]となっている。これらの高級施設や区画は、高圧電線、窓の鉄格子、電子防犯装置、銃火器で武装した警備員、警備犬の巡回によって、治安は比較的良好に保たれている。


治安の悪化によって、富裕層から[[中産階級]]層のオフィスや居住地は北部の[[サントン|サントン地区]]などの郊外へ移転し始めた。彼らが移住して行った先の地区は中心部にホテルが併設された大型[[ショッピングセンター]]が存在するなど地区内で生活が完結する一種の[[ゲーテッドコミュニティ]]となっている。これらの高級施設や区画は、高圧電線、窓の鉄格子、電子防犯装置、銃火器で武装した警備員、警備犬の巡回によって、治安は比較的良好に保たれている。
====背景====
[[File:Street_scene_in_Hillbrow,_Johannesburg,_South_Africa.jpg|200px|right|thumb|ヨハネスブルグの中でも危険度が高いとされる[[ヒルブロウ]]地区。治安悪化にい白人富裕層が逃げ出したこともあり、近代的なビル群が林立するりには車道の交通量が不自然に少ない。]]
ヨハネスブルグにはアパルトヘイト廃止後、職を求めて国内からは元より、国外からも不法入国者を含めて、多くのアフリカ系黒人と[[カラード (南アフリカ共和国)|カラード]]が一挙に流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、[[識字|非識字者]]が多いことはもちろんのこと、四則計算のような[[算数]]の初歩程度の知識すら有さない者も多い。南アフリカ共和国に隣接する国家から流入する者も同様である。こうした初等教育すら受けていない黒人が高層ビルの林立する近代都市で職を得ることは難しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られることとなり、ヨハネスブルグの治安は急速に悪化した。これを嫌った白人富裕層は、ヨハネスブルグから[[サントン]]などの近郊へと移住し、さらに企業も移転していった。こうした悪循環でヨハネスブルグでは益々仕事の機会がくなり、ついには街の一部(ヨハネスブルグ中心部など)は完全な[[ゴーストタウン]]と化した。写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには、逃げ出した白人に代わって、周辺諸国からの不法移民や市街地に流れ込んできた貧困層の黒人が、不法入居者として住みつき、麻薬取引を始めとする犯罪の温床と化した。


===背景===
また、南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、に死因の1位となっている[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。犯罪に手を染めるマフィアの縄張り争いや金銭のトラブル、または酒場でのいなどが主な原因となっている。
[[File:Street_scene_in_Hillbrow,_Johannesburg,_South_Africa.jpg|200px|right|thumb|ヨハネスブルグの中でも危険度が高いとされる[[ヒルブロウ]]地区。治安悪化にともない白人富裕層が逃げ出したこともあり、近代的なビル群が林立するりには車道の交通量が不自然に少ない。]]
====危険情報====
ヨハネスブルグにはアパルトヘイト廃止後、職を求めて国内からは元より、国外からも不法入国者を含めて、多くのアフリカ系黒人と[[カラード (南アフリカ共和国)|カラード]]が一挙に流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、[[識字|非識字者]]が多いことはもちろんのこと、四則計算のような[[算数]]の初歩程度の知識すら有さない者も多い。南アフリカ共和国に隣接する国家から流入する者も同様である。こうした初等教育すら受けていない黒人たちが高層ビルの林立する近代都市で職を得ることは難しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られることとなり、ヨハネスブルグの治安は急速に悪化した。これを嫌った白人富裕層は、ヨハネスブルグから[[サントン]]などの近郊へと移住し、さらに企業も移転していった。こうした悪循環でヨハネスブルグではますます仕事の機会がくなり、ついには街の一部(ヨハネスブルグ中心部など)は完全な[[ゴーストタウン]]と化した。写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには、逃げ出した白人たちに代わって、周辺諸国からの不法移民や市街地に流れ込んできた貧困層の黒人たちが、不法入居者として住みつき、麻薬取引を始めとする犯罪の温床と化した。

また、南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、すでに死因の1位となっている[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。犯罪に手を染めるマフィアの縄張り争いや金銭のトラブル、または酒場でのいさかいなどが主な原因となっている。

===危険情報===
日本の外務省からは、南アフリカ共和国に対しては[[危険情報]]が出されている<ref name="mofa_anzen">http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=122#header</ref>。ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、'''ダウンタウンや[[ヒルブロウ]]地区'''については「'''可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように'''」という勧告も出されている。ヨハネスブルグでは自動車での移動においても、交差点で赤信号のために停車した日本人ドライバーがガラスを割られて助手席の荷物を盗られるという事件や、乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停めて車外に出たドライバーがギャングに殺される事件が発生している。
日本の外務省からは、南アフリカ共和国に対しては[[危険情報]]が出されている<ref name="mofa_anzen">http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=122#header</ref>。ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、'''ダウンタウンや[[ヒルブロウ]]地区'''については「'''可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように'''」という勧告も出されている。ヨハネスブルグでは自動車での移動においても、交差点で赤信号のために停車した日本人ドライバーがガラスを割られて助手席の荷物を盗られるという事件や、乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停めて車外に出たドライバーがギャングに殺される事件が発生している。

====改善への取り組み====
===改善への取り組み===
ヨハネスブルグ警察は治安の悪化を改善すべく防犯カメラを中心部に多数設け、24時間監視を開始した。中心部は改善がられたものの、犯罪グループの活動拠点が中心部から移動し、治安の悪化がカメラの設置されていない郊外部に拡大した<ref>http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100104065.html</ref>。
ヨハネスブルグ警察は治安の悪化を改善すべく防犯カメラを中心部に多数設け、24時間監視を開始した。中心部は改善がられたものの、犯罪グループの活動拠点が中心部から移動し、治安の悪化がカメラの設置されていない郊外部に拡大した<ref>https://web.archive.org/web/20100108132548/http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100104065.html</ref>。


==対外関係==
==対外関係==
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*{{Flagicon|GBR}}[[バーミンガム]] ([[イギリス|イギリス連合王国]] [[イングランド|イングランド国]])
*{{Flagicon|GBR}}[[バーミンガム]] ([[イギリス|イギリス連合王国]] [[イングランド|イングランド国]])
*{{flagicon|FRA}}[[ヴァル=ド=マルヌ県|ヴァル・ド・マルヌ県]]([[フランス共和国]])
*{{flagicon|FRA}}[[ヴァル=ド=マルヌ県|ヴァル・ド・マルヌ県]]([[フランス共和国]])
*{{Flagicon|TWN}}[[台北市]] ([[中華民国|台湾省・中華民国]] [[直轄市 (中華民国)|直轄市]])
*{{Flagicon|TWN}}[[台北市]] ([[中華民国]] [[直轄市 (中華民国)|直轄市]])
*{{Flagicon|PSE}}[[ラマッラー]] ([[パレスチナ国]])
*{{Flagicon|PSE}}[[ラマッラー]] ([[パレスチナ国]])
*{{flagicon|GHA}}[[アクラ]]([[ガーナ共和国]])
*{{flagicon|GHA}}[[アクラ]]([[ガーナ共和国]])
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===第二次産業===
===第二次産業===
====鉱業====
====鉱業====
ヨハネスブルグは金鉱山の開発によって成立した町であり、現在でも市の境界線近くで多くの金鉱山が操業しており、鉱山会社のほとんどもヨハネスブルグに本社を置いている。しかし、1世紀以上にわたって年間生産量第1位を誇ってきた南アフリカの金鉱山は、採掘坑道の長大化、深部化によるコスト増により、生産量は2009年時点でアメリカ合衆国に次ぐ世界第4位へと地位が低下してきている。
ヨハネスブルグは金鉱山の開発によって成立した町で、現在でも市の境界線近くで多くの金鉱山が操業しており、鉱山会社のほとんどもヨハネスブルグに本社を置いている。しかし、1世紀以上にわたって年間生産量第1位を誇ってきた南アフリカの金鉱山は、採掘坑道の長大化、深部化によるコスト増により、生産量は2009年時点でアメリカ合衆国に次ぐ世界第4位へと地位が低下してきている。
====工業====
====工業====
鉄鋼やセメントを中心とした工業も盛んで、長らくヨハネスブルグで重要な地位にあった。
鉄鋼やセメントを中心とした工業も盛んで、長らくヨハネスブルグで重要な地位にあった。
===第三次産業===
===第三次産業===
====金融業====
====金融業====
現在のヨハネスブルグの主幹産業は、商業び金融である。
現在のヨハネスブルグの主幹産業は、商業および金融である。[[JSE]]はアフリカ最大の証券取引所であり、銀行や製造業の企業の多くもヨハネスブルグに本社を置き、外国企業の支店も多く立地している。
[[JSE]]はアフリカ最大の証券取引所であり、銀行や製造業の企業の多くもヨハネスブルグに本社を置き、外国企業の支店も多く立地している。


==情報・通信==
==情報・通信==
===マスメディア===
===マスメディア===
[[南アフリカ共和国]]の'''経済の中心地'''であるため、テレビ局や新聞社、出版社も多い。
[[南アフリカ共和国]]の'''経済の中心地'''であるため、テレビ局や新聞社、出版社も多い。ただし、治安の悪化が暗い影を落としている
ただし、治安の悪化が暗い影を落としている。


==教育==
==教育==
[[File:The Wits University East Campus (archived).jpg|thumb|right|200px|ウィットウォータズランド大学]]
[[File:The Wits University East Campus (archived).jpg|thumb|right|200px|ウィットウォータズランド大学]]
===大学===
===大学===
ヨハネスブルグには公立・私立に質の高い大学がある。2005年1月、ランド・アフリカーンス大学、ウィットウォータズランド工科大学、ビスタ大学の3つが合併し、[[ヨハネスブルグ大学]]が設立された。
ヨハネスブルグには公立・私立ともに質の高い大学がある。2005年1月、ランド・アフリカーンス大学、ウィットウォータズランド工科大学、ビスタ大学の3つが合併し、[[ヨハネスブルグ大学]]が設立された。この大学では英語だけでなくアフリカーンス語でも教育が行われる
この大学では英語だけでなくアフリカーンス語でも教育が行われる。
*[[ヨハネスブルグ大学]]
*[[ヨハネスブルグ大学]]
*[[ウィットウォータズランド大学]]
*[[ウィットウォータズランド大学]]
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==交通==
==交通==
国内最大の[[ヨハネスブルグ国際空港|O・R・タンボ国際空港]]が所在するなど、南アフリカ共和国の空の玄関都市である。
国内最大の[[ヨハネスブルグ国際空港|O・R・タンボ国際空港]]が所在するなど、南アフリカ共和国の空の玄関都市である。[[南アフリカ共和国の鉄道|鉄道]]、[[南アフリカ共和国の高速道路|高速道路]]も各都市を結び、よく整備されている。
[[南アフリカ共和国の鉄道|鉄道]]、[[南アフリカ共和国の高速道路|高速道路]]も各都市を結び、よく整備されている。
===空路===
===空路===
[[File:JohannesburgIntlAirport.jpg|thumb|200px|[[O・R・タンボ国際空港]]]]
[[File:JohannesburgIntlAirport.jpg|thumb|200px|[[O・R・タンボ国際空港]]]]
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一方で、2010年に開通した空港や市内[[E区 (ヨハネスブルグ)|E区]]のサントン地区、プレトリアを結ぶ近郊列車の[[ハウトレイン]]は、治安が比較的良好に保たれており、比較的安全に利用できる。
一方で、2010年に開通した空港や市内[[E区 (ヨハネスブルグ)|E区]]のサントン地区、プレトリアを結ぶ近郊列車の[[ハウトレイン]]は、治安が比較的良好に保たれており、比較的安全に利用できる。


ヨハネスブルグの中央駅である[[:en:Johannesburg Park Station|ヨハネスブルグパーク駅]]はメトロレール、ハウトレインの通勤列車の、長距離列車を運行する[[ショショローザ・メイル]]のターミナルとなっており、[[ケープタウン]]や [[ダーバン]]、[[イーストロンドン]]など国内各地と結ばれている。しかし、観光用の豪華寝台列車である[[ブルートレイン (南アフリカ)|ブルートレイン]]と[[ロボスレイル]]は、治安の問題によりプレトリア駅発着にしており、ヨハネスブルグパーク駅は通過する。
ヨハネスブルグの中央駅である[[:en:Johannesburg Park Station|ヨハネスブルグパーク駅]]はメトロレール、ハウトレインの通勤列車のほか、長距離列車を運行する[[ショショローザ・メイル]]のターミナルとなっており、[[ケープタウン]]や [[ダーバン]]、[[イーストロンドン]]など国内各地と結ばれている。しかし、観光用の豪華寝台列車である[[ブルートレイン (南アフリカ)|ブルートレイン]]と[[ロボスレイル]]は、治安の問題によりプレトリア駅発着にしており、ヨハネスブルグパーク駅は通過する。


; 寝台列車
; 寝台列車
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* [[ハウトレイン]]
* [[ハウトレイン]]
===バス===
===バス===
都市内の路線は[http://www.mbus.co.za/ メトロバス社]によって運行されており、年間約2000万人の旅客を輸送している。また、[[サントン|サントン地区]]に本社を置く[http://www.putco.co.za/ PUTCO社]は都市圏郊外においてもバス路線を展開している。
都市内の路線は[http://www.mbus.co.za/ メトロバス社]によって運行されており、年間約2,000万人の旅客を輸送している。また、[[サントン|サントン地区]]に本社を置く[http://www.putco.co.za/ PUTCO社]は都市圏郊外においてもバス路線を展開している。
<gallery>
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File:Mininus-taxi.JPG|ミニバス
File:Mininus-taxi.JPG|ミニバス
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==文化・名物==
==文化・名物==
===住民===
===住民===
[[File:Johannesburg dominant language map.svg|thumb|right|upright|ヨハネスブルグ大都市圏内各地区の使用言語図(2001)
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===スポーツ===
===スポーツ===
[[FNBスタジアム]]が、[[2010 FIFAワールドカップ|第19回FIFAワールドカップ]]の決勝戦を行うファイナルスタジアムとして決定したものの、命名権を持つファースト・ナショナル・バンクのFIFAスポンサー権利範囲が国内に限定されるため、大会中はスタジアム名を「サッカーシティ・スタジアム」に変更した。
[[FNBスタジアム]]が、[[2010 FIFAワールドカップ|第19回FIFAワールドカップ]]の決勝戦を行うファイナルスタジアムとして決定したものの、命名権を持つファースト・ナショナル・バンクのFIFAスポンサー権利範囲が国内に限定されるため、大会中はスタジアム名を「サッカーシティ・スタジアム」に変更した。[[クリケット]]も人気スポーツの一つであり、[[2003年]]に南アフリカが[[クリケット・ワールドカップ]]を[[ジンバブエ]]や[[ケニア]]と共同開催し、決勝戦はヨハネスブルグの[[ワンダラーズ・スタジアム]]で行われた。


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|サッカー||プレミアサッカーリーグ||[[モロカ・スワローズFC]]||[[ランドスタジアム]]
|サッカー||プレミアサッカーリーグ||[[モロカ・スワローズFC]]||[[ランドスタジアム]]
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|ラグビー||[[カリーカップ]]||[[ゴールデン・ライオンズ]]||コカ・コーラ・パーク
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|競馬||[[サウスアフリカンダービー]]|| ||[[ターフフォンテン競馬場]]
|競馬||[[サウスアフリカンダービー]]|| ||[[ターフフォンテン競馬場]]
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File:Soccer City - panoramio.jpg|[[FNBスタジアム]](サッカー・シティ・スタジアム)
File:South Africa-Johannesburg Stadium001.jpg|ヨハネスブルグスタジアム
File:South Africa-Johannesburg Stadium001.jpg|ヨハネスブルグスタジアム
File:Ellis Park Stadium.jpg|[[エリス・パーク・スタジアム]](コカ・コーラ・パーク)
File:Ellis Park Stadium.jpg|[[エリス・パーク・スタジアム]](コカ・コーラ・パーク)
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== 脚注 ==
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{{Wikivoyage|Johannesburg|ヨハネスブルグ{{en icon}}}}
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; 公式
; 公式
* [http://www.joburg.org.za/ ヨハネスブルグ市公式サイト] {{en icon}}
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; 観光
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* [http://www.joburgtourism.com ヨハネスブルグ観光公式サイト] {{en icon}}
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2024年7月5日 (金) 00:12時点における最新版

ヨハネスブルグ市都市圏
City of Johannesburg Metropolitan Municipality
南アフリカ共和国の旗
時計回りに:ヨハネスブルグの中心業務地区(CBD)、FNBスタジアム、ウィットウォータズランド大学、センテックタワー
時計回りに:ヨハネスブルグの中心業務地区(CBD)、FNBスタジアムウィットウォータズランド大学センテックタワー
ヨハネスブルグ市都市圏の市旗 ヨハネスブルグ市都市圏の市章
都市圏 都市圏
愛称 : joburg(ジョーバーグ)
位置
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)の位置図
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)
位置
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国内)
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグ (南アフリカ共和国)
ヨハネスブルグの位置(ハウテン州内)
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグ (ハウテン州)
ヨハネスブルグの位置(アフリカ内)
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグ
ヨハネスブルグ (アフリカ)
地図
座標 : 南緯26度12分16秒 東経28度02分44秒 / 南緯26.20444度 東経28.04556度 / -26.20444; 28.04556
歴史
建設 1886年
都市圏 2000年
行政
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
  ハウテン州
 都市圏 ヨハネスブルグ市都市圏
市長 タペロ・アーマド
地理
面積  
  都市圏 1645 km2
標高 1753 m
人口
人口 (2019年現在)
  都市圏 5,635,127[1]
    人口密度   2696人/km2
  市街地 8,000,000人
    市街地人口密度   2,400人/km2
  都市圏 10,500,500人
その他
等時帯 南アフリカ標準時 (UTC+2)
市外局番 011
公式ウェブサイト : city of johannesburg

ヨハネスブルグJohannesburgアフリカーンス語発音: [juˈɦɑnəsbœrx, juɦɑnəsˈbœrx]英語発音: [dʒoʊˈhænɪsbɜrɡ]南アフリカ英語発音: [ʤəˈhænəsbøːg]ズールー語: eGoli, コサ語: eGoli)は、南アフリカ共和国北東部に位置する、ハウテン州州都である。片仮名転記ではヨハネスブルク[2]ヨハネスバーグ[3]などとも表記される。

概要

[編集]

ヨハネスブルグは周辺地域からの人口流入などによって南アフリカ共和国最大の都市に成長し、人口は2019年で約563万人を数える[1]。2019年の近郊を含む都市圏人口は1,050万人を擁するメガシティで、同国内では第1位、アフリカ内でも第4位である[4]

アフリカを代表する世界都市のひとつに数えられ、アメリカ合衆国のシンクタンクのひとつであるAT Kearneyが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、ヨハネスブルグは世界53位の都市と評価された[5]。アフリカの都市では首位である。また、2016年に発表された「世界の都市総合力ランキング」では、世界42位と評価された[6]都市のGDPは1,100億ドルで、南部アフリカ第1位である[7]。アフリカ最大の証券取引所であるJSEの所在地でもあり、アフリカ最高の金融センターと評価されている[8]

名称

[編集]

名称の由来は確証が得られないものの、1886年に金鉱が発見された際に測量のため派遣されたヨハネス・マイヤーヨハネス・リシックの名にちなんでいるという説が知られている。なお「Burg」は、アフリカーンス語の古語で「要塞都市」を意味する[9]

英語読みだと「ジョウハニスバーグ」、アフリカーンス語読みだと「ヨハネスブルフ」となる。略称として、Jozi、Joburg、Joni、eGoli、Joeys、Jhbなどが用いられている。

日本の高校生向け地図帳などでは「ヨハネスバーグ」と表記しているものもあるが、これは英語読みとアフリカーンス語読みが混在したもので不適切な表記だと指摘する声もある[10]

地理

[編集]
ヨハネスブルグの上空画像

地形

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南アフリカ北東部の標高が約1,753mの高地に位置する。周辺地域は、ウィットウォーターズランドと呼ばれる小さな峰で、北部や西部の郊外は起伏のある丘が見られる。一方で、東部の都心地域は平野である。

ヨハネスブルグは年間平均降水量は713mm程度と比較的乾燥した気候であるにもかかわらず、600万本もの樹木がある世界最大の人工林を持つ都市と言われている。ほとんどの樹木は都市の北側に鉱業のため19世紀に植えられたものである。この地域はダイヤモンド鉱山などを牛耳るドイツ系移民の企業家Hermann Ecksteinが開発していた。彼はこの辺りを "forest estates Sachsenwald" と呼んでいた。その名前も、" Saxonwold" に変わり現在は郊外の地名になっている。第1次世界大戦中に、白人居住区はこの地域に移り、人工林も保持され、さらに新しい木も植えられた。しかし、その後の人口流入などのために現在は北側の開発が進み、多く樹木が伐採されている。20年から30年のうちに多くの森林が失われることが危惧されている。

気候

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10月から4月の夏の期間は、午後遅い時間に時折激しい雨が降る。年間平均降水量は713mmで、そのほとんどが夏の期間に降る。その雨の勢いは凄まじく、道路が冠水し、衛星放送が見られなくなるなど、市民生活に影響があるほどである。豪雨は、雷や雹をともなうこともある[11]。なお、ヨハネスブルグは自称ながら「世界一雷の多い街」と呼ばれる[12]

ヨハネスブルグの気温は通常穏やかである。南緯26度付近と低緯度ながら、標高が高いこともあり、夏の1月でも最高気温は26℃程度に留まる。また、冬の6月でも最高気温は平均して16℃程度である。しかし、冬の間は時々、気温が深夜に下がり、霜の降りる場合もある。なお、雪は滅多に降らず、1956年5月、1981年9月、2006年8月に経験したくらいである。2007年6月27日も降雪があり、その時は約10cmの積雪があった。 その後、2012年2023年にも降雪が観測されている[13]

ヨハネスブルグの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 35
(95)
34
(93)
32
(90)
29
(84)
26
(79)
23
(73)
24
(75)
26
(79)
31
(88)
32
(90)
33
(91)
32
(90)
35
(95)
平均最高気温 °C°F 25.6
(78.1)
25.1
(77.2)
24.0
(75.2)
21.1
(70)
18.9
(66)
16.0
(60.8)
16.7
(62.1)
19.4
(66.9)
22.8
(73)
23.8
(74.8)
24.2
(75.6)
25.2
(77.4)
21.9
(71.4)
平均最低気温 °C°F 14.7
(58.5)
14.1
(57.4)
13.1
(55.6)
10.3
(50.5)
7.2
(45)
4.1
(39.4)
4.1
(39.4)
6.2
(43.2)
9.3
(48.7)
11.2
(52.2)
12.7
(54.9)
13.9
(57)
10.1
(50.2)
最低気温記録 °C°F 7
(45)
6
(43)
2
(36)
1
(34)
−3
(27)
−8
(18)
−5
(23)
−5
(23)
−3
(27)
0
(32)
2
(36)
4
(39)
−8
(18)
降水量 mm (inch) 125
(4.92)
90
(3.54)
91
(3.58)
54
(2.13)
13
(0.51)
9
(0.35)
4
(0.16)
6
(0.24)
27
(1.06)
72
(2.83)
117
(4.61)
105
(4.13)
713
(28.07)
平均降水日数 15.9 11.2 11.9 8.6 2.9 2 1 2.1 3.8 9.8 15.2 14.9 99.3
平均月間日照時間 251.1 224 238.7 237 275.9 267 285.2 285.2 282 269.7 249 263.5 3,128.3
出典1:Hong Kong Observatory[14]
出典2:South African Weather Service[15]

地域

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行政区分

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ヨハネスブルグの行政区分
  • A区
    • ディープスロート、ミッドランド、ランセリアなど
  • B区
    • ノースクリフなど
  • C区
    • ローデポールトなど
  • D区
  • E区
  • F区
  • G区
    • エンナーデール、オレンジファームなど

歴史

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1886年に最初に金脈が発見された農場

先史

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19世紀半ばまでは、先住民族であるサン人の小さな集落のひとつにすぎなかった。

オランダ人の入植

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1853年トランスヴァール共和国成立以降も、開拓のためオランダ系移民のボーア人が定住したとは言え、大きく変わるものではなかった。しかし、1886年ウィットウォーターズランド(『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の鉱脈が発見され、アフリカ各地からの移住者が増加した。一方、かねてより自国の南ア拠点であるケープ植民地の勢力伸長を狙っていたイギリスは、この機会をとらえて1890年セシル・ローズ率いる入植民部隊を南ローデシア(現ジンバブエ)に投入し、金鉱の利権を巡ってボーア人側との緊張を高めていった。

この結果として19世紀末から20世紀初頭にかけて戦われたボーア戦争において、イギリスはボーア人に勝利して金鉱をおさえた。ただ、その後、イギリス人とボーア人は和解し、黒人の権利を踏みにじりつつ鉱山労働などで酷使するアパルトヘイト政策(1948年〜1994年)を施行していった。

アパルトヘイト時代

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アパルトヘイト統治時代、市内はアフリカーナー(ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系やカラードなど有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。殊に、1959年のバントゥー自治促進法の公布にあたっては、ヨハネスブルグにおいてもアフリカ人居住地域ソフィアタウンが取り壊され、約6万人の住民が市域南部のソウェトに強制移住させられた。白人居住区にはさまざまな優遇政策が実施され、ソウェトの住民の不満は高まっていった。1976年に至り、学生を中心としたアフリカ系住民による大規模な暴動であるソウェト蜂起が勃発し、国内外に波紋を投げかけることとなった。この事件をひとつの契機としてアパルトヘイト政策は曲がり角を迎え、1994年にようやく全面廃止されるに至った。

アパルトヘイトの廃止後

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この廃止を受けて旧白人・黒人居住区間の移動制限が撤廃されたため、1990年代には職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住した。しかし現実には彼らのほとんどは職を得ることができなかったため、失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化していった。

21世紀

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この国際会議において、「持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言」が出された。

しかし依然として、金鉱での採掘が難しくなってきたことなどによる経済の悪化や、人口流入や失業者による治安の悪化、さらに、治安の悪化を理由とする富裕層や企業の移転にともなうさらなる経済の悪化といった悪循環が起こってきた。また、犯罪多発とともに、エイズの蔓延の問題も、近代都市・国際都市としてのヨハネスブルグの暗部であり続けている。

政治

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行政区域の変遷

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アパルトヘイト廃止以前は、ヨハネスブルグ市内には人種居住区別に11の行政区(アフリカーナー行政区7・アフリカ系、カラード行政区4)が設置されていた。行政区域はきわめて非効率的で、市政府は税支出の90%をアフリカーナー居住区に、アフリカ系やカラード居住区への税支出は10%にすぎなかった。

1995年に、アパルトヘイト廃止にともない成立した市政府は、税支出の民族別不均衡の是正に取り組むと同時に、民族別居住区の撤廃を実施した。

1999年に、周辺の自治体と合併することで市域の拡大を行い、ヨハネスブルグ市都市圏が発足した。このとき、市内を民族構成や地域構成を基に約30万人を目安とした新たな11行政区・109地区に再編した[16]

2006年2月、市政府は行政サービスの効率化を図るため、市議会の議決を経て7行政区へ再編した[17]

行政

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F区のヒルブロウ・タワー
  • 市長:タペロ・アーマド(Thapelo Amad、2023年1月27日就任)

議会

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市議会

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  • 市議会議長 -
  • 市議会構成 -

治安

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有刺鉄線を張り巡らす商店

ヨハネスブルグは、世界の中で甚だしく治安の悪い犯罪凶悪都市のひとつとされる。アパルトヘイト時代は比較的良好だったヨハネスブルグの治安は、見る影もなく悪化した。

実際に、南アフリカ共和国は都市部での犯罪性向が強い。2011年に発表された犯罪統計によると、主要都市が所在する3州(ヨハネスブルグを含むハウテン州西ケープ州、クワズル・ナタール州)で、南アフリカ共和国における殺人事件の59.1%、住居侵入強盗事件の73.5%、性的犯罪の56.4%が発生している。さらに南アフリカ全体での犯罪件数も多く(殺人が年間1万5,940件(1日あたり43.6件)、殺人未遂が1万5,493件(1日あたり42.4件)、武装強盗が10万1,463件(1日あたり277.9件)、強盗が5万4,883件(1日あたり150.3件)、強姦を含む性犯罪が6万6,196件(1日あたり181.3件)発生した[18]

なお、これらの数字および被害者の数の多くはギャング同士の抗争や酒場での喧嘩が原因で、観光客がこの被害に遭うことは少ないとする意見もある[19]。しかし、実際はヨハネスブルグでは昼間であっても、犯罪多発地区への立ち入りは非常に危険であり、日本の外務省などは、そのような地区への立ち入りはしないように勧告している[20]

とりわけヨハネスブルグ中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でもワーストクラスとなってしまった。どの店でもショーウィンドウには鉄格子が据えつけられ、治安の悪い地区には有刺鉄線が張りめぐらされた商店もある。

ヨハネスブルグ中心部のヒルブロウにあるポンテタワーは、白人が去りギャングが制圧した建物で、この周辺の治安が特に悪化している。

治安の悪化によって、富裕層から中産階級層のオフィスや居住地は北部のサントン地区などの郊外へ移転し始めた。彼らが移住して行った先の地区は中心部にホテルが併設された大型ショッピングセンターが存在するなど、地区内で生活が完結する一種のゲーテッドコミュニティとなっている。これらの高級施設や区画は、高圧電線、窓の鉄格子、電子防犯装置、銃火器で武装した警備員、警備犬の巡回によって、治安は比較的良好に保たれている。

背景

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ヨハネスブルグの中でも危険度が高いとされるヒルブロウ地区。治安悪化にともない白人富裕層が逃げ出したこともあり、近代的なビル群が林立するわりには車道の交通量が不自然に少ない。

ヨハネスブルグにはアパルトヘイト廃止後、職を求めて国内からは元より、国外からも不法入国者を含めて、多くのアフリカ系黒人とカラードが一挙に流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、非識字者が多いことはもちろんのこと、四則計算のような算数の初歩程度の知識すら有さない者も多い。南アフリカ共和国に隣接する国家から流入する者も同様である。こうした初等教育すら受けていない黒人たちが高層ビルの林立する近代都市で職を得ることは難しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られることとなり、ヨハネスブルグの治安は急速に悪化した。これを嫌った白人富裕層は、ヨハネスブルグからサントンなどの近郊へと移住し、さらに企業も移転していった。こうした悪循環でヨハネスブルグではますます仕事の機会がなくなり、ついには街の一部(ヨハネスブルグ中心部など)は完全なゴーストタウンと化した。写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには、逃げ出した白人たちに代わって、周辺諸国からの不法移民や市街地に流れ込んできた貧困層の黒人たちが、不法入居者として住みつき、麻薬取引を始めとする犯罪の温床と化した。

また、南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、すでに死因の1位となっているエイズ蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。犯罪に手を染めるマフィアの縄張り争いや金銭のトラブル、または酒場でのいさかいなどが主な原因となっている。

危険情報

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日本の外務省からは、南アフリカ共和国に対しては危険情報が出されている[20]。ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、ダウンタウンやヒルブロウ地区については「可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように」という勧告も出されている。ヨハネスブルグでは自動車での移動においても、交差点で赤信号のために停車した日本人ドライバーがガラスを割られて助手席の荷物を盗られるという事件や、乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停めて車外に出たドライバーがギャングに殺される事件が発生している。

改善への取り組み

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ヨハネスブルグ警察は治安の悪化を改善すべく防犯カメラを中心部に多数設け、24時間監視を開始した。中心部は改善がみられたものの、犯罪グループの活動拠点が中心部から移動し、治安の悪化がカメラの設置されていない郊外部に拡大した[21]

対外関係

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姉妹都市・提携都市

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国内

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国外

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姉妹都市

経済

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第二次産業

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鉱業

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ヨハネスブルグは金鉱山の開発によって成立した町で、現在でも市の境界線近くで多くの金鉱山が操業しており、鉱山会社のほとんどもヨハネスブルグに本社を置いている。しかし、1世紀以上にわたって年間生産量第1位を誇ってきた南アフリカの金鉱山は、採掘坑道の長大化、深部化によるコスト増により、生産量は2009年時点でアメリカ合衆国に次ぐ世界第4位へと地位が低下してきている。

工業

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鉄鋼やセメントを中心とした工業も盛んで、長らくヨハネスブルグで重要な地位にあった。

第三次産業

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金融業

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現在のヨハネスブルグの主幹産業は、商業および金融である。JSEはアフリカ最大の証券取引所であり、銀行や製造業の企業の多くもヨハネスブルグに本社を置き、外国企業の支店も多く立地している。

情報・通信

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マスメディア

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南アフリカ共和国経済の中心地であるため、テレビ局や新聞社、出版社も多い。ただし、治安の悪化が暗い影を落としている。

教育

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ウィットウォータズランド大学

大学

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ヨハネスブルグには公立・私立ともに質の高い大学がある。2005年1月、ランド・アフリカーンス大学、ウィットウォータズランド工科大学、ビスタ大学の3つが合併し、ヨハネスブルグ大学が設立された。この大学では英語だけでなくアフリカーンス語でも教育が行われる。

日本人学校

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市内には日本人学校であるヨハネスブルグ日本人学校がある。

交通

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国内最大のO・R・タンボ国際空港が所在するなど、南アフリカ共和国の空の玄関都市である。鉄道高速道路も各都市を結び、よく整備されている。

空路

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O・R・タンボ国際空港

空港

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国内最大のO・R・タンボ国際空港のほか、国内線専用のランセリア空港、小規模空港であるランド空港グランドセントラル空港がある。

鉄道

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ヨハネスブルグパーク駅
メトロレール路線図
(ヨハネスブルグ都市圏)

国鉄

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南アフリカ旅客鉄道公社

ヨハネスブルグ付近には網の目のようにメトロレールと呼ばれる、アフリカの都市の中では屈指の近郊列車網が敷かれている。しかし、これらには治安の問題がある。

一方で、2010年に開通した空港や市内E区のサントン地区、プレトリアを結ぶ近郊列車のハウトレインは、治安が比較的良好に保たれており、比較的安全に利用できる。

ヨハネスブルグの中央駅であるヨハネスブルグパーク駅はメトロレール、ハウトレインの通勤列車のほか、長距離列車を運行するショショローザ・メイルのターミナルとなっており、ケープタウンダーバンイーストロンドンなど国内各地と結ばれている。しかし、観光用の豪華寝台列車であるブルートレインロボスレイルは、治安の問題によりプレトリア駅発着にしており、ヨハネスブルグパーク駅は通過する。

寝台列車
通勤列車

バス

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都市内の路線はメトロバス社によって運行されており、年間約2,000万人の旅客を輸送している。また、サントン地区に本社を置くPUTCO社は都市圏郊外においてもバス路線を展開している。

道路

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高速道路

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観光

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テーマパーク
動物園
博物館
美術館
商業施設

文化・名物

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住民

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ヨハネスブルグ大都市圏内各地区の使用言語図(2001年)
  英語
  優勢言語なし

民族

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2011年の国勢調査によると、ヨハネスブルグ大都市圏の人口の76.4%が黒人、12.3%が白人、5.6%がカラード、4.9%がインド・アジア系である。

旧ヨハネスブルグ市内(人口100万人)では2001年時点での人種構成は、黒人48.7%、白人22.9%、カラード17.1%、インド・アジア系11.2%であり、白人が比較的多い。また、治安が悪化したダウンタウン地区に代わって、業務拠点地区となった富裕層が多く住むサントン地区では白人が60.6%を占める。一方、治安の悪いソウェト地区では黒人が99.3%を占める。

言語

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2001年の国勢調査によると、言語についてはヨハネスブルグ大都市圏の全人口の32%がングニ諸語南ンデベレ語ズールー語コサ語など)、24%がソト・ツワナ諸語英語版ソト語北ソト語ツワナ語など)、18%が英語、7%がアフリカーンス語、6%がヴェンダ語などのヴェンダ諸語を家庭で話しているなど、非常に多言語な都市である。

旧ヨハネスブルグ市内(人口100万人)では、英語が37.12%、ズールー語が17.31%、アフリカーンス語16.02%と、市中心部周辺ほど英語が主流である。特に、中心部の治安悪化を理由に移転してきた者が多く住むサントン地区での言語は、英語が65.1%と半数以上を占めている。一方で、治安の悪いソウェト地区での言語は、ズールー語が40.9%、ソト語18.3%、ツワナ語12.4%、コサ語10.3%である。

宗教

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スポーツ

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FNBスタジアムが、第19回FIFAワールドカップの決勝戦を行うファイナルスタジアムとして決定したものの、命名権を持つファースト・ナショナル・バンクのFIFAスポンサー権利範囲が国内に限定されるため、大会中はスタジアム名を「サッカーシティ・スタジアム」に変更した。クリケットも人気スポーツの一つであり、2003年に南アフリカがクリケット・ワールドカップジンバブエケニアと共同開催し、決勝戦はヨハネスブルグのワンダラーズ・スタジアムで行われた。

スポーツ リーグ クラブ 競技場
サッカー プレミアサッカーリーグ オーランド・パイレーツFC FNBスタジアム
サッカー プレミアサッカーリーグ カイザー・チーフスFC ヨハネスブルグスタジアム
サッカー プレミアサッカーリーグ モロカ・スワローズFC ランドスタジアム
ラグビー ユナイテッドラグビーチャンピオンシップ ライオンズ コカ・コーラ・パーク
ラグビー カリーカップ ゴールデン・ライオンズ コカ・コーラ・パーク
クリケット CSA・T20・チャレンジ英語版 インペリアル・ライオンズ英語版 ワンダラーズ・スタジアム
競馬 サウスアフリカンダービー ターフフォンテン競馬場

出典

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  1. ^ a b Table: Census 2011 by district council, gender, age in 5 year groups and population group Retrieved on 2013-07-21.(英語)
  2. ^ 南アフリカ基礎データ 外務省 2020年10月4日閲覧。
  3. ^ 新詳高等社会科地図、帝国書院編集部、1990年、ISBN 978-4807120567
  4. ^ Demographia World Urban Areas & Population Projections
  5. ^ Global Cities 2017 AT Kearney 2017年公表 2017年8月4日閲覧。
  6. ^ 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2016 森記念財団都市戦略研究所 2016年11月2日閲覧。
  7. ^ Global city GDP rankings 2008-2025”. Pricewaterhouse Coopers. 2011年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月20日閲覧。
  8. ^ Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
  9. ^ de:Johannesburg, en:History_of_Johannesburg - より適切な出典を求む
  10. ^ 「人間の営みがわかる地理学入門」(水野一晴、2016、ベレ出版)88頁
  11. ^ 雷雨はヨハネス夏の風物詩! 南アフリカ/ヨハネスブルグ特派員ブログ”. 地球の歩き方 (2010年12月12日). 2013年11月4日閲覧。
  12. ^ “「雷の都」の名に恥じぬ落雷を観測 南ア・ヨハネスブルク”. AFPBB News. (2013年10月29日). https://www.afpbb.com/articles/-/3002266 2013年11月4日閲覧。 
  13. ^ ヨハネスブルクで11年ぶりの雪、住民魅了 南ア”. CNN (2023年7月12日). 2023年7月14日閲覧。
  14. ^ Climatological Normals of Johannesburg”. Hong Kong Observatory. 2010年5月9日閲覧。
  15. ^ Climate data for Johannesburg”. South African Weather Service. 2010年3月6日閲覧。
  16. ^ Johannesburg's administrative regions - city of johanenesburg - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト(英語)
  17. ^ The seven regions - city of johanenesburg - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト(英語)
  18. ^ 外務省 海外安全ホームページ
  19. ^ 『ヨハネスブルグのガイドライン』はどこまで本当? 大使にきいてみた!”. ガジェット通信. 2013年3月2日閲覧。
  20. ^ a b http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=122#header
  21. ^ https://web.archive.org/web/20100108132548/http://www.sponichi.co.jp/soccer/flash/KFullFlash20100104065.html

関連項目

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外部リンク

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公式
観光
外務省
その他

座標: 南緯26度12分16秒 東経28度02分44秒 / 南緯26.20444度 東経28.04556度 / -26.20444; 28.04556 (ヨハネスブルグ)