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'''フロンティア'''(frontier)とは、「最前線の」という意味であるが、別の意味としては「新天地の」として表現される。
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== アメリカ合衆国 ==
== アメリカ合衆国 ==
=== 西部開拓時代と「フロンティア」の小説 ===
=== 西部開拓時代と「フロンティア」の消滅 ===
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[[アメリカ合衆国]]の国勢調査局は、平方マイルにつき人口(先住民は除く)が人以上人以下の地域をフロンティアと定めていた。この地帯の外辺がフロンティア・ラインである。[[白人]]入植者による[[インディアン]]に対する征服が進むとともに、フロンティア・ラインは西部に漸次移動していき、1890年の国勢調査局長が、フロンティア・ラインと呼べるものがなくなったことを国勢調査報告書に記載した。これが「フロンティアの消滅」である。このフロンティア消滅をうけて、歴史家の[[フレデリック・ターナー]]は、フロンティアと合衆国の[[民主主義]]・国民性を関連づけて述べた([[フロンティア学説]])。
フロンティアがいつ始まり、いつ終わったのか、について様々な意見がある<ref name="Brian W. Dippie 1989">Brian W. Dippie, "American Wests: historiographical perspectives." ''American Studies International'' 27.2 (1989): 3–25.</ref>。[[1607年]]~[[1912年]]説(1607年に[[ジェームズタウン (バージニア州)|ジェームズタウン]]に最初の植民地が設立され、1912年に[[アリゾナ準州]]が[[アリゾナ州|州]]として認可されるまでの期間)、[[1865年]]~[[1917年]]説 (ポップカルチャーで描かれた典型的な[[西部劇|西部劇時代]])、[[1860年代]]~[[1910年代]]説(様々な歴史家が引用する[[西部開拓時代]])<ref name="Brian W. Dippie 1989">Brian W. Dippie, "American Wests: historiographical perspectives." ''American Studies International'' 27.2 (1989): 3–25.</ref><ref name="LOC TAW">{{Cite web |title=The American West, 1865–1900 {{!}} Rise of Industrial America, 1876–1900 {{!}} U.S. History Primary Source Timeline {{!}} Classroom Materials at the Library of Congress |url=https://www.loc.gov/classroom-materials/united-states-history-primary-source-timeline/rise-of-industrial-america-1876-1900/american-west-1865-1900/ |access-date=January 7, 2023 |website=Library of Congress, Washington, D.C. }}</ref><ref>{{Cite book |last1=Milner |first1=Clyde A. |url=http://archive.org/details/oxfordhistoryofa00clyd |title=The Oxford history of the American West |last2=O'Connor |first2=Carol A. |last3=Sandweiss |first3=Martha A. |date=1994 |publisher= Oxford University Press |location=New York |isbn=978-0195059687 |pages=326, 412–413, 424, 472}}</ref>、1865年~1890年または1920年説(アメリカ合衆国国勢調査局による調査)、1865年~1890年説(フレデリック・J・ターナーの意見)がある。[[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ合衆国国勢調査局|国勢調査局]]は、1[[平方マイル]]につき[[人口]][[先住民]]は除く)が2人以上6人以下の地域をフロンティアと定めていた。この地帯の外辺がフロンティア・ラインである。1865年のアメリカ南北戦争の終結により、[[白人]]入植者による[[インディアン]]に対する[[征服]]加速するとともに、フロンティア・ラインは[[アメリカ合衆国西部|西部]]に漸次移動していき、[[1890年]]の国勢調査局長が、フロンティア・ラインと呼べるものがなくなったことを国勢調査報告書に記載した。これが「フロンティアの消滅」である<ref group="注">しかし、局長の後継者は1920年の国勢調査までこの慣行を続けた為、1890年をサブピリオドとする場合もある。</ref>。このフロンティア消滅をうけて、歴史家の[[フレデリック・ターナー]]は、フロンティアと合衆国の[[民主主義]]・[[国民性]]を関連づけて述べた({{仮リンク|フロンティア学説|en|Frontier Thesis}})。


アメリカのう「フロンティア」とは実際には「[[インディアン]]の掃討の最前線」であり、[[スー族]]に対する「[[ウンデット・ニーの虐殺|ウーンデッドニーの虐殺]]」があった1890年に「インディアンの掃討が完了した」としてアメリカ政府は「フロンティアの消滅」とした。「フロンティアの消滅」と前後して、アメリカ合衆国は太平洋進出を始めていく。「アメリカ合衆国国民以外にはアメリカ合衆国憲法は適用されないのだから、アメリカ合衆国はアメリカ合衆国国民以外には人権を保障しない」という考え方は先住民掃討から現在まで続いている
アメリカのう「フロンティア」とは実際には「インディアンの掃討の最前線」であり、[[スー族]]に対する「[[ウンデット・ニーの虐殺|ウーンデッドニーの虐殺]]」があった1890年に「インディアンの掃討が完了した」として[[アメリカ合衆国政府|合衆国政府]]は「フロンティアの消滅」とした。「フロンティアの消滅」と前後して、アメリカ合衆国は[[太平洋]]進出を始めていく。


=== ジョン・F・ケネディの「ニューフロンティア」 ===
=== ジョン・F・ケネディの「ニューフロンティア」 ===
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=== その後のフロンティア ===
=== その後のフロンティア ===
2001年からの[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン攻撃]]のときにはアメリカは「[[パキスタン]]が[[自由主義]]のフロンティア」としていた。
[[2001年]]からの[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガニスタン攻撃]]のときにはアメリカは「[[パキスタン]]が[[自由主義]]のフロンティア」としていた。


「[[開拓]]」(インディアンにとっては蹂躙・虐殺)が盛んな時代にあっては、開拓の最前線を指し、そこでは過酷な環境から、往々にして社会[[道徳]]が低下する半面、白人入植者の間では相互扶助の精神的な結束力が強まる傾向にあった。
「[[開拓]]」(インディアンにとっては蹂躙・[[虐殺]])が盛んな時代にあっては、開拓の最前線を指し、そこでは過酷な環境から、往々にして社会[[道徳]]が低下する半面、白人入植者の間では相互扶助などの精神的な結束力が強まる傾向にあった。


=== 銃とフロンティア ===
=== 銃とフロンティア ===
{{see also|銃社会|銃規制}}
{{see also|銃社会|銃規制}}
アメリカなどではフロンティアスピリットと切っても切れない関係にあるのが[[ガンマン]]で、元々は牧童や自警組織の構成員を指が、より広義に「[[銃]]を持っている人」もこう呼ばれる。
アメリカなどではフロンティアスピリットと切っても切れない関係にあるのが[[ガンマン]]で、もともとは牧童や自警組織の構成員を指したが、より広義に「[[銃]]を持っている人」もこう呼ばれる。


銃は危険な獣や暴漢、には[[紛争]]調停手段として用いられた訳だが、逆に強奪の道具としても利用された経緯を持つ。米国の銃禍は開拓時代に大量に出まわった拳銃や[[ライフル銃]]が、今日に至るまで野放しになっている部分に負う所が大きく、悪漢が銃で武装するために、それから身を守るべく[[市民]]が銃を持ち、それらから何かを奪うために悪漢が銃に頼るという無限連鎖の中で、「国民の銃を持つ権利」に疑問の声も挙がっているものの、それらの銃が現実に破棄される事は、恐らく当分の間は起こらないであろう
銃は危険な獣や暴漢、さらには[[紛争]]調停手段として用いられたわけであるが、逆に強奪の道具としても利用された経緯を持つ。


== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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2024年7月9日 (火) 17:19時点における版

フロンティア英語: frontier)とは、「最前線の」という意味であるが、別の意味としては「新天地の」として表現される。

アメリカ合衆国

西部開拓時代と「フロンティア」の消滅

フレデリック・ターナー

フロンティアがいつ始まり、いつ終わったのか、について様々な意見がある[1]1607年1912年説(1607年にジェームズタウンに最初の植民地が設立され、1912年にアリゾナ準州として認可されるまでの期間)、1865年1917年説 (ポップカルチャーで描かれた典型的な西部劇時代)、1860年代1910年代説(様々な歴史家が引用する西部開拓時代[1][2][3]、1865年~1890年または1920年説(アメリカ合衆国国勢調査局による調査)、1865年~1890年説(フレデリック・J・ターナーの意見)がある。アメリカ合衆国国勢調査局は、1平方マイルにつき人口先住民は除く)が2人以上6人以下の地域をフロンティアと定めていた。この地帯の外辺がフロンティア・ラインである。1865年のアメリカ南北戦争の終結により、白人入植者によるインディアンに対する征服が加速するとともに、フロンティア・ラインは西部に漸次移動していき、1890年の国勢調査局長が、フロンティア・ラインと呼べるものがなくなったことを国勢調査報告書に記載した。これが「フロンティアの消滅」である[注 1]。このフロンティア消滅をうけて、歴史家のフレデリック・ターナーは、フロンティアと合衆国の民主主義国民性を関連づけて述べた(フロンティア学説英語版)。

アメリカのいう「フロンティア」とは、実際には「インディアンの掃討の最前線」であり、スー族に対する「ウーンデッド・ニーの虐殺」があった1890年に「インディアンの掃討が完了した」として合衆国政府は「フロンティアの消滅」とした。「フロンティアの消滅」と前後して、アメリカ合衆国は太平洋進出を始めていく。

ジョン・F・ケネディの「ニューフロンティア」

「ニューフロンティア」を提示したジョン・F・ケネディ

1960年7月15日アメリカ大統領選挙に向けてカリフォルニア州ロサンゼルスロサンゼルス・メモリアル・コロシアムにおいて行われた民主党の党大会において、大統領候補に指名された上院議員のジョン・F・ケネディが演説を行い、戦争偏見貧困といったアメリカが抱えた諸問題に取り組む意味での「ニューフロンティア」を掲げた。

その後のフロンティア

2001年からのアフガニスタン攻撃のときにはアメリカは「パキスタン自由主義のフロンティア」としていた。

開拓」(インディアンにとっては蹂躙・虐殺)が盛んな時代にあっては、開拓の最前線を指し、そこでは過酷な環境から、往々にして社会道徳が低下する半面、白人入植者の間では相互扶助などの精神的な結束力が強まる傾向にあった。

銃とフロンティア

アメリカなどではフロンティアスピリットと切っても切れない関係にあるのがガンマンで、もともとは牧童や自警組織の構成員を指したが、より広義に「を持っている人」もこう呼ばれる。

銃は危険な獣や暴漢、さらには紛争調停手段として用いられたわけであるが、逆に強奪の道具としても利用された経緯を持つ。

脚注

注釈

  1. ^ しかし、局長の後継者は1920年の国勢調査までこの慣行を続けた為、1890年をサブピリオドとする場合もある。

出典

  1. ^ a b Brian W. Dippie, "American Wests: historiographical perspectives." American Studies International 27.2 (1989): 3–25.
  2. ^ The American West, 1865–1900 | Rise of Industrial America, 1876–1900 | U.S. History Primary Source Timeline | Classroom Materials at the Library of Congress”. Library of Congress, Washington, D.C.. January 7, 2023閲覧。
  3. ^ Milner, Clyde A.; O'Connor, Carol A.; Sandweiss, Martha A. (1994). The Oxford history of the American West. New York: Oxford University Press. pp. 326, 412–413, 424, 472. ISBN 978-0195059687. http://archive.org/details/oxfordhistoryofa00clyd 

関連項目