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{{別人|x1=元バスケットボール選手の|井手勇次}}
{{F1ドライバー
{{F1ドライバー
|氏名 = 井出 有治
|氏名 = 井出 有治
|Image = Yuji Ide 2010 Super GT Fuji 400km.jpg
|Image = Yuji Ide 2010 Super GT Fuji 400km.jpg
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|説明 = [[SUPER GT]]第3戦富士400kmでの井出有治<br />(2010年)
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|出身地 = [[埼玉県]][[浦和市]]
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|最終戦 = {{F1|2006}}[[2006年サンマリノグランプリ|サンマリノGP]]
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}}
'''井出 有治'''(いで ゆうじ、[[1975年]][[1月21日]] - )は、[[埼玉県]][[浦和市]](現[[さいたま市]])出身の[[レーシングドライバー]]、元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー。
'''井出 有治'''(いで ゆうじ、''{{lang-en-short|Yuji Ide }}''、[[1975年]][[1月21日]] - )は、[[埼玉県]][[浦和市]](現[[さいたま市]])出身の[[自動車競技|レーシングドライバー]]、元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー。


== プロフィール ==
== プロフィール ==
* 身長:178cm
* 身長:177cm
* 体重:68kg
* 体重:70kg
* [[血液型]]:RH+AB型
* 血液型:RH+AB型
* 愛車:[[BMW MINI]]
* 愛車:[[メルセデス・ベンツ]] CLA45
* 高校:[[小松原高等学校]]
* 高校:[[叡明高等学校|小松原高等学校]] 自動車科


== レース経歴 ==
== レース経歴 ==
=== 成長期 ===
=== カート ===
[[1991年]]に[[レーシングカート]]でデビュー。1994より[[全日本F3選手権]]に参戦。
[[1990年]]に[[レーシングカート]]を始める。1992年のカート選手権東関東シリーズA1クラスランキング2位となり、ジャパンカトグランプリSSストッククラス全国大会で優勝を果たす1993全日本カート選手権シリーズFAクラスに参戦した


=== フォーミュラ3 ===
全日本F3では成績は安定していたものの、特に際立った成績が残せなかったため、1999年に一旦[[フォーミュラ・ドリーム]]に参戦し、[[松浦孝亮]]や[[柳田真孝]]らと争ってシリーズチャンピオンを獲得した。このフォーミュラ・ドリーム参戦は井出にとっては大きな賭けであった。シーズン前、井出のレース活動資金援助をした[[鈴木亜久里]]から「チャンピオンを獲れなかったら引退」と言われていた。そしてシリーズチャンピオンになり鈴木亜久里からの信頼を得たこと後のF1参戦や[[ARTA]]からの[[フォーミュラ・ニッポン]]と[[SUPER GT]]の参戦につながった。
1994年より四輪レースにステップアップし、[[全日本F3選手権]]にデビューする。1998年まの5シーズンで完走率高かったが、最高成績は9位と際立った成績が残せなかったため、1999年に一旦カテゴリーをげて[[フォーミュラ・ドリーム]](FD)に参戦し、[[松浦孝亮]]や[[柳田真孝]]らと争ってシリーズチャンピオンを獲得した。このフォーミュラ・ドリーム参戦は井出にとって賭けであり、シーズン開幕前、同年の井出のレース活動資金援助をした[[鈴木亜久里]]から「今年のサポートはするけど、FDでチャンピオンを獲れなかったら引退」と言われていた。このFDシリーズチャンピオン獲得は鈴木亜久里が主宰する[[ARTA]]からの[[フォーミュラ・ニッポン]]と[[SUPER GT]]参戦、そして短期間にはなったがF1への参戦につながった。


その後2000年~2001年に再び全日本F3選手権に参戦。2000年は無限×童夢PROJECTより参戦し、2勝を挙げてランキング2位<ref>オートスポーツ NO.809 2000年11/24号 118121頁「井出、リベンジ達成!無限×童夢が1-2フィニッシュ。井出、ランキング2位を獲得!」より。</ref>。2001年の[[マカオグランプリ]]では総合5位に入賞した<ref>週刊オートスポーツ NO.845 2001年11/29号 72頁「第48回マカオ・グランプリ・レースリポート」より。</ref>。
FDタイトル獲得2000年より再び全日本F3に参戦。無限×童夢PROJECTより参戦し、2勝を挙げてランキング2位を獲得<ref>オートスポーツ NO.809 2000年11/24号 118-121頁「井出、リベンジ達成!無限×童夢が1-2フィニッシュ。井出、ランキング2位を獲得!」</ref>。2001年の[[マカオグランプリ]]では総合5位に入賞した<ref>週刊オートスポーツ NO.845 2001年11/29号 72頁「第48回マカオ・グランプリ・レースリポート」</ref>。


2002年はフランスF3選手権に参戦し、7月28日の第9戦で予選2番手から優勝している<ref>週刊オートスポーツ NO.880 2002年8/15&22号 28頁「追撃体制は整った!松浦孝亮、井出有治 同週末に独仏F3連続制覇!」より</ref>。
2002年はARTAプロジェクトと提携したフランスの[[シグナチュール・チーム]]よりフランスF3選手権にフル参戦し、第9戦で予選2位グリッドからスタートすると[[オリビエ・プラ]]、[[ニコラ・ラピエール]]との争いを制し優勝し<ref>週刊オートスポーツ NO.880 2002年8/15&22号 28頁「追撃体制は整った!松浦孝亮、井出有治 同週末に独仏F3連続制覇!」より</ref>。


=== フォーミュラ・ニッポン ===
2003年に[[セルモ]]より念願の[[フォーミュラ・ニッポン]]に参戦を開始し、予選順位では揮わなかったが決勝では安定したペースで走行し、ゴール時には上位に食い込む走りで、最終ランキングでチームメイトの[[松田次生]]よりも上位になり、関係者の注目
2003年に[[セルモ]]より日本最高峰カテゴリーである[[フォーミュラ・ニッポン]]に参戦予選順位では中団に埋もれるも、決勝レースではタイヤマネージメントを習得し、安定したペースで走行ゴール時には上位に食い込む走りで、最終ランキングでチームメイトの[[松田次生]]よりも上位を獲得し評価を高
[[全日本GT選手権]]では[[ホシノインパル]]より[[カルソニックカンセイ|カルソニック]][[日産・スカイライン|スカイライン]]で参戦し、[[ブノワ・トレルイエ]]とのコンビで2勝をあげた。


[[全日本GT選手権]]では[[ホシノインパル]]より[[カルソニックカンセイ|カルソニック]][[日産・スカイライン|スカイライン]]で参戦し、[[ブノワ・トレルイエ]]とのコンビで2勝をあげた。
2004年はフォーミュラ・ニッポンもインパルから参戦し、最終戦までチャンピオン争いを展開してシリーズ3位の成績挙げた。2005年は、引き続きインパルよりフォーミュラ・ニッポンとSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦し、フォーミュラ・ニッポンではシリーズ2位の成績を収めた。

2004年からはフォーミュラ・ニッポンホシノインパルに移籍し、最終戦までチャンピオン争いを展開してシリーズ3位を獲得。2005年は、引き続きインパルよりフォーミュラ・ニッポンとSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦し、フォーミュラ・ニッポンではシリーズ2位の成績を収めた。


=== フォーミュラ1 ===
=== フォーミュラ1 ===
[[File:Ide 2006 Australian GP.jpg|right|thumb|220px|2006年オーストラリアGP]]
[[File:Ide 2006 Australian GP.jpg|right|thumb|220px|2006年オーストラリアGP]]
2006に鈴木亜久里率いる新チーム、[[スーパーアグリF1チーム|スーパーアグリ]]よりF1に参戦。チームメイトは[[佐藤琢磨]]で、史上初の日本人ドライバー2人のチームメイト参戦であった。
{{f1|2006}}に鈴木亜久里率いる新チーム、[[スーパーアグリF1チーム|スーパーアグリ]]よりF1に参戦。チームメイトは[[佐藤琢磨]]で、史上初の日本人ドライバー2人のチームメイト参戦であった。


開幕戦[[バーレーングランプリ|バーレーンGP]]でF1デビューを果たしたが、様々な要因によって満足なテスト走行もできなかったうえ、かつ自身のマシンである[[スーパーアグリ・SA05|SA05]]がまともに走る代物ではない劣悪な状態である(詳しくは後述)ことから、フリー走行時よりトラブルが発生してクルマを止めるシーンが見られ、決勝では35周でリタイアとなった。第2戦[[マレーシアグランプリ|マレーシアGP]]もメカニカルトラブルでリタイアした。第3戦[[オーストラリアグランプリ|オーストラリアGP]]では初の完走(13位)を記録したが、第4戦[[サンマリノグランプリ|サンマリノGP]]で、1周目に[[MF1レーシング|MF1]]の[[クリスチャン・アルバース]]と接触し、アルバースのマシンは横転しリタイアとなった。その接触によるダメージもあり、再びリタイアとなった。
開幕戦[[バーレーングランプリ|バーレーンGP]]でF1デビューを果たしたが、様々な要因によって満足なテスト走行もできなかったうえ、かつ自身のマシンである[[スーパーアグリ・SA05|SA05]]がまともに走る代物ではない劣悪な状態である(詳しくは後述)ことから、フリー走行時よりトラブルが発生してクルマを止めるシーンが見られ、決勝では35周でリタイアとなった。第2戦[[マレーシアグランプリ|マレーシアGP]]もメカニカルトラブルでリタイアした。第3戦[[オーストラリアグランプリ|オーストラリアGP]]では初の完走(13位)を記録したが、第4戦[[サンマリノグランプリ|サンマリノGP]]で、1周目に[[MF1レーシング|MF1]]の[[クリスチャン・アルバース]]と接触し、アルバースのマシンは横転しリタイアとなった。その接触によるダメージもあり、再びリタイアとなった。


[[ヨーロッパグランプリ|ヨーロッパGP]]前に[[国際自動車連盟|FIA]]側から、「テストドライバーとしてF1の経験を積ませるべきである」という助言があり、これをチームが受け入れたため、[[フランク・モンタニー]]にシートを譲った。その後5月10日に、FIAから井出の[[スーパーライセンス]]を取り消す旨の通告があったことがチームから発表された。これにより、井出が再びライセンスを手にするためには、F1に参戦している全チームの同意が必要となることから、シリーズへの出場が事実上不可能となった。
[[ヨーロッパグランプリ|ヨーロッパGP]]前に[[国際自動車連盟|FIA]]側から、「テストドライバーとしてF1の経験を積ませるべきである」という助言があり、これをチームが受け入れたため、[[フランク・モンタニー]]にシートを譲った。その後5月10日に、FIAから井出の[[スーパーライセンス]]を取り消す旨の通告があったことがチームから発表された。これにより、井出が再びライセンスを手にするためには、F1に参戦している全チームの同意が必要となることから、シリーズへの出場が事実上不可能となった。シーズン途中に発給済みのスーパーライセンスが取り消しとなったのは、本件の井出が史上初であり、また2023年現在は唯一の事例となっている


ちなみにF1のシーズン途中にスーパーライセンスの剥奪処分を受けたのは、井出が史上初であり、以降は起きていないことから井出が唯一の例となっている。この件に関しては、新規参入だったこともあり、準備が遅れ、チーム全体の実車でのテスト走行があまりできなかったことやそのあおりでマシンへの習熟もままならずにレースに参戦せざるを得なかったことがチームの公式見解となっている。また、[[アロウズ]]のマシン設計を急遽転用したようにマシン開発の混乱などのチームの準備不足によって速い遅い以前に動かすのが精一杯なマシンで出走したことも背景にある。実際、シャシーナンバーが異なることから、モンタニーは井出が使用したマシンで出走しておらず、少なくとも井出のマシンに何らかの問題を抱えていることは示唆されていた。{{要出典|範囲=これ以外にも諸説あるが、2カーエントリー必須というレギュレーションを満たすためだけの「当て馬」として井出が起用されたという説やチームは佐藤を走らせることだけを最重点に置いたため、井出のマシンの調整に手が回らず、ある種冷遇されていたという説もあるが、実際のところは不明である。ただ、このような待遇を受けた例は[[ペリー・マッカーシー]]などが挙げられる。|date=2019年4月}}
この件に関しては、新規参入だったこともあり、準備が遅れ、チーム全体の実車でのテスト走行があまりできなかったことやそのあおりでマシンへの習熟もままならずにレースに参戦せざるを得なかったことがチームの公式見解となっている。また、[[アロウズ]]のマシン設計を急遽転用したようにマシン開発の混乱などのチームの準備不足によって速い遅い以前に動かすのが精一杯なマシンで出走したことも背景にある。実際、シャシーナンバーが異なることから、井出の後任である[[フランク・モンタニー]]や[[山本左近]]は井出が使用したマシンで出走しておらず、少なくとも井出のマシンに何らかの問題を抱えていることは示唆されていた。


=== 国内レース復帰 ===
{{要出典|範囲=他にもマシンとしての問題は、井出が使用していたものは[[メルボルン]]の空港で観光用に展示されていた雨晒しの[[アロウズ]]のマシンがベースとなっていたこと、また自分専用のドライバーズシートの製作がグランプリに間に合わず、4年前の2002年にアロウズのマシンをドライブしていた[[ハインツ=ハラルド・フレンツェン]]のシートに詰め物をして乗っており、自分のドライビングポジションが取れなかったこと、ギアボックスの7速が使えずトップスピードが伸びなかったこと、サスペンションの基本設計が古いためタイヤのグリップを十分に引き出せなかったこと、当時の設計のままで空力付加物を追加していたことにより、バックミラーが視界不良であったことなどが判明している|date=2019年4月}}。

=== 国内レース復帰 ===
2006年7月4日、チームの公式サイトおよび自身のサイトにおいて、7月8日から[[鈴鹿サーキット]]で開催されるフォーミュラ・ニッポン第4戦から[[NTTドコモ|DoCoMo]] [[ダンディライアン (企業)|TEAM DANDELION RACING]]より参戦を発表し、最終戦までの6レースに出走した(なおスーパーアグリとの契約はシーズン終了まで有効だったため、形式としてはスーパーアグリからの[[レンタル移籍]]という形での参戦だった)。
2006年7月4日、チームの公式サイトおよび自身のサイトにおいて、7月8日から[[鈴鹿サーキット]]で開催されるフォーミュラ・ニッポン第4戦から[[NTTドコモ|DoCoMo]] [[ダンディライアン (企業)|TEAM DANDELION RACING]]より参戦を発表し、最終戦までの6レースに出走した(なおスーパーアグリとの契約はシーズン終了まで有効だったため、形式としてはスーパーアグリからの[[レンタル移籍]]という形での参戦だった)。


また、SUPER GTにも[[NISMO]]から第6戦にスポット参戦した。しかしながら、井出は決勝レース中7位でドライバー交代後、すぐに他チームの車と接触し、危険行為としてドライブスルーペナルティーを科せられた、コントロールラインのオフィシャルからのサインボードの示を3周もの間無視し、失格となった。さらにそ後、失格を示す黒旗をも無視し数周走行後にようやくピットに入ったものの、ドライブスルーをしてレースを続行し、失格処分に加え、30万円の罰金処分が下されるという、前代未聞の不祥事を起こしてしまった(なお、この失格が響いてNISMOは同年度の年間優勝を逃している)。SUPER GTを統括るGTアソシエイションは、かかる井出の行為を「タワーの表示を認識しい行為は、オフィシャルの存在を軽視した行為と同義」として、同年度の残りレースの井出のエントリーを拒否した。
また、SUPER GTにも[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|NISMO]]から第6戦にスポット参戦した。井出は決勝レースドライバー交代後に他チームの車と接触危険行為としてドライブスルーペナルティーを科せられた。しかし井出はピットからの呼びかけを無視し続けさらにコントロールラインのオフィシャルからのサインボードの示を3周もの間無視しつづけ黒旗を提示され失格となった。の失格処分によりNISMOは同年度の年間優勝を逃す結果とた。

SUPER GTを統括するGTアソシエイションは、かかる井出の行為を「タワーの表示を認識しない行為は、オフィシャルの存在を軽視した行為と同義」として、30万円の罰金と同年度の残りレースの井出のエントリーを拒否した。


2007年2月22日、鈴木亜久里率いるARTAのドライバーとして、フォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、第5戦では3位表彰台を獲得した。一方SUPER GTには、第6戦・鈴鹿1000kmに[[伊藤大輔 (レーサー)|伊藤大輔]]、[[ラルフ・ファーマン]]のパートナーとしてサードドライバーとして出場し
2007年2月22日、鈴木亜久里率いるARTAのドライバーとして、フォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、第5戦では3位表彰台を獲得した。一方SUPER GTには、第6戦・鈴鹿1000kmにサードドライバーとして出場している


2008年は、ARTAのドライバーとして引き続きフォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、加えてSUPER GTに[[チーム国光]]から[[細川慎弥]]とのコンビでフル参戦した。
2008年は、ARTAのドライバーとして引き続きフォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、加えてSUPER GTに[[チーム国光]]から[[細川慎弥]]とのコンビでフル参戦した。
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2011年は、一転レース活動を行わず、自らの新チームを立ち上げるための準備期間とすることを、自身のホームページで明らかにした後、新チームY's RACINGを立ちあげ、シビックワンメイクレースインターシリーズに第4戦より参戦した。
2011年は、一転レース活動を行わず、自らの新チームを立ち上げるための準備期間とすることを、自身のホームページで明らかにした後、新チームY's RACINGを立ちあげ、シビックワンメイクレースインターシリーズに第4戦より参戦した。


本人はレーシングドライバーとしての活動継続の道を模索していたものの、結局スポンサー確保などが難航し現役復帰が難しくなったことから、2013年2月に「レーシングドライバーとしてではなく、「第二の人生として」考えていた事業を進めていく」として、「引退」という表現こそ否定したものの事実上第一線を退く考えを明らかにした<ref>[http://as-web.jp/news/info.php?c_id=2&no=46301 井出有治、復帰への活動に区切り。引退は否定] - オートスポーツ・2013年2月5日</ref>。ところが同年4月にはSUPER GT・GT300クラスに参戦する[[KRAFT|Bonds Racing]]が[[折目遼]]に代わって井出をドライバーに起用することを発表し、一転して現役復帰した。ただ復帰戦を最後にそのBonds Racingが活動を休止したため、2013年のレース参戦はこの1戦のみとなった。
本人はレーシングドライバーとしての活動継続の道を模索していたものの、結局スポンサー確保などが難航し現役復帰が難しくなったことから、2013年2月に「レーシングドライバーとしてではなく、「第二の人生として」考えていた事業を進めていく」として、「引退」という表現こそ否定したものの事実上第一線を退く考えを明らかにした<ref>[https://www.as-web.jp/past/%e4%ba%95%e5%87%ba%e6%9c%89%e6%b2%bb%e3%80%81%e5%be%a9%e5%b8%b0%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%b4%bb%e5%8b%95%e3%81%ab%e5%8c%ba%e5%88%87%e3%82%8a%e3%80%82%e5%bc%95%e9%80%80%e3%81%af%e5%90%a6%e5%ae%9a 井出有治、復帰への活動に区切り。引退は否定] - オートスポーツ・2013年2月5日</ref>。ところが同年4月にはSUPER GT・GT300クラスに参戦する[[KRAFT|Bonds Racing]]が[[折目遼]]に代わって井出をドライバーに起用することを発表し、一転して現役復帰した。ただ復帰戦を最後にそのBonds Racingが活動を休止したため、2013年のレース参戦はこの1戦のみとなった。


2014年は[[韓国]]のECSTA RACINGに加入し、[[SUPERRACE CHAMPIONSHIP]]・スーパー6000クラスに参戦<ref>[http://www.yuji-ide.com/?p=infolist&cat=1204& お知らせ] - 井出有治公式サイト</ref>。ドライバーズランキング5位、チームランキング3位という結果に終わった。
2014年は[[韓国]]のECSTA RACINGに加入し、[[SUPERRACE CHAMPIONSHIP]]・スーパー6000クラスに参戦<ref>[http://www.yuji-ide.com/?p=infolist&cat=1204& お知らせ] - 井出有治公式サイト</ref>。ドライバーズランキング5位、チームランキング3位という結果に終わった。
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*2007年
*2007年
**全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
**全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
**SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦>(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/[[ホンダ・NSX|NSX NA2]] [[ホンダ・C型エンジン|C32B]])(1勝
**SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦>(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/[[ホンダ・NSX|NSX NA2]] [[ホンダ・C型エンジン|C32B]])
*2008年
*2008年
**全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
**全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
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! 年
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! チーム
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! シャーシ
! エンジン
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! クラス
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! rowspan="2" | [[1994年の全日本F3選手権|1994年]]
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! [[アクティブ]]
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! [[トムス|トムス 033F]]
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|[[MINEサーキット|MIN]]<br /><small></small>
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|[[岡山国際サーキット|TAI]]<br /><small></small>
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! [[トヨタ・T型エンジン|トヨタ]]
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! [[2000年の全日本F3選手権|2000年]]
! [[2000年の全日本F3選手権|2000年]]
! [[M-TEC|無限]]×[[童夢 (自動車会社)|童夢]] プロジェクト
! [[M-TEC|無限]]×[[童夢 (自動車会社)|童夢]] プロジェクト
! [[ダラーラ|ダラーラ F300]]
! [[M-TEC|無限]]
! [[無限・MF204|無限]]
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! [[2001年の全日本F3選手権|2001年]]
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! [[スリーボンド|ThreeBond Racing]]
! [[スリーボンド|ThreeBond Racing]]
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! [[スリーボンド|ThreeBond]]
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! チーム
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! [[2002年のフランス・フォーミュラ3選手権|2002年]]
! [[2002年のフランス・フォーミュラ3選手権|2002年]]
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! [[ARTA]]・[[シグナチュール・チーム|シグナチュール]]
! [[ダラーラ|ダラーラ F302]]
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! [[2003年のフォーミュラ・ニッポン|2003年]]
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! [[セルモ|COSMO OIL RACING TEAM CERUMO]]
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! チーム
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! GT300
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! GT500
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* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])
* '''太字'''は[[ポールポジション]]、''斜字''は[[ファステストラップ]]。([[:Template:Motorsport driver results legend|key]])
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== 人物 ==
== 人物 ==
*フォーミュラドリーム後の2年間を、「F1ドライバーになるために走るレース」でなく、「プロとして闘うレース=スポンサーやチームへ結果を残すためにプレッシャーを感じながら戦うレース」を勉強しながら知った事が良い経験だったと語っている<ref>週刊オートスポーツNO.852 2002年1/24号 「日本人ヨーロッパF3戦士の総決起集会 2002勝利の公約」より。</ref>。
*フォーミュラドリーム後の2年間を、「F1ドライバーになるために走るレース」でなく、「プロとして闘うレース=スポンサーやチームへ結果を残すためにプレッシャーを感じながら戦うレース」を勉強しながら知った事が良い経験だったと語っている<ref>週刊オートスポーツNO.852 2002年1/24号 「日本人ヨーロッパF3戦士の総決起集会 2002勝利の公約」より。</ref>。

== 新東京サーキット ==
2020年9月10日付で、千葉県市原市の[[新東京サーキット]]のオーナーとなり、レーシングカートサーキットの経営を始める<ref>{{Cite web|和書|title=元F1レーサー井出有治がカートコース「新東京サーキット」オーナーになってやりたいこととは?|url=https://clicccar.com/2020/11/07/1032405/|website=clicccar.com|date=2020-11-07|accessdate=2021-09-01|language=ja}}</ref>。しかしオーナーとなるが、新東京サーキットの共同経営者である若濱真之介の本業であるフラワーペイメント株式会社は2021年2月不正に顧客情報を書き換える「[https://toruoka.xyz/210207-kumamoto-flower/ 熊本電力での違法なスイッチング行為]」など数々のトラブルを起こすことになる。2021年7月熊本電力の主張が認められ仮処分が下る。翌月の2021年8月サーキットスタッフから新型コロナウイルスのクラスター感染が発生するが、若濱真之介はそれを隠蔽して営業を行っていたことが発覚。結果、SNSを中心に利用者から多くの不満の声が上がる。井出はスタッフが療養中にひとりでサーキット営業を行っていた2021年8月28日に不可解な形で代表取締役解任となる。その後は損害賠償等請求事件(名誉棄損)及び、株主総会決議不存在確認等請求事件として訴えを起こし、千葉地方裁判所にて現在係争中である。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{Commons|Yuji Ide}}
{{Commons|Yuji Ide}}
* [[モータースポーツ]]
* [[モータースポーツ]]
* [[日本人ドライバー一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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{{2010年フォーミュラ・ニッポン出走ドライバー}}
{{2010年フォーミュラ・ニッポン出走ドライバー}}
{{2013年NISSAN・SUPER GTチーム}}
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{{スーパーアグリF1}}
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[[Category:全日本GT選手権のドライバー]]
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[[Category:SUPER GTのドライバー]]
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[[Category:さいたま市出身の人物]]
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[[Category:1975年生]]
[[Category:1975年生]]

2024年7月29日 (月) 23:16時点における最新版

井出 有治
SUPER GT第3戦富士400kmでの井出有治
(2010年)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県浦和市
生年月日 (1975-01-21) 1975年1月21日(49歳)
F1での経歴
活動時期 2006
所属チーム '06 スーパーアグリ
出走回数 4
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
最終戦 2006年サンマリノGP
テンプレートを表示

井出 有治(いで ゆうじ、: Yuji Ide 1975年1月21日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のレーシングドライバー、元F1ドライバー。

プロフィール

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レース経歴

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カート

[編集]

1990年レーシングカートを始める。1992年のカート選手権東関東シリーズA1クラスでランキング2位となり、ジャパンカートグランプリSSストッククラス全国大会で優勝を果たす。1993年は全日本カート選手権シリーズFAクラスに参戦した。

フォーミュラ3

[編集]

1994年より四輪レースにステップアップし、全日本F3選手権にデビューする。1998年までの5シーズンで完走率は高かったが、最高成績は9位と際立った成績が残せなかったため、1999年に一旦カテゴリーを下げてフォーミュラ・ドリーム(FD)に参戦し、松浦孝亮柳田真孝らと争ってシリーズチャンピオンを獲得した。このフォーミュラ・ドリーム参戦は井出にとって賭けであり、シーズン開幕前、同年の井出のレース活動資金を援助をした鈴木亜久里から「今年のサポートはするけど、FDでチャンピオンを獲れなかったら引退」と言われていた。このFDシリーズチャンピオン獲得は鈴木亜久里が主宰するARTAからのフォーミュラ・ニッポンSUPER GT参戦、そして短期間にはなったがF1への参戦につながった。

FDタイトル獲得後、2000年より再び全日本F3に参戦。無限×童夢PROJECTより参戦し、2勝を挙げてランキング2位を獲得[1]。2001年のマカオグランプリでは総合5位に入賞した[2]

2002年はARTAプロジェクトと提携したフランスのシグナチュール・チームよりフランスF3選手権にフル参戦し、第9戦で予選2位グリッドからスタートするとオリビエ・プラニコラ・ラピエールとの争いを制し優勝した[3]

フォーミュラ・ニッポン

[編集]

2003年にセルモより日本の最高峰カテゴリーであるフォーミュラ・ニッポンに参戦。予選順位では中団に埋もれるも、決勝レースではタイヤマネージメントを習得し、安定したペースで走行。ゴール時には上位に食い込む走りで、最終ランキングでチームメイトの松田次生よりも上位を獲得し評価を高める。

全日本GT選手権では、ホシノインパルよりカルソニックスカイラインで参戦し、ブノワ・トレルイエとのコンビで2勝をあげた。

2004年からはフォーミュラ・ニッポンでもホシノインパルに移籍し、最終戦までチャンピオン争いを展開してシリーズ3位を獲得。2005年は、引き続きインパルよりフォーミュラ・ニッポンとSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦し、フォーミュラ・ニッポンではシリーズ2位の成績を収めた。

フォーミュラ1

[編集]
2006年オーストラリアGP

2006年に鈴木亜久里率いる新チーム、スーパーアグリよりF1に参戦。チームメイトは佐藤琢磨で、史上初の日本人ドライバー2人のチームメイト参戦であった。

開幕戦バーレーンGPでF1デビューを果たしたが、様々な要因によって満足なテスト走行もできなかったうえ、かつ自身のマシンであるSA05がまともに走る代物ではない劣悪な状態である(詳しくは後述)ことから、フリー走行時よりトラブルが発生してクルマを止めるシーンが見られ、決勝では35周でリタイアとなった。第2戦マレーシアGPもメカニカルトラブルでリタイアした。第3戦オーストラリアGPでは初の完走(13位)を記録したが、第4戦サンマリノGPで、1周目にMF1クリスチャン・アルバースと接触し、アルバースのマシンは横転しリタイアとなった。その接触によるダメージもあり、再びリタイアとなった。

ヨーロッパGP前にFIA側から、「テストドライバーとしてF1の経験を積ませるべきである」という助言があり、これをチームが受け入れたため、フランク・モンタニーにシートを譲った。その後5月10日に、FIAから井出のスーパーライセンスを取り消す旨の通告があったことがチームから発表された。これにより、井出が再びライセンスを手にするためには、F1に参戦している全チームの同意が必要となることから、シリーズへの出場が事実上不可能となった。シーズン途中に発給済みのスーパーライセンスが取り消しとなったのは、本件の井出が史上初であり、また2023年現在は唯一の事例となっている。

この件に関しては、新規参入だったこともあり、準備が遅れ、チーム全体の実車でのテスト走行があまりできなかったことやそのあおりでマシンへの習熟もままならずにレースに参戦せざるを得なかったことがチームの公式見解となっている。また、アロウズのマシン設計を急遽転用したようにマシン開発の混乱などのチームの準備不足によって速い遅い以前に動かすのが精一杯なマシンで出走したことも背景にある。実際、シャシーナンバーが異なることから、井出の後任であるフランク・モンタニー山本左近は井出が使用したマシンで出走しておらず、少なくとも井出のマシンに何らかの問題を抱えていることは示唆されていた。

国内レース復帰

[編集]

2006年7月4日、チームの公式サイトおよび自身のサイトにおいて、7月8日から鈴鹿サーキットで開催されるフォーミュラ・ニッポン第4戦からDoCoMo TEAM DANDELION RACINGより参戦を発表し、最終戦までの6レースに出走した(なおスーパーアグリとの契約はシーズン終了まで有効だったため、形式としてはスーパーアグリからのレンタル移籍という形での参戦だった)。

また、SUPER GTにもNISMOから第6戦にスポット参戦した。井出は決勝レースのドライバー交代直後に他チームの車と接触。危険行為としてドライブスルーペナルティーを科せられた。しかし井出はピットからの呼びかけを無視し続け、さらにコントロールラインのオフィシャルからのサインボードの掲示を3周もの間無視しつづけ、黒旗を提示され失格となった。この失格処分によりNISMOは同年度の年間優勝を逃す結果となった。

SUPER GTを統括するGTアソシエイションは、かかる井出の行為を「タワーの表示を認識しない行為は、オフィシャルの存在を軽視した行為と同義」として、30万円の罰金と同年度の残りレースの井出のエントリーを拒否した。

2007年2月22日、鈴木亜久里率いるARTAのドライバーとして、フォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、第5戦では3位表彰台を獲得した。一方SUPER GTには、第6戦・鈴鹿1000kmにサードドライバーとして出場している。

2008年は、ARTAのドライバーとして引き続きフォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、加えてSUPER GTにチーム国光から細川慎弥とのコンビでフル参戦した。

2009年は、ARTAがフォーミュラ・ニッポンへの参戦を取りやめたこともあり、SUPER GTのみの参戦となり、引き続きチーム国光から参戦した。

2010年は、古巣のARTAからSUPER GTにラルフ・ファーマンとのコンビで参戦した他、MOTUL TEAM 無限からフォーミュラ・ニッポンに復帰した。

2011年は、一転レース活動を行わず、自らの新チームを立ち上げるための準備期間とすることを、自身のホームページで明らかにした後、新チームY's RACINGを立ちあげ、シビックワンメイクレースインターシリーズに第4戦より参戦した。

本人はレーシングドライバーとしての活動継続の道を模索していたものの、結局スポンサー確保などが難航し現役復帰が難しくなったことから、2013年2月に「レーシングドライバーとしてではなく、「第二の人生として」考えていた事業を進めていく」として、「引退」という表現こそ否定したものの事実上第一線を退く考えを明らかにした[4]。ところが同年4月にはSUPER GT・GT300クラスに参戦するBonds Racing折目遼に代わって井出をドライバーに起用することを発表し、一転して現役復帰した。ただ復帰戦を最後にそのBonds Racingが活動を休止したため、2013年のレース参戦はこの1戦のみとなった。

2014年は韓国のECSTA RACINGに加入し、SUPERRACE CHAMPIONSHIP・スーパー6000クラスに参戦[5]。ドライバーズランキング5位、チームランキング3位という結果に終わった。

2015年はSUPER GT・GT300クラスのUPGARAGE with BANDOHからマルコ・アスマーの代役として開幕戦に参戦。第2戦も第3ドライバーとして登録された。

2017年は、SUPER GT・GT300クラスへEIcars BENTLEY TTO(アイカーズ・ベントレー・テラモト・テクニカル・オフィス)から、阪口良平とのコンビで参戦することが発表された。マシンはベントレー・コンチネンタルGT3[6]

レース戦績

[編集]
  • 1990年 - レーシングカートにデビュー
  • 1991年 - 関東ナショナルカップカート競技選手権<最終戦 スポット参戦>(優勝)
  • 1992年
    • 地方カート選手権東関東シリーズA1クラス(シリーズ2位)
    • ジャパンカートグランプリSSストッククラス全国大会(優勝)
  • 1993年 - 全日本カート選手権シリーズFAクラス
  • 1994年 - 全日本F3選手権<Rd.1-5,10 スポット参戦>(#19 BLUE MAX☆033F→boutigue Z ☆ 033F→Dallara F393 MUGEN/トムス033F トヨタ・トムス3S-GEダラーラF393 無限MF204
  • 1995年 - 全日本F3選手権・Jクラス<Rd.1-3,5,6,8-10 スポット参戦>(アサダレーシング #11 Fboutigue 22 F393/ダラーラF393 無限MF204)
  • 1997年 - 全日本F3選手権<Rd.1,2 スポット参戦>(アサダレーシング #10 M-digital F396/ダラーラF396 無限MF204)
  • 1998年 - 全日本F3選手権<Rd.1〜7 スポット参戦>(NOW MOTOR SPORTS #33 5ZIGEN・DALLARA/ダラーラF396 トヨタ・トムス3S-GE)
  • 1999年
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(NISMO #15 ザナビィARTAシルビア/シルビア S15 SR20DET)(シリーズ2位・3勝)
    • フォーミュラドリーム(シリーズチャンピオン)
  • 2000年
    • 全日本F3選手権(無限×童夢プロジェクト #11 FドリームARTA無限/ダラーラF300 無限MF204B)(シリーズ2位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1 スポット参戦>(NISMO #2 カストロール・ニスモGT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT
  • 2001年
    • 全日本F3選手権(ThreeBond Racing #12 ThreeBond/ダラーラF309→F301 ThreeBond NISSAN SR20VE)(シリーズ5位)
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(ハセミ・モータースポーツ #3 ユニシアジェックスシルビア/シルビア S15 SR20DET)(シリーズ4位)
  • 2002年 - フランスF3選手権(シリーズ7位)
  • 2003年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(COSMO OIL RACING TEAM CERUMO #12/ローラB351 無限MF308)(シリーズ7位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGTR BNR34 VQ30DETT)(シリーズ4位・2勝)
  • 2004年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(mobilecast TEAM IMPUL #20/ローラB351 無限MF308)(シリーズ3位・1勝)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックインパルZ/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ11位・1勝)
    • スーパー耐久シリーズ・Class3(RS中春 #245 モバイルキャスト アドバン Z/フェアレディZ Z33 VQ35DE)(シリーズチャンピオン)
  • 2005年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(mobilecast TEAM IMPUL #20/ローラB351 無限MF308)(シリーズ2位・2勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックインパルZ/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ11位)
  • 2006年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.4〜9>(DoCoMo DANDELION #41/ローラB06/51 HF386E
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦>(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)
  • 2007年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
    • SUPER GT・GT500クラス<Rd.6 スポット参戦>(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA NSX/NSX NA2 C32B
  • 2008年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #55/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ13位)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ11位)
  • 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ13位)
  • 2010年
    • 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(MOTUL TEAM 無限 #16/スウィフト017.n HR10E)(シリーズ15位)
    • SUPER GT・GT500クラス(AUTOBACS RACING TEAM AGURI #8 ARTA HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズ11位・1勝)
  • 2015年 - SUPER GT・GT300クラス(TEAM UPGARAGE with BANDOH #18 UPGARAGE BANDOH 86/86 ZN6 GTA V8)(シリーズ25位)
  • 2017年 - SUPER GT・GT300クラス(EIcars BENTLEY TTO #117 EIcars BENTLEY GT3)
  • 2018年 - SUPER GT・GT300クラス(EIcars BENTLEY #117 EIcars BENTLEY GT3)

フォーミュラ

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全日本フォーミュラ3選手権

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チーム シャーシ エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
1994年 アクティブ トムス 033F トヨタ SUZ
14
FSW
Ret
TSU
17
SUZ
Ret
SEN
20
TOK
MIN
TAI
SUG
NC 0
アサダレーシング ダラーラ F393 無限 SUZ
10
1995年 J SUZ
12
TSU
12
MIN
SUZ
Ret
TAI
Ret
SUG
FSW
14
SUZ
10
SEN
11
4位 22
1997年 ダラーラF396 SUZ
Ret
TSU
Ret
MIN
FSW
SUZ
SUG
SEN
TRM
FSW
SUZ
NC 0
1998年 NOW MOTOR SPORTS トヨタ SUZ
9
TSU
10
MIN
16
FSW
16
TRM
Ret
SUZ
19
SUG
13
TAI
SEN
SUG
NC 0
2000年 無限×童夢 プロジェクト ダラーラ F300 無限 SUZ
Ret
TSU
1
FSW
6
MIN
3
TAI
6
SUZ
2
SUG
5
TRM
3
SEN
6
SUZ
1
2位 35
2001年 ThreeBond Racing ダラーラ F399 ThreeBond SUZ1
Ret
SUZ2
4
TSU1
7
TSU2
7
FSW1
5
FSW2
Ret
MIN1
4
MIN1
3
TRM1
Ret
TRM2
5
SUZ
5
SUG1
5
SUG2
5
SEN1
6
SEN2
6
TAI1
5
TAI2
8
TRM1
8
TRM2
8
5位 100

フランス・フォーミュラ3選手権

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チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
2002年 ARTAシグナチュール ダラーラ F302 ルノー NOG1
9
NOG2
4
LED1
5
LED2
3
DIJ1
8
DIJ2
8
CRO1
2
CRO2
1
ALB1
Ret
ALB2
8
BUG1
8
BUG2
Ret
MAG1
13
MAG2
12
7位 84

(key)

フォーミュラ・ニッポン

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チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2003年 COSMO OIL RACING TEAM CERUMO ローラ・B351 無限 SUZ
4
FSW
7
MIN
3
TRM
2
SUZ
7
SUG
10
FSW
Ret
MIN
3
TRM
12
SUZ
5
7位 19
2004年 mobilecast TEAM IMPUL SUZ
12
SUG
2
TRM
2
SUZ
3
SUG
7
MIN
7
SEP
10
TRM
1
SUZ
2
3位 32
2005年 TRM
2
SUZ
1
SUG
5
FSW
7
SUZ
8
MIN
1
FSW
3
TRM
4
SUZ
3
2位 39
2006年 DoCoMo TEAM DANDELION RACING ローラ・B06/51 ホンダ FSW SUZ TRM SUZ
12
AUT
12
FSW
11
SUG
Ret
TRM
Ret
SUZ
10
NC 0
2007年 AUTOBACS RACING TEAM AGURI FSW
14
SUZ
10
TRM
16
OKA
Ret
SUZ
3
FSW
16
SUG
Ret
TRM
Ret
SUZ
10
13位 6
2008年 FSW
9
SUZ
18
TRM
15
OKA
Ret
SUZ1
15
SUZ2
Ret
TRM1
12
TRM2
Ret
FSW1
Ret
FSW2
19
SUG
17
19位 2
2010年 MOTUL TEAM 無限 スウィフト・017.n ホンダ SUZ
9
TRM
9
FSW
10
TRM
9
SUG
9
AUT
Ret
SUZ1
8
SUZ2
8
15位 1

フォーミュラ1

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チーム Car. No. ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数
2006年 スーパーアグリ 23 25位 0 13位 0回 21位
チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2006年 スーパーアグリ SA05 BHR
Ret
MAL
Ret
AUS
13
SMR
Ret
EUR ESP MON GBR CAN USA FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 25位 0

(key)

全日本GT選手権/SUPER GT

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1996年 HOSHINO RACING 日産・シルビア GT300 SUZ FSW SEN
Ret
FSW SUG MIN NC 0
1999年 NISMO GT300 SUZ
9
FSW
Ret
SUG
1
MIN
1
FSW
Ret
TAI
1
TRM
4
2位 72
2000年 日産・スカイラインGT-R GT500 TRM
5
FSW SUG FSW TAI MIN SUZ 22位 6
2001年 ハセミモータースポーツ 日産・シルビア GT300 TAI
6
FSW
2
SUG
12
FSW
2
TRM
9
SUZ
2
MIN
12
4位 53
2003年 TEAM IMPUL 日産・スカイラインGT-R GT500 TAI
12
FSW
2
SUG
Ret
FSW
1
FSW
16
TRM
6
AUT
11
SUZ
1
4位 64
2004年 日産・フェアレディZ GT500 TAI
8
SUG
10
SEP
Ret
TOK
11
TRM
Ret
AUT
5
SUZ
1
11位 35
2005年 GT500 OKA
Ret
FSW
15
SEP
8
SUG
5
TRM
3
FSW
13
AUT
4
SUZ
9
11位 35
2006年 NISMO GT500 SUZ OKA FSW SEP SUG SUZ
DSQ
TRM AUT FSW NC 0
2007年 Autobacs Racing Team Aguri ホンダ・NSX GT500 SUZ OKA FSW SEP SUG SUZ
2
TRM AUT FSW 18位 15
2008年 TEAM KUNIMITSU GT500 SUZ
13
OKA
9
FSW
4
SEP
5
SUG
5
SUZ
2
TRM
16
AUT
9
FSW
Ret
11位 41
2009年 GT500 OKA
7
SUZ
12
FSW
11
SEP
4
SUG
4
SUZ
9
FSW
12
AUT
6
TRM
8
13位 29
2010年 Autobacs Racing Team Aguri ホンダ・HSV-010 GT GT500 SUZ
Ret
OKA
6
FSW
11
SEP
11
SUG
12
SUZ
1
FSW
C
TRM
7
11位 29
2013年 Bonds Racing 日産・GT-R NISMO GT3 GT300 OKA FSW
5
SEP SUG SUZ FSW AUT TRM 20位 6
2015年 TEAM UPGARAGE with BANDOH トヨタ・86 MC GT300 OKA
19
FSW
Ret
CHA
Ret
FSW
Ret
SUZ SUG AUT
9
TRM
Ret
25位 2
2017年 EIcars BENTLEY TTO ベントレー・コンチネンタル GT3 GT300 OKA
20
FSW
16
AUT
19
SUG FSW
18
SUZ
Ret
CHA TRM
22
NC 0
2018年 EIcars BENTLEY GT300 OKA
21
FSW
22
SUZ
18
CHA
FSW
13
SUG
15
AUT
18
TRM
19
NC 0
2022年 BUSOU Drago CORSE 日産・GT-R NISMO GT3 GT300 OKA
11
FSW
2
SUZ
6
FSW SUZ SUG AUT MOT 20位 12.5

出演番組

[編集]

人物

[編集]
  • フォーミュラドリーム後の2年間を、「F1ドライバーになるために走るレース」でなく、「プロとして闘うレース=スポンサーやチームへ結果を残すためにプレッシャーを感じながら戦うレース」を勉強しながら知った事が良い経験だったと語っている[7]

新東京サーキット

[編集]

2020年9月10日付で、千葉県市原市の新東京サーキットのオーナーとなり、レーシングカートサーキットの経営を始める[8]。しかしオーナーとなるが、新東京サーキットの共同経営者である若濱真之介の本業であるフラワーペイメント株式会社は2021年2月不正に顧客情報を書き換える「熊本電力での違法なスイッチング行為」など数々のトラブルを起こすことになる。2021年7月熊本電力の主張が認められ仮処分が下る。翌月の2021年8月サーキットスタッフから新型コロナウイルスのクラスター感染が発生するが、若濱真之介はそれを隠蔽して営業を行っていたことが発覚。結果、SNSを中心に利用者から多くの不満の声が上がる。井出はスタッフが療養中にひとりでサーキット営業を行っていた2021年8月28日に不可解な形で代表取締役解任となる。その後は損害賠償等請求事件(名誉棄損)及び、株主総会決議不存在確認等請求事件として訴えを起こし、千葉地方裁判所にて現在係争中である。

脚注

[編集]
  1. ^ オートスポーツ NO.809 2000年11/24号 118-121頁「井出、リベンジ達成!無限×童夢が1-2フィニッシュ。井出、ランキング2位を獲得!」
  2. ^ 週刊オートスポーツ NO.845 2001年11/29号 72頁「第48回マカオ・グランプリ・レースリポート」
  3. ^ 週刊オートスポーツ NO.880 2002年8/15&22号 28頁「追撃体制は整った!松浦孝亮、井出有治 同週末に独仏F3連続制覇!」より
  4. ^ 井出有治、復帰への活動に区切り。引退は否定 - オートスポーツ・2013年2月5日
  5. ^ お知らせ - 井出有治公式サイト
  6. ^ EIcars BENTLEY TTOによるベントレーのGT300参戦が決定! 井出/阪口のコンビに,オートスポーツ,2017年2月18日
  7. ^ 週刊オートスポーツNO.852 2002年1/24号 「日本人ヨーロッパF3戦士の総決起集会 2002勝利の公約」より。
  8. ^ 元F1レーサー井出有治がカートコース「新東京サーキット」オーナーになってやりたいこととは?”. clicccar.com (2020年11月7日). 2021年9月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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