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「青葉山公園」の版間の差分

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|分類=都市公園 > 基幹公園 > 都市基幹公園 > 総合公園
|面積=40.5 [[ヘクタール|ha]]
|設備・遊具=[[仙台城|仙台城址]]、[[仙台市博物館]]、[[仙台国際センター]]、[[テニスコート]]、[[四阿]](あづまや)、彫像、ベンチ、水飲み場、植栽、照明灯
|駐車場=有料
|バリアフリー=[[バリアフリー]][[公衆便所|公衆トイレ]]
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'''青葉山公園'''(あおばやまこうえん)は、[[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]川内にある市が管理る[[公園|市公園]]でる。
'''青葉山公園'''(あおばやまこうえん)は、[[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]にある[[公園|都市公園]]である。仙台市が管理してい[[青葉山 (宮城県)|青葉山]]の東端から[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]右岸にかけての部分を敷地とし、[[仙台城]](青葉城)の跡地の一部やその堀である[[五色沼 (仙台)|五色沼]]、長沼を園内に含んでいる。また、[[仙台市博物館]]や[[仙台国際センター]]といった共施設が内に立地している。仙台城の本丸跡からは仙台の街並みや、遠く[[太平洋]]を眺めることがる。


== 概要 ==
== 歴史 ==
青葉山公園は、20世紀初頭に仙台城本丸跡が市民に開放されたことを契機として、仙台市が陸軍から青葉山の一部を借用して設置したものである。その後、拡張や整備が段階的に行われたが、その過程では住宅地の公園への転換という複雑な問題を抱えながら進められた。
当園は、[[仙台市都心部]]の西の[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]を渡った所にあり、[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]の東側と[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]にはさまれた土地にある。当地は、[[江戸時代]]に[[仙台藩]]・[[伊達氏]]の代々の居城である[[仙台城]]と重臣の城下の居宅だった所で、[[戊辰戦争]]後は[[官軍]]に占領され、[[鎮台]]や[[第2師団 (日本軍)|第二師団]]など[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の諸施設が設置された。戦後は[[連合国軍]]が進駐し、返還後は[[東北大学]]川内キャンパスを初めとする文教地区へと変貌した。


青葉山は、[[江戸時代]]には[[仙台藩]]藩主の[[伊達氏]]の居城である仙台城があった所である。また、そのふもとから広瀬川にかけての土地には、[[馬場]]や仙台藩重臣の屋敷が置かれていた。[[戊辰戦争]]を経て、これらの敷地が[[官軍]]に占領された後、仙台城の二の丸跡には[[鎮台]]や[[第2師団 (日本軍)|第二師団]]など[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の諸施設が設置され、また青葉山のふもとの追廻地区は練兵場や射撃場へと変わった<ref name="角川">『角川日本地名大辞典4 宮城県』189-190頁。</ref><ref name="平凡">『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻)265頁。</ref>。<!-- 追廻で飛行機の発着や競馬が行われたのは事実のようですが、練兵場を借用しての一時のものであり、常設でないため「飛行場」「競馬場」と言い切るのは誤解を招くかと。 -->
当園は、陸軍から0.98[[ヘクタール|ha]]を借地して市の公園としたことから始まる。戦後、進駐軍に接収されたが、 [[1953年]]([[昭和]]28年)に再開園した。その後、周辺の地区を園地に組み込み、現在の面積は約41haまで広がった。広瀬川を挟んだ向かい側には[[西公園 (仙台市)|西公園]]があり、あわせて「[[杜の都]]・[[仙台]]」を象徴する地区を形成している。


仙台城の本丸は明治時代の初め頃に取り壊されたが<ref>『仙台市史』特別編7(城館)272頁。</ref>、ここに[[1902年]]([[明治]]35年)に昭忠碑が建立、[[1904年]](明治37年)に[[宮城縣護國神社]]の前身である[[招魂社|仙台招魂社]]が設立された。仙台城の本丸跡は宮城県に関わる戦没者を祀る場所へと変化し、市民に開放されることになった。この頃、市民は長沼の南端部から本丸跡へ登坂したが、これが酷い急坂だった。通用の不便を改善するために仙台市は二の丸跡を敷地としていた第二師団に対して、市民が二の丸跡から本丸跡へ登れるように一部の敷地の借用を求めた。この交渉は、仙台市が第二師団に対して門や柵を寄付することを条件に成立した。こうして、陸軍から借用された敷地が青葉山公園として[[1925年]]([[大正]]14年)10月に開園した。この時の青葉山公園は、大手門や遊歩道などを含む2957坪(約0.98[[ヘクタール]])の公園だった<ref name="1955仙台市史376">1955年刊行『仙台市史2』本篇2、376頁。</ref><ref>『仙台市史』特別編7(城館)273頁。</ref><ref name="青葉山公園整備基本計画pdf">“{{PDFlink|[https://www.city.sendai.jp/aobayamakoensebi/shise/zaise/kekaku/documents/01-1keikakunozentei_4.pdf 青葉山公園整備基本計画 第1章 計画の前提]}}”(仙台市)[[2018年]][[10月20日]]閲覧。</ref>。
園内には、[[仙台市博物館]]、[[仙台国際センター]]、[[テニスコート]]をはじめとする[[施設|公共施設]]や、[[仙台城|仙台城址]](青葉城)、[[五色沼 (仙台市)|五色沼]]、長沼がある。仙台城・本丸跡からは都心部を眺めることができる。


太平洋戦争終結後、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が進駐して第二師団の敷地を接収したために青葉山公園は事実上の休園状態となった<ref name="1955仙台市史376"/>。公園として再開するのは[[1953年]]([[昭和]]28年)である<ref name="青葉山公園整備基本計画pdf"/>。
当園には、隣接する[[#追廻地区|追廻地区]]を含めた拡張整備計画、および、[[仙台市営地下鉄東西線]]の(仮称)[[国際センター駅 (宮城県)|国際センター駅]]の設置計画がある。


戦後の都市計画において、仙台市は[[1946年]](昭和21年)に13箇所の公園と緑地の設置を決定した。この中で青葉山公園は、追廻地区の練兵場跡地を含めて総合運動公園として整備されることが決められた<ref>『仙台市史』通史編8(現代1)131頁。</ref>。しかし、追廻地区では戦後間もない時期に[[住宅営団]]が住宅の建設を始めていた<ref name="仙台市史8-134-135">『仙台市史』通史編8(現代1)134-135頁。</ref>。公園の整備を進めたい仙台市と追廻地区に居住を続けたい住人は相容れず、この問題は仙台市の戦後処理案件として半世紀以上にわたって残った。
== 歴史 ==
{{main|川内追廻}}
現在、仙台城の復元工事がなされている。

* [[1953年]]([[昭和]]28年) - 再開園
住宅地とならなかった追廻地区の一部にはテニスコートやバレーボールコートが設置された<ref name="角川"/><ref name="平凡"/><ref name="青葉山公園整備基本計画pdf"/>。また、仙台市は[[1955年]](昭和30年)に計画を見直して、青葉山公園を総合運動公園から普通公園へ改めた<ref name="仙台市史8-134-135"/>。
* [[1961年]](昭和36年) - [[仙台市博物館]]が開館

* [[1964年]](昭和39年) - [[宮城県スポーツセンター]]が開館
その後、青葉山公園の中にはいくつかの大きな公共施設が建てられた。まず[[1961年]](昭和36年)に仙台城三の丸跡に[[仙台市博物館]]が開館した<ref>『仙台市史』通史編9(現代2)542頁。</ref>。次いで、[[1964年]](昭和39年)に公園の北側に[[宮城県スポーツセンター]]が開館し<ref>[[2006年]]([[平成]]18年)閉館。</ref><ref>『仙台市史』通史編8(現代1)545頁。</ref>、[[1991年]]([[平成]]3年)に[[仙台国際センター]]が開館した<ref>『仙台市史』通史編9(現代2)116-117頁。</ref>。[[2015年]](平成27年)には公園の北側をかすめる形で[[仙台市地下鉄東西線]]が開通して、ここに[[国際センター駅 (宮城県)|国際センター駅]]が開業した。
* [[1986年]](昭和61年) - 博物館を建て替え

* [[1991年]]([[平成]]3年)9月 - [[仙台国際センター]]が開館
[[2018年]]現在、ほとんどの住人が移転した追廻地区では家屋がほぼなくなり、仙台市がここを青葉山公園の一部として整備する事業を進めている<ref>“[https://www.city.sendai.jp/aobayamakoensebi/kurashi/shizen/midori/koen/sebi/aobayama.html 青葉山公園整備事業]”(仙台市)[[2018年]][[10月20日]]閲覧。</ref>。
* [[2006年]](平成18年)3月 - 宮城県スポーツセンターが閉館

== 昭忠碑 ==
「昭忠」 の揮毫は、 [[小松宮彰仁親王]]による。「昭忠」とは、忠義を明らかにするという意味<ref name=":0">修理後に設置されていた、青葉城資料展示館による仮説案内板による。</ref>。

塔上に[[トビ|鵄]]の[[銅像|ブロンズ像]]が設置されていたが、戦前の金属供出を免れた明治期のブロンズ彫刻作品として、東北地方でも最古級のブロンズ彫刻である<ref name=":0" />。

[[2011年]](平成23年)3月11日の東日本大震災により、塔上から落下し破損。[[2016年]](平成28年)10月に修復が完了し、安全性を考慮し、塔前の基壇上に設置されている<ref name=":0" />。

* 設置年 - 1902年(明治35年)
* 設置目的 - [[西南戦争]]・[[日清戦争]]等戦没者[[慰霊碑]]
* 所有者 - [[宮城縣護國神社]]
* 高さ - 約20 メートル
* 鵄 - ブロンズ製、重さ4.689 トン
<gallery>
ファイル:Statue of Shochu Sendai Miyagi DSCN5346 20080823.JPG|alt=|昭忠碑<br/>ブロンズ像落下前
ファイル:Aoba-yama park Statue of Shochu 001.jpg|昭忠碑<br/>落下後、修復後
</gallery>


== 施設等 ==
== 施設等 ==
* [[仙台城]]
* [[仙台城|仙台城址]]
* [[仙台市博物館]]
* [[仙台市博物館]]
* [[仙台国際センター]]
* [[仙台国際センター]]
* [[五色沼 (仙台市)|五色沼]](仙台城の[[堀]]。日本の[[フィギュアスケート]]発祥の地)
* [[五色沼 (仙台市)|五色沼]](仙台城の[[堀]]。日本の[[フィギュアスケート]]発祥の地)
* 長沼
* 長沼
* テニスコート
* [[テニスコート]]


== 周辺 ==
== 周辺 ==
* [[竜ノ口沢]]
* [[大橋 (広瀬川)|大橋]]
* [[東北大学]][[東北大学川内キャンパス|川内キャンパス]]、[[東北大学青葉山キャンパス|青葉山キャンパス]]
* [[青葉通り]]
* [[東北大学学術資源研究公開センター植物園]]
* [[西公園 (仙台市)|西公園]]
* [[宮城教育大学]]
* [[仲の瀬橋]]・[[仙台西道路]]
* [[東北大学]]川内キャンパス、青葉山キャンパス
* [[東北大学植物園]]
* [[宮城県美術館]]
* [[宮城県美術館]]
* [[宮城県仙台第二高等学校]]
* [[宮城県仙台第二高等学校]]
* [[広瀬川仲ノ瀬緑地]]([[仙台七夕]]花火祭・[[花火]]打上場所)
* [[宮城縣護國神社]]
* [[宮城縣護國神社]]
* [[大橋 (広瀬川)|大橋]]
* [[竜の口渓谷]]
* [[仲の瀬橋]]・[[仙台西道路]]
* [[経ヶ峰公園]]
* [[評定河原公園]]
* [[西公園 (仙台市)|西公園]]
* [[青葉通り|青葉通]]


===追廻地区===
== アクセス ==
; 鉄道・路線バス
当園に隣接する広瀬川と青葉山に挟まれた南北に細長い地区で、江戸時代には仙台城の[[馬場]]であった。官軍占領後は[[練兵場]]として使用されると共に、その細長い土地から[[飛行場]]や[[射撃場]]、あるいは[[競馬場]]として使用された(→[[競馬の歴史 (東北地方)#宮城県]])。
* [[仙台市地下鉄東西線]] 「[[国際センター駅 (宮城県)|国際センター駅]]」 にて下車
* [[仙台市営バス]]
** [[るーぷる仙台]]
***「博物館・国際センター前」停留所にて下車
***「国際センター駅・宮城県美術館前」停留所にて下車


; 自家用車
戦後は、[[仮設住宅]]に端を発する追廻住宅として利用されてきた。市は、これを不法な[[占有権|占拠]]として立ち退きを要求し、跡地を青葉山公園に組み入れて再整備する計画を立てている。一方の住民側は、市民として[[納税]]してきたにも関わらず、[[上水道]]・[[下水道]]設置を初めとした[[インフラストラクチャー]]整備をされずに[[基本的人権]]の尊重がされなかったことや[[既得権益]]などから長年立ち退きを拒否してきた。
* [[駐車場]]:各施設の駐車場を利用。


== 脚注 ==
市と住民の話し合いにより、現在、多くの住民は代替地に引越しし、更地になったところが多いものの、未だ全ての当該地が市に返還されるに至っておらず、市の戦後処理案件として残る。
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}


== 参考文献 ==
このため、追廻地区は一定の住宅があるにもかかわらず、バスなどの公共交通機関が団地内に一切乗り入れされてなく、住民は入り口の「国際センター前」を利用している。
* 仙台市史編纂委員会『仙台市史2』本篇2、[[仙台市]]、発行年:[[1955年]]。
* 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編8(現代1)仙台市、発行年:[[2011年]]。
* 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編9(現代2)仙台市、発行年:[[2013年]]。
* 仙台市史編さん委員会『仙台市史』特別編7(城館)仙台市、発行年:[[2006年]]。
* 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店、発行年:[[1979年]]。
* 平凡社地方資料センター『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻)平凡社、発行年:[[1987年]]。


== 関連事項 ==
== 関連事項 ==
{{Commons|Category:Aoba-yama park|青葉山公園}}
{{Commons|Category:Aoba-yama park|青葉山公園}}
* [[花壇橋]]
* [[花壇橋]]
* [[仙台市営地下鉄東西線]]
* [[青葉軌道]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.city.sendai.jp/kensetsu/ryokka/midori100/guide/015/015.html 杜の都 緑の名所100選(仙台市)]
* [http://www.city.sendai.jp/ryokuchihozen/mesho100sen/ichiran/015.html 杜の都 緑の名所100選 青葉山公園](仙台市)
* [http://www.city.sendai.jp/kensetsu/100forest/aobayama-iinkai/ 青葉山公園整備基本計画検討委員会]
* [http://www.city.sendai.jp/kensetsu/100forest/aobayama-iinkai/ 青葉山公園整備基本計画検討委員会]
* [http://www.vegalta.net/~sinwakai/index.html 追廻住宅親和会]
* [http://www.vegalta.net/~sinwakai/index.html 追廻住宅親和会]
* [http://www.stcb.or.jp/stcb/aobayama.html 青葉山観光駐車場]
[[Category:宮城県の公園|あおはやまこうえん]]

[[Category:青葉区 (仙台市)|あおはやまこうえん]]
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[[Category:仙台市の公園]]
[[Category:仙台市青葉区の地理]]
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2024年7月18日 (木) 16:49時点における最新版

青葉山公園
Aoba-yama Park
伊達政宗騎馬像(2004年10月)
青葉山公園の位置(宮城県内)
青葉山公園
青葉山公園の位置(日本内)
青葉山公園
分類 都市公園 > 基幹公園 > 都市基幹公園 > 総合公園
所在地
座標 北緯38度15分17.1秒 東経140度51分25.1秒 / 北緯38.254750度 東経140.856972度 / 38.254750; 140.856972座標: 北緯38度15分17.1秒 東経140度51分25.1秒 / 北緯38.254750度 東経140.856972度 / 38.254750; 140.856972
面積 40.5 ha
設備・遊具 仙台城址仙台市博物館仙台国際センターテニスコート四阿(あづまや)、彫像、ベンチ、水飲み場、植栽、照明灯
駐車場 有料
バリアフリー バリアフリー公衆トイレ
告示 1953年昭和28年)
テンプレートを表示
昭忠碑の鵄(トビ)像
仙台市街の眺望(2004年6月)
三の丸の堀でもある長沼(2007年8月)
公園の豊かな緑(2007年8月)

青葉山公園(あおばやまこうえん)は、宮城県仙台市青葉区にある都市公園である。仙台市が管理している。青葉山の東端から広瀬川右岸にかけての部分を敷地とし、仙台城(青葉城)の跡地の一部やその堀である五色沼、長沼を園内に含んでいる。また、仙台市博物館仙台国際センターといった公共施設が園内に立地している。仙台城の本丸跡からは仙台の街並みや、遠く太平洋を眺めることができる。

歴史

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青葉山公園は、20世紀初頭に仙台城本丸跡が市民に開放されたことを契機として、仙台市が陸軍から青葉山の一部を借用して設置したものである。その後、拡張や整備が段階的に行われたが、その過程では住宅地の公園への転換という複雑な問題を抱えながら進められた。

青葉山は、江戸時代には仙台藩藩主の伊達氏の居城である仙台城があった所である。また、そのふもとから広瀬川にかけての土地には、馬場や仙台藩重臣の屋敷が置かれていた。戊辰戦争を経て、これらの敷地が官軍に占領された後、仙台城の二の丸跡には鎮台第二師団など陸軍の諸施設が設置され、また青葉山のふもとの追廻地区は練兵場や射撃場へと変わった[1][2]

仙台城の本丸は明治時代の初め頃に取り壊されたが[3]、ここに1902年明治35年)に昭忠碑が建立、1904年(明治37年)に宮城縣護國神社の前身である仙台招魂社が設立された。仙台城の本丸跡は宮城県に関わる戦没者を祀る場所へと変化し、市民に開放されることになった。この頃、市民は長沼の南端部から本丸跡へ登坂したが、これが酷い急坂だった。通用の不便を改善するために仙台市は二の丸跡を敷地としていた第二師団に対して、市民が二の丸跡から本丸跡へ登れるように一部の敷地の借用を求めた。この交渉は、仙台市が第二師団に対して門や柵を寄付することを条件に成立した。こうして、陸軍から借用された敷地が青葉山公園として1925年大正14年)10月に開園した。この時の青葉山公園は、大手門や遊歩道などを含む2957坪(約0.98ヘクタール)の公園だった[4][5][6]

太平洋戦争終結後、連合国が進駐して第二師団の敷地を接収したために青葉山公園は事実上の休園状態となった[4]。公園として再開するのは1953年昭和28年)である[6]

戦後の都市計画において、仙台市は1946年(昭和21年)に13箇所の公園と緑地の設置を決定した。この中で青葉山公園は、追廻地区の練兵場跡地を含めて総合運動公園として整備されることが決められた[7]。しかし、追廻地区では戦後間もない時期に住宅営団が住宅の建設を始めていた[8]。公園の整備を進めたい仙台市と追廻地区に居住を続けたい住人は相容れず、この問題は仙台市の戦後処理案件として半世紀以上にわたって残った。

住宅地とならなかった追廻地区の一部にはテニスコートやバレーボールコートが設置された[1][2][6]。また、仙台市は1955年(昭和30年)に計画を見直して、青葉山公園を総合運動公園から普通公園へ改めた[8]

その後、青葉山公園の中にはいくつかの大きな公共施設が建てられた。まず1961年(昭和36年)に仙台城三の丸跡に仙台市博物館が開館した[9]。次いで、1964年(昭和39年)に公園の北側に宮城県スポーツセンターが開館し[10][11]1991年平成3年)に仙台国際センターが開館した[12]2015年(平成27年)には公園の北側をかすめる形で仙台市地下鉄東西線が開通して、ここに国際センター駅が開業した。

2018年現在、ほとんどの住人が移転した追廻地区では家屋がほぼなくなり、仙台市がここを青葉山公園の一部として整備する事業を進めている[13]

昭忠碑

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「昭忠」 の揮毫は、 小松宮彰仁親王による。「昭忠」とは、忠義を明らかにするという意味[14]

塔上にブロンズ像が設置されていたが、戦前の金属供出を免れた明治期のブロンズ彫刻作品として、東北地方でも最古級のブロンズ彫刻である[14]

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災により、塔上から落下し破損。2016年(平成28年)10月に修復が完了し、安全性を考慮し、塔前の基壇上に設置されている[14]

施設等

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周辺

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アクセス

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鉄道・路線バス
自家用車
  • 駐車場:各施設の駐車場を利用。

脚注

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  1. ^ a b 『角川日本地名大辞典4 宮城県』189-190頁。
  2. ^ a b 『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻)265頁。
  3. ^ 『仙台市史』特別編7(城館)272頁。
  4. ^ a b 1955年刊行『仙台市史2』本篇2、376頁。
  5. ^ 『仙台市史』特別編7(城館)273頁。
  6. ^ a b c 青葉山公園整備基本計画 第1章 計画の前提 (PDF) ”(仙台市)2018年10月20日閲覧。
  7. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)131頁。
  8. ^ a b 『仙台市史』通史編8(現代1)134-135頁。
  9. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)542頁。
  10. ^ 2006年平成18年)閉館。
  11. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)545頁。
  12. ^ 『仙台市史』通史編9(現代2)116-117頁。
  13. ^ 青葉山公園整備事業”(仙台市)2018年10月20日閲覧。
  14. ^ a b c 修理後に設置されていた、青葉城資料展示館による仮説案内板による。

参考文献

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  • 仙台市史編纂委員会『仙台市史2』本篇2、仙台市、発行年:1955年
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編8(現代1)仙台市、発行年:2011年
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編9(現代2)仙台市、発行年:2013年
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』特別編7(城館)仙台市、発行年:2006年
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典4 宮城県』角川書店、発行年:1979年
  • 平凡社地方資料センター『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻)平凡社、発行年:1987年

関連事項

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外部リンク

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