「内閣総理大臣官邸」の版間の差分
+座標 |
m編集の要約なし |
||
7行目: | 7行目: | ||
|用途= |
|用途= |
||
|旧用途= |
|旧用途= |
||
|設計者=[[建設省 |
|設計者=[[建設省]][[大臣官房]]官庁営繕部 |
||
|構造設計者= |
|構造設計者= |
||
|施工= |
|施工= |
2010年4月22日 (木) 05:55時点における版
このページのノートに、このページに関する議論があります。 議論の要約:記事の根拠、文体、概説・注釈の内容などについて |
総理大臣官邸 | |
---|---|
情報 | |
設計者 | 建設省大臣官房官庁営繕部 |
敷地面積 | 4万6,000平方メートル m² |
延床面積 | 2万5,000平方メートル m² |
階数 | 地上5階、地下1階 |
高さ | 35メートル |
着工 | 1999年5月22日 |
竣工 | 2002年4月22日 |
所在地 |
〒100-8968 東京都千代田区永田町2丁目3番1号 |
座標 | 北緯35度40分23.1秒 東経139度44分33.4秒 / 北緯35.673083度 東経139.742611度 |
総理大臣官邸(そうりだいじん かんてい)は、内閣総理大臣の執務の拠点である。一般に総理官邸、首相官邸、あるいは単に官邸ともいう。所在地は東京都千代田区永田町二丁目3番1号。
概説
「官邸」は、内閣総理大臣が執務をする場としての建物そのものの意味だけでなく、日本国の行政府である内閣の閣議が開催される場所である[2]ことから、組織としての内閣・内閣官房、あるいは総理大臣、行政府の代名詞としても用いられる。
日本において、「官邸」という名がつく施設はこの「総理大臣官邸」だけである。したがって「官邸」という語が混同されることはまずない。
内閣総理大臣 |
---|
現職 第101代 岸田文雄 |
第2次岸田第2次改造内閣 就任日 2021年 (令和3年) 11月10日 |
歴代の首相と内閣 |
歴代内閣総理大臣 内閣(歴代) |
首相が使用する施設や機材 |
首相官邸 首相公邸 政府専用機 内閣総理大臣専用車 |
首相を補佐する人々 |
内閣官房長官(歴代) 内閣総理大臣補佐官 内閣総理大臣秘書官 (内閣官房) |
内閣を組織する人々 |
副総理 国務大臣、副大臣 内閣官房副長官 大臣政務官 内閣官房副長官補 内閣法制局長官 内閣法制次長 内閣特別顧問 内閣官房参与 |
首相関連の用語 |
首班指名選挙 内閣総理大臣臨時代理 班列と無任所大臣 内閣総理大臣の辞令 内閣総理大臣夫人 (内閣総理大臣配偶者) 内閣総理大臣夫人秘書 |
首相関連の表彰 |
内閣総理大臣杯 内閣総理大臣顕彰 国民栄誉賞 |
カテゴリ |
正式名称
官邸の正式名称については諸説あり、公文書にも複数の表記法がみられる。
- 内閣総理大臣官邸
- 国会議員の質問主意書に対する政府答弁書[3][4]、外務省告示[5]、他省の主催行事の場所表示[6][7]などに用例がある。日本国憲法下の法令(府省令以上)中での登場例はない。
- 総理大臣官邸
- 1952年以降、建物としての官邸を管理する組織(中央省庁再編前は内閣総理大臣官房、再編後は内閣官房)の詳細を定めた政令[8]で一貫してこの表記が用いられているほか、国会議員の質問主意書に対する政府答弁書[9]、2002年竣工の新官邸の整備計画に関する閣議了解[10]、他省の主催行事の場所表示などに用例がある。日本国憲法下の法令(府省令以上)中で登場する官邸の表記はすべてこの「総理大臣官邸」となっている。
- 首相官邸
- 公文書での用例はほとんどないが、報道などではよく使用される表現。また官邸の公式ウェブサイトも開設当時から「首相官邸ホームページ」という表記になっている。
通称
日本の官邸を外国の官邸と比較すると雅名や愛称がない。 多くの国の官邸には法令で定められた正式名称の他に、より親しみやすい雅名や愛称などの通称がある場合が多い。そうした国では通称の方が広く一般に使用されている場合が多く、そもそも正式名称は不明という国まである。また通称が正式名称に昇格した例も少なくない[11]。逆に特にこれといった通称もなく、「総理官邸」などの正式名が一般に使用されているのはむしろ少数派となっている[12][13]。しかし、小泉政権の頃から従来の “Prime Minister’s Office” という直訳語に替えて、「官邸」という固有名詞をそのまま横文字にした “Kantei” を積極的に日本国外に向けて発信し始めるようになった。現在この “Kantei”はホワイトハウスの公式サイトでも頻繁に使われるまでに汎用される語となりつつある。
官邸敷地の沿革
現在の官邸の敷地は、17世紀後半、敷地内南側が越後村上藩内藤家中屋敷であり、敷地内北側は旗本屋敷から信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷へと移り変わった。明治維新後、一時、一橋徳川家が使用し、明治3年に鍋島家の所有となった。鍋島邸は関東大震災により大きな被害を受け、復興局へ売却された。1926年(大正15年)、震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として、旧鍋島邸跡地(旧麹町区永田町二丁目一番地)に総理大臣官邸を新設することとなった。旧官邸は1929年(昭和4年)に完成。当時は「内閣総理大臣官舎」と呼ばれており、門には表札がかかっていた。
初期の官邸
内閣制度創設期から旧官邸が完成した1929年まで使用された。西洋風の木造2階建てで、旧太政大臣官舎を転用したものであった。
この節の加筆が望まれています。 |
旧官邸(1929年)
大正末期から昭和初期にかけて流行したアールデコ、表現主義などの建築様式を取り入れた文化的にも価値があるといわれる建築。旧帝国ホテル本館などの設計で知られるフランク・ロイド・ライトのデザインに似ていたため、ライト風とも呼ばれたが、実際に設計したのは、当時大蔵省営繕管財局工務部工務課第二製図係長だった下元連である。
旧官邸の概略
- 1929年(昭和4年)3月18日竣工
- 鉄筋コンクリート4階建(地上3階・地下1階)
- 延床面積:7000平方メートル
- 設計:大蔵省営繕管財局(担当:下元連)
旧官邸の逸話
総理執務室前では記者の張り番取材が行われていた(現在の官邸では警備の関係上、取材スペースと執務関係エリアは分離されている)。また、副総理用の執務室も存在したが、「天井が低く、圧迫感がある」ということで余り使われず、歴代の副総理のほとんどは総理府に執務室を置いていた。
官邸の記者クラブの1階には1992年(平成4年)まで「スイス」という小さな食堂があった。歴代の総理も料理を注文をすることがあったという。重大事件が起きると官邸内にある小食堂が危機管理センターの役割を果たしていた(現在の官邸には危機管理室が設置されている)。
1階の西階段は組閣時に閣僚が記念撮影をする場所として広く知られた。1993年、約40年ぶりの政権交代で官邸の主となった細川護熙は、自民党政権の牙城だったこの総理官邸にさまざまな新風を持ち込んだ。組閣後の閣僚記念撮影では恒例の1階西階段の赤絨毯には見向きもせず、中庭の芝生の上で新閣僚がワイングラスを片手に懇談後、閣僚を生け垣の前に並ばせて記念撮影を行った(画像)。総理執務室では壁が殺風景だとして、壁紙を隅から隅まで貼りかえさせてもいる。総理や官房長官の記者会見を、演台の後方に立ったままで行う欧米式に切り替えたのも細川だった。
東條英機在任中は、ラジオ演説を行うための部屋があった。太平洋戦争開戦時の演説もここで行われたと言われている。太平洋戦争中には総理らが官邸を脱出するための地下トンネルがあった。60年安保で官邸がデモ隊に包囲されたとき、岸信介はこのトンネルから脱出したと、戸川猪佐武の『小説吉田学校』には書かれている。一部には堀り替えまでして残されていたという説もあったが、実際には高度成長期の地下鉄工事や周辺の再開発で取り壊されていたという。
他の役所と違って室名表示がなかったことや、官邸内が迷路のような構造になっていた為、歴代の内閣総理大臣が官邸で迷うことがしばしあった。
-
正門は現在の国会記者会館の方にあった
-
玄関ホール
-
総理執務室
-
「舞踏場」としてつくられた大ホール
新官邸(2002年)
現在の官邸は2002年(平成14年)4月22日から使用されている。
地上5階、地下1階の鉄骨鉄筋コンクリート構造。最上階になる5階には内閣総理大臣、副総理(必要時に任命)、内閣官房長官、内閣官房副長官の執務室、4階には閣議室、内閣執務室が置かれ、この2層に執務機能が集中している。3階は事務室と玄関ホール、2階にはレセプションルーム(大小のホール)と貴賓室が設けられている。1階は記者会見室や記者クラブなど広報関係の施設がある。地階は総理官邸危機管理センターとなっている。また、屋上にはヘリポートが設置されている[14]ほか、官邸前にある池は、水を抜くことで非常用ヘリポートになるように設計されている。
傾斜地に作られているため、西側の入口は1階だが、東側にある正面の出入り口は3階となっている。同敷地内に官房長官公邸、宿舎などもある。
建設工事の際、山王パークタワーやキャピトル東急ホテルといった高層ビルが新官邸に隣接していることが問題となり、官邸からは、高層ビルに面した側から窓を取り除くなどの設計変更のうえ、高層ビルに対しては官邸に面した窓が開かないよう改修を要請した。さらにテロ対策として、敷地は高さ5メートル以上のコンクリート製防護壁で囲まれている。周辺の道路は警察官によって封鎖され、歩行者は基本的に通行できるものの、一般車両の通行は規制されている。 総理大臣官邸の警備は、敷地内は警視庁警備部警護課総理大臣官邸警備隊が担当し、敷地周辺は警視庁警備部機動隊(計9隊)が持ち回りで担当している。
官邸内に飾られる絵画や彫刻は、官邸事務所の所蔵品だけでなく、文化庁経由で無償で借り受けた日本美術展覧会入選作などが含まれている。
概略
- 敷地の広さ:4万6000平方メートル
- 建物大きさ:敷地 90メートル × 50メートル 、高さ35メートル
- 延床面積:2万5000平方メートル
- 構造:地上5階、地下1階
- 建替え閣議決定:1987年(昭和62年)、第3次中曽根内閣当時
- 建設起工式:1999年(平成11年)5月22日、小渕内閣第1次改造内閣当時
- 新官邸開館(テープカット):2002年(平成14年)4月22日、第1次小泉内閣当時
- 建設費:435億円(総工費:約700億円)
- 設計:建設大臣官房 官庁営繕部
非常時官邸
立川広域防災基地内の立川防災合同庁舎(東京都立川市)には、国や都の災害対策本部予備施設が設置されている。大規模災害などにより、総理官邸危機管理センター(官邸地下)、内閣府災害対策本部本部長室(千代田区霞が関の中央合同庁舎第5号館内)、防衛省中央指揮所(新宿区市ヶ谷の防衛省本庁舎内)、東京都総務局総合防災部(新宿区の都庁第一本庁舎内)のいずれもが被災して災害対策本部としての機能が失われた際にはここが対策の拠点となり、官邸もここに臨時避難することになっている。
事件
- 五・一五事件
- 1932年5月15日、海軍や陸軍の軍人が総理大臣官邸に侵入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。
- 二・二六事件
- 1936年2月26日、陸軍の将校が率いる1000人超の兵によるクーデターが発生し、反乱軍が総理大臣官邸を襲撃した。警視庁警務部警衛課の警察官が拳銃で応戦したものの殺害され、反乱軍は官邸内に侵入した。目的は内閣総理大臣岡田啓介の殺害だったが、容姿の似ていた内閣総理大臣秘書官松尾伝蔵を誤認して殺害し引き上げた。
- 首相官邸デモ事件
- 1946年12月20日、「朝鮮人生活権擁護全国大会」に参加した在日朝鮮人1万人によるデモ隊が、吉田内閣打倒を訴え総理大臣官邸に殺到した。警察官らは門扉を閉鎖しようと試みたが、デモ隊は警察官に重軽傷を負わせ拳銃2丁を奪うなど抵抗し、官邸内に侵入した。警察だけでなくアメリカ軍憲兵隊が出動し、デモ隊全員を解散させた。この事件で逮捕された被疑者には有罪判決が下され、国外追放処分となった。
- 首相官邸乱入事件
- 1960年5月20日、および、6月3日、安保闘争に参加するデモ隊が総理大臣官邸に押し寄せ、日米安全保障条約の批准反対を主張した。
脚注
- ^ 公邸について、設置を定める法令上の規定は、国家公務員宿舎法10条3号である。他の公邸と同様に、法律上宿舎として設置され、無償で貸与される。
- ^ 国会会期中は国会議事堂内閣議室で行われる。
- ^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出内閣総理大臣の出処進退に関する質問に対する答弁書」[1]
- ^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出在上海総領事館員自殺事件に関する質問に対する政府答弁書」[2]
- ^ 1979年以前の用例はなく1990年以降2007年9月まで26件あり。なお1978年から1995年にかけて「総理官邸」とした例が9件、「内閣総理官邸」とした例が1件ある。
- ^ 総務省「内閣総理大臣と市町村長との頑張る地方応援懇談会」[3]
- ^ 農林水産省「平成18年緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰について」[4]
- ^ 「内閣官房組織令第2条第1項第8号及び第5条第2項」[5]
- ^ 「参議院議員秦豊君提出大韓航空機撃墜事件と政府の危機管理・情報管理体制に関する質問に対する答弁書」[6]
- ^ 1977年5月15日付け閣議了解「総理大臣官邸の整備について」
- ^ アメリカ大統領府の正式名称は当初「行政府官邸 (Executive Mansion)」というものだったが、その塗装から「ホワイトハウス」という通称が早くからあった。そこで1906年の増築を機会にこの通称を正式名称にして「ワシントン ホワイトハウス」(White House – Washington) と改称している。
- ^ ドイツの「連邦首相府」、台湾の「総統府」など。
- ^ 日本でもかつては政庁のことを「花の御所」や「聚楽第」などといった雅称で呼んでいたが、明治以降こうした伝統は公の場では途絶えてしまった。
- ^ 時折陸海空自衛隊ヘリコプターの離発着訓練が行われている。
参考文献
- 『首相官邸・今昔物語』(大須賀瑞夫 著、朝日ソノラマ、1995年、ISBN 4257034092)
- 『首相官邸の決断 ― 内閣官房副長官 石原信雄の2600日』(石原信雄 著、中央公論社、1997年)
- 官邸: 公式サイト
- もっと知りたい: 北海道新聞
- 『総理大臣官邸敷地の沿革』標識(平成17年10月、設置:総理大臣官邸 監修:千代田区教育委員会)
関連項目
外部リンク
- 首相官邸ホームページ: 官邸公式サイト
- 首相官邸チャンネル - YouTubeチャンネル
- 災害対策本部予備施設: 内閣府サイト