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'''金 宰範'''(キム・ジェボム、{{Lang-ko|김재범}}、[[1985年]][[1月25日]] - )は[[大韓民国]][[慶尚北道]][[金泉市]]出身の柔道選手。身長180cm<ref name="Biography">[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ki/kim-jae-beom-1.html Kim Jae-Beom Biography and Olympic Results]</ref>。[[韓国馬事会]]所属<ref name="judobase">[http://www.judobase.org/#/competitor/profile/64 profile]</ref>。
'''金 宰範'''(キム・ジェボム、{{Lang-ko-short|김재범}}、{{Lang-en-short|Kim Jae-Bum}}、[[1985年]][[1月25日]] - )は[[大韓民国]][[慶尚北道]][[金泉市]]出身の[[柔道家]]。身長180cm<ref name="Biography">[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ki/kim-jae-beom-1.html Kim Jae-Beom Biography and Olympic Results]{{リンク切れ|date=2021年9月}}{{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20200417083818/https://www.sports-reference.com/olympics/athletes/ki/kim-jae-beom-1.html |date=2020年4月17日}}</ref>。階級は81kg級。[[韓国馬事会]]所属<ref name="judobase">[http://www.judobase.org/#/competitor/profile/64 profile]</ref>。


==経歴==
==経歴==
敬虔なクリスチャンであり、試合の前には両手を掲げて神に祈りを捧げ、試合に勝つと同じように両手を掲げて叫び、主に勝利を伝えるという。
先手攻撃を延々と続ける柔道スタイルや、驚異的なスタミナから、「体力王」の異名をとった。

[[2004年]][[ブダペスト]]で開催された世界ジュニア柔道選手権73kg級で金メダルを獲得<ref name="judobase"/>。
[[2004年]][[ブダペスト]]で開催された世界ジュニア柔道選手権73kg級で金メダルを獲得<ref name="judobase"/>。


[[李元熹]]、[[王己春]]らと共に韓国73kg級のビッグスリーと呼ばれていたが、[[2008年]]に81k級に転向<ref name="judobase"/>。[[北京オリンピック]]の代表の座を獲得し、決勝でドイツの[[オーレ・ビショフ]]に敗れたものの銀メダルを獲得した<ref name="Biography"/>。
[[李元熹]]、[[王己春]]らと共に韓国73kg級のビッグスリーと呼ばれていたが、[[2008年]]に81kg級に転向<ref name="judobase"/>。[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]の代表の座を獲得し、決勝でドイツの[[オーレ・ビショフ]]の前に敗れたものの銀メダルを獲得した<ref name="Biography"/>。


2010年、[[ワールドマスターズ2010]]、世界選手権、[[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]]と立て続けに金メダルを獲得した<ref name="judobase"/>。
2010年、[[ワールドマスターズ2010|ワールドマスターズ]]、世界選手権、[[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]]と立て続けに金メダルを獲得した<ref name="judobase"/>。


2011年は[[グランドスラム・パリ]]を制するも、[[グランドスラム・モスクワ]]では準々決勝でドイツの[[スヴェン・マレシュ]]相手に有効2つをリードしながら、残り2秒のところで組み手を嫌がり小走りに逃げたとして指導1を受け、さらには残り2秒も同じ行為を繰り返したために、柔道精神に反する行為として前代未聞の反則負けとなった。その判定に納得いかないのか、暫く畳の上にとどまって抗議の意を示した<ref>[http://www.intjudo.eu/News/cikk1867 Moscow Debut is Golden for Maresch]</ref>。
2011年は[[グランドスラム・パリ]]を制するも、[[グランドスラム・モスクワ]]では準々決勝でドイツの[[スヴェン・マレシュ]]相手に有効2つをリードしながら、残り2秒のところで組み手を嫌がり小走りに逃げたとして指導1を受け、さらには残り2秒も同じ行為を繰り返したために、柔道精神に反する行為として前代未聞の反則負けとなった。その判定に納得いかないのか、暫く畳の上にとどまって抗議の意を示した<ref>{{Cite web |url=http://www.intjudo.eu/News/cikk1867 |title=Moscow Debut is Golden for Maresch |accessdate=2011-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110804184754/http://intjudo.eu/News/cikk1867 |archivedate=2011-08-04 |url-status=dead|url-status-date=2020-05 }}</ref>。パリ世界選手権では前年に続いて2連覇を達成した<ref>[http://www.chosunonline.com/news/20110827000000 柔道:金宰範、男子81キロ級で金=世界選手権]{{リンク切れ|date=2020年5月 |bot=InternetArchiveBot }},[[朝鮮日報]],2011年8月27日</ref>。
パリ世界選手権では前年に続いて2連覇を達成した<ref>[http://www.chosunonline.com/news/20110827000000 柔道:金宰範、男子81キロ級で金=世界選手権] [[朝鮮日報]] 2011年8月27日</ref>。
2012年7月の[[ロンドンオリンピック (2012年) における柔道競技|ロンドンオリンピック]]では前回のオリンピック決勝で敗れたビショフを破って金メダルを獲得した<ref name="Biography"/>。


2012年7月の[[2012年ロンドンオリンピックの柔道競技|ロンドンオリンピック]]では前回のオリンピック決勝で敗れたビショフと対戦して勝利し金メダルを獲得している<ref name="Biography"/>。なおこの時、前年以来悩まされていた右肩の骨折を含め、右手薬指の靭帯切断、右膝捻挫等、数ヶ所の負傷に見舞われていた。試合ごとに鎮痛剤を打たなければまともに戦うこともできない状態だったという。本人は後に、「主が、あなたを用いると約束して下さった 右半身が死んでいても、何も恐れてはいませんでした」と語った。
2014年9月に地元韓国の[[仁川]]で開催された[[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]]では2連覇を果たした<ref>[http://www.ippon.org/jua_sen2014.php Asian Games 2014]</ref>2015年8月の世界選手権では初戦でポルトガルの選手に一本負けを喫した<ref name="judobase"/>。


2014年9月に地元韓国の[[仁川広域市|仁川]]で開催された[[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]]では2連覇を果たした<ref>[http://www.ippon.org/jua_sen2014.php Asian Games 2014]</ref>2015年8月の世界選手権では初戦でポルトガルの選手に一本負けを喫した<ref name="judobase"/>。
[[IJF]]世界ランキングは934ポイント獲得で16位(16/5/2現在)<ref>[http://www.intjudo.eu/fo-Rankingir World ranking list]</ref>。

2016年5月にはケガなどの影響もあって引退を表明した<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/05/05/2016050500484.html 柔道:ロンドン金「一本勝ち男」金宰範が引退]</ref>。


==主な戦績==
==主な戦績==
*[[2003年]] - [[アジアジュニア・ユース柔道選手権大会|アジアジュニア]] 優勝(66kg)
*[[2003年]] - [[アジアジュニア・ユース柔道選手権大会|アジアジュニア]] 優勝(66kg
73kg級での戦績
73kg級での戦績
*[[2004年]] - [[2004年世界ジュニア柔道選手権大会|世界ジュニア]] 優勝
*[[2004年]] - [[2004年世界ジュニア柔道選手権大会|世界ジュニア]] 優勝
*2004年 - [[ワールドカップ・スウォン|韓国国際]] 2位
*2004年 - [[ワールドカップ・スウォン|韓国国際]] 2位
*[[2005年]] - [[アジア柔道選手権大会|アジア選手権]] 優勝
*[[2005年]] - [[アジア柔道選手権大会|アジア選手権]] 優勝
*2005年 - 韓国国際 優勝
*2005年 - 韓国国際 優勝
*[[2006年]] - [[ワールドカップ・ウィーン|オーストリア国際]] 優勝
*[[2006年]] - [[ワールドカップ・ウィーン|オーストリア国際]] 優勝
*[[2007年]] - [[ユニバーシアード]] 2位
*[[2007年]] - [[ユニバーシアード]] 2位
81kg級での戦績
81kg級での戦績
*[[2008年]] - [[グランプリ・デュッセルドルフ|ドイツ国際]] 優勝
*[[2008年]] - [[グランプリ・デュッセルドルフ|ドイツ国際]] 優勝
*2008年 - アジア選手権 優勝
*2008年 - アジア選手権 優勝
*2008年 - [[北京オリンピック]] 2位
*2008年 - [[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]] 2位
*[[2009年]] - [[グランドスラム・パリ]] 2位
*[[2009年]] - [[グランドスラム・パリ]] 2位
*2009年 - アジア選手権 優勝
*2009年 - アジア選手権 優勝
*2009年 - [[2009年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 3位
*2009年 - [[2009年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 3位
*2009年 - [[ワールドカップ・スウォン]] 優勝
*2009年 - [[ワールドカップ・スウォン]] 優勝
*2009年 - [[グランドスラム・東京]] 2位
*2009年 - [[グランドスラム・東京]] 2位
*[[2010年]] - [[ワールドマスターズ]] 優勝
*[[2010年]] - [[ワールドマスターズ]] 優勝
*2010年 - [[グランプリ・デュッセルドルフ]] 優勝
*2010年 - [[グランプリ・デュッセルドルフ]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・プラハ]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・プラハ]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・ウランバートル]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・ウランバートル]] 優勝
*2010年 - [[2010年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 優勝
*2010年 - [[2010年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・アルマトイ]] 2位
*2010年 - [[ワールドカップ・アルマトイ]] 2位
*2010年 - [[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]] 優勝
*2010年 - [[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・スウォン]] 優勝
*2010年 - [[ワールドカップ・スウォン]] 優勝
*[[2011年]] - [[グランドスラム・パリ]] 優勝
*[[2011年]] - [[グランドスラム・パリ]] 優勝
*2011年 - アジア選手権 個人戦 優勝 団体戦 優勝
*2011年 - アジア選手権 個人戦 優勝 団体戦 優勝
*2011年 - [[グランドスラム・モスクワ]] 5位
*2011年 - [[グランドスラム・モスクワ]] 5位
*2011年 - [[2011年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 優勝
*2011年 - [[2011年世界柔道選手権大会|世界選手権]] 優勝
*[[2012年]] - アジア選手権 個人戦 優勝 団体戦 優勝
*[[2012年]] - アジア選手権 個人戦 優勝 団体戦 優勝
*2012年 - [[ロンドンオリンピック (2012年) における柔道競技|ロンドンオリンピック]] 優勝
*2012年 - [[2012年ロンドンオリンピック柔道競技|ロンドンオリンピック]] 優勝
* 2012年 - [[グランドスラム・東京]] 優勝
* 2012年 - [[グランドスラム・東京]] 優勝
*[[2013年]] - [[グランプリ・デュッセルドルフ]] 3位
*[[2013年]] - [[グランプリ・デュッセルドルフ]] 3位
*2013年 - [[グランプリ・チェジュ]] 優勝
*2013年 - [[グランプリ・チェジュ]] 優勝
*[[2014年]] - グランドスラム・パリ 3位
*[[2014年]] - グランドスラム・パリ 3位
*2014年 - [[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]] 個人戦 優勝 団体戦 優勝
*2014年 - [[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]] 個人戦 優勝 団体戦 優勝
*2014年 - [[グランプリ・チェジュ]] 優勝
*2014年 - [[グランプリ・チェジュ]] 優勝
*2014年 - グランドスラム・東京 5位
*2014年 - グランドスラム・東京 5位
*[[2015年]] - [[ヨーロッパオープン・ソフィア]] 優勝
*[[2015年]] - [[ヨーロッパオープン・ソフィア]] 優勝
*2015年 - [[ヨーロッパオープン・ローマ]] 3位
*2015年 - [[ヨーロッパオープン・ローマ]] 3位
*2015年 - アジア選手権 2位 優勝 団体戦 3位
*2015年 - アジア選手権 個人戦 2位 団体戦 3位
*[[2016年]] - [[グランプリ・サムスン]] 5位
*[[2016年]] - [[グランプリ・サムスン]] 5位
(出典<ref name="judobase"/>、[[JudoInside.com]])。
出典<ref name="judobase"/>、JudoInside.com)

== 出演映像 ==
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== 脚注 ==
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2024年7月16日 (火) 21:27時点における最新版

獲得メダル

金宰範
大韓民国の旗 大韓民国
柔道
オリンピック
2012 ロンドン 81kg級
2008 北京 81kg級
世界柔道選手権大会
2010 東京 81kg級
2011 パリ 81kg級
2009 ロッテルダム 81kg級
ワールドマスターズ
2010 水原 81kg級
グランドスラム
2011 パリ 81kg級
2012 東京 81kg級
2009 パリ 81kg級
2009 東京 81kg級
2014 パリ 81kg級
アジア大会
2010 広州 81kg級
2014 仁川 81kg級
ユニバーシアード
2007 バンコク 73kg級
世界ジュニア
2004 ブダペスト 73kg級

金 宰範(キム・ジェボム、: 김재범: Kim Jae-Bum1985年1月25日 - )は、大韓民国慶尚北道金泉市出身の柔道家。身長180cm[1]。階級は81kg級。韓国馬事会所属[2]

経歴

[編集]

敬虔なクリスチャンであり、試合の前には両手を掲げて神に祈りを捧げ、試合に勝つと同じように両手を掲げて叫び、主に勝利を伝えるという。 先手攻撃を延々と続ける柔道スタイルや、驚異的なスタミナから、「体力王」の異名をとった。

2004年ブダペストで開催された世界ジュニア柔道選手権73kg級で金メダルを獲得[2]

李元熹王己春らと共に韓国73kg級のビッグスリーと呼ばれていたが、2008年に81kg級に転向[2]北京オリンピックの代表の座を獲得し、決勝でドイツのオーレ・ビショフの前に敗れたものの銀メダルを獲得した[1]

2010年、ワールドマスターズ、世界選手権、アジア大会と立て続けに金メダルを獲得した[2]

2011年はグランドスラム・パリを制するも、グランドスラム・モスクワでは準々決勝でドイツのスヴェン・マレシュを相手に有効2つをリードしながら、残り2秒のところで組み手を嫌がり小走りに逃げたとして指導1を受け、さらには残り2秒も同じ行為を繰り返したために、柔道精神に反する行為として前代未聞の反則負けとなった。その判定に納得いかないのか、暫く畳の上にとどまって抗議の意を示した[3]。パリ世界選手権では前年に続いて2連覇を達成した[4]

2012年7月のロンドンオリンピックでは前回のオリンピック決勝で敗れたビショフと対戦して勝利し金メダルを獲得している[1]。なおこの時、前年以来悩まされていた右肩の骨折を含め、右手薬指の靭帯切断、右膝捻挫等、数ヶ所の負傷に見舞われていた。試合ごとに鎮痛剤を打たなければまともに戦うこともできない状態だったという。本人は後に、「主が、あなたを用いると約束して下さった 右半身が死んでいても、何も恐れてはいませんでした」と語った。

2014年9月に地元韓国の仁川で開催されたアジア大会では2連覇を果たしたが[5]、2015年8月の世界選手権では初戦でポルトガルの選手に一本負けを喫した[2]

2016年5月にはケガなどの影響もあって引退を表明した[6]

主な戦績

[編集]

73kg級での戦績

81kg級での戦績

(出典[2]、JudoInside.com)

出演映像

[編集]
共演 鄭勲宋大南曹準好ヒョヨン少女時代)、ジヨン (KARA) 、ボラ (SISTAR) 、スジ (Miss A) 、イェウォン(ジュエリー)他

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Kim Jae-Beom Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
  2. ^ a b c d e f profile
  3. ^ Moscow Debut is Golden for Maresch”. 2011年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月27日閲覧。
  4. ^ 柔道:金宰範、男子81キロ級で金=世界選手権[リンク切れ],朝鮮日報,2011年8月27日
  5. ^ Asian Games 2014
  6. ^ 柔道:ロンドン金「一本勝ち男」金宰範が引退
  7. ^ Invincible Youth 2 (청춘불패 2) - Ep.38: with National Judo Champions. YouTube (朝鮮語、英語字幕). KBS Worldチャンネル. 15 May 2014. 2020年7月11日閲覧

外部リンク

[編集]
  • 金宰範 - JudoInside.com のプロフィール(英語)