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「角田晃一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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{{騎手
{{騎手
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|説 = 2020年名古屋グランプリ表彰式
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|区 = 平地
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|引 = 2010年2月28日
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|重 = 39勝 (中央38勝、地方1勝)
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|調初 = 2010年(2011年開業)
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|調通=3362戦278勝(中央)|調重=18勝(中央11勝、地方7勝)}}
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'''角田 晃一'''(つのだ こういち、[[1970年]][[11月18日]]<ref name=kisyu1998/> - )は[[日本中央競馬会]] (JRA) 所属の[[調教師]]で、元[[騎手]]。
'''角田 晃一'''(つのだ こういち、[[1970年]][[11月18日]]<ref name=kisyu1998/> - )は[[日本中央競馬会]] (JRA) 所属の[[調教師]]で、元[[騎手]]。


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1970年[[鳥取県]][[西伯郡]]名和町にて4人兄妹の長男として出生。長兄でありながら体躯が小さかったものの、運動が得意であった角田に父は騎手になることを進路の一つとして提案。競馬とは無縁の環境であった鳥取で生まれ育ち、競馬サークルにも知人のいなかった角田であったが、父の勧め通り[[競馬学校]]に進学、[[1989年]]栗東・[[渡辺栄]]厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には[[田中勝春]]、[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]らがいる。
1970年[[鳥取県]][[西伯郡]]名和町にて4人兄妹の長男として出生。長兄でありながら体躯が小さかったものの、運動が得意であった角田に父は騎手になることを進路の一つとして提案。競馬とは無縁の環境であった鳥取で生まれ育ち、競馬サークルにも知人のいなかった角田であったが、父の勧め通り[[競馬学校]]に進学、[[1989年]]栗東・[[渡辺栄]]厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には[[田中勝春]]、[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]らがいる。


デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え初年度43勝を挙げ、1989年の[[JRA賞最多勝利新人騎手]]として表彰された<ref>{{Cite web |date= |url=http://www.jra.go.jp/datafile/dendo/jrasho_bn.html |title=JRA賞 バックナンバー |publisher=JRA |accessdate=2015-09-13}}</ref>。
デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え初年度43勝を挙げ、1989年の[[JRA賞最多勝利新人騎手]]として表彰された<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.jra.go.jp/datafile/dendo/jrasho_bn.html |title=JRA賞 バックナンバー |publisher=JRA |accessdate=2015-09-13}}</ref>。


師匠の渡辺の縁で、鶴留明雄・[[山本正司]]といった[[武田文吾]]一門の厩舎の馬に騎乗することがあった角田は[[1991年]]、[[シスタートウショウ]]に騎乗し[[第51回桜花賞|桜花賞]]を制覇、デビュー3年目にして[[競馬の競走格付け|GI]]ジョッキーとなる。気性難であった同馬を乗りこなせた要因を後に角田は「競馬学校時代に癖馬ばかり乗らされた経験が生きている」と語っている<ref>騎手という稼業/52頁。</ref>。
師匠の渡辺の縁で、[[鶴留明雄]]・[[山本正司]]といった[[武田文吾]]一門の厩舎の馬に騎乗することがあった角田は[[1991年]]、[[シスタートウショウ]]に騎乗し[[第51回桜花賞|桜花賞]]を制覇、デビュー3年目にして[[競馬の競走格付け|GI]]ジョッキーとなる。気性難であった同馬を乗りこなせた要因を後に角田は「競馬学校時代に癖馬ばかり乗らされた経験が生きている」と語っている<ref>騎手という稼業/52頁。</ref>。


[[1994年]]には[[ノースフライト]]とのコンビで[[安田記念]]・[[マイルチャンピオンシップ]]を制し、GIを2勝。デビューから5年間での重賞11勝のうち、10勝が牝馬に騎乗してのものであり、牝馬に騎乗しての活躍が目立つことから、この頃より「牝馬の角田」と呼ばれるようになる。さらに翌年[[ヒシアケボノ]]で[[スプリンターズステークス]]を制覇。前年ノースフライトのGI2勝と足し当時の[[古馬]]短距離GI全制覇という記録を達成。[[佐山優]]調教師・ヒシの[[冠名]]の競走馬を所有している[[阿部雅一郎]]オーナーからの信頼が厚く、この他[[ヒシミラクル]]でGI3勝を記録するなど、一時期をのぞいて長く主戦として活躍をした。
[[1994年]]には[[ノースフライト]]とのコンビで[[安田記念]]・[[マイルチャンピオンシップ]]を制し、GIを2勝。デビューから5年間での重賞11勝のうち、10勝が牝馬に騎乗してのものであり、牝馬に騎乗しての活躍が目立つことから、この頃より「牝馬の角田」と呼ばれるようになる。さらに翌年[[ヒシアケボノ]]で[[スプリンターズステークス]]を制覇。前年ノースフライトのGI2勝と足し当時の[[古馬]]短距離GI全制覇という記録を達成。[[佐山優]]調教師・ヒシの[[冠名]]の競走馬を所有している[[阿部雅一郎]]オーナーからの信頼が厚く、この他[[ヒシミラクル]]でGI3勝を記録するなど、一時期をのぞいて長く主戦として活躍をした。


[[2001年]]は、[[ジャングルポケット]]で[[東京優駿]]を制覇。同[[馬主]]・同[[厩舎]]・同[[騎手]]で、幻の[[中央競馬クラシック三冠|三冠馬]]と呼ばれたフジキセキ以来の念願を成就している。
[[2001年]]は、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]で[[東京優駿]]を制覇。同[[馬主]]・同[[厩舎]]・同[[騎手]]で、幻の[[中央競馬クラシック三冠|三冠馬]]と呼ばれたフジキセキ以来の念願を成就している。


角田はその後渡辺栄厩舎の定年解散に伴い[[2004年]]3月よりフリーへと転向。これにより後にGI馬となる[[スイープトウショウ]]、[[フサイチパンドラ]]の主戦を降ろされる不運に見舞われ、勝ち鞍を大幅に減らした時期があったが、[[2007年]]、[[サマーシリーズ|サマージョッキーズシリーズ]]初代チャンピオンを獲得し、[[第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]への出場を果たすなど徐々に騎乗回数を回復し、勝ち鞍も伸ばしていた。
角田はその後渡辺栄厩舎の定年解散に伴い[[2004年]]3月よりフリーへと転向。これにより後にGI馬となる[[スイープトウショウ]]、[[フサイチパンドラ]]の主戦を降ろされる不運に見舞われ、勝ち鞍を大幅に減らした時期があったが、[[2007年]]、[[サマーシリーズ|サマージョッキーズシリーズ]]初代チャンピオンを獲得し、[[第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]への出場を果たすなど徐々に騎乗回数を回復し、勝ち鞍も伸ばしていた。


騎手生活末期は[[松永昌博]]厩舎の主戦騎手として騎乗していた。[[2010年]][[2月]]に調教師免許試験に合格し、同年[[2月28日]]付で引退することが発表された<ref>[http://www.jra.go.jp/news/201002/021001.html 2010年度 調教師・騎手免許試験合格者](JRA公式ウェブサイト)</ref><ref>[http://www.jra.go.jp/news/201002/021002.html 菊沢、塚田、角田、西原、橋本騎手が2月28日(日)付けで引退](JRA公式ウェブサイト)</ref><ref>同時に騎手免許の更新も行い試験に合格していたが、調教師免許との併用は現行の規定ではできないため、騎手免許に関しては返上した。</ref>。同年3月1日より[[中竹和也]]厩舎にて技術調教師として活動。翌[[2011年]][[3月1日]]付で調教師として開業した(栗東:馬房数14)<ref>[http://www.jra.go.jp/news/201102/pdf/022801_02.pdf 2011年3月1日付け 調教師別貸付馬房数一覧表(栗東)](JRA公式ウェブサイト)</ref>。[[2013年]][[11月9日]]、[[ファンタジーステークス]]で管理馬の[[ベルカント (競走馬)|ベルカント]]が優勝、調教師として重賞初制覇となった<ref>[http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20131109-1215934.html ベルカント逃げ切った/ファンタジーS](nikkansports.com)</ref>。
騎手生活晩年は[[松永昌博]]厩舎の主戦騎手として騎乗していた。[[2010年]][[2月]]に調教師免許試験に合格し、同年[[2月28日]]付で引退することが発表された<ref>[https://web.archive.org/web/20100211181139/http://www.jra.go.jp/news/201002/021001.html 2010年度 調教師・騎手免許試験合格者](JRA公式ウェブサイト)</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20100211011748/http://www.jra.go.jp/news/201002/021002.html 菊沢、塚田、角田、西原、橋本騎手が2月28日(日)付けで引退](JRA公式ウェブサイト)</ref><ref>同時に騎手免許の更新も行い試験に合格していたが、調教師免許との併用は現行の規定ではできないため、騎手免許に関しては返上した。</ref>。同年3月1日より[[中竹和也]]厩舎にて技術調教師として活動。翌[[2011年]][[3月1日]]付で調教師として開業した(栗東:馬房数14)<ref>[http://www.jra.go.jp/news/201102/pdf/022801_02.pdf 2011年3月1日付け 調教師別貸付馬房数一覧表(栗東)](JRA公式ウェブサイト)</ref>。[[2013年]][[11月9日]]、[[ファンタジーステークス]]で管理馬の[[ベルカント (競走馬)|ベルカント]]が優勝、調教師として重賞初制覇となった<ref>[https://web.archive.org/web/20131111231826/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20131109-1215934.html ベルカント逃げ切った/ファンタジーS](nikkansports.com)</ref>。


長男は[[2014年]]の[[ジョッキーベイビーズ]]優勝者で、父の日本ダービー優勝を映像で見て騎手に憧れ[[2017年]]4月に競馬学校に36期生として入学した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/04/05/kiji/20170404s00004048372000c.html 角田師長男・大和君「父の日本ダービーを見て騎手に憧れた」]</ref>
長男である[[角田大和]]は[[2014年]]の[[ジョッキーベイビーズ]]優勝者で、父の日本ダービー優勝を映像で見て騎手に憧れ[[2017年]]4月に競馬学校に36期生として入学<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/04/05/kiji/20170404s00004048372000c.html 角田師長男・大和君「父の日本ダービーを見て騎手に憧れた」]</ref>
<ref>[http://www.hochi.co.jp/horserace/20170404-OHT1T50085.html 唯一の女性入学者・古川奈穂さん「騎手になるための第一歩」競馬学校入学式]</ref>。次男も騎手を目指し、[[2019]]に競馬学校38期生として入学した<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=153115 角田晃一調教師の男・大父の背中追う「自然と騎手になりたいと…]</ref>。
<ref>[https://web.archive.org/web/20170404083316/http://www.hochi.co.jp/horserace/20170404-OHT1T50085.html 唯一の女性入学者・古川奈穂さん「騎手になるための第一歩」競馬学校入学式]</ref>。2021年2月に騎手免許試験に合格し、3月デビューした<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20210209-OHT1T50182.html|title=角田晃一調教師の男・大が騎手免許試験合格 “親子鷹”で父の背中追う「結果を出せる騎手に」|newspaper=スポーツ報知|date=2021-02-09|accessdate=2021-02-09}}</ref>。

次男・[[角田大河]]も騎手を目指し、[[2019年]]に競馬学校に38期生として入学<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=153115 角田晃一調教師の次男・大河君、父の背中追う「自然と騎手になりたいと…」]</ref>、2022年2月に騎手免許を取得<ref>{{Cite web|和書|title=【JRA】令和4年度騎手免許試験の新規合格者10名が発表 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=199458 |website=netkeiba.com |accessdate=2022-02-08 |language=ja}}</ref>、同年3月にデビューしたが、2024年に死去した。

[[2019年]]には管理馬の[[マスターフェンサー]]で米国クラシック競走の[[ケンタッキーダービー]](6着)、[[ベルモントステークス]](5着)に挑戦した<ref>{{Cite web|和書|date=2019-06-11|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/839628|title=目立たず不器用だった馬なのに、米3冠で5着のマスターフェンサー。|publisher=Number Web|author=平松さとし|accessdate=2019-12-03}}</ref>。


== 騎手成績 ==
== 騎手成績 ==
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{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!年度!!1着
!年度!!勝利数!!勝率!!連対率!!備考
!2着
!3着
!騎乗数!!勝率!!連対率
!複勝率!!備考
|-
|-
|1989年||43||.126||.250||JRA賞最多勝利新人騎手
|1989年||43
|42
|30
|340||.126||.250
|.338||JRA賞最多勝利新人騎手
|-
|-
|1990年||47勝||.098||.172||
|1990年||47
|35
|54
|478||.098||.172
|.285||
|-
|-
|1991年||67||.149||.241||[[優秀騎手賞]](勝率部門)
|1991年||67
|41
|60
|449||.149||.241
|.374||[[優秀騎手賞]](勝率部門)
|-
|-
|1992年||52||.138||.245||優秀騎手賞(勝率部門)
|1992年||52
|40
|23
|376||.138||.245
|.306||優秀騎手賞(勝率部門)
|-
|-
|1993年||49||.125||.222||[[フェアプレー賞]]
|1993年||49
|38
|45
|392||.125||.222
|.337||[[フェアプレー賞]]
|-
|-
|1994年||57勝||.130||.240||
|1994年||57
|48
|53
|439||.130||.240
|.361||
|-
|-
|1995年||42勝||.111||.202||
|1995年||42
|34
|39
|377||.111||.202
|.305||
|-
|-
|1996年||45||.102||.172||フェアプレー賞(関西)
|1996年||45
|31
|41
|445||.102||.172
|.265||フェアプレー賞(関西)
|-
|-
|1997年||34||.083||.147||フェアプレー賞(関西)
|1997年||34
|26
|34
|417||.083||.147
|.230||フェアプレー賞(関西)
|-
|-
|1998年||16勝||.055||.131||
|1998年||16
|22
|22
|298||.055||.131
|.206||
|-
|-
|1999年||26勝||.078||.162||
|1999年||26
|28
|37
|336||.078||.162
|.273||
|-
|-
|2000年||36||.095||.170||フェアプレー賞(関西)
|2000年||36
|28
|27
|377||.095||.170
|.241||フェアプレー賞(関西)
|-
|-
|2001年||30||.069||.160||フェアプレー賞(関西)
|2001年||30
|39
|39
|436||.069||.160
|.250||フェアプレー賞(関西)
|-
|-
|2002年||31勝||.074||.109||
|2002年||31
|15
|31
|430||.074||.109
|.183||
|-
|-
|2003年||20勝||.049||.112||
|2003年||20
|26
|19
|413||.049||.112
|.158||
|-
|-
|2004年||14勝||.043||.122||
|2004年||14
|26
|24
|329||.043||.122
|.195||
|-
|-
|2005年||10勝||.036||.098||
|2005年||10
|17
|18
|277||.036||.098
|.163||
|-
|-
|2006年||18勝||.054||.119||
|2006年||18
|22
|25
|339||.054||.119
|.193||
|-
|-
|2007年||24||.056||.148||サマージョッキーズシリーズ チャンピオン
|2007年||24
|39
|41
|427||.056||.148
|.244||サマージョッキーズシリーズ チャンピオン
|-
|-
|2008年||30勝||.056||.116||
|2008年||30
|32
|35
|537||.056||.116
|.181||
|-
|-
|2009年||19勝||.046||.109||
|2009年||19
|26
|14
|416||.046||.109
|.143||
|-
|-
|2010年||3||.071||.143||
|2010年||3
|3
|2
|42||.071||.143
|.190||
|-
|-
!通算||713勝||.086||.164
!通算||713
!658
!713
!8322||.086||.164
!.250
|}
|}

== 主な騎乗馬 ==


=== 代表騎乗馬 ===
=== 代表騎乗馬 ===
('''太字'''はGI級競走を示す)
*[[シスタートウショウ]][[桜花賞]])
*[[シスタートウショウ]](1991年'''[[桜花賞]]'''
*[[ノースフライト]]([[安田記念]]、[[マイルチャンピオンシップ]])
*[[フジキセキ]][[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]])
*[[ノースライト]](1993年[[府中牝馬ステークス]]、1994年'''[[安田記念]]'''、[[スワンステークス]]、'''[[マイルチャンピオンシップ]]'''
*[[ビワハイジ]][[阪神ジュベナイルリー|阪神3歳牝馬ステークス]])
*[[キセキ]](1994年[[朝日杯ューチュティステクス|'''朝日杯3歳ステークス''']]、1995年[[弥生賞ディープインパクト記念|弥生賞]])
*[[ヒシアケボノ]][[スプリンターズステークス]])
*[[ヒシアケボノ]](1995年[[スワンステークス]]、'''[[スプリンターズステークス]]'''
*[[ビワハイジ]](1995年[[阪神ジュベナイルフィリーズ|'''阪神3歳牝馬ステークス''']])
*[[ジャングルポケット]]([[東京優駿]])
*[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]](2001年[[共同通信杯]]、'''[[東京優駿]]''')
*[[ヒシミラクル]][[菊花賞]]、[[天皇賞|天皇賞(春)]]、[[宝塚記念]])
*[[ヒシミラクル]](2002年'''[[菊花賞]]'''2003年'''[[天皇賞(春)]]''''''[[宝塚記念]]'''

;その他
*[[ミツワトップレディ]]
*[[ブラックホーク (競走馬)|ブラックホーク]]
*[[ダンスパートナー]]
*[[エスポワールシチー]]


== 調教師成績 ==
== 調教師成績 ==
136行目: 245行目:
=== 主な管理馬 ===
=== 主な管理馬 ===
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、'''太字'''はGI級競走。
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、'''太字'''はGI級競走。
* [[ベルカント (競走馬)|ベルカント]]([[2013年]] [[ファンタジーステークス]]、[[2014年]] [[フィリーズレビュー]]、[[2015年]] [[アイビスサマーダッシュ]]、 [[北九州記念]]、[[2016年]] アイビスサマーダッシュ)
* [[ベルカント (競走馬)|ベルカント]]([[2013年]][[ファンタジーステークス]]、[[2014年]][[フィリーズレビュー]]、[[2015年]][[アイビスサマーダッシュ]]、 [[北九州記念]]、[[2016年]]アイビスサマーダッシュ)
*[[メイショウコロンボ]]([[2014年]] [[兵庫ゴールドトロフィー]]<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20141224/227/10/ 2014年兵庫ゴールドトロフィー結果] - JBIS、2014年12月25日閲覧</ref>、[[2015年]] [[名古屋大賞典]])
* [[メイショウコロンボ]]([[2014年]][[兵庫ゴールドトロフィー]]<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20141224/227/10/ 2014年兵庫ゴールドトロフィー結果] - JBIS、2014年12月25日閲覧</ref>、[[2015年]][[名古屋大賞典]])
* [[アレスバローズ]] (2018年[[CBC賞]]、北九州記念)
* [[アレスバローズ]] (2018年[[CBC賞]]、北九州記念)
* [[イベリス (競走馬)|イベリス]] (2019年[[アーリントンカップ]])
* [[イベリス]] (2019年[[アーリントンカップ]]、2021年[[京都牝馬ステークス]])
* [[ムイトオブリガード]] (2019年[[アルゼンチン共和国杯]])
* [[マスターフェンサー]] (2020年[[マーキュリーカップ]]、[[白山大賞典]]、[[名古屋グランプリ]]、2021年マーキュリーカップ)
* [[ウェルドーン]](2021年[[関東オークス]])
* [[タマモブラックタイ]](2023年[[ファルコンステークス]])
<!--新たに重賞勝ちなどを追加する際、冒頭テンプレートの重賞勝ち数も一緒に更新してください-->
<!--新たに重賞勝ちなどを追加する際、冒頭テンプレートの重賞勝ち数も一緒に更新してください-->


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* [[白坂聡]](2011年-現在 調教助手)
* [[白坂聡]](2011年-現在 調教助手)
* [[柴原央明]](2012年-現在 調教助手)
* [[柴原央明]](2012年-現在 調教助手)
* [[高野容輔]](2017年-現在 調教助手)<ref>{{Cite web|和書|url= https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1a01465ece3b402ed5d7776aa55cd03b7e0e2e12 |title= 思いもしない事態に襲われ騎手を引退した男が、アメリカ遠征で感じた騎手への想いとは…… |work= |publisher= 平松さとし |accessdate=2019-06-19}}</ref>
* '''[[角田大和]]'''(2021年-現在 騎手)


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2024年8月10日 (土) 03:03時点における最新版

角田晃一
2020年名古屋グランプリ表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鳥取県[1]西伯郡名和町
(現・大山町
生年月日 (1970-11-18) 1970年11月18日(53歳)
身長 164.0cm[1]
体重 51.0kg[1]
血液型 A型[1]
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 栗東・渡辺栄(1989.3.1 - 2004.2.29)
栗東・フリー(2004.3.1 - 引退)
初免許年 1989年
免許区分 平地
騎手引退日 2010年2月28日
重賞勝利 39勝 (中央38勝、地方1勝)
G1級勝利 10勝 (中央10勝、地方0勝)
通算勝利 8332戦713勝 (中央)
調教師情報
初免許年 2010年(2011年開業)
重賞勝利 18勝(中央11勝、地方7勝)
通算勝利 3362戦278勝(中央)
経歴
所属 栗東トレーニングセンター
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角田 晃一(つのだ こういち、1970年11月18日[1] - )は日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師で、元騎手

来歴

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1970年鳥取県西伯郡名和町にて4人兄妹の長男として出生。長兄でありながら体躯が小さかったものの、運動が得意であった角田に父は騎手になることを進路の一つとして提案。競馬とは無縁の環境であった鳥取で生まれ育ち、競馬サークルにも知人のいなかった角田であったが、父の勧め通り競馬学校に進学、1989年栗東・渡辺栄厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には田中勝春佐藤哲三らがいる。

デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え初年度43勝を挙げ、1989年のJRA賞最多勝利新人騎手として表彰された[2]

師匠の渡辺の縁で、鶴留明雄山本正司といった武田文吾一門の厩舎の馬に騎乗することがあった角田は1991年シスタートウショウに騎乗し桜花賞を制覇、デビュー3年目にしてGIジョッキーとなる。気性難であった同馬を乗りこなせた要因を後に角田は「競馬学校時代に癖馬ばかり乗らされた経験が生きている」と語っている[3]

1994年にはノースフライトとのコンビで安田記念マイルチャンピオンシップを制し、GIを2勝。デビューから5年間での重賞11勝のうち、10勝が牝馬に騎乗してのものであり、牝馬に騎乗しての活躍が目立つことから、この頃より「牝馬の角田」と呼ばれるようになる。さらに翌年ヒシアケボノスプリンターズステークスを制覇。前年ノースフライトのGI2勝と足し当時の古馬短距離GI全制覇という記録を達成。佐山優調教師・ヒシの冠名の競走馬を所有している阿部雅一郎オーナーからの信頼が厚く、この他ヒシミラクルでGI3勝を記録するなど、一時期をのぞいて長く主戦として活躍をした。

2001年は、ジャングルポケット東京優駿を制覇。同馬主・同厩舎・同騎手で、幻の三冠馬と呼ばれたフジキセキ以来の念願を成就している。

角田はその後渡辺栄厩舎の定年解散に伴い2004年3月よりフリーへと転向。これにより後にGI馬となるスイープトウショウフサイチパンドラの主戦を降ろされる不運に見舞われ、勝ち鞍を大幅に減らした時期があったが、2007年サマージョッキーズシリーズ初代チャンピオンを獲得し、第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場を果たすなど徐々に騎乗回数を回復し、勝ち鞍も伸ばしていた。

騎手生活晩年は松永昌博厩舎の主戦騎手として騎乗していた。2010年2月に調教師免許試験に合格し、同年2月28日付で引退することが発表された[4][5][6]。同年3月1日より中竹和也厩舎にて技術調教師として活動。翌2011年3月1日付で調教師として開業した(栗東:馬房数14)[7]2013年11月9日ファンタジーステークスで管理馬のベルカントが優勝、調教師として重賞初制覇となった[8]

長男である角田大和2014年ジョッキーベイビーズ優勝者で、父の日本ダービー優勝を映像で見て騎手に憧れ2017年4月に競馬学校に36期生として入学[9] [10]。2021年2月に騎手免許試験に合格し、同年3月にデビューした[11]

次男・角田大河も騎手を目指し、2019年に競馬学校に38期生として入学[12]、2022年2月に騎手免許を取得[13]、同年3月にデビューしたが、2024年に死去した。

2019年には管理馬のマスターフェンサーで米国クラシック競走のケンタッキーダービー(6着)、ベルモントステークス(5着)に挑戦した[14]

騎手成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1989年3月4日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 ミツワシンゲキ 9頭 2 3着
初勝利 1989年3月18日 1回阪神7日8R 4歳上400万円下 ヤマニントリガー 8頭 7 1着
重賞初騎乗 1989年6月4日 3回阪神6日11R 阪急杯 ワンモアマイハート 18頭 15 16着
重賞初勝利 1990年6月10日 3回東京8日11R エプソムカップ サマンサトウショウ 14頭 3 1着
GI初騎乗 1989年11月12日 5回京都4日10R エリザベス女王杯 シンビクトリー 20頭 14 3着
GI初勝利 1991年4月7日 3回京都6日10R 桜花賞 シスタートウショウ 18頭 4 1着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 備考
1989年 43 42 30 340 .126 .250 .338 JRA賞最多勝利新人騎手
1990年 47 35 54 478 .098 .172 .285
1991年 67 41 60 449 .149 .241 .374 優秀騎手賞(勝率部門)
1992年 52 40 23 376 .138 .245 .306 優秀騎手賞(勝率部門)
1993年 49 38 45 392 .125 .222 .337 フェアプレー賞
1994年 57 48 53 439 .130 .240 .361
1995年 42 34 39 377 .111 .202 .305
1996年 45 31 41 445 .102 .172 .265 フェアプレー賞(関西)
1997年 34 26 34 417 .083 .147 .230 フェアプレー賞(関西)
1998年 16 22 22 298 .055 .131 .206
1999年 26 28 37 336 .078 .162 .273
2000年 36 28 27 377 .095 .170 .241 フェアプレー賞(関西)
2001年 30 39 39 436 .069 .160 .250 フェアプレー賞(関西)
2002年 31 15 31 430 .074 .109 .183
2003年 20 26 19 413 .049 .112 .158
2004年 14 26 24 329 .043 .122 .195
2005年 10 17 18 277 .036 .098 .163
2006年 18 22 25 339 .054 .119 .193
2007年 24 39 41 427 .056 .148 .244 サマージョッキーズシリーズ チャンピオン
2008年 30 32 35 537 .056 .116 .181
2009年 19 26 14 416 .046 .109 .143
2010年 3 3 2 42 .071 .143 .190
通算 713 658 713 8322 .086 .164 .250

主な騎乗馬

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代表騎乗馬

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太字はGI級競走を示す)

その他

調教師成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2011年3月5日 1回阪神3日1R 3歳未勝利 サイキョウファスト 15頭 11 11着
初勝利 2011年4月24日 1回新潟2日7R 4歳上500万下 ロックンロール 12頭 1 1着
重賞初出走 2011年7月17日 3回新潟2日11R アイビスSD シャウトライン 15頭 7 4着
重賞初勝利 2013年11月9日 5回京都3日11R ファンタジーS ベルカント 18頭 4 1着
GI初出走 2013年12月15日 5回中山6日11R 朝日杯フューチュリティステークス ベルカント 16頭 3 10着
GI初勝利

主な管理馬

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※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

主な厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

参考文献

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  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4-89691-298-5
  • 小林常浩『騎手という稼業』(アールズ出版、2000年)ISBN 4-901226-13-4
  • 別冊宝島『競馬騎手名鑑'98』宝島社、1998年。ISBN 4-7966-9383-1 

脚注

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  1. ^ a b c d e 騎手1998、180頁
  2. ^ JRA賞 バックナンバー”. JRA. 2015年9月13日閲覧。
  3. ^ 騎手という稼業/52頁。
  4. ^ 2010年度 調教師・騎手免許試験合格者(JRA公式ウェブサイト)
  5. ^ 菊沢、塚田、角田、西原、橋本騎手が2月28日(日)付けで引退(JRA公式ウェブサイト)
  6. ^ 同時に騎手免許の更新も行い試験に合格していたが、調教師免許との併用は現行の規定ではできないため、騎手免許に関しては返上した。
  7. ^ 2011年3月1日付け 調教師別貸付馬房数一覧表(栗東)(JRA公式ウェブサイト)
  8. ^ ベルカント逃げ切った/ファンタジーS(nikkansports.com)
  9. ^ 角田師長男・大和君「父の日本ダービーを見て騎手に憧れた」
  10. ^ 唯一の女性入学者・古川奈穂さん「騎手になるための第一歩」競馬学校入学式
  11. ^ “角田晃一調教師の長男・大和君が騎手免許試験合格 “親子鷹”で父の背中追う「結果を出せる騎手に」”. スポーツ報知. (2021年2月9日). https://hochi.news/articles/20210209-OHT1T50182.html 2021年2月9日閲覧。 
  12. ^ 角田晃一調教師の次男・大河君、父の背中追う「自然と騎手になりたいと…」
  13. ^ 【JRA】令和4年度騎手免許試験の新規合格者10名が発表 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年2月8日閲覧。
  14. ^ 平松さとし (2019年6月11日). “目立たず不器用だった馬なのに、米3冠で5着のマスターフェンサー。”. Number Web. 2019年12月3日閲覧。
  15. ^ 2014年兵庫ゴールドトロフィー結果 - JBIS、2014年12月25日閲覧
  16. ^ 思いもしない事態に襲われ騎手を引退した男が、アメリカ遠征で感じた騎手への想いとは……”. 平松さとし. 2019年6月19日閲覧。

関連項目

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